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緊急です。ミルク(ウェスティ1歳)がバベンセ病(溶血性貧血)になり、熱が40度あります。病院には連れて行き、注射3本打って、明日から通院しますが、何か分かれば教えてください。1度だけ草のそばを歩き回り、ダニがついて熱発したようです。食欲もなくぐったりしているので、心配です。私も疲れきっていましたが、今それどころではなくなりました。パソコンはつけたままにしておくので、みなさんよろしくお願いします。
October 23, 2006
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みなさん、本当にお久しぶりです。パソコンの調子も、私の調子も狂ってました。そして今、両方ともなんとか始動しはじめました。私はというと、共済課になってから、7時過ぎに帰る日々が続き、とうとう月末の1週間は毎日8時半でした。身体はだるいし、お腹はすくし、家事はしないといけないし、夏バテから回復していた?体重は、また3,5Kg減っていました。なんでそんなに遅いのか・・・。私は考えました。まずお客さまが依頼した書類を、1日でも早く出して、保険が下りるようにしないといけない。自動車保険など、1日でも更新を遅らせてはいけない。そういうのを仕上げて帰ろうとすると、どうしても遅くなる。だけど、なんでそんなにかかるのか?ベテランの人が産休に入り、新米の私と、入って5ヶ月の20代の女の子がやっているから。つまりそこが大きな原因。課長が詳しいと言っても、課長も忙しい。周囲の人に聞いても「ごめん。共済は分からないんだぁ」と言われる。聞いてもだれもわからないなんて・・・。結局本所の問い合わせたり、あたふた。お客さまを待たせてしまっている時なんて、もう心臓が飛び出そうになる。入ってまだ1ヶ月なのに、20代の先輩は3日も慰安旅行でいないし、いろんな保険を一気に覚えていかされている。1つ1つ詳しく教わる暇すらない。先週の土曜日は、共済だけ1日かけての研修。もう頭の中はパニック。もういくら覚えればいいのか・・・。言われたとおりにやっていても「この場合はこうなんです。訂正印押して書き直してください」まだ不慣れな先輩から言われる私。みんなが残業してるならいいのです。でも、ほかの課の方たちは、5時過ぎには帰り、事務長、所長までも先に帰ってしまうのです。女性の課長だけが残ってくれるのだけど、来年は定年とかで、あとはどうなるのでしょう。帰りは裏の駐車場は真っ暗で、足元も見えないのです。不気味なので、途中で近くに持ってきても田舎なので、それでも暗いのです。「最初で苦労すると、何課に回されても楽だよ」って言うけれど、私には子供がいる。課長も、20代の先輩も独身。私が8時半に帰られるのは四男が、携帯に毎日かけてくるから。「お母さん、今何処?」「まだ仕事なの」「え~、まだ~?」この会話の後「もう帰ってあげて」ってパターンなのです。二人はもうちょい残って帰っているみたいで・・・。こうやって疲れがとれないまま、月曜を迎えています。今もしんどいけれど、運動会も全部無事に終わったし、ちょっとホッとしました。このままみなさんのところに訪問したいのですが、今日は明日の用意をして寝ます。
October 1, 2006
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今朝5時半。電話が鳴って飛び起きた「今日の体育祭は中止です」高校の先生だった。そっか、連絡網が回ってくるんだった。昨日も今日の準備で、1日中学校。「体育祭、嫌だなぁ」と言っていた二男は熱が出てきてしまっていた。嫌だと思うと、熱が出せるんじゃない?って聞きたくなるほどだ。二男の先生が電話を下さって、二男の熱を心配してくれた。優しい先生ばかりで有難いですうちは、精神的に弱いので、先生によっては、すごく心配してくださる。今回も学校に行かないといけないと分かっているのに、眠れないなどの体調不利で休んでしまうので、カウンセリングを受けてはどうかとの提案もいただいた。千葉では、3年くらい、私と子供とカウンセリングに通っていたので、子供は1時間の遊戯療法。私は、別の先生と子供4人の状態を話して対処の仕方など教わっていた。四男が先生に懐いて、随分楽しみに通っていた。1時間、めいっぱい遊んでもらえるので、相当楽しかったらしい。先生は、一緒に遊んでいる子供の様子を観察してくれている。三男の時は「決して、自分だけでなく、私と楽しめるものを選んでくれてます」などなど。そして今日は、体育祭もなくて2人してホッとしていたらしい。外は、台風のために、すごい風雨。ラッキーを退去させて、玄関にいれていたのだけど「お母さん、ラッキーの小屋が吹っ飛んでる!」子供の声にこっそり外を見たら確かにラッキーの小屋が吹っ飛んでいた夕方、何度も停電を繰り返し、とうとう電気が切れた。仕方ないと、電池式の電灯で過ごしていた。しばらく経って「お母さん、向こうの方は電気がついてるよ。2階から見えたよ」と長男。「あら、ほんと?」と私。「そんなはずはない」と取り合わない母。「下の人も電気ついてるよ」と父。「まさか・・・」母がブレーカーをいじってみたら、電気がついた。何度か、停電を繰り返すうちに、ブレーカーまで落ちていたらしい。「さっきはブレーカーが入んなかったよ」と長男。男の子なので、電気がつかないかいろいろ試してくれていた。こういう時は心強い男の子さっきまでの苦労は嘘だったように、また電気がついた。エアコンもつかなくて、本当に暑かった子供は懐中電灯でお風呂に入った。ご飯も鍋で炊いた。水は、偶然箱入りを買ってきていた。「カップめんを買っとけばよかったのに」と母。忘れてた!こういうときこそ、インスタントを利用すべきだった。今度からの教訓にしなくちゃ。明日は体育祭あるのかな?お互いの気持ちが、すごく通じ合う長男、二男。二人とも、体育祭に参加したくないと言う。そんなこと言わずに、参加して欲しい。来るなと言われても、見に行くからね
September 17, 2006
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今朝、こっそりと素敵な現場を発見した朝起きて、お弁当を作りながら、ミルクをベランダに連れて行くのが日課になった私。ずっとついていられないので、様子を見ながら、1匹で遊ばせる。すると、勝手におトイレを済ませてくれる今日も何回か2階に上がるうちにミルクの姿が見えなくなった。「ミルちゃ~ん、ミルちゃ~ん」その内、そっと子供達の部屋を見るとミルクが一生懸命「お兄ちゃん、高校へ行く時間よ」と言わんとばかりに起こしていた。「分かったよ。ミルク!起きるから~」おかげで、2人は起きてくれた。ミルちゃん、明日もお願いね※パソコンの調子が悪く、ミルクの写真がアップされません。もしできたら、入れますね。
September 12, 2006
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昨日もお休み、今日もお休み。うれしいのだけど、疲れが取れない子供に肩をもんでもらっても腰の痛み、肩こりも取れず、ぐったり家事もさっさとやればいいのに、1つやったら休憩、という感じ。そんな私に、母は朝からイライラ。「お母さんも土日くらい休ませなさいよ」と言うのが母の口癖。今も何か言われるかもと、ハラハラしながらパソコンに向かっている私。じゃあ、やるべき事やってからすればいいじゃない。って思われるかもしれないけれど、とにかくストレスのはけ口がなくってここで話したら、また張り切って家事ができそうなんです。家事って終わりがないですよね。ここまでやったら、ってやりたいことを楽しみに済ませるとまた次にやらないといけないことが出てくる。やっとの思いで時間が取れるときは、もうヘトヘト。私の仕事も、以前の7時間労働が8時間労働になって中身もめちゃめちゃハードになりました。時給は、東京の相場から鹿児島の相場になり、うんと安くなってしまって、200円も下がっているのです。おまけに2人採用されて1人は総務みたいな仕事で周囲の人たちと、和気藹々とにこやかに不足品を補充したり、郵便局に行ったりなどして、のんびりできているというのです。私はというと、難しい書類を相手に余裕もなくて喉もカラカラに緊張して、夜も契約者の方に電話して・・・。これで時給が同じなのはひどい!人事の人が憎い!でも、安心してください。誰も悪くはないので、もう一人の新人さんともすごく仲良くやってるし周囲の方ともうまくやれているつもりです。勉強だと思ってがんばるしかないのですね。これも運命なのでしょう。さて、みなさんのところにご訪問させていただきたいのですが、また家事を済ませてからにします
September 10, 2006
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今日は母が無事だった事が不思議なくらいの体験をした。暗くなると絶対通りたくない山道を、夕方車で走っていた母。道路に立っていた男性が手を上げたので停まって窓を開けた。「何ですか?」男性「コンビニまで乗せていって欲しいんですけど」「いいですよ」母は助手席ではなく後ろに乗ってもらい、何処に住んでいるかなど世間話をして、そこから10分くらいかかるコンビニまで乗せたらしい。私は母を叱った。まず、気持ち悪い山道に1人で通っていて、どうして手を上げられて停まるのか。猫も杓子も車かバイクの免許を持っている田舎でどうして男性が立っているのか。夕方にどうしてコンビニまで乗せてくれというのか。これらを考えずに、なぜ乗せるのか。何もなかったからいいものの考えなさ過ぎなので、父もすごく怒っていた。事後報告だったけれど、心配し過ぎて腹が立った母自身もあとから考えたら怖いことだったと反省していた。
September 8, 2006
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みなさん、御無沙汰です以前以上に忙しい日々を送っています。出勤が1時間早まっている今朝も、「途中まで乗せていくよ」と約束したにもかかわらず、もたついている四男を、置いて出発してしまいました。頑張って急いでいたのに、一瞬呆然としていてかわいそうでした。1日中なんとなく気になっていましたが、後から、母が乗せていってくれたということで、ホ私は新米3日目で、とにかく毎日が必死なのです。毎日同じことの繰り返しだと、覚えもはやいでしょうが、同じことは僅かで、保険関係のいろんな内容が出てきます。一番驚いたことは、お客様がこちらが聞かないと名前は名乗らないこと。こちらがみんな自分の顔を知っていると勘違いされているのでしょうか。聞きづらい中、聞いていくことになりそうです。あと、話したくて仕方ない方も多いこと。こちらは臨機応変に、話し相手にもなって、契約その他をしてもらいます。初日は緊張で、喉もカラカラでしたが、最近は自分で、3時にコーヒーを少し、甘いものを1口食べたりして乗り切っています。残業も1時間未満はつかないとかで、たくさん損していますが、仕方ないですね毎日驚きが多いのですが今は何も考えず、一心に仕事を覚えていきます
September 5, 2006
