2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全28件 (28件中 1-28件目)
1

辛く 長い入院と 手術が出来ない事に 胸を痛めていましたら、2月になり脳外科の先生から、また お話がありました。「今度は、形成外科と一緒に なんとか ゆう君の手術をしたいのですが・・・但し、上手く行くかどうかは やってみないと分かりませんが・・・」と、今の苦しみが、少しでも良くなればと、ゆうも私も 受ける事に決め 手術の承諾書に、サインをいたしました。手術の内容は・・・頭の後ろの 骨を外して、その骨を 形成外科の先生と一緒に、2枚に薄く切って、切り取った骨を パズルのように組み立て チタンのピンで留め、また 後頭部に戻して 脳と骨の間に、隙間を作るという 難しい手術でした。ゆうの脳は 普通の人とは、全く違い 大きな血管を傷つけたら 大量に出血するので、ゆうと同じ血液型のスタッフをたくさん集めて準備が行われました。昔は、親族の血液を輸血していましたが、その頃からは 術後の突然死が起こる可能性が高いとの事で、輸血は 他人からしか出来なくなっていました。(今は、自分の血液を貯血といって、貯めてから手術を行うそうです)今回の手術は、 今までとは違ったので、私の兄弟も「しいのみ学園」のM先生も駆けつけて下さって、そして・・・元夫も ゆうの強い希望で、戻っていました。(でも、入籍はしませんでした・・・何年後かの再び訪れる別れを予感していたのかも・・・うんうん!(^-^) )待合室で、待っている間・・・一組、二組、三組、四組と・・・同じように、手術を待ってある 家族の方達が減っていく中、シーンと静まり返った時!喪服の女性達10人ほどが、ぞろぞろと 手術室に入っていきました・・・(なんじゃ~~嘘やろ~こんな時に、何で喪服着て手術室に 入らないかんと~~信じられんね~~何 考えとうと~~!)何だか、病院関係者の方の葬儀に行く為に 手術室の看護師さんと待ち合わせをしていたようでした・・・(しかし・・・頭来た~~~~! 場所を考え~~つうの・・・デリカシーつうもんは、ないんかいな~~ねぇ!)一緒に、残ってあった 他の家族の人達も、(・o・) メガテン状態でしたよ~!***************午前中から始まった手術は、夜の7時まで掛かりました。長い 長い 時間でした。あまり 長く掛かるので、母が「今度は、駄目な気がする」って、私は、「何~言いようと~大丈夫って、もし駄目だったら 私はその方が良い だって、苦しまないで、死ねるからね。 でも・・・そんな気が全くせんけん、大丈夫だよ!」と、母を励まして いました。(心の中では、真剣に 神様に願っていました。どうしても、連れていきたいのだったら、お願いだから 手術中にしてください!)と・・・ガチャン~~~~!何回目かの、手術室のドアが開き・・・ゆうが 長い手術に耐え・・・頭には、脳に溜まった血液を、外に出す細い管が2本入って、生まれて2度目の輸血をしながら、手術室から出てきました。顔色は青白かったものの、Vサインをしながら 直ぐにエレベーターで NCUに 入っていきました。先生の話では、「手術は何とか 上手くいきました。今晩 出血が多く無ければ、大丈夫でしょう・・・今夜は、一応 病院に居てください。」と・・・家族や、M先生は NCUに居る ゆうに会った後 家に送りました。その夜は、3階のNCU近くには 他の患者さんの家族でいっぱいになって座るところも無く、階段の下に置いてある椅子に座り 懸命に祈ってました。階段を、看護師さんが 下りてくる度にドキッとしながら、朝に成るのをまっていました。が・・・元夫は・・・グーグー寝ていました・・・・・(自分の子供が、生きるか 死ぬかちゅう時に まあ~よ~寝られるもんだよな~~~信じらんない~~!も~ばかちんが~)って、呆れちゃいましたよ。「(≧ロ≦) アイヤー朝方の4時ごろ、看護師さんが呼びに来られました・・・「ゆう君が、お母さんに会いたがっていますから おいでください」って急いでNCUに入り 消毒をして服を着替え、案内されて ゆうのベットに 近づくと、ゆうが手を伸ばして来ました。私は、その手をしっかりと握り締めながら、 頭の管から流れている出血の量を調べていました。それほど、出血もしてなかったので、少しは安心しました。ゆうは 思ったよりも 元気で 笑顔を見せてくれました。これまでの、10回近い 手術の後は、必ずと言って良いほど 嘔吐に苦しんでいましたので(麻酔薬が、変わっている事に気が付きました・・・いつもの匂いが無くなっていました・・・独特の薬の匂いが・・・きっと、ゆうには今までの 麻酔薬が合わなかったのだろうな~)と 思いながらゆうの傍に1時間以上 付いていました。それから 朝になると、状態が落ち着いていたので、ゆうがNCUが嫌いな事を知ってある 主治医の先生の計らいで 一般病棟の個室に 移ることができました。これで、ずーっと傍に居られるのが嬉しくて ゆうとピースサインをし合って喜びました。でも・・・この喜びは、3日と続きませんでした。 明日へとつづく
2005.02.28
コメント(4)

ゆう・・・16歳の春 暖かな日差しの差すピカピカの校舎で、高等部の入学式が行われました。もちろん、全員 高等部の入試(校長先生と、一緒に遊ぶ事だった・・・のである)も、無事に 終わっていましたが・・・・(∩.∩)6人のお友達は、4人は寝たきりのお友達だったけど、みんな それぞれに 個性があって ゆうの大事な クラスメートでした。担任の先生も、3人(男性1人 女性2人)いらしたので、目が行き届き 毎日を、楽しみながら 通学していました。その年の夏までは、調子よく 通っていましたが・・・ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーその後、また・・・脳圧亢進の為(脳圧が上がり、激しい頭痛と嘔吐が起こる) 苦しむ日が 増えて行きました。その頃は、これ以上 手術が出来ない! と 言われていましたので、具合が悪くなっても 入退院を 繰り返すだけで 一向に良くならない 状態のまま 1年生の冬を迎えました。その間の色々な 検査で、ゆうの病名が また 増えました。(NO11に書いている 病名プラス)・頭蓋低陥入症・・・(頭蓋骨が頚椎に、入り込んでいる病気)・クルッペルフィル症候群・・・(2たつ またはそれ以上の頚椎{首の骨}の分節障害による奇形・・・ゆうは 普通の人が7本ある頚椎が5本しかなく2本が繋がってしまっていました。)・それから、一番 難しいのは、頚椎の先が曲がって 脳幹を圧迫していると言う事で、 後何ミリか 動けば、呼吸障害を起こし 助かっても、一生人口呼吸器をつけた状態になるとの事・・・朝起きた時に 息が無い事もあるし それが、いつ起こるかは 誰にも予測がつかないとの事!・それを、治す為には 首の骨を外して手術するか 口からの手術しか方法が無く・・・その段階では不可能との事!その事は、本人も知っていた・・・(ゆうが、寝ていると思われて、話されたので・・・(/・_・\) 残酷やね~~)――――――――――――――――――――――――――――――それから、間も無くして ゆうの脳圧を下げる為の 減圧術をする事になり入院・・・また、脳血管造影や、MRI RI などなどの検査 検査・・・10月の終わりに入院して 1ヶ月以上の検査が続き・・・「検査の結果、減圧術は 手術の時の 体位が問題で、術中に 呼吸停止になる恐れがあり、今回は 見合わせます。」って・・・「そんな~~~」と、全身の力が抜けてしまいそうでした。脳外科のH先生は、ゆうが 生まれた時からのお付き合いだから それは それは、一生懸命 ゆうの事を 考えて頂きました。入院中も、具合が悪い日が 多かったので、何とか 手術が出来ないものかと、H先生も悩まれて・・・滋賀県の脳外科の先生が 首の骨を外して手術を成功されていたので、その先生に来て貰って 手術をしよう・・・と、言う事に なりました。それで、またまた 検査の始まり 始まり~~睡眠障害を 調べる為に 大学病院に1泊2日の お泊り検査から・・・ありとあらゆる検査を行い その年の暮れ・・・滋賀県に ゆうの検査結果を 送られました。滋賀県からの、「手術不可能」の返事が来たのは・・・新しい年を迎えた1月の終わりでした。大きなため息をつき「仕方ないね。ゆう 医学の進歩を 待ちましょう・・・必ず、生きていたら 必ず 手術が出来るようになるからね・・・それまでは、絶対大丈夫だから・・・ね! ゆうは 決して 死なないからね!」「うん、僕ね どんな手術でも受けるよ 病気が治るんだったらね。」自分自身にも、言い聞かせながら ゆうを いつまでも抱きしめて いました。 明日へつづく
2005.02.27
コメント(4)

訪問教育、1年目は 本当に、よく学び! よく遊べ!を、実行できたいい年でした。家庭の中では、1年前に ゆうの父親と 離婚していました・・・が原因は、結婚して直ぐからの 度重なる ギャンブルでの借金地獄・・・挙句の果てに・・・自己破産 もしや、もしやに ひかされて・・・でも、どうしても、治らない ギャンブル病!まあ、世の中にこんな話は 掃いて捨てるほど 転がってますが・・・ね。私の、両親が離婚していたので、出来るだけ 離婚は避けたかったのですが、治らない病気だから 仕方ないですよね~~薬が、発明されて無いんだからね。(この時、子供達に 初めてばれちゃった・・・長男も大きく成っていたしね・・・狭い家だから、仕方ないもん!)\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コッチニオイトイテ・・・本題の、ゆうの話ですが・・・2年生になると・・・またまた、具合が悪い日々が続き 訪問教育もお休みがちに成ってきました。入退院の数も増え・・・3年生になった頃、訪問の先生に「訪問教育が、高校には 無いので(現在はありますが・・・)転校して、自宅に近い養護学校の、高等部に進学された方が 良いかと思いますが・・・」との、お話・・・そこで、新しく出来た 発達教育センターに相談に・・・話はとんとん拍子に、運んでいって・・・夏休みも、後 数日となったある日発達教育センター からのお電話「ゆう君の、養護学校の転校が決まりました・・・9月から、そちらに行ってください。」(ё) エ? 後3日しかないよ~~むちゃくちゃ急な話・・・☆=>=>=>(+_+。)
2005.02.26
コメント(4)

