♪アトリエえんどうまめ 今季洋の日記。

♪アトリエえんどうまめ 今季洋の日記。

2008.01.14
XML
テーマ: 十牛図(49)
カテゴリ: 十牛図
十牛図の本

ここで取り上げているテキストは
『たましいのこと 十牛図で考える人生』
松村潔・著 ユビキタ・スタジオ です。

『あらためて十牛図の絵を描く講座』にむけて
自分自身の認識を深めるために
テキストの読み直しをしています。

ここにアップしているのは
そのための覚書です。

<この表記>は

写し書き部分です。






<第一図から第六図までの長い旅をして、やっとわたしたちは「自己意識」を手に入れる。自己意識という言葉の意味もわかりにくいが、自己実現とか自己達成など自己に関係した言葉は良く使われる。自分を中心にして、世界のすべてが焼き直しされ新たに意味づけられていることをあらわすのではないか。> P.89

<第一の植物的なわたし、第二の動物的なわたし、第三の印象を制御するわたしの三つが統合化されて、知・情・意の調和した人というものができあがると、本人の意図と無関係に暴走する部分はなくなってくるので、行きたいところに行ける。> P.90

<第六図の、印象の検閲をしつつ行為や努力の継続がなされる中で、第七図の自己を手に入れるということは、第六図の努力の継続は止めてはならないし、日々改良もしなくてはならないので、これで終了しましたという段階は存在しない。>


小さな家、大きな家

<巨大な家から小さな家まで連鎖していて、ひとつの家はより大きな家の中に内包されて、マトリョーシカのようだ。個人の生き方というのは、集団の生き方の縮図であり、また多くの個人のなした成果は、集団に影響を与えて、互いに鏡のように反射しあう。>


時間の中の家=暦

<自然的なものは計量化の枠にはけしておさまらない複雑さを持つので、常にわたしたちはどんなものに対しても近似値だけを活用することになる。> P.95

<カレンダーは時間リズムの中においての「家」なのである。それは季節の変化や自然な太陽や月の運行リズムが人間生活の中に入り込むのをせき止めて、別の時計で生活することなのである。> P.95

<西洋版の家は、自然界のリズムから遊離する度合いが増した家で、東洋版の家はより自然界に近いといえる。これは時間の中での家としての暦は、グレゴリオ暦と、太陰暦の違いであるように見える。日本がこの西欧的な時間の家としてのグレゴリオ暦になったのは明治5年からだが、それ以前はあまり風雨をしのぐとは言えない、わりに自然リズムが素通しで入ってくる旧暦が使われていた。ここでは、月のリズムがグレゴリオ暦のように完全に無視されるわけではないのだ。> P.97





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.01.27 14:01:40


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

今季 洋

今季 洋

Calendar

Archives

2026.08
2026.07
2026.06
2026.05
2026.04
2026.03
2026.02
2026.01
2025.12
2025.11

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: