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Saltyfish @ Re:マタがず?そして!(05/26) New! いつも行っている湖の吊り橋を熊が歩いて…
どっすん0903 @ Re:マタがず?そして!(05/26) New! 綺麗な青空と青い海~♪ で、熊が出ますか…
Saltyfish @ Re:軽い気持ちで⁈ -_-b(05/24) なるほど・・・味は良くても、ちょっと●●…

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Jan 27, 2010
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カテゴリ: ロック


名プレイヤー達に支えられたロック界随一のセクシー・ヴォイス
その男デイヴィッド・カヴァーデイル。
 1976年のディープ・パープル解散後、他の歴代メンバー達と違い、カヴァーデイルだけは元ディープ・パープルという肩書きを利用しなかった。
こういうビッグなバンドを経験したプレイヤー達は、有名バンドに入るか、知名度の高いメンバーを集めてニュー・バンドを結成するものだが、彼の場合はソロとなり裸一貫からスタートしようと決意するのだった。
 78年には、2枚のソロ・アルバムに協力してくれたメンバーらとホワイトスネイクを結成。・・・静かなスタートであった。メンバーもカヴァーデイルと元パープルのリーダー、ジョン・ロード以外ほとんど無名の6人組で、ブルースを基調とした地味なものだった。
ホワイトスネイクの場合、カヴァーデイルのソロ・プロジェクト的な面が強く、"オルジナル・メンバー"といってもあまり意味はない。
 同78年、アルバム「トラブル」を発表し、ホワイトスネイクは正式デビューした。
翌79年には、シングル「Snakebite」を発表し、セカンド・アルバム「ラヴ・ハンター」を発表するが、いずれもカヴァーデイルのルーツ・ミュージックであるブルースの影響を色濃く反映したソロ的な内容になっている。
しかし、この年の暮れ、元ディープ・パープルの Ian Paiceイアン・ペイス (ds)の加入によってディープ・パープルの再結成かと騒がれ出し、脚光を浴びるようになると、ホワイトスネイクも正式な形態を整え、1つのバンドとして歩み始める。
 80年には、イアン・ペイス参加後初の話題アルバム「Ready An' Willing」をリリースして一気に知名度をあげると、日本ではこの中からのシングル「フール・フォー・ユア・ラヴィング」のヒットも生まれ、しだいに人気を博すようになっていった。その後もこのメンバーで、ライブ・アルバムとスタジオ・アルバム「カム・アンド・ゲット・イット」をリリースし、シングル「ドント・ブレーク・マイ・ハート・アゲイン」は81年全英1位の大ヒットを記録、同年来日公演も果たしている。このように日本とヨーロッパではすでにビッグ・ネームの仲間入りをし順調に活動していた。しかし82年、次のアルバム「セインツ・アンド・シナーズ」をめぐってミッキー・ムーディーがプロデューサーと衝突し脱退。ホワイトスネイクはバンド活動を休止せざるを得ないという初めてのピンチにたたされる。そしてそのまま2年の月日が流れたが、その間にカヴァーデイル、ミッキー・ムーディ、ジョン・ロードの他はメンバーが入れ替えられ、新たにアメリカのゲフィン・レコードと契約した。(ちなみに「セイント・アンド・シナーズ」には、名曲「Here I Go Again」のオリジナル・ヴァージョンが入っている。)
80年代最も輝いていた古典的ハードロック・バンド
 そして84年、アルバム「スライド・イット・イン」をまずヨーロッパと日本でリリース。この時のメンバーにはロック界の風来坊という異名をとる強力な助っ人 Cozy Powellコージー・パウエル (元JBG~レインボー~MSG/ds)や Mel Galleyメル・ギャレー (元トラピーズ/g)、 Colin Hodgkinsonコリン・ホッジキンソン (元アレクシス・コーナー/b)を加えていたが、レコーディング途中でミッキー・ムーディーが John Sykesジョン・サイクス (元タイガース・オブ・パンタン~シンリジィ/g)に交代、ホッジキンソンが解雇されニール・マーレイ(b)が復帰していたことから、ゲフィン・レコード側はレコーディングのやり直しを要請。それを受けてギターとベースのパートだけ入れ替えられたものをアメリカで後からリリースした。このアルバムではダイナミックでヘヴィなサウンドへと変貌を遂げ、大ヒット・シングルこそでなかったものの、全米でロング・セラーとなり、後にはプラチナディスクに輝く成功を収めた。が、次々と問題が発生する。
