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前回が文化の日、今回は勤労感謝の日。別に狙ってそうしていたわけではないがそうなった。11月の始まりだなと思っていたら、気がつきゃもう数日で終わってしまう状態になっているが、前半はちょっとだけ休みをもらって行方をくらました。別に大層なことではないのだが、京都に戻っておかんを連れて温泉旅行を決め込んだ。本当は2人で行くこともできたのだが…10年目の結婚記念日だったので…クマイチが「おかんがいるとおもしろい(ということは私とだけじゃもはやおもしろくないのか)」と言ったのでおかん連れと相成った。私は旅館では、温泉入浴中と食事中以外は限りなく寝てばかりで、骨休みっちゃー骨休みだが、ホントにだらだらと過ごしただけの一泊旅行になった。さて、そのプチ休暇から戻って数日後、私は出張していた。(笑)2004年の3月から6週間訪れていたアジアのかの地に向かっていた。本当は忙しいので、こんな時期の出張はカンベンしてほしかったのだが、大事な客先の課長がかの地にお出ましになるとのことで、うちの社長である山村さんから「ついて行って世話してきてくれ」と。断れない。山村さんは非常にヒラけたビジネスのやり方の人なのだが、なぜかこういう時だけえらく日本的で、客先の偉い方の露払いをやってこいと絶対に言うのだ。客先の課長の出張の件を聞いた時、何か目の前を黄信号がよぎった気がしていたが「ちゃと、行け」。ビンゴ。行ったら行ったで、それなりにウチの会社にメリットがないわけではないので行ってきて、昨日帰ってきた。久々のかの地の他、12年ぶりにバンコクにも寄った。行けば用事はある。が、自分のいろんな予定もあるし日本を長いこと空けておくわけにもいかず、たった一泊しかできなくて、12年ぶりのバンコクの成長振りに目を見張る時間もなかった。来年はぜひ本当にしっかり休みを取ってクマイチとアジア巡りをしたいぞ。明日は暦の上ではまだ祭日なのだが、そろそろ会社に行って残務処理に勤しまなければ。放っておいた仕事は異臭を放って腐り始めている頃だろうか。(爆)
2008年11月23日
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ようやく寒くなってきましたね。10月の後半は、客先を回ることも多かったし、日中は移動などでバタバタしているとまだすぐに汗ばむことも多い半面、夜に会社を出る頃は冷え込んできているし、で、毎朝ホントに「今日はどんなカッコがいいの?」と相変わらず悩んでおりましたわな。毎日、結構おもしろみのない日を送っていて、なんとなく自分の内面がからからに乾いているような気がしてしかたがない。好むと好まざるとに関わらず、べったり会社に漬かっている。どうも会社に住んでいて、時々、家に帰っているというような状態になっている。よくない傾向だと自分でも思う。とにかくこの1年はなんだかよくわからずに必死でやってきたが、これからはもう少し、息をつける場面というのを探してみたい。自分でいちばんキツいと思うのは、音楽が聴けなくなったことだ。FMがうまくはいらないし、はいったとしても、やっぱりかかる音楽の種類が少ない。なんとこの1年の間で買った(聴いた)アルバムというのも、五輪真弓の廉価ベスト版を夏頃に1枚買った以外は先月に3枚まとめて買っただけ。アメリカン・アイドル5で3位になったエリオット・ヤミンの同名のアルバム。彼はやっぱりうまい。彼の歌から、ダニー・ハザウェイも聴こえてくるしスティービー・ワンダーも聴こえてくるが、何より歌に対しての接し方が真摯に感じられる。真正面からの勝負玉という感じがする。今だけではない、息の長いシンガーになってもらいたい。それからジェニファー・ハドソン。映画「ドリーム・ガールズ」以来、待ち望んでいた1stアルバム。せっかくアルバムが出て、右肩上がりの勢いの中、先日、血生臭い身内の殺人事件の渦中に巻き込まれてしまったのが本当に気の毒だ。アルバム自体はなんというか、ちょっとまだまだで(1枚目だからしかたないのかもしれないが)、彼女の持っている力を生かし切れる楽曲のラインナップだとは言えなかったのと、全体の楽曲からくるコンセプトがばらばらな気がした。彼女は今後、今の最悪の心境から脱することができるのか心配だ。そして、満を持して出た4枚目。ウィル・ヤング様。タイトルは「Let it go」今のところ、日本での発売の予定はないのではないかと思う。うーん、やっぱり彼は天才だと思う。そう言いつつ、実はまだこのアルバムを買ってから、全編通して聴いたのは1回だけ。はっきりいって、私にはメチャ難しい音で構成された楽曲ばかりのアルバムなのだが、それをやすやすと声に乗せて歌ってしまう彼は、私にとっては大天才だ。神経を集中し、居住まい正し聴かなければいけないと思ってしまい、その後、まだ2回目を聴けていない段階でそんな大層な評をしていいのかとも思うが、私にとっては「やってくれました」というアルバムである。3枚目の「Keep on」が私としては、予想していたのとはちょっと違う方向性だったのがショックだったのだが、この4枚目にきて「キターーーっ」という感じなのである。聴く時間の確保が目下の優先事項である。この1年、映画館へも一度も足を運んでいないし、先日書いたように本は読めていないし、およそ文化的なエリアからは離れ切ってしまっている現況で、ずいぶんオモシロミのないおばさんになってしまっているんだろうなぁと思う。仕事のことならバンバン書けることはあるが、その時間もだいいちないし、やはり日本で、東京でそれを書くことには躊躇もある。今日はまあそういうことでお茶を濁しておこう。
2008年11月03日
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なんだか毎日、服に困ってしまっている。一つの要因は気候のせいだ。朝、服を着る時に今日は多少暑いと思っておけばいいのか、気温が下がると思っておけばいいのかがよくわからないし、肌寒いと思っている最中にちょっとばたばたするといきなり暑くなって一枚脱ぎたくなったりしてしまう。ロンドンのみつこさんから来たメールや、在英のにゃんきちさんもこの間ここで書き込みして下さったのを見ると、イギリスではもうコートが手放せない気候になっているのだとか。そうだな、今頃はもうそうだったな、と思い出す。こうして考えるとイギリスのほうが絶対に服選びは楽だったなぁと思ったりする。何よりサイズが豊富だ。(そこかいっ?!)日本に帰ってからの服選びで困っている要因の一つが今は気候だ、ということだけで結論付けたいが、そうではない。やっぱり、太った。というか結構な量を食べても以前はそれが身についてしまうということはぜんぜんなかったが、40歳の声を聞くと途端に代謝が悪くなったということの表れだな、と思う。この一年間で出費するのが悔しかった内容として、洗濯機だとか冷蔵庫だとかガス台だとか戸棚だとかの最初に日本で住むための必需品諸経費の支払いに選択の余地がなかったことと、私の服代だった。会社は近いし、よほどどこかに出かけることになっている日だとか大事な来客がある日以外でスーツを着ていったりすることはないのだが、急に目上の人がやってきても「なんだアレは?」と思われるような服装は困る。昔から、自分の服装のポリシーは「いい意味でも悪い意味でも、振り向かれないように」というごく消極的で地味なものだ。できるだけそういう種類のものをイギリスから持って帰ってきた。それらの洋服類を持ち帰る前にも選別はしていたのだ。ほとんど着ないままでサイズが合わなくなっていたものはチャリティに出したり人にあげたりしたので、着られるものを持って帰ったはずだったのだが、それも難しいくらいに膨張してしまった。*ちなみにクマイチにもこの一年、服代がよくかかった…彼はダイエットに成功してしまい、以前着ていた服の大半はぶかぶかになってしまったのだ。この間なんか、押入れに突っ込んであったジーパンを出して穿いてみたら何か穿き心地が違う。あれっと思ってよく見たらクマイチのやつだったのだが、穿き心地が違うからあれっと思っただけだった。ウエストがぶかぶかで気がついたというのではなく。ウエストはちょうどだった。ウエストがちょうどだったから余計に、違和感だけを感じてしまったのだ。痛恨。ということで、ともかくイギリスから持って帰ってきた服は、一部を除いてほとんど着られなくなり、基本的にほとんどのものが新品という、うれしいような悲しいような状況で一年過ぎた。で、どこで買っているか。結局のところ、通販だ。(爆)実はカッコ悪い話だが、どうもやはり東京では服が買いにくい。東京にはなんでもあるはずなのだ。以前、雑誌でしか見たことがなかったようなお店だとかブランドだとか(注.エルメスとかヴィトンとかいう意味ではありません)も、全部どこかにはあるはず、なのだ。しかし行けない。気後れする。だいいち人の数に疲れてしまうし年齢的にも気後れするし、サイズに気後れする。日本にはサイズの選択肢がほとんどないのも同然だ。デパートに行くと、いわゆる大きいサイズの人用、というセクションがあるにはある。ユアサイズ、レディフラワー、クイーンサイズ、とか…ネーミングもそれぞれだ。23区とか組曲とか自由区のオンワード系なんかは結構熱心に大きなサイズの商品に積極的なようだが…これがまたダメダメなのだ。なぜかよくわからないのだが、大きなサイズのコーナーに行くと、色がどーんと二段階くらいくすんだ服ばかり置いてあるのだ、これが。遠目に見たらすぐわかる、あ、あそこが大きなサイズのスペースやぁって。そこのブランドの本体(言わばレギュラーサイズ?)の売り場と比べて、その同じブランドの大きなサイズコーナーは、なぜか商品の色合い自体がどよーんとしており、もちろん服の形もどすーんとしている。(爆)おお、欲しかったら私はそこで探さないといけないのか、と気分が沈む。でも、それっておかしくないですか?私も今、この年・このサイズになったからあがいているという部分がないと言えばウソになるだろうが、実際のところは若い人でもわりあいふくよかというか体格がいい人だっているわけだ。若いからといって、みんながみんな蚊みたいに細いわけじゃない。わざわざ大きいサイズの人たちのコーナーを違うところに作り、しかもあんな澱んだ色の服ばっかり別仕立てで置かなくてもいいんじゃないか?別に同じデザインの同じ服を一箇所に7号くらいから19号くらいまで普通に置いてくれたらいいんじゃないの?ま、最多のストックがあるサイズが9号か11号で、後はちょっと在庫数を減らしてくれてもいいし、場合によったら15号以上は取り寄せになってもいいんだけれども。(ちなみに私は今、服によったらLや13号じゃきついんです。はい)一度、新丸の内ビルの中のマーガレット・ハ○エルで結構シルエットが気に入ったスカートを見つけたが、いまいちどのくらいのサイズまであるのかわからなかったのでお店にいた男性に聞いたが「それはそのサイズだけですのでちょっと…」と。その「ちょっと…」という哀れそうな目はなんやねん。撃沈。早々に退散させて頂きました。だいたい、ヨーロッパ系のブランドの日本展開ってなんだかおかしいよな。サイズ展開が2つか3つくらいしかない。アニエスbの1とか2とかよくわからない。2のほうが大きいのだろうと思っていたら、0もある。(なんじゃそりゃ)で、そうかと思うと38とか40っていうのもある。イギリスにいた時だとデパートでも、1つの服のサイズは6号から20号くらいまではあったよ。日本が奇数でイギリスのサイズはそのご近所の偶数ということになるので、日本で9号だったらイギリスだと8号くらい。私も最初にイギリスに着いた頃は上はイギリスの8号で、下は10号で間に合ったのだが、これがだんだんと膨張してきた。それでも例えば今の体系になっていても、イギリスだったらまだ堂々と普通に16号でも18号でも探せたはずなのに…日本だと、なんだかもう私の娘くらいの店員が、そのへんに置いてある商品に手を伸ばし、すばやくサイズと値段を確かめるかどうかというタイミングで「よかったら穿いてみてくださーい、きれいでしょ~、そのパンツ」とか言うんだけど、ホント、そんな親の仇みたいにいちいち声かけんなよ。店にはいって30秒くらいだよ、まったく。ちょっと一応手に取ってみるくらい、好きにさせておいてくれたっていいじゃん。どのくらいまでサイズ展開しているか見てみたい(それに値段も気になるし)だけっていうそういう時に「サイズお探ししますよぉ、穿いてみてくださーい」とか言うなよ。サイズ探してくれるのはいいけど、最初から作ってないサイズだったらどこ探してもないんだから。そういうところ、デリカシー足りない人の多いところでこっちのほうがお金も気も遣って服は買いたくない。ということで、時間もないので(そういうことにして)まだまだ通販主体の生活は続く。楽天のショップは好きなところもないではないが、検索そのものの質があまりよくないのか、引っかかりが悪くて、本当は欲しい商品がどこかにあるかもしれないのに行き当たらないことが多い。やっぱりトータル通販ビジネスを展開しているところのサイトだと、わりと欲しいものに行き当たるしサイズもある。(笑)結構リピートしているのは「ニッセン」「セシール」「フェリシモ」「ベルメゾン」「LAND'S END」「SELECSONIC」「ディノス」ですかね、あ、それとわりと今の「MUJI」は好きですね。それと、最近知った「DoCLASSE」で初めて注文してみたトップスが今日来た。明日、試着。
2008年10月11日
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日本に帰ってきて、できるだけ仕事と関係ないところで自分を見つめ直していて、いちばん感じること。それは根気がなくなってきた、ということかもしれない。そのいちばん顕著な形は本を読まなくなった、読めなくなったということだと痛感している。以前、最初に日本で勤めていた時には、日に3回は本屋にはいっていたし、何か必ず本を読んでいる毎日を送っていた。それが、である。イギリスにいた時、まあそれなりに読もうと思う本もあったが、日本の活字に飢えていた(と思っていた)ことは確か。それがどうだ。今度は、日本に帰国してきたら、年をとって根気がなくなり(爆)本屋に行っても、物色するのは雑誌が中心という情けない道を辿りつつある。非常に個人的な体験・体感ではあるが、ちゃと@浦島太郎化、と呼ぶのもあながち間違っていないような気もしている。本屋も本屋だ。今、本屋で平積みされているような本で、目をひかれるものもない。本当におもしろいのかな、と猜疑心を持ってしまう。住んでいる部屋自体も広くもないし、買って捨てられないこの性格であれやこれや本を買おうと思わなくて、ちょうどいいのかもしれない。しかし、週末に見つけたこの1冊。イマイと申します。ええと、ここで貼り付けたのはハードカバーのものだが、私は文庫版を買った。そしたら今、楽天ブックスでも新潮社のサイトでも文庫版が売り切れになっている。(ええっ?)これがまた、ちょーおもしろかった。もちろん文学的な香りは一切しない。何かを得ようと思って読む本ではない。世によくある詐欺商法の真相を探るために電話をかけまくって取材する「日本テレビ」の「イマイ」さんの本というか、その番組をちょうど字で全部起こしたような本なのである。以前読んだついていったら、こうなったもおもしろかったのだが、イマイさんはまたちょっと違う位相で、怪しいものにどんどん突っ込んでいくところがすばらしい。イマイさんと相手(つまり、どこかにカモがいないかを考えて、自分の知力をすべてまっとうでない何かに注ぎ込むやつら)の電話のやり取りが、それなりに真面目なはずなのにとんでもない受け答えの妙味に成り代わってしまい、て思わず笑いの爆発をこらえることができなくなる部分もある。え?皆さん、すでに読んでます?日本にいながらにして、まだまだうといところがいっぱいの生活なので、どのくらい売れている本なのだかはしらないが、もしもまだの方はぜひどうぞ。420円でこの内容だったらかなりお安くて楽しい本でありました。
2008年10月06日
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それで、これも「書かなかった言い訳」なのかと聞かれると厳しいのだが、2ヶ月前、クマイチのお姉さんが他界した。肺がんだった。クマイチは、5月くらいから毎週末、義姉のところに通っていた。同じ関東圏からとは言え、東京からだとそれはそれで結構大変だ。私は行かなかった。私自身は、4年前にクマイチの両親が相次いで他界した時以来、義姉とは会わず話さずだった。義姉がもうそんなに長くないとわかったのは今年にはいってからだっただろうか。私自身は、えらく引きずっているような書き方になるが、4年前に一度クマイチのお父さんが危篤になった時にロンドンから駆けつけた時に義姉との間でイヤなことがあり、その時点でもうこの人とは普通に話すことは無理だと思った。その段階では義父は意識回復したのだが、3ヶ月後に他界し、10日後に義母まで急死したことはずっと以前に書いた。そのお葬式の時には他の事務的なこともあるので義姉とは普通に口を利いていたが、それからはロンドンに戻っても、クマイチが義姉と電話で話していても私は絶対に出なかったし、去年こちらに帰国した時も一度も電話しなかった。(まあ、クマイチ自身があまり連絡もしていなかったこともある。彼が義姉に「実は帰国して東京にいる」と連絡したのは、今年にはいってからだったと思う)義姉は最初、大学病院に入院していたが、その後、本人自身ももう長くないということを悟り、別なホスピスに転院した。その後、そこで亡くなるまでに1ヶ月強の期間を過ごしたのだが、クマイチは毎週、義姉の好物を持って面会に行っていた。私が最後の最後まで義姉に会わなかったのは、4年前にどうこう、ということも去ることながら、その後まったく接点がなかった私が急に、衰えた義姉の姿を見に行くということにどうしても抵抗を感じたからだ。もしも自分が義姉の立場であったら、決してお互いうまくいっていたとはいえない義理の妹がそういう時だけ顔を見にきたら、同じ女性としてはイヤかもしれないと思ってしまったからだ。確かに義姉は、性格的には私とは合わなかった。クマイチの実家は一時、とても羽振りのいい時期もあり、それなりに地元ではある種、名前の知れた家でもあった。反対にちゃと実家は、昔からお金のない一介の職人のうちだったこともあり、私にとっての倫理感というのはちゃと実家そのものだったのだが、帰省してクマイチの実家で過ごすと、クマイチ家の倫理感というものはまったく違っており、それが私にはかなり窮屈で居心地が悪いものだった。(クマイチはそれは当時からよく理解してくれていたし、彼と私がそのことで揉めるというようなことはほぼ皆無だったと思う)義姉は長らく自分で仕事をしたことがなく、そのために発言がずいぶん世間知らずなところがあるように私は思っていたのだが、仕事でなくても、義姉がもしも誰か今からでも(50を過ぎてからでも)気持ちや時間をシェアできる誰かがいたらいいなとはずっと思っていた。受け止める人がいるのといないのとでは、きっと義姉の中で何かが違ってくるだろう、受け皿が大きくなるだろうといつも私は思っていたし、クマイチにも何度かそんな話をした。そして彼女は8月の暑い日の朝、クマイチに看取られて一人で逝った。その日のうちに駆けつけ、棺の中に眠っていた義姉の顔を4年ぶりに見た。闘病のつらさを見せないような穏やかな、しかし小さくなった(もともと義姉はとても痩せていた)顔を見ると、私にもやはりこみ上げるものがあった。義姉は、私とは考え方がずいぶん違うと思っていたが「他人に迷惑をかけてはいけない」と思うところは共通していたのだろうと思う。いろいろな人に迷惑や手間をかけてはいけないので、彼女は生前、自分が亡くなってもお葬式もしなくていいと言っていたが、お別れ会を営むことにした。するとやはり聞き伝に集まった人たちが来てくれたのだが、意外にも多くの人たちが集まり、びっくりした。彼女は若い頃からとあるお稽古事の師範だった。それらの生徒さんたちが来て下さり、彼女を悼む歌の一節を皆さんで奉じて下さった。ほとんどの生徒さんたちのほうが、義姉よりも年齢がかなり上の人たちだったことが余計に悲しかった。皆さんのエピソードから、義姉がいかに曲がったことが嫌いで、芯が強く、困っている人をほうっておけない人だったかということもわかった…そうだろうということは知っていたが。義姉の遺骨を、義父母の眠るお墓に先日納骨した。クマイチにとって義姉は、たった一人「音楽のために渡英したい」という彼を後押ししてくれた人だ。義父母が亡くなった時よりも彼にとっては義姉の送りがつらかったという。しかし、そのたった一人の義姉をクマイチは日本に戻って看取ってやることができて、本当によかったと思う。もしかしたら義姉にもまた違った人生があったかもしれない。そう思いつつ、今はいなくなってしまった義姉に時々話しかけてみることもある。
2008年10月05日
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時間がめちゃくちゃ経ってしまっていて、こうなると何をどこから書くべきなのかわからなくなってしまっている。いきなり消えたみたいな形になって申し訳ありませんでした。時々「日記リマインダー」メッセージを下さった皆様方、ありがとうございました。なんか、こんな一人の単なる中年おばはんのブツクサを読んでやろうと思っておられる方が複数おられることに、いまさらながらに驚きました。*****5月くらいでぷっつりと途絶えてしまっていて、人によっては「どないしたんや」と思って下さった方もあったと思う。どないもこないもおまへん。ただただ忙し過ぎた。じゃあ今日はこうして書けているじゃないか、これからは書けるということなのかと言われるとそれも厳しい。だいたい毎日、労働時間がはっきり言って制御不能になってしまっている。もちろん9時までには自席に座って仕事を開始しているが、それが終わるのは早くて22時。日が変わってしまってから帰ることもザラ。その上、週末もどこかの時間で出勤してしまうはめになる。たまに出勤の予定がない週末、今日はどこか行こうかなと思いながら朝寝を決め込んでいる間に携帯がなる。またわけのわからないヘンなことが発生。あーだこーだ、電話で指示しているくらいなら出勤したほうが早い…この間、一日の労働時間の自己記録を更新してしまった。18時間半。その日はこの時間の中に夜勤も含まれていて、家に帰ったらもうおやつの時間だった。(爆)*****すでにイギリスから帰国して1年がこの間、過ぎた。仕事のほうではまだまる1年経ってはいないが、5月の時点から、前任者の金田さんから完全に引き継ぎを終えて自分一人で独り立ちすることになった。*その後、金田さんは別に設立された違う仕事の部署に異動になったので、時々社内で顔を合わせるとお昼に行ったりするのだが、仕事の上ではほぼ接点はなくなったこういうことを自分で書くのはどうかと思うが、今、回りからは「会社はもう完全にちゃと体制に変わることに成功したのだから、ちょっとブレーキをかけて下さい」と言われてしまっている。実はそれまでは(私もイギリスにいるとそこまではよく見えなかったが)今いるところのチームはかつて不満がどす黒く渦巻いていて、いつも誰か「辞めたい予備軍」が常駐していた。うちは資本金の関係で、外に非常勤の取締役もいる。その人、西村さんが時々ミーティングで来社されるのだが、先月のある時「ちゃとさん、どぉ?今、何人辞めたいって言ってる?」と聞かれたので「私はあんまり余裕がないので把握しきれているのかよくわかりませんが、うーん…今、別に辞めたいようなこと言っている人はいないと思うんですが」と答えると「ほんとに?」と。ええ、誰も別に聞いていません、と答えてその時は話は終わったのだが、社長秘書から後で「今、誰も辞めたい人がいないという状況自体が初めてじゃないかと西村さんが言っていたよ」と言われて、ええー?前はそんなに辞めたい群がいたわけ?と聞くと、そうだったんだとか。ということで、今、社内は非常に平穏に治まっているのは確かでしょう。ただ、それは同時に私も、人が足りない時には自分の仕事は放り出して(だからそれが貯まる)割り振られたスタッフの人数の一人として仕事を手伝うこともあり、上から目線で旗だけ振っている人間ではない、と思ってもらっているのではないかと思う。しかし、決してそれは平坦な道というわけではなかった。すでに「会社のためにならない人間」というのを見つけて3人ほど会社を去って行ってもらった。そのうちの1人は前にも書いた相談役の長谷さん。この人はもう、無駄中のムダだったといっても過言ではない。うちの部署に関わらせないことには成功していたが、私の視界にいなければいいというものではなく、会社にとって百害あっても一利ない存在であり続けたことに私はキレた。今日こそは絶対に辞めてもらおうと決意し、ある種の段取りというかちょっと画策した内容があった。若干それはブラックな話なので大声では言えない。方法としては非常にやばい綱渡りでもあったので(しかしうまく行けば話はすぐ終わる)バクチ加減ではあったが、結果的に功を奏し、長谷さんにある日の午後、定時を待たずにサヨナラしてもらうことができたのはよかった。私は別に、自分が自分の思う通りに動く人で周りを固めたいと思っているわけではない。単に「働かざるもの食うべからず」ということだけだ。私たちを信頼して、山村さんが食べさせてくれているというそのことを忘れたまま、与えられた席にのほほんと座っているだけの人や、山村さんに食べさせてもらいながら、会社でちょっとトラブルを起こし、ビビッドで楽しい一日を探しに来るような人をいつまでもありがたがって置いておきたくない。そういう人たちにかかる経費を節約し、コピー用紙でも一束買ったほうがマシだ。ということで、とにかくやる気があって上を向いている人(しかし人間の機微がわからないような人だと困るが)に対しては、上か下かに関わらず正面から向き合って、ここまでやってきた。それで先週、社内での横つながりの人たち数人と食事をした際に「是が非でもちょっと自分のペースを緩めてもらわないと困ります」と言われた。「イギリスの時もそうだったみたいですが、結局のところ、今後ちゃとさんの後継者というか後に続く人たちを育てる時に『ちゃとさんみたいにはやれませんので』といって尻込みされると困るんです」だと。でもなぁ…決していいカッコしているのではなく、自分としては、これは自転車と同じで「止まったらコケる」と思っているだけなのでどうしようもないのだけれども。
