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昨日の続きだが老人ホームに文句を言うにしても・・・母や親戚が持ち込んだ花瓶であれば、文句の言い方が違うので、老人ホームに聞いた。「あの花瓶や花は母が買ったのですか、どうしたのですか?」と。その返事は・・・・なんと・・・「敬老の日に配ったものです」という。手足の自由が完全でない老人の部屋に、背の高い一輪挿しを持ち込めば、どうなるのか、分かるだろうに。何という感覚なのだろう。第一、誰が配ったのか? 市か? 老人ホームなのか? これにも直ぐに答えられないスタッフたちだ。老人ホームに、「花が枯れていたこと」、「ノートが張り付いていたこと」、を伝えたら、いつの間にか花瓶が部屋からなくなっていた。いつか機会を見て、「あの花瓶はどこへいったのですか? 誰の所有物なのですか?」と尋ねようと思っている。こんな文句を言う「保護者」は他にいないのだろうか?老人ホームに入れれば、それで終わりと思っている「保護者」ばかりなのだろうか。ん?・・・私の姉弟はどう考えているのだろう・・・・??
2007.11.22
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母の部屋に見たことのない一輪挿しがあった。水がなく、花は枯れて、テーブルに花びらや葉が落ちていた。母に「この花瓶、どうしたの?」と聞いても、「知らない」と言う。親戚か姉弟のだれかが持って来たのだろうか?母は記憶の回路が働かない。花瓶の花が、なぜ、枯れているのだろう・・・と思ったら、すぐに答えが分かった。母が、花瓶を倒したのだ。多分。そして、その水がテーブルにこぼれ、テーブルの上にあったノートを濡らし・・・それが乾いて、ノートがテーブルに張り付いている。こぼした水が乾くには、2~3日かかるだろう。その間、老人ホームのスタッフは気づかなかったのだろうか?どうにも気に入らない。
2007.11.21
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最近、母のいる老人ホームに注文を付けている。それは、難しい注文ではない。部屋の床がベタベタしているので、拭き掃除をして欲しい、シーツが汚れたら取り替えて欲しい、換気扇が目詰まりしそうだから掃除をして欲しい、という、お願いだ。これらは、こちらから言わなくても、当然になすべきことだ。言われないと気づかないことではない。こう言うと、慌ててやる。ま、やらないよりはいいのだが、なぜやらないのかと怒りを感じる。母のいる老人ホームも人手不足のようだが、それは理由にならない。私のような「保護者」のいない入居者はどうなっているのだろう?手を抜かれているのではないかと思う。
2007.11.16
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老人ホームの母の部屋で大相撲を見た。私自身は見ないTVだが、母の所へ行くと、刺激を与えるためにTVを点ける。母は、画面に表示される力士の名を読んだ。私には読めない力士の名だったが、記憶のどこかに力士名があるようだ。その九州場所だが、観客が少ない。枡席相当部分以外は空席も同然だ。いい加減なことをしていると、こうなる・・・という見本のようだ。
2007.11.14
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昨日の日記の続きを・・・・老人ホームにいる私の母は、嫁(私の妻)に聞こえるとも知らず、「嫁は信用できない」と言ってしまい、これを聞いた嫁が怒ったのだが・・・・私が嫁に・・・・「ごめんね」と言えば、あんたが謝ってどうなるの~~「相手はボケ老人だから」と言えば、だから傷つくのよ、あれが本心なんでしょ~~「ふん、ふん、その通りだ」と聞き流せば、あんたは何も分かっていないのよ~~と、どう反応しても、怒られる。その時々の怒りの周波数を読みながら、色々と言い訳を試みるのだが、大概は失敗する。こんな私の立場を、私の姉弟は分かっているのだろうかと思う。いやいや、分かるはずがない。これが、相続争いの原点であることを、姉弟は気づいていない。
2007.07.05
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昨日、家に帰ったら、嫁さん(妻)が怒っていた。「浮気がバレたはずはない」し、「朝帰りしたはずはない」し、「ヘソクリをかすめたはずはない」し・・・・思い当たることはない。いや、理由は決まっている。いつものやつだ。老人ホームにいる、私の母から電話があったのだ。母はいつも、私を名指しで電話をしてくる。「この時間は仕事だからいない」と嫁が答えても、いつも平日の日中に電話をしてくる。そこで、嫁が用件を聞くと「直接話をするから」と言われてしまう。昨日は、老人ホームのスタッフが電話をしてきたようだ。私がいないので、「お嫁さんではダメなの?」とスタッフ嬢が母に聞いているのが、電話の向こうで聞こえ、「嫁は信用できないから」と母が答える声が聞こえたという。ああ~~~あぁ・・・又だ・・何年も嫁の世話になっておきながら・・・これだ!嫁の怒りを静めるのに、2週間はかかることだろう・・・・・
2007.07.04
