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最近 アメリカ本土では 蜜蜂たちの 原因不明の死が 深刻な問題になりつつある。蜜蜂が 花粉を 運ばないと 畑の作物に 実がならない。全ての作物が 蜜蜂の 花粉の交配に 頼っているわけではないと思うが それにしても 死そのものの 原因が 判明しないので 今の所 手のうちようがない。検査による所では 一匹の 蜜蜂から 数種類の 病原菌が 発見されるのが 特徴らしい。どうして 一度に 数種類の 病原菌におかされるのだろう?これはあくまで 私のカンだけど 遺伝子組み替え操作による 作物の 花粉や 密と触れる機会の多い 蜜蜂たちの 免疫システムが ついに 異状を来したのでは?と思った。あんなに小さな身体だから 短時間で反応がでるのでは?とも思った。最近 ここオアフ島の ノースショアの 2,500エーカー(1,000ヘクタール)の土地が遺伝子組み換えプロジェクトによる 試験畑として 買い取られたというニュースを聞いた。実際のところは 小さく区画分けして 一般の農家へ 貸す方向だという話しも聞いた。つまり借りた人たちは そこで何が起こっても なにも言えなくなるし 反対運動にさえ 参加できなくなる。つまり お金の コントロールが そこにある。誰が そのプロジェクトに来て欲しいのだろう?土地を売った人(お金関係)と 税金を徴収できる ハワイ州(お金関係)だけが彼らが やってくる事に賛成だ。その 会社の目的は アメリカをあるいは 世界中を食糧難にし マーケットを独占したいのだろうか?私は この先 日本で 無農薬農家を 営む人たちの声が 世界に届く日が来る日は近いと思っている。チベットの お坊さん(お医者さんでもある)が 言っていた。食料は 薬でなければならない。薬は 食料でなければならない。そうして 私達の身体は 安全に 癒される事が出来る。医食同源。そんな言葉のある アジアの 人たちの知恵が 加速的に 世界を巻き込む事を 夢見ている。
2007年04月07日
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だった事さえ 忘れて 鼻水が流れ しゃがれ声の状態で 仕事してました。 耳の炎症から始まったこの症状 風邪のようですが 感染性の風邪とは また別のもの(と思っている)本来 完治するまで 仕事に 出ないのが プロなのですが 税金申告のこの時期 そうも行かず 訴えられたら 保険でカバーするということで 出勤。今回の 税金 何を思ったか 年度末に 割出された 税金金額を 今年度 分割で払うという かなり 大胆で 個人的な 大勘違いをしていたために 本来 年収を 見越して 概算を 数ヶ月おきに(経営者などの場合)おさめる システムを すっかり無視。思い起こせば それらしき 手紙が 税務署から 2度ほど来ていたのにも 関わらず それも 大勘違いで 前年の 支払い後の 行き違いの手紙だわと 破り捨てたのだけは 覚えている。ちなみに こちらでは 申告と言わず タックスリターンというのが 呼び名で それもそのはず 見越した 年収が 実際より 高ければ 当然 税金も 支払い過ぎという 処理をする事から タックスリターンなのだと 今の今になってわかった。仕方がない 自営業になってから まだ 一年半。亀の歩みで 学んでます。その税金の結果が エイプリルフールで あって欲しかった。来年は 戻って来る 申告をしたいと思う。なすが ぐんぐん育っている。花が次々と咲き ハイブリットと 名のつく 苗らしく 成長も早く けれども こんなに実をつけると 木がどこまで 持つのやら。花を 咲かせすぎる 木は 老いが 早いと 聞いた事がある。人間は それとは 逆の 構造かもしれないと 思った。テストで植えた イチゴも なんとか 実になって来た。トマトも この頃の日差しの強さに 赤く色づき始めた。しかし 今夜は また 冷え込んでいる。今年の ハワイは どうしたものか 寒い日が いまだに続く。夏が恋しい!
2007年04月02日
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仕事で 疲れて 眠かったはずなのに 二時前に 目が覚めて 寝付けずパソコンを 開く。導かれるように smile windさんの ブログから 彼女の もうひとつのブログ 自然の写真集に たどり着いた。光が テーマの 美しい 写真の中に 天使を 見つけながらなぜだか 前の日記を たどっていた。11月11日の所に 六ヶ所村と 言う文字が見えて 手が止まる。ハワイへ 引っ越す前の数年。私は そこで 暮らしていた。一日に3回波乗りをし 冬には 白鳥がやって来る 尾駮沼の 近くに住み夜は 飲食店で 働いていた。 秋には サケが 川を上り 年に数度 イワシが 浜に 打ち上げられ近くには かなり質の良い(味も)ニンニクや 長芋を 日本中に 送り出す農家があり 米の産地でもある。私が住んでいた頃は 核廃棄物処理工場の建設が 間もなく終了すると言われていた。夜 お店に来る お客のほとんどは 工事現場で 働く人たちだった。北海道から 沖縄まで 日本中から かき集められた 労働者たち。その中には 銀行の金庫の扉を 専門に作る人、潜水工事士などもいた。その頃は 工場の排水、排煙のために 建設されていたと思っていたパイプや 煙突が 実は 廃棄物投棄の 目的だったと 彼女の 日記から 知った。煙突をどんなに高くした所で 海底のパイプをどんなに長くした所で 海流や気流に乗り 毒は循環して行く。どれだけの金額かは わからないけれど 建設費と人件費をかけた結果が 毒物廃棄工場として 世界へ向けて 毒を排出して行く。海底のパイプは 太平洋を向いてるはずで 北からのうねりは ここハワイにも来るのだから その毒だって ハワイへやってこないと 誰が保障できるのだろうか?原子力に 頼らなければ 本当に 日本の電気の生産量は 消費量に 追いつかないのだろうか?代替エネルギーと言われた 影には 実は そこから 一儲けしようとした人たちがこの工事を 途中で 終わらせることが出来ず ついには 毒物廃棄工場を完成させたのだろうか?どうして こんな大事なことが ニュースに取り上げられないのだろうか?一人の人間を 殺すと テレビでは 連日のように 同じ内容を 放送するのに大量の生物を じわじわと 弱らせ 殺して行く この工場の 運転開始がどうして ニュースに ならないのだろう?運転停止へ向けて 活動している人たちがいたら ぜひ連絡して 欲しい。
2007年01月31日
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ハワイ島で 10日間 キャンプや 乗馬を楽しんだ 友人が 昨夜 帰宅。冷蔵庫に 何もないと 電話が入り 遅めの ディナーに 招待。ズッキーニと トマトと バジルと マッシュルームの ガーリックソースパスタ。それと パパイヤシードドレッシングと ブルーチーズの サラダ。会話が 進むなり 一緒にいった 男友達の 愚痴が 始まる。今年の 私は もう そのモードを 単に 聞き流さない。その行為自体を 転換させることが 目標。それは 私のいる空間を 誰かの 吐き出す毒で 濁らせないためだ。で 友人に でもさ その人が 一緒じゃなかったら このトリップは 実現しなかったよね。じゃあさ ありがとうなんじゃないの?そこへ また 彼とは 特別な 関係には なれないと思うと 言いながら その理由を愚痴ろうとする。で だから そう思うんだったら そうしなくてもいいんじゃんと私。彼のことを 細かいことで 愚痴らなくても ただ単に 自分がどうしたいのか そのことは実行して 行けるはず。 問題は その彼にあるのではない。彼そのものを 受け入れられない 自分にあるのだから もう旅は 一緒にしないことだ。今年の 私は 波乗りも 違うけど この流れが 違う。通常なら 嫌だな~と思うことを 感謝しながら 見送れる。自分が 未来へと 向かって 歩いているのが 見える その未来は 明るい。 先日 急な 解雇の後で 私の人生に取って 最悪なことは なんだろうと 考えた。”8ftの パイプラインで ワイプアウトし 顔から リーフに 叩き付けられること”それが 答えだった。それ以外のことなど どうってことないと思える。自分の 泳いでいる 水の流れが 今年は 妙に 澄み渡っている。
2007年01月29日
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最近ハワイでは どの島も 遺伝子操作された作物を 作らない、買わないという動きが 一般に浸透しつつある。 日本では かなり以前からそうだし ヨーロッパもそう。 昨日 新しく出来た 農民による 作物の遺伝子操作反対の ためのDVDの試写会があり 以前サンタクルーズの パタゴニアに勤めていた 友人が指揮をとりながら 情報の反映に勤めていた。そもそも ハワイの農民には そのことに関しての知識が ほとんどなかった。 そこへ 本土から 大手の農薬会社が ハワイの土地で 農薬の 開発のための テストを始めた。 その後 その農薬会社は トウモロコシと 菜種の 遺伝子操作された タネを 売リ始め 代々引き継がれて来た 自然のタネを 持つ農家を 話しをでっち上げては 裁判にかけその人たちが 栽培 出来ないようにした。 その会社の関係者が 政治家になったり その会社に戻ったり した事実も 農民側の調査により 後になって 発覚した。 遺伝子操作された トウモロコシは 成長が早く どれも皆 同じ形をしている。そしてそれは 大量に 効率よく作れることから コストが下がりメキシコ市場を荒らしたこともある。 それで インドの たくさんの 農民が 生活して行けなくなり 集団で自殺するという事件さえ起こった。 ここハレイワにも 誰の所有かわからない土地に とうもろこしが 栽培されている。それらは どれも 同じ高さに伸び 成長が 著しい。サインには 飼料用とだけあるが 一体誰が 栽培しているのかは テロ行為を防ぐため 一般には 後悔しなくて良いように 決められているのだとか。 そこで どういう農薬が使われ どんなタネから 実を結ぶのか 住民の誰も知らない。 けれども そのトウモロコシの成長が以上なのは たくさんの 人が 話している。 日本では ラベルへの表示が 義務づけられているが ここアメリカでは そうではない。 つまり 消費者は 自分の口に入るものが 実は危険を潜んで いるかも知れないことを 知らずにいる。 ノースで 唯一 無農薬農業をしている人が コーンの栽培を 差し止められたことが 一番の打撃と言っていた。 日本でも 大々的に 減反政策が行われたことがある。 政府の倉庫に 米があまり過ぎているというのが 理由だった。家では 家族や親戚の分しか作っていなかったのに 面積から言って 減反するしかなく 親戚まで 米が回らなくなったことがある。産業のない 町に住む人たちにとって それは 田があるのに お金を出して米を買わなくては 行けないという 妙な結果となった。 何百年も 続いて来た タネは 生命力が 次の世代へと伝えられた証だ。それはそれだけでも 完璧だったのに どうして 遺伝子の操作をしなくては 行けないのかが 納得がいかない。 食物があり 人が生かされている。 人がタネを生かしているのではない。 それを勘違いすると とんでもないことになる。 これをきっかけに 少しずつハワイの農家に 関わって行こうと 思った。