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夕べは9時に寝てしまった。もう身体がだるくて、言うことをきかなかった。今朝も腰痛に悩まされながら(胃の調子が悪いときに起こる)何度も目を覚ましながら8時に起きた。休みの日も6時に起きることが多いので大変な朝寝だった。しんどくて、ダラダラと家事をして、お昼を食べに連れて行くと子供に約束していたのでたまにはと出かけた。目当ての店は休みで、結局お弁当を買った。急いで食べて、廃品回収へ。だるい身体に鞭打って、空瓶のケースなどをトラックに積み込んだ。約1時間後、私は役員なので、地区ではなく小学校で大元の役をしないといけなかったと判明。でももう地区で済ませたと伝えてもらい、自宅に帰った。入浴などして、しばし休むと双子の長男、二男が散発に行きたいという。その辺は嫌だという長男のために、車で何十分も移動したのに、どこもいっぱいで、結局近場に行くことになった。私は夕方から下2人を連れて、主人の妹の新築祝いに行かないといけない。今回は人が多いので、子守ができる三男四男だけが呼ばれていた変な新築祝いだった。そして、義妹の新居は我が家の近くなのだが、主人の実家は車で20分。義妹の家に行く前に迎えに来るように言われていたので長男、二男を散発に降ろし、帰ってきていた主人と義父と叔母を乗せた。義妹の家に着き、母に長男、二男のお迎えを頼んだ。中にはたくさんの人が来ていて中2の三男が5歳の姪っ子の面倒をよく見ていた。四男は、このあいだのビンタ事件からはどう付き合えばいいのかわからないと悩んでいたので、たまに相手してあげる程度で様子を見ているようだった。そんなこんなで新築祝いも終わり、後片付けを手伝って、主人と義父母と泊まるという四男を連れて行った。それから私と三男は自宅に戻った。それからが良くなかった。三男が疲れて眠るのに、積み上げてあるお布団を崩したまま敷いて寝ていたのがいけなかった。そもそも押入れを私たちが占領しているために、お布団の入れ場所がなく、積み上げてある。その一部をぐちゃぐちゃにしているのを、母が見つけてしまった。「ほんと、また○○(三男)は、お布団めちゃめちゃにしてくれて・・・。見てきなさいよ」私が帰ってきて、洗濯物を畳んでいたので、すぐに行かないのがいけなかった。長男、二男は交代で見に行き、長男は寝ている三男の顔にお布団を乗せたらしい。そこで三男が起きてきて、長男と久しぶりの取っ組み合いの大喧嘩となった。母と私と二男で、二人を止めてまた組み合っての繰り返しが続いて、やっと収まった。僅かな時間が、本当に長く感じられた。その後私が布団を畳んで、元のように重ねた。母は最近「胃が痛い」とばかり言っている。私は、母自身が言い過ぎたり、考えすぎるのも原因にあると思う。でもこれは性格なのだし、早くお互い楽になれるよう、借家を探している。少しでも離れたら、お互いを思いやれる、元のいい関係に戻れると思う。
September 2, 2006
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今朝から1時間早く出勤となった。子供達の面倒もろくろく見られない。高校生の二人のお弁当と私のお弁当は詰めた。中学生の三男も出発!末っ子の四男だけがもたもたしていたけど、置いて出発!行ってみると、私は共済(保険)の担当になっていた。私のほかに二人採用されていて、一人は私と同じ所に行き、後一人は別のところに配属された。行ってみると、保険関係はやたら忙しい。その上、いきなり更新の時期の方に電話するという仕事があった。実は私は電話は苦手。会って話すほうが楽な方なのだ。思い切って電話した。方言ですごい勢いのおばあちゃん。なんとか言葉を拾ってクリア(^^;)あとは細かいパソコンの入力があって、今までのように1人1台ではなくこの項目はこのパソコンで見るというように、1日で3台のパソコンを使った。水分もまともに取れず、トイレも男女共同なのに驚いて行き難くなってしまい、完全に体調を崩してしまった私。3年くらいしたら、移動があって出勤先も課も変わるらしいから頑張るしかない。ただ水分は取らないといけないなぁと思った。トイレは、どうしよう・・・?女性は見えないけど、男性はトイレに入ったときに、目が合う状態なのが耐え切れない(^^;)ただ同じ共済の担当が遠い親戚だったり、私のおじを知っているなど、いろんな方がいたのは親しみやすかった。でも女性が多いので、気をつけよう。あー疲れた。昨日までと今日の違いに驚愕の1日だった。
September 1, 2006
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とうとう事務所は閉鎖した。朝から宅急便、水道、電気、電話・・・などなどたくさんの業者の人がやってきた。あらゆるものを片付けたら、ますます広い事務所になった。最初は古くてびっくりしたけれど、私に時間というプレゼントをくれたんだもの、愛着もあったあとはそのうち潰されると言う。上司は東京方面へ転勤。私も早速仕事となった。残念だけど、上司と握手で終わった。
September 1, 2006
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いよいよ明日で事務所は閉鎖となります。明日の午後には、パソコンも使えなくなりますもう、まめにブログに参加できなくなるかもしれないけれど、少しでも時間を見つけて、参加させてもらおうと思っています。そうでないと、自分が押し潰されそうな気がしていますこちらの人に下手に話すと、話したことの無い人までもうすでに詳しく知っていて何度も嫌な思いをしました。だけど、ここなら愚痴らせてもらえたりペット自慢もできますみなさんのブログのお返事もそうできなくなるかもしれないけれど読ませてもらうのが楽しみの1つとなっているので、これからも読ませてくださいね金曜日からは新しい職場でがんばります
August 30, 2006
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今朝のこと。「お母さん、おれ○○(5歳の姪っ子)と遊ぶの、難しくなってきた」と突然四男が言ってきた。何かいろいろ考えていたらしく、でも、決して遊びたくないなどとは言わなかった。「お前が○○(1歳の甥っ子)の相手ばかりしていたのが悪いって、ばあちゃんも言ってたじゃないか」と中2の三男。「それは違うよ。○○(四男)は、悪くないよ。○○ちゃんを邪魔者扱いしたわけでもないんだからね。ただ、○○(四男)と遊びたいにしても、ほっぺはたたいちゃダメだって教えてあげなくちゃいけないの。自分が気に入らないと相手を叩けばいいって覚えちゃうから。本当は○○ちゃんは「ごめんなさい」って○○(四男)に言うべきだったの。だから、○○(四男)は気にしなくていいんだよ」私がそう言うと、心なしか笑顔になった四男我慢してたんだろうなぁって思った。出勤前で慌ただしかったけど、抱きしめてあげたかった家に帰ったら、遅いけど抱きしめちゃおうかな。ほっぺにチュってすると、また「1分気絶する・・・」って言って倒れるかも・・・
August 29, 2006
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昨日キャンプから帰って、いろんな現実が待っていた何もかも全てが嫌になってしまい、自暴自棄になってしまいそうだった。そんな時、長男が珍しく、主人の実家のお墓参りに行くから連れて行ってと言ってきた。身体はだるかったけど、洗濯機を回したり、洗濯物をたたんで子供4人を連れて、出発した。で20分くらいで着く。私はいろんな現実で、涙が止まらず、長めにドライブして、私の今の気持ちも少しずつ話した。深呼吸を何度もして、呼吸を落ち着けて主人の実家へ。墓参りに来なさいと、ヤンヤン言われていたので、ホッとした。そこには、いつものように、妹の子供が二人だけで来ていた。1歳の男の子と5歳の女の子。子守は嫌いだと言い張っていたお義母さんも、娘の子供は別よね~と思ってしまった私その後は1歳の男の子はげ○う○ちをお尻につけていて、お風呂で洗ってあげたら、すっかり私に懐いてくれた。でも、男の人にはなかなか慣れないらしく最初は長男、三男が近づいてあやしても、ワンワン泣いた。それを心配した四男は、お兄ちゃん達よりもたくさん遊んでいるからと1歳のいとこをあやしていた。しばらくたって、5歳のお姉ちゃんがいきなり来てかがんでいる四男の左のほっぺをビンタした。「ピシ」結構入った。四男はマメ鉄砲くらった鳩のように、固まってしまった。「○○ちゃん、どうして○○兄ちゃんをたたいたのかな。お兄ちゃん、痛いよ」私が聞くと、ふくれっ面のいとこは、微動だにしなかった。「お母さん・・おれ・・今・・何か・・した?」「何もしていないから、いいんだよ」私は1歳の甥っ子を抱きながら言った。ちょうど義妹も来ていたので、女の子は叱られた。「あやまりなさい」叱ってくれたけど、強情にも絶対いう事は聞かない(^_^;)その後は「ウェーン」だったので、ばあちゃんが「おいで。おいで」「○○(四男)が、○○(1歳)ばかりあやすから、寂しかったんだねぇ」それは、分かる。確かに、四男を好んでくれているのは知っている。でも、5歳のいとこは、三男も大好きで、今までお兄ちゃん3人の側に行っていたのに来ていきなりの出来事だった。結局、叩かれた四男の心のケアはそっちのけで、終わってしまった四男にかわいそうな事しちゃったな。
August 28, 2006
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今日でキャンプも終わり。毎日提出していた日誌もお兄さん先生に提出した。母親が講演を聞く間、子供達はニューオリンピックスポーツに勤しんだ。四男は何をするか分からないけど、これを一番楽しみにしていた母親はその後、エアロビクス。女子学生の上手な指導の元、あちこちと痛む身体で頑張った昼食を取って、あっという間にお別れ。四男はトイレに駆け込んで、最後までお兄さん先生に面倒を見てもらっていた。みんなフットワークも軽くて、ありがたかったです四男の担当だったお兄さんは2号車へ。「一緒に乗れなかったね」1号車に乗ることになったみんなでがっかりしていた。到着後、お兄さんとみんなで写真を撮って、四男とに飛び乗った。楽しかったね「お母さん、また来年も応募してね」「そ、そうねぇ(^_^;)」お母さんは、あちこち痛いけど夏休み最後にいい想い出ができたね
August 27, 2006
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昨日から「雨が降りますように」お母さんたちの祈りは空しく、朝から快晴だった。最高気温34度。ただでさえ眠れない上に、朝方異常に冷え込んで、臭いからと利用しなかった寝袋を使えばよかったとちょっぴり後悔6時半にラジオ体操を済ませ、食パン、バナナ、魚肉ソーセージ、チーズ、牛乳をいただいて牧場目指して、片道10kmのハイキングに出発した最初だけ普通の道だったけど、丸太のつり橋は恐ろしかったし、こんなところどうやって通るのってところもたくさん歩いた。子供達と体育大のお兄さんお姉さん先生は、とっても元気「やっぱり体育系はさわやかね~」と他のお母さんと話していた私は何回、助けてもらったか分からないけれど、2時間くらいかけて、牧場についた。みんなでお弁当を食べて、休憩四男は先生やみんなと大はしゃぎしていた。しばらくしたら、今度はまた10kmの下山。また同じ道を帰ったリタイヤしたいけど、子供も頑張ってるし、とにかく歩いた約2時間後、フラフラの状態で到着。今度は、大きな大浴場で、男女分かれて入った。やっぱり浴槽につからないとね~夕食はバイキング夜は子供は寝かしつけて、大学教授と学生さん方とお母さんの懇親会だった。またまたが飲めない・・・と心配していたらチュウハイがあったこれなら飲めるそこで、担当のお兄さん先生の歳を聞いた。「二十歳です」「わかーい」その他、よしもと張りの関西弁のおもしろい先生やいろんな方が回ってきてくれた。11時あっという間のお開き。部屋に戻ってからは、足が疲れすぎてなかなか寝付けなかった。
August 26, 2006
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昨日に引き続き、四男と鹿屋市(かのやし)の「大隈少年自然の家」へ昨日と言い、今日からのキャンプと言い、東京へ行けなかった四男のために1通ずつ送ったはがきが当たったものだった今日は6時起床。7時過ぎ、またに乗るために、母に駅まで乗せてもらった。また早めに着いて、少しウロウロしていたら、すぐが来た。名札とバンダナをもらって、1号車に乗った35組70名の参加で、バスは2台。9時出発。走って間もなく、フェリーに乗った。四男と上まで駆け上がった。「あれ~巡視船がいる。あっちもこっちも5隻もいるよ~」ふと思った私。「○○(四男)、パパにしてごらん」「もしもしー。今桜島の前にいるよ~。うん。目の前に巡視船が見えるんだけど」その内「ありゃ~目の前の巡視船、パパが乗ってるやつだ~オーイ」二人で思い切り手を振った。向こうは勤務中で、誰も振り返してくれなかったかもしれないけどあまりにもの偶然に、四男と感動した「すごいね~。たまたまパパの巡視船の側を通ったんだね」すると、あっという間に集合時間。四男と1階に下りて、バスに乗り込んだ。その2時間後くらいに「大隈(おおすみ)少年自然の家」に到着。鹿屋(かのや)体育大学の学生さんが先生兼カウンセラーとして男の子には男子学生、女の子には女子学生が親子4人組の面倒を見てくれる。突然のを待ったあと、キャンプ場へ移動した。何km歩いたのか、30分くらいと聞いていたのに1時間半も歩いた夕方は飯盒炊爨と、カレー作り。1年、2年、4年(四男)、5年の男の子の班だったけど、野菜を切るのは四男しかできず、私と野菜カットの担当になったあとの男の子たちは、お兄ちゃん先生と火をおこす担当になっていた薪をさっさと取ってくる班はどんどん火が燃えるのに、まだ20歳の先生は、先輩に遠慮していたらしい。うちの班は、隣よりも時間がかかってしまった出来上がりはおいしかったみんなで片付けて、歯磨き指導を受けたあとは、みんなで交代でシャワー。お母さんがしばしの休憩中は、子供達は映画鑑賞だった。でも内容が幼くて、四男始め大きい子たちは、せっかくシャワーを浴びてパジャマを着ているのに、また汗をかくのではないかと心配している母親をよそに、お兄ちゃんやお姉ちゃん先生にいっぱいあそんでもらって、とっても楽しそうだったその後は、暗いテントに就寝した。
August 25, 2006
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四男と5時に起床。6時に母に30分ほど掛かる駅まで私と四男を乗せてもらった6時42分。なんとで2時間弱で行ける距離なのに新幹線で行くことになった。高くつくなぁそう思いながら往復券を買って出発7時07分には待ち合わせ場所に到着。集合は7時半から7時50分。四男とコンビニでおにぎりを買って食べて、やっと来たバスに座った。8時出発15組30名の母親と子供達が来ていた。それから約3時間。鹿児島から佐賀県の鳥栖市(とす)の「鳥栖キューピー工場」に着いた。説明はしっかり受けたけど、工場見学は思ったより少なかった。衛生面で徹底していたので、その関係だろうなと思ったその後親子でマヨネーズ作り体験。マヨネーズも苦手な四男に、少し舐めさせてみる。作るのは一生懸命だったのに、やっぱり爪楊枝の先くらいしか舐められなかったあとはマヨネーズ製品で作ったチャーハン、ポテトサラダたらこスパ、野菜サラダをもらって食べた。最後にビンゴゲーム。1位のたらこを被ったキューピーちゃんのオルゴールを狙った四男。でも2位のキューピー人形の貯金箱、キーホルダーが当たった当たるとなんでもうれしいね仕上げに売店でキューピーのグッズなど買って帰った。自宅に着いたのは、7時前。明日の用意もしなくっちゃ
August 24, 2006
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昨日、仕事から帰宅してすぐ、長男の担任からがあった。「明日来れない時は、家庭訪問させていただいていいですか」とのことだった。サッカー部の顧問でもあるし、先生と話もしたいと思ったので、快諾した。「明日、行かなかったら○○(長男)の先生来るって~。あ、○○(二男)あの、先輩は戻ってきたって先生言ってたよ。だからサッカー部は続けてほしいんだって」と、二人に伝えておいた。夜は、お金を合わせて東京で買ってきたLANの設定に、二人は必死だった「できねぇ」イライラする二男。私は母に「子供達が買ってきたおみやげを早く配りなさい」とヤンヤン言われていた。あーうるさい行ってくるか。おみやげを配り、帰ってみると二人は、LANの設定に成功し、PSPでインターネットをやっていた。もうすっごくご機嫌さっきは、お風呂に入れば、お尻をムカデに噛まれ、LANの設定ができないとイライラしていた二男。もう、うれしくてうれしくて、ハイテンションになっていた「やったぜ最後のところで○○(長男)が設定できたところがシャクだけどさ」協力して、設定できたんだなって思うとうれしかったまぁ、その後は寝ている四男と私にお尻を見せて「月光仮面デカ」などとふざけ出した。「こち亀だぁ~」四男まで起きてしまった。「ヴィーナスデカ、いや海パンデカだぁ~」と二男。「わぁ、おもしろい~。お兄ちゃん後ろから見えるよ~」と私と四男と二男は大はしゃぎ側で、三男は静かに寝ていて、トロもなぜか落ち着いていた。エアコンがないと寝られないと、はしゃいだ後は表の隣の部屋に寝転んだ二男。私「明日は学校行ってね」二男「サッカー部はやめるって先生に伝えてよ」私「言うんなら自分で言って。お母さんはサッカー部やめて欲しくないけど、やめるんなら、○○(三男)のように、家の裏や周囲でやり続けて。サッカーは嫌いになったんじゃないでしょ」そういうと「うん」って言ったのかな?そのまま寝た私達長男だけ、二階で寝ていたので、あまり話せなかった。そして今朝6時半頃起こすと、二人ともおもむろに起きてきた。「部活するのに、弁当ないのかよ~」長男が言う。「は」その後は簡単におかずを詰めた。「ご飯が足りないから、パンでも買ってくれる?」私が今日のお昼用に買っていたパンを持たせようとしても持って行かないと言う。長男も好きなパンなのに。とりあえず、出発行ってくれるだけで、うれしかった何も話さないで、高校に着く寸前。厳しい校則なのを分かっていて、わざとだらけた制服の着方をする同級生を見つけた。「あーいうのがムカつくんだよ」そして車を降りる時「おじいちゃんがうるさくて嫌だ」「おばあちゃんもうるさくて嫌だ」「お母さんもうるさくて嫌だ・・・」最後にそうポツリと言って、長男が降りた。明日は、四男と朝早くから佐賀に行くし、明後日から日曜までは、四男とキャンプに行くし、心配だな今日こそ、長男とじっくり話そう
August 23, 2006
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今年の夏も、巡視船の体験航海がある。一昨年、千葉から帰省して、でっかい「おおすみ」に乗せてもらった時はまだ、あまり巡視船にも興味がなかった四男。それが、今は「海猿」を見て、全てに興味がある動く巡視船にも乗りたいそうしていたところ「これ、○○(義妹)に渡しといて」と主人。四男とで会いに行ったときに渡された。見ると、体験航海の名簿だった。妹親子4人と実家の隣のいとこ親子3人。「え○○(四男)と私は」「土曜にはそれだけ取れたけど、日曜はもういっぱいでだめだった」「え~」まぁ、私達はキャンプから帰る日なのだけれど、ちょうど港のあるそばで解散なのに。海猿があってから、何かと競争倍率が高く、職員もオタオタしていられない状況観閲式とか、またすごい倍率かしらその内四男だけでも、乗せてくれないかないつも自分の家族は後回しなんだから
August 22, 2006
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今朝、6時に起きた三男を除き、6時半に子供達を起こすことにした。あ四男はラジオ体操に間に合う時間に起こすのを忘れた我が家は、朝は起こさないでも早く起きてくれる子供達だったのに、今は起こさないといけなくなった。今日は長男、二男を補習に行かせないと「もう6時半よ。起きなさ~い」なかなか起きない。「今日は高校行きなさいよ」何度も起こした。「行きたくないんだよ」怒りながら二男はゴロゴロ。長男は頭が痛いと言い出した。「薬飲んで行きなさい」と私。その後、何度も言い争って、なんとか朝食を取らせた。嫌々用意してたのに、一向に玄関に降りてこない。母が送る用意をして、のエンジンをかけてくれているのもかかわらず。その内、父が送ると言って、長男、二男に声をかけた。それでも出ようとしない。準備がほとんど済んでいる二男は「○○(長男)が行かないのなら、俺も行かない」と言う。「高校は絶対行きなさい」父もカンカンだった。やっと無理矢理二男が、ブツブツ怒りながら、父と出て行った。その後すぐ、二男の先生からが入った。「すみません学校へ行くように説得してるんですけど。二男は、もうそちらに向かいましたので」長男の先生からは昨日があったとのこと。まだ2階で部屋に閉じ困っている長男に「先生が電話くれなくなったらもう終わりだからね」と強い口調で言った私。その後、父が帰ってきた。「まだ○○(長男)は行こうとしないのか」母「さっき○○(二男)は『やくざと一緒にしないでほしい』って言ってたよ」「世の中には借金かかえて、やくざに追われて怯えて暮らしている人もいる。決してそうなるな。と夕べ話したのが気に食わなかったのか」と父。父は大阪に住んでいたときに、商売をしていていろいろ見てきたので、すぐやくざの話をする。私は、それが好きではない。自分の武勇伝も話したくて仕方ないのだろうけど、まだ15,6の子供にやくざは無いと思う。学校には関係ない。一般論として話すなら、せめて高校を卒業してからにしてほしい。その旨を伝えると、短気な父は怒り出した「おれの話のどこが悪い。もう明日から学校へ行かない子は、ここから追い出せ。もう二度と何もしてやらん」となった。「いいのよ。みんなでもう知らないって放っておけば。そうやって、子供達はもっと精神的に参っていくのよ。そしてここも家族がバラバラになっていくのよ」はっきり覚えていないんだけど、私がそのような事を言った。イライラ、イライラして周囲に当り散らしていた父。「お前が子供達を東京にやるからだぞ」母はため息ばかりついて、涙ぐんでいる。「あんたが甘やかすから」みんなが辛い時にを落とす父。いつもの事だ。結局、父や母にいろいろ言われ、私も頭にきてしまった。朝から、飛んだバトルとなってしまった明日は高校に行くのだろうか。今日は話し合ってみないといけない。
August 22, 2006
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今朝は、小中学校2回目の登校日。2回目というのが、びっくりなんでも細かく宿題をチェックされるらしい。量も半端じゃない。夕べ机に向かった四男。「無理だから、仕方が無い。明日はこのまま行くよ」とあっさり。三男も決められたところまで済んでないけど、おみやげ持って行くと中学校へ出発。さて、高校生の長男、二男。朝なかなか起きてこない。私が起こしに行くと、長男は反抗的。「起きるから。うるさい」二男は何も言わず、起きない。「学校は行くって約束でしょ」あれ?確か言ったよね。そう思いつつも強気で言った私。長男は起きて、2階から降りてきて、ミルクをさわってまた2階の部屋へ。行く準備すらしていない。二男もおもむろに起きて、準備などしていない。提出すべき宿題が済んでいないから行けないなどと、夕べ言ってたっけくそ~「もう絶対東京行かせてやんないどこも連れて行ってやんない」さんざん怒って出勤した私。9月からは、出勤途上にあった高校も、反対側になるし、朝も1時間早くなるし、今までみたいにできないんだぞ「そんなこと言って、連れて行くくせに」なんて三男は、親をからかってくることがある。母親として、ガンとしていなければまたまた忙しい日々の始まりだぁ。
August 21, 2006
