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Danjoseの花歳時記早春と晩春が入り混じる水辺角ぐむ葦昨日の東京の気温は20度を超えまさに初夏の陽気東京近郊の住宅街の公園の水辺に、(青々と芽ぐむ葦の角)泥土から鋭く頭をもたげて青く芽吹く葦(ヨシ)早春に角ぐむ芦(アシ)この新芽はぐんぐん伸びて晩春には若葉となって茂る葦。(アシと白鷺)日本の原風景葦原(アシハラ)葦が豊かに茂り、稲の穂がたわわに稔る国「豊葦原水穂国」と古事記にあるように。葦は泥土の中に、茎を縦横に伸ばし、網の目のように絡み合ってヘドロのような場所にも生い茂り浸蝕を防ぎ、水質を浄化し、さまざまな生き物の棲家となる万葉集には、葦原に鳴く鶴を詠った歌が十一首もある。その他、葦に鴨、雁、洲鳥、カニなどが葦とともに詠まれている。(五十三首)まさに古代の葦原国のアシ原は「生き物のゆりかご」であった。(葦の芽ぐむ池を飛び立つ川鵜)そして、葦は、葦垣として、庶民の垣根となり、ある時は、貧しい庶民の薪となり、日よけの葦簾(ヨシズ)となって人々の暮らしとともに生きてきた。太古の日本列島は川が自由奔放に流れていた。その洪水の氾濫の後に繁茂してきた葦、葦原の国、日本。その氾濫を河川として閉じ込めてきた治水の歴史そして、今、コンクリートで土手は固められ河は閉じ込められた。広大な葦原は、今はもう見られない。(アシの若葉の茂る池で泳ぐ鴨)今年の春は、葦の角芽ぐむ早春と若葉茂る晩春が同居する春2007年に日本の春住宅街の公園の水辺には白鷺や鴨と葦の太古の昔と変らぬ風景が在るれど。
2007.03.30
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私の早朝の散歩道。夕闇を待ちかねて咲く待宵草、朝まだ早き散歩道に群れて咲く。朝日がまだ昇らぬ散歩道、朝露にぬれて咲く。朝の涼やかな風が、その黄色をなでていく。黄の上に緑の露や月見草 川端茅舎 (朝露に濡れて咲く早朝のマツヨイグサ)太陽が高く昇れば、その花のいのちは儚く消えて、照りつける陽光に焼け、夕を待つ。 (真昼のマツヨイグサ;Photo by Danjose)荒地待宵草(アレチマツヨイグサ)、その強い生命力で、先に渡来したマツヨイグサやオオマツヨイグサを駆逐して、至る所にその勢力を広げているという。私の散歩道のマツヨイグサの群生も、セイダカアワダチソウさえも押しのけてあっという間にこの1年で、マツヨイグサの咲く小道となった。 (荒地に勢いよく咲くマツヨイグサ)さらに、今朝の散歩道で気付いた異変、なんと、もうハナミズキの街路樹が紅葉を始めているではないか! まだ、梅雨が明けたばかりの8月に葉はもう色づき始めている。梅雨明けも遅く、その後、数日続いた秋の気配の涼しさが、ハナミズキの葉っぱの生理を狂わせたか。異変続きの天候がここにも現れている。花の名一口メモ:待宵草(マツヨイグサ)アカバナ科、マツヨイグサ属。夜暗くなる頃に咲き始めるので、この名がついた。花は翌日しぼみ、黄赤色に変るのがマツヨイグサ(南アメリカ原産の帰化種)。花がしぼんでも赤くならないのがオオマツヨイグサ(北アメリカ原産)。この仲間で一番、花が大きく、ツキミソウとかヨイマチグサと呼ばれることもある。明治時代に北アメリカから渡来したが、現在はアレチマツヨイグサに押されて、少なくなった。現在至る所で見られのは、アレチマツヨイグサ(北アメリカ原産)。繁殖力が強く、先に渡来したマツヨイグサやオオマツヨイグサを追いやって、勢力を広げている。
2006.08.03
