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2009年10月11日
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 その日のことを、友雅はありありと覚えていた。
 虫集く大堰の山荘で、あかねを見舞う八葉たちと一緒に、姫の誕生を待っていた。
 離れた産室から時折聞こえるあかねのうめき声に、幾度立ち上がったことか。
 そのたびに、誰かに止められ、いらいらと座して、我が身の力なさに呆然とし。
 あんなに自分を情けないと思った日はなかった。そして、あかねがどれほど愛おしいかを、思い知らされた……。



「どうしたんですか? 友雅さん。」

 ふいに聞こえたあかねの声に、友雅は我に返った。

「ああ……」

 手を伸ばし、抱き寄せた。急なこととあかねは少し抗ったが、すぐにすっぽりと胸の中に収まる。己の半身とめぐり逢えた安堵感が訪れる。



 顎を持ち上げ、口づけた。あかねの唇から甘い吐息が漏れた。




 ちい姫の誕生を祝う宴があったのだ。
 こぢんまりとちい姫に縁の者だけでしようと思っていたのが、土御門の藤姫から中宮様に知れ、そこから帝にも知れてお祝いの品など届くものだからやはり、橘少将殿の一ノ姫のと披露せざるを得なくなり、訪れる公達や殿上人をもてなしているうちに、いつしか大きな宴になってしまっていた。
 表には友雅一人が出ていればよかったから、あかねは奥で、イノリや頼久や蘭といった、宴席に連なれない仲間たちとゆっくり過ごせた。普段から友雅を煙たく思っている彼らにはその方がよかったようだが。

「申し訳ありません、神子様。私がついうっかりと口を滑らせてしまったために……」

 藤姫が瞳をうるうるさせて謝った。

「いいよ、藤姫。本当なら、こうしなくちゃいけないんだから。」

 この屋敷にこの姫有りと聞こえ渡るのも必要なこと。しかし、それはちょっとした危険も伴うからねと、友雅が冗談交じりに言っていた。姫がそういう年頃になったなら、未だ逢わざる姫に心を懸けて文を寄越す公達が数多いることだろう、妃がねの姫君として、文の一つもこないというのは張り合いのないことだけれど、盗み出される心配もしなければならなくなるからねえ……。

「はん! 友雅の言えることか。」
「確かに。己の所行から出てくる判断としか思えん。」

 もてなしの酒でほろりと酔ったイノリと頼久がぼそり言った。


「ありがとう、頼久さん。」

 友雅とあかねがこの六条の屋敷に移ってきたとき、頼久は土御門に暇乞いをした……というか、藤姫が間に入って、土御門の猶姫であるあかねの警護に就くよう、配属替えをしてもらった。土御門の警護をする者は頼久でなくても腕の立つ者は居たから、元龍神の神子であるあかねを警護するのは、元八葉の頼久が最もふさわしいと、藤姫から推してもらったのだ。
 以来、頼久はずっと、侍頭としてこの六条橘家の警護をしている。あの性格から、この屋敷の警護を仕切るのに不安を感じるなど一言も口に出さなかった天真は思い切りほっとした。蘭もこちらへ越してきたので、あかねは蘭を早速自分付きの女房にし、蘭と頼久の娘の小督はいずれちい姫付きの女童になるということにして、楽しく過ごしていたのだった。

「もう……お殿様のことを悪く言うものではないわ、頼久さん。」

 蘭がたしなめた。蘭とて、友雅のことを素直に認めているわけではなかったが、他ならぬあかねが選んだことだし、あかねの幸せ一杯の笑顔を見ていれば辛かったあの恋も癒えてくる。頼久という伴侶を得て、蘭も幸せ一杯だった。時折、頼久があかねに向ける苦しげな視線を見ないことにすれば。


「そうね、今はメロッメロだけれど、その歳になれば。」
「電話とかかかってくるとね、何も言わずに切っちゃうんだよ。」
「そうそう、クラスの連絡網だから回さなきゃイケナイのに、パパが切っちゃうから回せなくて、次の日すごく怒られた。」
「内緒で文使いなんかしようもんならひどい目に遭いそうね。」
「あの、腰に下げてる太刀、実は本物だもんね~。」

 桜木の精との対決の時の様子をつぶさに見ていたイノリがふと目を上げ、何か言いたそうに口がもごもご動いたが、頼久に代わりの酒を注がれて黙った。

(言うな。神子殿がまたお心を痛められる。)
(わかってらい。まったく、友雅のヤツ、すっかりあかねをたらし込みやがって。)
(お子までなされた仲なのだ。それはもう言うまい。)
(そりゃ、そうだけどさあ……)

 表から聞こえてきていた管弦の音が止んで、代わりに牛車の轍の音が聞こえ始めた。

「宴が……果てたようです。」
「もう遅い時間なのですね。では、私もおいとましませんと。」

 藤姫が立ち上がった。お見送りいたしますと頼久も立ち上がるから、イノリも仕方なさそうに立ち上がった。表の方で客人の世話の仕事があってゆっくりと話ができなかった天真や詩紋のところへ行くと言った。
 蘭も、西の対でちい姫と一緒に休んでいる小督を迎えに行った。

 急に静かになった部屋で、あかねは一人、月を眺めていた。
 あかねにとっても忘れられないあの夜。
 自分は必死でよくわからなかったけれど、後から、友雅がどれほど落ち着きなく取り乱していたかを聞いた。
 そしてその時、自分がどれほど愛されているのかを……知った。




 友雅の腕の中で、あかねは幸せだった。
 この世界に残ってよかったと、心の底から思った。
 離れた時間が長くても、一人の時間が多くても、自分は守られていると思わせてくれるこの腕の温もり。心が安らぐ……それはあかねも同じに感じていることだった。




 友雅があかねを抱き上げ、いつも通り御帳台へ運ぼうとした時。

 遠くから聞こえていた巡視の足音が、不意に止んだ。

(……まったく、監視されているようだねえ……)

 息を殺し、奥の気配を伺う空気が一瞬だけ流れた。

(本人は、主への気遣い以上の何事でもないと言うだろうけれどねえ……)

 あれではあれの奥方が気の毒というものだと、友雅は小さく嘆息した。忠義一途の源の武士が土御門の肝煎りで侍頭に就任してから、夜の庭の空気が変わった。天真は友雅のいるところへは寄りつかなかったから、夜の奥向きは本当に友雅とあかねだけの世界で、気心の知れた従者が交代で離れたところに控えているだけだったのだ。

「頼久さんに、こっちへは来なくていいって言いましょうか?」

 あかねが小さく聞いた。友雅は微笑んで首を振った。たとえあかねの言葉でも、頼久が警護の足を止めるとは思わなかった。様子をうかがって、むやみに踏み込んで来ないだけよしとしよう。あかねをただ一人の主を仰ぐ、その忠誠心がさせていることなのだから。

(……私もその「賊」の一人になりかねないというだけでね。)

 ふふっと笑って、友雅はあかねをしっかりと抱え直し、御帳台の帳をくぐった。


 ちい姫の生まれた夜と同じ明るい月が、ゆっくりと西に傾いていった。





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最終更新日  2009年10月11日 19時04分14秒
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