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今日は長男、二男、三男が帰ってくる日。四男は、朝から主人とプールに行ったり、散髪に行ったり大忙し昼食後は、炎天下でキャッチボールあと1回だけとトランプもしてから、で1時間かけて家に一旦帰った。午後4時。母をに乗せて、四男と共に空港へ。この間迷ったお陰で、すんなり2時間かからず空港に着いた。まだ時間があるので、足湯に入ってからを待った。人が多く、立っているだけで人にぶつかられて、思わず「ごめんなさいね。大丈夫ですか?」みたいに言ったけどあれってあとから思った私。その後、私と四男は、待ちきれずに送迎デッキに上がった。「おー大きなで帰ってきたね~」無事着陸するのを見届けて、1階に下りたけど、人が多くて、三男をなかなか見つけられなかったやっと荷物が回ってきて、「お帰り~」というと照れていた3人。「ラーメンでも食べる?ざぼんラーメンって食べたこと無いでしょ」そう聞くと「早く帰りたい。こっちの友達にバーベキューに誘われてるから」と長男。早速車に荷物を積んで、家路に急いだ。途中暗くなってきて、道がよく分からなくなってくる。2度と山道に入り込みたくない私はもう必死「夜って分かり辛いな・・・」運転していると必ず母が「はこの道間違ってるんじゃないの?」などと言う。これに「ちょっと黙ってて」や「ドキってさせないでよ」なぁんて言おうものなら、すぐすねてうるさいので「大丈夫だと思うよ」と後は黙って運転した。だって私が一番動揺してるのに・・・あと最後に曲がり道を間違えなければOKというところがなかなか見つからない。「あれ」走っていたら、なんとか家の近くまで来た「私はどうやって着いたんだろう」自分でも分からないまま、子供を約束の場所へ連れて行った。ちゃんとした舗装道路なんだけど、うんと山に入っていくような道をひたすら走り、真っ暗な闇の中、友達の家の側で長男、二男を降ろした。家に帰ると8時過ぎで、身体は緊張が取れて、鉛みたいだった。妹夫婦に御礼のをした。妹も5日目には、慣れない子供の世話で、疲れていたらしい。手は掛からないけど、食事に洗濯が大変だったらしい「お姉ちゃんでさえ、5日目に気が抜けて疲れて、の繰り返しだよ」妹、妹と共に可愛がってくれた義弟にも御礼を言ってを切った。ミルクにはかわいいリボンとおもちゃ。ラッキーとトロにもおもちゃのおみやげがあった。おみやげにお菓子をもらったけど、今回お母さんは何もいらないって言っちゃったから、無しかな?いつもなら携帯ストラップとかくれるんだけど明日を期待しよう
August 20, 2006
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今日は7時に待ち合わせで、カラオケに行った。みんな酔っていた時の約束だから覚えているのかな?と思ったら確認のが来た。「明日ほんとに乗せてもらってもいいかな」「いいですよ。ちゃんと覚えてますよ」そして、夕方、四男と同級生のお母さんから、子供も連れて行くとがあり、四男も連れて行くことにした。行きたがっていたので、大喜びだった3箇所で、人を拾ってみんなで7人を乗せて、出発した。後ろでは鹿児島弁のおもしろい会話が飛び交って笑いが絶えない。四男は言葉が分かってなかったみたいで、私は笑いながら運転していた。カラオケに着き、先に来ていたみんなと合流して、子供チーム、大人チームに分かれた。子供チームは高校生のお姉ちゃんが付いてくれた。さて、大人チームは・・・みんなビールで乾杯私は飲みたいものが見つからず、コーラフロートにした。食べ物をいくつか頼み、さぁ歌なのに、みんな話し込んでいる。お隣の人と私とカラオケだから歌わなくちゃ、と隣の人、次に私が歌った。声が出ない歌がうまくなりたい・・・つくづく思いながら「みんな歌ってくださいよ~」などと言っていたら、あとはマイクを離さない人恥ずかしがる人などいて、メドレーを歌ったりして、楽しい時を過ごした。それにしても「よく冷えてるわ~」とみんな飲むこと、飲むこと。結局私は、子供代金だけでいいからと、お金は取られなかった。「また乗せてね~」みんなおもしろい人ばかりだったし、歌って踊って楽しい人が多かったからまた行ってもいいなと思う、カラオケだったみんなを降ろして、10時前。私と四男は主人の待つ宿舎へ向かった。「おばちゃん達、ちょっとうるさかったね」「そうかぁ。でもおもしろかったね」その1時間後、お父さんのところに到着し、話しながらまた食事をして、寝てしまった四男でした
August 19, 2006
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夕べは台風が来るというので父母は雨戸を閉めたり、鉢植えを玄関に入れたり大忙しだった。私もを危なくないように停めた。「お母さん、明日仕事行くの」と四男。「さぁどうかなぁ」そう言って、まだ静かだったけど、心配なので外のラッキーを迎えに行き、玄関に入れた今朝は。ミルクは最近ベランダでチーとう○ち(出たら)を済ませていたので落ち着かない。「お外は今日は駄目よ」と新聞紙を敷いた。でも、外でしたいらしい。取りあえず、いつものグルコサミンのサプリメントをあげて夕べ作り置きしておいた手作りマンマをあげてみた。なぜか、マンマの匂いだけで興奮してチー。「出た。出た」と喜んで、マンマをあげて、ケージから出してあげた。もう落ち着いて、トロやミルクを見ても騒がなくなったラッキーもすごくお利口に玄関でじっとしていた私は、そんなラッキーが愛しくて牛乳水と子供が買ったフードをあげた。「最近みんなで甘やかすから、ラッキーが『ごわん(ごはん)』って言わなくなったよ」と嘆いていた母。昨日朝は、私が母に持って行った牛乳水で、久しぶりに『ごわん』と言ったらしい「ラッキーちゃん、よくやった」そして、朝は台風も落ち着いているからと、ラッキーを戻した父。はすごいけど、大丈夫かなと出勤してきたのに・・・今は外はすごいなんじゃこりゃ家には絶対帰してよ~~~まだ東京の子供達。「高校の補習も台風のせいで、自宅待機よ」としたら「なぁんだ。損した」と長男、二男。勉強が遅れなくてよかった。みんな休みでよかった。って親は思うんだけど、子供って感覚が違うんだろうな。「自宅待機って連絡網ね、1組しか来なかったんだけど。先生に休むとは言っといたけど、連絡網って普通来るよね」と私。子供に言ったところでノーコメントだったけど私はよくあるのが「あれどっちの子の連絡網だったっけ」前の方が親しい人だといいのだけれど、そうでないと頭がパニックになる昨日は落ち着いていたので「すいません。何組の連絡網ですか?」と高校生の子に聞けた実はおとといは「何組の連絡網でしたっけ?」とし直したら、高校生に笑われてしまったのでさて、外の天気はどうなることやら熊本を南南東に北上してるとは言え、風は依然強い。ラッキーを玄関に戻してくれたかなぁ20日に子供達は帰ってくるのだけど、その時は大丈夫かなぁ。心配は尽きない。夕べ三男からので「友達と千葉で遊んでいて2000円取られたんだけど、返してくれなかった」と言っていた。親子でショックそういう子がいたのを、忘れていた「鹿児島から来たんだからおごれよ」と言われたらしいなんか馬鹿にされたみたいでくやしいよねよくお金や物を取られてしまっていた三男。自分がしっかりしないと、くやしい思いをすると知らされた旅行になった。「お母さん、○○ちゃん(妹)には言わないで。心配するから」という三男。妹におこづかいまでもらって出かけたので、相当悪いと思ったらしい。その友人に対しては、怒るだろうな。三男は大勢でディズニーシーに行って、一緒に来ていたその2人に「お金返して」を言い続けたらしい。なのに、悪びれた素振りもなかったみたい。「もうそんな子達とは会わないでいいよ。そんなの友達じゃないよ」私が言うと「そうだね。あとは、安心できる友達と会ってくるよ」「お母さん同士が友達っていうとこの友達なら安全だよ」と私が言うと、ホッとしたみたいだった。子供にとっては高い授業料だけど、勉強になったんじゃないかな。でも、ひどい二男に話したら「例え友達だろうと財布はしっかり持ってなきゃって思ってるよ。○○(三男)はしっかりしないといけないんだよ」とあっさりもう日にちは無いから、少しでも楽しんで無事に帰っておいで四男もトロもミルクもラッキーもみんな待ってるよ~
August 18, 2006
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夕べ、また一波乱ありました。ミルクは最近、1畳くらいあるケージから出してもらうことが増え子供達もご機嫌なのだが、末息子である四男は、どうもそれだけではない最初は仲良く追いかけっこしている二人ミルクも遊んでもらったり、寛いだりしている。みんなもミルクをかわいい、かわいいをしたり、芸をさせておやつをあげたり・・・。芸はおすわり、お手、おかわり、チンチン、アーンとあくび伏せ、ねんね、待て、ごろりん、これどっちだ~と聞くと選ぶ・・・などなど。覚えが早いので、みんなでよくおやつ片手に遊ぶその内、必ず四男がミルクをケージに入れ始める。「まだいいじゃない」私が言うと、「ミルクうるさくなったもん」などと言ってケージに入れてしまう。ミルクはもっと遊びたくて、ケージをたっちしてガシガシ、ゴシゴシ。しまいにはうるさく吠え始める。「ミルクうるさい」四男がミルクに向かって殴るまねをする。ミルクは興奮してもっと吠える。「止めなさい」私が言っても聞かない。その内、四男が「ミルク静かにしろ」とまた、叫んで殴る真似。ミルクは怯えて興奮して、抱っこした私の腕を掻きむしった。「アイタタ」母はいつもこういう時に私以上に子供を叱り、子供の怒りを助長させる結局物を投げ始めたのでその後私は四男を叩きました。それもほっぺを・・・。そしたら余計に泣いて叫んでくれて・・・その後部屋に隠れてしくしくして寝ちゃいましたこの発作的な怒り方。まるで兄一人一人のやること全てのコピー兄3人分、3倍の吸収力で時々反抗してくれる。兄達は小4でこんな反抗しなかったけれど母は夕べから今朝まで「あんたの小さい頃からの躾が悪かったから、こんなことするんだよ。お母さんならひっぱたくわ」や「今でこんなじゃ、どんな大人になるか恐ろしいわ」など、などの連発。母は私が叩いたことを知らなかった。私はそんな反抗もしないのに叩いて育てられたのが嫌だったから、あまり子供を叩かない。それも甘いといわれるけれど、口で言って分かるものは叩く必要はないと思っている。四男はすぐミルクに焼きもちを焼くみたいだけれど、その時だけのことで、私が一緒にお風呂入ったり寝たり、遊んだりもしているんだけど兄達もいなくて寂しかったのもあると思った。それと自分も東京・千葉に行きたかったのも我慢している。」いろんな思いが爆発したんだろうな。今夜は父と母から四男の反抗について話がありそうだわ。ごはん食べる気失くすんだよね。今朝も私が残したの気づいてなかったかも。同じこと何度も何度も言われて、自分の子育てに自信なんか持ってないから返す言葉が思いつかない。「もう分かったから」って今夜話が出たら言おうかな。ミルクと四男の兄妹喧嘩が激しくならないよう私も気をつけなきゃ。実は夕べ、私は家事をほっぽり出して、四男とミルクが遊んでる横でブログ見てました。反省ここで、さっさと家事を済ませて、2人の相手してやってたらもめなかったかもしれません。上3人がいない内にちょっとでも好きなことやっちゃおうという甘えからでした。その後は、眠い目をこすり、家事を済ませて、唯一楽しみな「オーラの泉」をうたた寝しつつも見て就寝でした。あ~疲れた
August 17, 2006