小学校を、卒業後・・・ 親子して 嬉しい気持ちで いっぱいに成った胸を、膨らませながら 養護学校の入学式に 出席しました。訪問教育のクラスは、6人で 担任の先生は3人いらっしゃいました。ここでも、一番に目を引いたのは、ゆうでした。それはそうですね・・・訪問教育始まって以来の事ですので☆⌒(*^∇゚)vえへっ♪歩けて、話せて・・・そりゃ びっくりですよね~~~(∩.∩)養護学校の校長先生はじめ、教頭先生とも 直ぐになじめて、一緒に職員室で、お昼をご馳走になったとです! ゆうです!(ちと、あつかましかったかも)とにかく、アットホームな雰囲気が、少し緊張気味の ゆうを優しく、暖かく包んで、楽しい入学式でした。ゆうの授業は、週3回 男性のK先生と、女性のY先生に、決まりました。その頃は、パソコンより ワープロの時代で K先生には、週2回 ワープロを教えて頂きました。Y先生には、週1回 国語や 数学を教えて 頂きました。K先生は、自宅からご自分のノートパソコンや、ワープロを持ってきて ゆうが、いつでも出来るように、と 貸して頂き ゆうに・・・「どんなに 触っても 壊れないからね、安心して 触って良いよ」って・・・それはそれは、物静かな先生で、懐のあたたかい(ジャナイ ナイ!)懐の深~い先生でした。ゆうは、物珍しさもあってか、パソコンと ワープロに興味を示し 毎日、毎日手にハンカチを 被せて 熱心に、ブラインドタッチの練習をしていました。初めは、ひらがなから入力から・・・そして、ローマ字入力まで、時間と共にどんどん出来るようになって来ました。左手が、軽い麻痺のため ちと難しかったけどね~本当に、頑張ってましたがな(∩.∩)私は、まだ 養護学校に入学する前に、ゆうには ワープロなどを習わせたいな~~~と、思っていたので、それが現実と成って まるで夢の様でした。そして、その年のコスモスの花が咲く頃、ワープロ4級の検定試験を 受けることに成りました~~~((ウ^_^ソ)(ウ^_^ソ)みたい!自宅で、試験場に入る所から、練習して・・・「ガラガラ・・・よろしく お願いいたします。」「はいどうぞ じゃそちらの席にお座りください」「はい」と 言って、持って行く ワープロをテーブルに出したり引っ込めたりってな具合で・・・・漫才みたいでしたよ。(^o^)ハハハ練習の甲斐あって、試験の当日は、とても 緊張していましたが 無事に試験を終えました。それから・・・数日後・・・・試験の結果が 送られてきました。そ~~~っと、開けて見たら ジャジャジャジャ~~~ン!合格の文字が・・・\(^o^)/バンザーイ \(^O^)/ヤッターっと、二人で抱き合い・・・直ぐに、先生に連絡しました。この中学1年生の頃は、不思議と 体調も落ち着いていました。きっと、神様からのプレゼント! ほんの少しの休憩タイムを、頂いたのだと思っております。感謝! 明日へつづく
2005.02.25
コメント(2)

ゆうが、4年生に成った頃から・・・激しい頭痛が 頻繁に起こるようになり、学校も お休みが多くなって来ました。原因は、8歳から10歳ぐらいにかけて、人間の脳が一番発達するとの事で・・・ゆうの、頭蓋骨は 生後すぐに入れたシャントのせいで、普通の人より多すぎるくらいの 髄液がいつも流れ過ぎているために、今度は狭頭症と言う 病気に成ってしまい・・・脳が 強く圧迫された状態になっていました。そこで、脳外科の先生達が 色々と話し合われた結果・・・ゆうの 後頭部の頭蓋骨を、ところどころに 穴を開けて、脳に掛かる圧力を、軽減する手術をする事になりました。(その頃は、減圧術は まだ 進んでいなかったので・・・)11月に、入院して 12月の始めに、手術をしました。時間的には、4時間ぐらいの 手術で、終わると 別室で ゆうの手術中の写真を 見せていただきました。(真赤で、あまり 良くわかりませんでした)「今回は、減圧のために 後頭部に3箇所 穴を開けましたら・・・脳が飛び出してくるほど、圧が上がっていました。この手術で、少しは 痛みが減ってくればと、願っていますが・・・」と、説明を 受けました。年が明け退院してしばらくしたら、ゆうの状態は、 一見 良くなったように、思えましたが・・・あっという間に、また 元に戻ってしまい 退院後も、ほとんど学校に行けない状態になりました。おまけに、頭蓋骨に穴を開けた ためか、大好きだった 花火も音が 頭に直接 響き 痛みが起こるようになって 花火見物も、できなくなりました。4年生から6年生まで・・・何日 学校に行けたでしょうか・・・(入退院が、今までより 多くなりました)出席日数より、欠席日数の方が 遥かに多く、修学旅行も 行けずに 寂しくお見送りをしました。たまに学校に行って・・・ 参観日と重なると、後ろから見ていて ゆうが、先生の言葉に 着いていけず 何をして良いのか分からずに・・・まるで 浦島太郎状態で、必死に隣や 周りを見て 戸惑っている姿に 心を揺さぶられ 一瞬、ゆうを抱いて 教室から飛び出したい衝動に駆られました。(この時ばかりは、本当に 涙を堪えるのに 苦労しました・・・とても、見てはいられなくて)そんな状態でしたので、中学は 普通中学に決まっていましたが 私もゆうも、中学には 席だけ置いて 通うつもりは ありませんでした。そんな時、「しいのみ学園」で、5年間、担任をして頂いた、M先生が「中学は 義務教育だから、就学相談会に 行って 訪問教育を受けられるように、教育委員会に 相談しては・・・」 と アドバイスを受け 早速、行動に移しました。『訪問教育とは、寝たきりで学校に 通えないお子さんが受ける教育の事で、先生が週3回 家庭を訪問して 教育を受ける事が出来るシステム・・・ただし受ける為には、養護学校に席がなければならない!』(その頃は、まだ高等部には、訪問教育が無かったな・・・現在はある。)就学相談会の日、しいのみの子供達も 相談を受けるので、M先生も一緒に行くことが出来 とても心強く 落ち着いて相談(訴え)を、する事ができました。教育委員会の先生方に、今の状態を必死で、説明して・・・それから、しばらくして 教育委員会からの連絡で、養護学校に入学が認められ、訪問教育も受けられるように なりました。訪問教育を受ける子供で、歩けて 話せる子が認められたのは、ゆうが初めてでした。小学校で、 相談さえ聞いて頂けなかった ゆうでしたが、「しいのみ学園」のM先生のお陰で 暗く閉ざされていた 進路を明るく照らして頂き、希望の光が見えてきました。 明日へつづく
2005.02.24
コメント(0)

桜の花が咲く4月、ゆうは 普通小学校に、入学いたしました。頭には、皮で作ったヘッドギア(ボクシングをしている人がかぶっている様な物)をかぶり、3歳児様の スーツを着て、ちょっとテレながら、新しい教室に入って行きました。お友達と、頭一つ違うから 女の子から「可愛い~~!」と言って、取り囲まれ、戸惑っていました。同じクラスに、障害を持った子が、ゆうも入れて3人 いました。特別に、担任の先生も 2人、いらっしゃいました。学校との話し合いで、毎日 付き添って居る事になり、入学した日から、一緒に 学校に通いました。1年生の、可愛かった事(∩.∩)・・・入学した、次の日は まだ緊張していて、全員が、黙~~って 席に着き シーンとしていましたが・・・2日目からは、ボス決めの様に あっちこっち 揉め出しちゃって・・・(ふ~~ん 成るほど・・・こうして、いろんな幼稚園から集まってきた子同士が、強い子を見定めているんだな~~)って (∩.∩)通っている内に、子供たちとも 段々仲良くなって来て、お昼休みは もう大変!「おばちゃん、遊ぼう~~」女の子は、引っ張るし 男の子は、抱きついて来るし・・・ゆうを、ほったらかして 他の子と遊んで居ました。(お昼休みの 長かった事・・・なんか 保母さんに 成ったようで 参ったな~でも、このコミュニケーションが 6年間の小学生、生活を少しは助けてくれました。)ゆうが、1年生で お兄ちゃんが6年生だったので、お兄ちゃんと お友達にも 教室に来てもらって、お昼休みの ヘルプを頼む程 大変でした。ゆうは、女の子たちの弟の様な存在で、みんなで面倒を、見てくれてとっても助かりましたが・・・勉強の方は、と言うと ゆうにはついて行くのが 精一杯の様子・・・入学式の時に、校長先生が お名前を書けて、10までの数が言えたら 良いですよ~~な~んて 言われていましたが、実際は 授業の進み方が早過ぎて、本当に大変でした。(本音とたてまえの違いだね~あ~やだやだ)一応、自分の名前は 書けましたが、数の概念が いまいち理解できず、 帰ると、毎日 予習 復習で、あっという間に 夜になるって 感じでした。そんな、1年間でしたが 一番 嬉しかった事は、 学校から2キロ以上離れた公園に、徒歩遠足の時 帰りに歩けなくなった ゆうを お兄ちゃんが、背負って帰って来てくれたことが、何より 嬉しくて 良い思い出になりました。2年生に成ると、お兄ちゃんも卒業して 私も付き添わなくて 良い事になり 一人で、身体が見えなくなるような ランドセルを、懸命に背負って 学校に行くように なりましたが・・・クラス変えがあり 障害を持った2人のお友達とも別れ 先生も一人になり おまけに 教室が、2階になったので 階段での事故が心配で・・・心配で「階段は、みんなが 下りてから ゆっくり下りなさい!」と、毎日 念仏のように繰り返し 言い聞かせていました。それから、1年生の時は、一緒だったから 具合が悪い日は、お休みしたり 直ぐに帰って来たり 出来ていましたが、一人になってからは、学校から電話があると 走って迎えに行っていました。学校に行っている時は 今の様に携帯電話が無かったから、買い物にも 行く事が出来ず 電話の音が恐怖で、リーンと鳴ると心臓がドキッ!間違い電話だったら 「も~~まちがっても 間違い電話なんか 掛けないでっ!」ゆうは、小さい時から 手術の前には、食事が出来ないで、我慢をし また、どんなに痛くても 脳に負担が掛かるから 泣くことさえ 我慢をしていましたので いつも ぎりぎりまで 先生に言えなかったようでした時には・・・痛みが 激しくなるまで 我慢をして 吐いてしまったり・・・そんな 切ない思いもさせて いたようです。このように、3年生までは 何とか ゆうなりに頑張って通っていました。 明日へつづく
2005.02.23
コメント(6)

