ここらでちょっと途中下車

ここらでちょっと途中下車

2022.05.30
XML
カテゴリ: 老人医療・介護
早朝病院について、霊安室に安置された義母と対面した。

なるべく午前中に、遺体を運んでほしいので、葬儀社に頼んで欲しいと言う。

それで、小さなお葬式の指定されたセレモニーホールへ行ったけれど、扉が閉まったまま。ここから突然のことで混乱してしまって、記憶がちょっとあいまい。小さなお葬式の人との電話だったのか、セレモニーホールの緊急電話だったのか、今朝亡くなったのでお世話になりたいと言うと、セレモニーホールが使えないので、予定が立てられるまで、自宅で安置させてほしいと言う。どうもセレモニーホールに、遺体を安置するところが無いらしい。小さなお葬式は、遠方の人たちの到着が遅かったら預かると言ってたけれど、安置所に空きがないような気配。敦賀の家は、数年前から水道が使えなくなって、私たちも行った時はいつもホテルに泊まっていたので、そこに運ぶわけにはいかない。私たちは、焦ってしまってとりあえず、他のセレモニーホールを探すことにした。

早朝で閉まっているところもあって、2軒目だったと思う。アスピカホールと言うセレモニーホールは、女の人が対応してくれて、すぐに相談にのってくれた。2階の和室二間にダイニングキッチンが付いた部屋が、家族葬専門に使っていると部屋を見せてくれた。こじんまりと落ち着いた部屋。
その人が、テキパキと、いろいろしなければならないことを教えてくれた。
宗派は曹洞宗だけれど、2年前にお墓と仏壇を移して離檀したことを言うと、曹洞宗ではなく宗派にこだわらない僧侶の方がいいだろうと言う。お通夜もお葬式も俗名で行い、四十九日までに大阪で戒名を付けてもらった方がいいだろうと言うこと。それで、違う宗派の僧侶を頼んでくれた。遠方なので、明日のうちに帰られるように、火葬は明日の朝早くを頼みましょうと、死亡診断書を渡すと火葬許可書などの手続きをしてくれることになった。
後のことは遺体を運んでから、打ち合わせをすることにした。
病院に戻ると、義妹夫婦が来ていた。



明朝、朝9時半の火葬を予約してくれていた。それで、お通夜は午後4時から。葬儀は明朝8時から。祭壇の種類や、おくり湯や着物をどうするか聞かれた。壊死したところがあって、身体に包帯を巻いているところが多かったので、おくり湯は断わった。着物は、敦賀の家にまだ新しい着物が何着かあったので、それを着せてあげたいとお願いした。
甥夫婦が来たので、義妹の夫は一緒にホテルに泊まることにし、私たち夫婦と義妹の3人でセレモニーホールに泊まることにし、寝具や食事の手配もした。
納棺するときに入れたほうがいいものも、教えてくれた。いつも履いていた介護用の靴や、いつも持っているバッグ、補聴器、ブラシなど。物を入れるのを禁止している地域もあると思うけれど、敦賀は割と自由で、日ごろ使っていたものを入れてあげたほうがいいと言う。

遺影用の写真がいると言うので、写真屋さんに寄ってから、敦賀の家に着物を取りに行った。娘が結婚するときに一緒に作ったようで、仕付け糸のついたままの着物が何枚かあったので、小紋と紬の着物と、絞りの羽織の3枚を持って行った。
担当の人は、こんな良い着物を入れるんですかと言うけれど、義母は小さい人だったので寸法も合わないし、義妹も私も着物はいらない。米寿のお祝いに娘があげたフェイラーのバッグが気に入って、施設でも愛用していたので、その中に小物を色々入れてあげた。

遺影も大きく焼いて額に入れてくれて、4時からの葬儀は、私たちと義妹夫婦、甥夫婦と、義母の姪二人の8人で。敦賀に住む姪二人(ダンナの従妹)は翌日の朝の葬儀にも来てくれた。
施設に長く入っていたので、ご近所との付き合いもほとんどなくなり、他の親せきは高齢なので、後日知らせることにした。

夜は義妹と3人で泊まったけれど、お風呂にも入れたし、久しぶりにいろいろ話もできた。
僧侶は、枕経とお通夜と葬式、そして火葬の前にも計4回、読経してくれた。浄土真宗のようで、宗派は違うけれど、とても丁寧にお経を読んでくれて、いいお通夜とお葬式だなあと思えた。
色紙を渡されて、8人でそこに義母に贈る言葉を書き、一緒に納棺した。
火葬場で、お骨ももらって全て終わったのがお昼過ぎ。

僧侶の支払いは別にして、40万円ぐらい。小さなお葬式と変わらないぐらい安かった。
葬儀後の手続きなど、またいろいろなことを教えてくれて、最後までとても親切だった。
その後、私たちは市役所へ行って、諸手続きをし、その日の夜大阪へ帰った。

急なことで、うちの息子や娘たちも来れなかったけれど、すごくいいお葬式だったなあと思えるし、好きな物に囲まれて旅立ったお義母さんも喜んでいるんじゃないかなあと思えたのが嬉しかった。義父の命日の翌日で、やっぱりお義父さんが迎えに来たのかなあと思ったりした。

義母の戒名は、四十九日の前に、地元の曹洞宗の僧侶が付けてくれた。


でも、私たち夫婦は死んでからでも差別性の残る戒名には反対で、二人で俗名の位牌を作ろうと話しているけれど・・・

小さなお葬式は使えなかったけれど、調べたら今は違うセレモニーホールになっている。
霊安室が埋まってるって、特別なことだったかもしれない。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.05.30 23:32:18
コメント(12) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: