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平安遷都の前に 奈良から一時長岡京が有りました然し洪水や良からぬ事件が多発し 794年京都に都を移されました菅原道真公の無念の気持ちを偲びつつ訪問し てきました。菅原道真公を祀る北野天満宮は学問の神様として有名ですが京都市から大阪よりの、長岡京市にも長岡天満宮があります。樹齢150年のキリシマツツジが4月末に最も華麗です。都が奈良から此処長岡京に遷都した場所でもあります長岡天満宮とキリシマツツジキリシマツツジの参道【長岡天満宮】 長岡京市 祭神 菅原道真公菅原道真公は、生前 歌人 在原業平と共にこの地で詩歌・管絃に甚く興じられていました憩いの場所ともいえます。後に、左大臣藤原時平の妬言で、右大臣であった菅原道真公が九州の大宰府に左遷されることになり、その道中此処長岡の里に立ち寄られ「わが魂 長くこの地に とどまるべし」 と 名残りを悔やまれたそうです。後の世に、その想いを留めるべく、道真公ご自身作の像を祀られました。朝廷からの信仰も厚く、後に桂離宮創設者 【八条宮智仁親王】が更に境内を広げ、【八条の池】が皆さんの憩いの場所ともなっています。八条の池向かいに見える家屋は【錦水亭】(きんすいてい)筍の高級料理店です。長岡京市は筍の産地として有名です。八条の池樹齢百五十年のキリシマツツジ長岡天満宮本殿昭和14年に平安神宮の旧本殿を移築されたものです。長岡天満宮本殿前学問の神様として此処もお参りが堪えません。やはり牛が臥しています。菅原道真公と臥牛菅原道真公のお誕生日 承和12年6月25日 (845) 遷化日 延喜 3年2月25日 (903) 58歳逝去何れも、丑年に当たります。そして25日も一緒で 天神さん日として縁日にもなり、親しまれます。京の都から大宰府に左遷されるときに、時平の刺客が構える街道で牛が臥して動かず、安全な街道に導かれて事なきを得たそうです。菅原道真公が亡くなられた時、遺骸を牛車で運ぶ途中やはり牛が臥して動かず。道真公の遺言通りその地に墓所安楽寺に葬られたとのことで、大宰府天満宮が祀られました。牛の臥している姿は此処から採られたともいわれています。明日は同じく「長岡京市」にある牡丹の寺【乙訓寺】に参ります。
2018.04.18
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京都観光も一巡しました次回は1月~4月 そして5月~9月と更新します観光は観るたびに深く印象付けられます 相変わらずご後援のほどお願い致します賀茂川から鴨川へ】鯖街道から町に出た【出町】で【高野川】と【賀茂川】が合流【鴨川】と名が変わる。今出川橋から望む、合流地点 賀茂川高野川 山に京都五山の一つ 【法】が見えます。(妙法の法)今出川橋から【大文字】【東山】が見えます。合流して【鴨川】に名が変わります。賀茂川と高野川の合流地点 比叡山が望まれます。左の橋を渡りきった所「出町ふたばの豆餅」本店が有ります下鴨神社界隈でも買えます
2018.12.21
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本日は、清水寺から三年坂維新の道ねねの道そして円山公園までの散策についてご紹介してみます。京都らしい風情の味わえる散策道でもあります。戦国時代から維新の世まで 歴史を偲びつつ 法観寺【八坂の塔】五重塔 三年坂写真の手前を左に曲がったところから二年坂・一年坂 【台所坂】の長い石段を降りますと「ねねの道」に至ります。降りたところに、 【霊山観音像】 「高台寺」の南隣接して、大きい観音像がコンクリートで戦後造られました。 