2008年10月05日
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はぁ~~~、久々に日本の連休♪というものを味わえる4日間だ。・・・と思いきや、そうは問屋が卸さない。(爆)4日間のうち、2日間は出社だ。なにせ日頃の雑務がそれでもたまっている。できたら私を会社に一人で置いておいてほしい。(それなら捗る)しかし、スタッフの勤務のスケジュールの関係で、年中無休で深夜も誰かがいる仕事のため、人がいないところでゆっくり自分の仕事を考えたりプランを立てたりということが望めない職場なのだ。私がいると、かっなっらっずっ声はかけられてしまう。「クライアントに出しておく報告書のこの部分が書いていても自分で自信がない」とか「こんなふうに電話で即答を求められていて困っている」とか、そりゃ確かにその場に上司がいたら聞くのがいちばん速いと私でも思うに違いない。私でもそう思うだろうと思うと、ホンネはそう思っても「今日は他のことでは声はかけないでね」とか「今日は私はいないものと思ってね」とは言えないし、ひとめちらっと見たその内容で気になるところがあると、自分のものは中断。そっちが気になる。知らなかったら知らないで通り過ぎるものがほとんどだろうし、だいいち出勤しなかったら見なくていい問題もいろいろある。しょうがない・・・その上、この連休中に業者を呼んで会社の中で大幅な模様替えが予定されている。その件の担当者は私が全幅の信頼を置いている中島さんなのだが、中島さんは管理職にも関わらず連休返上で全力投球する人だし、何よりうちの部署にも関わることでもあるので、お手伝いかたがた陣中見舞いもしておかないといけない。いずれにしても電話がかかってくる立場であれば、連休に期待をかけて逃避行するわけにもいかない。今の楽しみは5月後半の1泊旅行だ。おかんとの軋轢も乗り越えたので、仕切り直しでクマイチとおかんと3人で旅行。一旦、京都に帰ってからおかんを連れて出かける分、余分な出費は嵩むが、たまには命の洗濯は必要だ。ということで連休は静かに、穏便に(笑)過ごしたいものだ。
2008年05月03日
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このところの沈黙の反動でもあるかもしれないが続けられるだけやってみる。その代わり、相変わらずのお題は仕事だ。(スミマセン)以前と比べると大所帯に居座ってしまっているので毎日起きることやトピックが多過ぎてまとまらない中、今日はちょっと自分にとって記録しておくべきことが発生した。うーん、脚色が多くなるかもなのであらかじめお断りしておきます・・・本当の流れをそのまま書くと、人によってはどこの話だかなんのことだかわかってしまうかもしれないので。実はうちの会社には何人かの「相談役」がいる。山村さん自身、びっくりするほど顔が広いことは確かなのだが、コネのある各界から「非常勤・相談役」という名前で人を時々スカウトしてくる。だが、困ったことに、そういう人たちがまたさっぱり使えない人たちなのだ。(困)山村さんの顔の広さも、コネの強力さも、それ自体は驚嘆と尊敬に値するにも関わらず、なぜか肝心の「人」を見る目が不確かなところが時々とんでもない極端さで出てしまう。山村さんが連れてくる人たちはそれぞれ、以前に属しておられた世界ではそこそこできる人であったり、ぶいぶいうるさかったりした人たちではあったのだろうが、結局のところ、うちに来た段階ではうちの仕事がやっぱりよく理解できないからか、この歴代の「相談役」連中が実に使えない面々だったという不名誉な過去がある。そのうちの一人の相談役、長谷さんを私は締め出した。最初から何かおかしいと思っていたのだ。締め出したその人、長谷さんはご多分にもれず、だ~れ~で~も~知っている特大企業につい最近まで勤務していた。しかし、その特大企業が多少縮小するのに伴って長谷さんが早期退職するということを聞きつけた山村さんが「ぜひウチにお越し下さい」と頭を下げて連れてきたのだそうな。長谷さん自身は以前の特大企業のある特殊分野で鳴らしていたと聞くし、うちの仕事とうまく合体させることができていれば、一つの新しい段階にも進めただろう。(要はダメだったってことですがね)山村さんの口癖は「(自分が決めて雇った人を)うまく使い、その人から学んでノウハウを引き出してビジネスにつなげろ」である。うーん、そのコンセプトがわからないわけではない。しかし、結論から言うと、私がここに来て2ヶ月経つか経たないかで、私にとって長谷さんは目障りなだけでたいして要らない人、という判断に達してしまったのだ。最終的にはその人の人となりによるのだ、と思う。心からそう思う。私自身が思っている基準を長谷さんはぜんぜん満たしていなかった。そういう人に対しても私は、日常の挨拶を疎かにはしないし礼を欠いたりもしないだけの節度は維持していたが、仕事の中身は一つも相談しなかった。長谷さんは、自分の前職の内容が近い私の部署にいちばん興味があり、自分の居場所をうちの部内と決め、出勤してくるとその一角にある自席に陣取っていた。出勤後、おもむろに行動開始するのだが、その内容はうちの仕事の関連ではまったくなく、前職以来、関わりのある人たちのところにあちこち電話し、場合によっては貢物をねだってうちの会社に送らせてきたりする。(この貢物というのがまた子供だましで、はっきり言えば、裏の小学校に寄付してもきょうびの子供が喜ぶかどうかわからないシロモノだったりする。長谷さんの前の職場も、処分に困って送ってきたのではないかとさえ思えるほどだ)そうかと思うと今度は別なところに電話しては、数日前に自分が参加してきたセミナーでの話者の視点がずれていたとか、あんなんでよくやっているよとか、言いたい放題なのだ。以前の同僚の人たちは、長谷さんから電話が来ないか戦々恐々としているのではないかとこっちが心配してしまうほど放埓にあちこちに電話しては、どう考えても今のうちの仕事の延長上とも思えない話を延々と大きな声で続けている。代表者報告会というのが10日に1回くらいあるのだが、長谷さんは別に何を代表しているというわけでもないのに、相談役という名前がついているので出席してくる。そこで必ず口にするのは「(以前、自分がいた)○○カブシキガイシャでは」というひとこと。うちみたいな弱小の企業は「弱小のままだ」「労働環境だってよくないし、福利厚生だって○○の基準では考えられない」し、とにかく長谷さんワールドでは、全部が「○○カブシキガイシャなら考えられない」ことだらけなのだ。アタリマエじゃ~~~っ。○○みたいな、日常生活で避けて通ろうとしても通れないような大企業と、うちみたいな新参の「ソレ、ドコ?」レベルの企業とはわけが違う。そりゃ、創業数年で○○みたいになればいいが、どんな企業だってそれはまずムリだろう。うちみたいなスキマ産業は、私も含めて転職・転業してきた人が多いし、だいいち一発何かが売れたらすんごく当たるというような商売ではない。しかし、それはそれとして、うちの中で「去年より今年、今年より来年」を試行錯誤しながらやっているわけで、創業してからヘタすると100年ほども経ちそうな特大企業と一緒にしないでもらいたい。もちろん「○○のように考えるから○○のようになれる」という図式がないとは言わないが、時代も変われば時代のニーズも変わる。別にひがみ根性で言うわけではないが、私は○○が絶対にいいとは思わないし。その上、長谷さんの悪いところは、私の部下を時々ランダムにランチに連れ出しては、いろんなことを吹くことにあった。「今日はもういやんなっちゃうよ~、今から残業確定だよ~」とか「あの客、ホントに何回説明してもわからないし、しつこい」とかいろんなグチが思わず口から出る部下に対して「そういう時に○○は結構、真剣に解決を考えてくれるところでね、今のここの会社とは大違い」とか、ばんばん言ってくれていることが徐々に耳に入ってきた。仕事でのデイリーブリーフィングの際には(それも私が別の会議で不在の時等)まるでわかったようなことを言って、新米くんたちが「(相談役が言うんだから)そうなのか・・・」と思ってしまったり混乱したりすることが何度もあったため、こりゃなんとしてでも早いうちに長谷さんをクビにしてもらおうと決めていた。最初に長谷さん不要論を山村さんに切り出した時、山村さんの反対は強硬だった。「長谷さんからは学ぶことがいろいろある、それがまだちゃとさんには見えていないだけ」と厳しく言われた。私は山村さんに「学ぶことがないとは思っていないが、学べることがあっても、そのプラス部分と、他に及ぼしているマイナス部分を考えると、プラスが上回っていないことが問題だ」とナマイキにも言い返した。それでも山村さんは自分の意見を変えず、いや、もっと長谷さんから盗め、という話で終わってしまったのが3ヶ月ほど前。私は非常に悩んだ。見る目がないのは本当に私のほうなのだろうか。クマイチに相談すると「山村さんがそこまで言うなら、もしかしたらちゃとにやっぱり見えていないところがあって、山村さんだからそこも見えているってことじゃないか」と言われた。それから3ヶ月、長谷さんから本当に何か学べることがあるのか、私が何か見落としていないか、ずーっと長谷さんを観察していたのだが、私の結論は変わらなかった。変わらないどころか以前より一段と「辞めてもらおう、少なくともうちの部署内にどっかり座っていてもらいたくない、できたらそこの机ですら、新入社員の研修用に明け渡してもらいたいくらいだ」という気持ちが強くなった。自分の独善的な考えではないかと心配にもなったので周りの部署の代表者と個々に会って意見を聞いてみたが、その誰もが「ちゃとさん、どんなふうに長谷さんを使っているんだろ」と思っていた、と言った。その中の何人かは、部署違いなのに山村さんに「長谷さんがいるメリットは何か」と聞いたそうだが「学ぶところがある、盗め」という山村さんの常套句を聞くだけに終わったそうだ。それを聞いたある部の代表者は「長谷さんの存在意義とか活用方法がわからんのがオレだけやったらオレがアホなんか、で済んだけど、ちゃとさんも誰も『わからん』のやったら、それはホンモノの役立たずちゃうか」と言ってくれた。そして今日、山村さんから呼ばれ、長谷さんの話になった。「その後、長谷さんはどう?長谷さんからちゃとさんの評価はめちゃくちゃ高いよ」で話が始まったのだが、私は山村さんに、できるだけ冷静に「やっぱり長谷さんは要らないです、少なくとも私個人にも私の部署にも」と返答した。ええっ?という山村さんの顔を見ながら「以前にも山村さんに『長谷さんは使えません』と言ったら『使い方を考えなさい、学べることもあるはず』と言われてずいぶん考えてきました」と切り出し、言いたいことを全部言った。要するに、使いなさい、学びなさいと言っているのは社内ではどうも山村さんだけのようで、具体的にどこで、何に長谷さんを使うか私にはわからずじまいだった。社内の部の代表者格とも個別に何度か話したが、その真意がわかるという人は一人もいなかったし、山村さんがそこまで「使えるはず、学べるはず」と思っておられるなら具体的に「こことココ」だと言ってもらえれば私はそうすると言った。当然、山村さんに答はない。(ないだろうと思っていたし)その上、キツいことを言うなと自分でも思ったが「会社(山村さん)が雇った人に、もともといる誰かが仕事を探してあげる、使い道を考えてあげる、というのは企業としてのあるべき姿ではないと思います」と山村さんに言った。「会社で仕事をして利潤を追求しようと思うなら、まず、やらなければならない仕事の内容やレベルや目標があるわけですよね。で、その仕事をするための人材を探したり教育をしたりして達成に向かうのが本筋ですよね。なのに、まず人だけは連れてきてその人ができそうな仕事を探してあげるようなことに使える時間は私にはありません。平社員のみんながグチを言ったところで、もしも長谷さんが『今は辛抱のしどころだから』とでも言ってくれるなら別ですが、こう毎回『○○だったら考えられない』的な発言をするなんてもってのほかです。だいたい長谷さんが、まったく仕事と関係ない話で前職の同僚やOBみたいな人に電話しているその電話代が会社から出ているかと思うと、それがたとえ10円だったとしてももったいないとしか私には思えません」決して感情的に言っているつもりではなかったが、反論の余地を残してはいけないと思った。「・・・わかった」と山村さんが言った。長谷さんの居場所が私の部署から山村さん直属のエリアに移ることがそこで確定した。ただ、山村さんとしては、長谷さんを今後の会社のメリットとして絶対に会社には残したいらしく、お払い箱にはどうしてもしたくなかったようだ。それはそれでしかたがない。山村さんが雇っている人だ。私としては、うちの部署で、まるでナニサマと言わんばかりの態度で部署内をうろうろされなければ当面はOKだし、今後はうちのフロアに入室してもらう鍵も渡さないつもりだ。いくつになろうと、どこの大企業からどこの中小企業に移ろうと、今いる場所で自分を最大限に出せるように学べない人はアウトだ。前職での過去の栄光を引きずっているだけの「出がらし」には取り合っていられない。
2008年05月02日
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今日はみつこさんを含め、5人でお昼に出かけた先は和の定食屋。みつこさんも私も刺身定食(ええと、私はごはん大にしました)だったのに、夕食は社長である山村さんのお誘いでタクシーに乗ると「やっぱり日本ではお寿司でしょう」と。(がくっ、なんて言っちゃいけないが、ダブった・・・私は別にお寿司がなくても10年間イギリスで生きられた)山村さん行きつけの寿司屋の開店時からカウンターに陣取っていろんな話をする。やはり山村さんとしてもロンドンの事務所の件は気になると見えて、みつこさんにその後の話をあれこれ聞いているが、みつこさんも情熱ほとばしる子供じゃないから、ぽつぽつと話し始めたが、少しずつ勢いがついてどんどん核心に迫っていく。で、結果「ひとみさんはダメ。仕事をしない。ちゃとさんと比べるのはアンフェアだし、そういうつもりはないけれども、自分のできないことを『自分ができないから』人にやらせるというのはどうかと思う」と、言っちゃった、みつこさん。そっかー、と山村さん。今はとにかく、オープン当初の3人がいるから、この半年ほどの間も仕事の上ではたいしてボロを出さずになんとか持ち堪えてきたということだけはわかってもらえたようだ。問題はこれから残るが、とにかく夏に一度、山村さんはクライアントを連れてロンドンの事務所を視察に行くことに決めた、と。さて、みつこさんは山村さんとも付き合いが長い。私はみつこさんにこの仕事に引っ張られたクチなので、山村さんとの付き合いだって、私よりもみつこさんのほうが長いのだ。しかし、今回が初対面の今のうちの職場のメンバーとみつこさんはどうかというと、しっかり彼女はみんなになじんでいる。(爆)私が知らないうちにもうみんなと飲みに行っていた。その上、私が一緒でない時のお昼なんかでも、みんなから「東京に来ませんか」等とスカウトを受けているらしい。すでにみんなからも「みつこさんに教えてもらいました」等と、仕事の上でのノウハウの話も聞くし、いい感じなのである。結構みんなよく見ているのだ。ズルはできないのだ。わかったか、ひとみよ。見えるところだけいい格好していたって、誰もついてはこないのだよ。
2008年05月01日
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長らくその話は書かないでいたのだが、実は私は大失敗をした、している、したままだ。それは何か。コレである。ロンドンでの私の後任に選んだこの女、ひとみはもうアホの極致だったのだ・・・あの時の日記でもう早々にサポート期間終了を告げたのだが、本当はあの日記の後もあいつにまつわる話ではいろいろのけぞらされた。ちょうどこの時の会議週間中も、他地区から集まってきている代表者連は、自分たちの東京でのプログラムの合間には自分の地区での案件で何か問題が起こっていないか、空いているデスクに陣取ってシステムにはいり、つぶさに仕事の確認をしているというのに、このひとみだけはそういうこともぜんぜんしない。ある一日は、もともとは9時から、あるビジネスのセンセイを外から招いて講義を受けることになっていたが、それがセンセイの事情で9時半からになった。場所は会社のオフィスではなくて近くのホテルの会議室なのだが、会社での勤務時間は9時からとなっているので、他地区の課長連もみな一旦9時に会社に集まって個々に仕事を済ませて一緒に会場となっているホテルに向かった。ひとみはその辺にいない。あろうことか、ひとみは9時半近くになって直接そのホテルに来やがった。アホづら下げて。私は言った。「アンタ、何してんの?」「9時半からですよねー?」私、爆発。「アンタ、いい加減にしなさいよっ。他の地区の課長はみんな朝は9時かその前から来て仕事してるよ。アンタがいちばんここで新米なんだから、センセイの講義の開始が9時半からになったからって、誰がいったい9時半にここに来ればいいって言ったの?」「あー、すみません・・・ホテルに泊まっている皆さんと打ち合わせして・・・」「その皆さんはねー、9時に会社に全員来てたよ。あなた以外ね」折りしも私はこの日の朝、オフィスで急ぎのFAXが手元に届けられ、午前中の講義が終わってからやろうと思いきや、そのFAXの内容でどうしても一箇所引っかかる場所があり、これは講義の終了後では問題になるかもしれないと思い、文字通り一分一秒と争いながら仕事の経過を調べて報告書を送ってから会社を出たのだ。そしてその問題は実はロンドンで処理すべきものだったから、彼女が普通にオフィスに出てきたらやらせようと思っていたのに直接ナマイキに会場にのうのうと到着したものだから私は怒髪天を突く勢いで激怒したのだ。それ以外にもいろいろあって、私はその後もう彼女と一度も自分から口を聞くことなく会期を終えた。以来、私はロンドンの他のみんながやっている件で直接その人にアドバイスをこっそりすることはあっても、彼女にだけは、彼女がどんなすかたんをやらかしていても(見えるので)何も言わないことに決めた。先月、また彼女はすんでのところで150万円もの損を出しそうな失敗をしやがったので、その時はもう私は他の人たちも巻き込んでこっぴどいメールを書いた。だいたい、この仕事を真面目に毎日やっていれば、いやでも覚えてしまっているだろうことが半年経ってもできていないのが原因だった。だいたい本当は半年もの間、誰かにぴったり付いてもらうよりもすでに一人立ちしたほうが仕事というものは早く覚えられるのだ、少なくとも私はそう思っている。その彼女が、ぜんぜん足元を見ないで走り出し、150万円もの金額を、よく考えもせずにコミットしたところで私はまた以前にも増して怒った。箇条書きにして、何が足りなかったか、どこを見失っているのかを淡々と書き記し「半年もの間、いったい毎日、何を見て仕事をしているのか」とメールを送ったところ、彼女の返事は「経験のあるシニア(みつこさんやゆみさんのこと)に相談してそうした」というものだった。私、さらに激怒。「シニアに相談した」って、そらなんや?「そこの責任者は誰なのか。私が今このことに気づいたからよかったようなものの、もしもクライアントから『そのおカネの支払いはそちらが勝手に判断したものであって、うちは相談を受けていませんが誰がそんな判断をしたのですか』と質問されたらアンタは『シニア(自分の部下)に相談しました』とでも言うのか?」と。そうではないか。相談すること自体が悪いわけではないが、責任者たるもの、いくら古参で経験ある部下に相談したところで、最終的な判断が自分でできないために相談して出した答なら、それが間違っていたらすべての責任は自分にある。それをだね「経験のあるシニアに相談しました」なんてどのつら下げて言えるのか?つくづくこんなアホな女を後任に選んでしまったことが悔やまれて仕方がない。私がいなくなったロンドンでは、もしかすると「ちゃとさんは厳し過ぎた」と思っていたこともあったかもしれないが、今のこんなアホ女の下でかなり意気消沈しているらしい。とは言え、それ以外に選べる人がいなかったのも事実だし、その上、もともといた後の3人でも務まらなかっただろうとも思う。みつこさんにこの激怒事件について聞いたら、やはり、ひとみは「ちゃとさんは激怒していたけど自分は間違っていなかった」と言っているらしく、みつこさんもひとみと口を聞くことは日常あまりないらしい。甘え声で「レポートが書けなーい(だからお願い、書いてーぇってこと)」とかぬかしているらしいが、みつこさんは「そうですか」と黙殺しているとのこと。困ったものだ・・・明日は社長の山村さんから「みつこさんとちゃとさんとで食事に行こう、ロンドンの状況も聞きたいので」と言われていて出かけるつもりなのだが、果たしてどうしたものかと思いあぐねている。
2008年04月30日
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えー、久々のみつこさんだ。みつこさんが来たのは先週の後半。みつこさんが泊まるホテルに電話をしておき、連絡してほしい旨の伝言を残しておいたら、夜もわりと遅くなってから電話がかかってきた。本当はすぐにでも会いたかったが、残念ながらその日は天気がかなり悪く、長旅で疲れているみつこさんをさらに振り回すのはやめようと決めた。翌日、みつこさんは初めてこちらの本部に出社。私のいるフロアまで上がってきたみつこさん・・・しばし見つめ合い、2人とも突っ立ったままで「久しぶり~~~」とへろへろの声で言うのがやっと。イギリスでの再会だったら抱き合っていたところだが、ここは日本だ。それに私が特定の同僚に対して特別な感情表現をすることをよく思わない人もいないとは限らない。お互いに覗き込む瞳の中には百も千も言いたいことが・聞いてほしいことがある、という光で満ちている。しかし、とにかくみつこさんがはるばるやってきたことを他の人たちに紹介しなければならず、ビルの中を連れ回した。(ちなみに、みつこさんのことを知っている人は本部にも多い。とにかくうちの会社は何年にも渡る紆余曲折を経た産物なので、10年近くも前からみつこさんとは電話でやり取りはしたことがあったが実際に顔を見たのは今回が初めての人とか、ごろごろいる)一通りの挨拶が終わると、みつこさんを非常階段に連れ出した。「ちゃとさんと話したいことはいっぱいあるよ」と言うみつこさん。彼女なりの万感の思いが伝わってくる。「ちゃとさんがいなかったら私は来なかったよ」とみつこさん。「うん、わかってる。ジョージだって私がいるからOKしてくれたんでしょ?」「そう。他の人が仕切っているままだったら来なかった」とにかくよろしくお願いします、と丁寧に挨拶をして自分たちの部署に戻る。みつこさんは初出勤のその日、電話では何度も打ち合わせで話したことがある本部の若手の男性スタッフたちと一緒にお昼に出かけたのを見て私は苦笑していた。(すぐになじんでる)こうして会ってしまうと彼女の滞在は意外と短いことに今さらながらに気づく。ただ、残念ながら彼女の本来の来日目的は仕事上の手伝いだ。どれくらい話せるのかなぁ。
2008年04月29日
