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夕べ、夜の11時ごろ、娘とスーパー銭湯ざぶんに行ったんです。前に行った時は、昼間だったのですいていたけど、平日なのに、夕べの混み方にはびっくり。しかも11時過ぎでっせ。でも、ざぶんの売り物、露天風呂は本当に気持ちよかったです。顔は冷たくて、体はほかほか。ざぶんは全部で5,6種類のバラエティー風呂で、どれに入ろうか迷ってしまうのですが、私が気に入ったのは、露天風呂の、腰掛タイプで背中にちょろちょろ熱いお湯が流れるタイプ。胸や腹が丸出しのところが、なんとも不気味な眺めでしょうが、空気の冷たさと、背中や足のあったかさのバランスが絶妙で、それでも15分も座っていると、じんわり額が汗ばんできて、体中ほっかほかにあったまります。あれで500円って、なんだかとってもお得って感じで、思わず会員になってしまいました。また行きたいな。ウォーキングしたあとに、一風呂。最高でございました。
2004年01月29日
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日本中で携帯電話持っていない、赤ちゃんと年寄り以外の普通の人って、私だけじゃないかしらんと思っていたけど、仕事に使うことになったので、ついに買いましたわ。でか文字。1円。AU.ハワイでは携帯使っていたんだけど、やっぱり日本の携帯ってすごいなあ、って、今さら言うのも恥ずかしいことですが。色々な人からの着メロダウンロードして決めるのに、1時間もかかってしまって、この辺とっても初心者マークだなあと思うんだけど、いざかかってくると、どきっとして、慌てて消したくなったりして。街中だと、あまりよく聞こえなかったりするけど、家の中で鳴ると、結構普通の電話よりけたたましくて、飛び上がりますね。かと言って、あまりおとなしいメロディーにすると、私なんか、ずえったいに外では聞き逃すだろうし。なんかこれって、今日本にいる人が読んでも、さっぱり面白くも珍しくもない日記だろうな。すみません。個人的には結構嬉しかったりしたもんで。
2004年01月27日
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学生時代にお茶名取りました。裏千家です。ちなみに今は全く茶道とは無関係な生活です。…ということで、言い訳になるかどうかわからんが…。娘が抹茶入り玄米茶が大好きなんですわ。で、母がお茶用のおいしい玄米をくれたので、煎茶に混ぜていたのですが、母と会ったあとのある時、うちに見慣れないお茶の缶が。蓋を開けると、ミドリのコナが。これは抹茶ではないか。なぜうちにこのようなものが…きっと母がくれたに違いない、と思い、娘のために、玄米茶にサカサカサカ、とその抹茶を沢山混ぜたわけですね。で、早速そのお茶をいれてみると、なんだか、古池や、蛙飛び込む、っていうような毒々しい色のお茶になったのですが、飲んでみると、案外香ばしくておいしい。さぞかし娘も喜ぶだろうと思って、それ以来、娘がいる時にはそのお茶をいれ、3週間。久々に母が来たのですが、「ねえ、この前あげた青汁、飲んでる?」………………(~o~)そういえば、母が青汁の粉をくれると言っていたのに、すっかり忘れていた。途端に娘の顔が、ひきつり、そこでひょっとしてと思った私は、例の古池色のお茶を母にさしだし、「ねえ、ひょっとして、…これ…」そこで娘が「やっぱり!!!!」と、素っ頓狂な声を張り上げたのでした。「どうも変だと思った。抹茶の味なんかしないし、なんだか変な味だし、ママは抹茶を混ぜたっていうけど、まずくて飲めないから、飲んだ振りして捨ててたけど、ママは私が好きだと思ってこればっかりいれるし、」がーーーーん、(~_~;)!(^^)!私は3週間も、青汁茶を抹茶いりだと信じて飲み続けていたんだわ。そうとも知らずに、おいしいおいしい、やっぱり自分で作った抹茶入り玄米茶はおいしいなあ、とか思って。天国にいるお茶の先生、ごめんなさい。私は抹茶と青汁の区別もつかない、大馬鹿者の弟子でした。でも…ほんと、おいしいんだってば!