小学校に上がるまでの、ゆうの ハプニング集を ここでひとつ・・・書いて見ます。・新しく 勉強机を 買ってもらった ゆうは 机に付いている電球を触り・・・人差し指に火傷をしてしまいました・・・が、自分からは 何も言わないので 余り大人しいから 様子を見に行くと・・・そーっと 大きな水脹れが出来た 人差し指を、差し出しました。「(/∇≦\)アチャ-! どうしたの~~これ!?」「ここ触った・・・」と、電球を 指差しました。「ま~熱かったでしょうに・・・何で、ワ~とか ギャーとか 言わんとね!」「・・・・・・無言」「こんなに腫れて、早く 水で冷やさなくっちゃ~~」と、慌てて 冷やし 手当てをしました。・今度は、本を買ってあげた時に、紐で結んであったので、それを はさみで切ったのは、良いんですが・・・・・またまた、大人しいので 様子を見たら・・・「ギャー! ゆう~手首から、血が出てるよ~~どうしたの~~」「・・・・・・無言」「ママに。見せてごらん!」と、 よく見ると手首のところに はさみで切ったVの形の切り傷・・・・(/・_・\)アチャ-・・「あ~~~痛かったでしょうに・・・と、手当てを しました。(;´д`)トホホ・それから、ある時は、 なにげに ゆうの顔を見ていた私・・・・・アレッ・・・ナンカ変?「ね~ゆう~こっちを見て~ちょっと見てごらん。」「・・・・・・無言」(この無言が、こわいがな~~~)「アラッ・・・ゆう・・・まつげがなんか変よ あれ~もう少し こっちに来て・・・・ギャー 両方とも まつげが 無いじゃない~~~~あ~ぁ~」何と、言う事を・・・両方のまつげを はさみで 切ってしまっていました。(/∇≦\)アチャ-!ミテランナイ「もう、 ゆう!左目は閉じれないから はさみが目に入ったら、目がつぶれてしまうとよ!もう~~危ないでしょう~~」無言になる時は、 大体 脳圧が上がって 頭が痛いときか、何かやった時この様な次第で・・・ゆうの 無言は恐怖でした・・・ハイ~~!(T^T)次男坊だからかな・・・「ごめんなさい」は、言わないし・・・怒って「もう、勝手にしなさい!」と、言うと「はい!」(。_・)ドテッお兄ちゃんも、悪い事をした時は お外に出していたので・・・・(お兄ちゃんは、直ぐに謝って 「ごめんなさい~~もうしません~」と、言っていたからゆうは、出したら その辺に 居ません・・・・・・・でした。(ノ_-;)ハア…仕方ないから、3畳の 小さな部屋に 入れると・・・謝るどころか・・・(-_-)゜zzz がな~そんな、ゆう だったので、本当に目が離せませんでした~~~~(∩.∩)それから その頃の、質問攻めには、参りましたがね!「僕、どうしてお耳が小さいの?」と聞かれたら「ゆうが、ママのお腹に居た時に ゴロンとなってね、腕枕して耳を 押さえていたからよ!」なんちゃって(∩.∩)「ママ~どうして、僕の顔 曲がっとうと~~?」「それはね、ゆうが お腹の中でプロレスしたけんたい!」すると、ゆうが「ふーん、そうね。うん分かった!」と、みょ~な納得(∩.∩)ウフフその頃までは そんな、無責任な答え方でも通用していたのでした~。何と言っても、3年の命が倍の6歳・・・それだけで、満足でした。ただ・・・ゆうの洋服は 毎年必要な分しか、買う事が出来ませんでした・・・怖かったからかな・・・=========================================================その頃に成ると 新しく MRIやCTのバージョンアップなどで、それまで はっきりしなかった ゆうの 病気が段々と 解き明かされて来ました。(この時点では それでも、まだまだ 解明されて無い部分があった) 頭の病気の為に、左半身に 軽い麻痺があるのと、左目弱視(殆ど、見えてない)左耳 難聴アーノルドキアリ奇形3型(小脳が、脊椎まで下がっている病気) 左小脳欠損の為 歩くと左~~~左~~~に、行ってしまうしね~~~(今でも、エスカレーターの登りが 苦手です~何か、後ろに落ちそうな感じになるんだって!)アーノルドキアリ奇形は別として、他の障害は どれを取っても 直ぐに 命に関わる事ではなかったので、あまり、考えて いませんでした。ハイ~!何より辛かったのは、 ゆうの 頭の中の 脳圧が上がり、脳が 腫れて苦しむ事のほうが、とても つらい事でした。どんなに、苦しんでいても、親は何もして上げられないし・・・ただ 黙って見守るだけ・・・注射の1本も、してあげる事も 出来ないんですからね。そんな時は、 心の底から 親の無力さを 痛感していました。でも、どんなに辛くても、私は一切 ゆうには 不安な顔は見せませんでした。もちろん 家族にも・・・不思議な事に、私の気持ちが、直ぐに ゆうに 伝わったから・・・いつでも、馬鹿な事ばかり言って 笑っていましたっけ・・・手術の時も、いつも 笑顔でピースサインで 送りました。そして、私は喫茶店で 一服・・・だから、手術室から出て来た ゆうは 先生がびっくりされるのだけど、笑顔で私や家族に ピースサインを 返してくれていました。(泣くも一生、笑うも一生 同じ一生なら 笑わなければ・・・ね!・・・笑う門には福来る・・・って事も、あるしね~~(^o^)ハハハ・・・ただの お馬鹿かも?o( *^o-)b-☆ネッ! 明日へつづく
2005.02.22
コメント(0)

桜の花も散り 木には 青々とした葉が生茂る頃 再び「しいのみ学園」の門をくぐり ました。今度は、母子通園ではないので、学園のバスが 自宅の近くまで お迎えに 来てもらえました。最初の日は、私と一緒でしたが、その後は一人になって 2週間程は、毎日 泣いていました。(ToT)アハー学園は、4歳児が「うめ組」さん 5歳児が「もも組」さん 6歳児が「さくら組」さんに別れ 各10名ずつの 30名の子供達が、各クラス 3名(男子1名 女子2名)の担任の先生に指導を 受けていました。ゆうは、3歳前だったので もちろん 「うめ組」さんに入りました。子供たちは、まだ字が 読めないので それぞれのマークが 決めてありました。ゆうは ぞうさん でした・・・靴箱にも、棚にも 椅子にも ぞうさんのマークが、たくさん貼って ありました。とっても 可愛かったです~~(∩.∩)学園での エピソードとして 今も、 言われる事は・・・ゆうの 身長が、小さすぎて、学園の身長計では 計れなかったので、 先生が身長計に メモリを付け足してもらって、計った事でした。(その時は 体重9.2キロ 身長76.4cmでした)その後、誰も そんなに小さい子は 入園していないので、身長計を見る度に ゆうの事を 思い出して頂いちゃってます。 (●^o^●)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそれから、卒園するまでの4年間 幾度かの入退院や 自宅で転んで頭部を強打して、シャントが壊れ 取替えの手術・・・そして、6歳の時には 左耳小耳症の 形成の為に 2度手術を致しました。本当は、耳の手術は もう何回かしなければ 形が整わないのでしたが、形成の 手術を受ける度に 脳に影響して 脳圧が上がり 具合が悪くなって、苦しむので、マスクを掛けられる様になった時点で それ以上の 手術は取り止めました。母子通園を合わせると、うめ組3年柿8年(じゃないだろ)うめ組3年 もも組1年 さくら組1年と、5年も通うことが出来ました~~(∩.∩)(ワオ~学園ギネス入りだ~☆(^^)☆(^。^)☆(^_^)☆(^O^☆ そして、その5年の間、ずーっと担任をして頂いた、男のM先生とは それから、現在に至るまで ゆうの 良き指導者以上に、色々とお世話になり 家族同士のお付き合いが、つづいております。この事も ゆうの 強運だと 思います。)5年も 通わせて頂いた おかげで、IQも66から100になり 普通小学校へ入学が 決まりました。(わたしも・・・IQ上がったかも☆⌒( *^-゚)bネッ!)☆改めて、早期療育の大切さを 実感いたしました。――――――――――――――――――――――――――――――しかし・・・普通小学校に入学した事が、プラスになった事もありましたが、それ以上に、その後 大きな 問題となろうとは・・・・まだ誰も そう ゆう自身も、夢にも思っていませんでた。 明日へつづく
2005.02.21
コメント(2)

