道の駅・宿 0
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近鉄奈良駅から開化天皇春日率川坂上陵まで、三条通り方向へ徒歩5分強。三条通りのホテルとビルの間に細い参道が北に伸びています。通り沿いに特に看板がある訳でもなく、この先に御陵があるとは知らず通り過ぎていく観光客の姿が多い。ビルに挟まれた参道を進んだ先に上の宮内庁の看板がある。そこには「開化天皇 春日率川坂上陵一・みだりに域内に立ち入らぬこと一・魚鳥等をとらぬこと一・竹木等をとらぬこと 宮内庁」とある。参道から開化天皇春日率川坂上陵の眺め。開花天皇とは、実在が不確かな欠史八代(2代〜9代)と呼ばれる天皇の一人で第9代天皇とされる。古事記や日本書紀に系譜は記されているものの、存在を示す痕跡が確認されていない謎の天皇の一人。開化天皇は孝元天皇7年に孝元天皇の皇子として誕生し、孝元天皇57年に即位されたと云われます。生没一つ取り上げても古事記や日本書紀では大きな違いを見せ、疑い深い者から見ると謎でしかない。現在の「率川神社」周辺に春日率川宮を建て皇居としたとされ、そこから近い立地にある前方後円墳が開化天皇陵を被葬した陵墓ではないかと云う事で宮内庁管理とされている。以前、百舌鳥古墳群を回ったことがあった。子供の頃に仁徳天皇陵として摺り込まれて育ち、ある時を境に被葬者も怪しく、名称も大山古墳に呼称を変え未だに被葬者は分からない。こうした例は他にもあるが、発掘・非破壊調査に消極的で文献から陵墓として宮内庁管理になり、誰か分からない被葬者に手を合わせている、なんだかなぁ。欠史八代の天皇は永遠に謎のままなんだろうか。なんだかんだといいながらも、こうした場所に立つと手を合わせる。国道と三条通りに挟まれた、細い参道の先に約100メートルの前方後円墳があること自体あまり認知されていないかも知れない。そういえば、子供らと一緒に三角縁神獣鏡を目当てに奈良の古墳も廻ったのを思い出す。開化天皇 春日率川坂上陵築造 / 5世紀前半形状 / 前方後円墳所在地 / 奈良県奈良市油阪町参拝日 / 2023/11/30近鉄奈良駅から徒歩 / 南西の三条通りへ徒歩10分弱
2024.01.23
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春日井市大留町6-13「天王山古墳」県道15号線中志段味交差点から県道214号線を春日井方向に向かいます。庄内川右岸の堤防沿いに「天王山古墳」があります。2004年測量、2007年発掘調査が行われる前の古墳の外観は竹藪の中にあり、それが古墳だということも知られていなかったようです。その後古墳を含め一画は「天導塚公園」として整備され、古墳は保存された様です。庄内川右岸堤防から北側の公園の眺め、古墳の公園といってもいいでしょう。ここから西に徒歩5分の所に「大留町 神明神社」鎮座します、そこは古墳(親王塚古墳)の場所に神社境内が設けられ、この辺りではそうした神社と古墳がセットになったところが結構あります。こちらは古墳単独で保存されています。天王山古墳全景築造は古墳時代前期(4世紀頃)とされ、2007年の発掘調査で根拠となる出土品として、赤彩を施した二重口縁壺や高坏が出土したそうです。それ以前は古墳時代後期(6世紀頃)と云われていたいたそうですが、それらの出土品により現在では4世紀頃築造が定説のようです。現在の墳丘の規模は高さ4㍍で直径は26㍍の円墳ですが、本来の高さは5㍍、直径は34㍍だったと考えられています。すぐ前に庄内川が流れていることから、川砂や粘土質の土で盛り上げ、その斜面には川石を敷き詰め葺石としたようで、墳丘の周囲には周溝もあったようです。そうして築造された墳丘の頂上、中断、下段には赤く彩色した壺型の埴輪が1㍍間隔で配されていたようです。埋葬者は不明。「天導塚公園」の現況竹藪はなくなり、公園に整備され、円墳の古墳が保存されています。周囲は宅地化、区画整理が進み住居が建っていますが、公園になっていれば今後も今の姿を留めていくでしょう。天王山古墳古墳様式 / 円墳築造年代 / 古墳時代前期(4世紀頃)住所 / 春日井市大留町6-13関連記事 / 大留町 神明神社
2020.10.21
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春日井市大留町大留「神明神社」へ向かう道すがら、内津川の西側堤の荒子公園で偶然「大留荒子古墳」を見かけたので足を止めて見ました。荒子公園の東を流れる内津川、流れはこの先で庄内川と合流します。公園は堤の西側に隣接しており、陽が傾き気温も多少下がるこの時間を待っていたかのように、公園には子供達の姿を見かけます。公園北側の片隅に冨士山の様に丸い石がうず高く積まれた「大留荒子古墳」堤を歩いてきて遠目にこの冨士山を見ると場所が公園なだけに遊具と見間違えそうだ。北側を東西に車道が伸び、道路際に大きな看板もあり、車で通りかかってもこれは目立つはずです。南側から眺める葺石で覆われた古墳の全景。丸い角の取れた葺石は庄内川の河原の石が使われているのでしょう。石室入口は施錠されているけれど、夕陽が差し込み石室内が照らし出されていました。古墳の南側に春日井市教育委員会による古墳の解説「標高28㍍、庄内川右岸の段丘縁辺に立地する直径約10㍍の円墳。ここから200㍍ほど北西に所在、1988年(昭和63)に発掘調査され、翌年の1989年(平成元年)に公園に移築・復元された。墳丘は葺石が葺かれ、南に開口する横穴式石室を持つ。石室内から須恵器、金環(イヤリング)、鉄刀、鉄鏃などが出土。それらから7世紀前半の築造と考えられる」区画整理に伴い移築・復元された古墳なので、ここに古墳があるから太古からこの地に災いがないと思いがちですがそうではなさそうです。発掘時は天井石や葺石などは石室内に抜け落ちていたそうで、復元に当たってはそれらを使用し築造当時の姿を今に伝えています。この一帯は志段味古墳群をはじめとして古墳が点在する地域、そして宅地化の進む地域。古墳の墳丘上に神社が建っているようなところは保存されやすいのだろうけれど、開発の波にのまれ消えていったものは多いようです。こうして移築・復元までされるのは珍しい部類なのかもしれません。この近くに複数の古墳が現存しており、この一帯は古くから人が住み、被葬者が誰かなど不明ですが有力者がいたことは事実。この辺りの神社を訪ねていると古墳が付いてくる。「大留荒子古墳」住所 / 春日井市大留町1丁目関連記事 / 大留「神明神社」、 春日井市神領町「三明神社」、八事神明社、春日井市神領「貴船神社」
2020.09.05
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