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またまた『アニメ』と『おふらんす』の関係から。 今日は容赦なく更新します(笑)フランスでは昔から日本のアニメがTVで放送されていたようです。『キャンディ・キャンディ』に『キャプテンハーロック』、『UFOロボ グレンダイザー』までウケてたらしいです。そして、多い時には週に12本も日本製アニメが放送されるほどであったとか。『ドラゴンボール』や『ポケモン』以前に、既に一大ブームを巻き起こしていました。しかしその反動が90年代にやってきます。異文化侵略に危機感を募らせた一部の大人たちが、日本アニメは過激で暴力的で低俗であると批判をはじめます。そして、アニメに規制が入り日本製アニメの比重は段々落ちていくことに・・・その一方で、番組の不足を補うために自国でアニメ制作の人材を急ピッチで育成していくことになります。その後、宮崎監督の『千と千尋の神隠し』公開をキッカケにして日本アニメの再評価がはじまり、再びブームが訪れます。宮崎監督の功績は素晴らしい!で、その日本製アニメ不遇の時代を経験した日本製アニメ大好きフランス人スタッフが日本と合作で制作したアニメが『オーバン・スターレーサーズ』です。言われなければ分らないほど日本的なアニメに仕上がっています。 公式HPはこちらもともと、この宇宙船に乗ってレースをする少女を主人公にしたアニメは、2001年にヨーロッパで行われたCGショーで絶賛された作品でした。しかし、あまりに日本的すぎると配給会社が難色を示し、最近まで番組として放映されることはありませんでした。 CGショー時のプロモーション映像はこちら ↑あゆの曲がアツい(笑)今では世界各国で放映されていますが、日本ではトゥーン・ディズニーというケーブルテレビチャンネルでしか視聴出来ないようなので、イマイチ認知度が上がらないようですが・・・で、このフランス人スタッフの一人が、以前TVでこんな話をしていました。 私たちに一番影響を与えたのは80年代初期までの日本アニメ。 特に、宮崎駿監督の『未来少年コナン』です。 キャラクターの設定や、感情表現、ストーリーなど、映画に必要 な全ての要素が入っているんです。 私たちは制作過程で迷うと、そのアイデアは『コナン』の中で通用 するものかどうか、考えてみることにしています。やはりお手本は宮崎監督。『未来少年コナン』ファンの私としても大変嬉しいお話ですね~
2007.08.18
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また今年も12月8日が近づいてきました。今から65年前の1941年12月8日(現地時間7日)に太平洋戦争が開始された歴史的な日です。奇しくも、12月9日より太平洋戦争の硫黄島の戦いを描いた、映画「硫黄島からの手紙」が劇場公開されます。そこで、今回は「リメンバー・パール・ハーバー」というスローガンについての話を。日本軍による攻撃により、真珠湾にあった軍艦や施設は大きな損害を出します。この時のアメリカの人的損害は死者が2500名ほどで、負傷者も1000名以上と言われています。これに対して日本側の損害は極めて少ないものでした。僅か数時間の間の空襲でこれだけの損害が出たことがアメリカ側にはショックであり、日本側の宣戦布告文書の通達の遅れもあって、”卑怯なだまし討ち”との印象を与えていきます。(大統領F・ルーズベルトの「恥辱の日」演説は有名)そして真珠湾攻撃を、当日ラジオで知った DON REID という作曲家が、怒りを込めてその日のうちに書き上げたのが「REMENBER PEAL HARBOR」 という曲です。誰もが一度耳にしたら忘れないというシンプルなマーチ(行進曲)で、♪レッツ リメンバ~ パール・ハーバ~ と軽快で力強い感じ。この曲はラジオを通じて数え切れないほどに繰り返しかけられて、当時のアメリカ国民の対日戦のスローガンとして定着していくわけです。そして、身近な物からありとあらゆる物にこのスローガンはコピーされ、それを目にする国民に広く行き渡っていったのでした。。。「真珠湾を忘れるな!」 「12月7日の復讐を!」ということで、ヨーロッパの戦争には距離を置いていたアメリカの国民感情も、一気に対日戦へと突き進んでいくわけです。このような分かり易い表現をアメリカは良く使いますが、(日本の「鬼畜米英」とかは抽象的すぎ!)こんなところも実に合理的だなと思いますが、これが負のパワーになった時は怖いですね。。。そもそも「REMENBER~」というフレーズは昔からありました。1836年。メキシコからの独立を目指すテキサス義勇軍が映画「アラモ」でも描かれた「アラモ砦の戦い」において、全滅します。そして「リメンバー・アラモ」を合言葉にその後の独立闘争を戦い抜いたことがありました。「彼らの犠牲を忘れるな!」ということでしょう。スローガンの雛形はここにあったわけですね。。。ちなみに、ウディ・アレン監督の映画「ラジオ・デイズ」でこの曲が聴けます。蛇足・・・太平洋戦争でアメリカ側では「パールハーバー」と「イオージマ」は良く知られています。真珠湾でのアメリカ側の犠牲者は上記の通り。硫黄島でのアメリカ軍の犠牲者は、戦死者に戦傷者を加えると日本側を上回ります。特に戦争後半では日本側を上回ったのはここだだけなんですね。この点がアメリカ側で広く伝えられている所以ではないでしょうか・・・戦争報道の内幕
2006.12.04
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昨日、TVで『鬼太郎が見た玉砕』を放送してましたね。私もなんとか録画で観れました。割と原作に沿って描かれ、水木しげる先生の体験、伝えたかったことが映像化されていたように思いました。(ビビビビビン!のビンタが凄かった)遥か南方の最前線の様子が、戦争とは無縁の楽園のような場所であったのが痛々しかったですね。キレイな海に鬱蒼と茂ったジャングル。鳥のさえずりも聴こえてくる・・・でも、そんな場所でも戦争は容赦なく襲いかかり『玉砕』命令の下に次々倒れていってしまう。最後の突撃の前に歌う『女郎の歌』は、まさに下級兵士の悲哀を言い表していて泣けました。そして『総員玉砕せよ!』を精魂込めて執筆している水木先生の姿も描かれていました。その中で、次のようなセリフが心に残りました。 私は人に同情しないんです。それは、戦争で死んでいった者が一番可哀想 だと思っているから・・・最前線で水木先生が体験した『玉砕』。地獄を見た人ならではの心に残る重い言葉でした。で、原作となったのは以前も紹介した戦記マンガ、『総員玉砕せよ!』(水木しげる著)です。ドラマでも何度かマンガのシーンが映し出されていました。ただ、このドラマは原作マンガ同様ややフィクションの要素が入ったものです。主人公丸山二等兵は最後に玉砕戦で戦死してしまいます。でも、この主人公のモデルとなった水木先生(本名 武良茂)は、玉砕戦を生き残り、その後マラリアに冒されて病床についていたところを米軍の爆撃に遭い、左腕を失うという大変な経験をされていました。そして、現地トライ族との交流。びっくりするような話なのですが、水木先生は戦時中にもかからわず、土人(先生は敢えて尊敬の念を込めてこう呼びます)の生活に入り込み、『パウロ』という名前までもらい、家族同様のつきあいをしていました。(ここら辺からして常人ではないです)片腕の上にマラリアという困難な状況だったにもかかわらず、なんとか生き延びて祖国に帰ることが出来たのは、これらトライ族の、トペトロ(美少年)、エプペ(美人の人妻)、イカリアン(老婆)など様々な人に助けてもらったことも大きかったようです。