人生の「快」も「不快」も意識がすべて
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(昨日の続きです。)その後、彼の大好きだった四谷のイグナチオ教会(カトリック教会)のブラザーに病院訪問をしていただいて、改めて洗礼を授けていただきました。(プロテスタント教会に属するクリスチャンだったので、洗礼をあらためて受ける必要はなかったのですが、手続きがその方が簡単だったので・・・)。 その翌日から、彼は元気になりました。動かなかった右手と右足が動くようになったのです。結構ちゃっかりもんなのです。もちろんすぐ歩く事はできなかったので、ともかくリハビリの病院へ移りました。 そこの理学療法士の方が彼のことを「まだ若いのに・・・。」ととても気の毒がってくれて、一生懸命指導して下さいました。 彼の性格もしっかり把握して下さって、歩くリハビリを始めるという時にも、私が「また、『出来ない、出来ない。』って言ってますよ。」と言うと、「大丈夫ですよ、Nさんはいつも最初はそう言うんです。」と上手になだめすかしながら(子供のようでしょ?)、指導して下さったのです。そのおかげで、入院3ヶ月後くらいには、しっかり歩きまわっていました。「食事が出来ないのも気の毒だし、ここまで元気になったのだから、経管をはずして食事も練習させてみたらと、先生に言ってみますよ。」と主治医に提案して下さいました。そうして、食事も口から出来るようになりました。本当にこの理学療法士の方には感謝しています。 その病院に来たばかりの看護士さんいわく、「私、最初Nさんを見たときすごくびっくりしました。だって、鼻に経管栄養の管をつけて元気に歩き回ってる患者さん、初めて見たんですよ!普通は経管栄養の患者さんて、ベットでぐったりしてる人ばかりなんですよ。」 実は入院した時の主治医の話の中に、「経管栄養の場合、もって2年くらいです。」というお話もありました。 はい、彼はいつも医学の常識では判断できない状況をもたらすのです。なので、お医者様にも看護士さんたちにも不思議な顔をされることが度々ありました。 実はこの頃私は、彼の病院に仕事の帰りに週に4日行き、残りの3日は西野流呼吸法に通っておりました。その頃が一番精神的にきつかったですね。で、絶対人生をいい方向に転換させようと思い通い始めたのです。「氣」の力で癒しも起きると聞きましたしね。西野先生の本を何冊も読んで、「よし行こう!」と期待に胸をふくらませて通い始めました。 彼の病院に行くと、1階の誰もいない待合室(夜ですから。)で、一緒に呼吸法をやらせました。(子供からお年寄りまで出来る簡単な動きです。)見違えるように元気になりました。 西野先生がもとバレエ団を率いていた方だというのが、学生時代バレエに夢中になっていた私には良かったのです。中国の気功とかいうのにはあまり興味もなくご縁もありませんでした。 私に西野流呼吸法を教えて下さったのは、和太鼓教室を主宰しているクリスチャンの友人でした。彼女はI小劇場の主演女優をやっていたときの演出家兼和太鼓の師匠に勧められたのだそうです。 バレエの稽古の経験があったため、西野流呼吸法の動きにはすぐになじめました。 あと、私も奇跡的な癒しがしょっちゅう起きているプロテスタント教会の一員でしたので、彼の頭に手をおいて、あの10年間は年中祈らされておりました。特に脳けいれんの発作が起こりそうな時などは、もう真剣でしたね。 あの時は無我夢中で何にもわかりませんでしたが、あの10年間にたくさん癒しを体験したことが、「氣」「エネルギー」「波動」とかいったさまざまな事柄の理解に役立っています。彼以外の癒しもいろいろあるのですが、長くなってしまいますからね。 リハビリの病院のあとめでたく退院でき、もとの主治医のところへまた通い始めました。久しぶりに診察に行った時、その病院の主治医始め看護士さんもみなさん、びっくりしてました。無理もないですよね。 が、半年後に、今度は幻聴と幻視という症状が出てきました。また在宅は無理になってきましたが、何しろまだ、当時45歳でしたので、受け容れてくれる病院を探すのが一苦労でした。 何とか、1年前に申し込んでおいた、清瀬にあるカトリックの修道会の経営している病院に入院することが出来ました。でももう興奮状態がひどく、その病院では対応がむつかしかったのです。 その時の主治医が本当に素晴らしい方で(60代くらいかな)、患者本人にとって一番いい方法を取った方が良いと言って下さいました。 あるシスターがボランティアで毎日のように彼に付き添って下さったりと、有難い事も一杯ありました。 奇遇な事に、私と同郷だという婦長さんも、彼のもともとの主治医のいる病院に長く勤めてからこのカトリックの病院に移ったとのことでした。 しかし、ソーシャルワーカーの方は、ちょっとね。立場上でしょうけど、退院して在宅は無理かと言ってきました。なので、婦長さんにそのことを言ったら、「とんでもない!ご主人の状態は在宅の範囲を超えています。」 その病院を放り出されたら、彼と一緒に心中した方がいいんじゃないかくらいに私も思っちゃったりしましたが、その病院から今入院している精神病院を紹介されました。 紹介状を持って精神病院に診察に向かうときに、「もし引き受けてもらえなかったら、ここへ戻ってくればいいんですよ。引き受けてくれる病院が見つかるまで、うちで見ますからね。」 いやあ、もう、何と言ったらいいのか、最高に有難い病院でしたね。 