2007年01月23日
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セロリ、人参、大根を 小さく角切り。皮をむいた ショウガをひとかけ 水に放り込んで湧かす。乾燥椎茸と 煮干しでだしを取り 野菜を煮込んで わかめをいれる。仕上げは みそで 味を付け 少しだけ 唐辛子を いれる。これが 最近の お気に入りの みそ汁。これを 炊きたての玄米に 納豆と一緒に 頂く。
2007年01月22日
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数ヶ月前から マッサージ学校の 経営者が 日本人に 変わったことを 何度かにわたって書いて来た。でも今回が最後。と言うのも 彼がついに 私の 解雇に 踏み切った。ハワイ州の マッサージセラピストや マッサージに 関する 経営の 法律の 中に個人契約において 解雇の 理由や 期限に 関しては 何の 表記もない。つまり いつ 理由もなしに 首に 出来るというもの。それでも 人と人のつながりの中で そういうことは まず起こらない。起こらない?それが起こった。休日に クリニックの 受付から どうして 来週から 2月末まで 仕事をしないのか?と問い合わせがきた。えっ?えっ?なに?詳しく 聞くと 私の予約表が 全て ばつ線で 埋まっているのだという。しかも 私に 連絡もなく。その彼女は すぐさま その線を 消した。その後 関係者に 電話を入れると オーナーのすぐ下で 校長の立場に ある人が翌朝 早めに ミーティングをしたいという。電話をくれた 彼女に 連絡して背後に 何か 大きな 問題が あるらしいから 元に 戻した方が いいよと言って そうしてもらった。もう だいだいの 見当は ついていたのだが オーナーが 私を 首に したいのだという。でも校長は 私が 生徒の時から 今まで ずーっと 私を 知っていて どうして オーナーが やめさせたいのか 正当な 理由が 全然 わからないという。オーナー曰く クリスマス前に 受付用に チョコレートの盛りつけをしているとき私が 00さんそんなことする人に 見えないですね~と言ったことが オーナーを尊重してないので それがいやで やめさせたいらしい。そのとき 私が 言ったことは これまで だれも そういうことを 思いつかなかったけどいいアイディアですねというものだった。 話しが 逆転している。つまり どういう理由であれ やめさせたいのに 私が その理由になるほどの 問題を 起こさないので ついには 話しをでっち上げて 追い出し作戦に 出た。学校を 買い取るほどの 大金持ちの 神経とは こう言うものだろうか?と疑問は多い。 しかも ここ数ヶ月 私に 何か 言うのに いつも 校長を 使って 電話をさせる。まるで 子どもだ。母親に 嫌いな子がいるから 行って何か言ってよ,僕のために~って言ってるみたい。本当に 経営というものに 真剣に 取り組んで来た人なのだろうか?言ってることは 全て 空回り。話しだけで 終わることが ほとんどで 形になっていかない。計画が 上手く 行かなかったことを 広告会社売上げNo.1の 女性を 呼び出して彼女が 泣くまで いびったり。マッサージビジネスは 何千万円の広告をうつのでなければ 広告によって 即利益を あげられるというのは 本当に稀。数ヶ月もまって 答えが 出始める。最初の頃 慌てず 時間をかけて やって下さいねと 言った 私の 言葉の 意味が 分かっていないらしい。 なんとか 私を キープしたい校長は オーナーに 頼み込みに 行った。それでもダメだった。そしてふと 2年も立って そのとき あ~彼女をやめさせるんじゃなかったと 彼が言っても もう遅いよねと 言って来た。クリニックの スタッフも 皆 ??????の羅列。誰一人 今回の 出来事を 理解できる人は いない。彼的に 嫌いな奴を 空間から 追い出すことに 成功した。 それは 彼が 収入を 失うことに つながっていることに 気付いていない。信頼は お金では 買えない。時間が 作って来たものだ。個人の つまらない感情も コントロールできずに その町の 住人と交流し 貢献して来た人を このような形で 解雇するのは 日本人の 経営者に ありがちなことなのだろうか? アメリカや ハワイの人が 経営者なら こういうことは 決して 起こらないと 私は 確信を 持って 言える。これも 何かの 縁なんでと言って 笑って オフィスを 立ち去った。言うことは 何もなかった。彼が 社長。彼の 決断は 絶対だ。誰の 胸にも わだかまりが 残ったのは 目に 見えた。数人の セラピストが 私の所にきて 自分たちは 安全だと思う?と聞いて来た。大丈夫だよと私は言った。あなたたちは 日本人じゃないから 問題にならない。数ヶ月前 もう一人の 日本人セラピストが 彼のオフィスで 頭を殴られたあげく解雇された。しまいには 裁判にもなった。私の前に 経理の 女性が 首になった。お金を 他人に 扱わせるのは もう信用できないらしい。 最初は 別の面をかぶり 手をすりあわせるかのように へらへらしていた。買い取りが決まったとたん 顔が 鬼になり 年配の 事務職を 解雇した。上手く 行かないことを 次々と 人のせいにしては 首にして 行く。憤りを 感じる周囲に(わたしのことなのに)昨日のことは そこに置いて 今を 生きるのが人生だよ。前に 向かって 歩くの 後には 歩いて 行かないよねと 言った。もしもこれが 日常の 日本に ありがちなことだとしたら 日本は 恐ろしい国だと思う。
2007年01月21日
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ぜんぜん 来てない間に 年が明けてしまいまいました。新着ないにも関わらず 立ち寄って下さった方々 大変ありがとうございます。新年 早々 部屋のカーテンを 縫いました。カーテンだけで 部屋の雰囲気が かなり変わり ハッピーです。そんな 些細なことに 気付かずにいたのだから よっぽど 別のことにエネルギー使ってたんだな~って 思いました。年が開け 仕事の流れも スムーズになってきました。元日以来 波乗りはそっちのけですが 仕事楽しんでます。この波が 少しおさまったら また 日記の更新したいと思います。皆さんの一年も ステキな日々の 連続でありますように。
2007年01月13日
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もうすぐ 楽しみにしていた 机と本棚が 届く。これまで 何処に いつ 引っ越してもいいように 極力 モノを抱えることは避けながら やってきた。でも セラピールームを持ったことで 書類は 増えて行くし 欲しい情報をすぐに クライアントさんに伝えるためには 本の整理も必要。実際 この本棚と机は 私が借りてる ベッドルームに 設置予定。これで ホームオフィスもどきが 出来上がる。実際 仕事場スペースとベッドは 別々がいいのだけど そうも行かないんでそれなりにアレンジするつもり。色選びで 迷った、迷った。黒とマホガニーとアンティークホワイトから 選ぶのだけど無難は マホガニーでしょ?黒は 引き締まるし 粋だよね。なのに 最終決断で 久しぶりの 部屋へ戻ると 外から 入る光の強さと部屋の中のエネルギーが 眩しくて 白しかあわないと思った。まあ 最終的には 人魚の部屋になるんで 白でよかったのかも知れない。予定では あさって到着。ちょうど休みだから 組み立てて きれいにしといた所へ月末 戻ってきたいな~。ホームシックというより ルームシックね。あの部屋のエネルギー、気持ちいいんだよね。で 人魚の部屋だけど シダを置く。森の中の海がいいな~。(どんなだ~)で 壁にヒトデを くっつけて、、、、。後の飾り付けは 家具を組み立てて 実際に置くと 見えてくるね。人魚の部屋は 何かほかのものに 変わる気もしてきた。ダメだ、考えるとわくわくしてきて 眠れなくなる。 模様替えって 楽しい!
2006年07月18日
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脚はどこから 始まるのか。以前 ビーチで歩いている写真を 誰かが取ってくれたことがあるのだけれど一番下のあばらのあたりから 脚だね。で 昨日 泳いだときに ももの付け根のストレッチを 水の中でしばらくやった。ずーっと縮んでたんで 伸ばしてみました。そしたらね 陸に上がってから 足取りが軽かったです。風のように歩けました。もしかして 脚は はねにつながっているんですかね~?