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老人ホームのドリル風答案の、もう一枚は、漢字の読み。昔の人なら誰でも読めるであろうと思われる漢字が並んでいる。20問程あり、母ができなかったのは、白粉(おしろい)、所謂(いわゆる)、鷹揚(おうよう)。近年は字を読まず、文章の中の漢字ではないので、できなかったのだろう。そして、私もできなかったのが、、「渾名」、「大童」。これらは、私は、初めてお目に掛かった漢字だ。あだな(こんめい)、おおわらわ、・・・・家に帰って、辞書を引いた。母に教えに行こう・・・知ったかぶりをして・・・
2007.05.26
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老人ホームにいる母の所に行ったら、昔懐かしい「ドリル」のような答案用紙があった。お遊びの時間に、ワイワイがやがやと、問題を解いたようだ。1枚は算数。前半は、1ケタと1ケタの足し算で、横に算式が描いてあるから、暗算しろ、ということのようだ。母は、10問中、10問できていた。後半は、2ケタと1ケタの足し算で、母は、半分しか書いてなく、そのうち正解が3問だけだった。いずれも答は繰り上がりのない簡単なものだが、85歳には難しかったようだ。どんな顔をして、ホームのご老人たちはこの算数をしたのだろう?その現場を見たい気もする。
2007.05.25
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老人ホームの母の部屋にある月めくりのカレンダーの絵柄は、七福神だ。水着のお嬢さんでは寒そうだし、犬や猫はあまり好きではないし、日本庭園では味気ないし、帆船や機関車には興味がないし・・・で、選んだものだ。よかれと思って選んだのだが、最近、七福神ではあまりにも変化がないことに気づいた。五月は、布袋様たちが鯛を釣り上げている絵柄。ビキニの弁天様がいるわけではないし、スキーをする布袋様がいるわけではないから、毎月、変わらない衣装と、変わり映えのしない絵柄となっている。今からでもカレンダーを換えようかと思う。どうせのことなら、5月はアニメ、6月は花、7月は機関車、8月は美女、9月は富士・・・と、毎月絵柄がとんでもなく変化するモノのはどうだろう。そんなカレンダー・・・あるのかな?あったら、我が家にも欲しい。
2007.05.02
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老人ホームの母の部屋には、日めくりと、月めくり、の2つのカレンダーがある。最低限、日めくりくらいは毎日破いて欲しいと思うのだが、日にちが合っているのは1割くらいで、2日前のままだったり、3日後になっていたりする。昨日は(4月30日)は、5月7日になっていた。そして、月めくりの方だが、これは、私が破いてくる。月が変わったのが分からないのだろうか、月めくりは見ていないのだろうか。快適な老人ホームでの生活なのだが、快適すぎて、日にちに関係がなくなっているのかもしれない。私も、このようになっていくのか・・・仕方のないことなのか・・・・
2007.05.01
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母が老人ホームに入って1年が過ぎた。当初よりは回数が減ったが、母から時折電話がある。母は、自分でダイヤルすることはできない。ホームの事務室から、スタッフの手を借りて、電話をしてくる。先日も電話があった。だが・・・母の声は聞こえるが、こちらの声が母に届かない。いくらこちらで大きな声を出しても、「誰もいない。何も言わない」と言う母の声が聞こえるだけだ。母は片方の耳の聴力はゼロだ。受話器を当てる耳を間違ったに違いないのだが、それを聞こえない母に言ってもだめだ。ホームのスタッフは、母の聴力を知らないようだ・・・・だが、どの程度聞こえるのか、どちらの耳が聞こえるのか、それを知らなければ介護も補助もできないはずだ。そんなレベルのスタッフ教育なのだろうか?「耳を代えてみて」やっと気がついたのか、スタッフの声が聞こえた。「あっ、聞こえる。電話に出た」とうれしそうな母の声が聞こえた。
2007.04.02
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「老人の施設で、縛った、檻に入れた」、との報道が少し前にあった。報道は、「あってはならないこと」、と訴えている。 だが、そんなきれい事を言っていていいのか、と思う。母親を老人ホームに預けている身ゆえに、言いやすい部分があるので、言わせてもらおう。 母は去年、2回、二つの病院に入院した。そのいずれもの病院でも、母は、拘束された。点滴の管を外してしまうから、という理由からだ。 拘束されている母の姿を見るのはつらかった。見舞いに行っている間はそれを外すのだが、帰る時は元に戻さざるを得なかった。それは、涙が出るほど、つらかった。 しかし、それ以外に方法はないのだ。家族が24時間付き添うのは不可能だし、病院にそれを頼むのもむずかしい。 病院では老人介護はしていないから拘束していいということではないだろう。病院はOKで、老人施設では拘束してはならない(無認可だから許さない)という違いが分からない。1対1で介護できる状態にはないし、痴呆がすすんだ老人にまともな理性は期待できないのだから、時には拘束があってしかるべきだ。 きれい事を言っていたら、老人介護は頓挫してしまう。現実を理解しなければならない。
2007.03.30
