前のパソコンが故障したとき・・・・実は「 観阿弥 」のことを書こうとしていたんです。
室町時代の猿楽師で…息子の「 世阿弥 」と一緒に「 観世流 」の能楽を作り上げた人物ですけどね。
この「観阿弥・世阿弥」の「 阿弥 」って文字から説明しましょう。
前に、「水戸黄門」の「小説もどき」を書いたときに・・・・東海道五十三次を「お江戸日本橋」から旅立たせて、「静岡」まで行きましたね?
途中、「藤沢宿」のところで、「時宗総本山・ 遊行寺 」っていうお寺を説明しましたけど・・・・・
この「時宗」は・・・浄土教の一派で…念仏を大事にした「 一遍 」を宗祖とする教えなんです。
鎌倉時代末期にできたんですが、遊行上人は全国を踊り念仏などで行脚し、仏法を説いたので・・・・・だからそういった文化芸能を生業とする信者が多く・・・・
そんなことで、「 観阿弥 」も入信したのでしょう。
「 阿弥 」は「阿弥陀仏」のことで・・・・・「時宗」の法名(戒名)になってます。
さて・・・・・
ところで「 観世流 」はなぜ繁栄したのかご存知ですか?
実は、室町幕府第三代将軍「 足利義満 」に庇護されたからなんですねえ・・・・・・・
「庇護された」っていうと…「ほう…足利義満は文化を大切にしていたのか」なんて思うでしょう?
そんなもんじゃないんですよ!
「観阿弥の子供」・・・「藤若丸」(のちの世阿弥ですけど・・・・)
噂では・・・・・彼が「足利義満」の愛人だったんですよねえ。
「男同士で…」って、私はそんな趣味はないのですが・・・・当時の戦国武将は、多かったようです。
「織田信長と森蘭丸」のようにね・・・・・
まあそんなことはどうでも良いことなんですけど・・・・・そんなことで「観世流」は繁栄するわけですけど・・・・・・
ところでね…この「 足利義満 」は・・・・室町幕府の開祖・・・・「 足利尊氏 」の孫ですよね。
で…「足利尊氏」のライバルというと・・・・「 楠木正成 」ということになるわけですが・・・・実は・・・・・
「楠木正成」の姉か妹が…この「観阿弥の母親」だって言う話があるんです。
運命のいたずらですかね…・自分のおじさんを倒した男の孫に、庇護されるんですよ?
皮肉なもんですが・・・これだって戦国時代にはたくさんある話しで・・・・・
それともう一つの話なんですが・・・・
「観阿弥の父親」の話しなんですけど・・・・・
「楠木正成の姉妹」を嫁に貰うくらいですから…それなりの人物だというのはわかりますよね?
実は、この父親の領地は「伊賀上野」なんです。
そして・・・・「服部家」の家督も継いでるんですよ。
「伊賀の服部」と言えば、「 服部半蔵 」!
今でも「半蔵門」という地名が残っているくらいの有名な忍者ですが…彼は「服部家」の惣領ではないんです。
別家のまた別家くらいの家柄でね…・たまたま「徳川家康」に仕えて…・「明智光秀」が「本能寺」で「織田信長」を殺した時に…・織田信長の近くまで遊びに来ていた「徳川家康」を逃すという手柄を立てたので・・・徳川家の忍者軍団の首領として重用されただけでして……
ということで・・・・「観阿弥」が「服部家」の息子ということは・・・・もしかしたら・・・
「観阿弥」が猿楽師として全国を回ったのは、忍者としての情報収集のためではなかったのかと・・・・・
伊賀出身の「松尾芭蕉」も忍者で情報収集のために全国を回ったと言われることがありますが・・・・そんなことがあったのかもしれません。
そこでまとめ・・・・
以上…・ナイトの豆知識・・・
嘘とは言わないが・・・・信じるなら半分にしろよ!
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