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午前中、健康診断で引っかかった甲状腺のエコーに行った。やっぱり異常なし。「首が太ってるから、そう見えたんでしょうねぇ」と、女医さん。うそ首も、やたら長いだけで、太いなんて一度も言われたことないんですけど。なんかショックまぁいっか結果はうれしいけど、お金がすごくかかるのにびっくりまた血液検査もしたせいもあるんだろうけど、痛い出費だったことを後悔そして午後は出勤。閉鎖準備に追われていた。夕方自宅に帰ると、主人が「同級生が何人か集まるから行こう」と言う。中学だけの同級生は気が引けるけど、高校の同級生がほとんどだった。久しぶりに会話も弾み、一緒に行っていた四男(小4)も、小5、小6の兄弟と仲良くできたらいいのに、とうとう最後まで絡めなかったさぁもう11時前。帰ろうということになり、主人がを取りに行った。息子と後を追おうとして、1歩外に出たら、真っ暗な暗闇「どっちに帰るんだっけ?」携帯のライトで足元を照らす息子。「よし、左にしよう」恐る恐る左に向かう。「あ人の家だよ」と息子。「じゃあ、右ね」また右へいこうとする。確かお墓があったよなぁそう思うと、急に怖くなってきた。「お母さん、どっちに帰るかみんなに聞くから、また戻ろう」そう言って、友達宅に戻ると(玄関が少し長いお宅でした)主人が迎えに来てくれた。ほんとに、ほんとに、暗闇って怖いなぁ。そう実感しながら、帰途についた。
August 16, 2006
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今日も朝から快晴一人東京に行けなかった息子、四男は主人とプールに行った。朝早くから、お昼過ぎまで行って、また日焼けしてきた二人。ドライブした後、主人の宿舎で過ごしていた夕方主人の実家から電話があった。妹の長女の保育園のお迎えを頼みたいとのことだった。弟である1歳の長男が、熱を出したあと点滴を受けているという。そこから、実家まではで1時間。お迎えまで時間もあまりなく、急いで保育園へ向かったお墓参りもあるので、帰るつもりではいたけれど、済ませたい用事もキャンセルして向かったので、なんとか間に合った私も実妹も待たされる身の辛さは痛いほど良く分かるので、誰であろうと、待たせるかも知れないと思うだけで、焦ってしまったそれも、姪っ子はまだ5歳。寂しいだろうなと思うと、いたたまれなかった。行ってみたら、案の定、門までニコニコしていたのに「ママのお迎えがいい」と言う。「じゃあ、おばちゃんが抱っこしてあげようかな」そういうと、急に大好きな四男の○○兄ちゃんがねんねしていたから、つまらなかったみたい。でも、その後は姪っ子は大はしゃぎお墓参りを済ませ、いつものように、四男にべったり。膝に座ってきたり、とにかく四男に構ってほしいらしい。軽快なおしゃべりと、豪快なキックやパンチ。我慢していた四男も「痛いから、やめてね」「けっちゃだめだよ」と優しく諭す。三男、四男はお兄ちゃん達二人と違い、恥ずかしがらずに一緒になって遊んであげるので、小さい子に大人気友達の家に遊びに行っても、弟、妹に喜んでもらって「帰らないで」と泣いてくれる子供もいてくれるとそこのお母さんから聞いたりする。「おれ、保育士か幼稚園の先生になろうかな」と、一時期言っていた三男。その三男はいなかったけど、充分、四男が相手してくれるので、姪っ子は、いつも食べないと周囲を困らせているご飯も1膳たいらげた四男のおかわりが効いたのかなばあちゃんも大喜びだったね。その後は花火をして四男と姪っ子をお風呂に入れた「○○兄ちゃん、すごいでしょう。なんでも自分でできるんだよ~」と私は四男をおだてつつ姪っ子の長い髪を洗い、身体も洗ってドライヤーもかけた。もし女の子いたら、こんなんなのね~と思いながら、いろいろ世話していると「おばちゃんは、女の子が出来なかったからね~」と言う義母。またこれだ・・・ちょっととしつつ、気にしないことにして・・・。あとは、義妹が甥っ子を連れて、10時ごろに帰ってこれたので、私と四男もで15分くらいの家に帰った。主人は、明日早朝仕事に行くと言って、寝転んでいた。追伸:それにしても、主人のお墓参りは、お線香をたくさん持って、周囲も回らないといけなくて、毎年びっくりどうしてなのか、誰にも聞けないでいる私。狭い墓地なのに、小高いところを登って行ってお盆はいつも人がひしめき合っているので、私はそこがちょっと億劫です
August 15, 2006
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今日は双子の子供達の16歳の誕生日。思い起こせば、16年前の今日、二人は1860g、1880gで生まれたね。まだ9ヶ月に入ってすぐで、新生児センターのある病院に入院していた私は、緊急帝王切開で、二人を産んだ。産まれてすぐは、そのまま保育器に入れられて、すぐに新生児センターに運ばれた二人。私は、点滴を24時間して、絶対に起き上がれない生活を1ヵ月半もさせられていたので、起き上がることすらできないでいた。点滴の薬のせいで、常に頭がもうろうとして、クラクラしていた。「赤ちゃんに会いたかったら、まず起きる練習をしてください」と看護士さん。長く入院すると、案外冷たい言いかたをする人が多いなと感じた。そして、私は何度も何度も起きる練習をした。その2日後くらいだったか、やっと看護士さんが、車椅子で私を新生児センターへ連れて行ってくれた。別棟で、案外遠かったのを覚えている。頭はクラクラだったけど、楽しみだった。電話があって、インターホンで、看護士さんが名前を言ってくれた。新生児センターには4つの部屋があって、奥が一番重度で、徐々に部屋を移動していくらしい。子供達は・・・まだ重度の部屋だった保育器に1人1人入って来た子供達はまだ細くて、体毛で覆われていて、過呼吸で、ハァハァ言っていた。まだ口からミルクが飲めないからと、おでこが剃られて、そこに針が刺してあって、そこから栄養分を入れるとの事だった。胸にはたくさんの心電図。かわいそうで、この子達を健康に育ててあげたいその時に堅く誓った。その後、私は39度の高熱に悩まされた。退院してからも、片道特急で1時間かけて治療と子供達の授乳に通った。結局、手術の時に卵膜を残されたのが原因だった。訴えることもせず、子供達のため、母乳も凍らせといて、通う時に持っていっていた。そうこうしている内、約1ヶ月半後の、9月27日。無事子供達は退院となった。ようやく2500gだった。もううれしくて、うれしくて、をもらった時は大泣きしてしまったなぁあれから16年。大病もせず、大きくなってくれた二人。つい先日までは、二人が走っているだけで涙がでてきた私。親の心子知らずで、反抗ばかりしてるけど、お母さんは、いつまでたってもかわいいんだぞ~
August 13, 2006
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身内でバーベキューをすることになった。祖母も入れて、母方の身内、全部で9人。子供達は、みんな帰って来れず、四男1人だった。夜でも暑くて風がなく、私は食べたいのに、あまり食べられなかったおまけに、食べ盛りの我が家の3人はいないし、みんないつもより食が進まなかった。飲み物ばかり飲みまくって少しずつ食べていた。四男は、退屈で持ってきたビニール製のボールで1人遊んでいた。182cmもある、母の弟である叔父が、ふと、相手をしてくれたら・・・四男は、もううれしくてうれしくて走り回ってボールを投げてもらって、受け取っていたその内、もう一人の叔父も遊んでくれるようになった。そんなこんなしていたら「あ!流れ星」と四男と私が大きな声をあげた。偶然、二人だけ、流れ星を見ることが出来た「あっという間だったね」お願い事をする間もなかったけれど、何か得した気分だったね
August 12, 2006
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私は、別段霊感がつよいわけではない。そうでありたい、という願望も入っているけどだけど、鹿児島に引っ越してきてからは夜中に誰か立っているように見える他金縛りがひどくて、ある時期は、座って勉強していても金縛りにあった。私の部屋が、先祖代々のお墓の見える位置にあるからかなとも思った。それからは、お墓にお線香を上げに行ったりして、妹の部屋で寝ることにした。結婚してからは、仏間で寝るようになった。そうすると、ここではもっとひどくなった。足を引っ張られる、頭をなでられる、金縛りに加えていろんな感じがして目が覚める。別の部屋にしてもらうと何ともない。でも、それは両親といっしょだったので、落ち着くために、四男と仏間に寝る練習をしてみることにした。仏間ではいろいろ試したけど、やっぱり、目が覚めてしまう電気を朝方までつけて寝ようとする日々が続いた。お墓とお仏壇にお参りしても、一向に良くならなかったある時、子供がこちらを見ている祖母の大きな写真が怖いと言い出した。申し訳ないけれど、横に向けてもらった。寝るときは襖も閉めた。すると、どうだろう、眠れるようになった今でも、一人で仏間には寝られないけれど、誰かいてくれたら眠れるようになった家族で寝ても、誰がいても間に挟んでもらって寝ても、金縛りや、起こされる感じが取れなくて悩んだ日々。いつでも祖母に優しくて、そのくせ叱る時は叱っていた妹。その妹はいつでも何ともないと言う。私は妹に比べたら、同居して、ひどくボケている祖母をかまってあげてなかった。特別優しくもなく、決して叱りもしない。叱ると言うのは、とんでもない危ないことをした時だけだったけど、そのことに負い目を感じているからかなぁ。もっと優しくしてあげればよかったという思いもあって、あと一人の祖母には、できるだけ会おうとしているのだけどまたご先祖さまをお迎えするお盆が来る。落ち着いて、お墓参りもちゃんとしてお出迎えしなきゃね
August 11, 2006
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今日は、新しい職場の制服を合わせに行ったそれが、なかなかチェックを基調とした可愛い制服だったう~ん。うれしいけど、若向きね。私には似合わないかもしれないな。でも、正直かわいいのが着られてうれしいまぁ色はおとなしい色だからいいよねえ冬服も注文するのやったぁ。制服だぁMacのパートした時も、ちょっとルンってしたけど。わぁお奇遇にももう1人の採用の人も来ていた。「わ、若い」落ちついた感じの20代くらいの人だった。どこへ配属か聞いてみたら、私よりも遠くて奥まった所だった。はは~ん。子供も多いし、行きやすいところに配属してくれたのねぇ勝手に想像して、心で感謝した何年かごとにあっちこっち移動があるみたいだけど、家から通えるし、それも経験「それこそ、じいちゃん、ばあちゃんがくるところだから鹿児島弁理解できないと困るねぇ」と母。その時は・・・・・また考えよう
August 10, 2006