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先月、母のいる老人ホームの入居で88歳になるご婦人からバレンタインの贈り物をいただいた。 以来、ホワイトデーのお返しをどうしようかと、色々考えてきた。まさか、下着・・・というわけにはいかないし・・・マシュマロでは、ノドに詰まらせる心配もあるし・・・固いモノでは噛めないかもしれないし・・・ 結論は、写真集と柔らかい「おこげせん」。写真集は、巽宏安さんの「桜行脚」。桜の花が溢れる素直な写真集なので、暫くは見て楽しめると思う。「おこげせん」は、昔懐かしい醤油味の柔らかいオコシ風の煎餅。入れ歯の母もパリパリと食べられる柔らかさだ。 それを、きのう、手渡してきた。「ホワイトデーのお返しです」と言うと「ホワイトデーは来週14日でしたね」としっかり覚えている。私の母には、バレンタインの「バ」も、ホワイトデーの「ホ」もない。元気でしっかりしているお年寄りが羨ましい。
2007.03.11
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母がいる老人ホームには、“知人”がいる。それは、老人ホームのスタッフさんではない。 入居者だ。 老人ホームを訪問すれば、入居者とそれなりに、顔見知りになり、挨拶を交わすようになり、言葉を交わすようになる。そんな“知人”が何人かいる。そのような中、88歳のおばあちゃんに「バレンタインだから」と、頂き物をした。 予想外のことで、面食らったが、ありがたく頂戴した。が・・・が・・・、私の母(85歳)に、この様な心があるかというと・・・まったくない。おそらく、バレンタインも忘れただろう。 仮に知っていたとしても、入居者を訪ねてくるヨソのせがれに、贈り物は、しない。絶対に・・・しない。特に最近は、お金を使うことを、極端に嫌っている。 老人ホームのスタッフさんに聞けば、88歳さんは、私が来るのを待っていたという。ありがたいというか・・・こんな私を待っていてくれるとは・・・責任のようなものを感じる。 88歳でバレンタインの贈り物。こんな年寄りになりたい。 ホワイトデーのお返しを・・・どうしようか?何にしようか・・・・???・・・まさか・・・下着・・・リハビリパンツじゃなあ~~~
2007.02.07
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老人ホームの母を訪ねたら、部屋にあるリハビリパンツ(早い話が、紙おむつ)の箱が増えていた。 今まで、「こんなに買い置きしなくてもいいんじゃないの」、と思ってきたが、必要以上に老人ホームに文句を言いたくないので黙っていたら・・・30枚入りの箱が、手付つかず状態で、3個になった。 これは異常だ。残り数枚になったので、新しい箱を持ってきた、というのなら分かるが、3箱は異常だ。狭い老人ホームの部屋に、開封したものを含めて、100枚を超すオムツだ。 老人ホームのスタッフさんに言ったら、「どうなっているんでしょう。分かりません」という返事。「売る程ある、というのはこのことだね」・・・と言うも、「分かりません」と言うだけ。 そこで、施設の責任者に聞いた。「市から送られてくるんです。納入は業者がします。私たちは受取の判を押すだけです。ですから、どの部屋にどれだけのオムツがあるのか、把握していません」という回答だった。無料だからいいだろう・・というニアンスだ。 冗談じゃない。 業者とグルになって、現品を送ってくる市もいい加減だが、それを、そのまま老人ホームの狭い部屋に運び込ませる施設管理者もいい加減だ。何も考えていない。 世の中狂っている。なぜ、必要もないオムツを送りつけるのだ?なぜ、老人ホームはそれを断れないのだ? 「税金の使い道」以前に、世の中、基本が狂っている。
2007.02.06
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年賀状を整理した 今年の年賀状は、何年かに数枚ある 差出人の記載がないもの、 通信面の記載がないもの、はなかった。 が、ユニークなのがあった。それは・・・同一人から2通届いたこと。同一人から年賀状が2通届くことは、たまにあるが、今年のは単純な重複ではなかった。 1通は、普通の年賀状で、普通の年賀の文面で、元日に届いたもう1通は、松が取れてから、私製はがきで、元日に届いた賀状と同じ文面が印刷してあり、手書きで「1月1日に娘の所に引越し、年賀のあいさつが遅れました」と書いてある。 1通目を出した時、つまり、年賀状の受付が始まった12月15日には、引っ越す予定はなかったのだろうか?元日に引っ越したなんて(千葉から広島)、引越業者がいたのだろうか?年賀状を出したことを忘れるほどのことがあったようだ?何があったのだろう?? 大晦日にダンナと大喧嘩をして、元旦に家を出たのだろうか?年賀状には、電話番号が書いてあるのだが、人妻ゆえに、電話は遠慮している。
2007.01.16
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元日に、老人ホームの母を訪ねた。 老人ホームにいる母に「今年は、外国にいかないの?」と聞かれた。確かに、数年前までは、正月、GW、お盆休み、と・・・・全国的に休みモードの時には海外を旅行していたから、この質問はまとはずれではない。 だが、母の調子が悪くなってからは、長期の海外旅行はしていない。「あなたを置いて外国で正月はできないでしょう」とも言えず、黙っていたが、母は何を思って「外国にいかないの?」と聞いたのか、考えてしまった。 私なら心配はいらない・・・と言いたかったのか 最近お土産がないねえ・・・と言いたかったのか 絵葉書が来ないねえ・・・・と言いたかったのか いずれにしても、母が元気になった証拠である。 そうか・・・今年は・・・母のために、お土産を買いに・・・絵葉書を出しに・・・外国へ行こうか・・・!!!