2004年01月25日
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オレゴンにいる息子とチャットをやって、なにか問題とか不安なことあるかどうかを訊いたら、「別にないけど、しいて言えば、韓国焼肉を食べに行って、馬鹿な友人が馬鹿な友人に、なあ、牛肉大丈夫かな、と訊いたところ、大丈夫だよ、韓国焼肉は韓国牛なんだから、と言っていた」………。息子が日本の中学を卒業して、ハワイに移住した時、某T学園で一緒だった友人から、葉書が来ました。表書きに、「アメリカ合衆国、ハワイ州ホノルル市」と、縦書きの日本語で、ハワイでのうちの住所が書かれていました。ハワイだったために、日本語のできる局員が、英語に直してくれたらしく、赤線訂正の葉書が無事届いたけど……。高校生でっせ(~_~;)。アメリカに手紙送るには、英語で宛先を書かなければならないって、誰も、教えてあげなかったのかなあ…………。まあ大笑いですみましたが、今は息子はアメリカのちゃんとした州立大学の学生。所変わって、年齢変わっても、類は友を呼ぶと申しましょうか、豚児の友人はやっぱり豚児でありました(~_~;)ちなみにうちの息子の家でのニックネームは、豚ちん。豚児(とんじ)という言葉が愚息と同じ意味だと、初めて知った母親は、(恥ずかしながら)、一人おおはしゃぎで、チャットで息子に「豚児」を連発し、「消えろ!!」と言われました。
2004年01月21日
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久々の日記でございます。案じた雪も積もらず、センター試験が終わってまずはほっとしている学生さんたちも多いでしょうね。私もまとめのテストが終わり、やれやれです。毎日一生懸命勉強して、沢山難しい言葉覚えたのに、そういう穴埋めは全く出なくて、次の言葉を説明せよ、とか、方法を3つ以上述べよ、とか、完全な記述式だったので、してやられたり、という感じでした。まあ、秋にある検定試験のためには、いずれは覚えなければならないことが多かったので、無駄にはならなかったと思うけど、言葉だけ覚えても仕方なかったということを実感しました。教壇の前に立ってやる、実技の試験はうまくいったのでよかったよかった。笑顔がとってもいいです、とかほめられちった(*^_^*)そんなこんなで、よく勉強した一週間でした。学生と違って、家事やら仕事やら主人の介護やら通院やらをこなしながらの、時間を見つけての勉強だったので、結構大変だった。さあ、今から勉強しよう!と、張り切っても、なにか用事ができてしまって出鼻をくじかれたり。その割りに夜は弱くなって、徹夜とかできなくなったし。いつも思うことだけど、学生は他のことに気を取られずに、勉強したいときは、勉強だけしていればいいんだから、学生の時になんでもっと勉強しなかったんだろうな…と…。まあ、いい脳細胞の活性化になりました。また今日からまじめに日記書きます。
2004年01月19日
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始まるんです。でもって、来週は試験。脳細胞が死滅しつつあるので、暗記が大変。日本語教師になる勉強だから、日本語がわかれば簡単でしょ、と思うでしょうが、これが、生まれてからこのかた聞いたこともない言葉がたくさん。口の中の構造、(歯茎硬口蓋と硬口蓋歯茎とか)、からオノマトペとかミムメムとかいう、わけわからん横文字まで。冬休み、遊んじゃったよお、という、学生以来久々の後悔にうちひしがれております。って、そんなこと嘆いている場合じゃない。さっさと勉強せんかい。はい、勉強します。
2004年01月09日
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なんだかやっぱり、日本にいると、お正月が終わった、とはっきりわかるから不思議。突然のように仕事の電話が沢山かかってきたり、街の空気が、お正月っぽくなくなったり。お正月が終わり、息子もオレゴンに帰って行きました。今度はいつ会えるんでしょう。おかげで賑やかなお正月でした。息子の通っているオレゴン大学がある、ユージンという町が大雪だそうで、飛行場が閉鎖されているらしく、肩をすぼめて、緊張した面持ちで成田行きのバスに乗って行きました。ちなみに主人が卒業したのも、オレゴン大学。親子2代ですが、時代が違っても、アメリカの学生って、日本の学生よりは変わっていないみたい。むしろベトナム戦争真っ只中で、ヒッピー全盛の主人の時代の方が、進歩的だったかも。当時は体育の授業が軍事訓練だったというけど、ブッシュが政権を取り続ける限り、主人の時代のように、いつ徴兵が始まるだろうと、心配の種は尽きません。自衛隊の人たちは今頃どんな気持ちだろうなあ。こんな筈じゃなかった、と思っている隊員も多いことでしょう。どうせなら、イランに行き先を変えて、地震の復興に貢献させてあげればいいのに。歓迎されない復興支援隊って、志気にもかかわるでしょうね。
2004年01月07日
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今まで食べた物で、自分の中でベストファイブという食べ物がありますよね。私の場合、その中に、お友達のご主人の作った太巻きというのが入るのです。大学の教授をしていらっしゃるそのご主人、ともかくこだわりの方で、家の中にプラスティック製品は置かない、とか、インスタントのものは使わない、とか、徹底していらっしゃるのです。その割りに、最近ではユニクロに凝っていらっしゃるところが、微笑ましかったりするのですが(~o~)以前そのご主人が、子供の運動会に太巻きを作ってきてくださったのですね。その太巻きの美味しかったことと言ったら、ともかく、今は色々なところで、変わり太巻きやらすごく太いものやら出ていますが、そのご主人の太巻きはオーソドックスでいながら、その切り口の芸術的なまでの美しさ、ほおばった時の味のミックス具合といい、もう、極上のしろものなのです。なんせ、アナゴは明石のアナゴ、鯛は一匹買ってきた鯛を焼いてほぐして、丁寧に骨を取って、煎り、半日かけてでんぷを作るという凝りよう。ご飯の部分はむしろ少なくて、きゅうりが入っていないところが、(みつばは入ってるけど)上品な仕上がりになっていて。ともかく、ハワイに行く前に夢にまで見て、もう一度是非食べたいとリクエストしていたのですが、いいアナゴがはいらないということで、断念していたのですが。昨日突然、「主人が太巻き作ったので」と嬉しいお電話。早速届けていただき、本人は失敗作で不満、と言ってらしたということでしたが、どこが失敗作なのか、いやぁ、もう、感動の再会(というのかしら)でありました。歯茎が痛いのもしばし忘れ、夢中でほおばってしまいましたね。(あとで痛くなって大変だったけど)幸せな味を本当にありがとう、と感謝の気持ちで一杯のお正月でありました(^^♪
2004年01月04日
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前にも書いたけど、年末ジャンボ、籤運の弱い私の代わりに、娘に買ってきてもらったんですよ。ばらで30枚、大枚9000円払って。念願の2億長者は夢と消えましたが、なんと、娘はやっぱり当ててくれたんですねえ、13000円!!すごい。4000円のもうけでっせ。今日は早速二人で、まるいのバーゲンだ。4000円分だけなにか買ってあげることにしようと思っています。日ごろお小遣いも全くあげていないもんで。色々夢に描いていた、3億2億1億は、泡と消えた人がほとんどでしょうが、1万はあたった人、結構いるんじゃないかな。なかには5万も買って、1万当たったという友人もいるんだけど。一万当たった人、何しますか?それより、億当てた人、(そんな人はこの場で公表してくれないだろうけど)一体どんな気持ちなのか、知りたいなあ。こっそり教えてくれません?
