HAPPYな人生のために

HAPPYな人生のために

再挑戦

再挑戦

■2003/02/12 (水) やっぱりやるしかないのか1

東京でのひとりぼっちの生活に耐えかねて、
最近新たな(古い)友達や人間関係の発掘にようやく腰を上げた。
そもそも許容範囲の狭い人間なので、
自分の居心地のいい場所、人なんてなかなか見つからない。

その一連の居場所探しで挙がった人の一人が、
高校の陸上部の先輩だった。
その人に連絡をとって、会ってみることにしたが、
ついでにその人の所属するクラブチームの練習を見に行くことになった。

行く前から、この勢いのまま陸上を再開することになるのじゃないかと
思ってはいたけれど、
やっぱりそういう気持ちが自分の中で湧いて出てきた。

もう一度夢を見てもいいんじゃないかという気持ちになってしまう。
やろうと思ったことを何度もできなくなって、くじけてきているのに、
それでもまだ、ここに私のほしいものがあるんじゃないかと感じてしまう。

その人と話を聞くと、
まさに私と同じ葛藤、悩みの中から、
30歳を目前にし、また再開するという結論に至ったと言う。

この消えない思い、
引きずる気持ちは、
それを解消するかたちで立ち向かっていかない限り、
消えないのではないかとは、ずっと感じている。
そこから逃れようとする限り、
ずっとつきまとってくる思いなのではないかと。

でも、やってみてまたできなかったなら、
また大学時代のように「ムダだった」と感じるのではないか。
それが怖い。

また、自分の弱さと向き合うのも怖い。
大学時代、自分のできなさを痛感した。
自分をコントロールすることや、
自分の道を切り開いていくために、考え、努力し、進んでいくことができなかった。

それを目の前にし、
自分を責め続けた。
そこにまた陥るのではないかというのが怖い。

夢を見るのは、それがかなわなかったときのことを考えると
怖い。
自分を追いたて、何かのために一生懸命になることは、
同時に自分の弱さを目の当たりにすることで、それ自体もつらい。

でも、
それがなければ生きていけない自分に気がついた。
夢がなかったら生きていけない。
なんのために生きているのかわからない。
「何のために」ということがとても大切。
そして、そのために邁進することが好きだ。

陸上に代わる何かがあるのではないかとも考えた。
それが今の仕事になるのではないかと期待した。

でも、陸上ほど自分を引きつけるものが
ほかにない。

就職してもうすぐ1年。
今までの生活にそろそろ限界を感じてきたところだ。
何かを変えなければ、
息ができなくなってしまう。

それは、やっぱり陸上なのか。
やっぱりやるしかないのか。

■2003/02/13 (木) 臆病

考え込むタイプと考え込まないタイプというのがいるが、
私は間違いなく前者だと思う。
失敗を繰り返すたびに、人間は慎重に臆病になっていく。
続けるほどに、臆病に、怖がりになってきたのが、陸上だ。

恐怖を乗り越えるためにはどうしたらいいのか。
どうしたら自分の弱さを認めて、その上で前へ進めるのか。

その答えは自分で探さないと見つからない。

■2003/02/13 (木) 乗り越えないと

ティーンエイジャーのすべてと、もっと花があってしかるべき大学生時代のすべてを
陸上に注いできた。
私の人格形成の根幹にはいつも陸上がある。

常に自分を見つめ、ライバルを見つめ戦うこと。
それが陸上だった。
自分を見つめることは、自分の弱さを見つめることで、
本当にイヤだった。
自分の醜い姿を見るのが本当につらかった。
バレリーナは常に鏡を見て、自分の美しさをチェックするのだそうだけれども、
それに似たごまかしのきかないものが、記録だった。
もしくは私にとって、体重計もしかり。
それらはほんとうに残酷で正直で痛いものだった。
それが怖い。

昨夜、やっぱりやろうと一度決心してみると、
これから何をすればいいかと無意識のうちに考えていた。
そうしたら、やはり自分の体を見て、体脂肪を落とすことから始めなくちゃいけない、
とか、本当につらくなった。
それでまた失敗するだろうことを予想した。
そうしたら、前に進むことをやめたくなった。
痛い。
見つめなければ、一生向き合わずに生きていけるのではないか。
ゆるく楽しく、いいかげんに生きていけるんじゃないか。