2006年07月13日
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最近は アンテナが 確実に 電波を キャッチしているのを 感じている。誰が 電話をくれるのか 誰が オフィスに たずねてくるのかそして だれが 私を 必要なのかが ヴィションに 飛び込んでくる。今朝早く オフィスへの道すがら ある人のことを考えていた。そして心がふと 彼女が 自分から やってくるまで 待ちましょうと言った。予約が入っていた 知人が 出かけてくるなり その“ある人”の話しを 始めた。 彼女は 最近痛みが ひどいらしいから マッサージに 来た方がいいよねと知人が言う。 私は “彼女から言ってくるまで 待っているんだよ”とだけ 答えた。早めに 家に戻る途中 交差点で 彼女を見かけた。後続車がいたので 止まれなかったが 彼女も手を振っていた。___________________________________________胸騒ぎに駆り立てられて 夕方 昨日のクライアントの家に電話をすると奥様が電話を取り 彼が 今朝 旅立ったと言った。朝方から 意識が そちらに向いていたのは そういうことだったのかとふと思った。生と死の間で 船を渡す 私がいるのだと いつも思う。まるでそれを 仕事とするために 生まれてきたのかと 思ったこともある。感傷に浸っているのでは無い。ただ あまりにも出来すぎた 人生の演出に 時々 はっとさせられる。昨日 たくさん 涙を流したから 今日は 少しだけで 止まった。絶妙なタイミングで 用意されてた わずか 1時間半の 出会い。そして 確かに 私は そこから たくさんのことを学んだ。 朝方 のどがいたいという彼に モルフィネを 服用させた 奥様。のどの痛みだけで 普通は モルフィネを 服用しない。その時が近いのであろうことを 今日になるか、明日なのかという気持ちで日々を迎えていたのだと思う。そういった 人の時間が 私の中で 経験として生きていく。昨日 彼が着ていた Tシャツには”魚釣りは 魚を釣ることが 楽しいというよりお父さんといられるということが もっと楽しい”と プリントしてあった。ファイルから クライアントフォームを 取り出す。日付と 電話した時間、会話を書きとり 旅立つと書き残して 再び ファイルに戻した。
2006年07月10日
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がんを患った 患者さんの マッサージを終えて 古くは サトウキビの町だったWaialua(ワイルアと発音するように、ワイアルアではありません)からWaikele(アウトレットで有名ね)のペットショップへ。Po'o hinaが トイレの後 激しく(彼女らしい)砂を引っ掻くんで 砂があちこちに散らばり ドーム型のトイレを買いに。ついでに 預かってる知人のサムくんの おやつも調達。同じ一角の ブックストアーで CD調達。ギフトカードがあったんで それで 5枚調達。夏は スタン ゲッツがいい。しかも アントニ オカルロス ジョビンのコラボ。そんでもって アストラド ジルベルト(カタカナ表記は難しい)が Desafinadoをポルトガル語で歌ってる。最近は このブックストアー、CDについてるバーコードをスキャンするだけでほとんど全てのCDを 視聴できるように システムを入れ替えた。(あれ?日本ではあたり前ですか?)チェット ベイカーは 先ず 視聴無しで 購入決定。というか にたような構成のCDを 日本においてきたんだよね。で どうしても Someone to watch over meを一緒に歌いたかったんでもちろん チェットくんと。はっはっは CDとデュエットです。それと Bill Evansの パリでのコンサート。拍手がはいってたら困るけど視聴した分には セラピールームでもながせそうな テンポです。後の二つは クリニック用に 癒し系の バッハとショパンの 演奏。Kevin Kernの ピアノ曲。スタンゲッツは しばらく視聴してました。で Corcovadoに曲が変わったとたん にやにやしてる自分に気づき思わず周囲を見渡した私。もうだめ、ブラジルなまりの 英語で "oh how lovely"なんて歌われると マジ” 全てがlovely ってな 気分になってくるから不思議。____________________________________________________マッサージが終わると クライアントは 目を開け 奥さんを 部屋に呼ぶ。奥さんが私に どうしましたか?と言いながら 部屋に はいってきたので旦那さんが 呼んでますって言ったの。そしたら クライアントは 奥さんに 彼女にお金をあげてというわけ。私は思わず笑いながら、”あれ?もしかして ずっと 支払いのこと考えたわけ? それじゃリラックスしてなかったってことでしょ?次回は 支払いは彼女に任せて マッサージを楽しんでと 冗談まじりに言った”ハグとキスをして 部屋を出て クライアントの奥さんと少しだけ話した。“彼はとても強いですね。リタイヤの前は何をされてたんですか”と私。奥さんは“コンストラクションと ハンティングを楽しんでた”と言いかけて少し涙目になった。私が 足のむくみに関して 今日は これと言って何をすることもできなかったことを伝えると、 “来てくれてありがとう。彼が気持ちよかったと言ってるのでそれで良かったです”と 笑顔で 言った。ハグと握手で その家を後にした。Waikeleにつくまで 私は泣きながら ドライブしていた。5月で 病院は 手をつくせるかぎり 全ての治療を終え ペースメーカを埋め込み お腹に貯まった水を 取り除く時以外は 家で過ごすことになったクライアント。つまりは 後どれぐらいという 人生の時間を 現在の身体のコンディションから 想定し 家族は その時を あくまで 目安として知る。ただ 彼の身体は それでも 深い呼吸を繰り返し パルスは ペースメーカーも手伝ってか とても力強かった。私は 彼の余命がどれぐらいかと言うことには 触れなかった。私は この先のことは どうでも良かった。今ここにいるこの瞬間。そこに存在する 命と向き合っていたかった。未来のことなど 知らずとも それを 見る日はやってくる。私の訪問を心待ちにしていたと 奥さんは 何度も言った。お腹に貯まった体液が 出口を探し 重力によって 足に貯まる。皮膚は張りつめ やがて破れた皮膚から 体液は 漏れだす。腕は いまだ 仕事をしていた 筋肉の名残を 残し やせた身体に 大きな手は 彼の これまでの 人生を語っている。涙が 止まらなかったのは そういうコンディションにある 彼のせいではない。それは クライアントと 奥さんの間で 愛がいまだ 強く続いているのが見えたから。Life is beautiful, because there is a love in between two people.キッチンに手を洗いに行くと 双子の3歳になる孫が(男の子)踏み台に上がってトースターにパン を入れている。もうお昼なの?自分で サンドイッチを作るの?と言ったら ”これはおじいちゃんのだよ”と言った。 みんなが 協力しあって 愛を注いでいる。Love is beautiful. それ以外 どんな言葉が ふさわしいだろう。そういうことが心からあふれてきて わたしの涙はとまらなかった。 ________________________________________________私は 確かに飛んだ。この 島の上空から見た景色は 細かいことはいろいろあれど美しいものだった。 そこには 静かに 愛を注ぎあう 家族の姿があった。そらには 真夏の雲が 浮かび 海の青がひときわ 輝いていた。Life is beautiful、 love is beautiful.私は 彼らとの出会いの中で たくさんのことを 学んでいると 思った。こころの中で 彼(クライアント)をよろしくと 彼の奥さんに言った。なぜなら 私達は この星にすむ 家族だから。
2006年07月09日
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昨日 久しぶりに 知り合いからマッサージしてもらう。かなり 疲れのたまってた 後だったんで 気持ちよかった。で 埃にまみれてた 羽も ダストオフして 今日は 大きく広がってます。今日は 休日だけど 朝一 がんを患った患者さんとのセッションで 出かけるほかは自由時間 なんで ちょっくら 羽を広げて 飛んできま~す。
2006年07月08日
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テレビも見ずに暮らして 一体どれだけの年月が流れたことか。それでも 毎日の暮らしに 支障はないし 余計な情報を 脳内に 垂れ流すこともないから 世情に 一喜一憂することもない。先日 久しぶりに 映画に行って (Broke up!) その中で ”どうして みんな Eーメールするかわかる?みんな 情報だけを得たいんだ。ほかの 面倒くさいことは抜きにして 素早く、答えだけ欲しいんだよ”という言葉が耳に残った。確かにそうかも知れない 部分もあるし 長距離電話するならメールの方が 読む時間も 送る時間も 選ばないから 便利だと言うのは私の場合ある。映画の流れから 言うと 人と人とのコミュニケーションについて 言いたいことがあったのだと思う。人の気持ちなど そうそう読めるものではないから 言葉にしていってもらわないと あるいは その表現も 遠回しではなく何についてそういってるのかということを 的確に 伝えるものでないと 勘違いから 気まずくなったりするということを 伝えたかったのだろう。私達は いまや 言葉抜きでは 生きられない 社会にいながらそういう問題が起こるのは 言葉あるいは 言葉の表現という教育が真剣になされてないからのような気もする。生まれて間もなく 聞くことによりそしてその後は読むことにより私達は 自然と言葉を憶えていくのだが そのプロセスが あまりに 自然に行われるために 表現するということに対しての方法論的なものを 両親も 学校も あえて 時間をかけて教育していない気がする。(今の 日本のことは あまりわからないから何とも言えないが、そんな気が、、、、)この表現ということが 実は 対人間と付き合う上ではかなり重要になってくると 思う。情報化の 流れの中で 流されてしまうのか あるいは言葉の表現ということに 関して 自分はどうであるかを 見つめ直すのは 大事なことだと思う。
2006年07月06日
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人間の体温は約36.5度を保つと言われている。この温度は体内の物質代謝に取って理想的なもので たとえ外部の気温が大幅に上下しても発汗や運動によって体温差は1~2度の幅に保ち続けられる。これをホメオスタシスと言うが この生命に特有の現象が地球レベルでも見られる。例をあげると、生命の生存に最も適した温度は 華氏60度から100度の間である。過去、大気の組成が急激に変化したり 太陽から受ける熱が大幅に変化したにもかかわらず、大部分の地球気温はつねにその範囲に収まって来た。(地域差はあったとしても)これは人体の体温調節を思わせる。現在の海水の塩分は、3.4%で それは、絶えず河川からの流入によって洗われているにも関わらず大幅な変化は見られない。仮にこの塩分が6%を超えれ ば、、海水中の生物は全て死滅する。しかもこの濃度は生命の血液中のそれときわめて近い。大気中の酸素の濃度は、生命の生存にとって最適の12パーセントに安定している。これが2~3%少なければ、大型動物や空を飛ぶ昆虫は活動に必要なエネルギーを獲得できなかったし、逆に2~3%多ければ 雷による火災で全ての植物が焼き尽くされていたと思える。 大気中には少量にアンモニアが存在し、これは硫黄や窒素の化合物と酸素との自然結合によって生み出される強力な硫酸や硝 酸(雷雨は大量の硝酸を生み出す)を中和するのに必要な量で その結果 雨や土壌は生命に取って最適なレベルの酸性度にとどまっている。 またよく知られるオゾン層は紫外線(とりわけ生きた細胞のDNAを破壊する)から地球の生命を守っているが これがまた身体の内部を保護する人間の皮膚にも見て取ることができる。以上はジェームス・ラヴロックのガイア仮説を引用したものですが そこから感じられるのは 私たち人間の身体と私たちの生きる地球という生命体がとても 似た働きをしているということ。命をつなげていくための調節を寝る間もなく行っているということ。私たちは毎日この大地の上に暮らし 幸せを感じたり笑ったり、けれども一体どれだけの人が地球という存在に思いを馳せているのだろうかと思います?最近の地球は私たち人間の作り出したとてつもない熱により 長期的に調節のための負担を強いられているような気がする。その反動が異常気象であったりす るのだと思う。私たちの暮らす空間がもしも受け入れがたいものに支配されるのだとするとその時あなたはどんな行動を起こすのだろう。もしもあなたの部屋が 毒の混じっ た空気によって支配され始めたとしたら? あなたの身体に度を超えた量のアルコールや身体が生産しないタイプのドラッグが入り込んで来たとしたら?それでも身体は なんとか生存して行くため、命をつなげて行くために 身体の全機能をフル回転させながら安定した状態へと調節して行くことでしょう。それは地球レベルにも見られることだと思います。この先は自分で例を挙げて見て下さい。そこには自己も意識していない 生命から(自分という存在も含めた)の愛を感じ取ることができるはずです。それは大きく私たち一人一人を包み込んでいます。そしてそれは常に私たちとともにいます。私はそれを愛と呼びます。それは生命の中心、 生命の誕生の原初にあるもの。地球と表現するとそれは遥か彼方にある何か遠い存在のように感じますが、裸足で大地に立つ時私たちは既に地球とコンタクトしているわけで それだけで はなく私たちはオゾン層という皮膚に覆われた地球と言う生命体の中の細胞かもしれないとふと思うこの頃です。
2006年06月29日
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自分の中に 海がある。小さな 水の粒子たちの 運動が 絶える事のない 流れを 繰り返している。私たちの 身体は 意識の中で 呼吸を繰り返し 心臓は 身体の隅々にまで血液を 送り出している。”Your body is a temple of God” ここハワイでは よく耳にする 言葉です。そういう意識が 自分の身体 あるいは他人の身体をも 尊重する事につながると私は思います。そして 自分の内側に 意識を向ける事が 自分の心と 身体に どれだけ良い影響を及ぼすのかは そこにいる自分が 既に知っているはずです。自分に取っての ”Quality Of Life”を 見つける旅を 始めませんか? ”真実のところ、悪は自分自身によって、なされるのである。 人は、自分自身によって、汚れる。 だが、自分自身によって、悪を避ける事もできるし、 真実のところ、人を清めるのも、自分自身なのである。 純粋であるかは不純であるかは、その人にかかっていて、 他人を清めることなど、自分以外の誰にもできない ” ブッダの言葉 マルク・ドゥ・スメト編
2006年06月29日
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犬は 道ばたに落ちている ほかの犬の 残した過去を 食べる。食べるというよりは 口のなかに 隠しているかのよう。”みたくないんだ、他人の(って犬だけど)残した 痕跡なんか。ここは 俺のテリトリー。誰もみてないよね。ここには 他犬の 過去など なかったんだよ~! パクっ”ってなことで 過去は見事に消され 他犬は そこに存在しなくなる。他犬の 過去と未来を 内包した Samは 自分のテリトリーを 拡大し何事もなかったように悠々と歩く。そして やがて 自分のそういう過去を 芝生の上に落とし 私に事後処理させ家路へと向かう。お願いだから しばらく 舐めないどいてくれる?私のこと。
2006年06月27日
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最近は よく歩く。友人の家に 友人の犬と 少しの間 同居しているので 彼を 散歩に 連れ出すのに 歩く。で そのとき 思った。うんちや おしっこは 過去なんだ。水に流そうという 発想も何だか ぴったりではないか?で キッチンで 目の前にある 食材は 未来。私達は 未来を 口にすることで その未来が 身体を 作り上げていく。 それも口にするものにより 身体表面の 感触に違いが見られたりする。だから 繊細な人には どんな未来を口にしたのか わかることもある。その食材自体も 調理によっては形を変えていくので 未来は 流動的だ。未来を 口にして 過去が でてくるのだから 順番としては 逆のように 見えるけど 人生だって もしかしたら 私達は 過去を たどって 未来に向かっているのかも 知れない と思うこともある。消化作用は 現在。消化酵素の働きなどにより 体内に 吸収されるものと 必要で ないものが排出されるのと。余計な物は 抱え込まない方が いいというのは こういうことかも 知れない。体に悪い。犬の散歩も 捨てたもんじゃ ないっす。
2006年06月26日
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タネをまく。待つ。芽が出るのを待つ。芽がでない時は 再びタネをまく。別の時期、別の時間、別の場所。あるいは 同じ時期、同じ時間、同じ場所。待つ。芽が出るのを待つ。タネをまく。まき続ける。
2006年06月24日
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知人の友人が 日中 ドライブしていると フェンスに体当たりした フクロウを発見。か細く 息をしていたらしいが 召されていったそう。それが どういうわけか 知人の家に フクロウの羽が 棒に生地で 固定されて 瓶に立っている。 しかも 片方だけ 広がった形で。冷凍庫には なくなった フクロウの 身体が ビニールの袋に入って 冷凍食品とともに保存されていた。 満月の夜 バースストーン(Wahiawaの町のはずれにある)でセレモニーをするらしい。で 来る?って言われたけど 断った。羽は 希望を象徴する。セレモニーはいいんだけど 羽をそのままにしてあげれなかったのかな?と思う。チベットでは 人が亡くなると 鳥葬する。魂はもう既にそこにはいないからという。それは理解できる。自然に落ちた羽なら 私も拾うだろう。ただ 死んだからだから どのように 羽を切り取ってもう片方は どうしたのかもう聞く気になれなかった。何でも手に入れようとする 人間たち。たかが はねでも ハワイのフクロウにはいわれがある。彼らは 導くのだ。羽を失った フクロウは 果たして どのように 彼女たちを導くのだろうか?
2006年06月12日
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新しい名刺のデザインも決まり、地元新聞への広告も なんとか締め切りに間に合って明日は 久しぶり(4日ぶりにってこと)に 波乗り。朝 早めに出かけ(5時起き) 昼寝の出来る ゴージャスな日を過ごす。クリニックに来る クライアントに 学校の先生が 数人おられるので新しいオフィスのことを話し、子供たちが そのトリートメントの中心になることを今から お知らせする。話しをしていくと ドラッグに汚染されている子供は 意外に多い。それと 子供の自閉症。集中力のない子供たち。不眠の子供たち。ダイエット(食生活)もかなり関係している。アメリカの子供たちは 既にパックになってる食べ物を 一日に1~2回は 口にしていると思う。 親がそう言う食材を 簡単に調理する。炭酸飲料や人工色素入りの飲み物を口にする回数も 日本やヨーロッパの子供たちに比べるとかなり多いと思う。(私の時代という意味。今の日本は どうなってるのか全くわからない)プロセスフードとこちらでは呼ぶ。自分たちで 切ったり剥いたりして 作った料理が 少ない。ピザだけの 晩ご飯という子供たち、子供だけでなく親もそう。(それも宅配の油こってりの)親が プロセスフードですませてしまう。あるいは ドラッグに汚染されている子供は 祖父母と暮らしたり 養父母のもとで暮らしていたりする。そう言う子供が あちこちにいるから 驚きだ。他国を攻めることに あれだけの費用と 労働力とを使えるこの国の ボトムの現状はこんなだったりする。男は いまだ戦争に駆り出されてる。その兵士たちが セラピストとして訓練を受けられれば ボトムで苦しむ子供たちは 救われるのだと思う。病院勤めの 友人がメインランドの ある地へ 毎年サマーキャンプに行く。今年は 彼女の家を6週間預かることになり、そのキャンプの様子を 本で見ることが出来た。血液製剤で HIVに感染した子供たち。あるいは AIDS, HIVの 母親から生まれた子供たち。あるいは 家族の誰かが その病気である子供たちが 夏そこに集まる。ナースやドクターが ボランティアで 子供たちに接する そのキャンプ。毎年同じ子供たちが 戻ってくるらしい。戻って来れないとしたら それは もうこの世に存在してないことなのだという。音楽好きの友人は ギターとウクレレを持って出かけた。この国には 医療の現場で 働く若者の中に そう言う 粋な若者が 多い。身につけた 技術や知識を お金の存在しない世界で 分かち合う。もっとも 普段のお給料がいいので、6週間のボランティアでもどうってことはない。それでも 6週間 無給で 働ける人が 一体どれだけいるのだろうか?そう言うことは抜きにしても ピュアを感じる。そこに来る子供たちも そこで 子供たちと接する大人たちもみんなピュアなんだ。だからひとつになる。友人の友人に 鍼の先生がいる。治療代を 米一袋とか ニワトリ一匹とか バナナ一房とかで 払う患者さんたちがいるそうだ。先生はそれで 良いそうだ。たまに現金で 払われる時は 宝くじに当たったような気持ちと言っていたらしい。オフィスが 見つかったとき 私も似たようなことを 考えていた。もし物で 払われてもそれはそれでよしなんだ。そうして暮らしていける この町は まだ人間のペースなのだと思った。
2006年06月11日
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幸せを求めるなら 不幸になる事さえ受け入れなくてはならない。なぜなら それらは 表裏一体ともにあるものだから。不幸であることにより 幸せとは何かという認識が生まれる。幸せになることをやめたとき 人は不幸からも 解放される。幸せになるための ツールを 売り物にしている人たちに不幸がおまけでついてくることを 消費者に伝えてほしい。でないと どうして不幸になったのか どうして不幸なのかと言うことに 皆 戸惑っている。_____________________________________高校進学のとき 姉が 一押しして 止まなかった 高校があった。英語教育が 充実していた 学校だった。選択権を 持たなかった 私は 希望にも関わらず そこには いかなった。(行けなかったとも言える)それが あれから 20年以上も経つ今 私は 英語の 授業に 参加し解剖学やら 人体構造やら その他 セラピーに 関することを 学んでいる。人生は 何が 障害と なるかはわからないけど その流れは 年月も 障害さえも 乗り越えて 本来の 目的地へと 流れていく。ふとそんな言葉が 心をよぎった。障害になったのは その時の 両親の考え。家族や知人の 誰も 想像のしてなかった 人生を 歩んでいる。ただ 自分の中に 燃えたぎる 情熱の 明かりを 照らしながら それが 導く 先へと 歩んでいる。幸せでも 不幸でも どちらでもかまわない。それらは 永遠に 逆転していく。どちらであっても どちらにでもなる。だから どうでもいいと 思う。_______________________________________年齢も 性別も 国籍も忘れて ひたすら 本と 向き合う 自分がいる。どうしても知りたいことがある。その姿勢は 2才の頃から変わっていないのかも知れない。
2006年06月06日
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今日 ブログを卒業します。一ヶ月近く さぼっていたのも 自分の流れが 別の方向へ シフトしている最中で(今もその最中ですが)それを切り取って 言葉で表現するのがかなり困難だったからです。でも それは 2番めの 理由で 本当は スタンダップパドルサーフィンに はまっているというのが 1番の理由。それでブログの事も これまでやってた 普通のサーフィンも 興味がなくなってしまった。はまったら最後。どこまでも突っ走るわたしです。色んな意味 ハワイに来てからの 5年間、ここまで 私を 導いて 共に 来たものたちとさよならをする時が やってきました。 大潮がやってきて 引き波とともに 私を遠くへと 誘うようです。すうーっと さらーっと どんどん 遠くなっていきます。更新しないにも 関わらず アクセスして 下さった方 ありがとう。これまで 培ったものを 磨く時なのだと 思います。と 言う事で 今日が 卒業式。リンクして下さった方 あるいは こちらから 訪問し そのつど 私をうなずかせて下さった方々。出会いに 感謝です。素晴らしい ひとときを ありがとう。 それでは 海で 会いましょう。
2006年05月20日
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太陽光線と 潮の引き具合と 風との 絶妙な 組み合わせが今年一番の 海水の 透明度を 見せた今日。初めて 板の上に立ったまま オールで パドルしながら波を捕まえる 体験。沖に 戻る時も 立ったまま。波待ちも 立ったまま。バランスを取るために あちこちの筋肉が 緊張するのを なんとか 呼吸で リラックスさせながら 姿勢を 正しなおす。それでも さすが 立ったままのパドルから 波を捕まえるのは 難しい。何しろ オールを右へ左へと 入れ替えながら 漕がなくては 一方向へと 回転してしまい 前進できない。それでも なんとか 波をキャッチ。簡単には出来ない所が のめり込むきっかけを作ってしまう。波乗アディクション。腹這いでも 正座でも 立ち漕ぎでも 波を捕まえる事に変わりはなし。それでも この新しい遊びは しばらく続きそう。
2006年04月29日
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以前も 日記に書いた内容だけど きっと 大事な事だと思うので もう一度。クリニックへの 通路を歩いていると 生徒が一人 トイレから戻ったまま立ち尽くしている。クラスルームからは ロミロミの 授業に必ずある チャンティングの声が聞こえてくる。ふと『途中でもいいから チャントに 参加した方がいいよ』と 言うと宗教が違うので 参加できないという答えが 帰ってきた。まさか マッサージスクールの校内で 戒律の 話が 出るとは 思っても 見なかったので ちょっと驚いたが うちの ロミロミの 先生ならそれもありと 広い心で 受け止めると 思ったので あとはなにも言わなかった。ハワイの宗教の 歴史については 学んだ事がないので 何とも言えないが本来 そう言う所からも 解放された所で 人体と向き合うのでは?と思った。今日の午後 個別指導のための マッサージを する事になっていた 生徒が日程を 一ヶ月後に 引き延ばしたと 言ってきた。理由は あえて聞かなかったけど 彼女から 『その頃には マシな所を見せられる』と言ってきた。マシな所ね~。なんだろうな~?今 このとき この場所で いかに 自分を 殻にして 自分という 媒体を利用しクライアントの エネルギーの停滞を flowな状態へと 導くのか?ポイントは そこだと思うのだけど?マシね~。 今出来なければ 1ヶ月先も どうかな?It's not about me, about client だと 重ね重ね 授業でも 伝えているはず。競争社会で 育つと なんとかして 良い所を 見せなくては 上手くやらなくてはという意識に 自然となるのだろうなと思った。私に取って 個別指導の 結果報告なんて 何もしない動きに対して 評価をだす。あれも これもと 押し付けるような ボディーワークは問題外。授業で習った 全てのルーティンを 駆使しなくても 施術を受ける側の 身体から発せられる メッセージを 聞きながら それにそって行ける人こそセラピストの心得について 解っている人なのだと思う。それを 見つめる立場に 成長した 自分もまた そう言う道を 通ってきたものの1人なのかも知れない。
2006年04月28日
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誕生日の 昨日は 満月のはずが 山間部は 雨が降り とうとう見ずじまい。オアフへ戻る 今日は 朝から 早起きして ペレが住むと 言われるハレマウマウへ 数度目の ショートトレッキング。ヴォルケーノハウスから 噴火口を 一周する 道を ドライブしていると赤い 山肌の マウナロアが 朝日の中で 一段と 赤く 見え西側の 山裾に 真っ白な 満月が 頬笑んでいた。朝早く 部屋で いても立ってもいられずに 車を 走らせたのはこう言うことだったのねと 1人で 納得しながら その白い月が 山の向こうへ すっかりと 姿を 消すまでの 12分間研究所の 駐車場に 車を 止めて 呼び出してくれた 月を 拝んでいた。イースターの 連休で 火山地帯にある 施設は どこも人だらけ。シダの森でも ラヴァチューブ(マグマの抜けた道)でも 人の 会話する声が静けさを 突き破るかのように 響く。本館から 離れた場所に 部屋を 取って 良かったなと 思いながら(本館には 滞在客の 他に ツアーバスが 数分おきに 来ては たくさんの観光客を 買い物や 食事のために おろしにくるので 暖炉のある ロビーは とても 落ち着かない)雨の 降る 二日めは 係りの人に ロビーへと 薪を 運んでもらい 暖炉に 火を 入れて 本を 読んで 過ごした。夜は ナショナルパークに ほど近い Keawe(ケアヴェ)レストランで 食事。ジャズの 流れる イタリア料理の お店で、私が 注文したのは マヒマヒを 焼いたものを サラダの上に のせたものだったけど 次々と 目の 前を 通り過ぎる 手製の ピザがメイン料理よりも とても おいしそうに 見えた。レストランは こじんまりと していたけど 友達と出かけてきて その日の 終わりを 食事と おしゃべりで 過ごすには もってこいの スペース。 火山地帯は 2度目の 滞在になるが まだまだ 見つくしていない 気がする。 次回は 島の 北東をたずねながら もう一度 この場所に 滞在したいと 思った。
2006年04月15日
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ある日の午後 私は リフレクソロジーの 依頼を 受け 風通しの良い ホテルの ベランダで セッションを 始めた。間もなく その人から 白檀の 香りが したかと 思うと すぐに 死の香りが あたりを 包み それ以上続けても 死んで行くのだと その人の身体が 私に 語りかけてきた。私は そこでセッションをやめた。吐き出されるべきものが その人の のどまで 何度も上がってきた。けれども それは 何度も 飲み込まれた。それは まるで 抜け出したい 魂を 飲み込んで 命を つなぎ止めたかのように私には 感じられた。死の香りを 漂わせつつ その人の奥底では 生命が それを 遮るものと 戦ってもいるかのようだった。死の香りと言っても それは 肉体の 死のみを 意味するだけではなく 感情的な 死も また 同様の 香りを 漂わす。
2006年04月10日
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日記 さぼってます。なのに たびたび 訪問して 下さる方 ありがとうございます。飽きちゃってるんです。言葉の 世界。波乗りも 音楽も ”すること” 自体が 表現になってる。そして 同じ 表現は あまりない。即興。予期せぬ 流れに 瞬時 対応することが ひとつの ラインを 生んで行く。 それが 面白い。自分探しの 日記への コメントを 控えてるのも そう言うことから。自分とは 腹が減ったら 食べて、食べたら 出して 疲れたら 寝る、そう言う 日常を 地道に淡々と 生きているのだと 思う。言葉のブランドに 日常を 売り渡しても 新しい自分は 手に入らない。自分探しとは そこにいる 自分を 自覚しなければ 始まらない。そうなると 言葉のスピードは 自然のスピードに 追いつけない。表現する頃には 世界は 変わっている。で さぼってます。で たぶん さぼり続けると 思います。訪問して下さる方へ というわけで ブログさぼります。
2006年03月28日
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地中での 溶岩は 赤くどろどろと 煮え立っている。地表に 吹き出して 流れ出て 自分より 温度の低い 空気や 雨や 海水に 触れて黒く 固まって 行く。同じものが 出会った 環境で 形や 色を 変えて 行く。まるで 人間も 同じじゃないか。溶岩の 熱で 焼き尽くされた 大地。固まった 溶岩の 割れ目から 芽を出す シダや レフアの木。鳥が タネを 運んだのか、風が そうしたのか溶岩の その下の 大地の 奥深い所から 押し上げるように 伸び続けてきたのか。とにかく 生きたかったんだ。突き破ることで 始まる 生命の活動を 始めたかったんだ。そして 伸び続けて行く。伸びたい方向へ。空さえも 突き上げながら。 まるで 人間も 同じじゃないか。だから 同じ人の違う顔。見たからと言って どうってことはない。それは 同じ人の違う顔。あるがままの 本当。
2006年03月13日
