♪アトリエえんどうまめ 今季洋の日記。

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2008.01.18
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テーマ: 十牛図(49)
カテゴリ: 十牛図
.第九図


『たましいのこと 十牛図で考える人生』
松村潔・著 ユビキタ・スタジオ です。

『あらためて十牛図の絵を描く講座』にむけて
自分自身の認識を深めるために
テキストの読み直しをしています。

ここにアップしているのは
そのための覚書です。

<この表記>は

写し書き部分です。



第九図 返本還源

里から山へ、そして宇宙へ
<山は聖地でもある。それは異界との接点であり、不思議なことはみな山で起こる。恐ろしい妖怪が住んでいるかと思うと、超越的で聖なるものもそこに住んでいる。> P.117

主客転倒体験
<第八図と第九図の設計図は、第七図の中で用意されていて、第七図の中の月と山は、それぞれ現実の第八図と第九図に関連性が保たれているということだ。>P.119

日常の些事からの解放
<町の中の富士塚が現実の富士山と結合するプロセスは、わたしたちが第七図に閉じ込められている原因そのものを解放することで達成される。町の生活の中で、町それ自身が植えつけてくる欲望に染まり、町の中で成功するという欲求から手を離す必要があり、そのためには欲求をみたさなくてはならない。満たしたあげく、その先には何もないことを知り、退屈することが肝心だ。感情の浄化とか、否定的な思いを抱かない訓練とも関係することが多い。自己想起が第一番目の訓練だとすると、第二番目の訓練はこうした、天女を天に戻すこと、すなわち感情の浄化と解放に関係する。捕まえることで捕まえられる。捕まえられたくない場合には、捕まえないことが必要なのだ。> P.121

山の中に第四の私(主人)がある
<第一の植物的なわたし、第二の牛としてのわたし、第三の印象を制御するわたし。この三つは、感覚、感情、知性にたとえられているのだが、この三つだけで機能するなら、第八図と第九図のプロセスは必要がない。わざわざ里を捨てて山に入るのは、次の段階である第四のわたしがそこで発見できるからだ。> P.122

<仏教の言葉では、このように、無から宇宙の森羅万象が発生することを「生起次第」と呼び、また森羅万象がひとつの源に回帰することを「究竟次第」と呼んでいる。どの生命にも、この上すなわち無から下すなわち有へ、下から上というふたつの相反する流れが同時体験されている。すべての生命はこの両方の流れが行き来する橋としての存在であり、上と下に別の生命圏があって、わたしたちはその大きな生命の輪の中の、鍵盤の一つなのである。>





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Last updated  2019.01.27 14:07:33


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