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自分のページの本体を見ないままにこれを書き出しているのだが、確か2003年の4月28日にここを初めて開設したのじゃないかなぁ。この1年くらいはどんどん書けなくなってきて、去年の8月だか9月だかは帰国前の忙しさにかまけてぜんぜん書ける日がなかった。日本に戻ってきたら戻ってきたで、なんやかやと楽しく忙しく、やっぱり書けない。仕事場ではすでにウォーミングアップが終わり、2月頃から本格的に走り始めてしまったが最後、家と職場はめちゃくちゃ近いのに(近いから、だからでもあるのだが)1週間の労働時間が80時間くらいにもなると、家に帰ったらもうごはんもいらんと思うくらいの疲弊。・・・食べますが。(爆)今の職場は24時間誰かがいる。夜になると夜勤の当番たちが出勤してくるわけで、彼らとは出勤時に顔を合わせるだけではなくて朝の彼らの退勤時にも(イヤでも)顔を合わせる日を3日に2回は送っていて、さすがにあちらも呆れているし、夫婦仲も心配されている。そのわりになぜか体は元気なのだ。つい2~3日前も、さすがにやりかけの仕事はもう家に帰ってからやろうと思い、12時頃に会社を出て家に着いたが、メールで家に送っておいたつもりのやりかけ仕事のファイルは送ったつもりが送れていなくて脱力感満点。しかたなく覚えていた部分を掘り起こし思い出ししながら、いちから資料を作ったら朝の6時半だったが、45分ほど寝て、起きて、普通に会社に行った。さて、1ヶ月ちょっとのことをダイジェスト的に書くと、いろいろあった。*母とは和解した・・・というか、3月末に父の一周忌があり、京都に戻った時にはお互いに普通だった。どんな人にもそう言われるだろうが親子とは、母娘とは、やっぱり、やっぱり、そういうものだったということで収めていいのだろうか。よしとしておこう。*その時に初めて、弟の次の嫁さんという人に会った。いい子だった。前の嫁さんよりも若い(弟とは年齢も2桁違いになる)が、よく気がついてしかもさりげない子だと思った。何よりびっくりしたのが、弟の顔の相がまったく変わっていたことだ。私はあんなに穏やかな弟の顔を今までに見たことがない。弟はいつもどこか神経質で、一瞬で切れそうな部分を私より持っていたし、その割りにいつも臆病で何かから逃げている雰囲気があったのだが、人生の半分近くになって本物の伴侶・理解者を見つけたのだと思った。よかった。*部下が急死した。こちらが倒れそうなくらいショックだった。これはまあ私や職場のみんなにしかわからないことではあるが、決して過労死などではない。病気だったのだが、その進行が驚異的に速かったのだ。なのに本人に自覚症状がまったく出なくて、気づいた時には「あと数週間」の宣告だった。亡くなった今、そう言うのでは決してなく、退院してきた時にはムリをさせないように固定勤務をさせ、数ヶ月経ったら私の片腕になってもらう算段をしていた人材だった。=====ここをやめようかな、という気持ちに少しなった。でも、だいたいがケチくさい性格だからか、自分のものに執着の強い性格だからか、ここをやめてページも消して・・・というのはもったいないなと思った。だからといって、このままずーっと廃墟のように動かないものを置いておくのもイヤだなと思った。そうだ。決して本質的・抜本的な改革でもなんでもない単に姑息な手段かもしれないが、タイトルとバックのデザインでも変えてみようと思った。お風呂にはいりながらタイトルを考えた。「ちゃと」というHNは自分で結構気に入っているので、まずこれを変える気はない。「ちゃと・まっしぐら」というのも、特に理由もなくつけたが、これにも愛着はある。自分の言いたいことは変えないぞ~という気持ちがあった。が、もしも変えるならばマイナーチェンジ程度(笑)でも構わないし、なんとなく語感的には「ちゃと・ま」までは残したいと感じている。(爆)いくつか候補を考えてみた。○ちゃと・まっし(「ぐら」を取っただけ。語感がちょっとカワイい気もする)○ちゃと・まっしぶ(Massiveなのである)○ちゃと・まっしも(今度はイタリア語で男性の名前だが、それダレ?)○ちゃと・まーしちょっくな(次は韓国語で「とてもおいしい」)○ちゃと・まったり(うーん、これはちょっと私の感じではないぞ)なかなかうまくいかない。そこでまたまた続きを考える。○ちゃと・まっさお(うん、綱渡りで毎日過ごしているイメージにはぴったりだ)○ちゃと・まっくらけ(これも間違ってはいない)○ちゃと・まってんか(意味不明)○ちゃと・まんぐーす(コブラよりマングースのほうがかわいい)○ちゃと・まっぴら(・・・無言)なんでもいいから書け、という声がどこかから聞こえる。
2008年04月28日
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実生活ではいろいろと、考えるだけで気が重いようなことが起きている毎日で、やっと1週間終わったなという感じ。久々なので今日はもうタイトル通りにお茶を濁したレベルのお話で片付けてしまおう。そろそろ帰国して半年になろうとしているところで、そういう中でいちばん生活にしみ込んできているのがやっぱりテレビ。(笑)イギリスにいた時には、見ていないテレビはつけていなかったのだが、日本だとどうしても、こうして日記を書いている最中も、見るともなくテレビがつけっぱになっている。まあここで電気代がという話は別として、なのだが、私がいちばん不思議に思っているのが、ワイドショーに出ている神田うのである。以前からふっしぎーな人だなぁと思うと同時に、なんでこの人がテレビに出てくるのかがいちばんよくわからない。確かに、土曜の昼や平日のゴールデンタイムなんかで一盛りナンボのタレントが寄せ集められて、クソおもしろくもない話にまで上を向き、おっぴろげた鼻の穴をさらしつつ手を打ったりして笑っているようなバラエティを見てはアホだなぁとは思っていたのだが、これはこれで慣れた。(苦笑)そんな私の今の疑問は、どうして神田うのの動向がワイドショーであれだけ知らしめられないといけないのか、という必要性だ。誰か、ホントにそんなに彼女の私生活に興味ある人ってそこまで日本にいるの?どんなお金持ちのお嬢さんかもしれないけれども、まあその程度のお金持ちの皆さんって、いるところにはいるだろうし、別にそれ自体が珍しいことではないだろう。神田うのが結婚した、どこかに旅行に行った、相方がホステス同伴旅行したらしいが神田うのも同じことをしているらしいって・・・こんなこと、みんながホントに知りたいことなんだろうか。ファン層を想像してみても、別に女性から人気がそうあるとも思えないし、男性が振り返って見るようなタイプとはちょっと違うし、ただ考え方やモノの言い方が多少人間離れしているというか常識知らずというか、だからといって純然たるアホキャラとしては中途半端だし。ワイドショー的な見世物の品格どうこうはこの際どうでもいいのだが、彼女の私生活や発言自体の露出のしかたって、世の中の需要をまったく考えていないというか、なんだか売れないのに、いつも店頭に出ているワゴンセール商品みたいな気がしてしかたがないのだけれども。
2008年03月22日
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あいかわらずツマラナいことで同居人と意見が食い違う。今日の意見の食い違い。さっき「プレミアA」を見てた、それが発端だった。ご存知、今や押しも押されもせぬ支持率ナンバーワン知事である宮崎県の東国原知事と、先月、選挙で初当選した大阪府の橋下知事。この2人、それぞれが「テレビでの有名人⇒知事」という転身を成し遂げた人、というだけの共通項で一緒にスタジオに呼ばれたのは今夜のこの番組が初めてではないが、私自身はこの、橋下知事がスタジオに呼ばれてテレビに出る、ということに、以前からどうも納得がいかない。何をやっているんだろう、という気がする。この2人をテレビ局が呼びたいという気持ちがわからないわけではないが、彼らがテレビに出演することの意味合いを考えると、宮崎県知事と大阪府知事ではまったく違うと思うからだ。去年の選挙の当選・就任以来の東国原知事の宮崎県キャンペーンには圧倒されてきた。こう言ってはなんだが、もしも九州が出身ではない日本人にランダムに調査をして、九州に位置する都道府県にはどこがあるか聞いたとしたら、宮崎県を3つ目までで答える人はいなかったのではないかと思うが、今は宮崎県が3つ目までにはいる確率は相当高くなったと思う。東国原知事がテレビに出る時は、いわば「歩く宮崎県」そのものになり切っているように思えるし、それは大方の予想を裏切って大きな成功の目と出た。片や橋下知事。キミ、なんで今、テレビに出てんの?というのが私の素朴な疑問だ。彼がテレビに出て宣伝しているものが果たしてあるのかどうかを考えると、何もないのではないか。だいたい、大阪府自体が日本全国に向かって発信・宣伝しなければいけないものが今、あるとは思えない。それよりも、一にも二にも喫緊の課題は府政の赤字の克服・是正だと府知事本人も言っているのだから、そこに100%全力投球すべきであり、時間があるからといってホイホイとテレビ局に言ってインタビューされているヒマがあるのか?そう言うとクマイチがそこで画面が変わって小泉氏がインタビューされているのを見て「でも、こうして小泉さんだってインタビューされてるじゃん」と言うので「ほら、小泉はテレビ局のインタビュアーとカメラマンが追い回して談話を取ろうと思っているだけでスタジオにのこのこ出てきてないやん」と反論。(注.私は小泉もキライだが、その時のテレビの場面では彼は移動途中にマイクを向けられていただけでだった)もともと私は、どちらかというと橋元氏は好きなタイプの人だと思っていた。選挙に出るかも、という話が最初にあった時も、こういう人が出てきたら何かよくなるかな、と漠然と思っていたのだが、その後の出る・出ないの話になった時に初めて「どやねん」と思った。選挙には出ない、と言っていたのだ。なーんだ、ザンネンと思っていたら、いつの間にか「出る」と。茶髪を黒髪に染め直していた。(そのままでええやんか・・・外見でどうこうしなくていいと思っているなら)選挙活動中の演説の様子はもちろんニュースでも何度となく報道はされていたが、耳を凝らして聞いていたが、具体的に何をどうするのかがよくわからなかった。「大阪を変えたいんです、よくしたいんです」と上半身を振り乱しながら彼は熱弁を振るっていたように見えたが、具体的な話は何も見えてこなくて、よくわからないまま気づいたら選挙当日になって彼は当選していた。そして当選するやいなや、NHK大阪放送局でのケンカ(まあ、あれは司会者のアナウンサーもアホだったと思う。仕切りのセンスがないわ、まともな質問ができないわではねぇ)に始まり、学校を訪問しては生徒にいじられて苦笑いし、その後も毎回ニュースで報道される通りの橋下節(要するに一連の炸裂ぎみ発言)だけがクローズアップされているが、どうもそれ以外のものがやっぱり何も見えてこない。「子供が笑う」大阪、はいいが、その中身はなんなんだ、という話だ。公立中学での米飯給食実施とか大阪市の中心部の石畳・ガス灯整備等、実施の権限が大阪府でないものを公約に挙げていたために、いったんそれらの差し戻しがあったようだし、選挙運動中から「大丈夫かいな、この人」と思うようになってきたのだ。ということで、今日のその「プレミアA」を見ている時にクマイチに「橋下はテレビに出ている場合やないし、だいたいその必要もない」と私が言ったらクマイチは「ええやん、別にテレビに出たって。それに1年くらいは見てみないとどんなふうによくなっていくのかわからないし、今、評価を下すべきではない」と言う。しかし、いったん長になるということは、今日にでも明日にでも何か結果を出すことを求められる立場を引き受けたということだと私は思うし、どうでもいいことだけに焦点が当たっているということは、それ以外に評価すべきことがない、ということの裏返しでもあると思う。もしもそういう部分の釈明の場としてテレビ出演の機会を使うというならおかしな話である。そういう部分の釈明のためではない、と本人は言うだろうが、じゃあいったいなんのためにテレビに出るのかと聞きたい。どこの都道府県知事だって、人前で釈明したい自分の立場も理屈もあるだろうと思う。(それが正しいかどうかは別として)しかし、いくら都道府県知事とはいえ、現状で言えば東京と大阪と宮崎以外のどこの都道府県知事をいったい全国ネットが招請して弁明の機会を与えてくれるというのか。橋下大阪府知事の場合、テレビに出るなら毎日放送・朝日放送・関西テレビ・読売テレビとケンカしたNHK大阪、そしてテレビ大阪程度に絞って、せいぜい大阪府民に対して今後の方針や施策を述べるように、顔を向ける方向を調節してもらいたいというのが私の意見だ。なのにクマイチから「ちゃとは厳しすぎ」とかこてんぱんに言われ、腹立ちまぎれに風呂にはいった。クマイチから「ちゃとは京都出身なんだし、どうせ大阪は関係ないのでは」と言われたが、隣りで見てんねんからしっかりせーよと言いたくなる。最初は20000%立候補の可能性はない、と言っておきながら「やしきたかじんに相談して出馬することにした」というような重みのない噴飯モノの方針転換をまたやってもらっては関西人として恥ずかしい。
2008年03月16日
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気を抜くと1日・2日とすぐに日記が抜けてしまう。今月はちょっと正念場なので、家にいる時間よりも会社にいる時間のほうが長い。なので今日は短く。さて、先日、実はわれら夫婦はビリーズブートキャンプをこっそり1月から続けているということを書いたのだが、それはそれとして私は運動後~入浴後、こういうものにはまっている。酢のドリンク。(濃縮してあるやつね)ミツカン 梅はちみつ黒酢(国産玄米100%) 500mlそれとかミツカン バーモントはちみつりんご酢 500mlこれとか、あとミツカン ブルーベリー黒酢 500mlまあ私が思う飲み易さの順序はりんご酢→梅はちみつ→ブルーベリーかな。なんせブルーベリーはそのへんにこぼすと落ちないような気がするので結構気を遣う。但し、なんとなく目によさそうなので、一石二鳥のような気もするがいちばん強烈な気がする。ビリーデイはかなり運動量が激しいし、体に溜まるといわれる乳酸を酢が分解してくれるというので、好んで飲んでいるのだが、時々逆流してくることがあり(笑)窒息しそうになる時があって注意しなきゃなとは思う。それと、うち2人はアルコールは飲まないから、こういう酢のドリンクを買っておいてもいいのだが、時々、日に何度も飲むことがあり、結構これも高くつくので調節しながら飲まなければ・・・それから、前後してしまうのだが、ビリー開始前にはアクエリアスのアクティブ・ダイエット。これを先に飲んでおくと、飲んでしばらくで汗が出そうな感じになってくるので、それからビリーをおもむろに始めるのだが、いやー、そりゃもう汗がよく出ます。でも、最初は脂肪燃焼にはカテキンがよく効くということだったので、こっちのヘルシア系2種のどちらかを飲んでから運動していたのだが、どうもアクエリアスのアクティブダイエットのほうが汗が出易いし値段も安くてコスパがよろしい。あ、そうそう。私はもともとコーラでもなんでも「ダイエットなんちゃら」とか「ローカロリーなんちゃら」がキライなので、最初にお勧めしたりんご酢でも、これはダメ。最初は「ダイエット」という名前に惹かれたのだが、一発で間違いだとわかった。要するにこれは、痩せる力がものすごいわけではなくて、いわゆるダイエット飲料系の突き抜けない味なのだ。これが好きな人もいるかもしれないが、私にはダメでした。
2008年03月12日
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はーい、今日も仕事でした。ホントにこの2ヶ月くらい(?)まあ、あまり思い出したくないんだけれども、週末で土日続けて休んだことがない。この間も書いたように人不足だし、新しい人を採用はしたが、その中の一人が急に介護の必要があって郷里に帰ってしまったりして、ホントに人を定着させるのは難しい。誰かが辞めると、その分の穴埋めをしている人たちが、どこかで線が切れて「やーめた」と言われると困るので、ついつい自分が少しでも手伝ってしまおうと思う。もちろん本来の自分の仕事は遅れる・・・今日も今日とて、久々に土日休めるかと思ったら、病人が出てしまったので金曜の段階であきらめて出勤することにしていた。まあ、そういう話はおいといて、だ。この間ちょっと書いていたビリーズ・ブートキャンプ、結構飽きっぽい私でも続いている。最初、このDVDが最初に家に着いた時、動画に合わせてなまくらに体を動かしている最中に「ちょっと待ってぇ~~~、これ、やるの?」って感じで、半分もついていっていないのに体が痛くてガタガタになった。やばいぞ、これ。そうは思ったが、これを続けないと、この2年ほどでついた脂肪の塊はどうしようもないことは頭ではわかっている。仕方ない。他に楽して痩せたりできないし、DVDの箱の中のインストラクションに従って2日に1回、55分間の修行だと思って続けることにした。最初の頃は「ああ~、ちょっと休まんとムリ・・・」というところで立ち止まって、というか足踏みして拍子だけ取っていたし、ビリーバンドなんて使うのはとてもムリ!という感じだったのに、続けているうちに、最初の頃はこのへんで小休止していたという部分でも休まずに続けられるようになったし、ビリーバンドで負荷をかけた運動もできるようになった。どうやら腹筋はかなり強いのか、クマイチがDVDを見ながら休んでいる部分も私は休まずにやれるようになった。がしかし。成果が著しく出ているのは私ではなくてクマイチなのだ。以前は、クマイチの腹回りを冗談で触るとつまみどころ満載だったのが、このところなんだか淋しくなってきている上、この間なんかクマイチのわき腹を触っていたらほねホネしていたのでかなりショックを受けた。は?私ですか?ぜんぜん変わりません、てか一段とビッグになっていて、ぜんぜん話が違うのだ。そりゃまー、食べるものもおいしいし、カロリーのこともぜんぜん考えていないし、しょうがないっちゃーしょうがないのだが、彼と同じもの食べていて同じ運動していて、どうして私だけ大きくなるかね。絶対こんなんで「私、ビリーやってます」って言ったって誰も信じてくれそうにない。だから言わない。ここだけの話だ。
2008年03月09日
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つまんないことで気を持たせて(そんなつもりは毛頭なかったのですが)お待たせしてしまいました。はい、やってくるのは何を隠そうみ・つ・こ・さ・んでございまーす。えーと、あの日の日記で頂いたコメントで約1名をのぞき(爆)正解でした。現在、私が引き継いだチームは35人だと先日書いたのだが、実はこれ以外に退職者・長期欠勤者等がいるので、仕事の内容からするとキツキツなのだ。その上、3月からまた1人が産休にはいっているし、はっきりいって今、ここを2代目として仕切っていくとしても創業以来の人数減という状態で厳しすぎる。そこで経営企画室長の宮古氏と相談し、この2ヶ月ほどを乗り切るために他の拠点から人を借り出すことに。とはいえ、他の拠点だって人が有り余っているわけではないことは私もよくよくわかっている。その上、他の拠点から人を借りることに派生する経費の問題もある。しかし、社内でそういう人的交流で違う風を入れるのは悪いことではないし、今まで自分たちが疑問も持たずにやってきたやり方を他の拠点の人間が見た場合に「そうするよりこうしたほうが」というような方法論の交換だとか、相手方の仕事のサイクルから「だからこうしなければいけないんだ」といった新しい学習だとか、得るものは多いに違いない。こういう部分で経企室の宮古氏と私は意見の一致を見ることも結構多く、それで乗り切ってみようということになった。もちろん他の拠点がどうしても人を出せないというならしかたがないが、経企室から各拠点に打診してもらったところ、なんとどの拠点も「実は苦しいがなんとかする」ということで、時期を分けて人を派遣してサポートに来てくれることになったのだ。その中で、私の古巣からはみつこさんが手を挙げてくれたという。実はその前に宮古氏に耳打ちして「イギリス支部からもしも誰か出せそうなら、あのダメ後継者のひとみさんをリクエストしといて。向こうで彼女が抜けたって向こうも誰も困らないし、ちょっとこっちでしごいてやるから」と言っておいた。宮古氏は納得して「できたらひとみさんに来てもらいたい」と向こうに打診したら「わ、わたしではそんなに役に立たないと思われ・・・(わかってんじゃん)」という返事が来て、そこにみつこさんが「仕事の中身が本部と支部ではちょっと違うので、どれくらいお役に立てるかわかりませんが私でよければ」と言ってきたのだった。みつこさん、実は大昔というか以前の会社の時代にも、当時の本部でピンチがあった時に「私、行くよ」と言って1ヶ月、助っ人に行った。その時、彼女が助けた相手はたった一人。当時の前の会社の本部ではちょっとしたクーデターが勃発。すでに火薬の匂いがぷんぷんしていたその場所に、黒田さんという男性が新人部長として転職してきたが、その彼を迎え入れた古参組は新人の彼をハシゴの上に昇らせておいて全員が逃げ出してしまったということがあった。黒田さんには持ち前の責任感と頭のよさはあったが、肝心の仕事そのもののノウハウがほとんどない。彼は単に「いいところに飛んできた夏の虫」であり「人身御供」にされて放置されてしまったことにロンドンで腹を立てていた私たちの中から、みつこさんが単身で黒田さんのもとに行って彼の苦境を救ったことがあったのだ。ちなみに、その当時、彼を迎え入れるだけ迎え入れて逃げていってしまった人たちは今、うちの会社にいる。そして肝心の黒田さんはと言えば、だいたい彼は資産家の生まれで、あくせく働く必要ももうないオジサンだが山村さんに負けず劣らずの人脈あり。そこで結局うちの山村さんに頼み込まれてうちに入社、かくして彼はかつての敵と毎日顔を合わせているというおかしな因縁の会社なのだ、うちは。社内でもごく一部の人間にしか本音を話さない日々を送っている黒田さんも、かつての彼の救世主であったみつこさんが今回やってくるのをものすごく楽しみにしている。さて、そのみつこさんが、今度は私を助けにやってきてくれる。彼女にすれば本部の苦境、ということもあるだろうが、たぶん今の長が私になったから来てくれることに決めたのではないかと秘かに思っている。彼女もこの機にいろいろ積もり積もった話ができると思っているだろうし、彼女みたいなキャラクター(ひとたび電話を取るとすごくプロフェッショナルな声で対応をちゃっちゃとしていくのに、何か他のことをしゃべると周りが一斉に脱力してしまうという落差)は今の本部にはない。もしかするとジョージも休んで、1週間くらいは来るのではないかと期待をしていたが、残念ながら彼は仕事の関係で来られないらしい。でも、ジョージにしても「ちゃとがいるから行って来い」と送り出してくれることになったに違いない。とはいえ明日や明後日に彼女が来るわけではない。彼女が来るまでもうしばらく辛抱して持ちこたえなければ。でも、いちばん今、会いたい人にもうすぐ会えるという気持ちは大きな力になる。
2008年03月08日
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ここ数日、私はコレがテレビで報道されるたびに、秘かに顔から火が出るほど恥ずかしい、恥ずかしいと一人で感じ続けているモノ。それは・・・「オバマ氏を勝手に応援する会」である。100%私の主観なのであるが、これは日本の恥だと言っても過言ではないと私は思っている。発想があまりにア●過ぎる。アメリカの大統領候補の姓が、日本の一つの都市と名前の表記と発音がたまたま同じだからといって、2ちゃんねるならともかく(2ちゃんねる住人なら、そもそもア●らしくてそんなことには乗らないだろうが)地方を巻き込んでの大フィーバー。皆さん、ココを見てやって下さい。1500円もするTシャツなんか売ってる場合か?で、買うヤツがいるんか?(いるとしたら、石もて追いたし、だ)ええ加減にせえよ、ホンマ、小浜市よ。もしもこれでオバマ氏が大統領に就任したあかつきに、彼の対日政策が強硬路線となって日本という靴の中の大きな石ころになりかねなくなってきたら、表記と発音が一緒だという以外に理由もなくオバマ、オバマと今、ア●面下げて叫んでいる小浜市はどうコメントする気なのか?そもそも、オバマ氏が現在の選挙戦で掲げている政策や改革を旗印に挙げているものの中身が何かわかって応援しているのか?(答はNoだろうが)今、繰り広げられている、そんな日本とはまったく関係のないこのバカ騒ぎはいったい誰の金を使ってやっているのか?観光協会ではないのか?そんな「人のふんどしを借りて相撲を取る」ようなことではなく、もっと他に本当に小浜市自体に意義ある有益なキャンペーンやプランを独自で考えようと思わんのか?これだけ中身がないホンガラ~な話で文字通り諸手を挙げてはしゃいでいる小浜市の関係者たちには幸か不幸か知り合いはいないが、こんなことでマスコミに報道され、しかも外国でもこんなバカフィーバーが電話取材を含んで取り上げられていると知り、日本人として恥ずかしすぎる。朝日新聞の記事によると、相手側も「両国の友情を大切にしつつ、より素晴らしい、より自由な世界の実現を約束しあおうではありませんか」と返信したそうだが、完全に言うだけタダ、の世界ではないか。その約束には何の実態もなければ、何かの問題の解決が保証・裏打ちされた約束でもないのに「思いが通じた」なんてコメントしているとは悲しすぎるし寒すぎる。もともと外国に弱すぎる日本人に「両国の友情」なんて文言でも入れようものなら、もう骨抜きのへにゃへにゃになるのは目に見えているし、それは「両国の友情」と相手が言ったから「思いが通じた」と思い込む前に、完璧にこのキャンペーンがギャグと取られていることをちゃんと理解しているヤツは誰もいないのかと思うと暗澹とした気持ちになる。これじゃ、海外に行った若いねーちゃんが、旅先のちょっとしたイケメンに声かけられてソノ気になって最後まで行っちゃって、あーあ・・・というのと同じと言おうとしたが、もとい、小浜市の場合は勝手に(つまり頼まれもしなければ誘われもしないのに)応援している分だけ余計、手のうちようがないというものだ。長崎にある小浜温泉の小浜町が「うちは町だから(福井県小浜市は市だから)ダメなのか」とか言っているらしいが、小浜町よ、やめとけ。悪いことは言わないから、こんな無意味でこっぱずかしいだけのキャンペーンに絶対に乗るなよ。
