~はればれといこう~ 子育てはハンディじゃなくキャリア!はたらくを創造しよう。☆cherryの日記。

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出産までの道のり


まあ、安産な方なのでしょうかね。。。

詳しくは 下のページにありますが、状況を抜粋で。

◆長男のとき・・出産までの生活
 出産日:2002年4月9日(火) 21:24 41週0日
     個人産院にて 予定日超過で誘発&カンシによる吸引分娩 

●妊娠発覚
元々子どもが苦手で、夫婦2人の生活が楽しかった私は「子どもなんてしばらく欲しくない」と思っていた。義理の姉に子どもが産まれたとき、「次はあなたね」みたいに親戚に言われることが苦痛でたまらなかった。みんな「まだ出来ていないだけ」と思っているのか、気軽にそんなこといってたけど、笑顔でごまかしつつも「カンベンしてくれ」と思っていた、そんなワタシ。

旦那は子どもが大好きなのでいつでもいいと思っていたみたいだし、積極的に避妊はしていなかったけど、でも「今出来たら洒落にならない」と思っていた。
2人で海外旅行したり、ゴルフに出かけたり、映画を見たり、美味しいものを食べたり、仕事だってもっとしたい、できれば転職とかもう一度大学に入りなおすとか、いろんなしたいことがあった。自分で稼いだお金で女友達と海外旅行したり飲みにいったり、自由気ままにすごしたかった。でも、子どもが出来たらそんなことできなくなっちゃうし、まだまだ自由でいたい、と思っていた。

「子どもが産まれたらきっと可愛いと思うけど、まだまだそんな自分になりたくない」というのが正直なところだったかな。

が!ついにその時はきました。

2001年8月1日 20:00過ぎ 会社にて

もともと生理の周期はだいたいそろっていて、早まることはあってもおくれることがなかった私が、気がつけば数日おくれてた。
残業中、一服しながら(当時は1日1箱のスモーカーでした)そんなことに思いをめぐらせていたら、突然「妊娠したんだ!」と思い至る。もうほぼ確信。
仕事なんてする気にならず、すぐに帰り支度をし、中野サンモールのマツキヨで妊娠検査薬を買って家に帰りました。
旦那の帰りをまっていたのだけどとても待ちきれず、ついに検査薬をOPEN!
そして、、、陽性の証、二本線がくっきりと浮かび上がっているではないか!

「こどもなんてまだいらない」と思っていたし公言もしていた私(旦那側の親戚の前だけ隠してたけど)だけど、自分のこのおなかの中に??と思い始めたとたん、「妊娠していないなんてことがあってはならない」と思い出した。
既にこの子に会うことが楽しみで仕方なくなったのだ。

次の日に病院で検査をしてもらい、妊娠が確定した後、母は私に産むのかどうか聞いてきた。私が子どもが苦手で欲しくないと思っていたから心配だったらしい。
私は「もちろん!なんかわくわくしてきたよ」と笑顔で言えたので、やっと安心できたようだ。

あの日のワクワクは、今でも忘れない。

胎芽から胎児となり、自分のおなかにヒトが宿っていることがはっきりわかった大切な一枚がこれ。

8w1d

●妊娠中の生活(フルタイム勤務時代)
産前6週までは、当時勤務していたIT系企業でフルタイムではたらいてました。妊娠7ヶ月くらいの時、仕事がチョー忙しくて、深夜残業しょっちゅう、終電逃してタクシーとかでした。
毎日毎日パソコンの画面をのぞいて仕事してて、きっと頭こりこりでつまりまくりだっただろうな。

当時、ホルモンバランスのせいか、ピッタが増加してたのか、すんごい怒りのエネルギーが湧いてて、
「なんで妊婦のあたしがこんなに残業してんのさ!」
「まったくみんな仕事しないんだから!」 なんつって、目を血走らせて怒りまくっていた気がします。顔つきも鋭くなって、そのせいもあってか「男の子かしら」なんていわれてた。見事男の子だったけどね、、、。

