「ネオ頑固082」

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ネオ頑固082

ネオ頑固082

2005.10.07
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カテゴリ: ネオ頑固イズム
さて、その白洲文平に関して、次郎がコメントした言葉が残されている。『文藝春秋』昭和二十六年九月号だ。

父(文平)は「建築道楽で、家ばかり建ててゐた。道楽はたくさんあつて、ほかの、あまり言ひたくない道楽もあつたが、そして、いつでも建てる家は日本館にきまつてゐる。ぼくのおやぢは外国育ちの男だ。

そこで西洋館は靴を脱がないでもいいから西洋館がいいぢやないかと言つたら、外国ぢや道がとてもきれいだ。だから靴のまま上つたつて汚くない。だけど日本みたいな、こんな汚い道を歩いて来て、そのまま上られたらたまらない、だから日本館がいいと、言ふ。

ところが、そのおやぢは靴履いて畳の上を歩くのだ。そして人が汚いぢやないですかと言ふと、俺は別だと言つて澄してゐる。これがほんとの傍若無人といふものだ。僕のおやぢは、子供のときから外国育ちで、ほんとの意味のお洒落だつた。

晩年は九州の、大分と熊本の国境に、百姓をして独りで住んでゐた。もつとも女中なんかはゐたけれども、東京に来るときは、木綿の刺子の紺の股引をはいて、上にはツイードの洋服を着て、荷物は全部猟に行くときの網に入れて、それで東京に来て平気で歩いてゐる。さういふ人だつた。」

西洋文化を習得した文平が日本建築を好んだのは何も舗装されていない当時の日本の道路事情だけではないだらう。外に出て分る日本文化のよさ。082もこの点は大いに共感している。

次郎がサンフランシスコ条約締結後男泣きに泣いたエピソードももしかするとこの辺りの文平の愛国心に繋がるのではないだろうか。次郎は文平と仲が悪かったと言う。しかし彼は文平そっくりだったそうだ。

晩年南多摩郡鶴川村の田舎、武相荘で百姓をした生き方も、もちろん次郎のお洒落も文平譲りだったのではないだろうか。





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Last updated  2005.10.11 19:41:18
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