なんらん’s Room
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
2003
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
どしゃ降りの雨の中、父は静かに我が家に帰って来た。35日振りの我が家。10日間しか寝ることのなかったベッドに11日目に寝た時は、魂は抜けた肉体だけの状態だったが。25日に病院から危篤の知らせを受け飛んで行った時、個室に移されていた父の意識はほとんどなく、点滴と酸素で生かされていた。その日の午後までは、意識があったのに。。。母と私でその晩交代でソファで休んだ。夜中に一旦母を家に帰し、私はうつらうつらとしながらも、不思議な安心感に包まれてソファで寝てしまった。その間、父の容態は悪化することもなく、ずっと安定していた。朝、目が覚めるといつの間にか母が来ていた。私は、疲れをどっと感じ、母と入れ替わりに家に戻った。ひと通りなつの世話をして、少し寝ようと横になって間もなく電話が鳴った。「やはり、いつ急変するかわからないから、娘さんに来てもらって下さい。って看護師さんに言われたの。」母からだった。身体は鉛のように重く感じられたが、行かないわけにはいかない。その日は、朝から雨で、私が出かける頃にはなお雨足が強まっていた。病室に着くと、酸素カニューラ(管)から、マスクに変わっていた。点滴の適数も上がっている。それらが、父の状態を物語っていた。既に血圧が下がってきていて、計ることが出来ない状態だったので、段々と昇圧剤の量と酸素の量が上がっていく。母と私は、正直、これ以上の延命(いわゆるこれも延命処置の一つだと思うので)を望んではいなかった。冷酷に聞こえるかもしれないが、本人は、意識はないから苦しくないと聞かされていても、「息をすること」自体が苦しそうに見えたので、もう楽にしてあげたかった。暫くして、看護師さんが、「これ以上はもう、酸素も点滴量もあげられないので…」ととても言いにくそうに説明してくれたので、「もう充分やっていただいたので…」と何の不満もないことを話した。25日、26日と父を担当してくれた看護師さんたちは、本当に暖かく父の世話をしてくれて、私達はそれだけでも、心が満たされる思いだった。もちろん、他の看護師さんたちもとても良くしてくれた。母も私も、何度も何度も父の頭を撫で、頬を撫でた。今は、肉体さえも骨だけになり、我が家で休んでいる父。私にとって、この何年間は、父に対する複雑な想いとの葛藤の日々だった。でも、必ずこういう日はやってくる。もしもその時、このままの気持ちでいたら、後悔の思いでいっぱいになるのではないか、、、ずっとそんなことを考えていた。そうして、やはりやってきた「その日」。神様は、私に、大変だけれど、“後悔”という気持ちを残すことのないように、本当にいいチャンスを下さったと思う。このたった数ヶ月ではあったけど、父の世話をすることが出来たことに、感謝の気持ちでいっぱいなのだ。子供のように無力になってしまったけれど、そんな父に接して、私は幸せを感じていられたのだから。たとえ、それが私の自己満足であったとしても。この日記を書くときに、今の気持ちに合うテーマがあるだろうか、と思った。でも、まさに今、“愛しき人へ”・・・
2006年12月28日
コメント(22)