2008年03月07日
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クマイチとケンカになった。久方ぶりに、と書ければいいのだが、実はここ最近ちょっといやな度合いだと思う。今日は会社ではない某所で勉強会があり、一日よそのビルの中で缶詰になっていた。恥ずかしい話だが、なにぶんにも方向音痴であることと朝のラッシュにびびった私は(普段、徒歩通勤だから電車にこの時間に乗ることはない)そこの場所まで朝、クマイチについてきてもらった。そのエリアは彼が東京の中でもいちばん勝手知ったる場所でもあり、昨日、私が頼んだところ快くついてきてくれると言ったのだ。(頼む私のほうが恥ずかしいが・・・)勉強会が終わり、帰りはもちろん1人だったのだが、最寄の駅近くの本屋までクマイチに出てきてもらい、何かおもしろい雑誌でもあるか2人で物色し、それから一緒に帰る10分足らずの道のりでいきなりそれは勃発した。話が長くなりそうだが、実は私たちはビリーズブートキャンプのDVDをヤフオクで買い、1月後半から続けているのだ。(ええーっ?)やったことのある人はご存知だろうが、4枚のDVDのうちのベーシックトレーニング版は55分動きっぱなしのエクササイズ。うちは狭いし、テレビ・DVDのある部屋で2人一度にそれをやることはできない。なので必ず1人ずつそれをやるとおおかた2時間かかる。それからご飯を食べてお風呂にはいって寝る・・・効率悪いこと、この上ないが、仕方ない。但し、このエクササイズは毎日ではなく2日に一回なので、私もその日(以下、ビリーデイ)は、毎日遅い中でも、少しでも早く帰るようにはしている・・・が、それでも9時を過ぎることも少なくない。クマイチはすでに自分の番を終えていて、食事の支度にかかってくれていたりするのだが、私が帰ってきて家のドアを開けると、彼はいつも「さあ、ビリーが待ってるぜ」と言う。毎回、言う。今日もビリーデイだった。昼間もそれはもちろん覚えていたのだが、本屋からの帰り道にふと私が「帰ってから(ビリーを始めるまで)ちょっとだけ休んでもいい?」と言った。彼「なんで」私「ちょっとだけPC見たいから」彼「ボクのところで見てよ」私「いや、自分のPCが見たい」彼「邪魔すんなよ」私のPCはテレビのある部屋(つまりビリーをやる部屋)、彼のPCは違う部屋にある。だいたい部屋自体が狭いし、私がマイPCの前に座ると彼のビリースペースが確保できなくなるため、家に帰ったらすぐビリーを始めたいクマイチとしては、私にマイPCの前でだらだらするとすぐに自分が始められない。それが「邪魔すんなよ」という言葉になったのだが、私は突然この言葉にかちんと来てしまった。その上、よく考えると、これまでビリーを始めてからもずっと帰りの遅い私は、玄関を開けると、本当に座る間もなくクマイチの「ビリーが待ってるぜ」という言葉に押され、服だけ着替え、座る間もほっこりする一瞬もなくDVDがかかり、エクササイズを始めてきたんだという毎日が思い起こされ、なんだか無性に腹が立ってきた。だってそうだろう、12時間も会社にい続けて仕事が済んでやれやれと思って家に帰ってきた瞬間、さあビリーが待ってるぜって・・・。やらないとは言っていない。これまででやらなかった日は、思いがけない残業で日が変わってしまった時と生理痛がひどくてパスした時だけ。だらだら休んで「今日はやーめた」てな気持ちは毛頭ないのに、自分の家に帰ってきた途端、さあ、時間もないからすぐやれよって・・・これまではあまり自分でもそこまで重くも真剣にも考えたことはなかったし、そんなことに思い至らなかったが、今日「ちょっと休んでいい?」「ダメ」というやり取りの瞬間に、ああ、そうだった、私、帰るたびに毎回座らせてももらえずいきなりやらされてたんだ、と思い出したのだ。だらだらしてちゃいけないし、さっさとやるのが本質なのは私はよくわかっている。だから別に、家に帰って5分や10分ちょっとほけーっとしていたって「今日はやらない」とは絶対に言わない。今日は、いつもの会社での頭の痛い毎日とは違う勉強会に出て直帰だし残業がないから帰宅は早くても、いつもと勝手が違う分、それなりに気疲れしている。そこで「PC見るならボクがビリーやる場所は開け渡して、あっちのPCを使って」と言われて私はカッとなった。小さいこと、なのだ。でも、自分の家でやることにそこまで私が制限を受けるいわれはない。そう思うとムチャクチャ腹が立ち、路上で立ち止まってクマイチに「そんな言い方はひどい、私はちょっと休みたいって言っただけだし、30分も1時間もだらだらするわけじゃない」と抗議した。彼はひるむことなく「でもさ、そうやって座っているうちにイヤになってしまうし、ボクが急き立てなかったらやらなかったことだってきっとあったと思うよ」と言い返す。「そんなことない、私はやるよ、別にしぶしぶやっているわけじゃないよ、自分でやろうと思うからやってる。でも、今の言葉で思ったけど、そういえば私はこれまで残業して帰ってきたらいっつも『ビリーが待ってるぜ』って言われて、腰をおろすこともなくいきなり『やれ、やれ』って言われるのはやっぱりイヤだったと思う。言われなくてもやるに決まっているのに、そんなふうに毎回言われなくてもよかったと思う。私だって、時間が遅いからすぐやらないとよそにも迷惑かかるから早くっていうのはわかってる。けど、無理やりそんなふうに言われたくない」そう私が不退転の決意で言うと、クマイチは斜めを向いたまま「じゃあ、もう言いません」とちょっと小さくて硬い声で不機嫌に言った。それがまた私をかっとさせた。「ちょっと、そういう言い方はないやろ?」とその場に立ち止まったまま言うと彼はもう一度、やはり斜めを向いたままそう繰り返した。「あのな、私が何に腹立ってるのか今、説明したやろ?『じゃあ、もう言いません』ってさぁ、もうちょっと他に人に気持ちを寄せるような言い方できひんのかな?私が『ビリーが待ってるぜって毎日言われて急かされるのがイヤって今わかった』って言ったやろ。『じゃあ、もう言いません』じゃなくて『そっかー、そんなこと考えないでそう言ってたかもしれないし、そんなにイヤだったんだったらごめんね』とかっていう言い方はないわけ?『もう言いません』って結論言うたら終わりか?」と私は彼を責めた。「前やったらさ、もうちょっと上手に謝るというか、私がこんなふうにいきなりガーっと怒り出したら、とりあえず落ち着かして、子供みたいかもしれんけど『そうかそうか~~~』って言ってくれたと思うけどそういうのはもう私にはせーへんのやな、私は『ああ、そっかー、ごめんなー』って言ってくれたら、それで矛先が収まる性格やっていうこと知ってるやろ?それを知ってて『もう言いません』って紋切り型の答でホンマにアンタはそれでええと思ってるねんな?」クマイチはそれでもまだ腑に落ちない顔で「ごめんね、そんなにイヤだったとは思ってなかったから・・・」と鸚鵡返しに答えたが「でも、こんな道端でボク、こんなふうに言われて・・・」と、不満の根っこを付け加えて私に差し出した。私は「アンタは道端で言われてカッコ悪いとか思ってるから余計不機嫌なんやと思うけど、アンタが何回も言い返さんと、この段階に来るまでに『そやったんかー、ごめんな』ってひとこと(ホントは他に言うことがあってもとりあえず)そう言ってくれてたら治まる話やったんや。道端でって言うけど私だって道端で話したいわけじゃない。でも私はこういうことを持ち越したままで家の玄関はいるのはもっとイヤなんや」と言った。以前はもっと素直というか誠実でストレートな人だと思っていたが、ここ最近のクマイチは、私の直球に対してカットをかけて返してくるような答え方が多くなり「ハイ」と言わないことが増えた。じゃあ私のほうが難しい球を投げるようになったのかというと、決してそうではないと思うのだ。私が丸くなったとは言わない。そうではない。怒るツボもタイミングも変わっていないし習性が変わったわけではない。正しいとは言わないが、私の主軸はブレていないはずだ。が、時々彼がしつこく絡んでくることが多くなり、どうしてこんなふうになっちゃったのか、という落胆の思いがある。その後、重い口をもう一度開いたクマイチによると、私が最近(いつからいつのことを言っているのかしらないが)心に怒りを溜めている度合いが多いという。私の怒りの沸点が低くなったようなこともいっていた。確かに仕事でトンネルにはいり、どうしようもないような時がないわけではないが、クマイチにそんな話をいろいろ聞いてもらうことはあっても、それが原因でクマイチや家の中のモノにあたるというようなことは私は絶対にしていないと思う。結局、家に着いてから私は15分ほどPCの前に座った。それから畳の上にビリー用のマットをおもむろに敷くと、いつものように1時間、ビリーに付き合ったが、その間にクマイチは寝てしまっていたので話はしていない。ここに書いた話はもちろんすべて私側の論理、私側の事実という主観100%であって、クマイチが日記を書いたとしたら、またそれはクマイチの論理・真実での書き方・言い分になるだろうとは思う。私はこの件について自分が悪いとは思わないし、人(しかもたった一人しかいないパートナーじゃないか・・・)に御する術を学ぶべきはやっぱり彼のほうだったと今でも思っている。しかし、私は1月に母とあんなことがあり、ここしばらくなんとなくクマイチがいちいち私にひっかかりを見せるのはやっぱり変わったのは私だと思うべきなのだろうか。私は親にも配偶者にも恵まれてきたと思っていたし、クマイチといる毎日に私のほうは不満はないのに、クマイチは私に対する気持ちが薄れてきているようなことを少し言った。世の中で、ちょっとしたことでいちいちつまらないケンカから、近しい人同士の気持ちがはぐれてしまうような関係って悲しいなと思っていたが、私は今そこにいるのかもしれない。父がいなくなってから、歯車が狂い始めているのだろうか。やっぱり私はもしかすると家族との縁が薄い人生を今後送っていかないといけないのかもしれない。
2008年03月06日
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今日はもう家に帰ってきて(そんなに遅い時間ではなかったと思うが)ご飯を食べたらもう眠くてネムクテ畳の上でぼてんと寝てしまいましたんよ。一度寝ぼけながら起きて、慌ててお風呂にはいったのですが、明日も明後日もいろいろと山積みの日になるのでもう寝ちゃいます。え~~~、とか言わないで下さい。(爆)コタエはまたいずれ。
2008年03月04日
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昨日、書き忘れていたうれしいことがあった。えへへ。これがいちばんうれしいことかも。がんばっていたご褒美かも。来月、カ・ノ・ジョが東京にやってくる!詳細はまた後日^^
2008年03月03日
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昨日、久々にまた日記を書いてみて、それも、1ヶ月前なら気に病みすぎて書けなかった同じ話だけれども、やっと少し冷静になれて書いてみたら、いつもいろんな温かいコメントを下さる皆さんから「そういうこともあるよ」と教えてもらって、なんだ、そうだったのかと素直に思った。そういう事態もアリだということに今頃やっと気がついて、自分一人でぐるぐるしていたところからやっと脱出できた気がした。皆さん、本当にありがとう。ともすると、いつもの書き手といつもの読み手では、お互いに相手の手の内もわかる。こんな時の書き込み・やり取りをぜんぜん知らない他人が見ると、コメント自体が予定調和だと思われても仕方ないのかもしれない。でも、それでもわざわざ忘れずにのぞきに来て下さり、何の得にもならないこんなものを読むだけでなく何か書いてやろうとされる皆さんの数分、そこに潜む気持ちの温かさに触れると泣きたくなった。そして泣きたいくらいうれしいことは、実は今日、2つもあった。さて私はご多分にもれず出勤していた。とりあえず今、人不足なのだ。いろんな経過を書き出せばそれだけで何日もかかりそうなので多少、端折るが、かつて今の部署を束ねていた金田さんは、最終的に私と交代になり、4月に他国の現地法人の役員で転出することになった。(私が決めたとか蹴落とした、なんてことではなく、すべては社長である山村さんが決めたことだ)しかし、私が今の本部に初出勤した日にはまだ40名いたスタッフのうち、すでに5人が減ってしまっている。希望での転勤が1人、介護のための休職者1人、そして燃え尽きて辞めた人が3人・・・山村さんはことあるごとに私を呼び「金田さんではあかんていうことやねん。以前より丸くなったとは言え、金田さんは結構みんなにきっついこと言うからな。要するにみんなが萎縮して疲弊してしまった結果がこれなんや」と言った。確かに私自身が金田さん、苦手だったし。金田さんは業界は私より長いので、以前から頃から時々何かを相談することはあったが、回答にキレがないというか、答え自体が何か判じ物みたいでわけがわからなかったりして「ソレ、ホントにアドバイス?」と思ったりもした。それに、関西弁で言えばちょっと「イケズ」なところが金田さんにはあり、どちらかというとストレートでないと治まらない私とうまくいくはずがなかった。先日、とうとう辞令が発表されたもので私が次のリーダーになったので、これまではじっと黙って我慢していたが、毎日少しずつ、スタッフに声をかけるようにしてきた。それもただ声をかけるのではなく、スタッフの仕事をできるだけ減らす方向で。これまでに思い切り圧迫されているからか、私が見たら「そんなこと、やらなくていいのに」ということをみんな驚くほど、いちいち拾い上げてまでやっていることに気づいた。本当に余裕がある時にやれれば二重丸だけど、やらなくても問題にならないことはとりあえずやらなくていいよ、と声をかけ始めた。まだ今は同じ場所にいる金田さんにしたら、私があれもこれも切り捨てたり、みんながうなっているような珍妙な仕事の報告書を「それは私がちくっと客先に書いておくからいいよ」と引き取ったりしているのはきっと歓迎できないことに違いない。でも、これまで、ろくに教えてもいないのに「アナタくらいならそれくらいできて当たり前」などと勝手にハードルを設定するのはおかしいだろう。そんな調子でやってみて、失敗すれば怒られるだけでここまできていたスタッフが辞めたくなってもおかしくはない。私だって今はまだ全部のことを覚えきったとはとても言えないが、とにかくみんなと同じところに降りて同じ勤務体制で仕事を分け合うところで種を2ヶ月蒔いてきた。すると今日、3人から別々の時に言われた。「ちゃとさんが来てから、これまではみんな個々に『こう考えるのかな』『これはこうかな』と思いながら探り探りやってきたものが減りました」「質問し易くなったってみんなが言ってます。前は思い切って質問したのに、答えがよくわからないし、勘違いして失敗したら『説明したよね』って怒られてホントにイヤだったんですけど、今は聞いたら答えがすぐ出てくるし、すごく助かってます」「ちゃとさん、いかにも『いいよ、コレでやってみて。ダメだったら私がなんとかするから』って、すぱっと決めてもらえるし、なんか安心してやれる感じです」今日も思わぬ残業になったのだが、ちょっと手が空いた時にそんな話がスタッフから出て、ちょっとテレながら「そんなこと言ったって何も出ません」と言うしかなかったが、うれしかった・・・家に帰り、今日も今日とて「ラーメンに行くか」と支度をしていた時に携帯がなり、見ると会社からだったのでうへーと思ったら、今は自宅にいるスタッフの1人から「ちゃとさんの携帯番号を知りたい」と言ってきたので教えて構わないかという質問。「いいよ」と答えたが内心は心配でいっぱい。そのスタッフ、岩国さんはちょっと特殊な出勤のしかたで契約しているスタッフなので、私自身も物理的に顔を合わせることが極めて少ない。だから、今、電話してくるってどういう話なんだろうと不安になった。彼女は、自分に与えられたことは比較的しっかりやるが、文句も多いし突飛なことをよく言うし、他のスタッフも岩国さんの強烈さには手を焼きつつも、イヤな仕事を人に押し付けたりするずるさはないので、過激な発言にみんながあきらめて目をつぶってしまっている・・・そういうタイプのスタッフだ。先日から岩国さんも会社を辞めたい~、辞めたい~と豪語しているのを知っていたが、岩国さんの場合は辞めないだろうとみんなは思っていたのだが、なんでも自分の勢いだけで仕事を進めるタイプの彼女はきっと私のことが苦手だろうし、今度ばかりは私が上に来たことで本当に辞めてしまうんじゃないかと思っていた。で、その岩国さんからほどなく電話があった。「あのさー」といきなりタメ口だ。(彼女のほうがもちろん年下)「ちゃとさんさー、アナタ大変でしょ。だからね、しばらくの間もしも出勤の出づらで困って自分が余分に出勤しようと思うくらいなら私に言ってよ。出られる時だったら大サービスして私が出るからさ。ちゃとさんさー、他に仕事あんでしょ?大変だよね、まったく」私はもう彼女の突然まくしたてるような言い方にびっくりしつつ、彼女から出るとは予想だにしなかったオファーに詰まりまくってしまった。思わず私も「ええ~、岩国さんったらホントにいいのー?気持ちはうれしいけど、岩国さんだってもともとの出づらは決まっているわけだから、そこにプラスして出るなんて無理して考えないでいいよー」と言ったが「いーのいーの、へーきへーき。じゃ出る日が決まったらメールしといてね」がちゃ。なんだかじーんとした。岩国さんからの電話は予想外だった。実は今朝、出勤した際に、岩国さんがそろそろ帰る頃だったので「お疲れ様でーす」と型通りの挨拶はしたのだが、彼女からちょっとアレとかコレとかのリクエストをずけずけ言われた一幕があったので、ちょっとだけ鼻白んでいたのだった。でも、それに対しても私は特に機嫌悪く答えたりしなかったし「なるほどね、じゃあそれも一度考えてみるね。なにせまだ初めてのことばっかりで手際も悪いんで、ごめんなさい」と言ったのだが、彼女は何か言い過ぎたと思って夜に電話してきたのだろうか。それはどちらでもいいのだが、彼女の、いっぷう乱暴とも思える口調で協力するよ、なんて電話がいきなりかかってきたら、感激しないのは人間じゃない。そう思いながら、明日もやるかーという気になっている。単純なものだ。
2008年03月02日
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またまた長らくご無沙汰となってしまいました。いろいろあって、とても日記を書くなんていう気力はないし時間もない。この1ヶ月半くらいの不在には、大きく分けて理由は2つ。まず前半3週間くらいの主な理由。あまり詳細には書けないが、実家の母といろいろあった。私の気持ちが生涯で初めて母から離れてしまった。毎日毎日考え込んでいて、今だから少しだけここに書いてみる気になれたものの、ちょうど最後の日記の日付になっている1月19日(だったっけ)以降、2月にはいってしばらく経つまで、夜中に急に目が覚めて泣けて・・・という、自分でもかつて想像のつかなかった精神的打撃があった。母と急に何かがあった、というのでもなかったが、私がイギリスから帰ってきてから、何度か私は母の独りよがりな発言や態度を受け止めきれないと思うようになった。もともと母は謝らない人ではあった。私はこう見えて、意外とさっさと謝ることにこだわりがない人間であり、対立というか緊迫の場面になると、私と母はだいたい1)私が早々に折れるか 2)母が私の説得力に負けるか(謝るのではなく納得してしまう)のどちらかで解決できてきたと思う。しかし、私がイギリスから戻ってきた後、しばらく実家にいた頃と正月に帰省した時と、そしてその後の電話で、私は完全に切れた。(今、世間でよく言われるところのキレた、というものではなくて、実際に気持ちの中に張られていた糸が切れた、という感じだ)去年の4月に父が亡くなってから、母の意固地さというか「世の中の物事はこれがこうあるべき」という、純粋さゆえに余分に偏り過ぎた考え方・「そういうこともある」というような選択肢を考慮に入れない母の言動がひどくなり過ぎた。父が存命中は、父自身が母の歯止めになってきた部分があったと思うが、それがなくなったことが一つの理由だろう。それともう一つの理由。私がやっと近くに帰ってきたことを喜ぶ気持ちが高じたものがそういう形で出てきたのかもしれない。それは、赤ちゃんの頃から育ててきた結果、大きく育ってしまった動物が、遊びたいばかりに手加減なく行動した勢いで人間に怪我をさせてしまうような感じに近いかもしれない。それまでは私からは3日にあげず電話して、体調はどうか、買ってほしいようなものがあるか、何か聞いてほしいような愚痴があるかを聞いてきていた。ロンドンにいた時は私が土曜か日曜に、最低週1回は電話していたが、今は母からも電話はかかってくるし、下手すると2日に1回は電話し合うようになっていた。しかし、その日、私は母との電話の話の途中にその電話を切り、以降、一度も電話しなかった。(母も私が怒って切ったことはわかっていたようでかかってこなかった)その後、考えに考えたあげく、私は母に手紙を書いた。どんなことが、何が、どのくらいおかしいと私が思うか、どこを直してほしいと思うか、切々と書いた。「私のこの手紙を読んで、もしもそれでも自分が間違っていない、私が何にそんな怒っているのかわからない、謝る必要はないし謝る理由がわからないと思うなら、それでもいい。しかし、そういうことなら私はもう一生、京都にも帰らなければ電話もしない。そちらが謝る気持ちがあって電話でもしてくるなら着信拒否まではしない」その手紙を書いた時もつらかったが、郵送してからもつらかった。私の手紙を読んで母がどう思うだろう。父がいなくなった今、以前からあまり頼っていなかった弟ではなく私がこんな手紙を送ったことでやけを起こして自殺でもしたらどうしよう、と思った。その手紙から3~4日して母から電話があったが、謝りの言葉を出すでもなく父の法事の予定を伝えてきた。私は普通に受け答えしていたが、あまり話の接ぎ穂もなく、母は母で、しばらく体調が悪かったというようなことを言い、これまでより短く電話が終わった。その後も母から2回電話があったが、私のほうからは用がないので私からはかけていない。(これまでは用がなくてもかけていたのだ)母があの時いったいどういうつもりで電話してきたのかはよくわからない。私が手紙に書いた最低限として、電話したことが折れたという意味だ、として電話だけしてきたのか、小島よしおではないが「そんなの関係ねぇ」で言いたいことだけは言うつもりで電話してきたのか。でも、もしも私がその立場だったら、やっぱり電話した勢いを借りて絶対謝るのにな、とは思う。「そこまで怒っているとは思わなかった、そんなつもりはなかったが悪かった」と一言言ってほしいとは思って、今でも気持ちの中に澱のようなものは確かに残っている。私と母は、もう前のようには戻らないだろうということをずっとあれから感じている。そういうことを考えている最中に、好むと好まざるとに関わらず、私は35人の部署の長になった。とにかく全員がいつ、何をやっているのか、各人にべったり張り付いて公平に見たり、自分自身が覚えたりするために、毎日の勤務時間が最長で1日16時間になったことも、夜勤の二晩連続も引き受け、末端のスタッフと一緒に相談しながら事案を進めたこともあった。家に帰ってもクマイチと十分に話す機会もなかなかなかったり、会社を出る頃にお腹が空いても、もうどこのラーメン屋も開いていないような時間だったり。そのおかげで、こちらのほうは少しずつ芽が出始めていて「旗だけ振る上司でもなさそうだ」「相談するのに敷居が低そうだ」というようなことを言ってくれている人もいるようなことを聞く。いろいろなことが落ち着くのにもう少しかかりそうだ。今年は一度どこかアジアに旅行してみたいという気はあるが、そんな日が来るだろうか。
2008年03月01日
