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ここに戻るってことは私にとってどういうことなのか?
すごく考えたんだけど、やっぱり今のこの気持ちはここにしか書いちゃいけない気がして
何年ぶりだろう? みんなに別れを告げてから・・・
もう、読者はいないかな?
それでも、私はここに今のこの気持ちを忘れないために記しておこうと思います。
美音が居なくなって何年が経っただろう?
歳 の数は数えても、旅立った年数を数えることはなくなった。
現実を突きつけられるから・・・
いつからか何年経ったか数えなくなったね。 きっと、旦那もそう。
それがいいのか?悪いのかは、わからないけど・・・
なんで、ここに戻ってきたか? また、続けるのか?
続けるつもりはないんだ。
日々の出来事や仕事のことは、ミ○シーや介護サイトに書いてるからね・・・
そう、じゃぁなんで?
美音が産まれて病気がわかった時、旦那の従兄が同じ病気のママのサイトを見つけてきてくれたんだ。
いろんなページをたくさんプリントして持ってきてくれた。 それを何度も読んで、彼女とママ、パパの生活を垣間見た。
たくさんの病を持って産まれてきた娘と一緒にやっていけるのか?
って、すごい不安だった気持ちをこのママの愛溢れるサイトを見て、日々の日記を読んで 「私もがんばろう!!」って思ったんだよ。
力をもらい、愛をもらったんだ。
美音が居なくなってからも、わが子の出来事のようにずっと、ずっと見てきたんだ。
そんな彼女が3月31日に旅立ってしまった。
私と美音を仲間とつないでくれた彼女が・・・
私と美音に光をくれた彼女が・・・
勝手に思ってたんだ。
美音は死んじゃったけど、他の子たちにはそんなことが起こるはずがないって・・・
そう。私の勝手な思い。
彼女に逢いに行ったよ。
かわいいお顔見に行ったよ。
もっと、早く逢いに行けばよかったって、すごい後悔した。
身軽なのに、なんで逢いに行かなかったんだろう。って・・・
旅立ってから、毎日彼女のことを考え、ママとパパの想いを考えてた。
自分が感じていた想いをしていると思うと、やりきれなかった。 心が痛んだ。
そして、私の心のドアが開いたんだ。
あの時、私はみんなにどんなことを発信していたんだろう?って
この、ブログを読み返した。
アホだから、感情的な文ばっかだったね。冷静さのかけらもなかったね。
そんなことしながら、一ヶ月ちょっと経った5月3日。
訃報が届いた。
仲間の旅立ち。
ママとは何度かランチしたね。
葬儀にも一緒に出たんだ。
いろんな話をしたよ。
続いてしまった訃報に仲間たちは、言葉をなくしたよ。
不安、恐怖が募ったと思う。
抱きしめることが出来ない私は、当時の自分とリンクしてしまい、言葉を失った。
でもね、何か発信しなくちゃいけないと思った。
それが、私の役目だと・・・
美音を想い出し、あの日が鮮明に頭を過ぎるよ。
苦しくて、眠れなくて、涙が止まらなくて、しんどい。
でも、美音が私に役目を与えたんだ。って思うよ。 どんなに辛い出来事がおきても、ママらしく踏ん張ってお役目を果たしなさい。って
みーちゃん、正直しんどいよ。でもね。ママ頑張るよ。だって、みーちゃんが応援してくれてるから・・・
ママ、美音のためにも、お空に逝ったお友達のためにも、頑張らなきゃいけないんだよね。
してあげられることなんか無いかもしれない。自分の心を保つのに精一杯の私に、何が出来る?
行ったり来たり気持ちが揺らぐよ。毎日自問自答だよ。
正直、ずっと穴が開いてた。でも、それをいつからかドアにしたんだ。
ドアにすると、なんだか気持ちがすごく楽になったんだよ。
どう頑張っても穴はふさがらないんだ。
でもね、ドアならいつでも開け閉めできる。とは、言っても
ずっと、怖くて閉めたままだったんだ。
心のドアが開いた今、私に出来ること。
仲間と話す時だって、くだらない話はみんなの顔みて話せるけど、
いざと言う話は、目を合わせることすら出来ない。
そんな私に出来ること。
何かきっとあるはずなんだ。
Kちゃん、Tちゃん、お空で美音、Cちゃんと遊んであげてね。仲間なんだ。
ママたちが仲がいいように、あなたたちも絶対仲良し。
そして、また家にみんなで遊びにおいで。
待ってるよ。
想いをつらつらと書いてしまったから、きっと支離滅裂だね。気持ちもまとまってないね。
でもね、これが今の私の心の中。仕方ないよね。
だって、こんなに悲しいこと、どういう風に消化していいかわからないんだもん。
消化できるかだってわからないんだもん。
美音。
ママはどうしたらいいんだろう?
あなたに逢いたくて、抱きしめたくて・・・
私がこんな想いなのよ。
ママたちの気持ちを想うと心が張り裂けそうだよ。