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収入や子供の学歴の事は人には言わないようにしている40代の頃、子供の高校受験の塾代を稼ぐために私はフルで働いていました。最初は週5日勤務。仕事は事務で当時は時給1400円でした。途中からしんどくなってきたので週4日に変えてもらいました。有名大手メーカーなのでそういう対応は柔らかくて大変良かったと思います。同期のパート仲間にシングルマザーで派手目な女性と、某機械メーカー勤務(退職後再雇用で働く)の旦那さんがいる、年金獲得までの空いた期間だけ働いているパート主婦がいました。二人とも同い年くらいで私よりも10〜15歳くらい年上でした。同僚の50代シングルマザーがこのパート主婦を毛嫌いしていた私が入る前からこの二人は仲が悪かったそうで、50代シングルマザーがパート主婦を一方的に大変嫌っていました。一緒の部屋で私を含めて5人が缶詰になってPCを使っていたのですがシングルマザーが「一緒にいたらイライラするわっ!」と始終怒っていました。常にイライラしていた女性は自ら「発達障害者で障害者手帳も持っている。癌もなった事がある」と、上司に説明をしていた様子も見た事があります。勤務中はあからさまにそのパート主婦の前で嫌がらせをしていました。パート主婦の前を通る時はドアを足で蹴る、引き出しを「ばんっ」と大きな音を立てて開け閉めする。そのパート主婦は耐えていました。でも、この人も気が強い人だったのでそんな嫌がらせをされても気にしていなかったようでした。そして、この人と私は一緒にお昼ご飯を食べていたのですがなんとなく「こういうところがシングルマザーに嫌がられたのかな?」と少しずつわかっていきました。会ってまもない時期に旦那の年収を私に言ってきた「うちの旦那、高卒だけど退職する時の年収はちょうど1000万円だった。 今は再雇用で時給1800円ではたらいてる。退職金は1800万円くらいかな。子供一人だったから良かった」と自分から私に話してきました。 旦那さんは目立つ役職はなかったそうです。「そうなんですね」とだけ頷いて私は頷くことだけ続けていました。私は住宅ローンは完済が間近で、でも子供の塾代は自分で稼ぎたいという信念があったのでパートをしていました。世帯年収は似たような年収でしたが言う必要がないのでその事は黙っていました。関西では割とあけっぴろげに年収を言う人やいくらなのか聞いてくる人がいる関東は分かりませんが、関西は割と「うちは年収800万円くらい」という方もおられますし、「あそこのうちは◯◯に勤めてて年収いくらくらいやで」、「コンビニ経営してる◯◯さんとこ、立地良いから年収2000万円近いらしい。でも夜勤とかバイト要員足りんかったら全部自分達でしなあかんらしいけど」とわざわざ私に教えてくれる人もいます。私はそういう人に遭遇したら同意はしておいて自分は我が家の事は絶対に答えないようにしています。Youtubeの動画でも大阪の居酒屋でコンパをしている若い男女にインタビューをしているのを見ましたが「自己紹介で年収を先に言わな付き合わへんで〜、なあ(女性の皆に同意を求めている)?絶対年収聞くよな?」と女性陣が言っていたので驚きました。子供の小学時代の友達の親は「年収800万円って普通やんな?」と私に突然聞いてきた時はびっくりしました。当時の我が家の世帯年収は500万円台だったので、思わず「え?」って顔をしてしまいましたが「そうかなあ?」ととぼけていました。相手には驚いた事が薄々バレてたと思いますが。そういう突然のフリで相手の素性を探ろうとする人がいるので嫌ですね。私はおしゃれが大好きなので、職場で不思議がられていた当時の私は見た目にはお金をかけていました。パーマも月1万円2000円、服も新しい服を買って着ていきました。生活に苦労してなさそうな雰囲気を出していたので、「なんで働いてるの??」とパート主婦に不思議がられました。始終「ここに来て扶養から外れて働きにきてるくらいだから生活が楽そうだと思えないけどな」とも言われました。「子供の塾代を稼ぐために」と本当の事なので答えていました。子供の学歴も自分から話していたパート主婦パート主婦はそのうち子供の話もし始めました。「うちの子は賢くて、某公立高校(その地域の公立で1番の難関)いったけど浪人して◯◯大学(旧帝大ではない国立)行って今は東京の◯◯◯◯行ってる」とその女性は言ってきました。