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こんな日記に、もう何年も付き合って下さっている方ならうっすら覚えていて下さっているかもしれないが、今を去ること4年前に(もう4年かぁ、うへ~~~)私は6週間、アジアの某国に出張した。その時のアジアオフィス(厳密には以前の会社の組織の中にあった)はもう積年の疲弊でがたがたで倒れそうだったのだが、なんとなくここのメンバーと私とは結構ウマが合ったこともあって当初4週間の出張予定がさらに2週間伸び、非常に印象深い建て直し期間を過ごした。そこで仲良くなったのが、日記によく登場してくる平松くん。平松くんはその後、日本に帰国したが、それ以来、彼とは年に1~2回イギリスと日本の両方でコンスタントに会って旧交を深めてきた。その4年前に、実は平松くんとは別にもう一人、木村さんという女の子と仲良くなったのだが、その木村さんが今日、本部にやってきた。彼女と平松くんもまた別なところで時々会っていたようだが、私自身は彼女にもう一度会う機会がなかなかなく、時々メールで時候の挨拶を交わすくらいしか接点がなくなっていた。すでに私が日本に帰国して本部にいることは聞いていた木村さんと、出勤の時にエレベータを降りたところでばったり出会い、なんだか手を握り合って「久しぶり~~~、元気やった?」と感激の再会を果たした。彼女はちゃきちゃきの大阪っ子。4年前はヤクザからの電話を何本も担当させられ、海千山千で対応していたが、意外と繊細なところがあっておもしろい子だなと思っていた。私と話す時もお互い関西弁だったのだが、お客さんと話している時よりいつも丁寧なのがおかしかったのだが、今朝はいちだんと丁寧でどもっていたので(笑)「どないしたん、借りてきたネコみたいになってぇ」と私が茶化すと「あのね、なんかホンマにうれしいんですよね・・・絶対にまた会えるとは思ってたけど、やっとまたホンマに会えたと思って・・・」と言う。「ウン、そやね、時間の問題やったとは思うけどね。私も会えるとはずっと思ってたし」と答えると木村さんは「もう4年・・・ですよね?確か。あの時、ホントに気持ちががたがたで、毎日いつやめよかいつやめよかと思ってたけど・・・ちゃとさん、来てくれて、なんかひょっとしたら自分はおもしろいことやってるんかなーってちょっと考えが変わって。まあ、結局あそこの会社は辞めてこっちに変わってきたけど、ちゃとさんもまた同じところにいるし、今は会社もこっちになって充実してるし。私の恩人ですよ(かなりフェイドアウトぎみ)」とのこと。ぎゃはは~と照れ笑いしてしまったが「そうやんなー、でも縁があるっていうのはこういうことなんやな」と思わずしみじみ答えた。その後、それぞれの分科会に分かれてしまったのだが、こういう再会があると私もイヤなことをしばし忘れられるなと思った朝のこと。
2008年01月22日
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えーと、昨日だったかな、確か「田舎にとまろう」とかなんとかいう番組で、タレントをどこかに送り込み、なんだか無理やりその地の民家に泊めてもらう企画みたいなのをやっていて、結構腹が立った。(はい、最近腹が立ってばっかりでスミマセン。更年期障害でもなんでも好きに思って下さいませ)なんかねー、あんなふうに勝手にテレビで映しておいて、ごはん食べさせているシーンも映しておいて、それで最後に「泊めて下さい」って言うの、おかしくないか?そこの民家のおばちゃん「下(もっと下の土地のほうっていう意味?)のほうにいいおうちがあるよ」と言っている言葉尻を捉えたナレーターいわく「おばちゃんはあまり気乗りがしない様子」なんて言ってんですよ。当たり前じゃないですか。そんなさー、急にその土地に、売れてんだかどうかわからないタレントとテレビカメラ持ったクルーがどさどさやってきてよ、民家に上がりこんでごはん食べさせてもらって泊めて下さいってアンタ、知り合いじゃないんだよ、最初から。そりゃ私だって絶対に断るよ、うれしくないよ、どんなイケメンが来たってさ・・・どんな・・・イケメンが・・・来たって・・・ねぇ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・んー、ちょっと考えていい?(爆)いやいや、それは冗談だけどさ、テレビカメラがあれば「シャレだから」とか「テレビに映しれるんだから(ってそんなの特権でもなんでもないじゃんよ)」とかいうノリで、一般家庭の夕餉時から寝るまでの平和なひとときを邪魔してもいいと、その権利がどうしてテレビ局にはあると思えるんだろう。まさに傍若無人。
2008年01月21日
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この週末はかなり個人的な打撃があり、ふさぎ込みながらも腹立たしい低迷気分で過ごしていたら、最後に極めつけのダメ押しがあった。前者はいろんな意味で、書く気にはどうしてもなれないが、このダメ押しだけ書いとくか・・・実は月曜からしばらくの間、幹部報告会があるため、各地からそれぞれ上席者が出張してくることになっている。みんな予定が違うため、2日くらいで予定を終わる人もいれば、10日間ほど研修込みで過ごしていく人たちもいて、全員が一発に揃う日も1日あって全体の顔合わせや会議をすることになっているが、とにかくそれぞれの出張者がそれぞれの目的で本部の各課と今年の対策を立てたりする時期になっているわけだ。そして、そこに初めて参加するのが、私の後任をかの地で務めているひとみさん。ひとみさんは今回この報告会参加のための日程を数日前倒しにして現地を出発し、少し実家にも帰る予定を立てていたのは私も最初から聞いていた。その後、ひとみさんは会議の前日(今日)に会社の近くのホテルに夕刻にチェックインするので、それから連絡してくれれば迎えに行くから食事でもしようということになっていた。・・・結論を言うと、彼女から電話はなく食事は流れてしまった。確か夕方の6時から7時にはホテルに着くと聞いていたし、電話番号も教えてあったのにいつまで待っても電話がないので、しびれを切らしてホテルに8時前に電話してみたところ「チェックインされましたが今、お出かけのようです」と言われた。迷ったが、彼女が戻ったら電話してもらうようホテルに伝言を残しておいたら(今思うとしなくてもよかった)9時半も過ぎてから電話があったのだ。私が教えていた電話番号を持ってくるのを失念して、連絡を取る方法がなかった、と。まあ、そんな程度のことだろうとは思っていた。バカじゃないか、とはっきり言って思った。もともと、私のほうがすごく彼女に会いたかったというわけではない。みつこさんなら別だが、ひとみさんとは「苦楽を共にした」という仲だとも言えない。今の会社は、まだまだ歴史も新しいが、その成り立ちにちょっとした固有の経過もあり、前の勤務先が同じと言う人間がごろごろいるし、そこの職場ではないが同業他社にいたとか類似職種にいたとかいう人たちも多く、そういう中でひとみさんは言ってみれば完全な「外様」の管理職ということになる。通常のスタッフクラスの新規募集なら必ずズブの素人も来るが、現在の管理職クラスはすべて下からの叩き上げか同業他社からの転職組ばかりで、まったくの異業種からそこに収まったのは社内でひとみさんだけ。だから、私たちが当たり前のように使う社内用語や業界用語から始まり、できたら避けて通ったほうがいい地雷等、彼女が知らないことはたくさんあるし、それは不思議でもなんでもないことだ。彼女は毎日やり取りしていた仕事のメールの中で、この報告会期間のことをすごく不安がっていたこともあり、それなら本期間が始まる前日の日曜はよかったら食事でも付き合うから話でもする?と私が言った。「それは是非お願いします」と言ったひとみさんには電話番号をあらかじめ渡し「ホテルから電話くれたら30分くらいで迎えに行けるから」と言い、今日の日曜は何も予定を立てずに待っていたのだ。ひとみさんに、ちょっと他の人がいては説明できない話も含めて事前説明みたいなのをしてあげるつもりだったところに先週の後半、ひとみさんが留守中のロンドンで問題が発生し、一応その経過も伝えておくには好都合だという気持ちもあった。先週の後半、ひとみさんがこの報告会期間に先駆けて数日前倒しでロンドンを離れた後、あちらで2つの大きなトラブルが発生。1つは、ひょんなことから私が見つけてしまった問題案件。ヘタするとお金が絡みそうな話になりそうで、そうなるとみつこさん他、今いるメンバーで解決し切れないことがわかったので、すぐにみつこさんに連絡すると、案の定みつこさんたちは困っていた。「ちゃとさんに連絡するしかないねって、今みんなで相談していたところです」というタイミングだったため、即刻トラブルの中身を確認して処理方法を考え、遠隔操作でみつこさんにコレをする→次にあそこに電話する→エージェントにFAXして確認書をもらう・・・と順番の指示を作ってメールで送る。次の日、みつこさんから「解決しました。大事に至らずに済みました」と返事が来て一応は事無きを得たのだが、その原因はロンドン側での詰めが一にも二にも甘かったことだ。(ここを詰めておくのは管理職の仕事なのだ)なんとか一つ終わったと思ったら今度は、単なる一つや二つの案件と違う、もっと毛色の変わった困りごと発生。この件はすでにひとみさんが絡んでいて、彼女なりに対処していたようだが、彼女が最後にメールで「こう決まりましたのでよろしく。それで私は明日、日本に向かいます」と書かれたものが各地の管理職に送られた。その決定事項がええーっという内容で「それじゃ絶対にうまくいかないよ、後ですごい問題になるから、関係先に計画差し戻ししなきゃ」と思った私は社長の山村さんに相談すると「そりゃダメだ、絶対ダメだ、ちゃとさんが言う通り、それは関係者にすぐに計画差し戻ししてくれ」とのこと。誰が考えたってそれしかないじゃないか、という話でしかないので「ひとみさんがすでに不在のため代わって回答しますが、方針変更です」と、またもや遠隔操作。なんとか関係先はしぶしぶ納得したが、ひとみさんの押し方が足りなかったのだ。その辺の話を含めて、今夜会ったら「アレとコレはちょっと詰め方に問題があったね」と言ってしまうだろうという負の気持ちがなかったと言えばウソになる。そこへ「電話番号を忘れました」という、遅くなってからの電話に私が怒るのは(ここで私がよく怒ることを周知の皆さんには言うまでもないだろうが)当然だと自分でも思う。はっきり言って、彼女が今回の日本行きで何をおいても控えてこないといけなかったいちばん大事な連絡先は私の電話番号じゃないか。それを持ってこなかったら、事前に私から前段の事情は何も聞けないまま報告会期間に突入するわけで、あっちもこっちもから来ている管理職連中の前で、私は私で今の立場もあるから、前任者だからといって、そうそう表立って彼女の後押しをするわけにはいかない。彼女がもしも作戦会議をしたいならするよ、というのが今回の私のオファーだったのであって、別に彼女がそれが要らなければ私だってわざわざ自分の時間を割いて約束する必要はなかった。そんな大事なことを一度、他人に頼むのだったら、電話番号くらい忘れるなと言いたいし「もしも自分だったらどうしよう」と想像してみたが、だいたい私だったらそれは絶対に起こり得ない失敗だと断言できる。他のものを忘れても(現に私はかつて出張の時に財布を自宅に忘れ、持っていた日本のVISAカード1枚でしのぎつつ、自宅にいたクマイチからろったちゃんに連絡してもらい、ろったちゃんは、なんせ会ったこともない私を成田に迎えに来てくれた、という大迷惑をかけた前科者だ)彼女と同じ立場だったら、事前の作戦会議をしてくれる人の電話番号はやっぱり絶対に忘れないという確信がある。彼女が今回、いったいいつの時点で私の電話番号を持っていないことに気づいたかは知らない。(聞きたくもないし)しかし、もしも今日以前にわかっていたら、みつこさんたちがいるオフィスにメールで頼めば間接的にでも私には簡単に連絡はついた。もしも今日初めて発覚していたとしても、本部に連絡すれば私の連絡先は登録してあるし、なんとでもなった。だから彼女から今日9時半に電話があった時、私は決して機嫌はよくなかった。「本部に電話したら私の電話番号は登録してあるからすぐ教えてくれたと思うよ」と言うと「そういう手があったんですねー」だと。その後、とりあえず彼女に、アナタが出発した後に(アナタの詰めが甘くて)オオゴトになりそうだった2件があって、なんとか解決したということを伝えると「そうなんだー、ホントに○○(関連していた代理店)ってところはやり方がどうもヘンですよね」だと。「私は先週はホントに忙しくて、夜もずっと遅かったし」と言っても伝わらない。なぜ私が夜が遅かったかというと、遅い時間になってからロンドンでの問題を片付けていたからだということに彼女はどうも気が回らない。「大変ですよねー、本部はやっぱり。でも山村さんがやっぱりちゃとさんを見込んだっていう理由がわかりますよ」そういう話ではない。私は話しているうちにムカムカが嵩じて「ずっと待ってたのにさぁ、今日は出かけると思っていたから買い物にも行ってなかったし、遅かったからうちももう食べに行ってきたんだよね(彼女はすでに食事を済ませていたが、実はこっちは連絡を待っていたから本当はまだだった)」と言った。それくらい言わせて下さい。「すみませーん、迷惑かけちゃって」と、とにかくその言い方が気に入らない。でも、彼女はあまり頭の中で蛍光灯がぱっとつかないのか、私が「もう食べに行って家に帰っている」状態だから話し続けていいと思ったのか、自分のほうで言いたいことをブツブツ話している。こっちはもともと、一つ気に入らなくなると何もかも気に入らなくなるほうなので、とうとう切れた。横にいたクマイチに、私の電話にかけてもらって割り込み通話にし「母からなので切るね、じゃまた明日」と言って電話を切った。8月に彼女が来てから、折りしも今日でちょうど5ヶ月。直接教えてあげることは教えてきたし、その後、遠くからではあるが彼女と彼女のチームの仕事には毎日時間を割いて見てきて、危ないところにはその都度コメントもして、問題が大きくなって解決に労力を割くことを回避できるようサポートしてきた。これからは、先を読んでひとみさんが困りそうなことを避ける手伝いはもうしない。みつこさんやゆみさんたちからひとみさんの不評を聞こうと、それを庇ってあげるお手伝いはもうしない。管理職たるもの、その一回の失敗が命取りになることだってある。これが私の電話番号やなんかじゃなくて、大事なお客さんの電話番号で、後で電話で詳細なアポを取るという話だったらいったい彼女はどうしたというのか。この一回だけのこと、と言われれば確かにそうかもしれないが、たかが電話番号、されど電話番号だ。結論。私の彼女に対するサポートは今日限りで終了。
2008年01月20日
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そう、久々の人と電話で話した。みつこさんだ。自分がいた古巣と接点が切れたわけではなく、私の後任になったひとみさんとは毎日メールで仕事の方針や処理の相談が来るし、こっちも向こうの仕事をできるだけのぞき込んで(小姑根性ではないのだが)進み方がやばそうな件には「あの件、ここに注意しておかないと後でひっくり返るよ」等のWarningをこっちから入れておくこともある。そういう中で、みつこさんとは、連絡チャンネルをほとんど自分の個人のメールだけに限っていた。社内電話で連絡が取れないわけではないし、私は今でもロンドンチームの出づらも把握しているから、今日、自分がまだ会社にいるこの時間に、あっちでみつこさんが出社しているかどうかもわかるが、彼女と話すとどうしても里心がついてしまう。里心というのはちょっとヘンだ。ヒトごころ、かしら?時々メールはやり取りしているし、彼女のご主人のジョージもメールをくれる。けれども、やっぱり隣り同士でつまらないことをぽつぽつ話しているうちに、意外とそれが大事だとわかるような毎日を過ごすのと、こうして離れて、意識的に連絡することとは違う。後任になったひとみさんは、こうして離れて見ていると、私からすればまだまだ先の読み方が甘過ぎる。それが見つかるたびに「ダメダメ、そっちじゃなくてこっちだよ」という仕事メールを送ることも多い。いや、彼女の名誉のために言うなら、彼女のやり方でも間違っていない場合もすごく多い。但し時間と労力がかかり過ぎるのだ。もちろん10年近くこの仕事を毎日やっているこっちと比べてはいけないのだろうが、思わず「あれくらいの時点での私ならどうやっていただろう」と考えてしまうこともある。そういう部分の食い足りなさを同じように感じているもう一人、それがみつこさんだ。私の場合は今は遠隔操作になったが、近くにいた時は1ヶ月ついて教えていた時はさすがにげっそりだった。その後は時間もないし、遠隔だけどできるだけ相談に乗ると約束し、それは毎日毎日行っているのだが、時々まだあれっという判断があり「違う違う」とメールを出して初めて彼女が軌道修正することもまだまだ多い。そういう部分を、あれからずーっと付き合ってそばで見ているのがみつこさんだ。みつこさんと私の場合は、なんというか、ある意味で絵に描いたような関係だったかもしれない。冷たいようだが、私は仕事での同僚を友達だとは思わないことにしている。もちろん、邪険に扱うという意味ではないし、仕事での拘束時間中はできるだけお互い気持ちよく過ごすための最大限の努力はしているが、馴れ馴れしいのはイヤだし、特定の人と仲良くなることで、必要な時に注意したり指導したりする基準がブレると困る。そういう中で、みつこさんとは、比較的初期の段階で「もう辞めますか?」「私を要らないってことですか?(憤怒の涙)」という修羅場を越えてきたこともあり、それ以降は私は、まずいところがあったらみつこさんに「いくらみつこさんでもコレはまずいよ」と絶対言うし、彼女も聞く。でも彼女の言い分がある時は「でもね、ちゃとさん、ここはこうでこうだからこうしたのよ」という反論もある。他の人には注意するけど同じことをみつこさんがしたら見逃す・気づかないふりをする、ということをしないためには、あくまでもみつこさんとは同僚同士(しかもこちらが上司)でなければいけないことを2人ともがわかっている。で、それはそれとして、彼女とはやっぱり友達なのだ。それも、得がたい種類の。彼女が私に対してそう思ってくれていることも、その私が近くにいなくなって、前なら「実は昨夜こんなことがあって」とか「ジョージが聞いてきたんだけど、ちゃとさん、知ってる?」とかで始まる会話ができなくなった寂しさを空気でびしびし感じる。だから今日の夕方、これはどうしてもみつこさんに急ぎで頼まなければという用があったので電話したのだが、みつこさんは「もうキレそうよ・・・」とぽつっと言った。私は私で、やっぱり古巣にばかり目が行くんだと思われるのもイヤなので、今の周りの人たちに聴こえるような声では話せない。2人とも、そりゃいろいろ話したいことはあるが、その時間はその時ではなかったので、ちょこっと近況だけを話した後「メールを書こうとは思うんだけど、書き出したら終われないし」と苦笑しながら、またね、と言って電話を切った。思い切り、みつこさんとジョージとクマイチとで、また世の中に役立つような役立たないような熱い話に興じられる次の機会はいつかな、と思う。
2008年01月17日
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失礼なタイトルかもしれないが、本当にそうとしかいいようのない女が、ここの隣りの住人。まだ若いのだ。年齢にして・・・そうだな、まだ30歳は行っていないのではないかと思うが、問題はそこではない。コイツに子供がいる、というのが問題だ。たいしたことではないと思う人もいるかもしれないが、コイツは挨拶をしないしゃーない女だ。普通の社会人が仕事が住んで家に帰ってくる時間というのはばらばらだし、私も家に帰ってきた時に誰かとエレベーターで乗り合わせるなんてことはほとんどないのだが、朝、出勤する時間なんていうのはそんなに変わらないものだから、やってきたエレベーターには先客がいたり、または途中の階から誰かが乗ってきたりするし、下まで一人の貸切状態自体がまずない。すると、ちょうど私が出勤する時間に必ずその女が子供を幼稚園だか保育園だかに送っていく。だいたいこんな女が子供だけは作ってのうのうと生活している、というのが、こと他人に厳しい私にはカンに障るのだ。こんな、挨拶もまともにできないような女に育てられる子供の行く先々なんて知れている、とまで思う。いや、極端だといわれるかもしれないが本当にそう思っている。今は寒いからコイツらもこのところは自分たち2人だけでエレベーターに乗ってきているが、まだここまで寒くなかった時はコイツら、ビルの非常ドアの外にある広めの踊り場に置いた自転車を建物の中に引っ張ってきて、それも一緒に乗せやがる。いいよ、それは別に。幼稚園に行くんでしょ。しかし、この女が絶対に挨拶しないことが私には気に入らない。(自分の気に入る人ばかりはいないよ、というような一般論はナシね。私が腹が立つと思う人は「腹が立つ」と書きたいものですから)ナニサマのつもりか知らないが、こっちも好きでその時間にエレベーターを待っているわけではないし、子連れのオマエとわざわざエレベーターを待ったり乗ったりしたりしたいわけやないんやで、と喉元まで出そうになる。別にこっちだってお天気がどうだとかこうだとか、子供さんはお一人ですか、などと聞く気なんぞさらさらないし他人の環境に興味もへったくれもない。しかし、行きがかり上そこでほぼ毎日、同じ時間に行き合わせているし、あっちだって私が隣りの住人だということはよほどのアホでない限りわかるだろう。(いや、やはりよほどのアホなのか?)こうなってくると、挨拶をすること自体が「わざわざ」なのではなくて、そういう場面でわざわざ挨拶も会釈もしないことのほうがどう考えても不自然なくらいだ。それが証拠に、やってきたエレベーターのドアが開くと、上階から乗り込んでいる数人の人たちがいて、別に親しくもなければ顔も覚えてなどいない(だいいちじっと顔は見ない)人たちなのに、ほぼ全員が、小さく会釈したり「おはようございます」と言ったりしている。(その後、別に会話が続くわけでもない)しかし、やっぱりその女は一人だけ無言だ。子供はなんだかんだ女に話しかけているが、よほど他人に聞かせる声はないと思っているのか、エレベーターを出るまでそいつはただ、無言だ。エレベーターは、無機的で、むやみに小さくて、他のシチュエーションなら絶対にそんな狭いスペースを共有しない人同士を無条件に乗せるヘンテコな移動小社会だ。そういう場所でのたった数秒間、お互いにイヤな思いをしないよう、または「こっちはあなたに危害を加えるような考えはありませんよ」ともとれる微細な努力や気遣いをしているところは滑稽でもあるが微小な美学でもあると思う。(イギリスならこんなところで挨拶しないやつはそこで一発で変人扱いされても不思議ではない)畢竟、私は別にこんな女から挨拶してもらいたいとは思わない。(ちなみに私はしてますよ、アホみたいだけど)ただ、そういう無意味な毎朝のその女をハハと思って生きていくチビさんが限りなく不憫に思えてくるのだ。せいぜい「あの親にしてこの子あり」と言われるようになるなよ、とちったぁお節介で祈ってやるくらいしかない。
2008年01月16日
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と、まさにタイトル通りの笑い話のような出来事があった。この間から私はクマイチに「何枚か証明写真みたいなのを撮っときや」と言ってあったので、彼は日を決めて、久々にスーツを着て写真屋に一人で行った。応対してくれた写真屋のおばさんと、こういう感じの写真が欲しい等と打ち合わせをした時に、あまり意思の疎通がうまくいかなかった感じなのか、おばさんがクマイチの質問に一瞬ヒイたらしい。すかさずそれに気づいたクマイチが「すみません、ワタシ、外国暮らしが長かったので今一つ日本の現状みたいなのに疎い部分があると思うんですよね」と若干バックグラウンドを説明したところ、そのおばさん、あろうことかクマイチにニホンゴハ、ダイジョブデスネ?と聞いたのだと。 クマイチはまさかそんなふうに言われるとは思わず「ハァ、ダイジョブデス」と答えたらおばさんたら「ああ、ああ、そうですよね、今もこうして日本語ですもんね」って・・・9月に帰国して10月に東京に来て以来、クマイチには役所やら銀行やら出向いていろいろ手続きをしてもらって、ようやくそういうことに問題がなくなった。(本当は、日本から遠ざかっている期間がまだしも短い私がやるほうが速いのかもしれないが、私だけしかそういう雑務ができないというのも困る)やはりクマイチにしてみれば、日本に帰ってきたというより、日本という国に再度住むことになった、という感覚らしい。そういうこともあって、イマドキの日本人の話す日本語もわかりにくいらしく、恐らくいろいろ質問したり聞き返したり、という場面が出てきやすい。ある時、クマイチに「あのな、もしも話が通じにくかったら『ワタシ、ニッケイのイギリスジンデース、オトーサン、ニホンジン、オカーサン、ニホンジン、デモ、ワタシ、ウマレモソダチモイギリスデース』って言っていいよ。英語で話しちゃえ」と言ってあった。結局のところ、そういう場面はなかったようだが、まさか日本語でやり取りしている場所で「ニホンゴ、ダイジョブデスカ」と言われて、彼はひどく複雑な気持ちになったようだ。そういえば先日、会社のパートの女性(何年かご主人の駐在でイギリスに一緒にいたことのある奥さん)が休憩時間に声をかけてきてこう言った。「今朝ね、会社に来る時に駅からまっすぐ歩いていたら、前に歩いている女の人を見て『あっイギリス人だ、懐かしい』って思ったんですよ。そしたらね、それ、ちゃとさんでした」と言われたのだが、後ろ姿がイギリス人ぽいと言われ、やっぱり私はがさつなのかとがっかりしたのであった。ということで、まだ我々は日本の都会で迷っている中途半端なオジオバコンビなのだとあらためて感じる今日この頃である。