霊山観音 維新の道 維新の道「ねねの道」の南端から、東に掛けて「維新の道」が急な坂道として登りますと、 京都霊山護国神社北側に【京都霊山護国神社】があります。戦争で戦士された英霊が祀られて居ます。観音像は、更に目だって大きく航空機でも存在が判るほどです幕末の頃に「招魂社」として建てられ、維新の頃の亡くなった550柱の墓があり、 坂本龍馬・中岡慎太郎の墓特に「坂本龍馬・中岡慎太郎そして、木戸孝允」の墓は、有名です。 龍馬たちは京都の都を見守っているようです。ねねさんも やっと落ち着かれました【円徳院】が有ります。襖絵は、長谷川等伯作とも云われています、小さな庭園が楽しめます。院内に「三面大黒天」という珍しい像が祀られて居ます。ねねさんも時折寝泊まりされたとか。円徳院庭園 高台から京都の街が見おろせます。霊山は「りょうぜん」と読んでいます。 ねねの道素人・舞妓姿に変身して楽しむ方も多いです。 石塀小路元京都市電の敷石で構成 大雲院・祇園閣 大雲院は、浄土宗で、本能寺の変でなくなった織田信長・長男信忠の天皇勅命による菩提寺で、墓地には碑が立っています。そして盗賊「石川五右衛門」の墓があり、墓石があちこちあやかりたいとして欠けているそうです。因みに戒名は「融仙院良岳寿感禅定門」 贈り名に 10字と多いこと 寺格の院を配するなど、従来高位の人、社会に著しく貢献した人に贈られるもので、正に当時の義賊と賞賛されたことが伺えます。非公開寺院ですが、予め申し込まれると拝観可能のようです。円山公園、音楽堂の前に佇んでいます。 円山公園円山公園の再び坂本龍馬・中岡慎太郎の銅像明日は、八坂神社から建仁寺へ参ります。
2019.01.28
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仏像の種類の応用です今年1001体の千手観音も国宝に指定されました何故三十三間堂と言うの西国三十三ヶ所観音霊場札所と言いますね観音菩薩は他の仏さんに三十三変身されると言われています三十三の間は扉で仕切られ 日本一長いお堂になりました 観音菩薩 風神 二十八部衆 雷神 修学旅行には、欠かせない観光地のようです。でも時間を急ぐのか小走りに廊下を駆け巡るだけでどれだけの印象に残るものか惜しまれます。中央に 本尊十一面千手千眼(せんげん)観音坐像 そして四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)四天王の覚え方 中学生に教わりました じ・ぞぅ・こう・たそしておっちゃんの好きな麻雀で とん・なん・しゃ・ぺ と夫々本尊の四方の守護を担当するそうです観音立像千一体の多さに驚きますがその前列の国宝の二十八部衆像に 風神・雷神目を留めてほしいです。1体とは始まりを意味します。それにしても、仏様一体でもご利益は届くと思いますが、後白河上皇は、数の多さで臨まれたようです。世界文化遺産並みお堂と考えられます。 【蓮華王院】 【三十三間堂】 天台宗 (東山区) 開基 後白河上皇 山号 なし外人観光客・修学旅行には、人気の高い寺院です。明治の煉瓦風の建物「京都博物館」の南向いに有ります。受付を入りますと、長方形に三十三の間の扉で仕切られた、日本一長い建物に驚きます。観音さまは、人の願いに応じて、三十三身に変化される数に合わせているようです。更に堂内に入りますと、これまた観音さんの立ち姿の多いことに、感歎の声を発せられます。 何せ、真ん中に十一面千手千眼観音菩薩坐像【国宝】(仏師法印湛慶作)が蓮華坐に安置され其の両脇に五百体づつそして、その裏手に一体の十一面千手千眼観音菩薩立像が所狭しと整然と並んでいます。 そして観音菩薩の護身役として前列に二十八部衆と風神雷神【何れも国宝】が並んでいます。左右対称の場合は、本尊より左手が上位です。(私達より向かって右側)例えば。