「しいのみ学園」を卒園して、春から通う施設を見学したり体験入園させて頂いたりと、あっちこっち 探しましたがなかなか 思うような所が、見つからず、しばらく 家で ボーっとしていました。そんな時、福祉センターからの、電話でセンターの療育教室に通ってみてはどうか・・・との お誘いがあり このままでは、ゆうの為には ならないな~と、行く事に決めました。ところが、センターまで行くには、バスを2回も乗り継いで1時間も掛かるので、着いた頃には ゆうの機嫌も悪くて 私もへとへとになっていました。それでも、頑張って しばらくは通ったのですが、疲れの為に ゆうの具合が悪くなり、仕方なく センターを、諦めました。ゆうの為にが・・・ゆうを 苦しめちゃ~何にもなんないしね~~(ToT)それからは、自宅で 「しいのみ学園」で、習った 手遊びや 寒風摩擦、歌 などを、繰り返し 繰り返し 忘れない様に ゆうと 頑張っていました。(あ~ぁ これから どうしましょ~~~と悩んだり まっなんとかなるさ~と、自分で 自分を励ましたりしながら、居たっけかな~~~うんうん!(^-^))4月の終わり頃だったな~~~。-----------------------------------------------------------ジャジャジャジャ~~~ン・・・ところが ゆうに 奇跡が起こりました!ある日 突然 「しいのみ学園」からの 電話が鳴り響きました。( ^_^)ロ---------ロ(^_^ ) モシモシ「もしもし、しいのみ学園に 空きが出来まして、ゆう君より先に生まれたOO君に 連絡したのですが、OO君は 今 OOO学園に行ってあるので、どこにも行ってない 7月生まれのゆう君に、入園許可が 下りまして+÷#★%¥≠」(ギャー ウレピ~~!)余りの 嬉しさに 後は何て言われたのか 定かではない・・・(^┰^;)ゞアハその日は、飲めや 歌えの大騒ぎだったのである・・・♪(((*^-^)八(^∇^*)))♪ 一日がたち・・・落ち着いて 改めて感じました。(もし、あのまま センターに行ってたら・・・このチャンスは、もう一人のお友達に行ってたかも・・・本当にこんな事ってあるんだな~~不思議だな~~~)って!ゆうが 持ってる 運の強さの二歩め・・・なのかな~~?神様に手を合わせ 心から 感謝いたしました。 明日へつづく
2005.02.20
コメント(4)

退院後、久しぶりの「しいのみ学園」の門をくぐると・・担任の先生方はじめ他の先生方も全員で 出迎えて下さいました。中でも、担任の女性の先生は両手を大きく広げて ゆうを抱きかかえ、 涙を流して、喜んで下さいました。同じクラスの、ママたちからも いっぱい「お帰り~ゆう君~」と 拍手を頂きました。感動でした。心から感謝しました。ゆうも、少しは分かったのか・・・とても良い笑顔でした。(∩.∩)===========================================================それから、度々風邪などで 脳圧があがり入退院を繰り返しながらも 半年が過ぎていきました。残念な事に 翌年は、母子通園が廃止されることが決まり、3歳児以下の子 3人は・・・(うちのゆうも)卒園する事になりました。他のお友達と一緒に残りたかったのですが、その時はまだ3歳前・・・仕方なく、諦めて 4歳になったら またきっと戻って来ると、強く 願っていました。卒園前のある日、ゆうが言葉を発しました・・・「ウッマ」って!すっごく、嬉しかったのです・・・が(おいおい、始めての言葉は、ママじゃなくて・・・食べ物かいな~)ウマ とは、食べ物の事を赤ちゃん語で「ウマ」って 言ってましたので(∩.∩)アハうれしい事に、初めの一歩も 同じ頃でした。\(^O^)/ヤッターゆうが 2歳8ヶ月の時でした。やっぱり、早期療育は凄いな~~~と、心から実感しました。ハイハイの時期が1年5ヶ月もあったから、10歩あるくまでと、本当に意味が分かるように話す事が出来るまでは、同じ位の時間が掛かりましたが・・・(^_-)ネッそして、3月、 その年の小学校に入学する、お友達と一緒に「しいのみ学園」を 卒園しました。涙・涙のお別れでした・・・・ウワァァ━━━━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━━━━ン!!!! たった1年だったけど、この「母子通園」は とても充実した1年間でした。他のお子さんも、初めの頃は じっと席に着いていられない状態でしたが、いつの間にか お名前を呼ばれたら「ハイ!」って、可愛い声で お返事も出来るようになって、手遊びのお歌も 歌えるようになって、トイレも教えてくれるようになって・・・失敗も 段々と、少なくなって・・・凄い成長振りでした。ここにもし、普通の子が通えたら みんなきっと 情緒面でも生活面でも 凄く良い子達ばかりに なるんだろうな~~と、しみじみ 思いました。(特に、我が家の長男なんかに 通わせたかったな~~(^▽^)真剣に そう、思いました。)とても、素敵で 切ない3月でした。 明日へつづく
2005.02.19
コメント(6)

「しいのみ学園」の、母子通園が始まりました。入園一日目、普段人見知りをする ゆうが、 園長先生には自分の方から (ノ;;)ノ ダダッコォッって・・・先生から、オーラが出ている様で、とても不思議でした。暖かく優しい園長先生始め、他の先生方もとても優しく指導していただき 10人の子供たちと、ママ達は直ぐに学園が、楽しくて大好きになりました。手遊びや、 先生方が 考えられたおもちゃで、たくさん遊び 遊びの中からいろんな事を吸収していきました。「堅い、しいの実の 殻も、暖かい日差しと水を与えてやれば、きっと芽を出す。」この、園長先生の教えを しっかりと胸に 深い愛情と 正しい指導に導かれ くじけそうになる私たち親も何とか 子供の障害と向き合って 楽しく暮らす術を 学びました。覚えた歌や 手遊びを 家に帰っても 何度も繰り返し、時には お兄ちゃんも加わり いつも一緒に、遊びました。この頃の ゆうは、2歳過ぎても言葉が出なかったので、思いが伝わらないと、パッと振り向き 小さく可愛い手で「パシッ!」と、ビンタを 飛ばしていました。小さな手でも、手がしなるから 痛いのなんのって・・・まともに もらったらΣ(☆∀☆;) こんな感じ!目から火でした。先生も、何度も 被害に遭われていました 申し訳なくて。m(。_。;))m ペコペコ…状態・・・・でした。(^┰^;)ゞ入園して、3ヶ月目・・・ゆうの 具合が悪くなり、また 嘔吐の繰り返しで、入院・・・今度は、腹部のシャントのずれで 取替えの手術を 受けました。この時は、 親の顔を覚えていたので、毎日NICU面会に行っても、ガラス越しに、顔を見せると ベットにつかまり立ちして、「ギャーギャー」泣くので・・・(泣くと 脳圧が上がり具合が悪くなる)仕方なく・・・カーテンの陰からそーっと見ていました。術後、お腹の傷の 治りが悪く 予定よりも 長く掛かり 2ヵ月後に、退院になりました。この間 2ヶ月も カーテン越しの 面会だったので・・・手を差し伸べても ピンクの征服を着てある看護師さんから離れず・・・泣かれちゃいました~~~(+。+)あちゃ-忘れられてるがな~(|||_|||)(あ~~ピンクの 服を着てくるんだった・・・後の祭りか~~)看護師さんから、どうにかして 引き離して・・・泣く ゆうを なだめながら 車に乗ったら、あ~~~ら不思議! 泣きやみました~~(^。^;)ホッ!(親の顔忘れて 車だけ 覚えてるがな~~マッ いいか!泣くより 良いからね~)自宅に着いたら、 少しずつ 少しずつ 慣れて来ました・・・6時間は、掛かりましたけどね。それから、入院中 寂しかったのか 指しゃぶりを 覚えてきました・・・(これも、しかたないよね~でも、指2本も吸ってる! 高指と、薬指 そして・・・人差し指は、両方の鼻の穴に入れたり出したり・・・(●^o^●) 器用なんかな~~?)そんな ゆうが 「しいのみ学園」に、復帰したのは それから10日後でした。 明日につづく
2005.02.18
コメント(0)

生後9ヶ月目の手術のあと・・・何度かの入退院は 繰り返していましたが、少しずつ 少しずつ大きくなって行きました。成長も、・9ヶ月・・・首のすわり・同 ・・・寝返りが出来るようになる。・1歳1ヶ月・・・おすわり・1歳3ヶ月・・・はいはい(ゆうのハイハイは首が短いので、イノシシみたいに 顔を上げないで突進していました。その為に、あっちこっちにぶつかるので、部屋中にスポンジを貼り付けていました。(^▽^))・つかまり立ち・・・1歳5ヶ月普通よりは、遅かったけど、初めから寝たきりの重度障害を覚悟していましたので、あせる気持ちは全く無く1歳過ぎから始めたリハビリも、嫌がって泣く・・・泣くと、脳圧があがるので、具合が悪くなり・・・その為に中止していました。そして、1歳9ヶ月の時に、福祉センターからの突然の電話で、福岡にある知的障害児通園施設「しいのみ学園」に、始めての試みとして母子通園があり募集してあるから行ってみないか・・・との連絡を受け速攻で「はい~行きます。よろしくお願いします」と、お返事をしました。夫は、自分の子が障害があると認めたくなかったのか、反対をしましたが、私は 子供の頃に小学校で「しいのみ学園」の映画を見て「しいのみ学園」の歌もしっかりと覚えていましたので・・・そんな素晴らしい所に、行けるだけで 幸せでした。また、ゆうも風邪をひかせない様に 家にばかりいて、このまま 短い生涯を終わらせる事はしたくなかったので、少しでも外の空気に触れさせたくて、是非行きたいと、願っていました。入園の日、2歳児3名3歳児7名の合計10名が しいのみ学園の門をくぐりました。後で、先生方にお聞きしたところ・・・家は、長男7歳と、母とゆうと私の4人で入園式に行ったのですが、先生方は長男を見て(この子は大きいな~~~?でも、後は赤ちゃんだから・・・本人はお休みなんだろうと思われていたそうです(o・。・o)あっそっか~小さ過ぎだもんね~ハイハイですしね。)だから、名札を付けて頂き 教室に入った時には、先生方が(・o・) メガテン状態でした。(*^▽^*)☆これからが、ゆうの運の強さを感じさせる はじめの第一歩でした。だって・・・「しいのみ学園」に 入るためにわざわざお引越しまでしてこられる方もあり、またいくら入りたくても、中々入れない所に、向こうから「おいで~おいで~」って言われて、入園が決まったのですからね。本当に、ラッキーでしたよ。ホームページの冒頭にも書いていましたように、現在今年で100歳になられる、昇地三郎園長先生から 親子して本当にたくさんの事を学させて、頂きました。・叱らない教育!(長男はしっかり 叱って育てちゃいました~~ごめんね~って もう遅いか~)・早期療育の大事さ!それから、一番教えられた事は、園長先生ご自身も脳性麻痺を持つ二人のお子さんの父親でしたので、園長先生ご夫婦に 障害児を持つ、親の強さ、逞しさを たくさん学ぶ事が出来ました。本当に心から 感謝いたしております。「しいのみ学園」の母子通園の様子はまた・・・ 明日へつづく
2005.02.17
コメント(0)

