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今日も2回揺れを感じました。もう震度3までは何とも思わない程、感覚が麻痺したというか・・・ 最初の頃は地震が来なくても体が揺れている感じで今日まで地震を感じなかった日はトータルしても3日だけ、徐々に終息して来ている様な気はしますが、まだまだ気は抜けません!私がこの震災で失敗したと思った事は携帯を充電していなかった事と、何があってもいい様に常に多目にガソリンを入れておけと言われていたのに、けちって少ししか給油していなかった事です。地震直後に携帯は使えなくなり、翌日の昼には繋がる様になったもののバッテリー切れで沢山来ていたメールに返信できませんでした。 不思議なのですが、誰にも送れなかったのに唯一ブログ友のめーぐみさんだけ繋がって送り終えたと同時にバッテリーが切れた時は、ヒロキチの力かも?と本気で思いましたよ。 ヒロキチに感謝!!直ぐに繋がった固定電話に比べ光電話は非常時使えない事も解り、便利さよりも電話本来の機能が見直された気がします。 ドコモは繋がりづらかったそうですよ。今市内は震災で壊れた建物の修理が始まっています。本震で半分余震で徐々に壊れていく様で、地盤沈下も酷く今回瓦屋根や木造モルタルの家や70年代の古い建物が目立って被害が大きかったように見えました。 実家の様に古い木造家屋は逆に被害が目立ちませんでした。マンションは外壁が落ちたりヒビが入ったり、怖いお姉さんが前に住んでいた所は1階以外は崩壊が酷くて皆非難したそうです。 分譲と賃貸では構造上に違いがあるみたいですね・・・。 今回お姉さんの所は拍子抜けするほど被害が少なかった様で、翌日訪ねた時も驚くほど普段と変わりなくモデルハウスの様に綺麗でした。 それでも高層階は天井が落ちたり家具が倒れて壊れたり酷かったそうです。AZが外に出られる様に1階に住んだ事と、昨年引越しした際に引越し業者に序でに家具を耐震グッズで固定してもらった事が幸いしたようでした。今回、東南に大きく地盤がずれた事から気づいた事ですが、東側に置いていた物が全部倒れました。 驚いた事にもっと簡単に落ちそうな物が方角によってはまったく落ちなかったり、地震には動く向きがあります。大きな地震の前には必ず何回か地震が起きます、その時少しでも動いたものがあればその方角の物は固定しておいた方が安全だと思います。 それと壁に固定していた物は落ちない事も解りました。 お姉さんが絶賛していたのが無印の画鋲で取り付けられる飾り棚、3000円位ですが置いていたものはビクともしなかったそうですよ!私は店が開くようになって直ぐに百金でチェーンを買って倒れた物を固定しました。チェーンを巻けない物は滑り止めのマットを敷いたり、ガムテープで固定しておいたので4月の大余震の時は被害が少なくて済みました。度重なる余震で震度5までは物が落ちない事も解りましたが、高層階に住まわれている方には当てはまらないかもしれません。今回の地震においては、地震保険が一律5%出たらしく、火災保険に含まれているいないで大きく明暗を分けたみたいですよ!火災保険に入っている方は確認してみては?4月の大余震ではスーパーやショールーム、映画館やホールの様な柱の少ない広いスペースの建物の天井が落ちたりガラスが割れたり被害が目立ちました。天井や柱が壊れたスーパー現在もこのままで営業中地震が起きた時の避難場所はやはり外の建物や電柱の少ない公園の様な広い所に取り合えず避難するのが安全だと思います。そして海の近くに住んでいる人は直ぐに高台へ避難する事です!今回の津波で会社から1キロ辺りは壊滅してしまいました。 優しいお姉さんの従兄弟さんは1度避難したのに消防団に入っていたので、他の人を助ける為に戻り波にのまれたそうです。未だ20代だったそうで気の毒でなりません・・・・。多くの人達が、前の宮城県沖地震で津波が来なかったから大丈夫だと思い避難が遅れたそうです。予測の付かない事が起きてしまったこの震災で学ぶ事は多く、少しでもこの経験が参考になればと思います。このつづきはまた後ほど☆この大雨で2次災害が起こらない事を祈りつつ、おやすみなさい・・・・。