夫婦そろって残業続き(同じ会社に勤務してました)だったので、一緒に帰りがてら外食ばっかりしてたし、体重も増え、ストレスも増え、すごく体力的にしんどかったかな。検診のたびに体重増加と貧血で指導されていました。減塩生活を心がけようとおもっていたけど、外食ばかりじゃなかなかねえ。
朝も抜きか、スタバによってコーヒーとチョコチャンクスコーンを買ってパソコンに向かい、メールをチェックしながらたべたりしてた。(つーか、こんな生活してたら太るにきまっとる)

健康な妊婦でいるための生活、セルフケア、なんて考えはぜんぜんなかったなあ。。。母親学級も当然参加しませんでした。「平日なんて無理」と当時は思っていたけど、本当は行こうと思えばフレックス使っていったりできたけど、きっと面倒だったんだろう。お役所のやるもんなんて、どうせ当たり障りのない内容だし、本に書いてあるんだろう、なんて思ってて。

そんな感じだったので、精神的にはまあ落ち着いていたものの、体調はよくなかったと思います。西洋医学的には貧血だけだったけど、きっといろんな不具合があったんだろう、と、色々な知識を持った今では思うようになりました。

出産施設は、会社の通勤に便利で、ご飯がおいしいと評判だった個人病院。
今思えば運命的ですが、amigoの近くにある病院、です。当時amigoはまだ羽根木にあったし、子育て支援の民間グループなんてものがあるなんて知らなかったし、amigoに行くようになってしばらくたった頃、明大前に移転するときいて、驚いたものです。これも縁かな。

当時は自然派分娩なんて発想ぜんぜんなくって、母乳育児もまあ当然そうなるだろうし子ども産んだらおっぱいは出るもんだろうって程度だったので、病院探しも今思えばテキトーだったかも。
とはいえ、いちおう「全国産院選びガイド」みたいな本を読んでみたりして、3つに絞って下見に。

ひとつは家の近くの総合病院(至誠会第二病院)、ちょいブランド系で愛育、そして出産した個人病院と見にいきました。
総合病院は、やっぱり病院は病人がいるのでいやだなーとか、待ち時間長そうだな、とか、ちょっと施設が古いなあとか思って、家のすぐ裏といういい条件だったんだけどやめました。
愛育は、環境はいいんだけど、下見のときのナースステーションでの対応がちょっと不親切だったのと、やっぱり通うのが大変だからやめました。
で、最後の個人病院。下見のときに対応してくれたナースさんたちがとっても感じがよくって、お部屋もこじんまりとしてたので、ここに決めよう、とおもい、即決しました。

そういえば、初診は当時住んでいた稲城市の市立病院だったな。
ここはサイアク!市販検査薬で陽性だったから行ったのに、「検査の結果、妊娠していないみたいですけど、ほんとに陽性でしたか?」とか冷たく言われ、間違いないといったら、しぶしぶ尿検査の結果を再確認しに。そしたら「いやあ、すみませんねー、検査係りのチョンボで。妊娠、されてますね」と言われて憤慨したのでした。二度と行くか!と思って早々に転院しました。

そんなこんなで、個人病院にきめたものの、助産院とか自宅という選択はまったくなかった。。。。知り合いの奥様が三人目を助産院で出産され、ぜったい助産院がいいっていってたよ、と聞いたんだけど、助産院=すっごい自然派の人のいくところ  みたいに思っていたので、まさか二人目は助産院で産むことになるとは思ってもいませんでした。

つわりはほとんどなく、食いづわりと眠気くらい。このおかげで妊娠4ヶ月頃から毎月数キロづつ増えて行ってました。たらふく食っちゃあ寝、食っちゃあ寝。糖分が多くて体を冷やす果物もビタミン豊富でいいと思ってがつがつ食べてました。。

妊娠中にしたケアは、、、、鉄剤を飲むこと(ケアじゃない、、)とスイミング、散歩。スイミングと散歩は、産前休暇に入ってからだけど。

出産前は、かなりの数の妊娠・出産本を読み漁ったのだけれど、結局たいした知識は得られなかったのだな、と、その後に実感しました。
つわりもほとんどなく、貧血以外は健康的な妊婦だったので大事に至らなかったけど、今思えば相当無茶してたです。

