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2006.05.08
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カテゴリ: 悶々
小学校で英語教育を取り入れるかどうかの問題について、
日系フリーペーパーの記事より。

要約すると、


小学校の2年間を加えたってどうなるものでもない。
英語のできない原因は別のところにある。

言葉というのはいくら仕組みや言い回しを学んでも、
肝心なのは「言いたいこと」「語りたいこと」があるかどうか。
器を買っても、中に入れる料理がなければ観賞用のただの飾りでしかない。

自分なりの意見を持つこと、その意見を人前で表明すること、
少数意見を邪険にしないこと、他者への批判や反対はその意見を咀嚼し尊重した上で行うこと、
コミュニケーションのその4つの基本はたしかに日本の教育現場でも奨励されている。
しかしその実現に具体的に努力するよりむしろ、「他人と違わないこと」
「むやみに私見を主張しないこと」「公共の場では黙っていること」のほうがうまい生き方だと、
多くの子供たちが思っているのではないか?

日の丸・君が代問題でもなんでも教育現場でどんどん「NO」ということさえ
できない状況が拡大している。ではいったい何を話せばよいのか?
子供たちにだって、話すことではなく「話さない」ことが奨励されている。』


日本の外国語教育は、もともと江戸末期・明治に先進国の技術を取り入れる事を
目的としていたので、相手とコミュニケーションをとることよりも、
むしろ海外の文献を理解することができる能力を重視した教育になったのだそうです。

たしかに中学・高校の英語の時間に「自分の意見を英語で発表する」なんてした記憶はない。
教科書を読んで訳すか、質問に決められた正解を答えるだけの授業だった。

コミュニケーションのとり方に決められた正解などないのに、

というより、学校で習う「英語」と、コミュニケーションをとるための「英語」とは
まったく別物と割り切ってしまうほうが楽なのかも。。

思い返してみると「習った英語で外国人と話をしよう」などと考えることなどなく
「テストで良い点を取るために」英語を勉強していた自分だった。
(まぁそれでもかなり役にたってる気はするんだけどね。未だうまく話せてないけれども。。)


この記事と同じ様に感じたのが、最近Yahooニュースで知った『新庄の襟付きユニホーム』事件。

新庄選手自身がコメントしている『ファンを楽しませる』よりも『青少年に悪影響』ですか。。

うがってみると、ただ単に自分のコントロール下に置きたいだけなんじゃないの?
新庄も、そして青少年達も・・と思ってしまう。

皆と違う事、目立つ事は駄目。そして変化する事を良しとしない。
少数の意見を尊重せずに大多数の意見が正しいんだ、と押し付ける人達。


(それは別件ですかね。)


ちなみに来週、大リーグ見に行きます!!





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Last updated  2006.05.08 12:48:17
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