で、本書のご紹介。『水木しげるのラバウル戦記』 水木しげる著 本書は、終戦直後に描いたスケッチや戦後記憶を頼りに描いたものまで含め、水木先生のラバウルでの実体験を基に日常を綴ったノンフィクション戦記です。 この本の中でトライ族との交流も描かれていて非常に興味深いです。軍からは接触を禁止されているにもかかわらず、何度も現地人の部落に行ってしまい、上官に檻に入れられそうになるなどどいうエピソードもあるほど、奇妙なほどに彼らと気が合ってしまったようですね。この時の南方での体験が、後の妖怪や不思議なモノへの愛着へと繋がっていったのかも知れません。あ、ちなみに戦後50年にわたって交流を続けていたトライ族のトペトロとの友情を描いた作品があります。『ラバウル従軍後記 トペトロとの50年』 水木しげる著 戦後『鬼太郎』で成功した水木先生が、戦時中に受けた恩を返そうとトペトロに鬼太郎の絵を描いた自動車をプレゼントします。その時トペトロは『長年の恩が、初めて返ってきた』と言います。戦時中、水木先生へ果物を運び続けた彼ら。でも本当は貧しかった。そんな彼らも戦争に巻き込まれてしまっていたことはあまり語られていません。
2007.08.13
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『まんが日本昔ばなし』よりちょっとおバカな映像を・・・子どもの頃、毎週土曜日になると必ず観てました。常田富士男と家政婦さん(笑)もとい市原悦子がナレーションのご長寿番組ですね。小林亜星作曲のエンディングテーマ『にんげんっていいな』は耳に残る曲でした。 いいな いいな にんげんって いいなあ~にんげんっていいな↑こちらで聴けます 追記:かなりおバカな映像です(笑)いやあ~ やっぱり人間っていいですね~ 特にこういう愛すべきおバカな人間、大好きです!(笑)
2007.03.05
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最近ま~た本が増えてきたので、ちこっと整理をしてました。特に今回はコミック本をまとめる。巻の途中で買うのをやめちゃったハンパ物が結構あったので、売りに回す。(いくらにもならんでしょうが・・・)そしたらコレ見つけたんです。「赤龍王」 (全9巻)もう整理してるの忘れて思わずダダーっと読んでしまった。本宮ひろ志氏は、「男樹」「サラリーマン金太郎」など熱血マンガを描いてて好きなんですが、(そういえばなぜか「俺の空」は読んでません。代表作なのに。。。)どっちかっつーと、歴史モノがさらにハイテンションで好きですね。こんなのね↓「夢幻の如く」 (本能寺の後も信長は生きていた!というトンデモなストーリー。)「猛き黄金の国」 (三菱の創始者、岩崎弥太郎を描いた作品。宝塚で舞台化も。)中でも一番好きなのは、「赤龍王」ですね。秦の始皇帝亡き後「項羽」と「劉邦」が天下を賭けて戦う様を描いた古代中国ロマン。もう熱すぎるくらいに熱い。そして腰から下の話がやたら多い(笑)基本的に本宮氏の歴史観は自然の法則というか、川が上流から下流へと流るるごとくというか、 男と女が出会って子を成すところ歴史が生まれる的な独特のものがあります。ミョ~に納得させられるトコロですが。 特にこの「赤龍王」には色濃く(ホントに色濃く)反映されております。 なんてったって、天下の美女「虞美人」を我が物にせんと、2人が智謀と策略の限りを尽くして戦いを繰り広げるわけです。史実を元にしながらも本宮風のアレンジが効いてて面白くないわけがない。 そもそも、項羽と劉邦の性格の違いがまた面白い。 項羽は名家の出で、勇気、智謀、愛情いずれも劉邦を上回る完璧な人物。(しかもイケメン) しかし、それがゆえに自信過剰であり人を信用しない。このため良い人材が去っていく。劉邦はというと、百姓のせがれでスケベで大酒飲みのガキ大将。でも自分に能力がないことを知っているため、部下を重用する。ただ一点人徳においては項羽を上回るんですね。なので良い人材がどんどん劉邦の許に集まってくる。劉邦自体には能力が無くても部下が頑張っちゃう。・・・なにやら「上司の哲学」チックな話が出てきますね。私も劉邦を目指そう(笑) それから含蓄に富んだエピソードの数々・・・ 現代でも通用するもののなんと多いことか。 2200年も前の話ですよ。これは。信じられん。 背水の陣・四面楚歌なんて今でも使われるフレーズですもんね。 高校の漢文の授業で習うような話も多く出て来るので、あぁ~あれかぁ~なんて一々反応してしまった。(ほとんど授業内容は忘れてますが) そして劉邦が「漢」を打ち立てて再び全土を統一するわけで。立身出世の話としてもスケールがデカい。ココまで読んだら「三国志」もまた読みたくなっちゃいますねぇ。でも時間がないから今日はやめとこう。(横山光輝の「三国志」好きだけど60巻はちょっと・・・) かつて司馬遼太郎が、中国は過去に遡れば遡るほど近代のにおいがする、というようなことを言ってました。古代の頃には既に様々なモノの考え方、人の在り方が形成されていたというのがすごいっすね。もしかすると科学技術が進歩したこと以外は、現代人と大して変わらん思考を持っていたのではなかろうか? だからこそ、今でも「孫子」や「論語」なんか読まれているのではないかと。 そうそう話は飛びますが、2月3日より映画「墨攻」が公開されます。 墨攻公式HP 項羽と劉邦より遥か前の春秋戦国時代のお話。 なんでも「墨家」という専守防衛を掲げる集団がいたらしいです。 侵略はしないが、敵が攻めてきたら知略を尽くし守り切るというもの。 古代中国版自衛隊っつーところでしょうか? 現代でも、頑なに守ることを「墨守」と言いますよね。コレの語源らしいですね。 こちらは読んだことなかったので、なにやら激しく興味が湧いて来ましたよ。また一つ読みたいものが増えてしまった・・・ ただでさえ読んでいない本に囲まれているのに・・・これぞまさしく「四面楚歌」なんつって。
2007.01.28
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先日発売された雑誌『TIME』の表紙が話題になっていました。鼻と耳を切り落とされたアフガン少女が表紙だったからです。タリバン指導者の命令だったそうです。 『TIME』アーカイブ HP (画像あり) *注意 ややショッキングです雑誌は時代を映す鏡と言われてきましたが、『TIME』ではその時代を象徴する人物をカバーパーソンとして毎回表紙に取り上げています。日本人も過去に幾度となく選ばれてきました。気になったので、その中からいくつかご紹介してみようと思います。 東郷平八郎元帥 1926年11月8日号 昭和天皇 1928年11月19日号 犬養毅総理大臣 1931年12月28日号 近衛文麿総理大臣 1940年7月22日号 松岡洋右外務大臣 1941年7月7日号 野村吉三郎駐米大使 1941年9月22日号 東條英機総理大臣 1941年11月3日号 山本五十六連合艦隊司令長官 1941年12月22日号 山下奉文第25軍司令官 1942年4月2日号 板垣征四郎朝鮮軍司令官 1942年8月3日号 永野修身軍令部総長 1943年2月15日号 鳩山一郎総理大臣 1955年3月14日号 美智子皇太子妃 1959年3月23日号 岸信介総理大臣 1960年1月25日号 松下幸之助 1962年2月23日号 盛田昭夫 1971年5月10日号 昭和天皇 1971年10月4日号 麻原彰晃 1995年4月3日号 渡辺絹代 (広島原爆の被害者) 2005年8月1日号ウィキペディアによると、日本人は38回取り上げられているようです。中でも、昭和天皇が6回とダントツに多いです。全てを取り上げることは出来ませんでしたが、日米開戦に向かっていく時期と、戦時中の緊迫度があの表紙からも窺い知れるような気がします。一方で、戦後の扱いの少なさを考えると、日本は政治不在の扱いを受けているような気がしないでもありません。吉田茂の表紙がないのにも驚きました。最後の方は、恐らく戦後60年の節目で取り上げられたのだろうと思いますが、それからの5年間、日本人は全く取り上げられていない様子です。
