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先日、「九州新幹線開通CM」のネタを書きながら、日本人の心とかについて、思った事を書きたいと思います。
あくまで、個人の見解です。先に断っておきますね。
誰が何を大事にするのかは、その人それぞれの生きてきた環境や過ごしてきた時間など、影響を受けたものによって、後は自分自身をどう成長させていくかによります。当然、人それぞれちがってくるのは当たり前で、それが違うからと言って、相手を否定するのは、自分の主張に相手を納得させられない自分の未熟さになると思います。


つまり、憲法にうたわれた思想信条の自由は保障されなければならない。
たとえ、どんなに危険な思想であっても、考えるだけならば保障されなければならない。





私の敬愛するユリウス・カエサルも、敵対する政治に対してこういう内容の事を言っています。

「君の主張や思想には、まったく同調することはできないが、君がその主張をする権利は、私が命にかけて守る」

ローマ帝国の、皇帝にはならなかったけれどドイツ語の皇帝(カイザー)の語源ともなった、独裁者カエサルの言葉です。



どんな主張をするのも、自由であり権利である。




周囲に危害を加えたりすることのない限り。



…危害を加えられそうな気がするのもダメだと思いますよ。



その主義主張に同調する人が多くなった場合、その主張には人々を引き付ける実力があったという事です。自分のいう事が正しいのに、ついてこないのは教育や社会が悪い、なんて思ったら、そりゃ自分の伝える力(伝え方も含めて)の未熟さにフタをするだけです。
思想や主張を人々に伝えるのであれば、自分が相手にしている人々を理解しようとすることからスタートです。自分を理解しようとしてくれないやつのいう事なんか、誰が聞くもんか。

それができないと、弾圧とかしちゃうんだよなあ。







さて。


あの九州新幹線のCM。
多くの人々が参加されたはじけた笑顔の映像を見ながら、そこはなんとなく
「秩序」のようなものを感じました。

あれはなんなのでしょう。

押し合いへし合いするわけでもなく。大きく動いても他の人との争いがあるわけでもなく。




でも、なかったんじゃないかなーって思わせる雰囲気ですよね。



「日本人の美徳」とも言える、ひとつの表れがここにあると思うのです。
周囲に迷惑をかけてはいけない、という日本人の根底にある思想がここにあると思うのです。


「自由に生きる」「自分は自分らしく」「他人を気にしない」生き方は、それはそれであこがれる生き方かもしれません。
でもね。



いませんか?誰かの間違いは大きな声で責めたてるけれど、自分が責められたら嫌がる人。


自分がその行動を取ることを周囲に認めさせたいと思うのであれば、自分がその行動を取られた時に、その見本を見せなければならない。



銃を持つ事を許可される国家では、相手も銃を持つ事を許可されるのです。
自分の主張をぶつける文化の国では、相手がぶつけてくる主張も当然のこととして受け入れるのです。自分だけ良くて、相手の行動は許さない、なんて子どもじゃあるまいし。


だからこそ、相手を思いやる心で相手との関係をとるという「礼儀」というやつが、いかに日本人を支えているか、と思うのですね。



さて。

「日本人の心」「愛国心」って書くと、一部の人から一歩引かれてしまうのですが(笑)


これ、「お国のために死んできます」イメージがあるからなんだろうな。
国のためには、死んではいけないんです。生きて、生きて、生き抜いてこそ、この国を作る力になり続けることができる。為政者は、お国のために人が死んでしまうような状況を作ってはならない。国のために死ぬことが、美しいなどと思う状況を作ってはならない。しかし、国のために亡くなられた方の命は将来につなげなければならない。
だいたい、「俺が死んだから子孫も死ね」なんて、思ってる人はいないと思うのですよ。




あ。


はっきり書いておきますけど、私は「天皇陛下」は日本という国家にとって、なくてはならない存在だと思っています。ついでに言うなら「君が代」歌うのは当たり前じゃないか、って思っています。

楽曲として歌ってて楽しいか、っていう点ではともかくとして(汗)

もし法律で「天皇制廃止」とかになっても、多くの日本人は決して認めないとも思っています。全員とはいいません。すべての日本人が日本を好きかと聞かれたら、そうではないかもしれませんし。
ただ、天皇制廃止なんて、それをする時は日本という国家が乗っ取られる時だと思いますね。


なぜかっていうと、たぶん、日本人はそれができないように刷り込まれてるんだと思うんですよ。

だって、やるんだったら鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府。
この、みっつの武家の時代にできたはずだと思うんです。
織田信長なんざ「俺が一番エライ」って思ってたはずなのに、それでも顔は立てている(笑)

朝廷のいう事を聞くわけじゃなかったけどさ。

どの時代においても、時の為政者にとっては、なくなっては困る存在だったわけですよね。




基本的に、日本の支配層というのはアジア・ヨーロッパ大陸の支配層と明らかに違うところがあります。根拠の文献を出せないので、推測みたいになってしまいますが、戦国時代以降に日本へきていた渡来人の書いたものにも残っているようです。


何が違うか。




…飯が豪華じゃない(笑)





ヨーロッパ王侯貴族の食卓のイメージってあるでしょ。
たぶん、ヨーロッパの王権は攻め込んで根こそぎうばって、ひれ伏させて成り立つものだったため、君主の力は強くなければならず、当然、その強さは普段の生活にも表れたと思います。弱けりゃ、別の国がやってくるもんね。「俺は強いんだ、えらいんだ、豪華にやるのは当たり前~」みたいな。



日本の支配者層の食事に、あの派手さはないですよね。一般庶民と、基本的にいっしょのものを食っているイメージがあります。
たしかに貧富の差はありましたから、まったくいっしょというわけではないのでしょうが、かけ離れて超豪華、ってわけではなかった。





同一民族、って事もあると思います。また、たとえて言うなら日本の支配権の奪い合いは「棒倒し」だと思うのですね。お互い同じ民族で、殿様が違うっていうだけ。ルールは基本的に同じ「武家」「庶民」の暗黙のルール。
クラス対抗棒倒し。下剋上で学年別でなくてオープン対決にして(笑)一着取ったら、表彰してもらえる。


…国盗りの場合は、上洛して「征夷大将軍」に任命してもらう。



…天皇陛下、朝廷は基本的に戦いには参加しておりませんよね。

元をたどれば、日本でケンカが一番強かった人の子孫、ってはずではありますが。



武家の棟梁ですら「帝、私はやりました」だったわけですよ。たとえ建前ではあったにしろ。



日本人が御皇族の方々の前に立つと、緊張しちゃうけどうれしくなる、って。
連綿とつづいてる気持ちなんだと思うなあ。







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最終更新日  2011.06.28 07:46:04
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