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大阪維新の会の「大阪教育基本条例案」がめざすものは何か? 私は最近、中島岳志氏の次のルポルタージュ読んだ。 中島岳志著:「秋葉原事件・加藤智大の軌跡」 朝日新聞出版この本は2008年6月8日日曜日、歩行者天国の秋葉原の街で発生した無差別通り魔事件の犯人・加藤智大を幼い時から犯行に至る25歳までを丹念に追いその全体像に迫ろうとしたものである。事件当時は、テレビ、新聞などマスメディア挙げての報道で、世間も大騒ぎ、色んな評論家諸氏の無責任なコメントが氾濫していたが、今では、多くの人々の心から忘れられようとしている。だが、しかし世間から忘れ去られようとしている今、中島岳志氏は事件後の3年間に、その事件の背景を丹念に追い続けて、一冊の本にまとめた。調査を進めるなかで、以外にも加藤智大には多くの交友関係があり、友達も多くいた。それなのに、なぜ孤独であったのか?と疑問を投げかけ、現代の社会の病理を解明しようとしている。加藤智大という青年の25年の軌跡を忠実に追うことで、「なぜ}このような人格が作られ、このような無差別殺人犯へと追い詰められていったかを読者に問いかけている。この青年像が特殊な人格ではなく、どこにでもいるいる現代の若者であり、殺人犯行へと追い込まれていくプロセスにはどんな事実があったのかを淡々と追い続けている。 私は私のブログで2008/06/14 秋葉原無差別殺人事件から見える社会2008/06/23 秋葉原無差別殺人犯の家庭は特殊か?2回にわたり書いてきた。私の記事は、中島岳志氏のような膨大な調査に基づいて書いたわけではないが、私の体験からの推測で書いた内容は、ほぼ妥当であったとこの中島氏のルポを読み再認識した。私の書いた内容をこのルポルタージュは具体的な事実によって裏付けてくれた。(関心のおありの方は、ぜひ、これらの記事のご一読を。)今、大阪では、府知事選と大阪市長選が同時に戦われている。橋本徹・前大阪府知事率いる「大阪維新の会」がつくった「大阪教育基本条例案」なるものがある。この教育基本条例案が実践されたら子供たちの教育はどう変化するか?子供たちをどのような人間に育つか?知事の定めた目標に沿うよう「府教育委員会」は具体的な教育指針を示し、校長は其れにしたがって、具体的、定量的な目標を定め、教師は目標に向かって成果をだすよう頑張る。成果が出せない者は人事考課によってクビにもできるというものである。この教員管理マニュアルはグローバル化に乗り遅れた二流企業が目先の儲けを出すために、あせって営業成績をあげようと、社員にはっぱをかける人材養成マニュアルとかわらない。 グローバルな一流のの大企業ではすでにお払い箱の人材教育マニュアルを大阪の学校に持ち込もうということである。 教育の目標を人材育成としている。たとえば 橋本徹率いる「維新の会」がいう、世界で勝てる人材育成とは、、「難解大学への進学者増」「英語力の向上」「デイーベート力の強化」などで、この目標に成果をあげる教育。これらを数字目標にして競争させる学校教育。この高い成果の数字目標を達成しない学校や教師はダメ学校、ダメ教師と評価される。(これって予備校や塾のやっていることでは)今では、これらの項目を教育目標にすること自体がグローバルな社会で生き抜くためには的外れ、問題解決をして生き抜く能力ではなくなっている。世界はもっと前を行っている。時の政治家の恣意的な願望で支配される教育ほど危険で悲惨なものはない。それはすでに歴史で証明済みのこと。これを書いている最中に、テレビのワイドショーで、大阪市長選を放映している。橋本徹候補の街頭演説中に街頭インタビューされた大阪市民のおばちゃん「政治のことはよくわからへんけど、顔みて握手されたから入れるわ」とか。中年のおっさん、「強いものにはっきりもの言えるのは橋本さんや。そういう人にやってもらわないと」 大阪市民は冷やかしで選挙しているらしい。橋本徹大阪市長候補は市役所を背にして第一声。「私は市民、府民のみなさんを守りますが、この市役所は守りません。この市役所は壊して、ゼロから作り変えましょう。880万の大阪がアジアの大都市といて繁栄させることを約束くします」などと大見得切って、大声で、威勢よく、市民を煽動している。大阪市民の不満ややっかみをたくみに利用して、上から目線で市民を導こうとしている。地方自治改革の旗手などとマスコミは囃し立てているが、彼が改革したのは手の付けやすい弱い者いじめのところばかり。本丸には尻尾を振っている。そればかりか、独善と独断で教育という社会の根幹にかかわるところまで支配しようとしている。このような勢力{大阪維新の会」を「もうかりまっか」が挨拶の商都大阪のあきんどたちは支持するのだろうか?市民が「もうかる」都市に本当に再生できるのだろうか?大量生産、大量消費、の経済成長を推し進める政治からこの社会に決別して、新しい価値観で社会を動かす政治が求められているが、それを推し進める政治家や社会の基盤がまだまだ脆弱すぎる。この新しい価値観で社会を切り拓く若者が次々に輩出する教育をいま強く現代の歴史が求めている。