2010.08.18
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こないだ書いた、私の子ども時代の自由研究のテーマ『橋』。なぜ『橋』だったのか、やっと思い出しました(笑)昨日、休みを利用して部屋のお掃除をしてたら、忘れかけてた一枚の賞状が出てきました。宇都宮市主催の河川愛護スローガンコンクールがあった時に入選し表彰されたものでした。おそらく私の作った標語がどこかの川で使われていたのでしょう。 君と僕 みんなで守る 清い川 確かこんな感じ(恥)で、その自由研究、実は『橋』ではなく『川』がテーマだったみたい(笑)川の流れ方や状態、そこに生息する生物などを調べ、余勢をかって『橋』も調べていたようです。実は私は小学生の時から環境問題に興味があったようで、その一環でスローガンを作ったり、自由研究をやったりしてたようです。それは、第二次オイルショック(イラン革命を契機に発生)の時代と重なったことも大きかったと思います。当時の『省エネ』ブームに乗って、我が家でも電気の消し忘れなどは徹底して気を付けていました。学校の先生にも、20世紀末には石油が枯渇するのでお前たちが大人になる頃は自動車は存在しなくなる、などど脅されていたので(笑)、このままでは地球がヤバイと子どもなりに考えていたと思います。特に、自動車が無くなったらアスファルトで舗装された道路は何に使われるのだろう?と考えてたのを覚えています。また、その先生は、当時冷戦真っただ中だっただけに、こんな話もしてました。 ソ連から発射された核ミサイルは、アメリカに届くまでには20分くらい かかるが、日本だと数分で着弾するぞ。いかにしてその数分で逃げるか。これも相当悩んでたと思います(笑)そういや『ザ・デイ・アフター』TVで観た時は衝撃でしたね。絶対長生き出来ないと思ってました。で、そんな時代に出会ったマンガがありました。愛と友情のサバイバルSF超大作『漂流教室』です。 描いたのは私の尊敬する漫画家の一人、楳図かずお先生であります。既に連載が終了してから結構経っていたと思いますが、クラスの女子がたまたまその単行本を持ち込み、あっと言う間にクラス中の人間が読みつくしたという凄いマンガでした。(ホラーものの多い楳図作品はもともと女子に人気があった 笑)上記の他にも、授業中にスモッグ警報が出され校庭に出ていたものは校舎内へ、また窓は全て締切りへなどと何度もそういうことがあっただけに、この作品にはなにか『リアル』なものを感じ取っていたのかも知れませんね。で、『漂流教室』の内容はといいますと、『大和小学校』がある日突然轟音と共に、教師や子どもを連れたまま未来へとタイムスリップしてしまうというもの。しかもその未来というのが凄くて、手塚治虫が描くようなロボットやコンピュータに管理され、チリ一つ落ちていない近代化された未来ではなく、ど~みても核戦争か環境破壊が極限にまで進んだようにしか見えない未来なんです。学校以外はほぼ全て何にもない砂漠という感じ。この未来像がまず衝撃でした。自分が生きている時代に核戦争が起こり、人々が死に絶えてしまうという怖い幻想がそこに提示されているようで、本当に怖かった。学校だけ無事にタイムスリップしてしまうという辺りは荒唐無稽な話なのですが、中心人物の高松翔より一つ下の当時5年生だった私は、とにかく彼の一挙手一投足に自分を重ね、自分だったらど~するだろうと思いながら読んでいました。そもそも冒頭のシーンで翔が母親とケンカするのですが、この出来事があったために却って母子の絆を深め、もう二度と同じ時を共に過ごせないにもかかわらず、母の子に対する愛情が壮絶で、読んでてウルウルする場面が多かったです。 また、大人は全体的に悪役視されてて、教師らは物語の最初の方でほとんど『処理』されちゃってます。ほぼ唯一最後の方まで生き残る『パン屋のおじさん』関谷がとんでもないヤツで、大人の卑怯さには本当にムカツキましたね~ ↑一応関谷さまご乱心の様子ねで、学校の周りは全部不毛の砂漠ですから、当然彼らが生きるために必要なものは何一つ残されていないんですね。このため子どもたちが結束してサバイバル生活へと突入していくわけですが、そこは楳図先生です。そう簡単にはいかせてくれません(笑)・・・というわけで、また熱くなってきちゃったので続きます(笑)
2007.08.04
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昨日外回りをしていた時のことです。 ラジオ番組に米良美一さんが出演されてました。 米良さんといえば『もののけ姫』で知ってましたが、その後についてはほとんど知りませんでした。『もののけ姫』の世界的な大ヒットで超多忙な生活をされていたようですが、その内スランプに陥ってしまい大変な生活をされていたようです。で、話の中で驚いたのが、子どもの頃は病弱でイジメにも遭っていたということと、『もののけ姫』のヒットの時は、無理して昔の自分を押し殺し笑顔を振りまいていた、ということでした。 特に母親が工事現場で働いていたために『ヨイトマケ』と差別されていたこともあったというのが衝撃でした。当時はそんなこと全く感じさせなかったような気がしてたので・・・でも、そのうち米良さんは決心します。 八方美人ではなく、ありのままの自分をさらけ出し、正直に生きようと。そして、それでも良いと言ってくれる人のために歌おうと。 『自分は嘘をつけない人間なんです』というようなことをおっしゃる米良さんが、一気に好きになりました。で、今回はもちろんこの曲を・・・ヨイトマケの唄/米良美一↑元は美輪明宏さんの歌です。曲中に差別用語があるということで、長い間放送 されてきませんでした。最近になってようやく再び聴けるようになった曲です。 この曲は、聞くたびに涙が流れてしまいます。やはり、ど~しても自分の『母ちゃん』の姿がダブってしまう・・・(涙)ちなみに米良さんはつい最近自伝も出版されました。 『天使の声~生きながら生まれ変わる』 美輪さんの『ヨイトマケの唄』はこちらで聴けます ↑美輪さんの真骨頂。これほど心をかき毟られる曲を私は他に知りません。 そういや今月は私のお袋さんの誕生月でした。(今の今になって思い出した 笑)ところで、なんかオススメの韓流作品ないっすかね?(笑) 今頃になって『ヨン様ブーム』みたいなので(笑) (私はよう知りませんですのじゃ) ・・・ま、今回は親父さんは出番無しということで(笑)
2007.08.02
