いろは歌の謎

ろはにほへ
りぬるをわ
たれそつね
むうゐのお
まけふこえ
さきゆめみ
ひもせ

歴史をめちゃくちゃにして
勝手に解釈する人は、
そこかしこにいるものです。
反論すべきはすべきでしょうね。
でも聖徳太子は和をもって尊しとせよ、と
日本の心意気を言いましたので、
黙っているのも反論ですし、やっかいなのは賛成と採られることでもあります。

さて、この歌を7つづつ区切りその端を読むと
いちよらやあゑ、とかなくてしす
となります。
これは、景教徒(原始キリスト教徒で東方へ宣教)
が読んだと言われています。

いちよらやあゑ は、イーシ・エル・ヤハウェ
でヘブル語だとすると、「神ヤハウェの人」で
とかなくてしすは 、咎なくて死す、となります。
また歌の端だけみると「いえす」となります。

7文字に区切ると文の流れから見ると不自然です。
でも古来いろは歌は、7文字で区切って記されていたのです。
1079年の「金光明最勝王経音義」に記されたいろは歌は7文字で7行
で記されています。

 平安時代などには、歌人の間にこのような
暗号あそびが流行していました。
折句です。

例:紀貫之の歌
小倉山 美立ち鳴らし 鳴く鹿の
へにけむ秋を 知る人ぞなき(古今集 巻十)
これを五七調に区切ると

おぐらやま
みねたちならし
なくしかの
へにけむあきを
しるひとぞなき

頭の文字を見ると
おみなへし となります。

暗号を各句の頭におくことを「冠」、
末尾に置くことを「沓」(くつ)といいます。
さらに、頭と末尾の両方におりこむことを、「沓冠」(くつかんむり)
といいました。
例:
  よもすず  し
  ねざめのかりほ
↓ たまくら  も ↑
  まそでも秋 に
  へだてなきかぜ
これは、兼好法師が友人の頓阿法師に
「米(よね)たまえ」(コメください)
「銭もほし」(お金も頂戴!)とむしんしたのです。
これに対して、頓阿法師は
  よるもう  し
  ねたく我せ こ
↓ はては来  ず ↑
  なほざりにだに
  しばし問いませ
でした。
「米はなし」「銭少し」と返答したのです。

さて、本題です。

作者は空海とも言われていますが、
それでも彼は長安で景教に触れていますから
ヘブル語も習ったかもしれません。でも
私は歌の好きなヘブル語を知っているイスラエル人景教徒の
ような気がします。(東の端日本に伝道した初代キリスト教宣教師?)

この句の意味もむしろ景教的です。
不思議はいくらでもこの国(日本)にありますね。

つづく


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