2008年01月15日
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このところ、日記を書くたびに、なんやかやと空白ができる言い訳のようなものを必ず冒頭に置いてしまうことには、自分自身で忸怩たる思いがある。なんだろう・・・一つとしては、日本というところはなんと誘惑が多い場所かという部分だろうか。テレビは絶対にイギリスがおもしろいと思っていたし、日本のバラエティなんか見るのは時間のムダだと思っていたが、くだらないバラエティは別としても時々やっぱりおもしろいものがあるなぁと気づいてきた。そういうものをぱちぱちチャンネルを変えて追いかけていると、あっという間に12時になってしまい、日記を書く時間がなくなってしまう。会社帰りにクマイチと待ち合わせて、そのへんのスーパーに徒歩で(これがミソ。イギリスの時は毎週末にほぼ義務のように車で出かけていたが、このへんだと24時間やっているスーパーだってある)ふらふらと出かけてしまい、そして、ダメだダメだと思いながら帰りにラーメンを食べに行ったりする。集中して日記を書く時間なんてないはずだ。(笑)*****さて、このところ、社長の山村さんから日本に呼び戻されて本部に異動したところの正念場の始まり、の位置に来ている。山村さんが結局のところ、3年ほどもの間、定期的に「待ってるよ」と声をかけて下さっていたのは、山村さんのこの会社の体制をいろんな意味で一新したいという気持ちからで、それは最初から何度も聞いて、ほとんど耳タコ状態だった。しかし去年の後半頃からいろいろ雲行きが怪しくなり、山村さんの気持ちは変わらないとしても、山村さん以外に私を待望するような人はいないのではないかという暗雲がだんだん色濃くなっていた。いろいろ聞いてもらっていたみつこさんや、ご主人のジョージからも「いっそのこと日本に帰るのはやめてイギリスで法律を勉強していったほうがいいんじゃないか」とも言われたが、一方ではもう後に引くに引けない状況になっていて、結果的に帰国してきた部分もある。今、私が着陸した部署は、社内でいちばん社員が多い部署だが、創設当初からここを仕切ってきたのは金田さん。今も金田さんは健在なのだが、金田さんに「限界を感じた」山村さんは、どこかの段階で金田さんから私にスイッチしよう、金田さんにはそれなりのポストで転勤してもらおうということで、最初に山村さんが金田さんにそれを持ちかけた去年の初め頃らしい。私にすれば案の定、だったが、金田さんはやはり山村さんに「あの人(私)ではムリです」と即答だったそうだ。金田さんは私よりももっと経験もあるし、非常に入り組んでややこしい内容を私と比較にならないほどいろいろこなしてきた人だ。その金田さんがちゃとではダメ、と言ったのも私はぜんぜん驚かないし、立場が変わって私が金田さんの立場なら同じことを言っていたと思う。私が来るのなら自分は辞めると金田さんは役員クラスにはすでに宣言していたとも聞き、そういう中で帰ってくるのはホントに気が進まなくなったのが去年の夏頃。しかし、おかしなもので、ぜんぜん違う部署から「帰ってこられると聞きましたが、同じところで仕事ができるのを楽しみにしています」と応援のエールをくれる人たちもいたりするねじれ現象もあって、非常に微妙な空気の中で東京にヨコハイリしてきた私であった。その後、どういうわけか、私が来たことが逆に金田さんに気持ちの平穏を与えてしまったようで、雲行きが変わってきた。夜に家でテレビなんかを見ていると、金田さんから「今日のアレ、助かりました。ありがとう」などと携帯でメールが来たりして、こっちが面食らうことが何度もあった。金田さんは頭がいい人ではあるが、どちらかというと事務的な部分が勝っていて、人とのやり取りや駆け引きはまったくダメ。およそ、そんな小さいことのお礼でメールなんかしてくるような人だとは想像もしていなかったので本当にびっくりした。このままいけば、金田さんと私とは二巨塔体制でやっていくことになるのかな(だけどちょっとやりにくい・・・あまりにも相手が何を考えているかよくわからないし)と思っていたら、甘かった。結局、山村さんの気持ちは最初から変わっておらず。山村さんは正式に、今の部署の仕切りを金田さんから私に替える算段を整え、金田さんに最後通告してしまった。ががーん。もともと山村さんが金田さんに用意していた去年のポジションは他の人に決まってしまったので、金田さんに今、用意されているポジションは、決して悪いところではないのだが、あの人が希望するかどうかが非常に微妙な種類の部署なのだ。事前にその目論見を山村さんから聞いた時に「もしも金田さんが『そのポジションしかなければ辞める』ということになったらどうなるのですか?」と聞いてみたが、山村さんはいつもとは違って「それならしょうがないね」とのこと。どちらかというと辞めたい人を止めるたちの山村さんがあっさりそう言ったのでまたびっくり。今、金田さんと私の間の空気は非常に重い。そりゃそうだ。金田さんを私が椅子取りゲームで押し出そうとしているようなものだ。(別に金田さんを追い落としたいという気持ちではないのだが、金田さんが今のままい続けることは会社にとっていいとも思えない)だから、どんな仕事も金田さんに「手伝いますよ」と気軽に言えるはずのひとことでさえ、今は言いづらい。だって「その仕事は私が早く覚えますからアナタは出ていって大丈夫ですよ」というように取られかねないし・・・今週、山村さんは金田さんと話し、金田さんの結論を聞くらしい。私が悪いわけではないのだが戦々恐々の中、なのである。
2008年01月14日
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毎日そこそこ書きたいネタ元はあるのだが、家に帰るとホントにぐったりで、なかなか字づらにして書けないのが悩みのタネになってくる。今夜は書くか、もう寝ちゃおうかと思っていたら、さっき見ていたNEWS ZEROで、自殺の現場に急行する救急車やレスキュー隊の人たちに密着した短いシリーズがあった。今や1年間での自殺者は全国で32000人を超えているらしく、これを1日で均すとなんと1日に約90人・・・これだけの数の人が毎日、日本のどこかで命を絶っているとしたらやはりこれは驚愕の数字ではないかと思う。しかし、出動するそういう職種の人々は結局のところ「死んではいない」人に対しても出動しているのだろう。普通の言い方をすれば「死に切れなかった」になるのだろうが、中には最初から本気で死ぬ気まではない常習的リストカッター(とてもキライな言い方だ)にも対処するのだろうから、そういう仕事はまた違った意味で腹立たしく気が滅入るのだろうなと思いながら番組を見ていた。そういう自殺者の、本来の悩みの分類を見ていると、比率のトップは健康問題で、それも多くの人が鬱病やストレスが自殺の原因と考えられると説明されていたが、はたと疑問に思ってしまった。こういう精神的な疾患があちらでもこちらでも見られるようになり(事実、私も2007年の後半はなんとなく不安定で落ち込みがちでふさいでいたと自分でも思うが)心療内科だとか精神科に通うことが30年前ほど珍しいことではなくなった今、人間は30年前と比べて、いったいどの時点で、どんな原因からそんなに弱くなったのだろうと思い始めた。いや、もしも人間の強度が変わっていないなら、人間を取り巻く社会的外圧がそこまで昔より強くなってきたということになるのだろうが、ここでさらなる疑問点発生。かつて日本は戦争で負けたのだ。(私が現場を見てきたわけではないが)戦後の焼け野原で、モノもなければカネもないし、当然、現代の人々にはもはや想像がつかなくなったほどの不便さの中、それこそ今日明日を食うや食わずで生きてきた時代の人間たちがいたはずなのだ。しかし、そんな頃に(なかったとは言わないが)ウツだとかストレスだとか、対岸の火事みたいに精神に疾患が発生する、というようなことに思い至る余裕もなければ、自殺するヒマすらなかった人たちが苛烈な戦時~戦後を生き抜いてきた事実があった。では、その人たちに比べて、現代人が何かを理由に極端に弱く(病気にかかりやすく)なったのかと思って、その疑問をストレートに口にしてみたところ、クマイチが言った。「それはね、違うんだよ。そういう戦争の時代で何もかもがめちゃくちゃになった時代は、みんながなんにもなくて、その中でも『みんなが何もないから』近いサークルの中で助け合ってきたんだよ。だから精神的に切り抜けて来られたんだよ。でも今の時代はね、誰かが困っていても、隣りの人も誰もそのことすら知らないんだよ」なるほどなぁ・・・もともとの私の疑問もたいしたことではないし、それに応じたクマイチの答もたいしたことではなかったかもしれないが、彼の答になんだかひどく得心してしまったこの夜なのである。
2008年01月09日
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またぼちぼちごく普通の日常に戻していかなければ、と思う。先週は4~5日だけ京都の実家に帰省。まる10年ぶりの日本のお正月ではあるが、基本的に喪中なので、めでたいことは省略。会社でも「のんびりできましたか」と聞いてくれる人はいるが、とにかくまぁ寒いこと・・・イギリスにいたというと「イギリスはやっぱり冬は寒いんですよね」という人は多いが、何をおっしゃいますやら、日本のほうが寒いですし、それも東京より京都は絶対にもっと寒いのを体感。仕事が終わって、いったん家に戻って荷物を取ってきてから駅に向かって新幹線に乗ったわけだから、そこそこ京都駅に着いたのも時間は遅かったが、ホームに降り立った途端、足が一歩も前に進まなくなった。寒かったからだ。おかげで、実家にいる間も、家が古いこともあって寒い寒い。灯油も高くなったというし、母一人で暮らしているところで、私たちが来たからといってがんがん暖房なんてつける気にはなれない。今回の帰省は、どちらかというと私たちがのんびりするというよりも、ひたすら母の話を聞いてやっただけ。困ったもので、父がいなくなってしまってから、どうも歯止めがなくなったというか、発言が極端に過激になっている部分があるので、そういう母を諌めるのも私の役目だとは思う。しかし、これはなんだろう・・・母としては、私が今はもう、すぐ望んですぐ帰ってこられる場所にいるといううれしさがあるのだろうが、勢い余って調子に乗りすぎている気がする。私が母の発言にダメ出しをすると時々ものすごく逆切れすることがあり、親子でも本当に腹が立つ。この間、イギリスから戻ってきて一時、実家に夫婦で世話になっていた時、私たちはもちろん「世話になっている」と思っていたつもりだが、要はなんでもかんでも母の基準というものがあり、その基準にかなっているものは100点、そうでないものはすべて0点というレッテルの貼り方で、2週間いた後半はもう、さすがに親子でもきつく感じてきた。あの年齢から性格が直るとも思えないし、私もがんがん言いたくはないが、黙っているとこっちが具合悪くなりそうだし、結構疲れて帰ってきた。その母をずっと乗りこなしてきた亡き父はつくづく偉大だったと思う。実はそろそろ、仕事のほうで大きな波に乗らなければいけない時期になってきた。ちょっとずつそのあたりも整理して書いていこうかなと思う。
2008年01月08日
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あらら、ちょっと気を抜くと3日分くらいはすぐに日記が抜けちゃうのね。(汗)4月に父が亡くなったので新年の祝詞は控えますが今年もどうぞよろしくお願いします。*****年末の3~4日が日記も書けないほど忙しかったのかというと決してそうではない。ちょっとだらだら気分が過ぎた結果、なーんとなく年末の慌しさというのもこの部屋の中では無縁だけだったというだけだ。なんせ今年は喪中でもあり、いくら私たち自身は東京に越してきたと言えど、正月を祝うようなことは最初から何もするつもりはなかった。勝手に書いていいんだかどうかわからないが、30日の日曜にlalameansさんと3人でちょっとした忘年会を実施。実は私たちが居を構えた場所はlalameansさんのお宅からほど近い(らしい)。お宅がはっきりどちら、ということは知らないが、なんとなーくご近所だということはわかっていて、落ち着いたら連絡しなきゃと思っている間にずるずるそれが延びていたら、12月のいつだったか、近くの本屋をうろうろしている時にばったり会った。(笑)この辺のどこかで出会うのは時間の問題だとは思っていたが、やっぱり、という感じで、その日はちょっとお茶だけ飲んで別れたが、一度仕切り直してということになって、久々に年末ゆっくりと居酒屋で料理をいろいろつつきながら近況報告という時間を過ごせたのだった。年末のイベントらしいものも会社の忘年会を除けば他にも別になく、寒いと出かけるのがキライで無精な我々は、怠惰に12月後半を送ってしまった。しかしそうはいうものの、やはり私にとっては10年ぶりの日本での年越しだし、クマイチに至っては年越しは実に29年ぶりになるのだ。年末の長時間ドラマで「吉原炎上」も「忠臣蔵(これは再放送?でも主役のはずの稲森いずみがヘタでびっくりした。もうちょっと上手な役者を使ってほしかった)」も見たし、みかんこそ買わなかったが、もうだーれも楽しみになどしていないらしい紅白歌合戦も見たし(とりあえず日本の音楽シーンは知りたかった)何もお正月らしいことはしていないとは言え、それなりに楽しいなとは思っている。そういえば、私が最初に勤めていた会社を退職したのは1997年12月27日のことだったはずだが、あれからちょうど10年経ったんだなとこの間しみじみ考えていた。あのまま辞めなかったら私はたぶん今でもまだあそこにいたんだろうなと思ったりする。当時はまだまだ「女性は3年くらい勤めたら結婚退職」みたいな風潮の中にあって、現に同期も3年~5年くらいで辞めていて、女性で10年以上残っていたのは私以外にもう1人だけ。その1人は今もまだ勤続しているようだが、その後入社した後輩たちの中で5歳以上年下の人たちになると、なんと今に至って15年以上勤続していたりする女性も多くなっていて、世の趨勢を感じるというものだ。ついでに言えば、私が結婚した当時は、35歳での初婚だと「晩婚です」というプリフィクスがついた気がしたが、今は35歳での結婚なんて目立ちもしないどころか、40代での初婚だってなんら珍しい時代ではなくなってしまったのだ。脈絡のない話の羅列になってしまっているが、私にとって大事なことをもう一つ。日本に戻ってきて3ヶ月が過ぎてしまったが、今さらながらに父を失ったことが残念に思われる。毎日、それこそテレビからでも雑誌からでも、ここには考えないといけない日本の諸事がたくさんあるのを感じるわけだが「このことについてどう思うか?」という、そういう諸事について私にとって最初に叩く玄関の戸であった父がこの世にいないことの喪失感は大きい。だからといって、私がもう1年早く帰国していたら違っていたのか、間に合ったと思えたのかというと、そう単純なことではない気がする。*****とかって、いったい何が書きたいんだか・・・ということで明日は仕事。それが済んだら帰郷の予定。今年もよろしくお願いします。
2008年01月01日
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会社を出ると結構な勢いの雨が降っていた。所用でクマイチは実家に戻っていて、帰りが多少遅くなりそうだったこともあって、私は定時が過ぎても会社に居残っていろいろ仕事の後片付けをやっていた。そろそろ帰ろうかという頃にちょっとした緊急が発生してしまい、その後処理をしているうちにクマイチから戻ってきたとの電話。結局私のほうが遅くなってしまい、22時を過ぎてしまったので、話は(当然)ラーメンにもつれ込む。先日、山村さんにフランス料理をご馳走になった後、せっかく食べに行こうと思っていた近所のうまい店行きはクマイチの逡巡で断念。そのうちに先に遠いほうのお気に入り店に行き、帰りに持ちかけたハシゴもクマイチに却下され、今日は絶対に最寄のこの店で食べなあかんわと思っていた。とは言え、22時過ぎ、というような時間はラーメン屋がそろそろ混み出す時間帯ではある。しかし雨足があまりに強かったので、わざわざこの雨の中をラーメン屋に足を向けるのは私らみたいなアホだけや、と、意を強くして地面の水溜りも雨水の撥ね返しもものともせずに目指すラーメン屋に向かう。・・・こういう同じようなアホは他にもいっぱいおった。(爆)最初、閉じた傘からボトボトと滴を落としながら店にはいると満杯。がくぅ~~~。私たち2人の前に待ち人1名。帰ろうかなと思ったが、やはりこういう時は店内の状況をささっと見回して「終わりそうな人」を目で探したりする。しかしカウンターの3人はまだこれからラーメンが出てくるところ。2つしかない4人がけテーブルをよく見ると、そこにいたのは一次会のような二次会のような、わけのわからん会社員みたいなやつらが2つしかないテーブルに分かれてどかっと陣取り、ギョーザとビールばっかり頼んで宴会だ。こんな雨もよいの晩に単なるラーメン好きのアホどもが集結しているだけならコトは簡単だったのだが、こんな店で二次会かよ・・・100%個人的主観で悪いが、私はこういうやつらが大キライだ。何がイヤかって、ここはラーメン屋だ。ラーメン、食え。いや、ラーメンも食ってギョーザも、というなら許す。しかし、こんな狭い店は誰のために作られているかというと、一人ででもラーメンを食いたいやつが来る店なのであって、こんなところでギョーザとビールだけでダラダラだらだら二次会をする場所じゃあないのだ。(それだとしてもせめてギョーザ専門店へ行けよ、ったく)こいつらはギョーザを頼みくさって、挙句の果てに、3人前が一皿に盛られて出てきたギョーザを「二皿に分けてきてくれ」などとぬかしては、他の客もいて忙しいお店のねーちゃんをさらに働かせている。こいつらが居座ってギョーザつついてビール飲んでいて、席は空きそうにない。そうなるとよけいムカついてきた。絶対にここで食ってやる、と思い、居座り覚悟でとにかく食券を買った。クマイチが白味噌・太麺の大盛+ライス。私が辛味噌・太麺の大盛+ライス。(ちなみにここのギョーザは食べない。ちょっと好みとは違う)買った食券を握り締めて、ひたすら待つ。よく大阪のコントなんかでやっているが、おばちゃんが「あっ、ここ、ここ。もうそろそろ終わらはりそうやし、ここで待たせてもらお」と高らかな声を響かせて、そのテーブルの横でどかっと待つ、というパターン。宴会流れ野郎どものテーブルの横に立って、コレほんまにやってやろうか、という気になった。なんせもう、関西のおばちゃんはそのまま地でいけるんや、こっちは。そうこうしているうちに奥の小上がりの席(変則3人掛けテーブルあり)が空いて、私たちの前に待っていた一人の男性がそっちに進んでいった。(この人も一人黙って待ち続けていた)お店のお姉ちゃんが来て「相席でもいいですか?」と言うので私は「私らはいいですよ」と言うとお姉ちゃんが「あちらの方もいいと言っておられるので」と言い、私たちも小上がりの席に向かう。私たちの前に一人で待っていた男性がえへへと照れ笑いしてきたので(目を合わせたのはこの時が初めて)私たちも「なんか、すみません」と言って靴を脱いでそこに一緒に座らせてもらう。その後はクマイチと「今日はな、最後にこんなことがあって・・・」等と話していてそんなことは忘れていたのだが、テーブルにはお水とコップがセルフサービス式に置いてあるのを、なんとその男性が私たちの分まで水を注いでくれ「どうぞ」と言って渡してくれた。「ああっ、すみません、ありがとうございます」と私とクマイチは大きな身を小さくしてお礼を言う。それからまたしばらくしてカウンターの1人掛けの席が空いたということで、男性は移動して行ったが、さすがラーメン好きはハートが違うとしみじみ思う。(爆)あいつらアホ団体(ラーメン好きでもないくせにっ!)のせいで、私たちのラーメンが出てくるのもかなり遅かった。まあ今さら急ぐ理由もなかったし、のんびり待っていたのだが、結局ブツが私たちの前に運ばれたのは、席に座ってから15分から20分は経っていたと思う。いや~~~、ここの味噌麺はうまいっ。クマイチはそんなに辛いものを食べないので、いつも白味噌麺だし、私は洟でずるずるになっても辛味噌麺一辺倒。しかしとにかくここはスープもうまいが、麺がまたうまい・・・話には大麦を焙煎した麺、だというのだが、普通のラーメン屋のうっすら黄色がかった麺ではなくて、ともするとぽそぽそしたというかもっさりした感じになりがちな、むしろ黒っぽい麺なのだが、この麺だけどこか買えるところがあれば買いたいくらい私の舌には合っている。で、肝心のスープは一見ケチャップかトマトソースっぽい赤さで、普通にイメージできる味噌ラーメンとは少し趣きが違うが、これがまた辛くて、辛いだけではなくてうまみがある。私はダシの中身のうんちくはほとんどわからないので、魚介系だろうか鶏がら系だろうかと深く詮索することもしないが、ここのスープの辛さとうまさ+麺のユニークさ(この麺に近いものは私はまだ食べたことがない)で、必ず足が向いてしまうのだ。辛いものは好きだが、辛さのレベルを競って食べるほどではない私には、麺を食べ尽くした後のスープは、飲み干すには辛過ぎる。そこで登場するのがごはん、である。(笑)できるだけレンゲでスープを飲むようにはしているが、スープだけだと飲み切れないわもったいないわで、スープをレンゲで掬ってごはんにかけて食べる。う、うまい・・・以前は、ラーメンが大盛なのでライスは小にしていたが、ダメダメ。ラーメンとは別に、このスープならごはんもしっかり食べたい。よし、次はごはんも大盛にしよう。でないとスープの残りが一滴でも惜しい。できたら残りのスープは持ち帰らせてもらいたいといつも思う。この間は地下鉄4駅分のところのこってりラーメンを食べた時には、私とクマイチの両方が、そっちのラーメンがナンバーワンだという結論にすぐに辿り着いたのに、昨日またこっちの味噌麺を味わっている間「こうやって食べていると、ナンバーワンが簡単に変わるな」と言って大笑いになった。人間とは至極わがままで、しかも簡単な根拠で考えを変えるものだ。ほとんどラーメン中毒になっている。
2007年12月28日