そして、その後の子育て支援活動やらを通していろいろな情報が得られた結果、2人目ご懐妊後の生活は、まったく違うモノとなりました。

◆長女のとき・・出産までの生活
 出産日:2003年12月26日(金) 14:15  41週0日
     助産院にて大安産。「幸帽児」というおまけ付。

*幸帽児って?
と、よく聞かれるので先に書いておきます。

幸帽児とは、最後まで破水せず、卵膜につつまれたまま生まれてくる子どものことだそうで、取り上げてくださった助産師さんに言われて初めて知った言葉です。
その後インターネットで色々調べたのだけど、多くは低体重時を帝王切開で分娩するときのようで、しかも大体の場合先生が指で破水させるので自然分娩ではあまりないそう。
助産師さんいわく「生命力が強くて縁起がいい」そうなので、考えていた名前も変更し、ムスメは幸帽児から音をとって「コウ」という名前になりました。

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さて本題。
長男を41週0日で出産した時は、色々な下調べをしたつもりだったのに「自然派」とよばれるような分野はノーチェックだったので、後悔とかはしませんでしたが、後になっていろんな情報をゲットし、お産やらなんやら、私が知っていたことなんてホンの一部で本当はもっともっと色々な選択やすごし方があったのだとしり、残念に思っていました。

だから、「2人目が出来たら絶対にいろんな事を試すぞ!」と決心していたのです。

そして、その時は思ったよりも早く訪れました。

●妊娠発覚
2003年4月17日。熱もなく、なにかにあたったわけでもないのに、食べ物が一切受け付けなくなった。うどんやプリンなんかでも、胃に到着したとたんに受け付けず、すべて吐いてしまう。
とりあえず、フラフラしつつも、近所の至誠会第2病院へ診察に行く。
特に悪いところはないみたいだけど脱水症状をおこしているといわれて点滴を打つことに。 その合間に看護士さんがヒトコト
「妊娠の可能性はないですか?2人目の時ってこんな風にわかるヒト多いんですよね」

!!!

「そういえば、そろそろ来てもおかしくない頃ですがまだです。。。生理が再開してから周期が遅くなっていたのでなにも調べてないけど、その可能性はあります」と私。そういえば、2,3日おくれているかも。

今調べてもハッキリしないから、もう少し経ってから診察したらどうですか?といわれたけれど、「これはもしかしたらもしかするかも。。。。」と、確率75%くらいで思っていた。

つい10日前くらいにムスコの1歳のお誕生日を祝ったばっかりだったし、正直「前は年子で欲しいと思っていたけど、もうちょっと息子とゆっくりしたいから、丸3歳近くあいた2学年違いくらいで産もうかしら」と思っていたのでびっくりしたけど、まあ年子も悪くないか。私もおねえちゃんと年子だし、年が近いのもいいよね、と思うようになりました。

その後、検査薬では陽性となり、2003年5月2日に長男を出産した産婦人科で「ご懐妊ですよ、おめでとうございます」の声を聞くことになりました。

●妊娠中の生活(専業主婦 ただし週1~2回はamigoの活動やらあり)

「今回こそは気合をいれて妊娠期間をすごすぞ!まずは体重管理をしっかりして、食事も健康的なものにきりかえて、あわよくば痩せてしまえ!

と思っていた私。
確かに、妊娠4ヶ月頃まではほとんど変わらなくて「シメシメ、、、」と思っていたけど、結局最後は同じ+14キロでした。

でも、
1)アーユルヴェーダを取り入れた生活習慣
2)子どもに合わせた生活(睡眠時間、食事 他)
3)妊婦用のハーブティー常飲
4)適度な運動(といっても子供乗せて自転車に乗るとか散歩に行くとか)
5)夏でも湯船につかっていた(子どもがお風呂大好きだから)
6)旅行(沖縄)

なんかを取り入れ、心身ともに健康さは前回の比較にならず。

また、なによりも「好きなことしかしていない」というもっともココロに優しい生活だったので、本当に妊娠中は穏やかかつワクワクと前向きな気分でした。
子どもが増えたらなかなか身動き取れなくなっちゃうしというのもあったけど、それよりなんとなく「妊娠中にイイコトたくさんやっちゃうぞ~」っていう気持ちが強かったからいろんなことやりました。

妊娠中に始めたことは
1)amigo&イルカのおへそでの活動が本格化
2)世田谷区烏山地区の「女性セミナー」の企画員に応募し、4月~11月まで活動
3)オーラ・ソーマ 初級&中級 受講

くらい。。かな?

おなかの中にいた娘は、それこそいろんなことにつきあわされ、色んなエネルギーを受けたことと思います。

でも、なんだかおなかにいるときから落ち着いた子で、かなりおなかが大きくなるまで妊娠していることを忘れてしまうような、でも、どっしりとそこにいるような、不思議な存在感でした。
妊娠初期に友人のともちゃんにリーディングしてもらったところ、なんか、おなかの中にいることがあたりまえっていうか、すごく信頼関係ができているみたいだねと言われましたが、その言葉を実感として感じ始めたのは妊娠中期以降です。

●助産院 との出会い
amigoのまつださん、amigo顧問の大坪さんのお二人が出産された助産院が、自宅から近いところにあったし、前回誘発&吸引分娩だったので今回は自力で出産を!と思っていたこともあり、出産施設は最初からこの助産院と決めていました。
助産院で産むというと反対する家族もいると聞いていたので、一応旦那にも相談したけど、いいんじゃない?と言われたのでそうすることに。
まつださんに相談したところ、月に数件しか受けてくれないからなるべく早く予約したほうがいいよと言われ、妊娠14週くらい?の時にお電話してみた。

予定日を伝えるとOKとの返事を頂き、ほっと一息。
ケアが本当にいいときいていたのですぐにでも行き始めたかったんだけど、「20週になったら来て下さい」と言われた。

スンゴク待ちどおしかったなあ。

私の全く新しいニンプ生活が始まるのは、助産院に通い始めた頃から本格的になっていきます。

●検診&妊娠中のケア
初診、その次くらいまでは長男を出産した個人病院に通っていましたが、助産院でお産を受けてもらえるという事が確定した後の検診で「助産院に転院」する希望を伝えました。
ひどいところは「そんなんじゃ責任もてないよ!」とかいうお医者さんもいるようですが、そんな感じではなかったかな。看護士さんに伝えたら、その助産院を知っていたようで、「ああ、たつのさんのところ?」とおっしゃっていた。
先生には「いつでも戻ってきていいよ」といわれたんだけど、ま、大丈夫でした。

助産院で出産はするものの、検診なんかは産婦人科でも並行して受けていました。
それは西荻窪にあるところで、助産院からの紹介。
自然派分娩を行える有名な病院だそうで、あっさりとした対応が心地よかった。

でも今までの検診は
●予約してても長いと1時間待ち
●尿検査、体重測定、血圧、超音波、心音、赤ちゃんへのメッセージ吹き込み(恥ずかしい)
●内診
●助産師さんからの指導

という一般的なもので、超音波写真とその様子をおさめたビデオ(私のメッセージ入り)がお土産だったのですが、今回は予約はなしで直接行く。待ち時間せいぜい15分。超音波映像は見るものの写真はくれない。性別も教えてくれない。先生が白衣をきていない(ゴルフウエアの時もあり)というような感じだった。

2人目だし、子連れでいっても負担にならない時間だし、すごくありがたかったです。今回は性別は聞かないでいいって思ってたし。

なんか、信頼できる助産師さんと先生だったので、「よーし!これでOK!」とよくわかんないけど準備万端って気がしてきたのでした。

まあ、本当に色々やり始めるのは妊娠後期なんですけどね。。。。


*** なんだかすんごく長くなってきた。
2人目の妊娠生活は日記にもたくさん書いてあるので、とりあえずこんなかんじ。 よかったら過去の日記を読んでみてください。その方が記憶も新しいときに書いている内容だしね。(といいつつ手抜き)









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