一行程の記

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カテゴリ: 哲学
ショーペンハウエル曰く、我々の現存在は、刻々と消えゆくこの今以外には何らの基盤ももってはおらず、それは不断の運動をおのが形式としてもっている。つまり、

    我々の現存在はいわば山道を駆けおりている人間の足どりに似ている。彼はもし途中で立ちどまろうとすれば倒れるに違いないのだから、身を支えていることができるためには絶えず駆け続けているほかはないのである。――それはまた指の尖端で均衡を保持されている竿に似ている。
    (ショーペンハウエル「現存在の虚無性に関する教説によせる補遺」(斎藤信治訳「自殺について他四篇」岩波文庫))


彼の場合、そのことをもってして現存在の虚無性を説くわけだが、それとは逆にニーチェはそのような絶えまなき流転性、流動性をむしろ積極的に肯定するようである。以下では続けてショーペンハウエルの見解をみてみたい。

    ただ誰もが自分の思いこんだ幸福を目指して生涯努力し続けるのであるが、それに到達することは稀である。よしまた到達するとしても、味わうものは幻滅だけである。
    (同上)


というのも、

    我々の人生の情景は粗いモザイックの絵に似ている、この絵を美しいと見るためには、それから遠く離れている必要があるので、間近にいてはそれは何の印象も与えない。それと同じ道理で、何かしら憬(あこが)れていたものを手にいれることは、それを空しいと覚(さと)ることである。
    (同上)


彼のおもしろさは、次のような言説にあらわれる。

    それにしても、動物と人間の世界にかくも大袈裟で複雑で休みのない運動を惹き起しかつはそれを廻転し続けているゆえんのものが、 飢餓 性慾 (せいよく)という二つの単純なばね仕掛であろうとは、まことに驚嘆のほかはない。尤もほかになお 退屈 (たいくつ)というやつが少しばかりこの二者のお手伝いをしているのではあるが、いずれにしてもこれらのものが、多彩な人形芝居を操るかくも精巧な機械の原動力の提供者として結構間にあっているという次第なのだ。
    (同上 強調は引用者)


さらに人間の場合には、他の動物にくらべて高度に昂(たか)まった意識、つまりは過敏な意識のために、加えてつぎのような事情がともなってくる。

    人間だけから流れ出てくるところの快楽の源泉、したがってまた苦悩の源泉が附け加わってくるのである、――この源泉こそは、際限もなくせわしく、しかり、殆どほかのすべてを一緒にしたよりもせわしいくらいに、人間をひきずりまわしているゆえんのものである、野心並びに名誉と恥辱に関する感情が即ちそれである。――これらのものは、これを散文的に言えば、 自分に関する他人の意見についての自分の意見 、ということになろう。
    (同上「世界の苦悩に関する教説によせる補遺」 強調は引用者)


これはたしかに、思い当たるところが大としかいいようがなく、それによって常にひきずりまわされているところの、「快楽の源泉」でもあるが、むしろさらに「苦悩の源泉」であるところのモノであろう。

以上から、この現存在の幸不幸については、次のようにいえるのかもしれない。

    どのような種類の安定性も、持続的などのような状態もありえず、万物がせわしない旋回と流転のなかに捲きこまれているようなこの世界、一切がいそぎゆき、とびさり、かたときも歩みと動きとをやめないことによってのみ綱(つな)の上に辛うじて身を保っておれるようなこの世界、――こういう世界のなかでは幸福などということは考えることさえできない。
    (同上「現存在の虚無性に関する教説によせる補遺」)


衝(つ)き動かされた欲求、それの達成ごとに必然的にともなう幻滅、それらの繰返しである持続のないこの現存在……、

    要するに持続のない現在だけから成り立っていたこの人生、そうしていまや終りをつげたこの人生において、自分が一体幸福であったかそれとも不幸であったかなどということは、結局どうでもいいことなのではないか。
    (同上)





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Last updated  Aug 1, 2006 12:16:22 AM
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