「そうなんですね」私はまたそれだけ答えました。当時、自分の子供は関西の私立最難関男子校を受験するために有名進学塾に通っていました。なのでそれを聞かされても特に驚きませんでした。塾の友達でその難関公立高校を目指す子も何人かいたので特別感はありません。そして大学、会社(一応大手)も知っていたので驚きもしませんでした。そのパート主婦は「お子さんどこの高校目指してんの?」と聞いてきました。正直言いたくはなかったのですが隠し通して後々詮索されるのもしんどいし受験する段階なのでまだ受かってるわけではないので大丈夫かなと、第一希望の某高校と次の難関私立共学中高一貫校の名前を言ったら「すごいね」とそれだけでその話は終わりました。受かった時も黙っていましたが、その職場の上司(単身赴任で大阪に暮らしていて、高校受験にとても興味があり自分から私に私立男子校の情報を聞きにきていた)から「高校どうでした?」と聞かれたので「受かりました」と言うと「すごいですね!うちの息子も将来地元の難関男子校受けさせようかな」と言っていました。
July 14, 2024
バブル後期に就活していた私の今では考えられない?この世代の就職活動バブル世代って?なに?って言う人への説明です。おおよそですが、1970年から1972年までの世代のことをいうようです。日本がとても景気がよかった頃で、都内では札束を見せてタクシーを停めていたというエピソードもあった時代です。その世代の真っただ中だった私です。当時から「3高(高学歴、高身長、高収入)の男性はモテモテだ」と世間で言われていました。女子もその頃から少しずつ、自身も高学歴を狙う子が増えていったと思います。わたしは専門卒ですそんな私は専門卒です。これにはいろいろと事情があり、予備校でパワハラにあい仕方なく専門学校への進学を決めた経緯がありました。高校は一応地元では公立の中では自称進学校と言われる公立高校に通っていました。同じクラスの男子は生徒会長をやっているという理由で、早稲田の推薦に受かっていました。内申書がよければ進学できましたね。当時の先生の話によると各学校の指定枠があるので進学できるということでした。クラスの女子も地元のお嬢が通うと言われる神戸女学院大学、京都女子大学なども人気でそこを目指す子が多かったです。私の高校時代は陰キャでした。なので、クラスであまりイケてない女子グループに入れてもらってる感じでした。話しかけられない限り話さない子だったのでとっつきにくかったんでしょう、好かれていませんでした。グループでお昼休みにお弁当をたべていたのですが、「〇〇さん、将来なんになるの?」と普段から私を「嫌い」と公言していた女子が私に聞いてきました。何になりたいのかわからなかったので「まだ決めてない」というと、みんなの前で「〇〇さんさあ、怖い職業の旦那さんの奥さんになってそう」と反笑いで言われました。その時、「え?」と思いました。人それぞれの考え方もある事だし、以前からいろいろひどいことを言われていたのでスルーしました。掃除の時間に同じグループの女子が「あの子、ちょっとひどいよね?」と私に言いに来ましたが「前から知ってる」とだけ答えてそれ以上言いませんでした。高校卒業後、専門学校に入学高校卒業後、専門学校に入学しました。メガネっ子で陰キャだったのですが、今の夫と出会い専門学校からデビューしました。眼鏡を外し、髪の毛を茶髪にし化粧をして周囲の子と同じ服装で初めて学校に行くと。周囲の男子達が私を一目見て、なんか顔が驚いてるのです。「?なんだこの反応は?」と思いました。いつものクラスに入って席につくと、数少ない一人の陰キャ友達が「すごく変わったね」と言ってきました。ただ眼鏡を外して化粧して、みんなと同じ服装にしただけなのに?と思いました。クラスの男子も私を振り返って見てきて、なにやら友達同士でひそひそ言ってました。当時、数少ない男友達だった夫が朝私を見つけて「すごくいいやん!変わったね。〇〇(夫の友達男子グループ)が朝からなんやめちゃくちゃ可愛い子が入ってきたで~って言ってたから、〇〇さんやでって言ったらみんながええ?!ってびっくりしてたわ」と夫がすごくうれしそうに話していました。外見が変わるだけで周りが変わった自分は変わったと思ってないので、周囲の見る目が変わった事に大変驚きました。