7月に生まれ、8月に退院して来た ゆうがその年は、初めてのお正月を、みんな揃って迎えることが出来ました。o(・∇・o)(o・∇・)o ヤッタ~!不思議な事に、毎日 ちゃんと計算して、いつも足りないミルクでも体重が、確実に20グラムづつ 増えていくのには (⌒▽⌒;) オッドロキーでした。ただ、風邪だけは ひかせると命取りに成るので 毎日、どこにも連れて行かずに 「箱入り息子」の生活を 送っていました。その間、一番可哀想 だったのは、左顔面麻痺のため自分の指で 何度も目を突いて(反射的に 閉じれないので)真っ赤にして涙を流すのが、痛々しかったです。正月を過ぎた頃、熱が出て 様子を見ていたら、突然、容態が急変し嘔吐を繰り返しぐったりしたので、久留米まで自家用車で、飛んでいきました。(オラオラオラ~ドケドケドケ~って あら ちと はしたないですね・・・(^┰^;)ゞ だけどね~搬送する病院が、福岡市内だと救急車が来てくれますが久留米は、市外なので管轄が違うと、要請しても来てもらえませんでした。現在もこの事で悩んでいます。病院から病院だと良いそうですが・・・難しいです・・・何とかならないでしょうかね~)久留米までの40キロの距離を高速で飛ばし 久留米のインターチェンジで降りると、パトカーに頼んで先導してもらいながら病院へと 急ぎました。車の中で、だんだんと意識が薄れていく ゆうに「もうちょっとだから、頑張って!お願い!ゆう!」と、大声で叫びながら行きました。病院に着くと、連絡をして待機して頂いていた脳外科の先生に診察をしてもらい、直ぐにCT検査に・・・その時には 吐くものが無く 段々とチョコレート色の血が混じったものを口から流していました。(まだ その頃はCT検査も時間が掛かって居ました。)検査を待っていても、直ぐに何とかしてもらいたくて、落ち着かず、廊下をウロウロしていました。検査が終わり、CT検査の結果 頭に入ってる管が詰まって居るとのことで、シャントを(頭からお腹に髄液を送る管の事)取り替える緊急手術になりました。何時間過ぎたのか・・・待っている方は 凄く長く感じました。(覚えていません)手術が終わり、先生が話しに来られました。「シャントトラブルで、また水頭症を起こしていたから、シャントの取替え手術をしました。ゆう君は、NISUで預かりますので、会われたら 帰って良いですよ。何かあったら連絡します。」(え~~置いて帰るの~~傍に居たい~~よ~)NICUに入る為に 消毒したり着替えたりして、そーっとゆうの、ベットに近づきました。顔色は悪く、頭に巻かれた包帯が痛々しかったですが、少し落ち着いている様なので ほっとしました。それから、2週間ほどの 退院までの間、 毎日会いに行きました。雨が降っても、雪が降っても・・・会いたかった・・・ゆうが6ヶ月の時でした。それから、3ヵ月後 今度はシャントの延長の為の手術を 受けました・・・その時は お腹を切りました。ゆうが9ヶ月の時でした。この退院後、シャントが詰まらない様に頭に入れてる管の軟らかい所を、15分置きに 10回ずつ押す事になり、タイマーをセットして、寝られない状態が続きました。(も~ヘロヘロ・・・状態だっただす~~)【シャントトラブルとは、人間の体の中に異物が入って来ようとするとそれを、攻撃する細胞が細い管の先に集まり、詰まらせて しまうから、髄液が流れなくなり脳圧亢進状態になって、激しい頭痛や嘔吐が起こる事。】同じ病気のお子さんが、何度入れても 直ぐに管が詰まり、毎日の様に、手術をされて、それでも合わない時は 頭から腹腔に入れないで、頭から心臓に入れるVAシャント術をしてありました。ちなみに・・・現在のシャントは、外から磁力によって脳圧をコントロールする、新しいシャントが出来ています。(その頃、あったら もう少し手術の回数が減ったかもねっ!(o^ー´)b・・・医学の進歩が、もう少し早いと良いですね。)9ヶ月・・・ゆうの首がすわる。(^▽^) 明日へつづく
2005.02.16
コメント(4)

私が、初めてゆうに会って 5日目にやっと、退院する事が決まりました。その時に、脳外科の先生、新生児科の先生から ゆうの病気についてお話しがありました。・頭に入っている管の所が腫れて来たり、首、胸の管の部分が赤くなってきたら 直ぐに連れてくる事、・嘔吐や発熱に気を付け、その様な状態になったら 直ぐに連れてくる事、・意識の混濁が見られたら、直ぐに連れてくる事、・ゆうは、人口栄養だから、毎日体重を量って その体重で、掛けたり 割ったりした計算で 一日のミルクの量を決める事!(その時は、1回 55ccで、一日に8回)・ 絶対に飲ませ過ぎない事!(いくら欲しがって泣いてもヾ(`◇')ダメッ!って)・飲ませ過ぎて、吐いた場合にミルクが肺に入ると、母乳と違って肺炎を起こし易く、危険になる事!・耳の小さいのは、もう少し大きく成ってから、手術をするとの事!・左目が、反射的には閉じれないので 目を傷つけない様に注意をする事!とまあ・・・この時点では、この様な注意事項を承りました。(へ~~大変だな~~~先生の説明では、よ~分からんから、帰り道で本屋に寄って行こうかな~~)一人で考えていました。色々大変だとは思っていても、自宅に連れて帰れる事が嬉しくて 嬉しくて・・・だって、病院では「ハイ~~面会時間は、ここまで~~」と、40キロの道のりを頑張って行っても 厳しいからね~自宅だと、ずーっと 一緒に居られるから・・・それを考えただけで、胸ワクワクだったな~~(^▽^)退院時には、体重は2340グラムに減っていましが・・・そんな事は、な~~~も 気にしていませんでした。とにかく、早く家に帰りたかったです~~~。自宅に着き、やっとゆっくり出来るな~~と、喜んだのもつかの間、お腹が減ったようなので、用意をしていた哺乳瓶でミルクを作り、口に入れても・・・顔面麻痺で口角が閉まらず、また 舌で乳首を 巻き付ける事が出来ず 口の横からこぼれるばかり(え~~なんで~)何度も、何度も、咥えさせたのですが、どうしても上手く授乳が出来ません・・・その内に ゆうも泣き出してしまい・・・「あ~~~どうしよう~~」直ぐに薬局に走り、軟らかい乳首を捜し何軒も 探し回ったのですが・・・見つかりません!「アッ! そうだ、聖マリアに行けば、今まで飲んでたんだから、ゆうが 吸える乳首があるはずだ!」と、思ったら 今 やっと戻って来た道を、猛スピードで久留米に向かっていました。普通だと1時間は十分に掛かる距離を、高速でも150位で走っていました。40分で病院に着くと、新生児センターまですっとんで駆け上がり「ゆうの 乳首を・・・ゆうの乳首を~~~くれ~~~!」って、恥も外聞も無く 必死になって、訴えていました。そこに、あの優しい婦長さんが来られました。事情を話すと、直ぐに新生児用の軟らかい乳首と哺乳瓶をたくさん持って来て下さいました。お礼もそこそこに、また 猛スピードで自宅に向かいました。頭の中は、片目を開いて泣いている ゆうの顔が浮かび(も~~早くしてよ~~この車なんで 飛ばんとかいな~も~~~早く早く~~~)あせ!! ヾ(゚O゚* )ツ三ヾ( *゚O゚)ノ あせ!!どこを、どう走って帰り着いたのか 覚えていません!家に着いて、お腹を空かせて 泣いているゆうにやっとミルクを飲ませて上げることが出来ました。(あ~~めでたし めでたし)と、安心したのもつかの間・・・55ccのミルクを、お腹ペコペコのゆうは あっという間に飲み干してしまいました。そして、直ぐに「\(@;◇;@)/ぴぃぃぃぃぃぃ」と、泣くは、泣くは・・・・もうどうしようもなくなった私は・・・ピカッ(☆∀☆)!とひらめき キッチンでしっかり手を洗うと、ユウの口の中に小指を咥えさせてみました。すると、ピタッっと泣き止み 私の小指を「チュッ・チュッ」と、吸いはじめました。何もでない、小指を吸ってるゆうを、見ていると愛しい気持ちで、胸がいっぱいになりました。「私の、おっぱいが出たら良いのにね~~ごめんね。ゆう・・・でも・・・もし出ていたとしても 私の乳首は小さいから、ゆうには 吸う事が出来ないね。ごめんね」と、ゆうに謝っていました。ゆうが、退院した喜びは 乳首事件で慌てていた為、小指を吸いながら眠った、ゆうの顔を見つめていて やっと初めて ゆうが帰って来てくれた喜びに、胸を熱くしていました。(胸が熱くても・・・泣きませんでしたよ・・・そう、泣かないと誓ったからね)「ね~~~ゆ~う~~」 (^-^)(。_。)(^-^)(。_。)うんうん♪ 明日へつづく
2005.02.15
コメント(2)