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朝8時、母と子供達を乗せて、鹿児島空港へGOこちら鹿児島は相変わらずのカンカン照りなのに、関東に近づく台風7号「何かありそうだと感じたら、もう乗らないでいようね」子供に言い聞かせながら、舗装されたバイパスを走っていく。あれカーナビの赤い旗どおりなのに、山道に向かっていく。だいぶ走ってから、思い切って引き返した。ふ~やっぱりまた山越えするところだった。父の運転なら1時間半の空港までの道のり、2時間かけてようやく到着。10時だった。「窓側は翼の上しかございません」と言われたけど、窓側から2人並んで、1つおいて1人座ることになった。「東京から帰ってくる便なので、出発が15分ほど遅れる予定でございます」結局は45分くらい遅れて出発だった。子供達は狙ってもいないのに「たまごっちジェット」だった双子の子達が初めて小5でジュニアパイロットで乗せたはポケモンジェットだったな、なんて頭をよぎったふ懐かしいな歓迎デッキでいろいろ感慨深くしていた私。「何してるの~」かわいい幼稚園服の女の子に声をかけられた。「お兄ちゃん3人を見送ってるの」「たまごっちジェット」その後はその子の話だと、幼稚園から空港見学に来て、このあとそうめん流しに行く。だから水筒しか持って来ていない。などいろいろ話してくれた。「またね~」私は幼稚園にいると、よく子供に先生に間違えられたものだった。うれしかったなぁ今の女の子も、ゆっくりだけどおしゃべり上手だったなその後四男をドラえもんに乗せて、バックに母と四男でと撮った。あの子達が無事着きますように。祈る気持ちで送迎デッキを後にして、さぁ空港でランチ渋い四男は、お子様セットは苦手ざるそばとぜんざいのセットを食べると言うので、私がぶっかけそばのセット。母は温かいうどんのセットを食べた。帰りは今、空港の外でやっている足湯に行って見ることにした。一角にかわいい温泉みたいなものができていたわぁ、すごいねふと見ると、ふっくらしたおばあさんが杖で立とうとしているのに立てないでいる。「○○(四男)手伝って」無理かな?と思いつつ、私はすぐ手を差し伸べた。でもおばあさんは、私一人では起こせない。すると、すぐ隣にいた若いカップルの男性が気付いて、おばあさんの片手を持ってくれた。ほおばあさんは杖を持って立つと、「ありがとうございました」と深々と頭を下げてくださった。私もうれしかったそのあとは「気持ちいいね~」「足つるつるだね~」と言いながら、お湯につかり、家路へと急いだ途中で「もう着いたよ」と子供や妹からメール。「良かったね」その夜、1本のが鳴った。「もしもし」え~うそ~面接受けたところからだった。私が合格勤務先がたくさんあって、私にとって2番目に近い事業所に配属された。やったぁそれも9月1日からだぁ今の事務所とはダブらないみんなにありがとうまた9月からもがんばります
August 9, 2006
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今現在。私は仕事中で、今日は一人で留守番の日。FAXとメールと電話を受けているだけなので、本当に気楽に過ごさせていただいているだけど、1つ難点がある。事務所が古いので、エアコンが効かない最高に入れて、室内温度が今現在31度なのだ汗を拭きながら、仕事しているって考えられますそのくせお隣の支店長のお部屋は、温度設定が出来て常時22度。扇風機付きこの私とは雲泥の差だでも、仕方ない。こんなにゆっくりと自由時間をいただいてるんだからこちらに引っ越してきてから、精神的な孤独にはすっかり慣れてしまった。もう楽チンなほどでも、このブログの上で悩みを聞いていただけたりいっしょになってペット自慢できたり今までにない楽しみができた。妹には「お姉ちゃん、明るくなったね」ってで言われたっけ。思いを誰にも話せずに、悶々としていた日々。ここで、いろんな方に訪問していただいたり、訪問させていただくことで本当に気持ちが楽になった私本当にみなさんありがとうこれからもよろしくお願いします
August 8, 2006
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明日はとうとう長男・二男・三男は東京に向かう。羽田空港では、私の妹が待ってくれている。もう楽しみで仕方ないらしく、メールで、千葉の友達と約束しまくったらしい。明日の朝8時、私は休みを取って、子供達を鹿児島空港へ送る行きはよいよい、帰りは今まで何度も山に迷い込んでしまった無事帰れたのが嘘みたいだった子供と協力して、カーナビにメモリ地点の赤い旗を、いくつも置いた。それを頼りに帰るしかない。夕べ鹿児島限定のお菓子や、おみやげを買った。四男は「○○ちゃん(妹)におみやげ買う」と言って、犬のぬいぐるみ付きの携帯ケースを選んだ。「ポチに似てるやつね」なかなかかわいかった「お母さんと○○(四男)も買おっか」ついでにミルク、ラッキーの歯磨きガム、ミルクのミニーちゃんのギンガムチェックのお洋服(Pink)ショーツなど買ってしまった女の子はかわいいのが買えて、うれしいわ~今日、おみやげを送り、明日に備えて、ガソリンは満タン。携帯もしっかり充電していく。何しろ都会と違い、山越えなので、ガソリン切れたら一環の終わり。道はもうだいぶ舗装されたけど、同じような道が続く。携帯もなかなかつながらないけど、わずかつながる場所があったら、持っておかないと人家のないところが多いので、助からない約2時間、少ない目印を頼りに、カーナビの赤い旗を頼りに心臓バクバクで行くしかない帰ってくるのは20日日曜日。それまで、豪快に食べていた子供3人を妹に託す。妹は大丈夫かなでも、結構千葉の友達と遊んで回って、食事もするだろうからなんか泊めてくださる方もいるみたいで・・・。ありがたいです。11日ってあっという間だろうなぁ。妹夫婦はもちろん、ポチもすごく歓迎してくれるだろうな。12日はポチ4歳、13日は双子の子供達の16歳の誕生日。今回は妹達がお祝いしてくれると言うあとは、怪我などなく、無事に行って帰ってきてくれたらそれでいいので、鹿児島で待ってるからね。子供達は、反抗いっぱいしてくれてるから、ちょっとは親から離れてみるのもいい機会だと思っている私です
August 8, 2006
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今日、朝10時から、一般事務の面接に行った。9時25分到着ちょっと早すぎたかな42分くらいまで、車の中で、面接練習をした。もうそろそろいいかな。心臓がバクバクしてきた案内してもらって行ってみると、なんと17人だった。このうち2人採用してくれると聞いたのだけど・・・私は、なんと1番だった。筆記試験もあるかな?と思ったけれど、10時ジャストに隣の部屋に呼び出された。わ面接官が6人くらいいる。こんなに多いのは初めてだった。10分くらい経っただろうか、とちりまくった私は、後悔しながらもそこを後にした。もう仕方ない。落ちたら、また探そう
August 7, 2006
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今度の集中豪雨で、親子球技大会が中止になった。避難場所であるはずの小学校体育館が水浸しで、まだ使用できない。私達の避難場所はどうなるのか不安になる。そんなこんなで、バーベキューのお肉が余っているからと夕方5時集合、6時開始でバーベキューが行われた。子ども会なので、小中学校の子供達とその両親が集まる。こういう集まりはほぼ強制で、行かないとろくなことを言われかねない。私も三男、四男と共に参加した。バーベキューとやきそばがお父さんたちによって振舞われた。子供達に配ったあと、母親達も座ることになった。よく見ると、元気に飲むグループとおとなしく話すグループに分かれている。私もあっち(飲まない方)に行こう。そう思った矢先「そこ座ればぁ」と声を掛けられてしまった・・・もう、そこに座るしかなかった。みんなはの缶をごいごい開けていく。お父さん達は焼酎とビール。みんな酒豪だった。さすが鹿児島しばらくして「ねぇ、今度8月19日の廃品回収の後カラオケ行かない?」「行こう。行こう」と盛り上がっている。「ところで、誰が乗せていく?」「あー」7人の目が一斉に私を向いた。運の悪いことに私の車はワゴン車だった。素面の私は、度肝を抜かれながら、有無も言わさず決定したいいや。こうなったらお姉さん方にパフェでもおごってもらおうかな。言えたら・・・ね最後になって、片付けをしていたら、ポットのお湯をこぼす際に、なんと私はポットごとこぼしてしまったこれで、悪いことはおしまいと心に思って、弁償することにした(予備もあるので、弁償しなくていいと言われたけど、しとかないと後が怖いので)最後に落ち込んだバーべきゅーでした。
August 7, 2006
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二男の視力がA,B,Cの内「C,C」だった。今日は朝7時に眼科に予約に行った。相変わらず、じいちゃん、ばあちゃんでごったがえしている。って、なんで7時から受付なのに、もうこんなにいるのそれでもやっと15番目を確保できた。眼鏡は決してかけさせたくないけれど、成績も下がってしまったし、何より主人が眼鏡をかけている。遺伝には勝てない9時前に二男と眼科へ行ったしばらくして視力検査をした。結果両目0、15。はぁそんな悪いの「今席はどこに座ってますか」二男「一番後ろです」絶句このおとなしい子が「先生、黒板の字が見えないので前の席にしてください」なんて言う分けなかった「授業中など、見えないときだけでもいいので、眼鏡をかけてくださいね」その後、試しに眼鏡をかけて10分くらい置いても違和感がないかチェックとなった。「こんなによく見えてたんだ~」と二男。結局眼鏡は東京で私の妹が眼鏡ドックとかいうところで作ってくれると言うので処方箋だけいただいた。やれやれだった
August 5, 2006
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今日、職場に健康診断結果が届いた。安心していたけど、封を開けるのがちょっと心配「大丈夫大丈夫」開けてみた。「紹介状」って封筒。ナヌ異常なかったんだよね「甲状腺腫大」救いなのは若造先生だったから、まだ経験浅くて、大袈裟にしたのかもしれないえ「慢性胃炎」って、異常ないって言ったくせに・・・でも日常生活に差し支えないとのこと。尿蛋白や潜血はプラスだけど、経過観察だって。貧血ぎりぎりはいつものこと。大した事ないと思ってても、ハラハラするのね~きっと再検査でも異常ないと思うけど、子供の為に行かなくちゃ。甲状腺って、耳鼻科P.S.今日うれしいことが1つありました。 ここは決まった会社の失業者の方の、再就職を 探す会社なのです。 それで、私の新しい仕事を探すために、 外回りの方が、今度の私の面接先にも プッシュしといてくれるそうです。 もう15人面接者が来たので、止めたそうですよ。 余計に自信なくなってきた・・・
August 4, 2006
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今夕方だけ、ミルクに手作りマンマを作っている試しに作ってみたら、それ以来、フードを受け付けなくなったそれでも朝だけは無理矢理フードにミルクが好きな鰹節おいしい粉(妹から送られたもの)をかけてごまかす。アレルギーにいいのか悪いのか、ヨーグルトにスキムミルクをかけたものを少しだけあげてみた。ぺロッとたいらげた。夕食は、最近とりむね肉に野菜何種かとご飯少量。これにじゃこやごまやオリーブオイルも少量たらしてみた。いろんな食材を煮込んだごはん。子供達に作っていた離乳食を思い出すじゃこや昆布を入れると懐かしい香り・・・。長男、二男は未熟児だったから特に必死だった・・・ミルクもお口と足先の茶色が治るといいね
August 3, 2006
