仏教,2月堂のお水取りは景教(基督教)の


を研究したマリオ・マレガはこの行法の中に
景教の儀式に類似したものがあると指摘しています。
 僧侶によるいくつかの声明(しょうみょうと読みます、声楽曲)がありますが、
ユダヤ・基督教的賛歌に似ています。

 私も数回お会いしたことのある川瀬勇氏は著書のなかで
「一般の仏教には、やや抹香臭さ、暗さ、陰鬱さが伴うもの
ですが、御声明には少ない、そして驚くなかれ
そのメロディには、古いユダヤ教の賛歌やグレゴリアン・
チャント(ゲレゴリア聖歌)に似たものがあるので、
私はド肝を奪われる思いをしたのです。」と述べておられます。

またの機会に景教のことも皆さんに知ってもらいたいと
思っていますが、この「お水取り」の行事は、
人間が日頃犯している数多くの過ちをご本尊の前に
ざんげし、罪障の消滅を願い、見をきよめ、もろもろの
祈願をこめるという「悔過」(けか)の法要なので、
これは基督教の「悔い改め」と同じ概念でしょう。

 聖武天皇はまた、各地に「国分尼寺」をつくりましたが
別名「滅罪の寺」と呼ばれています。
こうした「罪」の概念や「悔過」などは
もちろん本来の仏教的概念ではありません。
これは景教からきたものなのです。

 日本中に今、仏教と思われる行事の多くは
景教を土台としたものがあるということを
日本の人たちが知るなら、もっと基督教に
親しみをもつと思うのですが、内面の
もつ力がこの世に現されているのは、
世界的に見てやはり基督教でしょう。
結婚式だけの宗教や、葬式だけの宗教と
なり下がったところから
脱皮するときがきているように思うのですが
どうでしょうか?

 牧師は大嫌いと言った私のかかりつけの医者は先日、
「マザーテレサは私の大尊敬する人です。」
と述懐しておられた。



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