その後、夫と付き合うようになり2年生の就活のシーズンがやってきました。専門学校生なので全く進学先は期待していなかった大学生じゃないし、あまり就職先は期待もしていませんでした。ただ、ある分野に関しては専門で勉強していた学校だったので、有名広告代理店に就職する子もいました。夫も就職活動に専念して頑張っていましたが、夫が不採用になった某大手企業(四季報に掲載)に「君ならもしかしたら受かるかも」と言われたので「じゃあうけてみるね」と応募書類を出しました。今でも有名な大手メーカーに書類をだして一次試験を受験するその会社は一次試験に筆記試験があります。一般教養と学力を試す試験でした。実は私は高校卒業後も「暇だから勉強しようかな」と英語や数学を勉強していました。それが功をそうしたのか、試験問題が簡単すぎてほぼ全部埋められました。IQ検査のようなものもしましたが元々そういう図形系が得意で簡単すぎて、ほとんど全部できました。そのほかに作品の実技もあります。実技も終了してその日は帰りました。落ちると思ったら、一次試験も通過だめだろうと思ったら2日後すぐ「二次面接への通過連絡」の電話連絡がありました。夫が「すごいね~!もしかしたら本当に受かるかもよ?」と応援してくれました。最後の二次面接は管理職の方との対面面接ここまできたら、もういいやと自分の思いを正直に語りました。何を聞かれたのか覚えていませんが、私の提出した作品を見て笑っていたので「あ、絶対落ちた」と思って面接終了後落ち込みながら電車に乗って帰りました。大手メーカーの採用結果は絶対笑われたし、不採用だと思っていました。すると翌日の晩にその会社から電話が来ました。「〇〇さんを正式に社員として採用したいので・・・・」と言われて、びっくり!!頭が急に真っ白になり、その後のことはあまり覚えていません。話はだいぶ飛ばして、入社式後の新人研修のシーズンの話です。新人研修の際、部長の方から「〇〇さんね、君は〇〇の好みで選ばれたんだよ」と言われました。え。学歴関係ないやん。色々な意味で、いままで生きてきた光景が走馬灯のように私の頭を駆け巡り、「一体なんだったんだ?私のこの苦労は?」と思いました。同期の女子は外見レベルが高い子も多かった今じゃ考えられないと思いますが、バブル当時は女子は顔パス(外見だけで採用できる)がありました。同期の女子はそれぞれの役員、管理職の好みの子が集められた感じでレベルが高い印象がありました。それ以外に実力で選ばれた人もいました。中でも一際目立っていて美人な子は、女子トイレに同僚の派手な子と集まり喫煙していた子でした。周囲の同僚女子から「あの子、キャバクラで働いてて社長の息子にスカウトされて秘書として受かったんだって」と教えてくれました。そういう世界もあるんだなと感心していたら、その女子はすぐに息子と結婚、のちに社長夫人になりました。当時はこのように学歴が関係ない就職成功例もありました。
June 3, 2024
市役所の窓口って人気があるようですね・・・・。昔、窓口のパートをやっていた頃の話です子供が中学生の頃、4ヶ月だけ市役所のパートをやっていました。応募したのは市役所の窓口の受付です。窓口業務は一部、外部委託をしているところがあり、その場所が介護保険窓口、年金窓口、生活保護関係の窓口でした(その三つはしんどい仕事なので外部委託してるのかなとなんとなく退職してから思いました)。面接時は10人くらい応募者がいて、20代の若い子から50代半ばの女性まで色々いました。若い子もいたので「落ちたな」と思っていたら、なぜか私一人だけ採用されたんです。びっくりです。なぜ、45歳の私が一人だけ採用されたのか?聞いてみた採用後に「なぜ私を採用したのですか?」と聞くと人事担当者が「人当たりが良くて聞き上手に見えたのと、こちらの希望曜日にピッタリだったから」と答えてくれました。意外と簡単な理由なんだ、やっぱり曜日なんだなと思いました。試用期間は時給890円。その後は900円台になりましたが詳細は忘れました。実際市役所の窓口はパワハラがすごかった私は窓口業務なんて初めてです。何にもわからない状態でした。しかも介護の窓口の受付です。ケースワーカーさんとかマネージャーさんとかよくわからないし。わからないまま対応していましたが、あるお局と思われる50代後半女性が教育係のようになって私をきつくしかりはじめました。その人は元銀行員でした。