2007.01.02
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昨日の大晦日、母がお世話になっている老人ホームに行ってきた。何人の入居者が家に帰っているのか・・・・私の母だけが老人ホームで正月を迎えるのでは申し訳ないと思い・・・聞いてみた。 家に帰ったのは、1割弱の人だけ・・・と聞いて安心した。家に戻らなかったのは母だけではなかった。やはり、どの家庭でも、介護になれていない家族と家の設備では、老人を迎え入れるのは大変なのだろう。 大晦日も正月も返上のホームのスタッフさんには感謝である。スタッフさんにも、家族も家庭もあるのに、他人のために・・・ほんとうにありがたいことである。 正月の御神酒をいただく前に、母のいる老人ホームの皆さんに挨拶に行ってこよう・・・・
2007.01.01
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昨日の日記の続きだが、「来年が亥年だよ。それで、私が亥年なのは知っている?」と老人ホームにいる母に聞くと、「多分そうだったね」との返事。 「それでは、亥年の私は、来年何歳になるでしょう?」と聞いてみた。母は「子丑寅・・・・酉戌亥」と十二支を、すらすらと言ってはみたが、自分のせがれが何歳になるのかは分からない。 「亥年が一回来ると12歳でしょう、次は24歳でしょう・・・」と誘導してもダメだった。自分の子供が60歳になるとは思っていないようだ。 明日は我が身。私自身も母のようにボケていくのだろう。20数年後、我が子に同じことを言われるのだろう・・・・「来年は亥年よ。しってるぅ」と。
2006.12.20
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老人ホームにいる母を訪ねたら、このように、小さな色紙にイノシシの切り絵を貼ったものを見せてくれた。お遊びの時間に作ったのだという。 粗末な出来ではないので、スタッフの皆さんが切ってくれた紙を、母が貼っただけだろうと思ったが、スタッフさんに聞くと、母が紙を(線に従って)切ったと言う。ハサミを使う手先は、まだ、健在のようではあるが・・・・切り絵の出来映えは、スタッフさんのアシストの結果ではないかと思う。 母は、「亥年はもう直ぐ終わるから、こんなの作ってもしょうがないんだよ」と言う。おいおい・・「亥年は来年だよ。だから今、これを作ったんじゃないの」と言うと、「そうだっけ」の返事。 ハサミは使えても、来年が何年かが分からない・・・そんな状態の母である。
2006.12.19
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老人ホームにいる母に、早くから年賀状を書かせていた。 明けましておめでとうございます 平成十九年 元旦 ○ ○ ○ 子 これだけだが、一回ではまともに書けないので、何回か書かせて、スキャナでいいとこ取りをして、年賀状に仕上げた。 11月初めに、これを母に見せて、「出しておくからね」と言ってきたのだが、それから何回も 「年賀状は書いてくれたか」 「年賀状は出してくれたか」と聞かれるので、「出しました」と答えてきた。 が、今日、母の年賀状をプリントもしていないことに気づいた。あぶねえ~~忘れるところだった。
2006.12.17
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見よう見まねで落花生を栽培した。その収穫物の一部を、母のいる老人ホームに届けた。 お年寄りには、殻の付いた落花生は懐かしいだろうし、皮を剥けば指の運動にもなるし、3時のオヤツにもいいだろう、と思ったからだ。 老人ホームの担当者は、指の機能訓練になるからありがたい、と喜んでくれた。 が・・・歯の弱いご老人にはどうだったのだろうか・・・少々反省している。私の母も、落花生をカリカリ食べられない状態なのに、忘れていた・・・灯台下暗し・・ とはこのことだ。
2006.12.03
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老人ホームへの訪問頻度だが、以前、知人からこんな話を聞いたことがある。 それは、長期入院が可能だった老人病院のこと。知人の家族は、毎日、必ず、病院に通って話し相手をしてきたという。 しばらくすると、病院から、「他の患者さんのこともありますので、毎日来ないで欲しい」と言われたという。 家族が見舞いに来ない患者にとって、毎日見舞いに来る人を見るのはつらいことだというらしい。 なるほど、それは分かる・・・が、複雑な思いがした。 老人ホームの入居者にも、これと同じことが言えるように思う。ホーム内の均衡を乱さないように・・・・施設の運営者は、家族の訪問頻度を家族に知らせるのがいいように思う。
2006.11.16
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私が老人ホームにいる母を訪問できるのは、週に1、2度。他の入居者の家族はどのくらいの頻度で訪問しているのか、気になるところだが、入居者の会話などからすると、親子の場合、月に1、2度のようだ。 これを、施設の責任者に聞くと、「毎日いらっしゃる人もいますから、週に1度が平均じゃないでしょうか」と言う。 徒歩圏内に住む入居者の妻が毎日訪問しているのは知っている。だが、このような訪問をカウントに入れての平均値では参考にならない。 ホーム側としては、家族の訪問頻度を上げて入居者の機嫌が良くなることを考えているのは分かるが、仕事をしていれば平日の訪問は(ホームの就寝時間になってしまうから)無理だし、週末はそれなりの用事があって、皆勤とはいかない。 実際、訪問頻度はどうなのだろうか?