私が、退院したのは ゆうの手術の次の日でした。(ゆうの手術は、成功したようでしたが・・・)自宅に帰り、5歳の長男 けいが 余程寂しかったのか 私から片時も離れず、抱っこして攻撃にあってた時、(無理もないか~生まれて初めて、私と離れたんだからね~) 何も分からない長男が「ママー!赤ちゃん見てきたよー あのね あのね 鼻に線が繋がってね、手にも線があったしね、箱に入ってたよ。」って、そこまで話したときに、母が「はい!ママは寝てないといけないから、けいはこっちにおいで」と、けいの言葉をさえぎりました。私は、(あ~死んでなかったんだ~~良かったな~~)と、単純に長男の言葉に 助けられた思いがしました。だが・・・私の近くにある電話が鳴る度に 今まで余り電話に出なかった母が 「リーン、リーン」と鳴ると、まるで忍者の様に さっと、受話器を取りに飛んで来ます。(本当に目にも止まらぬ速さで、びっくりしたのなんのって( ゚Д゚)ヒョエーでしたよ)病院からの電話を私に 取らせまいと、必死まめたん だと言うことは何となく 分かっていましたから、私も 電話が鳴っても知らん顔をする事にしました。自宅に帰っても、胸を10日程冷やし続けていたら、やっと張らなくなって来ました。(しもやけにならなくて、良かっただす~(・∀・)ニカ!)家族は、2日に一回は 久留米に行っていましたが、私はまだ連れて行ってもらえずにいました。家族が、久留米に行く度に 「ね~~顔見たいから 写真撮って来てよ~~~ね~~お願いだから~~」と 頼んでいても、なんだかんだと言って 撮っても来てくれません。そんな時は、長男のけいに聞くのが一番!「ね~~ぇ けい 赤ちゃん可愛かった~」「うん、可愛かったよ。」「そう~赤ちゃん まだ線が付いていたのかな~~」「うん、あのね 赤ちゃんがね 一人でどっかに 行かない様にしてるんだって!」「へ~そうなんだ~どっかにね~~」と、情報を長男から 聞きだしながら 私の頭はふる活動・・・そんなこんなで、1ヶ月が経ち・・・不安が苛立ちに変わった頃 家族に「も~私元気になったから、久留米に行きた~い~写真も撮って来てくれないし~わたしが、産みましたとよ!」と、我慢の限界に達した時に、そ~っと写真を見せてくれました。「ゲッ!可愛い~~~じゃん!私にそっくりやね(どこが)~~可愛い~可愛い~~」と、本当にとっても嬉しくて すっごくはしゃいでいましたら・・・「ちょっと、話があるから・・・こっち来て・・・」その声のトーンの低さに 一瞬でまるでちびまるこ状態!T_T;家族 いわく、頭にコブがあった事、顔面麻痺の事、左耳小耳症、手術の事、危ないと言う事、生きても3年ぐらいだろうという事、・・・を、その時に初めて聞かされました。私は、何故かその時に心が ほっとしました。だって、やっと自分が生んだ子供の事を知ったから・・・もっと、もっと、悪い事を考えた時もあったしね。ゆうの事を全部聞かされて、私は言いました。「何かあるだろうと 思ってはいたよ。だって私が入院してる時、はさみとか果物ナイフとか持って帰ったでしょ・・・その時から・・・ううん 産んだ時から感じていたよ。そりゃー出来たら 元気な子が欲しかったけどね、今まで自分なりに考えてね、私たちだから・・・神様が ここだったら きっと ゆうの様な子供を育ててくれるかなって 命を授かったのかもね・・・うん、きっと そうだよ、そう思うよ」(自分で言葉を口にしながら、自分にも言い聞かせていた気がします・・・それにしても、妹の役者振りには 参ったな~妹が一番上手だったな~はさみ事件が無かったら うっかり騙されるとこだったしね~いや~感心 感心!イヨッ千両役者!)ゆうの事を聞かされた翌日、待ちに待った初対面の時がやって来ました。病院に着いて、新生児センターに行って・・・たくさんの赤ちゃんが ズラーっと並べられて居て、ガラス越しにゆうを探していたら・・・「アッ・・・あれだ! あの子だ! あれが ゆうだ!」私は、遠くにいる我が子を 直ぐに見つけました・・・不思議な感覚でした・・・その時に、ピンクの可愛い服を着た看護師さんが、ニコッと笑顔で 私が見ていた ゆうが寝ている小さなベットをコロコロ転がしながら 目の前に連れて来てくれました。感動の初対面です・・・ゆう・・・まだ 鼻にはチューブが入っていました。涙が たくさん 流れてきました。その様子を見ていらした 婦長さんが直ぐに迎えに来られ 中へと 案内されました。初めて、この手に抱けるのです。やっと、会えましたね ゆう・・・わたしが ママよ・・・そーっと、大事に腕に抱き上げました。顔面麻痺で 片目をカッと見開き口が 曲がった顔を見て 涙を流していると、婦長さんが 無言で優しく私の背中を撫でて下さいました。その時、私は決心しました。「この子は 決して好きで こんな病気で生まれて来たんじゃない!6時間もの長い手術に 一人で耐え 生きている! たとえ 寝たきりの重度障害児になっても、この子が生きている限り、私は 泣かない!決して泣かない!この子と一緒に生きる!」そう心に強く決心し 覚悟をしました。 明日につづく
2005.02.14
コメント(8)

ゆうが、久留米の聖マリア病院に送られて、不安を抱えながら退院までの日を過ごす中、ちょっと切る物があったので、はさみを探していたら どうしてもみつから無い・・・よく見ると、果物ナイフも無い・・・(・・?))アレ((?・・)アレレ・・・(確かに入院道具の中に入れたのに~~~どこいっちゃたのかな~)と、暫く探し・・・アッ!・・・(私に分からない様に持って帰ってる~~)(・∩・)ムムッ と、言う事は(私が自殺でもすると思っての事か・・・・なぜ 自殺せねばならぬのか、えっ!・・・もしかして、もう ゆうが 生きていないのかな・・・それとも 自殺せねばならぬほどの、障害があるのかな・・・足が無いのかな、手が無いのかな???)などと、その時の知識の中で思いつく限りの障害を考えていた。その不安の中、その年の3月に初めての男の子を出産した妹が見舞いに来たので、そ~~~っと聞いてみた。「あの~~~ゆうは、何か障害があったと?教えてよ~」「何言いーよーとーなーも無かよ。ただね。小さかっただけ、心配せんでも良いよー」と ポーカーフェイスですまして答える妹・・・その顔を見て、(あ~~良かった!私の思い過ごしだったんだ~ ん!待てよ・・・でも・・・刃物が無い!)と、心で思いながら・・・どう考えたら良いのだろ~~頭の中はワケワカメ状態でした。家族は毎日見舞いに来てくれていましたが・・・背中から「何も聞くな!」オーラが出ていますし、顔色最悪し・・・私は、ただ毎日、張って来る胸を氷で直に冷やしながら、真っ赤に成った胸が、しもやけに成るんじゃないかな~などと、変な心配をしていました。ゆうが生まれて5日目の朝 突然息を切らした主治医が来られ「今から、久留米に行ってきます、ちょっと赤ちゃんの様子を見てきますからね。あそこは、良い先生が多いから何も心配は無いですよ~じゃ行ってきます~」私は、ポカ~ンと口を空けたまま・・・「ハァ~~はい。」頭の中が・・・シーンとなって(ゆうに何かあったな・・・そう言えば いつも日曜しか家に来ない兄達が 土曜日の今日家に来るって言ってたな・・・もしかして、葬式・・・)そう思った瞬間、血の気が引いていくのが自分でもはっきり分かるほど動揺していました。実は、その日はゆうの手術の日で 生後まだ5日目の体にメスが入り、頭のコブを切除して 頭とお腹の中に管を入れる為にゆうは一人で6時間もの長い間 手術に耐えていたそうです。【コブは、脳髄膜溜といって、コブの中に脳が飛び出している状態で その病気の子は 髄液が流れる道が無く、水頭症に成っているから・・・もしくは成るから、脳が髄液に押されて脳圧が上がるのを防ぐ為にVPシャント術と言って、細い管を頭の中から首の皮膚の下を通して、腹腔内に入れる手術】兄達が来ていたのは、その手術の時に輸血が必要だから ゆうと同じ血液型の兄が呼ばれたそうです。妹も母も ゆうと同じ血液型でしたが、母は歳で 妹は産後だから輸血が出来ず・・・残念!でした。私の主治医も ゆうの手術が終わるまで、家族と一緒に見守って頂いたようでした。家族みんなは、聖マリアの脳外科の先生から「多分手術には耐えられないかも・・・やってみないと分かりません」と、言われていたそうです。そして、手術に耐えても暫くは、急変するかも知れない・・・とも 言われていたそうです。そんな事に成っているとは全く知らされないまま・・・ラジオから流れる谷村新二の『昴』を聞きながら、流れる涙を拭うのも忘れ ただ ただ まだ見ぬ ゆうの事を神様に祈っていました。「早く、会わせてください」と・・・ 明日へつづく
2005.02.13
コメント(2)

