ナカジノート

ナカジノート

2011/08/14
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 1532年(天文元年)、意足は、焼津から西廻りの航路で津島に入り、尾張に帰った。
 津島の湊で、平手政秀と再会した。
 三郎信秀は二十三、四になり、嫁を娶り、守護代・織田大和守との戦いは続いていた。
 勝幡城を見て、立派に変化している様に呆然とし、津島・萱津からの収益は莫大だろうことを察した。

 久しぶりに見る信秀の顔立ちに、精悍さを感じる意足。
 再会の宴で、信秀は、意足と別れてからの合戦話や津島の関税に関する話、西国との交易促進している話をした。
 しかし交易による関税のみならず、判銭という、地域を制圧した武士が兵士の乱暴狼藉をさせないようにするために出す札を寺社や民に買わせる収入があるという。
 意足は、洗練された今川家領地での暮らしと、比較せざるを得ない。

 というのも、松平清康が今川と手を結んだことを用心し、尾張者同士で争っている場合ではないと思ったのだ。
 和睦は帝にすがる、と信秀は言う。朝廷の台所領や公家の所領が、合戦によって奪い取られているが、それらを取り戻すと言えば、朝廷も和睦にのってくれるだろうと目論む。そして、意外坊がそのために都に行っている。そして、この工作のためには銭も必要だと、信秀は言う。


 この年の秋、守護代・織田大和守達勝と正式に和議を結んだ。
 とはいえ、守護代家と同調して信秀と戦っていた織田三奉行の一人、織田藤左衛門の配下と、信秀側について地下人との間には争いが続いた。
 藤左衛門は、信秀の叔父にあたり、西枇杷島・小田井城主だった。

 翌年、田植えのころ、意足が水争いの仲裁のために枇杷島まで出向いた際のこと。
 牛を飲み込むという女の見世物(幻術)に遭遇する。
 見物人が見物料を投げ入れて去ってゆけば、後に残ったのは意足と従者だった。
 蓬子との再会だった。

 蓬子は、守護代家で雇われていたようで、しかし和議により放り出されたという。そのため、食べるために牛飲みの幻術をやっているのだ。


 水争いの仲裁にかこつけ、小田井領の百姓を手名づけようという魂胆を見過ごすわけにはいかない、と意足の首をとろうとしていた。意足が兵法者であることも調べ済だった。
 その窮地を救ったのは、胸騒ぎがしたからとやってきた蓬子だった。





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Last updated  2011/08/14 11:32:43 PM


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