この年メル・ギャレーが腕を骨折して脱退。ジョン・ロードがディープ・パープル再結成のため離脱。85年にはコージー・パウエルが脱退したため代わりに Aynsley Dunbarエインズレー・ダンバー (元ブルース・ブレイカーズ~JBG~フランク・ザッパ&マザーズ~ジャーニー~ジェファーソン・スターシップ/ds)を迎え次作のレコーディングを開始した。尚、ギターはサイクスが1人で演奏し、キーボードには Don Aireyドン・エイリー (元コラシアムII~レインボー~ジェスロ・タル)を迎えている。
ところが、途中カヴァーデイルが重症の副鼻腔炎で再起不能かもしれないという状況に陥り、このレコーディングは一時中断し、完成までに1年以上もかかってしまう。その間にカヴァーデイルはメンバー全員を解雇し、87年に3年ぶりのニュー・アルバムを発表する頃には、すでに別バンドと化していた。
この新生ホワイトスネイクの顔ぶれは、
David Coverdale デイヴィッド・カヴァーデイル/ヴォーカル
Adrian Vandenberg エイドリアン・ヴァンデンバーグ/リード・ギター
(元ヴァンデンバーグ)
Vivian Campbell ヴィヴィアン・キャンベル/ギター
(元DIO)
Rudy Sarzo ルディ・サーゾ/ベース・ギター
(元クワイエット・ライオット)
Tommy Aldridge トミー・アルドリッヂ/ドラムス
(元パット・トラヴァース・バンド~ゲイリー・ムーア・バンド)
 実はこのメンバー、シングル「スティル・オブ・ザ・ナイト」のビデオ・クリップ撮影用のために集められたプレイヤー達で、実際にはこのニュー・アルバム「サーペンス・アルバス~白蛇の紋章」では演奏していない。だが、この曲を含むニューアルバムからのビデオ・クリップは素晴らしい出来映えで、MTVでひっきりなしに放映され、セカンド・シングルの「Is This Love」が全米2位の大ヒットを記録。セルフ・カヴァー曲のサード・シングル「Here I Go Again」は見事全米No.1に輝く大成功を収めるのだった。(注・実はこのシングル用テイクは「サーペンス・アルバス~」とは違うヴァージョンで、演奏自体も前のメンバーでも新しいメンバーでもなく、ダン・ハフ(g)、マーク・アンデス(b)、アラン・パスクワ(kb)、 Denny Carmassiデニー・カ-マッシ (元モントローズ/ds)が起用され、後のグレイテストヒッツに収録されている)
 結局このアルバムは全米2位まで上昇し、80年代においてのこういったブルース・ベースの古典的ハードロック・バンドとしては空前の1000万枚を越えるセールスを記録した。
翌88年には来日も果たし、そのまま全米ツアーへと向かうが、ツアー終了後ヴィヴィアンが脱退。後任のギタリストを捜しつつも、もともとリード・ギターであったエイドリアンがいたことから、次作のレコーディングを開始する。
しかし、ここでまた問題が発生する。エイドリアンが腕を痛めて演奏不能となってしまったのだ。そこで代わりに、超人イングヴェイ・マルムスティーン(g)の後任としてアルカトラスで大活躍し、いきなり時の人となっていた Steve Vaiスティーヴ・ヴァイ (元フランク・ザッパ&マザーズ/g)にギター・パートを任せ、89年中にアルバム「スリップ・オブ・ザ・タング」を完成させた。
このアルバムでは、スティーヴ・ヴァイが見事期待に応え・・・いや応えすぎて、すさまじいギター・プレイを炸裂。その結果ギター・ファンには好意的に受け取られたものの、昔からのファンやカヴァーデイルのファンからは避難を浴び、賛否両論を巻き起こした。注目されたという点ではこのアルバムも成功であったというべきなのだろう。全米トップ10にチャートインしたことが、それを物語る。
しかし90年大規模なワールド・ツアーの後、カヴァーデイルの夢のプロジェクト実現のため、ホワイトスネイクの歴史はいったん幕を閉じる。 