2006.11.15
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老人ホームに入っている母は、満足な字が書けない状態になっている。しかし、知人に手紙を書きたいという意思はある。 そこで、何通かを代筆してあげたのだが、それが癖になったのか・・・ホームのヘルパーさんに代筆を頼むようになったようだ。 それはヘルパーさんの仕事じゃない・・・と、母には言えないので、代筆ならいつでもして上げるから、と言うのだが、ヘルパーさんの手を煩わしているようだ。 この代筆は、仮にいいとしても・・・どこの誰に何を書いたのかが、分からないので、その後の対応に苦慮している。 同じ人にダブって書いてもいけないし、トンチンカンなことを書いてもいけないからだ。手紙を受け取った相手が「惚け老人だから」と理解してくれればいいが、変なことを書いていたりしたら、先様に申し訳が立たない。 ヘルパーさんに「誰に書いたの、その内容は?」とまでは聞けない・・・どうしたものか?・・・である。
2006.11.14
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母のいる老人ホームに行ったら、こう言われた。 お母さんが、下痢っぽい便をして・・・ 自分でその始末をしようとしたらしいのですが、 結果は、自分でできなくて、ナースコールも押さないで、 部屋の外に出て、廊下をよごして・・・ 向かいの部屋に援助を求めたらしくて 援助した入居者も、手足を汚してしまった (だから)援助をしてくれた○○さんに会ったら、声をかけて欲しいと、 その○○さんなら私も顔を知っている。「今度会ったら、頭を下げます」と言ったのだが、次がいけなかった。 「○○さんから、このことは家族の人に知らせて下さい、と言われました」 「家族に謝りに来いというのですか?」 「そうではありませんが、ご迷惑をお掛けしましたから」 「ちょっと待って下さいな、迷惑を掛けたのは家族じゃないですよ。 要介護3の母でもないですよ。 迷惑をかけたことは、母を預かっているホームの責任じゃないのですか。 ホームは母がそういう状態にあることを分かっているのですから、 その責任を家族に持ってくるのはおかしいです。 母が入居者に迷惑をかけたことは家族の責任ではなく、 ホームの責任です」 「でも、巡回するには限度がありますから」 「巡回が難しいのなら、母の部屋の動きを関知する センサーを付けたらどうですか」 「センサーは、入居者の個人負担になります」 「違うでしょう、人的巡回ができないのであれば、 センサーに頼るしかないのでしょう。 それがなぜ、個人負担なのですか?」 「施設では平等な介護をモットーとしていますから」 「要介護度が違うのですから、介護の仕方に違いがあるのは当然でしょう。 平等な介護という言葉の使い方を間違っています」 「・・・・」 「言わせてもらいますが、 背の低い机のことも、 歯医者に入れ歯を頼んだことも、 結局はホームは何もしてくれなかったではありませんか、おかしいですよ」 この答を待たず、「よろしくお願いします」、こう言って、深く頭を下げて帰ってきた。母という人質を預けているので、堪忍袋の緒が切れたといっても、これが限度である。
2006.10.22
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昨日の日記の日曜大工店の加工だが、 6センチ角の木製の脚4本の切断 その切断面の削り仕上げ6×4×6センチをお願いした。 それなりの機械を使えば、簡単に、短時間で、きれいに、できるものである。もちろん、それらの機械を使いこなす技術も大変なものである。 この加工料・・・・しめて、金320円也ケタ間違いではない。320円だった。 テーブルの脚を自分で切ったら、高さが合わなくなること、必至だし、切断面の削り仕上げが均一にならないであろうことも、必至だ。 安い、本当に安い。おどろきだ。
2006.09.27
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老人ホームの母から電話があった。「用事があるから来て欲しい」 ・・・ というか、命令調で・・・ この月末で忙しい中、老人ホームへ行った。 母は嬉しそうに言った。「新しい炬燵が来たの」と・・・「そう、良かったねー」と言おうか、「それは私が持ってきたの」と言おうか、一瞬、迷った・・・ だが、事実は事実として、母に伝えた。母は「なんだ、そういうことなのか」・・・そんな顔をしていた。 どこまで理解できたのか??だ。
2006.09.26
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昨日の日記に書いたテーブル&椅子式の炬燵だが、結局は、炬燵の脚を切り落として、短くすることにした。 ノコギリでごりごり切ると、切断面が平らにならないことは、自らの経験で予測が付く。ならば、どうしたらいいのか? 結局は、日曜大工店の工作室へ持ち込んで、切断してもらうのがいいだろう、という結論に達した。 日曜大工店では「当店でお買い上げの品ですか?」との確認はあったが、15センチを切り落とし、切断面の削り仕上げをしてもらった。 母はよろこんだ。「今すぐ炬燵を使ってみたい」と言ったが、「寒くなってからのお楽しみ、それまではテーブルとして使ってね」と言ってきた。
2006.09.26
