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タバコの煙が原因で身体がおかしくなり、そこへパワハラが加わり心までおかしくなって、自己を消去しようと考えるようになり未遂も数度。自分自身を守り為に退職し、心身共に健康になる事を願いはじめて、1年が過ぎた... 無職になって一年が過ぎた。ほんま何やってだろ....オレ。 経済的にも限界が来ているのに、仕事に行く事が出来ない。 頭では仕事をしないといけない事なんかは分かっているが、心がそれを許してくれない。一昨年に経験した辛い辛い日々を思い出してしまい、行動に移せない。そんなの言い訳って言われるかもしれないが、行動に移す事が出来ない。 心の中のもう一人の自分がそうさせないのだろうか??行動できない。いや、行動は起こすが続けることが出来ない。職安や求人誌で探す所までは行うが、その先が進めない。怖い、怖いのです。またあの事が怒るのではないかと、身体が、心が震えます、恐怖で震えます。もう二度と経験したくないと心が悲鳴を上げてしまいます。頭ではどうする事もできません。 原因は分かっている。この世にタバコが有るから。タバコが無ければ解決するのに...タバコの煙が怖い。喫煙者の心無い言葉が怖い。さらに心は別の事を求めてきます。 このような状況から抜け出す為に、安らげる場所を求めて......暫く顔を出さなかったアイツが顔を覗かせてきます。「もう消えてしまいたい」 楽に成りたいから、もう消えてしまいたい。 もう苦しいこの状況が嫌だ。 これ以上苦しい思いなんて嫌だ。 「もう消えてしまいたい」 この思いが、嫌な奴が顔を出さなくなるまでなんて待っていられない。だからもう消えてしまいたい。 少し眠くなってきた。 眠るとしよう。 朝起きた時、この嫌な奴が消えてくれていたら良いのだが。 嫌な奴が居なくなる事を期待して、少し眠るとしよう。 朝起きるとタバコがこの世から無くなっています様に。
2006.01.20
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1月18日、募金額が目標金額の9000万円に達しました。1月12日の記者会見後から募金を開始して、皆様のおかげで短期間で目標額に達することが出来たようです。皆様の心温まるご支援のおかげです、本当にありがとうございます。七海ちゃんの命を救う為には、アメリカへの安全な移送、安全な移植が行える年齢までの透析、緊急時のドナーの確保、手術の成功と、乗り越えねばならない壁がまだいくつもあります。これからも見守って生きたいと思います。
2006.01.19
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小さな命『ななみちゃん』を助けてください。 生まれつき腎臓が一つしかなく、その一つもほとんど機能していないために、慢性腎不全の診断を受けています。そして、内臓が3/4癒着しているため、腹膜透析が使えません。2月末の生存の可能性は1%以下と宣告されています。 現状では、米国で移植待機しながら血液透析を続けることが七海ちゃんを救う唯一の方法なのです。 しかし海外では保険が適用されないため、移植手術費用を初め必要な金額全てを個人で賄う事が出来ません。 今、「ななみちゃんを救う会」が設立され、募金活動も開始となりました。 ななみちゃんを救う会 ttp://nanami-chan.com/ もし、賛同していただけるならば、募金のご協力をお願いしたいのです。また、広く周囲の方々に周知していただけると助かります。ブログやHPをお持ちの方はぜひリンクを貼ってください。みなさんが、少しだけでもみんなが協力すれば大きな力になります。小さな力でも集まればきっと間に合います。是非ご協力をお願いします。 内容に不安や疑問が有れば『中山七海』で検索してください。ネットには沢山の情報が有ります。 お願いです、小さな命を助けて下さい。 追記:あやかちゃんを救う会 先日1月10日に1才のお誕生日を迎えたばかりの『彩花ちゃん』 臓器移植は済んだのですが、必要金額にまだまだ足りません。 『彩花ちゃん』に未来を。 ttp://save-ayaka.com/index.html
2006.01.17