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アホもいいところである。今夜は今夜で、昨夜のリベンジ。やっぱりラーメン、なのである。他にないんか、と言われても、である。私が日本に帰ってきていちばん幸せなことは、好きなだけラーメンが食べられることだと、この際ここではっきり言ってしまいたい。だいたいロンドンにいた時も、日本に帰省する楽しみはなんせラーメン。お寿司だとか天ぷらだとかスキヤキだとか、そういうものは私は何年でも食べずにいられるし、こと天ぷらに至っては、どこか(旅館の料理だとか)で出てきたら食べるが、わざわざ食べに行きたいとも思わなければ自分で揚げようとも思わない。今日も仕事では結構ぐったりで、会社のビルのエレベーターで下に降りる時にクマイチに電話。すばやくラーメンで話はまとまったのだが、うちの近くのお気に入りのお店に行くかと思いきや、方向性が一転。昨日書いたウィークリーマンション住まいのもう一つ前に1週間ほど滞在していた(やどかりか?)ガイジンの多い旅館形式のホテルがあった地区の近くにあるラーメン屋まで、歩いていこうということに急になった。急がねば・・・あっちは9時で閉まる。いろんなことを話しながら2km半くらいの距離をてくてく歩いていく。ががーん、店の前まで来たら、やっぱり・・・15人並んでいた。(爆)有名な店なのだ、それはわかっている。ヘリクツをこねるようだが、有名店だから行きたいわけではなくて、やっぱりおいしいと思って、東京に住んでから足を向けたのは3度目だったが、さすがにそんなに並んでまで食べたいとは思わない。並ぶのはキライだ。一気に気が萎えてしまった。あきらめて、そのお店の前の大通りを渡ったハス向いにあるラーメン屋に一度はいってみようかなと思って玄関のところまでいったが、やっぱりそれも気が向かない。しかたなく、また歩いて自宅のほうに戻り、最初に行こうと思っていた近くのお気に入りラーメン屋まで戻ろうとしたが、クマイチは「このへんだと他にも絶対あったんだよな」と言いながら、忘年会で早くも千鳥足状態のおっさんがわらわら歩いている界隈に私をあちこちに連れ回す。でもな~、そこまでしてはいったお店がおいしくなかったら暴れるような気がして、私はクマイチに「やっぱりもどろー」と言ったが、その帰りにもう一度、15人並んでいて断念したお店の前を通ると、列が7人になっている。7人だったら待っても知れていると思い、列の後ろに並んで、店の表に出ている食券販売機で先に食券を買おうと思うと、ほとんどの種類が売り切れ。ここのお店は大盛っちうものがないので難儀だ。最初からクマイチに「今日はあそこで(2人で)3つ頼む?」と持ちかけてみたのだが彼は「ボクはごはんも頼むから」とすげなくされた。ふん。ごはんなんて家で炊いて食べればいいじゃん、ラーメン屋でわざわざ頼まなくたって。私もクマイチも、売れ残っている種類の中からうめしおらーめんを選び、もう1杯つけそばを頼むかどうかでごっつ迷ったが、クマイチが「ボク、ごはんとぎょーざ」と子供みたいな選択をしてしまったので、やはり断念・・・今日もうめしおらーめん一杯だけか(それも普通盛かよ)・・・でも、それなら逆に、帰りに歩いてあそこまで戻ったらもう一杯はいけるな、等と考えたりしながら順番を待った。そしてやっと順番が来て店の中にはいり、出てきたうめしおらーめん。う、うまい・・・最初にここに来て、このうめしおを食べた時(その時はつけめんだったが)食べ終わった時にはなんだか物足りないというか、こんなものなのかなという中途半端な印象しかなくて「次」はもうないかなという感じがしていたのだ。しかし、それからしばらくしたある時、なんだかここのうめしおを急に思い出し、その途端もう食べたくて食べたくてたまらなくなったので、ある土曜の午後に出かける道々、ほとんど待たずにはいれたこの店でうめしおらーめん(汁そば)のほうを食べたのだが、いやー、特にインパクトも感じなかったにも関わらず、脳裏かはたまた舌の奥に残っていた味覚の記憶が後ろで静かに糸を引いているような味わいだったのだ、やっぱり。ラーメンに限ったことではないが、いずれにしても飲食店に「客観的評価としておいしい店」なんていうものはない。(ミシュランの皆さん、そう思いません?)「おいしいという私的な感想を持つ人が比較的多い」お店かそうでないかということになるのであり、ここで私が勧めたって他の人が同じ感想を持つとはもちろん限らないのだが(だから私も、数人の人から紹介してもらっても、自分自身ではイマイチおいしいとも思わなかった店はたくさんある・・・わざわざケンカを売る必要はないので、そうともいちいち言わないが)ここのラーメンはやっぱり「何かの拍子に思い出してしまう味」なのではないかと思う。帰り道、来た時と同じようにいろんなバカ話をしながら家路をほてほて歩いた。そして途中に、例のお気に入りラーメン屋の前を通る。(わざわざ通っているわけでもない)中が見える店の窓からちらっとのぞいてみると、カウンターが2席うまい具合に空いている。おおっ!クマイチに上目遣いで「ねぇねぇ、どぉ?」と誘いをかける。「いや、ちょっとさ、ここで食べると胃が痛くなるような気がするんだよな・・・それに一昨日買ったケーキがまだ残ってるんだよ」と抵抗された。ちっ。そういうことで、まあそこの店は年末までにまだ行けるんだから、と自分で自分を抑えて家に帰った。しばらくまだラーメン道楽はやめられそうにない。
2007年12月27日
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昨日はラーメン、今日はフランス料理。しかも今夜は人のオゴリ・・・ふふっ、うちの社長の山村さんからのご招待。山村さんとはもちろん会社でほぼ毎日顔を合わせているが、お互いにそれぞればたばたしているので、オツカレサマデス程度の挨拶しかなかなかできない。私のほうは、詳しくはまだほとんど書いていないが、だんだん仕事を見つけ、問題点を見つけ、いろいろと取り組んでいるところだが、山村さんからこの間の連休前に急に呼ばれ「一度、ご主人も呼んで一緒にメシでも食いに行こう」ということで、今夜の約束と相成った。山村さんにしてみれば、私を呼び戻すことで、クマイチに少なからず犠牲を強いたという気持ちが消えないに違いない。私たちは決して山村さんが私を呼んでくれたことにクマイチがくっついて帰ってきたわけではなく、私たちなりに将来を考え、二人で帰国することにしただけだが、なぜか山村さんは自分なりにクマイチにすごく負い目を持っているようだったのだ。(山村さんはロンドンにも何度も来たので、クマイチも3回くらいは一緒に食事はしている)そこで、山村さんは数合わせのために、自分の秘書である中島さんも呼んでくれた。中島さんと私が、日本・ロンドンと離れていたにも関わらず、この8年くらいの間、うまくやってきてお互いに気持ちの支えになっていることをよく知っている。これもうちの住まいの近所なのだが、こじんまりとしてフランス料理のレストランがあり、どうやら山村さんはそこがお気に入りらしく、気の置けない人を時々招待しているのだと、中島さんからも聞いていた。4人で、順番に出てくるコース料理を十分に堪能しながら、時々は会社の話になり(そりゃ4人のうち3人が同じ会社ですから)時々はクマイチの音楽の話になり、ぜんぜん違う趣味の話なんかになり・・・と、時間がずんずん過ぎて行った。はっきり言って、自分の会社の経営者から、個人的に招待してもらい、しかもクマイチまでご馳走になる筋合いは本当にないからと言って、これまでは固辞していたのだが、山村さんからは何度もその機会が持ちたいと言って下さっていたことから、今夜やっとミニ(しかし、あまりにぜいたくな)忘年会が催された。別に料理に惹かれたから、というわけではないが、やっぱり山村さんのためにはがんばるしかないと思わされた。全面降伏だ。今日の話の中では、私+中島さんVS山村さん、と意見が対立する場面も実際にあったのだが、やっぱり奥に見ているもの、到達する場所は同じなのだと思う。今日のメニュー*スモークサーモンとイクラの前菜*鴨のくんせいとサラダ*トリュフ入りリゾット*牛の頬肉の煮込み・温野菜添え*オマールエビ*デザート(クレームブリュレ・シャーベット・ミニケーキ)とコーヒーP.S. これだけ食べるには食べたのだが、やはり何か物足りなくなり、山村さんと中島さんと別れた後、クマイチに「ラーメン、食べに行かへん?」と言ったが「行かへんよー」と断られた。行こうよ~~~
2007年12月26日
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ま、他人の給料日がどーだろうと世間様には何の関係もない話ではあるが、25日は給料日。うふっ。ちょっとだけ懐が暖かくなった我々夫婦は、夜にお目当ての場所に行った。また、というべきか、性懲りもなく、というべきかわからないが、行ったのはラーメン屋である。今、住んでいる場所に引っ越してくる前の週、ある地区のウィークリーマンションに1週間だけ仮住まいをしていた。場所を言うとアレなので控えるが、東京都内なのに、そして地名を聞けば昔ながらの下町っぽいところなのに、実際にそのウィークリーマンションの周りは結構わびしいというか、華やかさもなければ(これは似合わないのでそんなに求めない)普通のお店もないし最寄のコンビニもかなり遠い。そんな中で、東京に来てから買ってみたラーメン本(爆)の中に掲載されていた1軒のラーメン屋が、そのウィークリーマンションから徒歩10分くらいのところにあったのだ。その時はわざわざそこへ行く気などまったくなかったのだが、たまたま大通りから1本はいった路地の奥に似つかわしくない人ごみを見て、引っ張られるようにそこに足を向けると(笑)そこに1軒のラーメン屋があった。土曜のお昼だから営業していたわけだが、子連れの大人も並んでいるし、店内はラーメン屋としては決して狭くないのに待っている人もかなり多い。そんなにおいしいのかなと思って夜にその地区にもう一度出向いてみると、昼の盛況ぶりとかなり差があってひっそりしている気配。ラーメン屋の窓から中をのぞくとそんなに混んでもいないのではいってみることにした。注文して出てきたラーメンは、出てきた段階でもう丼のふちにかなり脂がついている。いわゆる背脂が特徴のラーメンというのだろうか、本当に見た目だけでもギトギトしていて、ここに来たのが正解だったか躊躇するようなアブラギッシュラーメン。しかし、それを一口食べた瞬間、なんとも言えずまろやかな味で、意外にするすると喉越しのよいラーメンなのに驚く。いつも通りに大を注文したが、大を食べたという実感がないほど(これ、大だったんですか?と聞きたくなる)するするはいってしまい、ええー?もう終わり?という感覚が残る。浮きまくっている脂をものともせずにスープを頂く。だいたい私は、麺は好きだがスープを飲む量は知れている。麺を食べている途中に味の感じを確かめる程度で、後は麺を食べ終わって多少スープを頂いて〆るという程度なのに、ここのこってり背脂のラーメンのスープはほぼ飲み干す勢いでいってしまった。前フリが長くなったが、昨日の25日は、年を越すまでに絶対にもう一度そこに行っておきたいということで、地下鉄で4駅離れたその駅に出向き、それから5分ほどで着くそのラーメン屋に行ったのだ。いや、ホントにラーメンの話を書いたら毎日書けるかもしれないが、ほぼすっ飛ばして書く。今住んでいる場所の近くに結構気に入ったラーメン屋がある。そこは以前、lalameansさんから教えてもらったところで、最初は私が一人でそこにはいって一発で気に入ったのだが、その後クマイチに教えたところ、クマイチもやみつきになった場所で、10日に1回くらいは食べに行っていると言っても大げさではない。クマイチと地下鉄に乗りながら、あっち(地下鉄4駅目のところ)とこっち(lalameansさんに教えてもらった徒歩圏内の店)とどっちがおいしいかな、どちらも同じ日に店閉まいになるとして、どっちかしか食べられないならどっちを食べるか、とかたいそうな話をしながら、2ヶ月ぶりに背脂ラーメンの店を訪れたが、ブツが目の前に置かれた瞬間から、最後にスープを飲み終わるまでの間、クマイチと私はお互いに口も聞かず、目も合わせずにラーメンに没頭していた。う、うまい・・・またもや「本当にこれは大、でしたか?」と聞きそうになったし、食べ終わってからクマイチに「もう1杯食べへん?」と聞いたのだが(ここはラーメンもうまいが油そばという汁ナシ麺も激ウマなのだ)クマイチは「いや、ちょっとそれは」とさすがに断ってきた。早々に店を出ると(とにかく食った瞬間に席を立つのが我らだ)玄関の戸を閉めるが速いか、クマイチと「やっぱりナンバーワンはこっちやな」と意見が一致。クマイチはここのラーメンの後、必ず通りに出たところのコンビニでサントリーの黒烏龍茶1リットルを買ってぐびぐび飲む。(私もちょっと飲む)地下鉄にまた4駅乗って家の近くの駅に着き、私が「もう1軒のほうで食べて行く?」と聞いたらやはりクマイチは要らない、ムリ、と言った。ちょっと本屋に寄り、給料日だったからまっいいかと週刊文春&週刊新潮を買い、てくてく家に向かって歩いていると、あるコンビニの店先で、売れ残ったと思しきクリスマスケーキを1台1000円引きで「最後のチャンス」とばかりに売り子の若いおネエちゃんが呼び声付きで売っていた。クリスマスかぁ。うちは毎年、何もしない。クマイチとも何もしないし、だいたい実家でも、クリスマスケーキなんて買ってもらったのは小学生の低学年くらいまでで終わり。しかし、その時の若いおネエちゃんはがんばっていたし、売り台を見てみると、売れ残っているのは3台くらいだった。「1つ買ってあげよっか?」クマイチと私は顔を見合わせた。クマイチはケーキ好きだし、ラーメンはもう要らないと言いつつ、ケーキはなんだか食べたそうな顔をしていた。(私はやっぱり、ケーキよりもラーメンがもう1杯食べたかった)イチゴのデコレーションケーキは売り切れていて、レモンのチーズケーキが残っているのみだったが、それを1台買って家に戻り、遅い遅い最後のクリスマスのケーキを味わった。
2007年12月25日
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恥ずかしながら、この三連休はどの日にも「午前中」が存在しなかった我らであった。(爆)最初の休みの日は雨模様だったのでどこへも特に出かけないことにしたが、夜に近所のラーメン屋につけめん大を食べに行ったが、辛みそにしたら最後、めちゃくちゃ辛くて、量的にはおっけーだったのに辛さに脱落しそうになった。こんなことで脱落していると後々お腹が空いて眠れなくなりそうだったので、時間はかかったが全部食べ切った。(注.東京に来てからのラーメン生活云々についてはまた日をあらためて書きたいと思うが今日は省略)真ん中の日も出かけようかなぁ、どないしよっかなぁと思っているうちに、外はどうせ寒いんだろうなぁと思って家でだらだら。しかしどうしても買いたいものが夕方に出てきて、前の大通りを渡ったところにあるスーパーに出かけたのだが、いくつもあるキャッシャーがなんと長蛇の列!おまけに、出掛けに1万円札を折り畳んで大きめの小銭入れに入れて出てきたつもりが、なんとはいっていたのは1000円札じゃん・・・1万円持ってきたつもりで、ついでにあれも、これも、とちょっと物色していたところ、拍子抜け。結局、このところホットでよく飲んでいるコレ(外に出た第一目的がコレだったので)ミツカン バーモントはちみつりんご酢ダイエット 500mlを980円で買っただけ・・・とほほ。と、ここまで下書きが残っていたからそれを使うが、次の3日目・・・の行動について続きを書こうと思ったら、もう遅すぎて何をやっていたか思い出せなくなった。が、いずれにしても午前中がなかったこと、基本的に家に引きこもっていたことは間違いない。ちゃんちゃん。
2007年12月24日
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いろんなものが便利で、お店も遅くまで開いていて、モノはおいしいし日本の食材はあれこれあるし(しかし野菜が高い・・・種類はあるけど取れ高にこれほど左右されているとは、じゃがいもがおいしくない、おいしいソーセージがそのへんにない、ということは感じている)日本ってありがたい場所だなとあらためて思う。そやけど・・・である。どうしても納得いかないことはこの日本でのエコ事情。どう考えてもエコ、という言葉だけが独り歩きしているように感じてしまう。京都にいた時に、ゴミの分別には非常に怒っていた。東京に来て、今の住居が集合住宅だから、ここのゴミの管理スペースみたいなものがあって、そこの指示だけとにかく守るようにして毎日生活しているのだが、やっぱりこのゴミの分別とかっておかしいやろぉと一人で突っ込んでしまう。だいいち、これだけエコだとか節約だとか言いながら、だからといって78年のオイルショックの時みたいにトイレットペーパーや洗剤の買いだめに血まなこになる人はいない。買いだめ自体がいいとは言わないし、ヘタな焦りで尻馬に乗せられない意識も大事だとは思う。但しあの時はテレビ局も深夜放送はぴたっとやめたというのに、今はこれだけエコだエコだと言いながらテレビだっておもしろくないものを夜中にムダにいつまででもやっている。ブランドもののエコバッグを限定で売り出せば人が群がる。(アホか~~~)そしてクリスマスだからといって、そりゃLEDなら電気代はたいしたことないとは聞くが、今はもう日本でも飾りつけに余念のない家もあるらしい。はたして、そんなものが必要なのだろうか。それをしないと祝えないようなクリスマスって・・・だいたい日本人にはそこまで関係ないじゃないか。ゴミの分別にちょっと話を戻すが、実家にいた時、うちのおかんは京都は分別の浸透率が悪いと聞き、「アホちゃうか。なんでペットボトルのラベルとビンとフタみたいなん、こっちが分けなあかんねん」と鼻を膨らませて怒っていた。その報道だと、分別がちゃんとできていなくて清掃局あたりが困っていたそうなのだが、うちのおかんは相変わらずの勢いで「だいたいな、そんな清掃局みたいなそれが専門の仕事の人らが後で困るようなことを一般市民がやらなあかんちうとこがだいたいおかしいやろ」と言う。身びいきという意味ではないが私はおかんが正しいと思う。前にも書いたことがちらっとあるかもしれないが、どうして製造者側の責任や負担を消費者側がここまで負わなければいけないのか。作る時は簡単に作っておいて「こんなん、できましたー」と言って、さもお買い得みたいに宣伝しては「捨てる時はアンタらが勝手になんとかしなさいよ」というのはずるいじゃないか。言ってみれば、行為だけ済ませてぽんぽん子供だけ作って、後は「社会で育てよう」なんて、まったくの他人の行為を期待しているだけの「産んだだけ親」と変わりない。というか、そういう発想が世の中に蔓延しているということなのだろうか。その上、京都と東京では分別のしかたが違う。はぁ?こんなものに地域で差異があるというのはいったいどういうことなんだ?これがまあ、国が違うから施策や方向が違うと言われればそうかな、てなもんだが、同じ日本の中の話である。そこまであちこちでルールを決めたい放題されると、世の転勤族のご家族の皆さんを始めとして、一般市民は本当に困るのだ。とにかく、だ。私は今、このせんべいにはまっている。亀田製菓 手塩屋(10枚)今、このせんべいにはまりまくり、ついにまとめ買いしてしまった。食べていくうちに結構パンチのある塩味を感じつつ、昆布だしがよく効いて歯ざわりがいいので、ホントにうまいのだ。しかし、である。どうして外袋の中に無意味な透明のプラスチックのトレーなんかつけるんだろうととても腹立たしい。もともと外袋があって、1枚ずつ個別包装になっている上にプラスチックトレーがついている。確かにこれで仕切ってあれば包装・配送に便利ということかもしれないが、それを無条件に買わされ捨てさせられ、あちこちに散乱(すっきりまとめて捨てられない状態を余儀なくさせられている)している家のゴミ箱はどうなるんだ?おいしいが腹が立つせんべいなのであった。亀田、しっかりしろ。
2007年12月23日
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いつまでも10年かそこらぶりに帰国した感想ばっかりというのも読むほうにはどうでもいいことなのかもしれないのだが、これまでサボっていたこともあって、しばらくの間はシツコくこれでいこうと思っている。最近、自分で感じているちょっとした得意技・・・言い方を変えれば、自分で「案外こういうことがうまくなった」と思うこととして、何かを見直すということがうまくなった気がする。だいたい、好きだと思う人やモノよりもキライな人やモノのほうが多いタイプだ。いや、実際には数の比較としてはそうではないのかもしれないが、キライとかイヤとかのようにネガティヴに感じる事物というものは得てして目立つ。好きだったり気に入ったりして自分の中にすっと浸透してくるものよりも、拒絶したくなる・嫌悪感を感じるもののインパクトのほうがもともと大きいのだと思う。それがこのところ、日本に戻ってきてテレビでいろんなタレントや俳優を見て、昔ははっきりキライ・イヤ、と思っていた人に対する印象が激減していることに気づく。感じ方や感想が変わってきた理由にはもちろん2つあって、自分側のほうの変化と相手側の変化と両方があるのだろうが、とにかく受け入れの間口がかなり広がった実感がある。自分がもともとキライ・イヤ・好きではなかった、という人で、さすがにここでは書きにくいと思う名前は結構あるが(爆)まあそんなに影響ないかと勝手に判断して名前を出すと、例えば羽野晶紀。**ファンの皆様、ごめんなさい**だいたい昔、最初に見た時に一発でイヤ~~~っと思ったのが彼女。わけわからんキャラクターやし芝居が上手なのかどうなのかよくわからないしノーテンキな声としゃべり方がとにかくイヤで、とにかくテレビに出てくると直視したくない一人だった。狂言師の和泉元彌と結婚すると知った時にはさすがに、あんなおかんがいる中でこんな子がやっていけるんかとも思ったが(とは言え別に自分に関係あるわけではないが)このところの別居や芸能界の復帰の芸能ニュースなんかを見ていたら「オーラの泉」に出ていた。そういう意味ではちょっとホットな人かなと思ったので久しぶりに彼女が出てきて、どんなことを話すのかを見ていたら、ごく素直に「苦労したんだろうなぁ」」とただ思ったのである。そりゃそうだわなぁ~。私なんか住む場所こそ変えたけれども、言ってみればクマイチと2人で自分たちが思う通りの気楽さで生活している中、彼女は好きでそうしたとは言え、あんな世界に飛び込んだわけだし「跡取り」てな言葉を平気で使う場所で気兼ねしながら暮らしてきたのだ。華やかでいいこともあったかもしれないが、なかなか人には言えない苦労の中で、あんなぱっぱらぱーみたいに見えていた彼女がここまでやってきたかと思うと「アンタも苦労したんやなぁ」と、なんだか同じ京都人のよしみで声をかけてあげたいような気になったのだ。でも、年齢の割りには老けていないキレイな顔をしていたし(あの顔も昔はイヤだったのに、昨夜はそう思った)「まあ、やるならやるでアンタもがんばりやー」と思いながらテレビを見終わった。羽野晶紀だけではない。先日書いた加山雄三だってそうだ。どうでもいい側の人だったはずなのに、非常にストレートに、やっぱりこの人ってホンマの意味で品のいい人やったんかなーと思ったり。それ以外にも、そりゃもうこんなところでアイツキライと書けば総スカン喰らうのは間違いない、そういうミュージシャンが何人かいるのだが、そのうちのある一人を見ていて思わず「やっぱりこの人、今でもキライやけど才能あるんよな」と言うと、クマイチから「好き嫌いと才能は本来は別なんだよ」と諭されたりしていて。いや、それはわかっていたけど、キライさが先にたって才能があることを認めたくなかった相手というのもいたのだよ。今さらなのだが、中学の同級生と20歳過ぎて会った時に「ちゃとなぁ、手のひらにな、好きなモンとキライなモンに分けて好きなモンだけ乗せたらちょっとしか乗らへんねんけどな、もしも、なんとか受け容れられるモンと絶対に受け容れられへんモンとに分けたら結構たくさん乗るモンあるねんで」と言われたことを思い出す。ヤツがあの時点でわかっていたことが私にもわかるまで、こんな長い歳月が必要だったということかもしれない。
2007年12月22日
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いやー、ホントにもうちゃんと書かなあかんわ~~~(汗)別にどこのどなたに読んでもらいたいから、というようなことではなくて自分自身のためだと思う。やっぱりイギリスを引き払ってきて日本に移ってきて、この3ヶ月弱の経験というのは(もちろん固有のものではなって他人サマにはまったく関係はないっちゃーないのだが)大事なものだったと思う。それなりにいろいろと揺れる考えに毎日翻弄されてきたとも思う。今後は年を取っていくだけ、という不安のようなものももちろんあるし、子供もいない私たちのことだから、これからの夫婦のこととか、そしてはたまた最終的には自分一人だけになるとしたらどうしていくのかとか。そういう、何か形にならないまま心の中で騒ぐだけのような空気の揺れみたいなものの動きを文章にしてもよかった。が、しなかった。それ以外に、毎日の生活を占める新しい職場でのこと。これはもう、本当は、本気になって書こうと思えば1日に日記3つから7つくらいは書けたかもというくらい、そりゃまあよくここまで毎日いろいろあるなというような日々なのだが、1つ何かに的を絞って日記を書くのはかえって難しい状況。一つどれかを書こうと思うと、それが必ず他の件に連動していたりして、書くことを考えただけでぐったりしてしまうほどだったので、実はこのところ家に帰るとメールも見ない、PCも触らないという日が結構続いていたのだ。ま、ぐだぐだと言い訳はやめよう。書かなかったものを追いかけても仕方がないし。できたらもう一回、淡々とやり直してみるしかないかな。*****さて、さっきまでテレビでちらちらかかっていたNHKのプレミアム10。加山雄三。実は、昔から知っていた加山雄三は私にとってはどーでもいい人の代表みたいな人だった。キライというわけではないし、もちろん好きというわけでもない。なんというかこう、欠点がないというか難癖つけようのない、ただサワヤカさが売りのおっちゃんみたいな存在だった。だいたい昔から、あまりにも人畜無害な人は私は苦手だ。私の中でそういう位置づけにいるのがこの加山雄三と、長島茂雄だ。この2人を非難する・嫌っている、という人もあんまりいなさそうで、なんとなくその健康さ加減が苦手に思えてしまうのだ。久々に見る加山雄三、ちょっと年とったよなと思いつつ横目てテレビをチラ見していたら、彼も御年70歳だそうで、この年齢で新しいアルバムを出す(え?もう出した?そこまで一生懸命は見なかった)らしい。それも今どうも日本で流行っているらしいカバーとかではなくて、いわゆるマジ新しいアルバムなのだそうだ。ふと見ると谷村新司も出ていて、何やらこのアルバムのために詞を書いて加山雄三にプレゼントしたらしいのだが、そのうちの1曲を加山雄三はスタジオで歌った。うまいなぁ・・・そう思った。第一の本業は歌手ではないし、昔から時々、加山雄三の歌というのは聴いたことがあったが、うまいと思わなかったというか思いたくなかった。(笑)しかし、今夜のその番組の最後に聴いた加山雄三の歌はその年なりの声の枯れ方は感じられたが、その中にも本当に素直な伸びやかなうまさというものを自然に感じたのだ。もしかすると、本当にこの人はいい人なのかもしれない、とさえ思ってしまった。
2007年12月21日