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老人ホームの母は、床に座ると、自力で立つのが難しくなってきた。現在は炬燵布団を外したものを座卓として使っているが、自分で立てないが故に、積極的には座ろうとしない。 これからの季節、炬燵大好きの母に、どうしたものか・・・・と思っていたら、テーブル&椅子式の炬燵があることが分かった。 早速、ホームセンターに注文して、母のいる老人ホームに配達してもらった。 だが、椅子にキャスターが付いていて、母にはあぶない。そのキャスターを取り外したら、今度は、テーブル面が高くなって、テーブルが使いづらい。 なかなか、思うようにはいかないものだ。
2006.09.25
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老人ホームにいる母が「針と糸を持ってきて欲しい」と言う。以前にもそんな要求があって持って行ったのだが、使った様子もなく、床に針を放置するので、引き上げてきた経緯がある。 老人ホーム側も、針や尖ったハサミは危ないので、持たせないで欲しいと言っている。 裁縫が得意だった母なので、針と糸があれば何とかなると思っているようだが、針に糸を通すことはもちろん、運針もできない自分を認識できていない。 以前に、本を持っているだけで読んでいない入居者のことを書いたが、母には「針と糸」が見栄をはる道具なのだろうか?「女の私には、針と糸が必要なのよ」母は真顔で言った。・・・・返す言葉がなかった。
2006.09.24
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とあるところで、カラオケをした。 そこで・・・山口百恵の「秋桜・コスモス」を聞いて、不覚にも涙してしまった。 この歌は、嫁ぐ娘が母を思う歌なのだが・・・・・ 「もう少しあなたの子供で いさせてください」を聞いて、老人ホームの世話になっている母を思ってしまったのだ。 もう少しの間・・・母親らしくあって欲しい・・・母と子の関係でいて欲しい・・・今までと変わらず母親として、元気でいて欲しい・・・・と思ったのだ・・・・ 涙もろい年頃である・・・・
2006.09.20
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母のいる老人ホームの床は、いわゆるフローリングとなっている。転倒のことを考えれば、繊維材の床の方がいいのだろうが、掃除のことを考えると、フローリングになるのだろ。 母は歩行がおぼつかない。室外に出る時は靴を履くが、室内では靴を脱いでいる。そのため、母は、ホームのスタッフから「靴下を履かないで」と言われている。靴下を履くと滑りやすいからだ。 だが、この季節はまだいいが、これから寒くなってくると、靴下なしではいられなくなるだろう。ましてや、血の巡りの悪い年寄りだ。 滑り止めのある靴下を履くと・・・・靴下は滑らなくても、靴下の中で足が滑るのではないか・・・とも思う。 心配しすぎか・・・??
2006.09.18
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役所から「重度要介護高齢者手当支給申請書」と「介護保険高額介護サービス費支給申請書」が、母宛に、送られてきた。 介護度ゼロで、とりあえず元気な私が読んでもよく分からない。もちろん、要介護3の母に、これに記入して申請しろというのは、絶対無理だ。 役所は、対象者に該当することをつかんでいるので、このような書類を送ってきたと思われる。請求できる金額まで印字されているからだ。 なぜこんな制度(後払いの支給と要申請)になっているのだろう?介護保険料の支払いをコントロールするか、自己負担分をコントロールすれば簡単に済むことではないのだろうか? わからん・・・・役人の考えていることは、わからん。 痴呆老人が郵便物を紛失し、あるいは申請を出し忘れることを期待しているとしか思えない。
2006.09.16
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母が老人ホームに入居した過程を、要介護の老親を持つ周囲の人に話すと、誰もが「うまくやったわね」と言う。 そんなぁ・・、私らは私らで、苦渋の選択と突貫の作業をしたんだから、そんな簡単に「うまくやったわね」、と言って欲しくない、最初はそう思った。 しかし、老親を老人ホームに入れる諸条件をクリアしている人たちが、老人ホームを利用できないでいる最大の理由が、当の老親の同意が得られないことだと分かってから、本当に「うまくやった」と思うようになってきた。言われたとおりなのだ。 物わかりのいい母に感謝し、親孝行をしなければならないと思う。
2006.09.07
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母は、今年の春、老人ホームに入居した。母から入居したいと言い出したのでもない、母の同意があって入居したのでもない。 母は、ちょっとした手術のために入院し、その間に身体の衰弱と痴呆が急激に進んだために、私たちが母の同意なしに入居を決めてしまったのだ。 老人ホームの部屋に、母の居間にあった家具などをそっくり移動し、そこに退院させるという作戦をたて、それを実行した。 当初、母は自分の家に帰ってきたと思った。作戦は成功した。しかし、台所はないし、トイレの位置も違うので、いつまでもは母をだますことはできない。 以来、「老人ホームは、食事は出してくれるし、洗濯はしてくれるし、風呂に入れてもらえるし、楽でいいでしょう・・・・」と言い聞かせつつ、現在に至っている。 もちろん、母も納得している(・・・と思う)。
