♪アトリエえんどうまめ 今季洋の日記。

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2006.05.30
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今日の午前中書いた理論から行くと

すなわち
神=上位の存在の「愛」ということに
なってしまいます。

つまり
上位の存在は
厳しいだけの
霊的成長を促がすだけの存在に


上位の存在が
より「愛」を発動させた時には
より厳しい試練が訪れることになってしまいます。

これは「1」の視点です。
だから
西暦1000年代は
それでも良かったのかも知れないのだけれど。

これからは
そうではないはずです。
なにしろ
西暦2000年代に入ったのだから。


どのような存在かな。

生きていることの幸せを享受することをよしとする
慈愛に満ちた存在、ということになります。

これが慈悲の心なのでしょうか。

慈悲の心とは、すなわち

それだけでもあなたは
十分に価値ある存在なのだよ」ということを
お互いに認め合う、ということです。

そうですね。
やっぱり私も
「北風と太陽」のお話を
思い出してしまいました。

日曜日に読んだ本(『神秘学の本』学習研究社)によると
フロイトと決別した後ユングは少し精神的におかしくなって
家の中にたくさんの幽霊が行き来するのを見るようになります。

そして、その幽霊達は
「我々はエルサレムから戻らねばならない。
そこに我々の探していたものはなかった。」
とユングに言ったとあります。

これこそが
西暦1000年代から
西暦2000年代への課題を
言い表していると
私は思います。

実はわたしも
このユングが見たのと同じ存在と
出会ったことがあります。

詳しくそのことをここに書くことは
控えるとして、
でも、シュタイナーの著名な研究家も
ここに書いたのとまったく
同じことを言っていました。

なので
ある意味
これは

多くの人たちが
受け取っている
とても大切な
スピリチュアル・メッセージに
他ならないのです。

≪しかしながら、
この「存在すること」を大切にする視点にも
残念ながらさまざまなレベルが存在するのも
事実です。

ユングいわくの
「個性化」がまったくなされていない人
つまり自分自身の
意識と無意識の統合が
まったくなされていない人は

自分という存在を絶対視してしまいます。
そして、自分に都合の悪いことは
すべて周囲のせいであると
責任を周囲に存在する他者に
押し付けてしまいます。

そのようなことが出現した責任は
自分自身にあります。

100%といわないまでも
少なくとも半分は
自分自身にあることの責任は
自身で取ってゆくべきでしょう。

それがなしえないうちは
同じことが何度でも
くり返されることになります。≫

わかりました。
ほんとうに
そうですね。





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Last updated  2018.11.24 10:24:57


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