でもそれで果たしていいのか。
そこまで考えてふと思った。

そうやって逃げ出そうと思っても、
また今ここに戻ってきたのだ。

結局、私にとって、
弱さは見つめないと乗り越えられない。
乗り越えられなければ、ずっと自分の限界を感じている。
自分のできなさを痛感している。

弱さは消えないかもしれない。

でも、もう一度、
乗り越える努力をしてみてもいいんだろうか。

つらいのはイヤだ。
でも、
このまま逃げたっていつまでもやっぱりつらい。

■2003/02/14 (金) もう一度

年明け、陸上をやらないことに決めて、
あきらめようと思った。
もう、いい、と思った。無理だ、と思った。

でも、やっぱり陸上に代わるものは何一つ見つけられなかった。
無力感の中で日常は過ぎ去って行った。

仕事に夢がないわけでもないし、
趣味がないわけでもないし、
”そこそこ楽しく”はやっていける。
でも、陸上のない空虚な毎日に見えた。

そして、また思い出した。
あきらめられない気持ちがよみがえってきた。
何度も何度もここに戻ってきてしまう。

それで、いくらやめようと思っても、やっぱりやるしかないのか、と半ば観念するような感じで、
また始めようかと考えた。
でも、陸上を始め、やるべきことを考え、
そして、失敗する自分を想像したら、
前へ進めなくなった。
怖い。

失敗するぐらいなら努力しても無駄だと思うわけではないけれど、
ただ失敗することが怖いのだ。

それで迷った。

そういうときに、
ふと、4回生の七大戦を思い出した。
あの時、失敗するだろうことが目に見えた試合だった。
直前まで、
また失敗するのだ、また泣くしかないのだ、
と思っていた。
膝が痛くて、練習もまともにできていなかった。
状態は悪かった。

それでも、
試合には立ち向かった。
無理やりにでもできるのだと信じて。
ダメだとわかっていた試合で
跳べることを信じて挑んだ。

ハイジャンは信じなければできない種目だと思う。
いくら状態がよくても
精神状態の乱れひとつで、いつもどおりのパフォーマンスができずに
失敗してしまう。
それがわかっていたからこそ、
”絶対失敗する”という思いを抱いていればますます跳べないと思った。
だから無理にでも、跳べることを信じた。

そういうことを思い出した。
結果は1m58。大学ベストながら中学2年生のベストよりも劣る。
その結果を私は今までネガティブにしかとらえていなかったけれども、
あの状態で、失敗の恐怖におびえながら、
最終的に立ち向かい、4年間跳べなかった高さを越えた自分を
少し見直した。
今失敗するのはイヤだ、つらいのはイヤだと躊躇している自分よりも勇気があったんだなと思った。

失敗をすると、
願うことや信じることを恐れるようになる。
ものごとに強く思いを寄せなければ、
つらい思いをせずに済むのにと考える。

でも、どうやら私は強い執着心なしには
何事もできないようだし、
そしてそれなしには生きていけないようだし、
それなら、
失敗は恐れずに立ち向かえばいいのではないかと思った。
たとえ、失敗の可能性が高くとも、
失敗を予想ばかりしていたら、絶対にうまくなどいくわけないのだから、
あの七大戦のように本気で立ち向かっていけばいいんじゃないかと。

あの七大戦の後も、
ずっとつらかった。
失敗したのだとしか思えなかった。
でも、それをムダだとは思わない。

だからもう一度トライしてみてもいいんじゃないか。
信じてもいいんじゃないか。
信じることから始めてもいいんじゃないか。

もしかしたら、
こういう思い込みの陸上は、危険なのかもしれないけれど。
もうそんな年齢じゃないのかもしれないけれど。
結婚や出産、今後のライフスタイルで
どうしてもできないという状況は出てきてしまうのかもしれないけれど、
そのときにあきらめられたらそれもいい。

陸上のために費やした時間を無駄だとは思わない。
それだけは自信を持って言える。
あとは恐れの問題だけなら、
やってみれば?

■2003/04/03 (木) 一体いつまで・・・

何度も何度も、本当に何度も、
陸上から離れてゆこうとした。
それなのに、抜け出せずに
またここへ戻ってくる。
一体私は何をしてきたのだろう。
陸上で何を成したのだろう。
これからたとえ陸上を続けても、
一体何ができるのだろう。

陸上をあきらめられない自分が、
いつまでも半人前の人間のように見える。
どこへいけばいいのだろう。
何が欲しいんだろう。

どうして未だに離れられず、
悲しく辛いのだろう。

このドロドロした感情の中から、
一体いつ抜け出せるんだろう。

何年経っても経っても、
このままなんだろうか。

どうすれば解放されるんだろう。
どこへいけばいいんだろう。


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: