かみかくし日記

かみかくし日記

2004.05.02
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中野デート。喫煙者の夫、スタバ初体験。ディキシージャズ。夫がバンジョーやマンドリンを弾けることを知る。(さすが自由劇場系)図書館でカードを作成する。

川島商店街でおつかい。夫またまた、某学校の生徒さんに遭遇挨拶される。いつもこんな気を抜きまくりの状況で。
ゴーヤチャンプル、トマトのジャコサラダ、手羽焼きなどの夕食を食べ終わる頃、「どん底」の黒川さんから電話。Iさんが店に来ているそうで、お誘いである。

というわけで夫と「どん底」行き。カウンターではIさんが、もう飲んでいる。もう何度か会っているのに、いつも初対面みたいな挨拶をしてしまう。
黒川さんの紹介でIさんと夫が出演した映画が、カンヌ映画祭で入選したとのこと、ただし学生部門でね。
夫もIさんも、テレビや映画でちゃんとキャリアがあるから、自主映画でどうのこうのというのはないんだろうけれど(43歳で夫は初めて自主制作に出た)、最近のIさんのお仕事はエレベーターの取り付けだそうだ。役者として立派なんだか、悲しいんだかわからないが、とにかく励まされる。

そして留置所話を面白く拝聴する。
いいなあ、最後刑事に「ごめんね。逮捕して」と言われる人生。

次回公演の話なども、話題に上る。

出演交渉の攻防はまだまだ始まったばかり。

黒川さんから見せてもらったチラシに、ベテランの俳優さんの作った劇団の旗揚げ公演なんだけれど、謳い文句が「映画的。演劇を超えた世界」とあって一同唸る。

最近凄く思うのは「映画的」と自分で謳う劇団は、ダメだと思う。何を思って舞台の上で芝居をしようと意図しているんだろう。
もちろん結果「映画的」「演劇的でない」「演劇を超えたものが」と評されるいい芝居というのはたくさんあると思うけれど、自ら宣言するのは「わたし人に優しいです。これからあなたに優しく接します」って言われているみたいな恥ずかしさと歯がゆさがあると思う。

何をもって映画的というのか?
情報量?吸引力(集中させる力)?台詞の少なさ?
まずそれを定義してから、宣言して欲しい。

そして、基本的には映画も舞台も同じだけれど、役者がそこにいて、次に何をするか・どういう顔をするかの広がりというのは無限だと思う。
でも、その広がりを好まない流れはあると思う。観客にも、作る側にも。知っている流れ・パターンに早く分類してしまいたいという焦りみたいなものを感じるのだ。

作る側として、若い観客の「発見のなさ」みたいなデジタルな反応には本当に不安になる。その流れにはまらないと、分からない→つまらない→即却下と判断するからだ。
「わからないけど、なんだろうこれは?」「腹が立つけど目が離せない」とか、驚き、反発、分析、そういうものが無くなってきている感じ。とにかく共感、芝居に求めるモノは「ああわかる」「ああこれ面白い(ツボ)」。とにかく共感できなきゃ範疇外なのだ。



明日初出勤なのに、2時近くタクシーで途中から合流したユウサクことハシモトさんと帰宅。
もしかしたら、今日はチャレンジの日だったのに、がっかりするやら、ほっとするやら。でも、夫は少しご機嫌だった。やっぱり同年代の同業者からは、いっぱいもらうモノが多いみたいだ。





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Last updated  2004.05.02 16:26:25
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