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やっと録画していた『落日燃ゆ』を観ることが出来ました。いやはや。涙が止まらなくて始末に困りました。想像してたよりもいい出来でしたね。キャストもいい案配でした。広田弘毅役の北大路欣也が素晴らしく、信念を貫いた男を良く表現していたと思います。内容は以前書いた記事、ほぼそのままの感じがしましたね。平和を願って軍と対立していたにも拘わらず、軍人と一緒に処刑されてしまった広田弘毅。でも、彼は軍人のせいにして逃げる卑怯者ではなく、自らすすんで悲運を引き受けた。興味深かったのが、あの時代の話なのに東條英機が全くといっていいほど出てこなかった点。視点を広田に合わせてあの時代を見ると、また違った印象がありましたね。吉田茂との関係も見どころでした。戦時中に吉田が憲兵隊に逮捕された際、広田は『これで吉田はいいお免状をもらったんだよ』と言います。広田が既に戦後を見越していたことが窺えて興味深いです。事実、戦後になると、このお陰で吉田は軍に抵抗した男として首相になるわけですし。戦後の東京裁判では、日本は上下一致、徹頭徹尾一貫して世界への侵略を企てていたと断じますが、そんな話を広田はどう受け止めていたのか、やはり肉声を聞きたかったなと思いますね。他の被告に迷惑がかかると、一切自分を弁明するようなことは言わなかったようですが・・・『自ら計らわぬ』(ドラマでは『自ら計らわず』でしたが)。敗戦国となった日本で、軍人にのみ責任を負わせようとした空気を広田は感じ取っていたのではないでしょうか。彼は、戦勝国による報復感情、また国民の被害感情を慮って、将来日本が復興した時のためにもここは敢えて文官からも絞首刑が出ないといけないと思っていたのではないでしょうか。裁判のはじめから絶対死刑を覚悟していた東條英機と共に、彼もまた覚悟を決めていたのかなと、そんな気がします。戦後、平和国家となった日本で彼の外交手腕が発揮されていたら・・・と、そんなことも考えてしまったドラマでした。(一応フィクション扱いでしたけど)そうそう、東京裁判について、私は一つ思うところがあります。あの裁判が正しかったかどうかも重要だとは思いますが、何が裁かれたのか、と同じくらい、何が裁かれなかったのか、を考えるのも一つだと思うのでありますよ。こことっても重要です。(でもテストには出ないだろうな 笑)
2009.03.17
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そうそう、怖い絵と言ったらボスの地獄絵がありましたね。 ヒエロニムス・ボス (ウィキペディア)一度見たら忘れられないブキミさ!!何なんでしょう、この妄想力は! 凄すぎるぞ!しかもこの人、織田信長の時代よりも前の人だし。で、その絵を使ったPVがあります。なかなか出来が良いんだな、これが。 ボスの地獄絵を使ったPV *ただしグロいので要注意!
2009.03.02
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さすがに月末は忙しい~久々にお仕事のお持ち帰りをしてしまいました(涙)さっきようやく終わったところです。とにかく今日は時間がないので、ふっと降臨したこの曲を聴いてもう寝ます。 メトロポリタンミュージアム 映像私も大好きな本の中に閉じ込められたい~(おいおい 笑)毎度お返事もろくに返せず申し訳ないです~
2007.10.29
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仕事帰りに、クリント・イーストウッド監督「硫黄島」2部作の日本側を描いた、「硫黄島からの手紙」を観てきました。今までいわゆる”戦争映画”は結構観たつもりですが、この作品は私の中では1番の映画でした。1945年2月にはじまる「硫黄島の戦い」を日本側視点で描いた本作は、前年6月に硫黄島守備隊総司令官として着任する渡辺謙演ずる栗林忠道中将を中心に、米軍による日本本土空襲を防ぐための最後の防波堤として、補充も撤退も不可能な状況の中、水も出ない孤島で守備隊将兵がいかに戦い死んでいったかを描いています。まず、驚かされるのが栗林中将の軍人らしからぬ言動。米国留学を経験した知米派で徒に玉砕を叫ばず、合理的な思考で米軍と対峙する指揮官として描かれる。渡辺謙の演技を見て、監督の「彼がいなかったらこの映画は撮れなかった」という言葉に納得でした。この島を失えば本土が空襲に晒される。郷土や肉親たちを守るため一日でも長く、最後の一兵まで戦うという強い意志。。。その一方で、米軍が上陸した後も手紙を書き続け家族を気にかける一人の父親としての姿が胸に迫るものがありました。彼が日本本土からの”ある”ラジオ放送を聴くシーンでは涙が止まりませんでした・・・また、硫黄島守備隊の下級兵士役の二宮和也、ロサンゼルスオリンピック馬術金メダリストで実在の西竹一中佐役の伊原剛志、元憲兵の清水(加瀬亮が演じる過去のエピソードに号泣!)などの演技も違和感無く観れました。彼らが守りたかったもの、家族を思う気持ち。亡くなった将兵のその無念の気持ちを思うと涙が頬を伝わります。。。実際映画館のあちこちですすり泣く声が聞こえ、老若男女等しくその気持ちが伝わった様子。映画館を出た後、外は非常に寒かったですが、火照った体を冷ますには丁度良いものでした。・・・この映画、始まってからは全く気にならなかったのですが、よく考えてみるとアメリカ人が監督のアメリカ映画なんですよね。ほぼ全編にわたり日本語のセリフが続き、「父親たちの星条旗」と正反対で米兵のセリフや心理描写はほとんどありません。こんな2部作を作った監督をスゴイと思う一方で、日本で作られないのが残念です。。。 栗林忠道中将 上陸する米軍蛇足・・・硫黄島での死闘が終盤に差し掛かった頃より、米軍による大規模な本土空襲が開始されます。3月10日東京、12日名古屋、13日大阪、16日神戸・・・と、大都市を中心に連日のB-29による爆撃で本土は焦土と化していきます。(東京大空襲は「ガラスのうさぎ」で、神戸空襲は「火垂るの墓」で描かれてます)また、硫黄島は現在も民間人の立ち入りは厳しく制限されていますが、常駐する自衛隊員でさえも禁じられていることがあるそうです。それは、「硫黄島では、砂粒1つ持ち帰ってはならない」というものです。なぜなら、死んでいった将兵の遺骨多数が、未だに収集出来ずそのまま「硫黄島の砂」となっているからです・・・ 常に諸子の先頭に在り 『硫黄島からの手紙』サントラ 硫黄島の砂
2006.12.12
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昨日はお休みでした。 家で部屋のお掃除してました。お掃除と言ってもほとんど本やDVDなど散らばってるのを単に整理してただけなのですが。毎回そうなるように、今回も度々インターバルを取りながらの作業となったので、イマイチ進みませんでした。で、その中断の原因の一つが、この本を発見してしまったこと。『いっしょにスーパー』 けらえいこ著 けらえいこと言えば、『あたしンち』の作者ですね。『あたしンち』はほのぼのファミリーマンガでアニメ化もされており、今や『サザエさん』に匹敵するほどの国民的マンガだと思います。『あたしンち』 HP*音量注意で、『あたしンち』の前には、『セキララシリーズ』という作品群があります。 ほのぼのとした私生活を『セキララ』に綴ったエッセイマンガのシリーズで、これが非常に面白いんですね~私も一時期結婚生活を送っていたことがあるので(笑)、『あるある~』的な部分が多く、当時は元奥さんと良く読んでおりました。ま、今でもこういうほのぼの系は好きなんですけどね。特に笑えたのが、『いっしょにスーパー』と『7年目のセキララ結婚生活』。 新婚時の恥じらいもどこへやら。数年も一緒に生活をしているともはや『他人』ではなくなりますよね(笑)子どももいないし、そろそろ倦怠期を迎えようかというお年頃なのですが、未だにラブラブなんすよ~という感じで、ある意味オノロケ全開~な仕上がりになっております。夫婦一緒にスーパーへお買い物に行く話の他にも、日常生活の中でのささいな話がテンコ盛り。この作者にかかると『日常』も面白くなってしまうんですね~『あたしンち』の原形ここにあり、という感じでしょうか。 そういや私は最近スーパーでは買い物してないなあ~と思ったら、独り身になってからはコンビニ専門になってましたね。皆さんのところはどうでしょうか? 私は当時は良く付き合わされましたがねえ~でも、なぜか最後はケンカになっちゃうんですよね(笑)(余計なモノ買うなとか、時間が長いとか、荷物はどっちが持つとか・・・笑)絵柄・構成は『あたしンち』とほぼ同じですね。見事なラブラブっぷり~(ウチも最初の半年くらいはこうだったのだが・・・)
2007.06.16
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去年、中国のTV番組『超級明星』に、いっこく堂が出演していた際の映像。ちょっと長いですが、面白かったので載せちゃいます(笑) いっこく堂 中国のTV番組『超級明星』に出演 1 いっこく堂 中国のTV番組『超級明星』に出演 2 いっこく堂 中国のTV番組『超級明星』に出演 3いっこく堂はやっぱスゲ~人を幸せにする力があります。それに、笑いに国境はないのですね~
2008.06.13
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書店で無料で配布しているものです。 版元さんが独自に出しており、文庫、新書、コミック、単行本・・・と何でもあります。書店に置いてなければ、店員さんに取り寄せを頼むことも出来ます。もちろんタダ。中はこんな感じ。 作者順に並んだ書名が、解説付きでずらっと並んでいます。時刻表を読み物として読む人がいるといいます。まるで旅をしている感覚になるそうです。私もそんな感じでたまに目録を読みます。とても勉強になります。書店に足を踏み入れた際には、目録をもらってみると良いでしょう。何かと使えます。なぜ急に目録なのかというと、実は、先日元スタッフより何か面白い本はないかと急に聞かれ、フハッ、と言葉に詰まってしまったので、慌ててチェックしているから(笑)今晩のおかずは何にしようかな~?おいしいやつ!!これって結構困る。
2010.08.21
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今日は、朝から家の目の前で道路工事。。。私の寝室を直撃しやがりまして、睡眠不足。本日は大層眠かったといいます。。。話変わって、土曜日にスマステで「松田優作」特集をやってました。最初から観られなかったのが残念だったのですが、(ウチにはVIDEOがない! HDレコーダーとかいうハイテクもない! 彼女もいない!)改めて松田優作のスゴさを見て、しばしボーゼンとしてしまいました。松田優作といえば、私は、TVドラマ「太陽にほえろ!」のジーパン刑事(「なんじゃこりゃ~~」のセリフは超有名ですよね。)同じくTVドラマ「探偵物語」の工藤俊作そしてハリウッド進出を果たした映画「ブラック・レイン」(サトー役)を思い出しますね。とりあえずソッコーでレンタル店で「ブラック・レイン」借りちゃいましたっ!(笑)おのぼりサンと言われようがかまやしないっすよ。だって好きなんですもの。そうそう、また話が変わりますが、平成元年(1989年)は、多数の著名人が亡くなってますね。1月7日の昭和天皇から、(1月7日は厳密には昭和64年であります)手塚治虫、松下幸之助、美空ひばり、開高健、色川武大(阿佐田哲也)・・・などなど昭和を代表する方たちが、昭和の終焉とともに相次いでお亡くなりになったのが非常に印象的でありました。(個人的には「のらくろ」好きだったのでこの年に亡くなられた田河水泡さんも入れて欲しい・・・)同じくこの年の11月6日に、俳優松田優作サンがお亡くなりになってたんですね。。。なんでも「ブラック・レイン」の日本公開後わずか1ヶ月後のことだったらしいです。。。既に映画撮影中に病に侵されていたのですが、周囲には全く知らせずに撮影に集中していたそうで・・・実に惜しい。もっと出演作を観てみたかったですね。。。次回作として、ショーン・コネリー監督、ロバート・デ・ニーロ主演(!)の映画の共演の誘いがあったという話です。。。 合掌。下記で「探偵物語」のOP映像が観られます!YouTubehttp://www.youtube.com/watch?v=0GMVUXlNsqs&mode=related&search=
2006.11.07
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最近これを再見する機会があったのですが、改めて観ると”美しい”映画だったんだな~ と思いました。映像と音楽、そして男同士の愛(?)と友情の姿・・・第二次世界大戦時が舞台で、登場人物が軍人なので、一応戦争映画と言えなくはないのですが、もしそうならば、最も美しい戦争映画でしょう。。。(劇場で見た時はまだコドモだったので、大人の世界が良く分からなかったのれす)キャストも異色ですね。大島渚監督のもと、坂本龍一(ヨノイ大尉)ビートたけし(ハラ軍曹)デビッド・ボウイ(ジャック・セリアズ少佐)など。。。1942年 ジャワ。英・蘭兵が収容される捕虜収容所。所長のヨノイ大尉が、新たに収容されるセリアズ少佐に一目惚れ(!)し、ハラ軍曹とローレンス中佐(トム・コンティ)は次第に友情を感じるようになっていく・・・まずこの映画は美しい音楽がいたく印象に残っております。「戦メリ」のテーマ曲はじめ坂本龍一の音楽。セリアズの弟が歌う「RIDE RIDE RIDE」(でしたっけ? 昔買ったサントラが手元にない・・・)。あと、大好きなのが劇中何度か流れる 「賛美歌第2編41番」(主はわがかいぬし)ですね~この曲聴くとなんか泣けるんですよね~余談ながら、「ビルマの竪琴」の中で、英国兵と日本兵が「埴生の宿」を合唱するシーンがあったのですが、それも感動しましたねえ。(この2作は音楽でも泣かされる・・・)あと、セリアズがヨノイと頬を合わせ、両頬にキスをするシーンは、ありえねえ~ とか考える余裕をも奪い、只々入り込んでしまう場面でしたね。また、ヨノイが埋まっているセリアズの髪を切り、敬礼をする。セリアズ絶命シーンも胸に迫るものがあります。そしてそして、ラストのハラとローレンスの、人種も、信じる神も違う2人が立場さえも逆転した再会シーンで、そこにあった、確かに存在した儚くも悲しい”友情”を確かめ合う言葉、「Lawrence! Merry Christmas, Merry Christmas, Mr.Lawrence」が、あまりにも有名なセリフですが、やっぱ何度観ても泣けます。。。・・・映画は泣けるのですが、その昔「たけしの元気が出るTV」の中で、河童を捜索するコーナーがありまして、その時に必ずこの「戦メリ」のテーマが使われており、異常にウケまくった記憶が・・・ フクザツな気分です。。。
2006.10.27
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やっとこさ『硫黄島からの手紙』DVD観れました。 映画の内容は既に多くの人が記事にしていることと思いますので、 ちょっと私的に気になったことをいくつか書いてみます。 とりあえず劇場公開時に書いたものはこちら で、改めて観てやはり泣けましたね。。。 個々のエピソードやタイトルにもなっている家族へ宛てた手紙の数々もそうなのですが、最も心に残ったのは、最後の最後となって、総攻撃を行うにあたり栗林中将が部下に訓示するシーン。 今より総攻撃をかける。日本が戦に破れたりといえども、 いつの日か国民が諸君らの勲功を称え、 諸君らの霊に涙し黙祷を捧げる日が必ずや来るであろう。 靖んじて国に殉ずるべし。 余は常に諸子の先頭に在り。ここに至るまでには61年の月日が必要だったかと思うと涙が止まりませんでした。このセリフを入れたイーストウッド監督に感謝したい。あと、劇場で観た時には分からなかったのですが、 最後の決戦の前に、本土からのラジオ放送である歌が流されます。 栗林中将の故郷、長野県の子どもたちが歌う『硫黄島防備の歌』でした。全部は長いので、最後の6番の歌詞を・・・ 『硫黄島防備の歌』 作詞 硫黄島守備隊 われらこの地にある限り 皇土は安し永遠に 日本男児の名を賭して 苦難に克ちて護り抜く 誉れも高き 硫黄島 ・・・栗林中将がこの歌を聴くシーンも本当に涙なしには観れないですね。で、私が購入したのは映像特典付きの特別版でした。収録されているクリント・イーストウッド監督のインタビュー。 アメリカ人が日本人の指揮官を主人公に映画を撮りたがるなんて変に 思っただろう。しかし何十年もたった今、日本国民は改めて彼らに感謝 する必要があると思う。勝ったか負けたかなんて関係なく、彼らが犠牲 を払ったことで現在があるという事実にね。 日本人の俳優たちは硫黄島の戦いについて全く知らなかった。 学校で教えていないんだ。何らかの理由で語られることもない。 日本人が硫黄島の戦いなど近代の歴史を振り返るようになったのは最近なんだ。今の繁栄のその影には何があったのか。知っておくべき歴史だと思います。それを知らないから『繁栄』・『平和』の大切さを知らないのではと。かなり日本について研究して製作されている映画なので、他の日本を描いた作品に比べ、ヘンに感じるストレスは少ないと思います。(ま、細かい部分はご愛嬌ということで 笑)とにかく素晴らしい『日本映画』でした。(そういやコレ日本映画コーナーに置いてるレンタル店もありましたね)もっとも、ワールドプレミア時の監督。日本の印象を尋ねられて一言。 (日本に)また来られてうれしい 年をとった日本人監督としてね。さすがです!! ぜひ次回作も日本を題材に!!(笑)蛇足・・・昔TVで見た話です。昭和60年2月19日。米軍による硫黄島上陸40年にあたるこの日、当時の激戦を戦い抜いた日米の生存者や遺族たちがここ硫黄島で再会するという行事が行われました。その際に日米両文で書かれた石碑が建てられました。日本文が刻まれた山側には日本人参加者が、英文が刻まれた海岸側には米国人参加者がそれぞれ整列。これは、40年前の互いの位置を再現したものでした。しかし、今回は除幕式の後、日米の老兵たちは誰ともなく互いに歩み寄り抱き合って泣いたそうです。 これは『名誉の再会』と名づけられました。 『再会の祈り』 (碑文) 硫黄島戦闘四十周年に当たり、かつての日米軍人は本日茲に、 平和と友好の裡に同じ砂浜の上に再会す。 我々同志は死生を越えて、勇気と名誉とを以て戦ったことを銘記すると共に、 硫黄島での我々の犠牲を常に心に留め、且つ決して之を繰り返すことのない よう祈る次第である。 昭和六十年二月十九日また、戦後50周年にあたる平成7年(1995年)の慰霊式典では、貴乃花、曙という日米の横綱が慰霊のための土俵入りを行ったとのことです。
2007.04.25
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以前『のらくろ』について書きましたが、 戦争とマンガ(アニメ)が関係してくるのは何も日本だけではありませんね。アメリカでも第二次世界大戦当時、多数の反日(あるいは戦意高揚)マンガやアニメが制作されていたようです。スーパーマンやミッキーマウス、ドナルドダックだって対日戦に動員されていました。セーラーマン(水兵)のポパイはもちろん日本相手に大活躍します。そんなポパイの映像を・・・ ポパイ 『Your a Sap Mr.JAP』意味は『ジャップは馬鹿』みたいな感じでしょうか。登場する日本人がいかにも典型的。出っ歯にメガネの醜い顔。(←コレを最初に描いた人は一体誰なのでしょう 笑)一見礼儀正しそうでも、そのウラでは嘘をつく。(これは『真珠湾の騙し撃ち』を印象付けているのでしょう)そして見た目は凄い軍艦でも、しょせんは『MADE IN JAPAN』だと。つまり安物の粗悪品というイメージですね。なんか、今見るとあまりに典型的すぎてて失笑してしまいますが、当時の日本で喧伝されていた『鬼畜米英』とかと大差ない気がします。余談ですが、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』の頃から日本の評価が逆転するんですよね(笑)壊れた部品が日本製なのを見たドクが、『やっぱりメイドインジャパンだ』と言うシーン。昔は日本製といえば粗悪品の代名詞だったのでしょうね。そこでマーティがこう言います。 『ドク、日本の製品は最高だぜ』 『信じられん~』『悪い』日本のイメージが払拭されるまでには、半世紀以上の月日が必要だったのでしょうね。大戦当時の日本人が『クールジャパン』なんて言葉を聞いたら、一体どんな思いで聞くことでしょう・・・それだけにお互いの『信頼』というものは、一朝一夕には達成されないということなのでしょう。・・・中国製の食品に関する報道を見ていて、特にそう感じました。果たして日本のように努力を積み重ねて評価を覆すことが出来るのかどうか。まさしく今後にかかってくることと思います。
2008.01.31
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Julian Beever という人がオイルチョークで路上に描いた作品です。 Julian Beever 作品集動画 この人かなり凄いですね。映像で見ると本物に見えます。 一体どこまでが絵でどこまでが本物なのか・・・もちろん上の画像も路上アートです。勝手に排水溝まで描いちゃっておもろい人ですね~モチーフの選び方もグ~っすね。ある一定の角度からのみ『作品』として見えるのでしょうね。それを計算した上でここまで描けるのですから凄いです。 Julian Beever 公式HP ↑多数の作品が公開されています・・・昨日はついに更新出来ませんでした(涙)朝からセールの手伝いで駆り出されていたというのもありますが、あまりの暑さにやられ、帰ってからダウンしてしまいました。なんか軽い熱中症ぽかったです・・・なかなか体から熱が引かなかったんですよね。でも、ひたすら寝てたので今日は大丈夫そうです。なのでお返事遅れてますがどうかご容赦を~
2007.08.25
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しつこいようですが、今日はお休み(笑) なので、『ガンガンいこうぜ!』(分かります? 笑)今回は皆さんの大好きなルイ・ヴィトンのCMから。日本を代表するポップアーティストの村上隆氏と、『時をかける少女』で知られるアニメ監督細田守氏の夢のコラボレートで制作されたアニメです。ルイ・ヴィトンCM 『SUPERFLAT MONOGRAM』2003年春夏コレクションの時に、世界各国のルイ・ヴィトン店頭で公開され、話題を呼んだそうです。これで海外の人も『KAWAII』の何たるかが分かったのではないでしょうか(笑)このルイ・ヴィトンの特徴あるモノグラムは、日本の家紋にインスパイアされたものとも言われていますが、そうして見るとなんだかそんな感じがしてきますねえ。浮世絵などの日本の文化が昔からヨーロッパにも影響を与えていたことを考えると、今日の日本ブームは驚くに値しないのかも!?
