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2019.05.15
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​​もしかすると、奥さんは、この写真が徳川第14代将軍家茂に嫁いだ
和宮だと思っていませんか





この写真は徳川記念財団にあり(目白か、名古屋か)、慶喜の後、徳川
家を継いだ家達(いえさと)が
「和宮様の写真だ」
と言ったことから、そう思われてきました。
でも、家達が和宮に会っていたのは14歳でイギリスに留学するまで。

そして、和宮が亡くなったのがその年でした(1887年)。
家達は主に天璋院に育てられたので、どの位和宮に会っていたかはわか
りません。

そして、この写真は中山道を通って、江戸へお嫁入りする途中に撮られ
たとされますが、当時万15歳にしては少々年上に見えませんか?

で、色々研究が進められ、今ではこの写真の女性は南部明子という女性
とされています。
また、柳澤明子という説もありますが、これには無理があるようです。


そして、和宮というと、そのお墓を移転する際に調査が行われています。
そして、夫である家茂のお墓に入れられた髪と、和宮自身の髪が全くの
別人物の物であったことがわかっています。

これはどういうことでしょうか。
私は長年このことに付いて調べていないので、何とも言えませんが、
和宮下向の際には、産みの母である観行院が一緒に下向していることか
ら、江戸へお嫁入りしたのは本物の和宮だったと思います。

では、明治になって一度京都へ帰った和宮が、再び遷都に依って東京に
来た時、別人が来たとも考えられません。

それで、これはあくまで in my opinion なのですが、家茂のお墓に入れら
れたのは、家茂の母である実成院の物ではないか、ということ。
子に先立たれた母親の悲しい想いがそうさせたのかもしれません。



ただ、和宮はお墓の中で骨になりながらも手に写真の湿板を抱いていた
そうです。
これは、「夫のお墓の隣に葬って欲しい」と願っていた和宮を思うと、
家茂の写真だと思われます。烏帽子姿だったので、元婚約者の有栖川の宮
の写真だと言う説もありますが、やはり成行きから見て家茂の写真でし
ょう。

天璋院(先代将軍家定正室)が御台所の部屋を動かず、更に先代将軍の
母が住む新御殿には家定の母本寿院がいたので、実成院は別の部屋に居ざ
るを得なかったようです。

それで、朝からお酒を飲んで憂さ晴らし

天璋院も、新しい御台所が来たら、二の丸に移る決まりを破って大奥に
留まっていました。
これは、宮様では武家の生活がわからないだろうという親心でしょうが。

他に、照憲皇太后の女官トップの高倉寿子が「和宮様の写真だ」と言った
と言いますが、とに角南部明子と和宮は顔立ちが似ていたようです。
しかし、この写真は15歳の少女には見えませんよね。


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Last updated  2019.05.15 17:07:35
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