ナカジノート

ナカジノート

2011/09/15
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 信秀は銭の徴収に力を入れていった。
 意足は、今川の石高はそれほどでもないが贅沢できているのは、商人からの税の徴収による、と解説する。
 今川は、安倍川上流で砂金採取を行っているが、信秀の領地である木曽川・三宅川では採取できない。その代わりに津島と萱津という湊を持っているが、信秀には不足だった。
 意足は、熱田を手に入れれば信秀の力は守護・守護代家を抜く、と進言。
 すると信秀は、守護である斯波武衛家、大和守家に対して下剋上などというはやり言葉にのせられた行動をとる気はない、と怒る。

 信秀はお金で力をつけてはいるが軍勢を集められる家格をつけていない、力を伸ばすには守護家・守護代家の名で兵を集め、他国へ向かうしかない、という蓬子の見解に、意足は合点がいく。それと同時に、下剋上とは遠い信秀の実情にがっかりする。

 5月、田植えの準備が始まる頃、今年は旱魃かもしれないと人々が口にのせた。しかし、弾正忠家領内は潅漑施設が整っていたため、農民たちもそれほど焦ったりはしなかった。
 そんな1534年5月、信秀に嫡男が誕生した。

 連歌の神は天神様で、歌を捧げれば功徳が得られると言われていた。連歌師が戦陣に呼ばれ、和議交渉を行っていたのは、連歌が合戦の呪咀と関係していたからなのだ。
 信秀が、神頼みのような、普通の武将っぽいことを言うことに意外さを見、また、ほっとしたりもした。
 信秀は、蹴鞠で知り合った人たちと連歌会を催したいと言い残す。

 しかし連歌会は実現しなかった。
 旱魃の後、長雨となり、大雨は長良川の氾濫をもたらした。津島でも多くの商家が家財を流された。

 その頃、意外坊が京から戻ってきた。畿内も暴風雨にやられたと語る。
 年貢米の不足を補うために寺社領を横領したり、そこから奪い合いで合戦が生じたり・・・畿内も荒れることが予測できた。
 意外坊は、京から、弾正大忠という官職をもって帰ってきた。
 この程度の官位にお金を払ったことがもったいないと信秀はふてくされるが、意外坊は、ここから始まるのだ、と諭す。

 信秀は、河川氾濫による災害復興に自ら動いた。元々、水害が多い地域であり、修復には
慣れている。上流から肥沃な土が流れ込むため、天の恵みとも受け止められていた。






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Last updated  2011/09/16 10:20:54 AM


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