悩める裁判員経験者・似蛭田妖のブログ

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2020.12.12
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 僕は、自分のカウンセリングだけでなく、その老父の件でも慌ただしく、新聞やテレビを見る機会がありませんでした。

 それで、つい数日前、だいぶ遅れて、熊本典道さんの訃報を知ることになったのです。


 すでに皆さんはご存知かもしれませんが、元裁判官の熊本典道さんが、11月11日にお亡くなりになられました。


 熊本典道さんは、再審事件である袴田事件を左陪席判事として担当。無罪の確証を得ながら、裁判長と右陪席判事の方針に従い、やむをえず、死刑宣告に加わったのです。

 判決文は左陪席判事が起案することが通例であるため、熊本さんは泣く泣く筆を走らせたそうです。

 ただ、熊本さんは、判決文の中に、警察検察の捜査手法を批判する個所を設けたため、その当時から、合議した3人の裁判官の中に無罪主張をした裁判官がいたのではないかと囁かれていました。

 熊本さんは袴田事件の判決後、裁判官を辞め、弁護士になりましたが、この体験に端を発する負の連鎖から、生涯逃れることが出来ませんでした。

 仕事と私生活は順調に行かず、破たん。

 ずっと、無実の袴田さんに死刑判決を出したという呪縛に苛まれ、自殺を考えるほど懊悩し、筆舌に尽くせない苦痛、悲嘆、失意の人生を歩んでこられました。

 しかし、勇気をお出しになり、2007年(平成19年)、ついに合議の秘密を破られました。

 袴田事件の支援者に「実は、私は左陪席判事として無罪であるとの確証を得ていましたが、裁判長と右陪席判事の反対で、死刑判決を書かざるを得なかった」という内容の手紙を書かれ、各種メディア関係者にも、冤罪を作り出した合議の実態を暴露されたのです。



 熊本典道殿。

 貴方様は、僕が尊崇の念を抱く、裁判官ないし元裁判官のうちのお一人でいらっしゃいました。他界されても、この気持ちは変わりません。

 ずいぶんと重い荷物を背負われた人生でしたね。

 でも、もう苦しまれることはありません。

 どうか、安らかにお眠り下さいませ。




































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Last updated  2021.10.10 17:22:05
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