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もうすぐ 布ナプキンが 届く。日本で 作ってる方と ブログで つながり ハワイまで 送って もらうことになった。 http://plaza.rakuten.co.jp/botam/ホノルル空港で マナテェーと 再会したときに 初めて 聞いた 布ナプキン。http://plaza.rakuten.co.jp/nonbirimanateeこんな 形で 購入できるとは 嬉しいかぎり。自分でも 作れるらしいのですが、まずは 現物を 見てみないことには。過去26年間 5~7日間×12ヶ月。一日の消費を 10枚としてもかなりの 使い捨てが 出ました。もう 使い捨てを 出さなくて 良くなる。既成の 素材で 肌が かぶれることもなくなる。洗った水は 栄養素として 植物に あげれるのだとか。身体から 排出されたものが 大地に 還って いきます。いいね~。循環。流れがあります。__________________________________________昨日 変化(脱皮)して 行くことについて 友人と 話しました。例えば 当人が 変化を 求めて 歩き出しても 周囲が その人を 以前のままの その人(固定概念、既成概念) という目でしか 見ないので そういう環境で 変化するのには 骨が 折れるね、という話。インドでは 話をしない 修行を する人がいて 周囲が その様子を 察するとその人を そーっとして おくそうです。私達の 世界なら、なんで無視してんの~?とか 愛想悪いとか!いろいろ 言われるんでしょうね。放っておけない心理 とでも 言いましょうか。成長を 妨げる 環境。___________________________________________映画 The new worldを 観ました。ポカホンタスの 3時間もの。アニメーションでは ありません。自然の中で 森や大地、川や風と ともに 生きてた ネイティブの 人たち。そこへ やってきた イギリス人。分け与えることを 惜しまない ネイティブと しまいには その人たちの 集落を 焼き払い 他の地へと 移動させてしまう イギリス人。侵略という 言葉より 無知という 言葉が 浮かんだ。文明は 決して 豊かさを 示すものではない。武器や 鎧で 身を 包んでも 彼らは 食べるものもなく 瀕死だった。やがて 洋服を 身にまとい 靴を履いて 生活を 始める ポカホンタス。それでも 最期には 自分は 大地と つながっていたことを 確認して消えて 行く。彼女を 揺り動かしたのは 愛だった。____________________________________________ Marvin gaye~Let's get it onブックレットに かなり小さい文字で マーヴィン・ゲイの セックスに 対する思いが 書いてある。たくさんの人が セックスを 何か 大それた 特別なもに してしまっていると言うことから始まり、セックスはセックス、愛は愛。でも その二つが 同じ パートナーとの 間で 交わされるなら それが ベストだねとも 言っている。モラルを基準に作られた 哲学は 信じないとも 書いてあった。話は 変わるが 先日 クライアントの 中に 黒人の 人がいて セッションが始まるとともに 大地が 揺れた 感覚が あった。特に 左右の 大臀筋に 触れたとき 大地が シェイクした。別に アフリカの血を 説くつもりもないし 先入観も なかったのだけど。__________________________________________
2006年02月23日
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海に 浮かぶ ボードに 腹這いになる。水をかいて 沖へ 進む 姿は 赤ちゃんが 床の上を はいはい していくのに似ている。 沖について 波を待つ。うねりが見えると 向きを変えて また 水をかく。今度は 岸の 方向へ 向かって。海に浮かぶ ボードは 不安定だから 立ち上がっても すぐこける。(初心者の場合)それは 赤ちゃんが 立つのを 練習しているのに 似ている。それも 練習を 重ねると いつの間にか 上手になるのだから ボードに 最初に立てた 感動とは 生まれて始めて つかまり立ちしたり 歩き始めた時の 感動に近いものがあると 私は 思う。その感動は とても特別だから 波に 乗るのを やめられないのかも 知れない。波乗りは 大人になってしまった あなたを もう一度 初心に 返す所。最初は なれないパドル(水をかく行為)や 不安定な ボードの 上で バランスを 取ることや すぐに ボードから 落ちてしまう 自分に いらだちを 感じることでしょう。どうして? 地上で 既に 色んなことが 出来てるという 自負があるから水の上で 思うように 出来ないのは 納得が 行かないのだと 思います。でも その行為を ひとつずつ ひとつずつ クリアーして行った 先には動く水の上で ボードに立ち 波を シューンとすべっていく 感動に 出会えます。それと同時に 自負していた 自分が 消えていきます。自然をまえに いかに人は無力かを 思い知らされます。海との 付き合い方を 通して 人との 付き合い方を 学んでいきます。ボードは 必要に なりますが 授業料は 無料。先生は ことばを 話しません。先生は 青い 液体です。あなたに ああしろ こーしろとも 言いませんが 突き飛ばされることは あると思いますので あしからず。ハワイは 一年中 サーフレッスンをしています。今年は 波に 乗ることを 目標に ハワイへ 来るという 旅の計画が あっても いいですね。その記憶は 一生 あなたの 胸に 熱く 残ります。たかがサーフィン、されどサーフィン。
2006年02月06日
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M.Saitoさん 特に あなたに読んでほしい。『Esoteric Anatomy』~Bruce Burger日本で暮らすのに とても流暢で きれいな英語を使う あなた。この本は 私が チャドくんとの ロルフィングの セッション中に あるものが 見えて(同時に感じたという感覚も)それを チャドくんに 言ったらこんな本がと 紹介された 本です。開けてびっくり 白黒なのをのぞけば 私が 見たのと 同じものが 絵になってる。そのまま。マジ びっくり。そこまで 行っちゃうんですね、ロルフィング。あんなに 流暢な 英語を 話される あなたが 日本で 今は 教える 立場に 立ってられるのを 心から 尊敬しています。クリニックは やはり 去ることに 決めました。あの がんにかかった クライアントの事は 今後 その方の 近くに 住むセラピストを 紹介するか、あるいは 友人宅に もうすぐ 完成する セラピールームを借りて 行うのか 一緒に 検討していく つもりです。といっても もう 来週の事。それにしても この本 日本語訳は あるのでしょうか?日本なら 何でもありそう。それと またまた 気付いたのは 古代ハワイから 伝わる ロミロミにはクラニオセイクラルにあるような あるいは この本にあるような あるいは 他のテクニックに あるようなことが 重複していて 古代ハワイの 叡智は インドの それに ひけを 取らないものではと またまた感じさせられることに なったのも事実。それを 探る日も 近い?お会いできる日を 楽しみに しております。
2006年02月05日
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置き時計を 買った。引越した先に 既に デジタル式の 文字盤の 大きな 置き時計が あったのだけど狭いベッドルームに エネルギーが 過剰に 充満してもなーと 思い ねじ回し式の楕円形の 置き時計を 買った。これで 電気を 使う 製品が ベッドルームからひとつ 減った。 チクタクチクタク 忙しそうに 動いている。小さな身体のわりに 大きな音。大きな表示に 慣れてしまった 視覚は 少しの間 戸惑うことだろう。それもアナログだし。進みすぎたり、遅れすぎたり したときのための 調節までついているところがかなり 人間的。疲れてたり、走りすぎたりするのかな~?その音が 眠りの妨げに ならないことを願って 眠りにつきます。チクタクチクタク、チクタクチクタク、チクタクチクタク、、、、、、、、、、追伸ちなみに ベッドルームは 休むための 場所と 決め仕事に関係するもの、電源を必要とするもの、脱いだ服などは 睡眠の妨げになるので なるべく部屋から 排除するのが よいそうです。
2006年01月25日
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マッサージ学校時代の クラスメートが 私の週末の アルバイト先に 訪ねて来てくれて 彼女と 1年ぶりのハグ。別れ際にも もう一度ハグと いわれ ハグ。ダイビング仲間が 訪ねて来てくれて、3日ぶりの ハグ。ちょっと前まで ビッチになってた 私に 最近は 大丈夫?と 仕事仲間からの ハグ。ランチを 買いに 出かけた先で 昔 近所だった人に 会って 元気~?と ハグ。 元旦那と 映画を見に行って 映画よかったね~と ハグ。ハワイには ハグがあふれてる。国の 習慣の違いと 言ってしまえば そこまでだけど、ハグは いいものです。相手を 包み込むと 同時に こちらも 包み込まれる。特に 古代のハワイ式 ハグ は ハグをして 息を吸い そして吐く。ハグする 人と人の間に エネルギーが 循環するのを 感じると 思います。ALOHAの HAの字は 呼吸のことを 意味してます。メビウスの帯のように つながってるのを 感じる。私は 親しい人と ハグする時、この世界で 生きて出会えたことの ありがたさを思い ハグする。いま したいことは した方がいい。ハグも そのひとつ。いつかは 死んでいくのです。生きてる時間に 肉体の持つ 温度を 分かち合うのも 悪くないです。どなたか 日本で ”ハグを広める会” を始めませんか?
2006年01月22日
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先日 最後のセッションを終えた クライアントと すれ違うような タイミングで私とのセッションを 予約して下さる 新しいクライアント 登場。膝の手術 リハビリ、筋トレ、そしてマッサージという所に いらっしゃる方。以前の30%になってしまった 足の筋肉(手術した方の)を 再び ビルドするためジムに 通ってるそう。だるさを解消するのに マッサージにきます。この方の筋肉が 左右対称になる頃には またお別れの時が来ます。それまでは 隙間を 愛で 埋めて行く作業が続く。そこには 人の流れがあります。去る者 来るもの 人の流れ 風に吹かれるように どこからともなく どこへともなく_________________________________________以前から 薄茶色だった 私の目。ハワイに 居ると よく見かけます。日本に いる頃は 不思議がられてた。(最近は 色素の薄い子が 多いのでは、日本でも?) それが いつの間にか 薄茶の周りに 緑色の線が!?最初は 下1/4が。それが 時間を かけて 今は 半分の所に きている。DNAの 変化? 海の 見過ぎ?しかも 体温で 目の色は 変わります。熱があると 薄茶は もっと 薄茶に なって行く。時の流れが 私の 瞳の色を 変えて行く。あと10年したら 緑色が 360°に達して 私の目は 茶みどりに なるのかな~。そしたら 私を私と 気付かない人が 増えて 私自身も 私のことを 気付かない時があったら 世界は また変わるね。__________________________________________わたしは また 不器用な 優しさをもつ 男たちのいる世界へと 降りて行って笑顔と 優しさの やり取りを始めた。男は 自分のしたいようにするけど 誰かに やさしい自分を 感じて ほっとする。ほっとして 幸せな 気分になる。僕が 彼女に やさしくしたから 彼女は 幸せだ。男は生まれて間もなく ママへと つくすことを 学ばされる。レディ ファーストの 最初のレディは 自分の ママ。そのママが 他に男を作って 子供をおいて 出て行くケースは よくある。この国では。