2021/03/13
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2017 10 月 ドイツ出張備忘録 7. Weingut Van Volxem

DWI のプレスツアーの後、独自に醸造所をいくつか訪問することが多い。というか、せっかくここまで来たのだから、その機会を利用しない手はない。ただ、一応は仕事なので、休暇のようにのんびりと過ごすことは出来ない。久しぶりのトリーアの市街地を散策することもなかった。それでもワインスタンドとワインバー・ヴァインジニッヒだけは立ち寄った。そこで過ごす束の間の時間は、私にとって最高の休暇だった。

独自にアポをとって訪れたのは、ザールのファン・フォルクセンだった。縁あって、 1999 年秋に新オーナーのもとで開催された最初の試飲会に立ち会ってから、既に何度となく訪れている。そしてそのたびに、新しい発見があった。ここは絶えず変化し、成長を続けている醸造所だと思う。




数年前から建設中だった新醸造所は、着々と完成に近づいていた。内装はまだだったたが、地下にある醸造設備はすでに稼働していて、ステンレスタンクと大型の木樽が整然と並んでいた。畑の区画ごとに別々に醸造するので、約 250 のタンクと樽がある。地域名のザール・リースリングは、その中から適切な味わいのタンクを選んでブレンドするのだが、樽ひとつひとつ素材やトースト具合が異なるので、目指す個性に仕上げるのは容易ではないという。

我々を案内したローマンは、ステンレスタンクの一つから発酵中のモストを試飲させてくれた。それは白濁してアロマティックで甘く、まるで上等なミルクティーのような味がした。シーファーリースリングにする予定の果汁だという。清澄は重力と冷却で二日間かける。醸造所のポリシーである、何も添加せずに 100% 自然の果汁だけで醸造するが、発酵温度は 16 18 ℃に調整されて、ゆっくりとすすむ。




85 ヘクタールのブドウ畑からの収穫を醸造するので、大きなタンクの方が経済的にも賢明だという人もいるが、我々はひとつひとつ別々に、ゆっくりと醸造する。大きなタンクは発酵がとても早く進行する。私はビットブルガーの創業者一族の出身だが、ビットブルクは世界でも珍しい独自の酵母を持っている。現代のビール醸造は約 10 日で発酵が終わるが、ビットブルガーは 8 週間かかる。ワインも同じで、技術的には 10 日前後で発酵を終えることも出来るが、我々は必要なだけ時間をかけ、 10 カ月かかることもある。その結果は重要だ。頭痛をおこすフーゼルアルコールを含まず低アルコール濃度だ。野生酵母は効率が悪く、多くの糖分が消費される一方でアルコール濃度が抑制される。かつてはそれがデメリットだったが、現在ではアルコール濃度の高いワインは好まれなくなった」と、オーナーのローマン・ニエヴォドニツァンスキー。

木樽はローマンの先祖が約 320 年前に植樹した森から切り出した楢材を、ドイツ語圏随一と名高い樽工房、シュトッキンガー社に依頼して製造したものだ。訪問当時は 80 基ほどだが、将来的にはステンレスタンクから木樽に置き換えていくという。セラーの内壁はグリマーシーファー Glimmerschiefer と言う、珪岩の比率が高い粘板岩を敷き詰めてあり、黒ずんだ粘板岩に含まれる珪岩の細粒が、薄暗がりの中で鈍く輝いていた。新醸造所の外壁は石灰岩の一種で淡いクリーム色のトラバーチンで覆われる予定だが、訪問した時はむきだしのコンクリートだった。試飲所の展望室の窓もまだ嵌められておらず吹きさらしだったが、横幅 8m 60cm で三方に大きく開いた窓からは、映画のスクリーンに広がるようにして、周辺の葡萄畑が見えた。

「この塔は風景に溶け込むように見えなければならない。だから外壁はトラバーチンで覆う。この丘の対岸にはビスマルク塔があるが、 1900 年頃のカイザー・ヴィルヘルムの頃に、宰相ビスマルクが訪問したことを記念して建てられたものだ。その当時のザールの葡萄農業の素晴らしい発展を記念した塔でもある。あの当時、ザールのワインはその軽やかさ、飲み心地、熟成能力、フレッシュさ、繊細さやおいしさで、世界的に人気があった。アメリカにもカナダにもパリ、スカンジナヴィア、オランダ、ベルギー、モスクワ、ザンクトペテルスベルクでも、ザールのワインは賞賛されていた。

