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手品用にと100円や500円の硬貨に穴を開けて販売していた大阪市内の業者を、警視庁が逮捕したと(本日の夕刊)。容疑は「貨幣損傷等取締法」違反だそうです。同法は「1条だけ」からなる法律で、1条の1項に「貨幣は、これを損傷し又は鋳つぶしてはならない」とあり、3項には、これに違反すると1年以下の懲役または20万円以下の罰金と定めてある。「硬貨を曲げたら捕まる」と、多くの方は何となく聞き知っていると思います。私も、中学生のとき「技術」の時間に作業室の万力で10円玉を曲げて先生に怒られたことがあります。その根拠法が、この法律です。では、貨幣(硬貨、コイン)ではなく紙幣(お札)を破ったり燃やしたりしたらどうなるかというと、紙幣のほうは損傷を罰する法律がなさそうなので、「損をする」だけで終わりになるみたいです。このへんの違いはまあ何となく、コインをわざわざひん曲げるほうが悪そう、というイメージは理解できますが、詳しいことは機会があったら調べておきます。こういう場合、もう一つの処罰根拠となりうる法律があって、こっちのほうがメジャーだと思いますが、刑法第148条、通貨偽造・変造罪です。こんどは貨幣も紙幣も共通で、行使する目的(実際にお金として使うつもり)で、ニセのお金を作ったり(偽造)、本物のお金に手を加えて異なる貨幣にしたり(変造)といった行為が処罰されます。刑罰はけっこう重くて、無期または3年以上の懲役。典型的な「変造」は、100円玉の周りを金属などでおおって大きさを変え、自販機で500円玉として使おうとする場合がこれにあたります。冒頭の事件は、実際のお金として使うつもりではなく、あくまで手品用だったということで、通貨変造には当たらず、貨幣損傷等取締法で摘発されたということです。ただ、硬貨を曲げたりするとその皆が実際に捕まるかというと、おそらくそうではないでしょう。警察もそこまでヒマではないと思います。本件は、自分が使うだけでなく、ネットで手品グッズとして販売して収益をあげていた点が悪質だとして逮捕に踏み切ったようです。
2006/11/15
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裁判員制度導入に向けて、刑事裁判の法廷での被告人の服装として、ネクタイなどをつける案が浮上しているらしい。今朝の毎日の記事から。今、法廷での被告人の姿の大半は、ジャージやスウェットです。拘置所の中では、ひも状のモノは自殺用具や武器に使われるおそれがあるということで持ち込めないことになっていて、ベルトやネクタイを着けることができない。そこでジャージやスウェットが多用されることになり、拘置所から法廷に出るときもその格好で出ることになる。(もちろん、保釈されている場合は自宅から法廷に来るので、スーツやジャケットを着用する人が多い)一方、弁護士や検察官は必ずと言っていいほどスーツ姿で、裁判官は黒色の法服です。被告人だけがジャージ姿だと、だらしなく見えて、一見するといかにも「悪いヤツ」の印象を与える。裁判官はその辺りの事情が分かっているし、専門家だから服装によって判断が違ってくることはないだろうけど、一般国民から参加する裁判員の場合、服装に引きずられて「こいつは悪い」と偏見を持つおそれがある。それで日弁連の申し入れを受けた法務省では、法廷で、「ネクタイが一体化したシャツ」、「ベルトが一体化したズボン」の着用を認める案が有力らしい(一体化してるのは、法廷で取り外して武器にするのを防ぐためでしょう)さらに日弁連は、サンダル履きでなく靴の着用を認めることを求めているとか(サンダル履きなのは逃走ができにくいように、とのことらしい)、女性の場合は化粧することを認めるよう求めているらしい。どんなものでしょうか、と私は個人的に思います。ちょっとやり過ぎの感もなくもない。もちろん、被告人の服装や身なりは、その人が法廷に臨む気持ちを表わす一端であると言えます。しかし、その人を裁くには、服装だけでなく、提出された証拠を踏まえて、犯罪の動機や経緯、さらにはその背景にあるその人の全人格的なところをしっかり見据えた上で判断を下すべきです。これは簡単なことではないと思いますが、現場の裁判官はこれをやっていると思います。ネクタイをしていなくてジャージ姿だとそいつが悪人だという偏見を生む、というのであれば、そんな偏見を持ってしまうような裁判員の資質を問うべきだし、さらには裁判員制度そのものの当否を考え直したほうがいいようにも感じます。また、被告人が、ネクタイは窮屈だからと着用を希望せずにジャージで法廷に出ると罪が重くなるのであれば変だと思うし、また女性の化粧まで認めると、化粧によって自分の外見を美化できない男性は不利になってしまうように思える。裁判員制度の導入を見据えて、「国民にわかりやすいように」「国民に誤解を与えないように」ということをかけ声に、いろんな制度改革がされているようですが、「分かりやすさ」だけでよいのか、刑事裁判に関わることの厳しさ、難しさをこそ、もっと分かってもらうべきではないかと、考えた次第です。
2007/05/22
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