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「毎年1月15日になると....... 」を書いているとき。 【ジェネジャン!SP】が放送されていた。 今日のSPでのタイトルが『命』だった訳だが、タイミングもよく色々と考えさせられた。 『命』の存在は、この地球上に生まれ出し全ての生きとし生けるものに平等に与えられている。ただ、同時にその命には寿命と言う不公平なものも存在する。この不平等を感じているのは人間だけだと思う。それは、人間のみが“死”という存在を知ったから。ほかの動物は死の存在を知らない、ただ本能の持つ“生存”と“種の保存”という最大の目的のために生きている。人間はこの“死”という存在を知ってから、知ったからこそこの地球上で唯一違った進化を歩んできた。 この世に生まれ出でた後に人間は、宗教と言う教えにより“死”と言う存在を知る。そして、その“死”には“寿命”という不公平を知ってしまう。 この“死”という存在を知ってしまった人間は、その恐怖から逃れる為に、忘れる為に“そうぞう”する事を生み出した。 その“想像”により様々な物が生み出されが、その中に一つが“死後の世界”である。この“死後の世界”は“死”の恐怖から逃れるため、美しいもの、安楽の世界と“想像”された。そして同時に生み出された物に地獄と言う物がある。これは現世が死後の世界と同様に素晴らしい世界とするために、この現世を死後の世界へ行く為の修行の場とし“死”の存在を尊き物とする為に地獄と言う物も“想像”した。また、この“地獄”の存在は、“想像”が生み出してしまった様々な“欲”を解消する為に人間が起こす悪行を戒める為に存在する。 さて、今回の放送での『命』の討論は殺人は有りか?と言うものだったが、この殺人には他者を殺す殺人と自己を殺す自殺とがある。どちらも人間のみが行う所業で、他の生き物にはない行為である。勿論全ての生き物は、他の生き物の命で自己の命を存続させて行く訳だが、それは自己の命の存続の為のものである。人間の様に自己の“欲”の為に殺人を犯したりしない。 また、人間は“想像”するために様々な悩みをも生み出してしまい、その悩みが更に悩みを“創造”してしまい抜け出す事が出来なくなった時に人間は自己を殺人してしまう。 でも、人間はこの様な暗い物だけを“そうぞう”したのではない。“そうぞう”は人間に飽くなき探究心をも生み出した。芸術や文学、医学、化学と言った物を。そして“死”からの恐怖を和らげる為に、悪行を戒める為に“宗教”が“そうぞう”された。そしてこれらは“文化”をもたらした。その“文化”は人間の営みを豊かな物とした。 しかし日々怒る悲惨な、残忍な人間の行動。“欲”を求めるがゆえ起こされる犯罪がなぜ無くならないのだろう。いや、なぜ増えているのだろう。特に弱者が被害を受ける犯罪がなぜ多くなっているのだろう、考えた。 今、倫理観・道徳観と言った物を学校で教えようとしているがこれが間違いであるのだろうと考える。学校は文学・数学・科学といった様々な学問を習う場所であり。こりゃワインを製造するシャトーで日本酒を作れって言っているような物でしょ。では何処で倫理・道徳を教えるのかと言えば、それが様々な形で生み出された“宗教”だったのだろうと思う。形の無い物を教え伝えるから様々な形になってしまったが、本来は人間が共存する為に必要な倫理・道徳を教える場所であったはず。 しかしその“宗教”が“欲”にはしった現代では本来の役目を果たさない様になってしまい、悲惨な事件や自己が起こってしまう。特に我が日本ではその傾向が強く見られるように思う。 特に“先祖供養”と言うのもが薄くなってしまったと思う。 住宅事情が許さないのだが、家庭から仏間・仏壇と言った物が無くなって来ている。“先祖”と接する時間が無い。言わば“死”と接する時間が無くなっている。仏壇に手を合わせる、これは“仏”に手を合わせると言う事なんだが、この“仏”が人間の亡くなった後の姿なんではないかと。 この“仏”に小さな頃は訳も分からずに手を合わせているが、次第になぜ?手を合わせるのかという疑問が生まれる。その疑問に対しての答えが亡くなった方への供養だと教わる。そこで“死”の存在を知る。そして“命”という物も知る。そして人間社会での共存していく為の様々なルールやその意味を知って行く。 そのために“先祖供養”が必要なんだろうと思う。 “命”の大切さを知る為に“先祖供養”から“死”を考える。 では、その“先祖供養”とはなにか。 自己の先祖だけを供養する。 ではなく、その繋がりを考え、感謝すると言う事ではないだろうか。先祖に手を合わせていても意味が無いように思う。そこにその“命”の繋がりを考え、感謝するからこそ意味が有る物に成るのではないだろうか。今の自分の“命”は先祖から繋がる“命”が有るからで、先祖が居たからこそ今の自分が居る。また、先祖や自分は周りの人々との繋がりが有るからこそ生存できる。その周りの方々の先祖に感謝する事も“先祖供養”なんじゃないかと思う。