昨日、日記に書いたように、これから少しずつ「障害児と生きる日常」を書いていきます。昭和55年7月我が家の次男として、福岡の徳州会病院にて出産しました。お腹にいる時から、余り大きくならないからおかしいな~?とは、思っていましたが、予定日になっても体重の増加がなく、「少しでもお腹に入れておきましょう」との 婦人科の先生のお言葉に従い、予定日より、10日ぐらいは長めにお腹にいました。(余程居心地が良かったのかな?)そして・・・日にちが経っても、効果がないので7月の暑い日に、人口出産で生む事になりました。人口出産なので、機械を使って子宮口を開いたので、陣痛が始まった時には、もう生まれる前の激しい陣痛が、いきなり襲ってきて、2度目の出産だったけど とても苦しみました。分娩室に入った時には、もう いきみが来ていましたが、先生が「まだダメ!! ゛o(≧◇≦*)oo(*≧◇≦)o″ダメ!!」って言われて看護婦さんの手を握りながら「なんで?長男の時は いきんで いきんでって 言われたのに~~~!」(いきみを堪えるほうが、陣痛より苦しい~よ~)と、頭の中で思いながら、襲ってくるいきみを必死で堪えてました。でも、もうどうしても我慢が出来なくなり、看護婦さんの手をギューと力一杯握って、グチャグチャにしながら「先生~~もう~~だめだ~限界です~~」っと、いきんでしましました。後で、分かった事ですが次男の頭の後ろに大きなこぶがありそれが、産道に引っかかって、中々出てこられなかったようです。大きくいきんだので、次男は生まれましたが・・・瞬間には、産声が「ミャ~~」って、???あれ~猫か(まさかね)・・・「女の子ですか?」と聞くと「いえ、男の子です・・・少し小さいので直ぐに保育器に入れます」と、顔も見せて貰えないまま連れて行かれました。(この時、すでに左顔面麻痺があり、泣くと普通は両目が閉じるのだけど麻痺のため、左目がカッっと見開き 口も右だけが上がっている為、顔がゆがんで見えるし コブはあるし・・・ショックを受けてはいけないとの配慮で顔が見れなかった様です)生まれて直ぐに、看護婦さんも先生も顔色が変わったから何かあったな・・・と、心の中で考えていましたら、先生が「2480gだから、未熟児センターに送りますね」って・・・(なんでやねん!男の子で2480gで、未熟児センター?)頭の中が、いっぺんに混乱して(?_?)しまいました。それから、先生が子供が送られる病院に電話をされていて「※△〓◎☆◇□¢・・・」訳の分からぬ医学用語で話されていました。まあ、勘は良いほうだったので、多分問題があって依頼されてるんだな~~とは、思いましたが・・・暫くして先生が(この時、父親に説明されてたらしい)来られて・・・「赤ちゃんは、久留米の聖マリア病院に搬送します。あそこは、新生児のベット数が九州一だから、心配は無いですよ、もう少ししたら向こうの救急車が迎えに来ますので・・・」って・・・久留米とはチェッカーズや松田聖子さんが生まれた所で、同じ福岡でも、40キロは離れています。何で、そんな遠い所に行くのかな~~おかしい!ただ事ではないと、一気に不安が広がりました。私の処置が終わり・・・母乳を止める注射もされて、やっと病室に戻ったのですが・・・待って居てくた、主人と母の顔を見た瞬間・・・(顔色悪~~)やっぱり、何かあったんだと不安が確信に変わりました。でも、2人とも「小さかった様だから、何か久留米に送るらしいよ、それでね 入院させるから、保険証を持って行かないといけないから、早く名前を付けて下さいって」と、母。「じゃ・・・『ゆう』にしよう」と、一応生まれる前から男だったらと決めていた名前を付けました。その、ゆうを迎えに来たのは、夜でした。不安は胸いっぱいなのに、誰にも「どんな子が生まれて来たの?」とは 聞けなかった事を今でも、はっきり覚えています。ゆうも、送られ 家族が帰った後・・・母乳が出ない様にと止める為の注射をしたにも 関わらず、だんだんと張って来る胸に(あ~~長男の時に、余り母乳が出なかったから、今度こそはと、懸命にマッサージをしたのに~~あだになってしまったな~~)と、(25年前は、その病院には母乳を冷凍する機械が無かったから)誰も居ない病室で、どこからともなく聞こえて来る赤ちゃんの鳴き声が廊下に響き渡り・・・ 窓から遠くを見つめ、まだ顔も見ていない我が子を思って涙していました。 明日につづく
2005.02.12
コメント(6)
「私に出来る事・・・」何の気なしに、楽天のホームページのテーマに初めて行きました。「心の病気」・「障害児と生きる毎日」・・・思いもかけない程の人達・・・全部は、訪問出来なかったけど・・・みんな 苦しんでいる、悩んでいる、悲しんでいる私は、そういう人達の声を聞いてしまった。 愕然とした・・・私がこの楽天のホームページを作ったきっかけは、お友達のお子さんがリストカットを繰り返し、登校拒否になり、何で悩んでいるのかが分からずに、どうして良いのかと相談され、私がその方の代わりにコミュニケーションとり見守る事になりまた 自分の鬱病のリハビリの様な気持ちから作り始めました。途中、その子も落ち着き状態が良くなって来たのと、私の具合が悪くなり 1年5ヶ月もの長い間・・・どうしても、書けなくなってお休みしていました。そんなに長い間、留守にしていたにも関わらずに 待っていてくれたお友達・・・楽天のホームページ・・・再開した時に、このホームページが消されずに残っていて、心から、感謝しました。それから、毎日楽しく、日記を書いて来ましたが・・・でも・・・これからは、はじめに書いた人達の為に少しでも私の体験が役に立ち、迷い苦しむ事から一筋の希望の光になれば・・・と、願い しばらくは私と次男の「障害児と生きる日常」を、テーマに生まれた時から現在までの25年を、毎日少しずつ書いて行きたいと思っています。つたない、文章でどれだけ 書く事が出来るかは、自分でも分かりませんが・・・今の自分に出来る事をしていきたいと願っています。それが、これまで私達親子が沢山の人達から頂いてきた、深い愛情と御恩に対して、感謝の気持ちを表す事にもなるかと存じます。これからもまた、コスモスの花の写真などは、忘れずにアップして参りますね。それから、勿論いつもの様に 楽しく書くつもりです~~☆⌒( *^-゚)bネッ!
2005.02.11
コメント(0)

ピコティ昨夜は、サッカーが盛り上がってテレビも関東で47%以上の高視聴率だったんだって!私は、はじめと終わりだけ見ちゃいました~~☆⌒(*^∇゚)vえへっ♪後は、ビデオに録画を長男に頼まれていたから、忘れない様に、しっかりと撮っておきました・・・これが・・・運のつきになろうとは・・・参ったです。長男が、帰ったのが夜中の1時・・・風呂に入って・・・「ビデオ見ようかな~~~」「今から~~見るの~~?かよ」「母ちゃんは、結果知っとうと~?」(ちなみに、私の呼び方が ママ→お母さん→母ちゃんと大きくなるにつれ変わっていった・・・今の呼び方は気に入ってない!)「うん、しっとうよ!でも言ったらだめだよね~」「どーしょっかな~気になるから 見よう~」「げっ・・今から・・・( 。-x-)-x-)-x-) シーン・・・」「じゃ、そっち行く!」と、言う事になり 私の寝る所でビデオを見始めた・・・2時間以上もあるのに・・・と、…( ̄。 ̄;)ブツブツその間、一緒に見ながら 長男が 昔懐かしい駄菓子屋で、買って来たお菓子を「わ~~懐かしか~~」と 喜んで食べる・・・「バリバリ・ボリボリ」ちと、やけ食いも一緒になって 何十個もある いろんなお菓子をほおばる・・・(太るかな~~やばいな~~)と 思いながらも、食べ続けた。試合が1対1に成って・・・夜中の3時過ぎ・・・「このまま、引き分けやろか~う~ん!見たいし、きついし・・・でも、もうちょっとやけん最後まで見よ~」「そうね。見たら」余程 最後に日本が点入れて勝ったと!と、もう少しで 言いそうになるのを堪えて(´Д⊂グスンそうこうしていると、やっとロスタイムに入り「ゴール!」「ウオー勝った!ヤッター!」と、大喜び・・・決勝点を決めた大黒の所を何度も 巻き戻して見て やっとご納得のご様子(あ~~~やっと、寝られそう~~)そして、4時過ぎにお布団に入ることが出来ましたとさ。本当に参りましたo(ToT)oダー長男は、余り寝ないで お仕事に行きました・・・大きな( ´O)η ファ~あくびをしながらね。(ハイハイお仕事頑張って)今度は、北朝鮮とは、6月に試合があるんだって・・・もち、北朝鮮でね!余りサッカーに興味のない私ですが、昨日の試合は良い試合でした。
2005.02.10
コメント(2)

イエローガーデン今日は、とっても幸せ気分だな~~~(^ー^* )フフ♪何でかは・・・(^O^)ヒ(^-^)ミ(^・^)ツだよ~~ん!月に2度ほど、私に幸せな日が来るの・・・生きてて良かった!って、思える日がね。去年の今頃は、生きる事が 辛かったな~~毎日、毎日、死ぬ事ばかり考えてた。頭の中は、死にたい気持ちと これ以上親不孝をしてはいけないと、言う気持ちと 毎日が戦争してた。母には、言葉では言いつせ無いほどの、苦労や心配を掛けて来たから・・・・両親の離婚で、反抗的な思春期。・結婚した相手の、20年以上 10回以上の賭け事による、借金。・次男が、先天性脳髄溜、先天性水頭症、などの障害児で生まれて来た事。・私自身の、子宮体癌(子宮卵巣摘出手術)肺のう胞(両肺手術)その時に見つかった肺癌(右肺摘出手術)おまけに胆嚢摘出手術(もう、内臓がないぞう)始めての手術の時に、麻酔が効いてない状態での残酷な手術(この事が原因で、不眠症になる)・・・この後 うつ病にこんなに、苦労や心配ばかり掛けて来た母に これ以上、悲しい思いはさせたくなかった・・・その思いで、死ねない!で・・・そうゆう時は、はさみで手を切って 死にたい気持ちを 懸命に堪えていたな~~。。。何で はさみかと言うと、縫うほどは切れない・・・だから誰にも知られないで済むし・・・うつ病になる前は、「人間、死ぬことを考えたら、死ぬ気になって、もう一度頑張ればいいじゃん!」って・・・自分が、うつ病になって分かった事は、死ぬ事を考えてる時は、もう 普通の人間じゃ無くなっているって事!普通の考えが出来ない状態に、なってるって事!うつ病になって、死にたくても死ねない 地獄の様な苦しみ・・・この何日か前に、集団自殺をする人達の事がテレビや新聞のニュースで伝えている。。。今は、ネットで知り合えるから 仲良く一緒に死んでしまう・・・今、死にたいと 思ってる人がいたら 「もっと地獄を見てください」と 言いたい・・・どんなに、死にたくても死ねない苦しみを味わって・・・もう少し生きて味わって・・・地獄を天国を!そうしたら、私みたいに 生きていて良かったと思える日がきっと 来るから・・・必ず 来るから、ね。良い想いを、少しはしようよ・・・少しはね。慌てなくても、みんな何時か 必ず死んじゃうんだから・・・人生は、良い事は数える程しかないけど、その良い事もさ生きていないとね、味わえないしね。私は、コスモスの花を見て 好きな人と同じ空気吸って、月に2回の幸せがあるから 生きてて良かったって、今 しみじみ感じてます。人間!生まれ変わるなら、生きてるうちに・・・生きて、生きて、生きまくれ!って 長渕剛も言ってたよ!
2005.02.09
コメント(12)

ヤッタァー!\( ̄∇\) (/ ̄∇)/ヤッタァー!やっと、HPの背景が好きなものに、変えることができました。~~~あ~~(..)(^^)(^。^)(*^o^)(^O^)ウレシーーーー!!!表示してる写真も、1個だけ取り換えました。まだ・・・写真を2枚並べができませんな・・・きっと、勉強しますね。いろいろと出来る事が分かると、とても楽しいです☆⌒( *^-゚)bネッ!やっぱり、間違っても、間違っても、何度でもやり直す・・・この根性がまだ残ってました、自分では、こんな事ができるのも、うつ病が治って来てる証拠だなと、感じています。今の壁紙は、一番に画像の倉庫に 入れたままになってたのですが やっと日の目を見させあげることができました。もっともっと、ガバッテ綺麗な素敵な部屋にしていきたいと思っています。・・・それにしても、疲れちゃっただよ!脳みそが熔けてるからね。。。(/≧◇≦\)アチャー!!
2005.02.08
コメント(2)

ラジアンススペスシャル今日も、頑張ってタグの勉強や、素材を見つけて回りましたが、なかなか思ったようには、参りませんどした・・・ハイ!わたしは、なんにでも興味があるので、一つのサイトに行ったら、帰って来るのを忘れてしまします。探したものがなくても、目の保養には成りますしね~~~!楽しいだもんね。あはっ♪(^∇^*)*^∇^) あはっ♪取り敢えずの、お勉強は写真を2枚並べて、アップしたいのですが、、どうしても、ずれちゃいます。どないしたらいいんかな~~~凹んでいます。いろんなサイトを見て歩いて・・・今日は、3時間くらい迷子に成っていましたよ。お巡りさんに聞いて、帰って来たのですが・・・(お巡りさんじゃなかったのかな?)いかん いかん(またボケ病がでてきた・・・)しばらくは、私の課題として\(*⌒0⌒)bがんばっ♪て、放浪の旅に出ますね~~~。うんちゃ~~~ヾ(*'▽'*)o マタネー♪
2005.02.07
コメント(0)

ピコティ昨日の日記に画像をアップしたのですが・・・またドジちゃって、タグの入力間違いで、真ん中に出来ませんでした。あ~~~本当にドジですね~~なさ~~ホームページのタグ入力は、初心者の私にとって、非常に難しい限りです~~~!コスモスの写真も、もっとアップしたんだけど・・・難しいですね。一応、お気に入りの画像は、倉庫に入れてますが・・・横に並べて、みたくても 上手く行きません!倉庫に入るのは、50MGまでなので、お気に入りのコスモスの写真が登録出来ずにいます。もうちょっと、いろんな写真をアップしたいな~~~~コスモスの中にも、いろんな種類があり、何とか皆さんに知ってもらいたいのですが・・・たくさん、保存している写真が日の目を見ないのが残念です。せめて・・・70位GBにしてもらえないかな~~ちと寂しいです~~~d(^-^)ネ!初心者の辛いとこで、新しいHPに帰ると良いのでしょうが、このHPにとても、愛着があり変更はせず・・・このまま、旧式で、続けて行きたいんだけどね~~!タグは、まだまだつかいこなせないでいます。でも、続ける事に意義があると思いますから、ファイトォ*:.。..。.:*・゚(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:*!!!☆で頑張りたいです~~~う。これからも、コスモスの写真や、可愛い素材をアップして楽しくて、訪問して来てくださる方に少しでも、安らぎを感じてもらえたら、嬉しいです。困った事には、楽しい素材がどこかに行ってしまって・・・探しても見つからないのが、残念ですが・・・(やっぱりボケてます)また、サイトを探していたら、いい物が見つかるかもですね。うんうん!(^-^)どこか、良いとこがあったら教えてくださいね。よろしくお願いします。n(_ _)n
2005.02.06
コメント(2)

ホワイトベルサイユ今日は、ちと暖かったね~~風邪気味の長男には ありがたい事だったかな~~ (^-^)(。_。)(^-^)(。_。)うんうん♪長男は、時々スノボーをしに彼女と 広島まで出掛けています。先日は すべりに行って、転んで背中を打ったようです~ヾ(*^▽^*)ノわははドジです~~ね~~!いい歳して・・・困ったものですが・・・もうひとつ、困った事が・・・スノボの手入れをする時に、蝋を使うのか、後が散らかって滑りやすくなるのが困ります。知らないで居ると、ツルッと滑って転びそうになるから、直ぐに綺麗に拭かないと大変です~~~う。しかし、今までは寒がりで どうしようもなかった長男が、スノボーをするようになって、雪を求めて西東・・・慣れないせいか、ちと 風邪気味!でも、また 明日 行くようです。大きな怪我だけは しない様にと 思っています。。。スキーをしている方には、大変 迷惑な事でしょうね~私は、スキーもした事が無いから良くは分からないのですが~スノボーとスキーと同じ所で、滑るのかな~~~?\(?。?)ハテ?いろんな遊びがありますが、人に迷惑を掛けないで遊んで欲しいです。
2005.02.05
コメント(0)

シーセルミックス今日は、天気予報と違って寒かったな~~~少しは、晴れたけど・・・寒いから、次男が作業所から帰って来て、一緒に長渕剛のCDを聴きながら・・・ダンス・ダンスダンスだ~~~♪次男と大きな声で歌って、踊って、温まろう~~~イエイ~~♪それにしても、自分でも(いい年こいて・・・(*^.^*)エヘッ)なにやってんのかな~~とは、ふと 思うけど(隣に居る母も、うなずいている)直ぐに、「まっいいか~!」と、思い直して、歌に合わせて踊っています~~う。お蔭様で、寒かったのも どこえやら・・・温まって、汗が出てきちゃいました~~(;^_^A アセアセ・・・でも、いつ聴いても長渕はいいね~~~元気が欲しい時は長渕に限る!さ~張り切ってまいりましょう~~~ヘイ! ヘイ!ヘイ! ダンス!ダンス!ダンス!
2005.02.04
コメント(0)

今日は、節分だね。母が、どこかのお寺さんに 出掛けてお豆と海苔巻きを買ってきました。海苔巻きの事を、恵方巻きと言うんだって!知らなかったです~~~う。毎年、方角が変わるそうだけど 今年は西南西の方角を向いて、海苔巻き1っ本を丸かじりするんだって!その時に、おしゃべりはしてはいけないとの事!(無理なきもする・・)我が家では、西南西はどっちかな~~~分かんないな~~?大体 海苔巻き1っ本なんて 食べれないしね・・・無理にでも食べなきゃかな~~誰が、考えたんだろう・・・まあ、昔の人だと思うけどね!恵方巻きか~~~どうしましょ(/・_・\)アチャ-・・無理に食べなくても ばちは当たらないと思うけどね・・・!今日の夕食は 海苔巻きとまめ!・・・えっ!そんな~(?_?)そうそう、今日はお鍋だったんだ。忘れていましたです~~(またボケてきたよ~~!)(*^-^)ニコ
2005.02.03
コメント(0)

あの~~今日ドラマを 見てたのよ~~そしたらね、「白骨死体発見」と言って 白骨を掘って出てきた骨が「白骨」だった~~~って (当たり前でしょ!)いやいや そうじゃないの~~それが 本当に真っ白! なわけないだろ!!「土の中に埋めてある骨が、真っ白なわけないだろ~~!」って、思わずつっこんでいました。これだから、日本のドラマも映画も イマイチなんだね~何だか とっても 情けないよ!監督さんの、頭・・・疑うよね。白い骨も茶色い骨も 用意するのに それほど、お金かかんないだろ~しね・・・リアリティー無いね~なさ~~!そのドラマも、その場面見たら しらけてきて・・・チャンネル変えましたよ。やっぱ・・・洋画と 比べたら お金の掛け方が違うね~~映画代も今じゃ結構高いしね~~同じ見るんだったら どうしても 洋画になってしまいます。アニメの部門だけは 違うけどね! それだけが救いです~~(゚O゚)(。_。)(゚O゚)(。_。)ウンウン日本の映画やドラマ製作に 関わってる方たちにお願い~~もっと、ちゃんと作ってよね~~お金より頭使ってよ~d(*^-^* )ネネッ!しらけ~~どり~~とんでいく~~みなみのそ~らに~♪
2005.02.02
コメント(2)

今朝のこと、母と いつものように、散歩に出掛けたユウ君でしたが・・・エレベーターまで行って、余りの寒さと強風のために どこかで、「カラカラ~~ン」と音がしたと思ったら・・・すたこらさっさ 母を置いて 自分だけ帰って来てしまいました。初めての事です。ユウの後を 母が笑いながら 追いかけてきます。母「も~~なん考えとうとかいね!」ユウ「キュ~ン」母「犬のくせに何寒がりようとね~」ユウ「キュ~ン(さむかけん さんぽにいきたくない!)と言ってたように聞こえる母「はよ 散歩に行くよ はよ はよせんね」ユウ「キューンクン!(も~行きたくないけど 膀胱ぱんぱんやし・・・しゃ~ないな)また こういった様に 聞こえた!と、それから しぶしぶとユウ君と母の散歩が始まりました。でも・・・10分もしないうちに、帰ってきちゃいました~~「ユウ~もう帰って来たと!」と私!母いわく・・・下に降りたら、台風のような風で 片足あげておしっこしていても 飛ばされそうになって・・・それでも、ちゃんとξ ウンチはしたそうである。(^_^)ノ~~ヨシヨシやっぱり、歳なんだね~~と思いながらも、近頃 みょ~~に 色気づいて、私の腕を抱きしめて 交尾の真似・・・夏は、半袖だから しないんだけど・・・長袖、それも毛糸類を着ていたら そ~~っと寄って来て「ク~~ン!ク~~ン!」と 始まり 始まり~~さっと 着ているものを脱いで、知らん顔 えへっ♪(・-・*)「あたしは いぬじゃね~~~~え」と 逃げて回る・・・追いかけるユウ・・・「助けて~~おまわりさん~~!」と、そこに「ユウ!なんばしようとね!」次男の一声・・・すると、シュンとなって 大好きなぬいぐるみを咥えて ブンブン振り回し 欲求不満解消作戦にでる!うちのユウ君は、何でメス犬に興味を示さず毛糸が好きなんでしょうかね~~~(´ー`)チラネーヨほかのワンちゃんたちは どうなんですかね~~?
2005.02.01
コメント(4)
全28件 (28件中 1-28件目)
1