 ホワイトスネイク解散または脱退後、メンバーたちの主な動向では、まず92年カヴァーデイルは、あの大物ギタリスト、ジミーペイジとプロジェクトを組み「カヴァーデイル・ペイジ」として活動を開始した。元・ディープ・パープルのヴォーカリストと元レッド・ツェッペリンのギタリストが手を組んだということで、大いに話題になったこのプロジェクトではあったが、ふたを開けてみれば、往年のプレイを惜しげもなく披露するペイジの気迫の前に、カヴァーデイルは萎縮したのか、自分本来の歌唱法を見失い、ペイジのかつてのパートナーであったロバート・プラントを大きく意識したダミー人形のようであった。ペイジとしては、これが引き金となり、ロバート・プラントとのコンビを復活させることになるのだから、このプロジェクトも大きな意味を持つものであったが、カヴァーデイルの方は、あのままホワイトスネイクで活動していれば、少なくてもそこそこの成功は約束されていたはずだったものをフイにし、今まで築き上げてきた評価を一気に落としてしまったのだから、"大きな失態"と言わざるを得ない。
 他のメンバーでは、ヴァイはホワイトスネイクでの活躍などで、一躍ギター界のニュー・ヒーローとなり、ソロ・アルバムをリリースする傍ら、様々なセッションで引っ張りだこになっていた。その他では、イアン・ペイスとニール・マーレイはゲーリー・ムーア・バンドへ移った後、ペイスはブラック・サバスへ、マーレイはホワイトスネイクへ一度出戻り、その後日本が誇るハードロック・バンド、バウワウへ加入し話題となった。
コージ・パウエルはエマーソン・レイク&パウエル(EL&P)を結成し1枚アルバムを残した後、ブラック・サバスへ、その後も"風来坊"のあだ名どおりいくつものバンドを転々とするが、98年自動車で高速道路を運転中事故を起こし、帰らぬ人となってしまった。
元祖風来坊的なエインズレー・ダンバーも、あちこちのバンドを渡り歩き、最近では再結成UFOで、相変わらず元気なところをみせていた。
ジョン・サイクスはブルー・マーダーへ移ったあと、シンリジィへ出戻り、その後自らのバンド、サイクスを結成している。
息づかいまで唄に換えてしまう素晴らしいヴォーカル
一方、本家ホワイトスネイクの方は、カヴァーデイルがペイジとのプロジェクトに失敗した後、94年にエイドリアンとルディを呼び戻し、「Here I Go Again」のシングル録音やカヴァーデイル・ペイジにも参加したデニー・カーマッシ(ds)や Warren De Martiniウォーレン・デ・マルティーニ (元ラット/g)も加えて活動を再開。この再結成ホワイトスネイクは、ツアーを中心に活動し(94年日本公演も果たす)3年間オリジナル・アルバムをリリースしなかったが、それまでバンドに多くの貢献をしながらも、一度もレコーディングに参加できなかったエイドリアンへの気づかいとレコード会社の勧めによって、97年に1枚だけのスタジオ・アルバム「レストレス・ハート」を発表した。
まるで、カヴァーデイル・ペイジでの失敗を自ら笑いとばし、「これが本当のオレさ」と言わんばかりに・・・。その後、カヴァーデイルとエイドリアン2人で来日して、ホワイトスネイクを初期の頃より支えてくれた日本のファン達に感謝を表す意味で、東芝EMIの要請に応え小規模なアコースティック・ライブを行った。しかし、これを最後にあっさりとホワイトスネイクでの活動にピリオドを打ち、カヴァーデイルはソロ活動へと転換していった。
 ホワイトスネイクの残したものは、ヘヴィメタルしか知らない80年代リアルタイム世代に、70年代以前の本物のハードロックを伝えたという意味でたいへん貴重だ。言い換えれば、ヘヴィ・メタルのルーツであるハードロックが、ブルースとロックとの結びつきの中から生まれてきたことを、身をもって体現し、本物の素晴らしさを教えてくれた大人のロッカー集団がホワイトスネイクと言えよう。

いかがてした~これでライブがチョット面白くなるかも?・あっ、すみません、余計でしたね






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Last updated  Jan 27, 2010 10:18:45 PM
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