私が意図しているのは、この価値のある建築を通じて、世界中のワインのプロフェッショナル達から、ザールを銘醸地として認めてもらうことだ。単にワインの産地の一つとしてではなく、昔からの伝統産地として。ニューヨークでも 1900 年代から 1940 年代まで、ザールは白ワインを生産する生産地域の手本だった。




今日は見えないが、対岸にあるビスマルク塔とともに、私が死んだあとも、 2010 年代がこの地域のルネッサンスとして、末永く記録に残って欲しい」。

そう語るローマンに、私はこう問いかけずにはいられなかった。

「もう死を念頭に置いているのですか?」と。

すると彼は言った。「命には限りがある。よく生きてあと 20 年、 30 年だ。新たに醸造所を建てたのはお金のためではなく、見栄でもなく、ファン・フォルクセンのブランドのためであり、ロジスティクスと、何よりワインの品質のためだ」。

「どのくらい投資したのかですか?」と私。

「忘れた。お金は死んだら意味がなくなる。大したことではない。もしもお金が大事なら醸造家にはならなかっただろう。ただ、もしかしたら次の世代、私の子供たちに、経営基盤のしっかりした、持続可能性のある会社としてファン・フォルクセンを残すことはできる」とローマン。「地域の発展には、先見の明のある生産者が、その他の生産者に手を差し伸べなければならない。他の生産者は、私ほどの資金を銀行から借りることが出来ない。幸い、アイフェルの仕事熱心な先祖(訳注:ビットブルガーのこと)のおかげで信用されている。個人的には裕福ではないし、借金は返さなければならないが、私には偉大なワインをつくるという目標がある。私は、私のワインを飲む人の笑顔が見たい。それには品質以外の何もない。品質、品質、品質



ここから見えるのは葡萄畑だけだ。この地域はローマ時代から葡萄栽培が形作ってきたのだということが、ここに来れば体験的にわかる。ワイン造りは文化だ。文化遺産だ。

私はいつかこの世を去るが、例えばローマ人が建築物に、あるいは中世の人々が教会に、いくら投資したかは関心を持つ人は少ない。忘れられてしまう。トリーア大聖堂を立てた大司教ポッポが非常に困窮していた時に、ルクセンブルクの大司教ヴィリボルド・フォン・エヒタナハが、あそこに見えるヴァヴェルンの葡萄畑を寄進した。民族大移動後の 9 世紀、ローマ時代が終わったあと最初に再び葡萄栽培が行われた畑だが、それによって『大聖堂が蝋燭の光で満ちるように』と贈られたと、ヴィリボルトの手稿に書かれている。トリーアの大司教は、蝋燭も買えないほど困窮していたんだ。ジメオン修道院も大聖堂も建てた大司教が、生きていた頃困窮していたとは今では誰も知らない。

だからお金の問題ではなく、未来に伝えることが大切なのだ。この空間も、太陽が差し込むと息をのむほどに美しい。大聖堂の中でろうそくが輝く様子を彷彿とさせる。その域に到達したい。人々に強い印象を残したい。目に、脳裏に、味わいに。人々を感動させたいのだ …!

私は、ローマンの壮大な気宇に圧倒された。




2019 7 月、私が訪問した当時は建築中だった新醸造所は落成し、盛大なパーティが開催された。世界中からワイン商やソムリエ、ワイン業界関係者が招待され、三日間にわたり大いに賑わった。ラシーヌからは合田社長が出席した。ルクセンブルクの空港から醸造所までの往復は、ローマンの友人が運転するポルシェだったという。

(つづく)






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Last updated  2021/03/13 10:50:56 PM
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Comments

李斯。@ お久しぶりです。 御無沙汰しております。 何時も拝見してい…
pfaelzerwein@ Re:ひさびさのドイツ・その64(04/05) 「ムスカテラー辛口」は私も買おうかと思…
mosel2002 @ Re[1]:ひさびさのドイツ・その54(03/14) pfaelzerweinさん >私の印象では2013年…
pfaelzerwein@ Re:ひさびさのドイツ・その54(03/14) 私の印象では2013年からは上の設備を上手…

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