2006.09.06
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母のいる老人ホームで「ボス」と言われる入居者を注目している。なぜボスと言われるようになったのか、興味があったからだ。 それは直ぐに分かった。 彼女は元気いっぱいで、車椅子の人の世話(おせっかいかも?)やら、手芸や折り紙などの時間に、わからない人の手助け(おせっかいかも?)をしていて、それが、「ボスの行動」として、周囲の入居者に捉えられたようだ。 いわゆる、「お局」のタイプではない。 自分と周波数が合わない人を嫌ってしまう女の本能が「ボス」を作り出し、仲間で遠ざけようとした結果がそうなったものと思われる。 すると、私に「あの人がボスよ」と耳打ちした入居者が本当のボスなのかもしれない。 若い人の職場でも、老人ホームでも、派閥の出来方る仕組みは同じのようだ。 彼女は昭和5年生まれだとういう。彼女はなぜ、こんな元気なのに老人ホームに入ったのか、私の興味はここに移った。
2006.09.05
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「あの人がボスよ」母のいる老人ホームでお近づきになった入居者から耳打ちされた。 何十年もの間、職場での女の戦いを見てきた私としては、一目見て、その人はボスではないと感じた。 こちらの視線を感じたのか、その人の方から自己紹介してきた。なんと、昭和5年生まれだという。「ここでは一番若いんです」と言われるまでもなく、間違いなく一番若い。しかも、5歳ほど若く見える。 事情を知らない人が、この様子を見れば、彼女を老人ホームのスタッフと思うに違いない。そんな若さがある。
2006.09.04
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母のいる老人ホームに通っていると、顔見知り、お近づき、になる入居者ができてくる。そんな入居者から「ここにはボスがいるのよ」と聞かされた。 女の多い世界だから、スタッフにも、入居者にも、ボスになる人が出てくるのは容易に想像できる。 彼女が言うには、ボスは、入居者の一人だという。 母に、ボスの存在をそれとなく聞いてみたが、聞くまでもなかった。周囲に気を配ることができない自己中心の母には、分かるはずもないことだ。
2006.09.03
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近所に住む80歳の男性が亡くなった。自営業をやめて、悠々自適の生活をされていた人だ。 痴呆が進み、足元がおぼつかなくなったが、一人で、近くの小公園に散歩に出ることも多かった。 こちらから声を掛けると、おそらく、私がどこの誰だという認識はないまま、手を挙げて挨拶を返してくる。 亡くなる一週間前にも近くの道で会った。歩道の縁石に腰を掛けて、通行人を見ていた。声を掛けると、元気に手を挙げて「おお~」と返事を返してくれた。 死因は心不全だという。救急車が来たが、入院することなく他界した。 私も、そんな死に方をしたい。
2006.09.02
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母のいる老人ホームには色々な老人がいる。母を訪ねて、ホールや食堂で入居者を観察するのが面白い。 こんな女性がいる。 彼女は、車椅子を押されて食堂などに移動して来るが、食堂では新聞や本を読んでいて、周囲には目もくれない。 読み物の好きな人なんだなあ、私の母も本を読めるといいのになあ、と思ったのだが・・・・最近、分かった。彼女は、新聞を開いたり本を開いたりはしているが、読んでいないのだ。ページを繰っているところを見たことがない。 彼女は、人前で新聞を持っていたり、本を持っていたりすることが好きなようだ。「あなた達と違って、私は新聞や本が読めるよ」と言いたいのだろう。 これも老化の一現象なのであろう。
2006.08.28
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たらやんさんに紹介いただいた、老人向けの絵本「あるばむ」を買った。 かくれんぼ 紙芝居 小学校 空襲 闇市 力道山 東京オリンピックなどが、見開きで、15項目ある。 早速、老人ホームにいる母に見せに行った。 母は、何かイヤなことがあったらしく不機嫌だったが、「紙芝居」などのページを、「そうなの、お金のないときは、後ろの方で小さくなって見た」と、昔を思い出していた。 なるほど、これが、老人向けの絵本(書評では、大人の絵本)の魅力なのか・・・・次作を期待している。
2006.08.21
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去年の秋の終わりのころから、徐々に、母はテレビを見なくなり、新聞を開かなくなった。以前は新聞のテレビ番組欄に赤線を引いてテレビを楽しみにしていたのが不思議なくらいだ。 暇でいるんだからテレビを見れば、と言うのだが、最近のテレビは面白くない、良く聞こえないし、目も見えなくなってきている・・・などと言う。 しかし、テレビを点ければ、「これは琴欧州、強いけど負けることが多い」などど、見えるし、聞こえるし(補聴器で)、私よりも詳しく知っている。 テレビがイヤなら・・・絵本はどうかと思って、本屋に行った。だが、老人向けの絵本はない。「○年生の絵本」というのはあるが、それでは母のプライドが傷つくだろう。 なかなか難しい年頃である。