その主治医が若い看護助手の女の子に、病室の前に置かれたベンチに並んで腰かけて、やさしい口調で患者さんに対する対応の相談を受けてたりという光景も度々見かけました。(何しろ、仕事の帰りといっても私は毎日通ってましたので、病院の日常にいやでも詳しくなるのです。どの病院へいっても。つい、病院比べをしてしまいます。) 今いる病院も、とてもいい病院です。院長先生はもしかしたら、人情厚すぎ(?)お人好しっぽい感じの方です。なので、受付の事務の女性の方々も感じいいですし、看護士さんや看護助手さんもいい方ばかりです。ソーシャルワーカーさんたちもさすがに思いやりがあります。 精神病院ですが、とてもきれいな日当たりの良い明るい病院です。彼が30歳の時だったか、某大学病院付属の八王子の精神病院に入院したことがありましたが、そことは全然違います。(実はその時も某大学病院のお医者には「治る保証はありません。」と言われたのですが、あるアメリカ帰りのカウンセラー兼牧師の指導で、低血糖症であることが分かり、結局玄米自然食で躁鬱病から脱したということがありました。西洋医学のお世話にもなりつつ、他の代替療法もかなり使ってるので、彼はここまで生き延びたという気がしますね。) その病院でも面白い(?)ことがありました。 薬の調整がむつかしく、一度転んで頭の前の方を強く打ってしまいました。命に別状はなかったのですが、念のため、近所の総合病院の脳外科へ転院しました。 3週間ほどで、今の病院へ戻ったのですが、またまた異常な程、精神症状がよくなってきたのです。「あまりにもいい状態なので、この病院じゃ気の毒だと思うから。」との主治医の言葉に、かねてから、彼を入院させてあげたいなあと思っていた、中野のカトリックの病院にお願いに行きました。 以前に通った時は(言語療法の先生がいたので)、入院は受け付けてもらえませんでしたが、今回はすんなりOKが出ました。でもやはり、半年くらい待ちましたかね。療養型病床はどこも一杯なのです。 4ヶ月くらいお世話になったのですが、やはりまた、幻聴・幻視が出てきました。それで、今の病院に戻りました。 主治医はけげんそうでしたが。 老人病棟だとほんとんどが寝たきりのお年寄りなんですよね。彼は恐ろしそうに同室のお年寄りを見ていたので、自分もまたああなるのではと恐怖にかられたのではないかと思うのです。 今の病棟は明るいし、「どこが病気なの?」っていうような、見た目は元気そうな患者さんが多く、おまけに年配者から若い男の子や女の子やらいますので、ここにいた方が彼はとても安心できるみたいです。 みんなで歌を歌ったり、TVを見たり、おしゃべりしたりといったような日常なのです。 彼は言語障害が重いので、片言くらいしかしゃべれないのですが、みなさん、よく話しかけて下さるようです。彼は歌が得意だったので、今でも一日メロディーを口ずさんでいます。 また、右側が軽い片麻痺なので、ちょっと歩くときなど危なく見えるときもあるのですが、体は元気な患者さんたちが心配してくれ、気遣って下さるのです。 入院した当初は、「帰る。帰る。」と大変でしたが、今では、病院が自分のメインの家というような感じでもあります。こちらとしては複雑な心境でもありますが、在宅介護がむつかしい以上、これがお互いのために一番いい状況なのでしょう。娘「やっぱ、お父さんて、自分の役割はたしてるよね?!」私「そうよ、パパは子供に帰ってるから、みんな、パパと過ごして安らぐのよ。おまけにやさしいとこあるから、つらそうにしてる人みると、『だいじょうぶ?』って、声かけるでしょ。パパの存在で励まされる人とか、パパと話して慰められる人も結構いるみたいよ。」 年中彼の病院へ行っているので、患者さんたちとも話す機会があるのです。そんなとき、若い女の子から「いつもお世話になってます。」と言われたり、年配の女性から「Nさん、やさしいのよ。私がつらい時、声かけてくれる。」と言われたり・・・。 元気で日常を当たり前に過ごす人生の方が幸せとは思います。が、彼を見てて思うのは、彼は今のままで充分幸せなんだろうなということです。 彼が健常者でいれば、当然私たちと同じく、世間や身内から色々要求されたり、プレッシャーかけられたりということがあるわけです。 彼は、普通に生きられるほどの強さを持ち合わせてはいなかったのでしょう。育った環境の影響は大きいです。それを克服する強さも無かったのでしょう。そんな彼の生き延びるための方法が、この生き方ではないのかと私には思えるのです。 在宅介護が一番といいますが、彼の場合には私と娘と3人の小さな家庭よりも、今のように色んな人と関われるような環境が幸せではないかとも思います。娘「あのさあ、自分を見つめられない人って、病気になるんだろうね?」私「そうだと思うよ。自分をちゃんと見つめることが出来て、自分と対決する強さをもっていれば病気に逃げる必要ないでしょ?」 人それぞれ、健康を選ぶ自由もあるし、病気でいる自由もあるのですよね。 輪廻転生の中で、色んな体験を選んで体験して、満足してあちらの世界に帰るのだともいいますしね。 もちろん、無意識に翻弄されてわけがわからないままに人生を終える場合もあるなら、それは意識的に潜在意識レベルの癒しが必要だと思いますが・・・。 「人生のしくみ」について、まだまだ学ぶ必要があるようです。
November 24, 2004
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