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忘れもしない去年の8月4日。千葉からここ鹿児島に子供達と私は引っ越してきた。その当時、父はほぼ寝たきりの生活をしていた。きっかけは「お父さんに何かあったら心細いから、帰ってきてくれない?」という母の言葉だった。その頃、主人は東京勤務5年目になり、ストレスですっかり体調を崩していた。大阪で生まれ育った私と違い、都会での生活は余計に苦しかったのだろう。夏休み、時に冬休みまでもで鹿児島へ帰っていた。高速を乗リ継ぎ、不慣れな私も時々交代して運転した。20数時間かかって鹿児島へ到着する。もう私は事故に遭わないか、ハラハラして帰るのでもうヘトヘトだった。主人は自分の両親のためなら、長距離運転の次の日でも思いっきり遠出する。そのためにも、8人乗りのワゴン車を購入したのだろうとその度に思ったそんな鹿児島大好き主人なので、疲れが溜まり、私や子供達に当り散らすようになった。その当時、子供達は中3・中3・中1・小3。上2人の子供達は、不眠で中学を休みがちになった。中1の三男も不安定になった。このままじゃいけない。大好きな千葉だけど、決断しないといけない時が来た。妹、弟ともやっと隣の県に来れたのに・・・。子供達も、千葉が大好きになっていた。2年おきに転勤だったのに、初めて長くいられた千葉。毎年毎年、内示の時期はハラハラして過ごしたっけいよいよ引越しが決定。子供達は、時間を惜しんでみんなと会いまくった。慣れ親しんだサッカー部、小学校、中学校、athomeな塾・・・。塾に至っては、先生方に相当可愛がっていただいていたのでそれぞれの先生に、プレゼントやお食事をおごっていただいたりした。それぞれお別れ会までも開いていただいた。子供達はそのたびに涙ぐんでいたらしいそして去年の8月4日、たくさんの友人に送っていただいて、千葉を出発した。一緒に来ていた妹までももらい泣きするほどのお別れだった。そして今日8月3日。鹿児島に来て丸1年。本当にいろんなことがあった。「よく1年過ごせたよ」と長男。子供達も私も、ひどいカルチャーショックとホームシック?にかかっていた。元々私も中学3年から大阪から鹿児島へ悲しい思いをして引っ越してきているので、子供達の気持ちも手に取るように分かる。今の私ですら、鹿児島弁は話せないし、地元に馴染んでいない父はリビングに寝ていて、母と一緒に孫と私にガミガミ言う毎日。箸の持ち方(末っ子だけ上手)、階段を上り下りする音、靴の脱ぎ方またそれらをしつけていない私。子供はイライラして、壁を蹴り、ドアを蹴り・・・穴でぼこぼこにした。夜、外で「死んでやる~」と叫ばれたこともあった。毎日毎日「千葉に返せ~!」と叫ばれた。両親には言われ、子供にも不満を言われ、私は板ばさみだった。父は前立腺癌だといけないと、椎間板ヘルニアの手術ができないでいた。私はで2時間弱の市内まで父と母を乗せて泌尿器科の病院に連れて行っていた。長距離な上、慣れない道の運転は相当神経をすり減らした。何回目だったか、父の手術が決まった。そのときに癌かどうかも分かるという。手術の日、母と子供達を連れて、ワゴン車で市内へ。普段の乗用車とすると、ハンドルもペダルも重い1時間くらいだったか・・・執刀医の院長先生の説明で癌ではないと判明。ホッとして、退院を待つこととなった。その後、無事退院し、次はヘルニアの手術日が決定した。父は痛くて仕方ないらしい。今度は熊本でという話もあったが、父が「近くの病院に熊大の先生が来てるから大丈夫」というので、心配だけど運転のことを思うとホッとした。それからは、その手術も成功した。病院のカテーテルミスで軽い脳梗塞を発症していた父だったが、みるみる元気になった。今では立って仕事もできる。まだ腰は痛くても、動けるのは父も母も私達もうれしいあまりにもうるさい祖父母に嫌気がさして、孫である我が子上3人がお見舞いに行かないという事態も発生し大変だったけど私はというと、あちこち体調を崩し、目、皮膚(まぶたほか)に異常が出るは、胸の痛み、過呼吸、胃痛など出るようになった。あまりにも続くので、病院に行って検査を受けると、大して異常はない。「最近、何か環境に変化とかありませんでした?」そればかり聞かれた(^_^;)今も時々症状は出るけれど、以前よりは随分減ったし、何より健康診断でパスしたのだから大丈夫だろう今主人は念願の鹿児島に来てとても元気になった。長男、二男、三男はというとイライラして当たられていたことが忘れられない。それに主人は精神的に参った時に、子供にも私にもとんでもない迷惑も掛けてくれた。だから、子供達はもうなかなか主人には馴染めないでいる。四男だけは、まだ父親と遊びたい年齢で、主人と遊ぶのを楽しみにしている。私はというと、戸惑いばかり。弟や江原啓之さんも「どうにかなるさ」という気持ちも必要だと言っていた。今の家は、高速が出来るのでその内立ち退きになる。そうすると、1階2階で世帯を分けようという案がでている。うれしいのだけど、ボウリングに来られたまま工事の人が来ない。早くこの状況を打破したいと思う私はわがままなのか・・・。両親に感謝しなきゃいけないのだろうけど、私は7人分の面倒見に帰ってきたんじゃないと時々叫びたくなる。好きな、ドラマも見ない。帰省してきた友達としか、お茶することもない。目の保養になったショッピングも気分的にゆっくりできない。不器用にも上手に休むことができなくなった私。どこへでも自転車で行っていた子供達は、私ので出かけることが増えた。山越えは不気味らしい。でも私は自分に毎日言い聞かせる。「なるようになるんだから。大丈夫」って。これからも、子供と共に毎日を大切に過ごしていこう万年反抗期の息子達と・・・
August 3, 2006
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ポチ(ゴールデン・レトリバー)が妹夫婦の家に来てもうすぐ3年になる。犬が大好きな私と妹。なかなか飼う機会がなかった。3年近く前のある日。やはり犬好きな弟から妹にがあった。「○○ちゃん、ゴールデンが捨てられているんだけど、かわいそうなんだ。飼ってやれない?うちの住宅は飼いたくても飼えないんだよ」妹もペットは飼えないマンションだった。その子の元に妹夫婦は行ってみた。なんでも、引越しに連れて行けない飼い主が放置して行ったらしく1週間くらいつながれたままで、いじめられた後もあってすごく怯えていた。このままだと保健所に連れて行かれるとのことだった。妹夫婦はまず、その子を助けたい一心で、引越しを決意した。そこに放置しては可愛そうなので、引っ越すまで、東京から千葉の妹の旦那の実家に預かってもらうことにした。それからは、妹夫婦は忙しかった。不動産巡りとその子に会いに、休みのたびに千葉へ向かった。ブラジル生まれで、ブラジル人に飼われていたその子に日本語は通じなかった。最初、名前も分からず、いろんな名前で呼んでみた。反応がなかった。それに表情もまだ険しかった。やっと新しい家が見つかった。その子をやっと迎えにいけた妹夫婦。その後、そのこの名は「Pochi」ポチだと判明した。妹はポチに、少しずつ日本語を教えていった。私達が会いに行くたびに、ポチの表情が柔らかくなっていくのが分かった。しばらく経って、ポチは重度のアレルギーだと判明。妹は、アレルギー検査で、ポチが苦手なものを調べることにした。なんと、食べられるもののほうが少ないくらいその辺で売っている市販のものは受け付けなかった。うっかり食べさせると、カイカイで、ぶつぶつに血まで出てしまう。それ以来、ペット店でアレルギー対応のものを購入したり、手作りで作ってあげたり・・・。散歩もスキンシップも欠かさない。かゆがって可愛そうなので、40数キロのポチを3日置きくらいに2時間以上かけてシャンプードライしてあげる。ポチはいつもつやつやでいい匂いのする男の子に変身したおどおどしていた顔もにこにこするようになった。ポチのお陰で、犬も笑った表情するんだなって教えられた。ポチも妹夫婦の息子になって、もうすぐ3年。妹に叱られると「お母さんに叱られてるの」って悲しそうな目で、私を見る実に分かりやすい性格お散歩中でも、子犬にちょっかい出されて「お母さ~ん」と切ない目をする優しい子。ポチは優しいお兄ちゃんになったね。もしミルクと会ったら・・・ミルクの方が吠えるかもしれない。(いまのところミルクもへっぴり腰だけど・・・)p.s.ポチの画像あとで入れられたら入れますね
August 2, 2006
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今日で双子の兄達の補習の前期分が終わる。今日はテストらしい。新設校で、実績を出したい校長先生は一生懸命されているのであろう。昨日夕方、長男から電話があった。「間違えて古いエアコン持って来ちゃったから、お父さんところに取りに行こうよ。明日取り付けてもらうことになってるから」お昼を持って来忘れて、おやつしか食べてなかった私は、ちょっとふらついていた。「明日ちゃんと高校行くなら連れて行くよ」そう約束して、家では残っていたカレーと納豆ご飯を食べた私にしてはご飯2膳は多いけど、食切れしたような気分だったまだ腹八分状態だったけど、主人のところまではで1時間。今仕事でいないけど鍵は持ってるからと向かった。今度は眠気が襲った。そうだ妹からので久しぶりに長話して、あまり睡眠とってないんだったコンビニで休憩するついでに、長男は私にコーヒーといちご牛乳とアップルパンを2つ買ってきてくれた。悪いと思ったのだろう。「お母さんが好きなパン買ってきたよ。今食べて。イチゴ牛乳はどれが好きか忘れた」って言ってはくれるけど、もう満腹中枢はしっかりと働いていた。「眠いから、今コーヒーだけもらうわ」確かに目がぱっと覚めた「遅くなるからもう行こう。明日学校と仕事だしね」エアコンを見つけ、水道が錆臭いので、長男の提案で浄水器を買って行き、長男が取り付けた。「ちょっと寝たら?」と長男。付いてきた四男は、マイペースに漫画を読んでいる。私もちょっとだけ横になった。「お母さんがゆっくりTV見てるの久しぶりに見たよ」長男に言われて、私もそう思った実家ではそうはいかない。横になってTVどころじゃない。でもゆっくりしていたら、また長男が疲れたと高校に行かないかもしれない。よし、帰ろう1時間かけて帰宅。長男、四男はすぐに寝た。私も眠かったけど、洗濯機回しながらお風呂に入ってやっとこさ干してあとは寝てしまったそして今日を迎えた。母は洋裁、パッチワーク、いろいろできるということで今日1日、中学の先生に洋裁を指導してくださいと学校から要請があったので、母も落ち着かない。「お母さんが二人を高校に送るから、ここの部屋片付けておきなさい」夕べ出かけてしまったため、洗濯物もまだ半分しかたたんでいなかった私。大急ぎで片付けた。ミルクはあとでケージごと部屋移動される。トロは恥ずかしがって出てこないだろう。いろいろ考えながら祖母の野菜ジュースを手に取り、出勤した
August 2, 2006
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私もyukiさんからいただいたバトンに挑戦させていただきます。私のはつまらないと思いますが・・・Q1 旦那さんの1番のチャームポイントは? 口角がしっかりして、厚くも薄くもないくちびるですね。 私は自分のくちびるが嫌いなので。Q2 だんなさんに似ている芸能人は? 若い頃は、元巨人軍定岡に似ていると言われてました。 今は、誰にも似ていないと思います。Q3 ご主人との馴れそめは?(知り合ったきっかけなど) 高校の同級生です。クラスで3人しか就職が居なかったたため 同窓会で意気投合してしまいました。 私は魔がさした「魔の同窓会」と呼んでおります。Q4 これだけはやめてほしいだんな様の行動、くせなど。 舌打ち。食べるときの音。 (あまりにもリアルでしょうか?) Q5 だんなさんから貰った初めてのプレゼントは? 遠距離恋愛だったので、 ダンボール1箱にホワイトデーのプレゼントが送られてきました。 海猿ファンの方にはたまらない数々の品でした。 それとペンダント。 Q6 プロポーズの言葉と、その時にあなたが感じた気持ちは? 「このままずっと一緒にいたら、結婚するだろうね」って言われました。 「26歳くらいでいいよ」とその時はつい言ってしまいました。 実際はもっと早く結婚しましたけど(^_^;) Q7 旦那さんの特技は何? パチンコ(私は嫌いですが)特技というより、趣味でしょう。Q8 だんなさんが好きな女性のタイプは? ファンはあまりいないようですが ニュース解説の豊田じゅん子さんでしたっけ? その人はきれいな人ですが、 主人は基本的に面食いではないようです。Q9 将来どんな生活してたい? ペットとのんびり生活でしょうか。 若い時行けなかった旅行など行きたいですね。 何か趣味や、勉強などにも打ち込みたいです。Q10 次のバトンを渡す5人 ごめんなさい。私も5人は無理です。 誰かにお願いしてみます。 どうぞ宜しくお願いいたします
August 1, 2006