2011.11.11
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大村はま先生が96歳の生涯を八重桜の散る4月に終えられました。 戦前、戦後を通じて73歳まで現場の一国語教師を通し、退職後も著述や講演で新しい指導案などを提案し続け、足が弱くなり車いすの生活になってからも全国を回って教育の問題を提起し続けられた「大村はま先生」がこの4月17日に逝去されました。お年は98歳でした。なくなられる直前まで現役でご活躍されていました。 若き日に新渡戸稲造の薫陶を受けられた大村はま先生には、教育に特別な意味と情熱を見出し、ひたすらそれに打ち込んだ明治の教育者たちの血が脈打っている。明治の先人たちの築いてきた様々な知恵や方法、あるいは教育者としての覚悟や姿勢を現代の教育の中に、創造的に発展させて私たちの前に見せてくださった。学ぶとはどういうことか、どうあるべきか、教師としての生きざまの中に、その実践の中に私たちに示しめしてくださった。「学力低下の声を聞きながら」という2002年に行われた先生の講演で先生は成績の「評価」について、評価とは教師にとって、これから子供たちをどう指導していったら良いか、その「指針」を得るもの。一方、子供たちとっては、これからどういうふうに勉強していったらよいか、自分自身に対する指針をもてるもの。この二つが実現しないような評価は教師として失格だ、と言っておられる。教室の一人ひとりの子供の現状の中から、テストの問題は作られる。一人ひとりの子供がどう成長するかという見通しのない試験問題は問題ではない。評価が即、出来たか出来ないかという入試の振り分けテストになっており、教師が問題の意図を説明できないのが現状で情けないとも言っておられる。先生の授業は一人一人、教材が違うと言う。一人ひとりが学ぶ事の充実を喜びを体験し、子供たちを優劣の彼方へと追いやる授業。子供の「個性とか、主体性を尊重せよ」というお題目によって、教師が「教える」ことをしない授業を、教師が自分の専門性を磨かない授業として厳しく批判されている。例えば作文でも「~を書きなさい」と指示する教師。これでは子供たちに書く指導をした事にはならない。子供たちが書いたものに対しても、何も指導しない。ただ「~よくかけましたね、とか。~楽しかったね」とか書き込んで終わり。これで子供たちの書く力が育つことはありえない。「生きる力を育む国語力」まさに、大村はま先生が生涯をかけて探求されたそれは道すじだ。 大村はま先生については、お亡くなりになってから何度も書こうと思いましたが、余りにも素晴らしすぎて書けませんでした。今も書けていません。私も、はま先生や私の祖母のような明治の気骨を受け継いで生ききった女たちのしんがりを汚さぬように、彼女たちに学び続けたいと思います。 大村はま先生の言葉をひとつ。若いお母さんたちの子育てにとっても、とても良い言葉ではないかしら。 〈種をまく方が大切です〉 子供はほめる事が大切です。でも、いいことがあったからほめようというのではなく、褒める事が出てくるように、ほめる種をまいていく事を考えたいと思います。そうせずに、いい事があった子、よく出来た子だけをほめていくと、まんべんなくほめるという訳には中々いきません。 また、少し学年が上がりますと、ほめるに値しない事をほめられたときには、喜ぶよりも、むしろいたわられているような辛い気持になります。 教師はほめる大切さと、ほめる種をまく大切さを並べて、いえ、種をまくことのほうを重く心に留めておきたいものです。 「灯し続ける言葉」 大村はま よりこの「教師」と言うところを「親」と読み替えてみたらどうでしょう。
2005.05.28
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