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なかなか本調子で復活しにくいな~。休みグセがいっぱいついてしまったので(笑)ちょっとしんどいなと思うとパスしてしまう・・・いや、これも違ってはいないのだが、本当は自分の中ではネタがあり過ぎて、その日はどこを着地点にしたいのかがわからなくなるというのが隠れた理由かもしれない。一日のうちの大半が勤務先での時間になるので(やっぱり)どうしても話はそちらに行ってしまう。ロンドンにいた頃も中の身内の話もお客の話も毎日何かネタはだいたいあった。が、今ははっきりいってネタ候補はあるのだが、いかんせん書きにくいことも増えていたし、ベースになるものの数が格段に多い。家に帰ってクマイチに「あのなー、今日なー」と話し始めるのだが、佳境にはいる前に話をやめることが多くなった。「やっぱり、やめとくわ~」という途中やめだ。クマイチはもちろん「言いかけたんだから」というが、あまりにも話が長いと、彼の聞き方から集中力が乾燥していくのがこちらにもわかる。一日にあまりにいろいろなことが起こり過ぎて、その問題の背景が長かったり複雑過ぎるとか、一日に起きたトラブル同士が絡み合いをどんなふうに説明していいかわからなくなるとか、とにかく相方に説明しようとしている間にイヤになるのだから日記に書くだけの気力は当然出てこない。(爆)今のところは一日会社にいて、帰ってくるとグッタリなのだが、ともかく原因は人疲れだと思う。もうしばらく調子が出るまでには時間がかかりそうだが、インフルエンザの予防注射もしたし、先週やっと荷物も着いたし(泣)ぼちぼちやっていきます。
2007年11月27日
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この2年ほどは特に何度も日本に帰ってきて、そのたびにバラエティ番組中心の日本のテレビに違和感を感じていたのだが、やはり生活の基盤がこっちになるとそれなりに腰を据えて(?)日本のテレビに見入ってしまうことも多くなった。今、絶対に見ているテレビ*北京バイオリンNHKで土曜の23時過ぎからやっている中国のドラマ。もともとは2002年だったかに同タイトルの映画が上映され、かなり好評を博したもののドラマ版だというので、早速、映画もDVDを借りてきて観た。(二重マルですよ、私としては)このドラマ版は、もともとの映画を24回のドラマに仕立てたこともあって少し冗長な感じが今ちょうど出てきているところ。その上、主役の男の子は映画のほうが抜群によかったしドラマ版の主役はちょっとこまっしゃくれていて煮詰まった感じで気になるが、ちょうど帰国した週の土曜が初回だったのでずーっと見ている。*TOKYO MXという東京ローカル(?)のテレビ局全般いやー、実は密かにこのTOKYO MXというチャンネルをついつい見てしまう毎日なのだ。まずは朝、テレビ朝日だとかフジテレビだとか、メジャー系の朝からワイドショーが6時台から軒並みひしめく中、我が家はこのTOKYO MXのTOKYOモーニングサプリを見ている。金のかかるゲストは呼べなさそうな番組で、在日で日本語ぺらぺらのガイジンパネラーを出していろいろしゃべらせているのがおかしいのと、司会者のにいちゃんがこの間、なかなか私自身が持っていたのと似たような意見を結構ばしっと言ってしまっていたのでおおっと思って毎朝見るようになったが、このパーソナリティの人って徳光正行って言うから、あの徳光和夫と親戚縁者かと思っていたら親子だったのね。徳光和夫って私の中ではあんまり頭のいい人に思えていなかったので、息子をよけい見直した。このモーニングサプリがなんとなく終わってしまうと(日によってそれからしばらくしてから家を出ることもあるので)なんとあの往年の「ハクション大魔王」の再放送が始まったりする。あれも私はかつての本放送の時代には別にそれほどおもしろいとも思っていなかったが、今頃こんなのを再放送しているのかと思うとついつい見入る。この局では土曜の昼に立川談志と野末陳平が好き放題の年寄り放談をやっていたりする。立川談志はだいたいキライだし、野末陳平に至っては長年忘れていたので「こっち側のオッサンは誰や」と思っていたら野末陳平だということが後でわかり、ずいぶん懐かしい顔だなと思った。そしてこのTOKYO MXは夜になると延々テレビ・ショッピング一色でこれがまた楽しい。思わず買いそうになる。特にファンデーションのベアミネラルは、今もう少しして余裕ができたら買ってみようかなと思わないでもない。*学校へ行こうこの間、チアリーディングのジャパンカップという頂点を目指して箕面自由学園高校と梅花高校のチームの練習風景や心理的な背景を捉えながら撮影していたシリーズはよかったなぁ。何週か見てて涙が出た。そんなに努力しなくても、そこそこお金さえあったらこんなになんでもいつでも手に入る世の中になって久しい今の時期に、もう「一所懸命」なんていう言葉が遠く忘れ去られそうになっているこの時期に、あんなに自分のためにチームのために、他のことを忘れてがんばっている子たちがいるのを見ると、救われたような気がする。勉強なんか別にせんでもええんやで、今やっているその練習をがんばり、と言ってあげたくなる。まあ、こんなところかな。とにかく家に帰ってきて、夜は夜のニュースが楽しみというか、ニュースを見ないと眠れないという感じ。じゃあ、その日の出来事はなんでもわかっているかとそういうわけでもなくて、こうして他のことをしながら横でニュースが流れている程度のことだけれども、ニュースが途切れると他のチャンネルにいろいろ変えて、これ以上ニュース番組がもうないなというところまで見ている、みたいな。あっ、そうそう。それはそうと小島よしお、だ。(笑)最初にこの人を見た時は、うひゃー、また芸もないのにわけわからんやつが出てきたな、と思ったが、なんか異様に後を引くおかしさがあって、負けた。(爆)会社で「今や小島よしおはスペイン人も真似をする、レゲエで『おっぱっぴー』と歌っている」と聞いたので、ちょっと見てみたらあった。小島よしおの場合は、自分でも何がおもしろいか説明できないけれども「おもしろくない」とは絶対に言えない(言っちゃいけない気がする)不思議なキャラだ。
2007年11月20日
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そして今日は仕事は休み。日本での勤務となって、しばらくは全体の状況を把握するために日曜だとか祝日だとか、はたまた真夜中だとか、いろいろと見え難いところを見るために変則的な出勤のしかたをするつもり。それにしても、7000kmの距離を経てロンドンから見ていた本部はそれなりにややこしそうだと思っていたが、実際にそこにはいって見てみると、もっとややこしかった。(爆)なんというか、ひとことで言うならまさに魑魅魍魎なのだ。たった4人しかいなかったロンドンの職場ですら問題がないわけではなかったのに、一気に桁の違う人々が行き来する社内の人間模様は毎日落ち着かないこと、この上ない。で、その中で何がいちばん問題かというと、タイトルのないスタッフ諸君ではなくて、少なからずタイトル持ちの面々だ。私はそんな話は聞いていない、私を蚊帳の外においてそんな話ができていたとしても承服しかねるとむくれる人、誰かがやめるとか何か文句を言っているとかいう話を聞くと、関係ないポジションであるにも関わらず「自分がちょっと行って話してみて真意を確かめる」とやたら息巻いては、肝心の相手に「××さんとお話しすることは別にないです」とけんもほろろに断られる勘違い野郎もいるし。今のところはまだ私はおとなしくしている。こっちに来てから、元の古巣に連絡してみたのはこの1ヶ月足らずで1回だけ。いつまでも前いたところに執着しているのかと思われても困るから。なんとなく今のところ、新しく部下となった人たちはあまりいきいきしている様子ではないのがわかる。が、いきなり180度転換するようなやり方をしては彼ら・彼女らも困るだろうし、とにかく今は一人ずつの奥底を垣間見るような形で静かに静かに動いている。まだまだ道は遠い。
2007年11月19日
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帰国してから、何度目かの週末になった。今、これを書いている住まいは、とりあえず当面はここに住もうと思って決めたマンションなのだが、ここに来るまでも自分たちにとっては結構大変だった。ロンドンの自宅にあった荷物はかなり処分した。持って帰りたいような家具はなかったし、あっちの電化製品はいずれにしても使えないし、太って着られなくなった服は人にあげたりチャリティに出したりもしたが、どうしても持ち帰りたい本や雑誌やDVDやCD、体型の変化に影響を受けなかった服も結構あって、そういうものは荷造りして送ったが、船便なのですぐに手元には届かない。(来週やっと届くことになったが)この2ヶ月弱の間、スーツケース2つとボストンバッグ3つを持ってあちこちを移動。ロンドンを出てきたのは9月の末。あっちから出した船便の荷物が届くまでに7~8週間かかると言われていて、その合い間を利用して住むところを探す予定だったので、それ自体が見込み違いではなかったが、いやぁ急激に寒くなってきたので困る。この2ヶ月の季節の移り変わりの時期、なんとか船便の荷物が着く前にそういう変わり目をカバーして着回せる服や雑貨や小物(船便が着けばその中にあるのに、新しいものを今、買うのは避けたかった)は自分たちで持ち運ぶしかないと思って「あれもこれも」と苦渋の決断で加えてしまった結果、思っていたよりも持ち歩くモノが多くなってしまったのだ。だから、居場所が数週間ごとに変わるたびにカバンの中を整理してはタクシーで動くしかなかったのだが、タクシーに荷物を乗せるだけで気が引けるほど重かった・・・とにかく住むところが決まってからはヤドカリ生活に一応終止符を打てたのはよかったが、なにせ日本の賃貸ってところには何も生活家電がないので、わかってはいたけれどもあらためてビックリ。イギリスだとそれが賃貸であろうと間借りであろうと、とりあえず服だけ持ってきたら住める程度の家電は(古くても)ついているし、その上、イギリスには「最初からそんなものないよ」というものがむしろ多いので、なければないで生活はなんとかなる。それとどこにでもあるヒーターね。これがありがたい。イギリスの家の中で、寒くてしかたがないということは案外なくて、トイレやバスルームの中もヒーターがついていて、ボイラーさえ壊れていなければ暖房はばっちりなのだ。そして我々はここしばらくの間で電気屋に行ったり通販のカタログを取り寄せて必需を物色していた。とにかく足りないものばかりだから、その中でも、無いと困る度合いが大きいものから買っていたら、ずっと暖かかったので暖房器具が後回しになっていた。(電気がいいのかガスがいいのかもわからなかったし、だいいち比較検討する時間がなかったし)昨日・今日で急に寒くなってきて、これ以上はムリという夫婦間合意に至り、やっとファンヒーターを一つ注文したのが昨夜。遅いぞ・・・こんなに寒がりのくせに。そんなこんなでがんばって日本暮らしに突入しています。肝心の仕事のほうもすでに本部に初出勤してから数週間経ちますが、まあそういう話もおいおい。
2007年11月18日
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みなさま、こ・ん・に・ち・は~~~~~っ ^^/いやいやー、もう長らくの行方不明状態で大変失礼致しました。実はホントに毎日あれもこれも、だったのと、住む場所が決まってからも電話がつかないとかいろんなことがあって(それにイギリスから出した荷物も来週しか来ないし)自分で自由に使えるネット環境が今週まで整いませんで。そりゃまー日本のことですからネットカフェがないわけじゃなかったのですが、行ってみるといっぱいだったとかいう無駄足もあったりするし、そのうちに仕事が始まって会社でネットが使える環境にはなったのですが当然、日記読んだり書いたりするわけにはいかないし・・・そういうことで私自身は今週やっと家に電話がひけてプロバイダもなんとかなって、週末になったら日記書いちゃるぅ~と思っていて、今、やっとこれですよ、コレ。*****イギリスから戻ってきて、2ヶ月にはまだちょっと足りませんが、本当はここへくるまでのことを何かにでも毎日書いときゃよかったな、ああいうことを書き積んでおくのが本来なんだなとも思いましたが、今それをもう一度考えてもしかたない気がするし。まあ今のうちだったらまだはっきり覚えていることもあるし、それまでと同じように日記が続けられる環境にさえあったら絶対書いていたことなんで遡っても書いてもいいとも思うけど、それだけの時間がこれからあるかどうか・・・*****最初からあまり飛ばすと後が持たなくても困るので今日はこのくらいで。しかしホントに自分のPCも長らく開けてない状態だったのと、自分が書く余裕もないわ他人様の日記を読む余裕もないわで、久々にログインしたら、メールだとかここの掲示板や私書箱でいろいろとおたずね頂いていた、というのを今頃知って慌てております。ちょっとお一人ずつご返事するのが今のところはまだ難しい状態ですみません。この場をお借りしてお詫びとあらためてのお礼を申し上げます。それでは今日からまた、この日本でぼちぼち再開してまいります。m__m
2007年11月17日
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とうとう日本に戻ってきた。昨日の午後に関西空港について、京都まで来る乗り合いのタクシーのサービスで帰宅。先週の今日はまだあっちにいて、日本で早く必要なものを郵便局から送ったりしている間に、地元のフランス市みたいなところに出くわし、あと1週間も自宅で食事をすることはないにも関わらずノルマンディー出身のイケメンにーちゃんのウィンクに負けてドレッシングやオリーブ、きのこやアーティチョークのオリーブ油漬けを買って途方にくれていたなぁ・・・全部食べたけど。(爆)これまでは実家に帰ると*日本でしか手に入らないものは何でも買っていた(一時帰国者は、何か気が焦って、あっちで手に入らないものを強迫観念付きでよく買ってしまう)→節約、せつやく*日本でしか購読・継続サービスが受けられないものはハナから相手にしなかった→これからはこっちもう考えようなんてたって、私たちは今のところはうちの実家があるだけで、いい年をしたTemporary Joblessな2人なのである。**これからもよろしくお願いします。**
2007年09月29日
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今日、フラットの中の荷物が全部出て行った。先週の間に最終の出勤日を迎え、それぞれ一人ひとりに声をかける余裕もなく、まるで年休消化で日本に出かけるみたいにして「それじゃあね」と言って会社を出た。本当はこの日、早番だったみつこさんが当然いちばんに帰宅の途につくわけだが、みつこさんも自分の席から私に「じゃ、ちゃとさん、気をつけて、じゃね、またね・・・」と言ってそそくさと帰って行った。みつこさんの気持ちはわかっていたし、追いかけたかったが追いかける気になれず、その日、新しい責任者になったひとみさんに来た課題(彼女には新しい課題だが私にとってはあまり考えなくてもできる単純作業)を半分手伝うよと言ったが、それをやりながら、やっぱり鼻がずるずるし出したのでしばしトイレで体勢立て直し。自分が帰る時間が来るのがいやだなぁ、みんなより後で帰ろうかなぁという気もしたが、会社のIDも返却しないといけないし私が最後に帰るわけにはいかないのだ。そして時間が来た。みんなの目が見られない、握手もハグもへったくれもない。ささっと上着を着込み、出口近くまですーっと移動してみんなの顔を間近で見なくていいように十分距離を取って「じゃ、どうもお世話になりました。体に気をつけてね」と言って、あんまりみんなの反応を待たずに帰ろうとした。みんなもそれぞれヘンな顔というか・・・そりゃそうだ、ゆみさんもゆきちゃんも、こっちで初めて定職につく時に採用した人たちだし、それなりの気持ちがあるのもわかる。が、それに付き合っていては私がぐにゃぐにゃになるだろうと思い、とにかく逃げ出すような気分で会社を出るしかなく、後になってみんなにあらためてメールだけで挨拶をした。その日の帰りの電車では、いつもの通り持ち歩いている数独の本の中で、やりかけで進まなかった難しいやつに興じてみたが、なかなか集中ができなかった。家に帰ってクマイチの顔を見て、お疲れさんと言われた途端、泣けた。それから週末はもう外回りやら家の荷造りやらで、と書くと一発で終わるのだが、とにかく私は昨日の日曜も朝から作業を続け、途中クマイチがどうしても会いたいギターの師匠に挨拶に行った間も働き続け、そのまま夜中の1時半にちょっと寝て、次は3時半に起きてまた作業。そして今日の午前中、いよいよ業者の人たちが来て、残った荷物のパッキングと全部の荷出し、そして不要なものの処分をお願いできたのだが、最後に言われたのは「送る荷物そのものは少なかったですが処分品と合わせると、やっぱり駐在員のお宅と同じくらいですね」とのこと。まあねぇ、うちは音楽の機材なんかがかなり場所を取っていたし、CDにDVDにビデオにカセット(捨てられないものがたくさんあった)がやたら多い。それにしても今日、痛感したこと。この間みんなに書いたメールの返事がまた一人ずつから来て、それを読んでいたりすると泣けて泣けてしかたなかった。毎日泣くということは結構疲れることであると同時に(止められるなら止めたかった)今日の新たなテーマとして「それでも泣いているうちはまだ余裕がある」ということを学んだ。(爆)そうなのだ。荷造りが始まると、一つずつ中身を確認していちいち感傷に浸っている余裕はまったくなくなる。あれだけ毎回、涙腺のスイッチがばかばかはいっていたのがウソのように、この人生で最大のがんばりを見せたのはこの夜中の3時半から朝の8時半の5時間だった。9年半前に、3年のつもりで段ボール5箱に洋服・鍋・本・CDを持って来ただけだったのに、今日のソレは・・・いえ、もう個数は言えません。<皆様へ>前回のお返事も書いていなくてスミマセン。これでこのままPCを片付けてしまい、次は早くても月末になるかと思いますので、今日のコレにもしもメッセージをお寄せ下さったとしてもやはりご返事ができない(できるようになった段階では湯気サメサメ)と思うのです。なんとか日本に帰りつける・・・と思いますが(I hope)まだこちらの出発前の難関が明日・明後日と待ち受けておりまして。もうホントにふらふら・・・これからは生涯、一度も引越し(部屋の模様替えも含んじゃいます)をしなくていい生活がしたいとつくづく思う今日なのでありました。
2007年09月25日
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きんちゃんがうちに来た。クマイチは今、彼を送りに行ったので私は家に一人。きんちゃんはクマイチがロンドンに初めてやってきた頃からの友達。同じくらいの年齢で、同じくらいの年数ここで過ごしている彼は画家。それも、なかなか陽の目を見ない、お金のない画家。彼はイギリスに来てから一度も日本に帰ったことがない。30年近く、の話だ。(かつてクマイチが8年間、日本に帰ったことがないと言った時ですらメチャクチャ驚いた)理由はいろいろあるだろうけど、やっぱり彼はお金に苦労してきたということがいちばん大きいのだろうと思う。才能があっても売れない、というのはどこの世界にもあるということは頭の中ではわかっているが、そういう人が身近にいるというのを見るのは非常につらいことだ。以前から、きんちゃんがもしも一度、日本に帰りたいと思うのなら、その分をカンパしてあげたっていいんじゃないかと思うことは何度もあった。しかし、それをきんちゃんが果たして望むか、受けてくれるか、失礼に当たらないか、そういうことを考えると一度もそれを言い出せずに、とうとう私たちが帰国することになってしまった。彼の身の回りで付き合いのある日本人といえば、ほとんどクマイチと私だけだろう。私はクマイチからきんちゃんのことを何度も聞いていたが、初めて会ったのは、当初は少しの期間だけ別居結婚だった後でやっと借りたフラットに引っ越す時。クマイチに頼まれた彼が手伝いに来てくれた。その時から私はきんちゃんのことを「夫であるクマイチの友達」ではなく「私の」大事な友達だと一発で思えた。この10年間でものすごく頻繁にきんちゃんに会ってきたわけではなく、どちらかというと全部の機会を数えられるくらいの数だったのだが、きんちゃんは人間として優しくて思いやりのある人で、いつ会ってもイヤな思いをすることが一度もなかった。今日、家に帰ってくるとキッチンでクマイチときんちゃんが2人で夕飯の支度をしてくれていた。ふと部屋の中を見ると、茶色い紙に包んだ薄い箱のようなものが目に留まり、何かなと思っていたらクマイチが「それ、きんちゃんがちゃとに、って」と言う。紙をはがして中を見ると、額に収められたきんちゃんの絵だった。紺色のスリップドレスを着た裸足の女性がしゃがんで地球を捧げ持っている様子が真横から描かれている。絵を見た瞬間、あっ、まずいと思って慌ててその絵を急いで紙に包んでベッドルームに移動させてからキッチンに行って「ありがとう、大事にします~」ときんちゃんに声をかけた。焼肉と白身魚のソテーとサラダとわかめスープとかやくご飯の夕食を3人で食べ、その後もひとしきり音楽や絵の話をしていたが、やがて時間切れ。きんちゃんに使ってもらいたい音楽の機材や、このままだと処分していくしかない日本の食料品(私たちは日本で毎回何か食料品を買ってくるが、大事にし過ぎて使わないまま賞味期限を切れさせてしまったりすることがよくある)の中できんちゃんが食べると言ったものをパッキングした。本当は私も一緒に車に乗ってきんちゃんを送って行きたかったのだが、私はまだ明日も仕事だし、遅くなって気温が下がり、雨も降っていたので同行は断念。私たちは交互に写真を取り合った後、荷物を一緒に階下まで降ろし、それをクマイチときんちゃんが積み込んでから彼ら2人だけできんちゃんの家まで行くことになった。きんちゃんと私はしばし抱き合い「元気でね」「また来るから」と言ってそこで別れた。部屋にはいってから、もう一度きんちゃんがくれた絵をベッドルームからまた持ってきて紙包みを解いてよく見た。何を考えればいいのか、どう感じればいいのか、いろんなことがよくわからないまま、その絵を見ながらまたひとしきり泣いた。
2007年09月19日
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自分でもあきらめの悪い性格なのだなぁとつくづく思う。やり残したことや行き残した場所もいっぱいあるような気がしてきた。日本を出た時、どんなことを考えていたかなぁと思い起こしてみるのだが、あんまりはっきり覚えていない。だいいち、あの時はもともと3年で帰るつもりだったし、自分がそれ以上いたいと思っても自分のビザが3年しかなかった。出発する前日にインフルエンザにかかってしまい、方法がないので医者に行って「明日イギリスに行く」と言ったら「明日はやめたほうがいいですよ」と言われたが、当時、決まっていた勤務先から支給された航空券だったから勝手に変更はできなかったし、自分の責任ではなかったがビザが取れるのに時間がかかったので、勤務先のほうも「やっと来る~」という感じだったようなので出発日をずらすことはできなかった。出発の当日の朝も、両親はかろうじて京都駅までは来てくれたが、前日(そのインフルエンザだった日)にちょっと父とコゼリアイの場面があったので、京都駅で特急のはるかに乗る時も私は「ほな、な」と言っただけで、両親も「はいはい」とか言って、あっさり別れてしまったし。それまでの日本の同僚ともいったんお別れ、という気持ちはあったが、最終的に日本に帰ってくるという気持ちがあったので、日本にさえいたら、またどこかで会える、と思っていた。しかし、問題はこっちで知り合った人たちだ。もちろん今後、イギリスに来る機会がないということのほうが考え難いし、いつか来ると思う。うちの会社のみんななんか「3ヶ月くらいで戻ってくると思います」とか、好きなことを言っている。まあ会社関係は別として、もしかすると、こっちで知り合って結構な影響を受けた人なのに、ひょっとしたらもう一生会えない人がいるかもしれない、と思う気持ちにものすごく不安になる。本当は日本で一度別れてきた人たちだって同じなのだ。ホームグラウンドであるという場所の錯覚のためだけに「また会える」と思っているだけで、実際にはどこかに引っ越して連絡が取れない、これからももうずっと取れないかもしれない、という人はきっといるはずなのだが・・・私はまだいいと思う。クマイチの気持ちを考える。私の3倍近くの年数を過ごした彼が、私なんかよりも前から付き合いの始まっていたこちらの人たちと、一時的に接点が切れることはどうなのか、と思ってしまう。彼は何も言わない。私が一人で落ち着かなくておろおろしている。
2007年09月18日
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