2004年01月02日
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平和な年明けでございます。おかげさまで家族揃って、年を越すことができました。昨年一年を振り返ると、まさに波乱万丈の一年でした。お正月はまだハワイにいました。主人もまだ比較的元気で、ニューヨークから帰ってきたばかりの疲れもあまり出ていなくて。日本に帰ることを決めたので、ぼちぼちと荷造りなど。息子がオレゴンへ帰ってしまったあと、1月半ばに娘が日本へ帰るのにつきあって、私も一時帰国。両親が町田から鎌倉へ引っ越すのを手伝い、この時点で、私の両親の所に居候していた娘の荷物をまとめ。主人が帰国してきて、わずか10日間の間に家探し。この頃、主人の歩くスピードがすごく遅くなっていることに気づいたんですが…久々の日本で、寒くて神経痛が出たんだろうと…。そこで気づいていれば、あれほどの大事にはならなかったでしょうに。とにかく、日本へ引っ越してくるのは2月末と決まっていたので、住むところだけでも決めておかないとと、20軒くらい探して、ようやく古巣の玉川学園にあるテラスハウスに決定。大学の春休みに入った娘を連れ、3人で再びハワイに戻り、引越しの荷造り。日本から戻って一週間後に、3人で、息子を訪ね、オレゴンに。帰りに叔母のいるロスへ寄ろうと、まずはポートランドに行ったのですが、雨季のポートランド、珍しく快晴ですばらしい美しさ。息子のいるユージンに行く前にポートランドを少し楽しもうということで、街に出て歩き始めた途端に、主人は左足ふくらはぎに痛みを訴え、歩けなくなってしまったのです。ちょっと歩いては痛くてしばらく休み、そんな風にして、本人も私も神経痛にしちゃちょっとおかしいとは思っていたんだけど、とにかく、息子の所へ行かなくては、と、痛みを押して、ポートランドから車で2時間半のユージンへ。わずか一泊でしたが、息子は元気に大学生活を送っており、飢えたようにおいしいイタリア料理を平らげ、そして、我々は息子に別れを告げ、ロスに。ポートランドの空港で、既に主人はほとんど歩けなくなっていましたが、本人はずいぶん我慢していたんでしょう。大丈夫大丈夫、と、ロスへ。ロスではいとこや叔母が迎えに来てくれていて、アウトレットに行くのも車椅子を借りてくれたので、なんとか痛みを抑え、とにかくホノルルまで戻ってきました。すぐに医者に行こうにも、丁度春の連休。引越しは近づくし、とにもかくにも荷造り。ようやく医者に行かれたのが、帰国の4日前。血栓ができているとのことで、入院と言われたのを、強引に注射をもらって、自分で打ちながら、引越しを終え、日本に帰ってきました。その時の主人はもうほとんど、歩くこともできず、3歩歩いては、はあ、はあ、と、痛みと息を切らせる状態で。また折悪しく、日本は土曜日。月曜日にようやく以前の主治医に行ったところ、血栓はもう溶けているけど、動脈硬化だと言われ、それよりなにより、心臓がハワイに行く前の倍以上に膨らんでいて、大変だということで、北里大学病院で検査、入院とあいなったわけであります。入院中に脳梗塞、右、言語麻痺、40日の入院後、自宅でリハビリ、夏に倒れて救急車で再入院。この時ももう駄目かと思いましたが、なんとか蘇生。ついた病名が特発性拡張型(うっ血性)心筋症なる難病。やはり40日の入院生活を終え、ようやく自宅へ戻れたのがもう秋。言語、右腕のリハビリを続けながらも、お薬が合ったのか、以前のようなはあはあはなくなり、一時は医者に切断すると言われた、動脈硬化の、ニシキヘビのようになっていた足も普通の細さに戻り、200メートルぐらいは歩けるようになりました。そうして、頭はどんどんはっきりしてきて、元気一杯。言葉もまだ単語は意味不明だけれども、文節はきちんと言え、会話も沢山成り立つようになってきて、冬休みで戻ってきた息子と、家族四人でめでたく新年を迎えられることにあいなりました。めでたいめでたい。こうやってざっと並べ立てると、本当に大変な一年で、そのつけが私の歯茎が腫れたことでしょう。一年の疲れが歯茎に出たってことかな。今年はとにかく、私は頑張って日本語教師の資格を取って、美顔器や化粧品の販売も頑張って、(あんまり頑張るって言葉、好きじゃないんだけど、ま、適当に楽しみながら、ね)今まで主人に色々してもらってきた分、今度は私ができるかぎりお返ししようかと思っております。今年は平和に静かに、主人の回復を手伝いたいと思っています。
2004年01月01日
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