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今日は小中学生は登校日。勉強の計画表を提出しなければならない。今になって、三男、四男は焦っていた。「お母さん、できた」小4の四男の計画表を見ると、ほとんど書いてない。「これだけじゃ、まずいでしょう」「だって、本当にやってないんだもん」「正直なのはいいけど、これじゃあ、書き直しになるよ。あとで宿題やればいいから、書いちゃえば」いけないことを教えてしまった(^_^;)でも、少しは世渡り上手にならないと・・・。そのあと、ちょろちょろっと書き加えて「めんどくさいな~」と小学校へ向かった。三男もめんどーだと言いつつも、自転車で中学へ向かった。最近は部活に行くのに、鍛えるためと走って行っていたので、久しぶりの光景だった。問題の長男、二男はまた「高校休む」と言うので「千葉と東京に行くなら高校行くって約束でしょ」おにばばぁになって、私も頑張った。その後は、ペットの話、祖母の家の黒猫の話などして、顔が緩んだ隙に「お母さん、車用意して待ってるからね~」で勢いで連れていっちゃいました今日は、体育祭のことを決める日らしく、明日が前期の補習のテスト。明日は何の話しようまた、忙しい1日が始まった
August 1, 2006
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今朝は6時に起きた。やはり、外はすでにカンカン照り夕べ干したもの以外の、追加の洗濯物、子供用布団を干した。長男二男二人を、高校へ送りさて、土日「ミルちゃん、お風呂待っててね~」「トロちゃん、トイレ掃除待っててね~」ばかり言っていた私。朝忙しい時に・・・と母に言われないうちに、そっとミルクをお風呂に連れて行った。四男が洗って用意してくれたベビーバス。毎回役に立っているお風呂に入れている時のミルクは、本当に気持ちよさそうでうっとり・・・。可愛くて親馬鹿になってしまう瞬間「あミルちゃん、お母さんお仕事だった」急いでミルクをタオルで拭いて、簡単にドライヤーとブラッシング。まんまもあげて・・・次はトロちゃんのトイレ掃除。まぁ、ほんとに便通のいいこと。「トロちゃん、牛乳大好きだからねぇ」とやってるうちに出勤時間が迫ってきた急いでご飯を食べて、しゅっぱ~つ時間ギリギリで、祖母の家にジュースを持って寄った。「おばあちゃん、おはよう」いつもの黒猫ちゃんがこっちを見ていた。「おばあちゃん、この子の赤ちゃんは?」耳が遠くなった祖母に、少し大きな声で聞いてみた。「死んでいたんよ。それもここの畳の上で」この子がやっと連れてきた赤ちゃんは死んでしまったのか・・・ショックだった。それも畳の上に連れてきたなんて・・・。よほど、この子は祖母を信頼しているんだなぁって思った。「残念だったね」私は、家でこの話を子供達に聞かせなければと思いつつ、出勤した
July 31, 2006
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金曜日は、ミニバレーが中止だった。さすがにこの猛暑じゃあ、無理かな内心ホッとした私。もうその辺から、気が抜けた。今まで無理して動いてたので、一気にだるさが押し寄せてきたそれでも、やるべきことをやって寝ないと母がうるさい一人の時は「明日は休みだし、明日にしよう」なんてできたのに・・・。お茶碗洗って、洗濯物干して・・・するともう、ダウン・・・の土曜日だったので、今日も、朝から動く日となった。朝6時、外はもうカンカン照り2階のベランダに広々と洗濯物、布団が干せるのだけど、屋根が無いそのまま干すと、顔も手足も真っ黒になってしまう。暑いけど、農作業用の帽子を買ったのでそれを被り(これなかなか便利です。ピンクの水玉を使ってます)腕カバーをし、日焼け止めを塗って、戦闘開始3度くらい回した洗濯物を干し、もうお布団まで、干してOKの天気だった。2階まで布団を持って上がるのは、至難の技だ。汗だくになって、起きている人の分だけやっと干し終わったここで、ドリンク剤を飲む。涼しいうちにやるには、どんどん時間が早まる毎日先日は雨が憎かったけど、今は太陽が憎い。今もラジオで気温が36度と言っている。うそでしょ~サッカー部の息子は、行くたびに具合が悪くなって帰ってくる。3男は部活の中に、水泳を盛り込んでくれてあると大喜び外のラッキーもバテ気味で、昼間は影に移すけどかわいそうで、かわいそうで。牛乳水を1日2,3回運んでいくと、大喜びで飲む。「よし」とちゃんと言わないと飲まないので、きちんと言う私や子供達。「ラッキー暑いし、ダニもついてたから、かわいそうだね」と3男。外の水道で、ラッキーを洗ってあげたらしい。「お母さん、ラッキー気持ちよさそうだったよ」「ありがとう。ラッキー喜んだろうね」そこまでは良かったんだけど、水道の蛇口を閉め忘れて外出した3男。2時間くらい水道水を出しっぱなしにしていて、母の機嫌を悪くしてしまった出かける寸前で忙しくても、一生懸命なんだけど、なんか抜けている3男。一生懸命がよく空回りするんだよね。あとで聞いたら、ほんとに忘れていたみたいで「は」って固まってたね。さすが、お母さんの息子だ・・・
July 30, 2006
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私の携帯はJ-phoneのまま、2年以上が経っていた。「お母さん、いい加減携帯変えたら?」と子供達。でも、機種変は高いずっと、迷いながら過ごしてきた。以前一度迷いながら、やっとvodafoneショップに行ったのに(で30分)「契約者の委任状がないとできません」そこで、委任状をもらい忘れ、また30分かけて行った私(本当は向こうがくれるべきだと思うけど)そのまま時は過ぎ、ケーズデンキが機種変の値段も随分下がっていた。やったぁ。待っただけあった「少々お待ち下さい」番号を言ってワクワクして待っていた。「あの~関東で取得されてますよね。ここだと3,4日かかりますので、vodafoneショップへ行っていただけますか?そこなら2時間で出来るそうなので、5時以内に行って下さい」え~機種変に何十日かかってんの?やっと、1週間後の今日。またで30分かけて、末息子とvodafoneショップへ向かった。値段を聞いたら・・・安くなってなかったケーズデンキのお姉さんは「値段は変わらないはずです」って言ったのに結局、3000円以上の予算オーバー。この1台、取っててもらったし(かわいいピンクです)文句は言えない(^_^;)携帯がもらえるまで、2時間の間末息子とブラブラして、図書館にも行って、うたた寝して・・・やっとやっと、機種変できましたその後は、もちろん私の携帯は子供が設定し、子供が遊んでいる。私は新しくなって、まだ悪戦苦闘それにしてもこちらに来て、何もかも不便な毎日。いい加減慣れればいいんだろうけど、慣れない。「電波がない」は当たり前。自然と戯れるしかない・・・
July 29, 2006
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今勤めている事務所は、来月閉鎖される。最初から分かっていたことだけど、いざとなると寂しい。次の仕事、どうしよう今はお金がかかる時期だから、少しでも働かないといけない。ここは民間の失業した方の再就職を支援する仕事。もうほとんど決まってしまって、私の仕事は少ない。「次の仕事、何かないかなぁ」事務じゃないと、速さを要求され、動き回る仕事は私には無理だと、他のパートをしてみて分かった「お母さん、お願いだから、やめてきて。死んだような顔してるよ」なんて言われた時は、さすがにやめることにとまどいはなかった仕事上、毎日求人をチェックしている。あれ?一般事務だ・・・。迷った挙句、応募してみることにした。上司に相談すると「今、ハローワークに紹介状もらいに行って、出してきていいですよ」とのこと。それで午前中、ハローワークへ行った。人が多くてびっくり!!やっと紹介状をもらったけれど「あなたで4人目ですけど、まだまだ増えていきますよ。10人くらいで切るかもしれないですね」って、最近は一人応募に20人近くが面接なんて、ゴロゴロいたのに・・・。「あ、それから挨拶状付けた方がいいですよ。パソコンでいいから付けてください。印象が全然違いますよ」こう言われたら、このまま出しにはいけない30分かけてここまで来て、途中、私が面接を受けたいところを通り過ぎる。仕方ない。事務所に戻り、悪戦苦闘して、挨拶状を作った。「今、出してきていいですよ」と言われたので午後に出してきたきっと無理だろうな。今のここの仕事は、面接に受かった時は信じられなかった・・・給料は安くても、働かせてもらえるだけでも有難い日々(鹿児島県の最低賃金は608円。全国最下位の県の1つです)来月からは、ハローワークか通いが始まるだろうな
July 28, 2006
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私にとって苦手な夏がやってきた。今日も午後は1時間半も小学校のプール監視が待っている。梅雨が空けて、早朝から暑くなって、せみもミンミン鳴いているすでに夏バテしている私。学生時代までは、毎年5kgは落ちていた体重。今は3kgがせいぜいだけど、もうすでに3kg減。毎年食欲の秋までの体重で、うれしいのだけどとにかく食べていないので、フラフラ。これじゃあいけないと、長男に誘われて、食後、食料品もあるホームセンターに行くことにした。高校に行かないとごねていた二男も行くことになり、出発牛乳、納豆、栄養ドリンクなど重いものもたくさん買った。帰りはいつも重いものは子供に持ってもらっている。「ありがと~。お母さん助かるわ~」子供と買い物に行くと、お金は少々かかるけど、重いものを持ってもらえるという利点があるお米10kgもちょこちょこ買いに行くので、ほんと助かる私一人だと、袋は多いし重いし、車までカートで運ぶのも必死。おまけにたまに私は、買ったものを置いて帰ってしまったりするすぐ気づけばいいのに、次の日に気付くこともある。もしやと、お店にすると、「ありましたよ~」なんてことも「あんた、まだそんなボケる年じゃないでしょ。馬鹿じゃないの」と母。「あってよかったね」と言ってほしいのに・・・最近はとくにボケまくってる私。「お母さん、○○に連れて行って」「いいよ~」で向かう私。しばらく行くと「お母さん、どこ行くのもう過ぎたよ」なんて、しょっちゅう「これからは、『お母さん、もうすぐだよ』って言ってくれる?」と私。元々、ボケてたかもしれないけれど、最近ひどくなったような・・・実の弟夫婦、妹夫婦から「お姉ちゃんって、天然だね」って言われたこともあるせめて、周囲をイライラさせたくないと、切に願う日々である
July 27, 2006
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親にとっては長い夏休みに入った。双子の高校1年生達は、毎朝7時半から4時間の補習がある。こちらは親にとっては有難い事。なのに、なのに、休みたい、行きたくない、と1日おきくらいに言ってくれる精神的に弱い二人。試験の度に体調を崩していた二男。普段も二人して、行くと言って準備までして、「腹がいてぇ」「頭いてぇ」などと言って休む時まである。今朝は二男のほうが行きたくないとてこずらせた。家庭訪問のあと、私は甘かったなぁと感じたので、今日は厳しくきつく言ってみた。二男は激しく反抗してきたが負けてはいけないと頑張った。結局、1時間遅れで高校に行ってくれたけど、今日は機嫌悪いかな?案外ケロッとしている時もあるんだけど母親として、ひるまないでいなきゃ去年まで千葉にいて、なかなか仲のいい子もできないみたいで、二人してぶつぶつ言っているけれど、私より縦も横も大きくたくましい子供達。その子供達を統制するのに目まいがしそうだまだ3男は私より背は高く、力はあるけどまだ細いから、何とかなるような気がする。みんな家で発散して、今のところ外では出さないみたいで、それはありがたいけどお母さんはしんどいのです
July 26, 2006
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