2007.08.18
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今から83年前の1926年3月16日。 この日、人類史上初となる液体燃料ロケットの発射実験に成功しました。 場所は、アメリカ・マサチューセッツ州オーバン。 クラーク大学教授ロバート・ゴダードによる快挙でした。 (写真はその時のもの) この日、農場は雪に埋まり、風も強かった。そのため、発射台の 周囲が防風用の板で囲まれた。助手は火のついた棒でロケットの エンジンに点火すると、すばやく逃げた。 何秒間かエンジンが火を吹き続け、推進剤の燃料が減って軽くな り、やっとロケットが浮いた。ゆるゆると上昇し、次に速度を上 げたとたん、ロケットは地上に落ちていた。 飛行時間わずか2.5秒、飛行距離56メートル、最高時速90キロメートル。ライト兄弟が初飛行してから23年目の出来事でした。 ゴダードはH・Gウェルズの『宇宙戦争』を読んだことが、宇宙への興味を持つきっかけになったそうです。調べてみると、『宇宙戦争』は1898年に書かれたようです。 ライト兄弟の初飛行が1903年ですから、それよりも前に既に書かれていたというのが興味深いです。 既にその頃、ロシアでは宇宙開発の先駆者が登場していました。 コンスタンチン・エドアルドビッチ・ツィオルコフスキー。 耳が聞こえなかった彼は、図書館に通って様々な本を読み、 そこから独自の理論を打ち立てていったそうです。 ロケット理論、宇宙服や宇宙遊泳、人工衛星、多段式ロケット、軌道エレベータなどなど・・・ (ウィキペディアより) ライト兄弟の初飛行の段階で、ロシアの片田舎ではここまで宇宙に近づいていた。ゴダードの業績も彼の理論なくしては成し得なかったことでしょう。 ツィオルコフスキーは1857年9月17日生まれ。 その生誕100年を記念して打ち上げられたのが、 ソ連による人類初の人工衛星スプートニク1号でした。(1957年) 今日の不可能は 明日可能になる ツィオルコフスキーの言葉。 今年はガリレオの望遠鏡による天体観測から400年、 アポロ11号による月面着陸から40年という年です。 宇宙に関する本もたくさん出てくることでしょう。 さて、未来の科学者たちはどんな本を読んで想像を膨らませるのでしょうか。 今年は宇宙に関する本のフェアもやりたいですね。
2009.03.07
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クリスマスに絵本をプレゼントされる方も多いと思いますが、サンタさんが出てくる絵本以外にも、プレゼントにいい絵本は色々あると思います。 これからいくつかご紹介していきたいと思います・・・(担当ではないので私の独断と偏見で選んでますが) 「しろいうさぎとくろいうさぎ」 福音館書店 ガース・ウィリアムズ作・絵 松岡享子訳 定価1,155円 発行1965年6月1日 一部内容 しろいうさぎとくろいうさぎ、二ひきのちいさなうさぎが、 ひろいもりのなかに、住んでいました。 二ひきは毎日、一日中楽しく遊びました。 あるとき、ニひきで遊んでいる最中、 くろいうさぎが座り込み、とても悲しそうな顔をします。 どうしたのか訊ねるしろうさぎに、くろうさぎは言います。 「ぼく、ねがいごとをしているんだよ。 いつも いつも、いつまでも、きみといっしょにいられますようにってさ。」 二ひきは手を握り合い、たんぽぽの花を摘んで耳にさしました。 他のうさぎたちや、森に住む動物達がやってきて、 月の光の中で結婚式のダンスを踊ります・・・ 淡い絵がステキなんですねえ~ 温かくて優しい空気が流れて心和みます。。。 これ実は先日出席した部下の結婚式の余興で使われました。 新郎=「くろうさぎ」 新婦=「しろうさぎ」に扮して朗読させたんですね。(ブッツケ本番で!) 「いつも、いつも、いつまでもっ!」ってそこだけ死ぬ程リピートさせてあげました(笑) 福音館書店HP 皆さんには心に残る絵本はありますか? 私は教科書にも載っていた「スイミー」ですね。 「ぼくがめになろうっ!」ってのが印象に残ってますね。。。 「スイミー」 好学社 レオ・レオニ作・絵 谷川俊太郎訳 定価1,529円 好学社HP
2006.12.01
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昨日購入した本です。『客室乗務員は見た!』 伊集院憲弘著新潮文庫の新刊です~『家政婦は見た!』みたいなその感じに、いたく覗き見根性を刺激されました(笑)どうも私にとって文庫は『別腹』らしく、ついつい購入してしまいます。読む時間も置き場所もないのですが、まあ、それはそれで・・・とりあえず半分くらい読んだのですが、結構面白いですねえ。実際にJALで客室乗務員を長らく勤めていた著者が、自身の体験や収集した話を元に構成。高度1万メートル上空で繰り広げられたお客様と乗務員の悲喜こもごもの話を紹介しています。私は販売業をしているので、つい乗務員側での視点で見てしまいがちですが、それを差し引いても航空会社の大変さが良く分かりますね。『ファーストクラス』の方々のワガママやルール違反。お酒も入るので乗務員への暴力もしばしば。一万メートル上空の機内で乗務員が土下座されられることもあるとは。いやはや。なんだか結構笑えない部分も多いです。でも、本書は単に『困ったお客』の羅列に終始しているのではなく、その場合にはどう対処すれば良いのかを自身の経験を元に書いているので、私としては勉強になる部分が多いです。(この方はかなりスマートに解決されてますね~ カッコイイ!)それにしても『困ったお客』たちは、飛行機に乗るとつい王侯貴族にでもなったつもりになるのかしらん。それとも密閉された空間が人を変えるのか。もっとも、そういうお方は地上にいる時もそうなのかも知れませんが・・・ま、今では法律が改正されて、そういう困ったちゃんに対しては厳罰化の方向みたいですから少し安心といったところなのでしょうか。私は翼が生えた乗り物は今まで一度も乗ったことがないのですが、実際に機上の人になったことのある人ならば、あるある~と『あるあるコール』が起こること間違いなしかと思いますね。そういや、『書店員は見た!』的なことが過去にありました。雑誌を買われるお客様が、平積みしてある雑誌の一番下のものを引っこ抜いて買おうとされてるのを目撃。一番上は人が立ち読みしたものなので、一番キレイな部分を買おうとされたのでしょう。分かります。うんうん。でもね。積んであるものを崩したら、直してくれると有難かったりするんですがね~ 『それがアンタらの仕事でしょ!』 過去に若いオネーサンに怒鳴られたスタッフがいました。はい。ごもっともです。そもそもヨレヨレの本を一番上にしてる方が悪い。なので、手が空いた時、一番上と一番下を入れ替えているのはここだけのナイショにしといて下さいね(笑)(常にキレイな本が一番上に来るようにした方が良いのです)まあ、この著者のように、日々お客様へのサービス向上のための努力を惜しんではいけませんねぇ。
2007.06.11