お辞儀の角度が悪い、手は両手を添えて紙を取れとなんだかまるで銀行員かデパートの店員のようなきめ細やかな対応を迫られました。「ここは逆らったらヤバいな」と察知したので、我慢して対応していたのですが、1日で覚えられない量の小言を、次々無理強いをして注意してきました。メモを取るなっ、体験して覚えろ!市民への言葉遣いはエレガントなのに後輩への指導はめちゃくちゃ体育会系なお局たくさんの量の書類やPC記入に関する注意をしてくるので、メモを取ろうとメモ帳を買ってきてポケットから取り出したら「あなた!メモなんて取ってる暇ないでしょ?!こんな簡単なことすぐ覚えなさい、メモ取ってる暇なんてないです!ここは市民の方がたくさん来られるんですよ?体験しながら覚えていきなさい」と注意され、メモを取らせてくれませんでした。介護窓口は他の窓口に比べてそこまで忙しい窓口でも無かったと思いますが。その後もずっと「こんなものも覚えられないの?私はあなたにこの間教えたでしょ?」、「あなた、今まで何してきたの?!」と仕事中私を叱るようになりました。市民のいる前で。目の前の腰掛け椅子で待っていた市民の女性がびっくりした顔でこちらを見ていました。もう一人、待っていた介護施設の社員の方も気の毒そうに私を見ていました。ほっんとう〜にバカじゃないっ?!とフロアに響く大声で叫ぶお局「あなた、何っ回言ってもわからないのっ?!ほっんとうにバカだね!」とキレて怒鳴られました。フロアは市役所なのでとても静かな場所です。シーンとした場でお局の怒号だけが響いていました。周囲の職員は無味無臭な雰囲気を漂わせていました。「こんな人だと皆避けるよね」と思っていました。でもだんだんエスカレートしていくお局に流石に私もこたえてしまい、涙が溢れてトイレに駆け込む始末。辛かったなあ〜。あの時。そのお局は実はシングルマザーでした。晩年離婚したそうです。子供は一人いて地方国立大学の男子大学生で一人暮らしをしていました。仕事中は鬼のように怒鳴るのに、休憩時間は猫撫で声を出してとても優しく接してくるお局このお局は休憩時間はとっても優しいのです。声色も気持ち悪いくらいに猫撫で声を出して私に優しく上品に接してきます。お昼休憩は優しい人なので「お子さんどこの塾行ってるの?どこ目指してるの?」と色々聞いてくるので私もバカ正直に「◯◯という塾(有名)で塾代がかかるので私のパート代で払おうとパートはじめたんです。志望校は某高校(私立最難関)です」と答えました。もしかしたらそういう内容がお局にはマウントと受け取られたのかもしれないなとそれも退職してからふと思いました。そして仕事になるとお局は豹変してパワハラばかりして厳しい躾&要求をしてきました。飴と鞭が上手なお局でした。まるで何かの団体に入ったのか思うくらい、私はそのお局に洗脳されていきました。 怖いのに、「行かなくちゃ」と精神がおかしくなっていった普通なら「こんなパート辞めよう」と思うところなのですが、この時は頭がおかしくなっていました。「行かなくちゃ!」と頭が私に指示してきました。なので、パワハラがある仕事場ってわかっているのにもかかわらず頑張って行っていました。「バカ」と言われても全然気にならない私だったもう一つ、私が怒鳴られながらもしばらく続けられたのはお局が始終口にする「バカ」という言葉にあまりマイナスイメージを持たなかったからです。自分がそんなに賢くないという自負もあり、別に他人から「ばか」と言われても全然気になりませんでした。それよりも怖い顔で怒鳴られる事の方がすごく怖かったですね。でも、私が泣きながらも出勤しようとする様子を見て、流石に夫からも「泣いてばかりいるならやめた方がいい。おかしいよ?」と言われてやっと我に返りました。そしてパートをやめることに決めました。夫が職場に電話して事情を説明、委託先の会社は上司が電話口で「大変申し訳ありません」と謝っていました。その後職場に行くと、その上司がフロアにきてお局に注意をしたようです。それ以降は少しおとなしくはなりましたが、それでもキツい注意は続きました。私より1ヶ月前にこの部署にパートで入ったとても美人な50歳くらいの女性がいた私より1ヶ月前に入った中年女性は市役所の入口で案内係のような仕事をしていました。入り口に立って入ってくる市民を案内する係です。 その女性は背が高くてとても綺麗な人でした。デパートの受付嬢をされていたのかな?と思われる雰囲気を持っている人でした。でも、その女性は上司に若い女性がいて、いつもその女性(若くて可愛い)にきつくしごかれていたようです。この若い子と交代で案内係をやっていました。詳しいことは教えてもらっていませんでしたが、休憩室で「ここ、ブラックだから。やめた方がいいよ」と、その女性はみんなの前で話していました。女性は辞める日、美人な子供を連れてきた その女性は、辞める時に自分の子を付き添いで連れてきました。「ああそうか」と私はその子を一目見てすぐわかりました。市役所の男性陣が皆その10代の女の子を見つめていました。とても綺麗な女の子でした。そのすぐ横で案内係をやってる上司だった若い女性が立っていました。同僚だった皆が「綺麗な娘さんねっ!すっごく綺麗!」と、ちやほやしてその女性を褒めていました。退職する最後の日に、自分にパワハラしていた若い女性に嫌な感情を持たせたかったのかな?と何となく感じました。その数日後、私も退職しました。退職する際は委託会社の上司がわざわざ来てくれて「あの時は本当に申し訳ありませんでした」ともう一度謝りました。市役所の偉い女性の方も一緒に居られて「大変でしたね」と気の毒そうでした。おそらく、私が退職したら市民としてこの市役所を利用することになるので、その理由もあるのかな?なんて思ってしまいました。市役所という場所は住民が直接来られて苦情もあり、それに対応する事が大変な時もあります。私の場合は市民や介護職員からの苦情受付は介護保険窓口だったので、それほどキツいものが無く苦ではありませんでしたが、職場のお局からの叱責の方がきつくて無理な職場でした。
June 2, 2024
チャットGPTに最初は意地悪な質問ばかりして笑っていた夫 夫は「AIを使ってみようと思って」とチャットGPT(無料版)を試しに使いだしました。AIに「君は男性の声だけど、女性の声はできないの?」と聞くと、「すみません、今はこの声しかできません。確かに女性の声は魅力的ですよね」とAIは答えてきました。そして夫が意地悪な質問ばかりすると、AIは突然英語で返すようになりびっくり!「きっと返す言葉がないので英語になったんだろうね」と嬉しそうな夫でした。よくもそんな意地悪な質問、ぽんぽん出せるなあと私は夫の鋭い着眼点に感心しました。 戸惑いながらも、AIは着実に学習してると思うよと夫は話していました。次第にAIを勉強すると言い出し・・・ そしてAIの動画でChat GPTの使い方を勉強しだしました。「AIは何の役に立つの?」と夫に言うと、「今勉強してないと取り残されるよ?AIって今はだいぶなんでもできるようになってきてるんだから。こちらから必要な項目を提出したら会社のプレゼンの資料のヒントをくれたりするんだよ。上司がなかなかOKくれない案件をAIに聞いてみたら、するすると解決策を答えてきたのでこれは上手く利用せねば!と思ったわけ。有料版試しに使ってみようかな」 と新しく熱中できるものを見つけた子供のように嬉しそうに私に話していました。これからはAIも駆使してプレゼンする時代になってきたのかと驚きました。そして翌日、チャットGPTの有料版を買い色々と試してプレゼン資料も作っていました。やっぱり仕事がはかどるようです。専門卒が超エリートを説得するにはAIしかない!上司が高学歴で子供と同じ東京大学卒業後に世界大学ランキング1位の海外大学大学院を出た人なので理論的にどうなのか、データ的に説得しないとOKを出さない人なので大変なんです。感情論やなんとなくの説明ではすべて却下されます。なので、こういったAIによるプレゼン資料作りは理論立てして作りやすいのでかなり手間が省けそうだと夫は話していました。会社にはこういった海外大学大学院まで出た人(外国人含む)も上の立場の人には割といるので「ほんと、こういう頭の良い人を説得するのはしんどいよ。けど、賢い人にはより賢いAIが役立ってる。昨日の打ち合わせもなんとかうまくいった」と夫は言っていました。
June 2, 2024