2011年05月29日
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昨日のQ太郎あんな所で寛いでいる!!尻尾ソーセージになる訳だ・・・危ないよ!Qちゃん。天気がいい日は外が気持ちいいのは解るけど、もう心配!気をつけてよ~、頼むよ~!Qちゃんはこんな顔してのんきにお昼寝中。ぶ・ブサカワそこへ例の茶猫が!また喧嘩になるのか?と焦りましたが、Qちゃんは寝転んだまま唸っているし、茶猫は、通りかかっただけですヨという感じで去って行ったのでよかったーQの方が強かったのか、相手にされてないのか、それとも性格の良いヘタレ猫なのか?いずれにせよこの猫とは喧嘩しない事が分かり、安心しました。いい加減隠居してBちゃんと穏やかに過ごして頂戴と思っていたのに、今日帰り際に餌の在りかを嗅ぎつけてやって来た新顔の若いのらくろ柄のオス猫と大喧嘩。やはりQちゃんから飛び掛り相手も応戦!止めに入っても頭を噛みあって離れない。 一瞬離れた時Qちゃんが相手に背中を見せた。初めてだよ・・・あの佐川君にさえ見せなかったのに?Qちゃんを追いかけたのらくろの後をほうきを持って追いかけ、取っ組み合っているのらくろをほうきで叩いて(加減しましたよ)追い払いました!遠くからこちらを見ているのらくろに、此処には怖いオバちゃんが居るから来るなよ!ってほうきを振り回して見せて、心では「悪いね・・・君に罪は無いけれどお願いだから此処へは来ないで頂戴」と念じました。そこら中にQちゃんの毛だけが散乱していて、呼んでもQちゃんは姿を見せず怪我の状態が気になる・・・・・明日ちゃんと来ればいいけれど毎度のことながら、困ったもんです★
2011年05月26日
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土曜日新緑に見とれて歩いていたら、つまずいて顔面からダイブ・・・。下り坂だったので漫画の様に見事にバタン☆と行きましたヨ、顔は手でかばって大丈夫でしたが右手首を痛め、ズボンの膝に穴が開いて両膝擦り剥いちゃいました人は居なかったけれど、信号待ちでズラ~っと並んでいる車列からはモロに見られたでしょうね・・・・・ 今のは目の錯覚だ!と思わせる様に直ぐに起き上がり、カバンを拾い何事も無かったかのようにスタスタ前だけ見て歩きました。信号早く変われ!変われ!と心で叫んでいたのに、車線が多く長~い信号なので車の前を横切る形となりました。 あー恥ずかしい膝から血が出てるし、手は痛いし気に入っていたズボンに穴開いちゃうしついてなーい! でも何処かで両膝擦り剥いたの何歳の時以来?笑っちゃうね~と楽しんでいる自分も居たりして・・・・Mです。こういう時はヒロキン防衛隊は助けてくれないのか? 「ボケーっとして歩いているからだ!気をつけろアホ!」て言いそうだ・・・。父も回復し、ヒロキチのPCも軽症で済んだので少し気が緩んでたのかな? 確かに地震で道はガタガタだし、余震もまだ続いている! 回数が減って来ている時が要注意だと4月の大余震から学んだばかり、ついさっきも揺れた! 気を引き締めないと☆早く地震の時の参考になる事を書かなくちゃと思いながら、書きたい事が多すぎてまとめられずにいました。 まとめる能力がないので個別に書いて行きたいと思います。比較的被害の少なかった市内の現状ライフラインの復旧電気 4日~5日後 水道 2週間~3週間後 都市ガス 1ヶ月後交通機関バス 2日後(不定期)3週間後通常運行 地下鉄、鉄道 1ヶ月後タクシーは走ってましたが、マイカーはガソリン不足で普通に入れられる様になったのは3週間後でした。いつ営業するか解らないスタンドに前日から並ぶ車の列、1キロ続いてましたよ!終いには皆置きっぱなしで渋滞の要因にもなりました。私の所は断水せず、LPガスだったので運がよかったのですが、1週間後に点検して使えると解っても後ろめたい気持ちと余震が怖くて、暫く風呂には入れませんでした。数箇所開いた温泉施設は時間制限つき芋洗い状態だったそうです。断水に備えてお風呂の水は常に張っておきましょう!用途大です。停電の時灯りは、懐中電灯数本、 ロウソク(なるべく太い物) 携帯出来る小型のライト(玩具の様な物でも充分使えます)真っ暗な街の中、信号も消えているので車に注意を促す為に手に持ちながら歩く為に必要です。★石油ストーブこの時期これは必需品でした! オール電化の家でも用意しておいた方がいいと皆が言ってました。 電気とガスが使えない間、暖房の他に煮炊きが出来ますからね、カセットコンロもガスが3日で1缶無くなるそうです。 私も残り僅かの灯油で煮炊きだけの為に使っていました。寒さは服の重ね着で凌いでました。 電気が通じてからは、ホットプレートや電気コンロ、電気ポット、こたつを買い求める人が沢山いました。都市ガスは一番最後に復旧するので街中の飲食店は営業出来ず、街頭でオリジナル弁当を売っていました。 前の宮城県沖地震で営業出来なかった経験からLPガスに変えていた飲食店だけ開業していましたよ!学習ですね・・・限られた燃料で煮炊きする時に活躍したのが圧力鍋、ストーブでシチューを作り3日持たせました。でもそれ以上に優れものと思ったのが、怖いお姉さんが使っていたシャトルシェフと言う保温鍋。 ストーブに5分位置いて沸騰したら降ろして保温器に入れておくだけで、ご飯も煮物も美味しくできちゃう!!大活躍でした。震災翌日の充実したお昼、シャトルシェフで作ったご飯と煮物と震災当日に弊店前のスーパーでレジが使えないので付けで買った焼き魚、後日お金を払いに行ったらお金はいらないと言われたそうです。 会社近辺の開いていた店は何処も便乗値上げなどせず適正価格でした。今まで地震の備えの食料や水は3日と言われてましたが、確実に1週間分は必要です!! 食料の確保は本当に戦時中ってこうだったの?と思うほど大変でした。これについては後日書くことにします。お役立ちアイテムは一番にラジオ★何よりラジオです!停電の間は唯一の情報源という他に声に励まされました。 11日の夜メチャメチャの部屋の中、ヒロキチのいつもの指示通りヘルメットを被り靴を履いてベットに座り、何度も来る強い余震に怯えながら夜が明けるまでラジオを聴いて不安に耐えていました。アナウンサーの「今心細いと思いますが、頑張ってください。もう直ぐ夜が明けます!後何時何分です」と言う言葉がどれ程心強かった事か・・・ラジオの良さを再認識しました!今日はここまでにします、後日また改めて。 それではおやすみなさ~い
2011年05月23日
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盛岡で家族と花見をして来ました。天然記念物の石割桜の前には、観光客がちらほらこんな時、被災地に来てくれて有難いです!休み明けQちゃんを見てびっくり!! しっぽがこんな事に・・・・ソーセージみたい!Q&そーせーじ88に改名するか?タイヤにしっぽ巻き込まれたね!他に怪我している所は無さそうなのでホッとしました。 うちのタンちゃんもお姉さんとこの銀ちゃんもAZもブサイクちゃんも、み~んな同じ事してました。しっぽの毛が轢かれると何故か顔をぶってキバが折れ、口のあたりを怪我するパターンなのですが、Qちゃんはキバがなかったので顔の左側が少し腫れていただけでした。 本当に毛だけで済んで良かったー!!食欲もあるし、腫れも引けたし、Qちゃんホント悪運強いよね~? 感心するよ!まったく・・・・あまりにも真っ黒くろ助なので、近日怖いおねえさんがシャンプーするそうです。また今回もシャンプー1本使いきるんだろうな~☆仙台に帰る日の朝、父が起き上がれなくなり病院に運びました。 今年82歳、5年前に胃癌で胃を全摘し肺気腫で酸素も吸っているので、何が起きてもおかしく無い状態。 肺炎で自宅安静?普通入院でしょう!とイマイチ信用が置けないのですが、明日再検査なので会社を休んで付き添うことにしました。 付き添いは慣れてますからね!ヒロキチは半分医療ミスで命を失った様なものですが、病状の変化に早く気づいてやれなかった無念を、父に生かしたいと思います。