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『ハンニバル・ライジング』に続いて昨日観てた映画です。 『バリー・リンドン』 (スタンリー・キューブリック監督) 実は、この映画。何度か挫折してたんです(笑)だって、長いんですもの(笑)優に3時間はあります。*注 ネタバレアリで、内容はというと、時は18世紀。あるアイルランドの一青年(バリー)が、口八丁手八丁で成り上がり、ついには英国貴族の仲間入りを果たす、というもの。一見するとサクセスストーリーみたいなのですが、そうでもなく、最後には無残にも落ちぶれていってしまうんですね。そのバリーの半生を3時間かけて淡々と見ていくことになるわけです。もう30年以上も前の英国映画ですから、出演者はほとんど知らない人ばかりでした。でも、とにかく映像がキレイ・・・前からこの映像は一見の価値があると言われていたので気になっていたのですが、当時の雰囲気(別に私はそれを直接見たわけではないのであくまで脳内イメージですが 笑)が良く再現されているのではないかと。 特に夜のシーン。当然ながら当時は電灯なんかありません。ロウソクの灯で灯りをとっていました。そのロウソクの灯の揺らめき、淡い陰影、浮かび上がる人物や装飾品・・・ 6日かけて神は天と地を創造された 7日目にキューブリックが修正したなあんて言われるほどの完璧主義者のキューブリック。そこら辺の映像美はさすがでした。『2001年宇宙の旅』の時もそうでしたが、長く長くカメラを回す手法は、一歩間違えると間延びしてしまいそうなところですが、じっくりと目の奥に焼き付くほどに華麗な映像を見せてくれました。お城をバックにした風景、絵画や調度品、そして衣装・・・どれも『本物』を感じさせ、観る者を18世紀に引き込みます。で、気になったのが、当時の上流階級の貴族の生活。世界中を植民地にして富を集め、その頂点にいた人たち。貴族は庶民とはかけ離れた生活っぷりでしたね。酒に女に博打・・・おいおい、遊んでるだけかよ~(笑)少しは剣の鍛練でもやれよ(笑)(一応戦争はしてましたけど)あ、そういや短銃での『決闘』シーンは何度か出てきましたね。あれはあれで興味深かったですが・・・ま、久しぶりに良い映像を観れた感じでした~但し、外国の歴史映画が苦手な人にはこの3時間はちょっと辛いかも(笑)蛇足・・・9月といえば『お月見』ですね~で、その『月』とキューブリックの意外な関係でも・・・ 未だに良く言われる話でこんなのがありますね。 アポロの月面着陸映像はキューブリックが撮ったニセモノである。 未だ人類は月へは行っていない。これは、『バリー・リンドン』を自然光だけで撮影するため、NASA用に開発された特殊レンズを使ったことに起因しているようです。でも、本当にキューブリックが撮ったとしたら、恐らくもっと『完璧』な映像だったのではないですかね~(笑)それにしてもですね、こういう本がわざわざ出版されるほどに人類の月着陸を信じていない人がたくさんいるらしいです。それはそれで非常に興味深い現象だとは思いますが・・・(笑) 『人類の月面着陸はあったんだ論 と学会レポート』 山本弘著
2007.09.22
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今日はお休み~嫌なニュースが続いていますが、気分を変えるのにこんなの観てました。『The World of GOLDEN EGGS』 アメリカのターキーズヒルを舞台に、その住人が巻き起こす様々な珍騒動を描いた秀作アニメです。時々間違えたりつっかえたりするセリフが好き~また、セリフに英語の字幕がつくので、英語の勉強にもなるかも(笑)とにかくキャラクターの自然な動き&セリフが好きでDVD全部揃えちゃいました。いくつか動画観れますので、お試しにどうぞ。ロバート先生は上の空 ↑ターキーズヒル高校のロバート先生頑張れ~ 教頭がなぜか関西弁(笑)期待してまっせ! 家庭教師ミシェル ↑レベッカがフランス語を学ぼうとしますが、その家庭教師が最高! 黒川さん?(笑)世界一高いジェットコースター ↑見てて思わずドキドキしてきます(笑)久しぶりに観て大笑いしてました。ま、やっぱ癒しは必要ですな~(笑)
2007.06.27
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今日はお休みでござい。さすがに連休は取れませんでしたが、今週2回目のお休み。休みは嬉しい。休みに何しようか考えるのがまた嬉しい。考えてるだけでもうお腹一杯かも。この瞬間が、一番輝いてる気がします。で、特別意味はないのですが、カイリー・ミノーグ聴きたくなりました。(たまたまCDが目に入ったので)オーストラリアのアイドルポップスターですね。彼女の初期の作品は結構聴いてました。I Should Be So Lucky↑確かデビュー曲。森高のノリに近いかも(笑) 白状すると当時は森高も聴いてました(笑)Turn It Into Love↑カイリーの曲の中ではこれ結構好きですこの『Turn It Into Love』は、『愛が止まらない』でWinkがカヴァーしてました。懐かしいのでついでに載せちゃいます。Wink/愛が止まらない↑懐かしすぎる~そういやカイリーは、2000年のシドニーオリンピック開会式の時に、凄い(恥ずかしい)コスプレしてアバの『Dancing Qeen』を熱唱してました。 (上画像)最近のは全く聴いていないのでその後は知りませんが・・・ ・・・とりあえず休みの最初にやる事が決まりました。寝ます(笑)皆様にもラッキーな一日を!
2007.06.15
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私が小学6年生だった時の話です。ちょうど今と同じくらい暑い夏でした。 ハ○ス食品の懸賞で当たった子ども合宿(正確な名前は忘れました)で、福島の桧枝岐に行ってました。 子どもは小学生で母子2人での参加。全部で20組くらいいましたか。尾瀬や五色沼などを巡り、行事も多くてあっという間の3泊4日でした。で、ここで生涯忘れられない体験をしたのです。 き~も~だ~め~し~やっちゃいました(笑)っていうか、無理やりやらされた(笑) 元々こ~いうのは苦手な方で、遊園地のお化け屋敷もあまり好きではなかったくらいでした。 でも、参加者の中で最年長だった私は『お兄ちゃん』としてやらざるを得なかった・・・闇夜の神社を一周し、その途中神社の後ろにある何かを(忘れました)持って戻ってくるという単純かつ正統派な肝試しでした。で、順番を決める段になって焦りました。年の順だという。(さも当然であるかのごとく) そこで私は半泣きだったといいます・・・だって、ヒノエマタの山奥っすよ! 周りはイタチとか出そうな森。 車も通れないような狭く暗い道を懐中電灯一本だけで行くなんて。しかも間の悪いことに決行当日の天候は霧交じりの小雨。このためカッパですっぽりと身を包んだのですが、それが却って怖さを増しました。視界範囲は狭いし、耳は良く聞こえないし・・・ただ、年長者としての威厳を保たねばならぬので(子どもの世界の序列を守るのも大変なんす 笑)そんなことを億尾にも出さずに行こうと思ったのですが、手が震えていたでしょうな。手が。ええい、ままよ、とは言わなかったでしょうが、とにかく『ゆけ!ゆけ!川口浩!!』(by嘉門達夫)を口ずさみながら頑張って先頭切って行って来た記憶があります(笑) ちなみに歌詞はこちら(笑)別に、何かで磨いたようなピカピカの白骨もなかったし、怖い蛇もしっぽから落ちて来なかった。 動かないサソリも襲ってこなかったし、毒グモを素手で払い落とすこともなかった。(そんなことあるワケない 笑)結局無事に帰りつくことが出来ました。この歌のお陰でした(笑)正直告白しますと、この時まで自宅の2階が怖くて一人で上がれなかった(笑)何かいるかも知れないと思ってたので。 母が人形を並べていたケースがあるので、絶対に目が合わないようにしてました。今でも人形は怖いので自分の部屋にはその類は一切ありません(笑)(っていうか、『目』がついてるポスターすらなし。)ど~してもの時は、大声出しながらドシドシ2階へ上がってました。 何かいるんだろ! いるのは分かってるんだぞ!この肝試し以降、一人で2階へ上がれるようになったnyagoさんなのでした(笑)
2007.08.10
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