また、これら命の繋がりは他の生き物の“命”を喰う事で維持されてきた、だからその“命”にも感謝する。この地球上に生きとし生ける全ての“命”に感謝する。これが“先祖供養”ではないのかと、それが“宗教”という物の本来の形ではないかと思う。これは全ての“宗教”の教えとして存在しているはずである。 “命”を大切にする為に、考える為に、一緒に“先祖供養”をしませんか。形は問いません“先祖供養”をしましょう。 さて“先祖供養”を行うにあたり“宗教”と言う物を関連付けてしまいますが、それはその思いを伝える為のアイテムだと思うのです。形の無い先祖に対しその思いを伝える為に、形の無い神仏を使い伝えているのだと思うのです。先祖に手を合わせる時間に全ての“命”に感謝する思いを集めているのだと思うのです。先祖に手を合わせる事で自分に繋がる全ての“命”に感謝するのだと。 ただ、そのアイテムの選択を間違ってはいけないと思うのです。“欲”にその解釈が歪められている物も存在するはずです。“命”の大切さを教える“宗教”が他者を傷つけるように導いてしまっている物はダメです。集金作業を行っているものもダメです。これこれに幾らなんて最初から決まっているようなものですね。感謝の気持ちを形にする訳ですから、その形の無い物に決まった金額なんて無いですからね。ただ物品には金額が決まっていますよ。それと、形の無い物への感謝ですから、教祖と言ったような存在を神仏化するものどうでしょうね。形ある人間に神仏と同じ様に扱うことも間違っていると思うのです。大切な教えを伝えてくださると感謝しても崇めてはいけないと思うのです。 形はどうでも良いのです、“先祖供養”をしましょう。 “先祖供養”を通して全ての命に感謝しましょう。 今自分が生きていることに感謝しましょう。 その感謝を“先祖供養”という形で表しましょう。 まだまだ考えた事、伝えたい事はありますが、書き入れないほどに長くなってしまいますのでこの辺りで終わります。
2006.01.15
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1月15日になりと考える事がある。 それは...... 今の自分は、アイツが見たらどう思うんだろう。 今の自分は、アイツに胸を張って言える事をしているのだろうって。 自分とアイツとの出会いは小学校の1年の時だった。 この時はクラスメイトと言う感覚だったのだが、数年後彼との関係が少し違ったのもへと変化する。 それは、小学校5年で再度同じクラスになった時である。 当時の妹は、小児喘息の発作の為に夜中に病院へ走る事がよく有った。病院では、小学校卒業式を迎える事が出来ないかもと言われていた妹だった。しかしアイツは妹よりも症状は軽くはあったが、中学校を卒業できないかもと言われていた。その事は、掛かり付けの病院が一緒だった事と、同級生のお母さんがその病院で看護師をしていた事などから聞いていた。(と言っても当時は何を意味するのか分かっている訳でもないので、普通に大人になって、年を取っていくもんだと思っていた訳ですが。)心臓の疾病の為に水泳などの運動を止められていた自分から見ると、身体作りのためにスイミングスクールに通っていた彼は羨ましくもあり、泳げるって事は尊敬していたので........ その彼が6年生の三学期に入ってすぐの事、この世を去った。 年末までは普通に遊んでいたアイツが、それは突然に、喘息の発作で............ 卒業を控え、彼は少しでも空気の良い奈良へ引っ越してしまうので、引っ越しても友達で居ようねって話していたのに。 小学校の卒業式も間近だったのに。 その彼の年回事を1月15日の成人の日に、彼の親御さんが行ってくれていた。自分の子供が大きくなった姿を僕達に重ねて楽しむんだと。 だから、僕にとっって成人の日は一年で最も大切な日である。 いまでこそ成人式を第二月曜日に行うようになったが、成人の日は僕達仲間にとっては大切な日である。 今の成人式に見られる大人として、人間として恥ずかしい光景をアイツはどう見ているのだろうか。 あんな奴らの様にアイツは成りたかったのだろうか。 アイツはどんな大人に成りたかったのだろうか。 アイツに胸を張って会える人間に僕は成っているのだろうか。 アイツは今、僕をどう見ているのだろうか。 アイツは今、 アイツは......... いつか自分も彼の居る場所へ行く事になる。 その時に胸を張って彼に会える人間に成っておこうと思う。
2006.01.14
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