離婚届の 最初のページ。両親どちらもが 子供の権利の優先、そして 離婚後の 子供との付き合い方のための教育カリキュラムに 参加することを 誓わなければ 行けない。それが できない夫婦は 離婚できない。そこまで 子供の 権利が 保護される 背景には 保護されてこなかった 現実が長い歴史を 連ねる。個人の自由優先(それは問題ない)妊娠するということ あるいは出産 そして子供を持つということが自己成長の過程なのではなく あくまで 人口を増やす 自然の営み、イベントとしかとらえられてない 気がする。『うちのお母さん お父さんをだましてたの。それで離婚して だましてた相手と結婚した。それがね、10年経って また離婚。今回も 離婚する前に既に 新しい男がいたよ。』と 最近知り合った女の子が 突然 心を打ち明けた。『お母さんは 女なんだね。そして 新しい相手がいる方が 前の関係を断ち切った後で自分が 寂しくならないことを ちゃーんと 知っている。あなたは 大丈夫?その辺は 理解できる?』とわたし。えがおの 影に いつも 少しのゆがみと 遠慮が 見える 彼女。なにかあるな~ と思っていたら こういうことだったみたい。言いたいことが 他にもあるけど 今は まだ言えないような 含みのある表情が気になった。近いうち 一緒に出かけるから そのときにでも 続きは ゆっくりと話そう。今 ハワイには そういう 受け皿が必要だよねと 思う。両親の離婚、新しい男性と 恋愛する母親。あるいは 母親ではない女性と暮らし始める 父親。子供(10代の始めだったりする)は ビーチに寝泊まり。そういう人たちもいる。離婚を 止めようとは思わない。ただそういう状況を 迎える子 迎えてしまった子たちの 心のあり方をその子たち自身が 見いだし つかむことができれば 彼らは自身で 飛び立てる。それに気付くと 彼らは 過去にこだわらずに 流れて行ける。荒波の中でさえ。
2006年01月12日
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今朝は 朝から走りました。いったい何年ぶり~?ぐらい。最後に 走ったのはいつか 思い出せないぐらい。走ることは嫌い。海には何時間でもいれるのに、 ただ走るの? だめですね~。今日は 波が大きいだけじゃなくて 荒れてるのよ。西からのスウェルと言うから 西側へドライブと思ったけど寒い時期 布団の中で うとうとするのは 気持ちよくて やめられなかった。で 海行かなかったから、走った。ロルフィングの 10セッションも 昨日で終わり、体のファンクションが 総動員で 働き始めてる気がするから ちょっと試しに走った。ワイルア ビーチロードを 家の間に 海を見ながら 走っていたら来年まで 走り続けたら またでかい波 行ける。これってトレーニングになる、とふと思った。(今日走っただけなのに、その気になりやすい。暗示にかかりやすいです、はい)海に行けない日は 走ってもいいなと思った。でかい波に 行くためなら 走るのも悪くない。 説明しとくと 走ったからと言って でかい波 行けるとは 限りません。で、なんで 私は 嫌いなのに 走ろうと 思うのか?トレーニングしてると でかい波を目の前にして 波に巻かれたとしても 走ることで 心臓 鍛えてたしとか 泳ぎながら 肺 鍛えてたから少し長く息止めてられるとか 思えるだけで でかい波への恐怖心が減って行くの。行ける、大丈夫って思わせてくれる。うねりが 遥か 彼方に見えて もっとアウトに出る。自分の判断。人の動きを追っていたら タイミングがずれてセットをくらう。だから 自分の勘を 信じる。自分の 野生の部分に 全ての 判断を 任せる。体はそのもとで 働き始める。最悪の 状態にならないために。自分の波がきて パドル。テイクオフ。波の壁から 雪崩のような 音が聞こえる。空気を すごい早さで 切り裂いて行く 音も。私だけ。そこには 波の壁が 続く。一瞬の緊張。そして プルアウト。緊張からの 解放。で 笑顔。そこには 他人との駆け引きも 交流も 存在しない。ただ一人。波を滑る 自分だけ。ビーチの観客も ライフガードも 誰のことも感じない。全神経が 今ここにいる自分のために 海という 巨大な リズムをもった 生き物に向けて 開かれている。ブイの 遥か沖で わずかに 盛り上がる水の動きまで 視線がとらえる。(この時点で 視力は ブッシュマン並みに なってる可能性あり) その感覚を また味わいたくなった。だから ちょっと 走ります。
2006年01月11日
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おおきなゴキブリが 白塗りの壁を 歩いていた。いつもなら Mr.ミヤギ並みの 素早さでとらえてるのに不思議と そんな気に なれなかった。ゴキブリは わたしに 唯一 殺意をもたらす 存在だったし生かしてはおけぬ 存在でもあった。強力なやつは 箸まで かじってしまう 強力な 歯を 持ってたし何しろ あの体つきは 私のいる空間に 存在しては 行けないかのような気にさせた。成仏させた ゴキブリの数は 逃したそれよりも はるかに多い。彼らは 見つかったら最後 だった。それなのに、そんなことなど どうでも 良くなった。生きているもの、生かしておけ。そんな言葉が 心をよぎった。”何するでもなし、生きてるもの 生かしておけ”~The Melody at night with you, Keith Jarrett~I love you Porgyで 始まる このCD。だいぶ前 スローテンポの多い このCDを マッサージの時間に 使えないかと 試したが 自分の Flowが 噛み合ず しまい込んでいた。ところが クリスマスのあたりから 使いだしたら これがまた しっくり来る。しかも クライアントの皆さんも リラックスできるらしい。最近は こればっかり。手から 伝わるものも 違うらしい。変化の途上。流れの途中。安らかな眠りへと向けて。
2006年01月05日
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スエじーが 言った。どこへ行くか わからないけど 星を見ながら 金星の方角に行く、と。海を航海する人も、砂漠を旅する キャラバンも、星を見ながら旅を続けた。太鼓の記憶、旅へのロマン私は 砂漠を 旅していた砂嵐の 向こうに あなたは 立っていた別の言葉を 話すから 私は 瞳を 見つめたすると あなたは 歌った歌いながら 星を見ながら あなたは 旅の道連れとなった何も 話さなかったけどあなたも 旅人なのだと わかったやがて 街に たどり着き あなたは 去って 行ったミントティーの香り 乾いた風 そして ざらついた 唇の感触あれは きっと スエじーだね。(きめつける)
2005年12月31日
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ハワイはまだ 大晦日の前の日。最近ブログにアクセスする時間が増え 時差の中で交流するといったい今日はいつなのか わからなくなってくる。引っ越しも無事終了。新しい環境で 新しい年を迎える。来年の豊富?これと言ったものは 今頭の中にないけどとりあえず日本に行きます。ふきのとうが芽を出す頃ね。そこで 皆さんにお願い。もしも 日本でHalemahina に会いたい人がいましたら私のメールボックスまで 住所と電話などの連絡先を送って下さい。日本トリップの際の 会う人リスト を作ります。それでは 日本の皆さんは良いお年を迎えて下さい。年越しそばと雑煮? いいな~。私は 初乗り(波乗りの話)でも行きます。※ 昨日シェイパー(ボードを作る人)から突然の電話 板が出来上がったよ~だって。 えっ~ 作ったの? だって作るかどうか返事もくれないから 作らないかと思ってたのに~。 ちなみに 新しい板は ピンクで虹の絵がある。 正月開けに工場に取りに行く予定。 花咲かジーさんの 永久平和都市宣言を伊東市からにぴったりの 板かも?!! と思います。
2005年12月31日
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私の職場にタイから来たオイルちゃんがいます。オイルショックに生まれた彼女を彼女の母がそう呼び始めたのがきっかけで それが愛称となったそう。で その彼女結婚してハワイに来たはいいけど 旦那が一緒に住まないと言うから別居してた。それが結婚記念日の翌日、口が腫れ上がって 青あざになって仕事に来た。DV(ドメスティック ヴァイオレンス)。すぐに付き添いつけて 彼女を警察署へ送った。それがもとで相手が離婚の要求。結婚したにもかかわらず、彼女の居住権の書類記入を渋っていたために 彼女は数ヶ月アメリカに再入国できなかった事もある。なぜタイで彼女の親の前で結婚を誓ったのか。私にはそんな彼の心境がわからない。数ヶ月かけて離婚が成立したあと 彼女は航空会社で働く事を決定、そんで実行。両親の住む国が遠いから航空券が安く買えるというのは大事なメリットです。そのうち 心やさしい人との出会い。そして結婚。そんで今日たまたま訪ねたら、嬉しい妊娠のお知らせ。気持ちが悪くて部屋で横になる彼女に会いに。『みんなは避妊薬飲んだ方がいいよといつも言ってたけど飲まなかったんだよね。 子供が欲しいと思っていたし。』(いいの、いいの 自然に自然に)付き添いに連れられて 警察へ届け出に行ってから2年。彼女は一歩一歩確実に線路を敷いて行ったね。そしてそこには列車が走って来た。幸せに暮らしたかった。ただそれだけ。その夢は毎日確実にかなって行ってるね。勤勉な彼女に 心からの祝福のキスを送った。
2005年12月24日
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もうすぐ今年5回目の引っ越し。実際に次の所に住み始めるのは一月一日。新しい年、新しいスタート。ある友人から失恋の話。メールの最後に 新しい年、新しい男とあり 彼女がまだ懲りてない事に 逆にホットした。まだ人生捨ててないね。最近はおっくうになってた移動だけど しなくては行けないからしているうちにどんどん荷物が軽くなっていく。いい事だと思う。そのうち本を学校に寄付すると もっと軽くなれるね。軽くなってまた旅に出られたらいいなと思う。新しい場所、新しい人たちとの交流。自分がどんどんしなやかになって行く。そしていつしか飛ぶように流れるように生きるすべを手に入れられたらいいなと思う。それは既に手の中にあるのかも。どこで暮らしても私は私。日の出と日没を拝み、月を見上げる。縁がある所へ、縁が導く場所へ 流れるままに流れて行きます。命ある限り。
2005年12月21日
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母方は小川。流れてました。で父方は月館。福島に同じ呼び名の村がありますが たぶん関連がある?だから生まれた時の姓は 月館(つきだてと読む)。母方の流れか 小さい頃は アイヌ語の混じった日常会話。それがフツーだったのよね。ある日 父がそんな言葉で話してはいけないと、言葉を統一してしまった。男は固い。母が生まれた頃から使って来た言葉を修正していかなくては行けない。今考えると,それは愛でもなんでもないね。だって変えなくても通じてたのにお互い。結婚して他の名前に変えたけど 離婚すると小川か月館か今の姓ダーリンかを選べる。そんで きっと月館を選ぶ。月があるから。太陽の光を受け輝きを放つ。そんでクール(だと自分で思っている)。変化し続ける。毎日毎日。リズムを持って変化していく。たかが名前 されど名前。その名前を与えられるべくして そこに生まれて来たのは私。そういえばマナテェ、あなたは福の渦中の人ね。ラッキー。松本さん、あなたは松の木が目印のお人。たくさんの人がその木の下に集まってきますね。と言う事で私もそこに集わせていただきます。もし 誰か月館の姓の由来、知ってる人がいたらメールくださ~い。
2005年12月18日
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今日は,早く寝る。それでももう9時半。明日は早起きしたいからもう寝ます。いい夢見ようっと。
2005年12月09日
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数日前、新芽のように生えて来た羽は今や大きく拡げられるまでに。バサ、バサと羽ばたきの練習。軽くその場を飛んでみては羽の調子を確認する。でも数ヶ月はこの島を出られそうにない。ある書類が裁判所を通過するまで。沈黙のとき。エネルギーをチャージするとき。今日は踊った。クライアントさんをマッサージしながら踊った。楽しかった。身体を流れる乱れた音の集まりが いつの間にか調和して行く。均整のとれた螺旋が身体を包み込んで行く。大地のリズム,風のリズム、太陽のリズム、海のリズム。それらが空間で交響曲を奏で始める。私の手は,身体は踊りだす。クライアントの呼吸が落ち着いて行く。深く,長くそして静かに。羽の生えた軽さを 伝えて行く。光を込めて光の速度で伝えて行く。意思の疎通と光の速度はどちらが速いのだろう?あわのように生まれてくる光たちを 世界中の空から、孤独なものたちの上から降り注いでみたい。
2005年12月08日
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歩くという動作は実に奥が深い。日本でも歩き方を指導する講習をやっておられる方がいるとどなたかのブログ(ごめんなさい、忘れてしまいました)で呼んだけど本当に良い先生からちゃんと指導を受けると身体が変わるよ。今日は 2ヶ月前から始めたロルフィングのトリートメントのセッション5。左の腰骨とへその間がよくだるくなる。子宮がそちらに傾きがちと思う事もある。左足の付け根と膝も歩くときにともに働き合ってないのが最近よくわかる。左足は腰、お尻、足という関係を全く無視するかのように あるいはマネキンの足でも付け替えたかのような他人の動作をする。どこかがお互いに関し合って歩くという動きを可能にする事を無視したがってる。で、セラピストのチャドくんに人って生まれて立って歩き始めるけど こういうわたしの左脚のような不自然な動きはどうして起こると思う?歩き方知ってたのに忘れたの?それとも自然にインプットされてるのを思い出せないだけ?チャドくんは うーんと一瞬考えた後 環境は一番大きな理由かな?赤ちゃんはそばで歩いてる人を見て 歩き始める。コピーしていく。生まれたまっさらの所に 周囲から色んな事言われたりしながらそれらががどんどんと層を形成して厚くなっていって本来の姿が見えなくなるのも事実だよね。(あーっ やっぱりむいてく作業なんだ)チャドくんはよく わたしに歩いてみてと言う。そんで治療の前や後にわたしはフロアーをいいよと言われるまで何度も往復することになる。腰から歩いて下さい。よく言われる。そんで自分の凍り付いてた部分が少しずつ対話を始めるのを感じているよ。セッションは全部で10回。わたしの左の腰から足までは少し時間がかかりそうだからそれプラス3回かな。そんで自分の身体が本来を思い出すとしたらチャドくんはちょっと魔法使いと言うか術使いですね。身体は幸せ。
2005年11月30日
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日本語訳が出てたら さっさと読み終わりたい本。面白い事書いてそうなのになかなか読み進まない。間に他の本も入るからますます遅れる。今はまだ精子と卵子の結合から数週間と言う時期の どのように身体が楕円から頭とお尻を得て進化していくのかという所。冷静に考えると、生命体であってぱっと見には葉緑素とか、ミトコンドリアとかそういうたぐいの生き物にしか見えない所が不思議。そこに記憶されてる多大なデータにより それはやがて骨を軟骨を筋肉を形成していく。コンピュータのチップみたい。小さな中に本当にたくさんのデータが。私たちは形として人間であるけど そうじゃない部分だってあったわけね。そう考えると 日々の暮らしの中であーだこうだ言ってる事なんか ちゃんちゃらおかしすぎる。自分にプログラムしなくてもそこにはプログラムされてる。それを感じて 開いて伸びていくだけなのかも?しゅるしゅるって感じで。だからこうじゃなくてはとか 人間なんだからとか思う事がどの辺が?って話になります。全てはそこに君の身体とともにあるんだよね。図書館で身体の進化過程(変身プロセス?)の図でもあったら ほんとちょっと確認してみて。そういう観点から見る時 自分というものの限界が消えていくよ。私たちはなんにだってなれる可能性を秘めてる。命って素敵だ~と思う。そう気付くと気持ちよ過ぎて飛んでいきそうになる。命が喜んでるよ。ストレスの多い人、笑えない人、そういう所から人生見つめてみて下さい。明日なんて考えなくなるから。
2005年11月29日
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今日は千葉の鴨川にKOBAROと言う雑貨屋を開いているコバちゃんの話を少し。彼はアロハの人(ハワイの人を私はこう呼ぶ)よりアロハを持った人情の厚い人です。サーフィンの大会でMCをつとめる事もある彼との会話はテンポのいい音楽を聴いているようで気持ちがいい。笑いが出て幸せになる。最近はサーフレッスンを無料でやっているらしい。今年はかれこれ300人の人が参加してくれたと言う。全てがビジネスになってしまう今の世の中で 込み合ってくる海のルールをもっとわかりやすく初心者にと言う目的もあるこのレッスンを無料でご奉仕とはなかなかできるものではありません。興味のある人は(彼の人間性にも)是非連絡してみて下さい。最近ハワイとカリフォルニアで新雑貨の仕入れもしてるはず。彼が日本へ帰る明日以降にはそれらがお店に並ぶはずなので近くまで行った人は立ち寄ってみて下さい。マナテェーが参加したとき、haremahinaとはどこで知り合ったと聞かれてハレイワと答えると じゃあお前をハレイワと呼ぶとか言う所が彼です。笑えます。落ち込みがちな日を生きてる方 電話は0470-93-7586。場所は鴨川の広場です。
2005年11月28日
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ここハワイでは 乳がんにかかる女性の割合が日本に比べるとかなり高い。ハワイだけではなくアメリカ全体に言える事。以前もこのような記事を書いたような気がしますがまた書きます。なぜって女性が健康でない国には未来の発展もないように思えるから。発展以前に存続ですね。男は戦争に行き 女は一人で旦那の帰りを待てずに誰かと恋に落ちて貯金を持ち逃げするとかもよく聞く話。狩りに出るならまだしも 食えない相手と戦うのですから 利益は誰かが出さなくては行けない(国民の税金)狩りに出るなら男も磨かれる。でもそうじゃないのよね。ただし 軍は本当に特別待遇ですこの国では。家を買う時も車を買う時も ローンの金利まで全く安い。しかも色んな資格をとらせてくれるし、勉強した事が将来社会の中で役に立ってる事もある。ただ そういう人たちを生産する事のできる女性が危機にさらされると やがては戦争行きもあきらめてくれるのでしょうか。ミサイル一発がいくらとかニュースに流れる事もある。あまり公表しない方が国民の感情逆なでする事になるのでと言いたいけど、アメリカ人の愛国心はかなりのもので自分たちが自分たちのために正しい事をするなら 誰かが犠牲になってぜんぜんオーケーの所もあるのでなんだかわかってないなーと思う事もあります。私たちはひとつの国家として存在する前に一個人である事。その個人には選択権はあるのであって決して同じ方向に全員がたなびく必要もない事なはずなのに 自由の国のはずのここアメリカはコントロールの国という方があってる気がします。俺たち戦争するんで行ってきますなのではなく、あなたそろそろ食べ物がなくなったから狩りにでも行って来て下さいな的社会が来ると女性の胸も痛みから解放され 乳がんの割合も減るのでは?と思っています。それには日本の力が必要。皆さん英語を話せるようになって 是非この幼稚な国をピースへと導こうじゃないですか?
2005年11月27日
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マウイへ行くのにホノルルで乗り換えるマナテェーに会いにいった。見た瞬間、軽くなったのに気付いた。やせたように感じるのはしたい事ができてて心がすっきりしたせいなのかな?冬太り体質だから体重増えたと言ってたけど心は軽やかね~。まるで風が微笑んでるようだったよ。彼女の周りにはそれはもうたくさんの白いプルメリアの花が咲いているよう。再会の瞬間からカーテンを開けたら光が差し込んでくるように 私を包んでいる何か余計な事がすーっとむけていくのがわかった。心がすっきりすると若く見える。ポジティブなエネルギーの中で磨きがかかってるのも 嬉しかった。やはりマウイに遊びにいかなくては。空港ではブログでつながった人たちの話や 私のこれからの事なども話題に上った。再会はいいね。時を経て 再び会える人たちがいるというのは本当に 宇宙からの使者がメッセージを運んで来てくれるかのようでありがたい,ありがたい。彼女の言葉の中で心の中にキーンとひびいたものは、欲しいと思ったものは手に入るんだよ。そうだね。どんどんクリアーになっていけ~。
2005年11月25日
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アロハ~。昨日パソコンの調子が悪くなったおかげで きょうはマMacの天才に会うのにアラモアナに出向いてます。おかげで自分のパソコン使えるので日記書いてます。月初めに引っ越しケーブルの接続申し込んだら月末まで係が来れない。1ヶ月待ちです。どうしてそんなにかかるのかわからないけどそんなにたくさんの人がこの島に住んでるという事なのかもしれません。昨日はフルムーンでした。タートルベイでミーティングをしていた 某ホテルのマネージャー陣をマッサージに行ってきました。そこに元BYUで教授をしていたイシュが手相を見るのに来てたので仕事が終わってちゃっかり声をかけたら見てくれました。今の状況やこれからの事を見てくれましたが手は本当に人生を移してるな~と思いました。私には天使がついてるらしい。だから大丈夫らしい。エネルギーが多いから 人とシェアしていく事が自分を爆発させてしまう事からすくっているらしい。でもそれは本当に言えてると思います。あたってる~と言う事より手のひらの線をどのように読んでいくのかという事の方に非常に興味があった。彼は私の卒業した学校にたまに来ては ハワイのヒーリングの歴史やそこにある知恵などを語ってくれる大事な人です。日記書けなかった時期にまた色んな事があって、その事は月末ケーブルの設置が住んだら徐々にアップしていくつもりです。その間アクセスしてくれている皆さんにはとても感謝です。ハワイは冬にはいり風が冷たくなって来てます。(日本の皆さんにはこれでも暖かいと感じるのでしょうが)人は頭で考え、おなかで感じると英語の表現にはあります。そのおなかで感じる事を今は信じて歩いている所です。
2005年11月17日
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