2011年05月10日
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文才が無いのでうまく書けないのですが、記録に残しておきたいので3月11日の話をします。朝5:30に目が覚めて、まだ早いかともう一眠りした時に久々にヒロキチの夢を見た。タバコを探しているヒロキチに電子タバコじゃ駄目?と聞くと、それは嫌だと言われそして目が覚めた。お供えしていた最後の1本昨日吸っちゃったもんネ、それで出て来たんだな?と思いながらベットから出ようとした時に、ふとんの一番上に掛けていたフリースのカバーが下に不自然に丸まって落ちていたのに気づいた。ええ?寝る時に綺麗に直して寝たのに・・・・ 寝相悪く無いし、寒くて縮こまって寝ていたはずなのに何か変!! ヒロキチの仕業? その時凄く胸騒ぎがして地震が来ると直感した。確信はないけれどヒロキチのサインに違いない!と思い、半信半疑でヒロキチの形見を身に付け写真や大事な物をカバンに詰め込んで出勤した。家を出るときヒロキチから地震の時は瓦礫で怪我をしない様にブーツを履けと言われていたので、天気が良いのにワークブーツを履いて出かけました。昼休みお姉さん達に、ヒロキチの写真みる?いや~今朝こういう事があって宮城県沖地震が来ると思って大事な物全部持って来たと言うと、へぇ~と半分笑われました。午後の仕事を始め、インクの調合をしようとインク棚の前でふと外を眺め、いい天気だな~ヒロキチの予言ハズレちゃったね・・・と思っていた時、突然グラグラと揺れはじめた! 寝ていたQちゃんが飛び出して行ったのを確認して、すぐに収まるだろうと揺れるインク棚を押さえいたけれど、隣のミシン部屋のサッシが外れインク缶も落ち始め、事務所から社長と怖いお姉さんも外へ飛び出して来た。長い!何なの? 只ならぬ揺れにああもう駄目だと手を離し外へ逃げようとした時、強い揺れで跳ね上がりバランスを崩して床に叩きつけられた。 尻もちをついて起き上がろうとした時頭の上にラックが倒れて来て、ワッと目をつぶった瞬間左から倒れてきたインク棚と交差して止まり危機一髪難を逃れました。擦り傷とお尻に10cmの青タンで済んだから良かったけれど、あの重いラックの下敷きになっていたらと思うとゾッとしました。もしかしてヒロキチが支えてくれたのかなぁ・・・ ありがとうヒロキチ!!外に出てからも収まらない地震の中、崩れたブロックにぶつかり倒れて動けない人を119番が繋がらないので近くの病院にみんなで搬送し、その時病院のTVで何が起こっているのか初めて知りました。 その後車を置いて社長から持たされたラジオを聴きながら歩いて家に向かう途中、後方から消防車の津波警報が聞こえて来たので、嘘でしょう?と突然降り出した雪の中を安全な所まで走って帰りました。途中午前で帰った優しいお姉さんの家に寄り無事を確認し、家に着く頃にはうす暗くなりアパートが無事なのを見てほっとして鍵を開けると想像以上の惨状でした。 足の踏み場の無い中、ベットまでの動線だけ確保してヘルメットを被り靴を履いたまま一晩中ラジオを聴いて明るくなるのを待っていました。 10分間隔に来る強い余震に皆車の中に避難していたけれど、ヒロキチに守られていると思うと不思議なほど怖くなかったです。一晩中鳴り止まないサイレンとラジオから発せられる信じられない情報に、大変な事が起きていると解りましたが、この時はまだこれほどの大惨事が起きているとは想像もつきませんでした。夜が明けてそれからが大変だったのですが、文章がまとまらなくなって来たので次回震災で役立った物など紹介したいと思います。これからエアーヒロキチと盛岡へ行ってきます。 満開の桜を観てパワーを貰って来よ~っと☆
2011年05月02日
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