「雷神・風神」「仁王の阿・吽形像」「梵天(宇宙)・帝釈天(太陽)」この形式は、「清水寺」も観られましたし、外でも良く観られますので、参考にされるには、最も身近に大きいお姿で拝観出来ます。頭痛のお守り 何でも「後白河上皇」頭痛持ちだったそうで、物事思い通り成らず今でいうストレスが激しかったのでしょうか。夢のお告げにより、紀州「熊野権現」の附近で、自分の頭蓋骨にすすきが生え、その穂が揺れる度に、ずきん・ずきん痛むと。そのことにより34回に及ぶ「熊野行幸」され参詣されると共に、「平清盛」に命じて、数の量の多い仏を祀り頭痛納めに努められたと言う伝説も有ります。お守りの中にも「頭痛封じ」が有るのは珍しいです。通し矢の場所 廊下を巡ると「通し矢」の歴代の名人の額が掛っています。現代でも伝統として、正月成人の日に、女性による「通し矢」の行事が行なわれています。何故?男性も参加できるのですが何時しか女性の晴れ着姿に定着しました【お柳と棟木の由来】 「昔紀州の殿様が鷹狩りをしていました、すると大事な鷹が、柳の枝に絡みつき離れず、短気の殿様が家来に命じて、木を切ってしまえと、其の時弓の名人横曽根平太郎が名乗り出て、枝を払うことで無事、鷹が救われ、柳の精が喜んだ」後に弓の名人の許に「お柳」(おりゅう)と言う別世の美人が訪れ、お嫁にと二人の間に「緑丸」が産まれました。平和な家庭でしたが、ある時、お柳が悲しくも「私は実は貴方に助けられた柳の精です。京の都に狩り出されることに成りました」と実は此処三十三間堂の「棟木」に供出されることになったのです。でも誰の手でもびくとも動かなかった柳の木に、「緑丸」が優しくお母様と泣く泣く言って、手で優しく摩ると、動き出したと言います。廊下の壁に「三十三間堂と柳の棟木」と題して、掲示されています。皆様、急がれるため殆ど見ておられません。 仏師「西村公朝和尚」さんの二十八部衆の面白い観方を一部披露します。 【神母天王像】は【鬼子母神】 (きしもじん)関東では信仰が厚いそうです。シンバルを両手で鳴らし、その音を目を真中に細め、静かに聴こうとしている彫刻。 我が子が500人も有りながら、他人の赤ちゃんを見ると全て食べてしまう鬼女でした。お釈迦さんが堪らず、彼女の子1人を隠されましたところ、彼女は気が狂ったように泣き叫び探したそうです。其処でお釈迦さんは「500人の内一人でも亡くした母親の悲しさ、喰われた他人の母親の嘆きや如何ばかりか」と諭されました。心を180度改め,幼児を護る安産の福の神に成りました。【阿修羅王像】 (あしゅら)喧嘩・闘争を好み、梵天・帝釈天とも闘いました。これも、お釈迦さんに諭され仏の味方と成りました。眉間にも目がある三つの顔を持ち合わせています。 奈良・興福寺の【阿修羅像】は、東京でも大人気となりました。私個人としても、仏像で最も愛好しています。【迦楼羅王像】 (かるら)コブラ(蛇)を常食の巨鳥。鳥頭人身の形を採り、横笛を吹き、右足先で リズム・調子を採るユーモアな像に観られます。インドの神さまです。【帝釈天王像】 (たいしゃくてん)右手に太陽をあしらった鏡を持っています。【摩喉羅王像】 (まごら)眼が眉間も合わせ5個もありますよ。 こうして観ていきますと「仏像」にも興味が沸いて来るのではないでしょうか。二十八部衆は皆国宝でゆっくり観察してみたいです。【十一面千手千眼観音菩薩】 (じゅういちめん・せんじゅ・せんげん・かんのんぼさつ)形として両方に20の手しか有りませんが、一つの手に25の法力を持たれ40×25で1000とされ、実際千の手に近いのは、奈良・唐招提寺の観音菩薩。大阪葛井寺(ふじいでら)そして京都府京田辺の宝壽寺です。正面 次回は、三十三間堂の周辺のご案内をしてみます。
2018.05.22
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