LinkedInというFacebook型ビジネス向けSNSを夫は使っている 「LinkedInってやつやってるんだけど海外企業からスカウトとか、同業の人からフォローもあるよ。見てみる?」と夫がいうので、野次馬の私は「どれ?」と見せてもらいました。 Facebookのようにコミュニケーションを取りやすい転職、就職や仕事の営業向けのアプリです。海外大手企業の管理職の方からフォローが来たら夫もフォローしたり、スカウトもアメリカ、フランス、アジア企業から来ていました。最近はアジアが多く、明確に「年収いくら出すから来てほしい」と具体的な年収提示もあります。「すごいね!で、英語わかるの?」と聞くと、「え?あんまり分からないけど、要所要所はわかるよ。自分のプロフィール紹介欄とか主な仕事の内容を英語で書いてるからかなあ?日本企業より海外企業の方がコンタクト多いと思う。日本企業は仕事の依頼でもよく来る。海外企業はスカウトとかフォローが多い。日本企業でも外資系の日本にある企業はちょっとだけスカウトきたりするかな。でも、数年前から日本企業もほんの少しだけスカウト来るようになった」と言っていました。 世界で有名な大手企業から転職のオファーが英語で来たのですが、「業績が悪かったら急に撤退して人件費を抑える為に解散したりしてる事例(レイオフ)があるから行かない 」とお断りしていました。別の日は、外資系大手企業の日本支社に勤めている外国人の方から「コアメンバーとして採用したい」と日本語でお誘いがありました。 何度か「すごく大きなところだし、転職したら?」と勧めても、外資系企業に転職する時は夫もかなり躊躇するようです。「今の会社でいい」と現状に満足しているので、他の企業への転職は考えてないと話していました。 英語でプロフィール紹介文を載せているせいもあるかもしれない夫のプロフィールや仕事の内容は全文英語です。今までの経歴や何をしてきたかを書いています。会社の同僚(外国人)にわからないところは教えてもらい、書いたそうです。LinkedInは世界中の企業と繋がっているので海外展開されたい方にも良さそうですね。外注や営業など仕事の依頼で使われることも多いですが、 日本企業のサラリーマンの方も海外企業に挑戦しようと思われる方はLinkedInがお勧めです。
June 1, 2024
町の中に携帯工場があった今はないかもしれない、携帯工場です。「珍しいな」と思って面接に行きました。適性検査があり、「すごい!」と褒められ即合格です。私はどうも、ぱぱっと正確に物を所定の位置においたり、シールをはったりするのが得意なようです。「こりゃ、時給上がるかな」と最初から期待大。時給は高くなかったけど、働いている方々が愛想のよい人達だった時給は890円でした。民度が下がると思いきや、ここは意外と常識ある人が多かったです。元ヤンの女性も割といましたがなぜかそのうちのひとりが、言葉遣いがとっても綺麗な標準語を話されて、あまりの上品さに驚きその人間性に私は魅力を感じました。びっくり!なぜか上品な標準語で話す、元ヤン。タバコもスパスパ喫煙室に行って吸うけどとても所作がエレガントで女子力がかなり高い人でした。見た目はとても派手なのですが。こんな元ヤンっているんだと感激しました。その人は対応も柔らかで優しかったですね。あまり人と揉めるのが好きではない感じの人で、もしかしたら夜の商売をされてたのかな?とも思いました。他の人も元ヤンで美人な人がいたのですが、気さくで向こうから話しかけてきてくれて一緒にご飯食べよう!と言ってくれました。この人もタバコは吸います。旦那が自衛隊勤務だと言っていました。そんなにお金に困ってはなさそうな感じでした。仕事は意外と過酷組み立ては一人で黙々とするのではなく6人チームで並び、連帯です。なので、一人が遅れたり、部品を間違えると大変になります。前後の人に迷惑をかけてしまうので神経をつかいます。なんでこんな流れ作業にしてるんだろう?時代遅れの、と思いました。部品をなくしてしまった!大変!自分がヘマをしてしまったこともありました。部品を一つなくしてめちゃくちゃ怒られました。あんな極小部品、誰だってなくすのになと思いましたが、謝りました。その会社の管理部門の人と思われる女性リーダーも元ヤン結局、たったその一つのミスだけでグループから外されてしまい、眠たくなるような油塗り作業しかさせてもらえなくなりました。そのほか、喫煙所の壁から煙がすごく漏れていて工場内にも蔓延、商品に煙がかかってるんだけど商品の品質は大丈夫?というような仕事場でした。私は大病をした後のパート勤務だったので、健康にも悪いから「やめよう」と決めて3ヶ月で辞めました。
May 30, 2024
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