2006.08.17
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退院した母は、車椅子とおしめのお世話になっている。幸いにも母にリハビル心が残っていて、 「歩く練習をしなければいけない」 「自分でトイレに行けるようにならなければいけない」と言っている。 しかし、足元はかなり厳しい状況だ。いつ転んでもおかしくない。 老人ホームのヘルパーさんには、 「トイレの時はナースコールを押して下さい」 「一人で歩かないで下さい」と言われている。 言われたことが分かるなら問題はないが、夜中に別の部屋へ徘徊してしまうのだから、母には、転倒の結果がどうなるかを分かろうはずがない。 家族にとっても、老人ホームにとっても、難しい局面である。
2006.08.16
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「このままでは、歩けなくなる」 「このままでは、たれ流しになる」 「それでは、病気が治っても、母は幸せではない」こんなことを強く訴えようと、医者と面談の約束を取り付けた。 その当日、医者の方から先に「治りました。退院です」といとも簡単に言われてしまった。 最低でも3週間と言われていたので、年齢などからすると2ヶ月は掛かるかと覚悟をしていたのだが、拍子ぬけの感じだ。 ともかく、めでたし・・・・入院中の扱いのことなどは何も言わずに、説明を受け、即、退院手続きをした。これで、一安心。 あとは・・・老人ホームでどこまで回復できるかだが・・・・
2006.08.06
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母が老人ホームに入ったのは・・・・・我々、子どもたちの介護負担が、身体的時間的限度を超したからだった。 例えば、24時間、台所の火を監視しているわけにはいかないから、老人ホームにて介護を願いしたのだった。 その母が、その老人ホームから病院に送られると・・・母の介護は、その日から、身内の負担となる。 確かに、入院しても、台所の火は使わないし、適当な電話番号のところに電話をするワケはないが・・・・入院後は、老人ホームは何もしてくれない。(朝夕の)着替えも、洗濯も、散歩も・・・・ 老人ホームに「病院の付き添い」をお願いすれば、別料金となる。なんで? なぜ? 病院に入院すると、家族の負担が(突然)元に戻るのだろう?? 24時間の介護ができないから老人ホームにお願いしたのに・・・・介護保険のシステムには分からないことが多い。
2006.08.05
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母は、入院前は歩けていた。杖をついて、手摺りがあれば、老人ホームの中であれば歩くことができていた。 だが、転倒の危険はあった。杖と手摺りが頼りであれば、転倒の危険はある。それは当然と言えば当然のことだ。 すると・・・・老人ホームにしてみれば、母が、転倒して骨折したら、その責任を問われる心配がある。 ならば・・・・歩けない方が、安心できる・・・・という考えも出るかもしれない。 「勝手に」母を入院させたのは、そんな考えがあったのかもしれない・・・・とも思いたくなる。 本気で疑っているワケではないが・・・・・
2006.08.04
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そもそも・・・母が入院した経緯は・・・・次のとおり。 老人ホームでの毎月の検診で「呼吸に雑音がある。大きな病院で検査してもらうのがいい」と言われ・・・・ 老人ホームが(私に連絡なしで)総合病院の担当医に電話をし・・・「念のために救急車で搬送する方がいいだろう」ということになり・・・・ その結果、即、入院となった。 私が病院に行った時は、すでにベッドに拘束されており、「最低3週間」と言われてしまった。入院の前日にも母と会っているが、救急車で運ぶような状態だったとは思えない。 老人病院と開業医・・・開業医と総合病院・・・総合病院と老人ホーム・・・・互いに(経済的な)リンクをしているように思えてならない。 本人や家族の同意なしで入院させてしまっていいのか、救急車なら言い訳になるのか、そのための救急車だったのか? 患者(入居者)が歩けなくなっていいのか・・・患者(入居者)が垂れ流しになっていいのか・・・患者=入居者の家族には何の連絡も相談もなかったことに強い疑問を感じている。
2006.08.03
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58年人間をしてきて・・・今頃になって、髪の毛に変化が出てきた。 (本人に似た)癖のない素直な毛・・・と言えば聞こえはいいが、ドライヤーでネジろうが、カールさせようが、頑固で言うことを聞かない髪の毛であった。 ところが・・・1ヶ月ほど前から、変化が出てきた。「寝癖か」と思った小さなカールが、濡らしても、ドライヤーしても、しばらくすすると、「寝癖」に戻ってしまうのだ。 その数・・・50本ほど。髪の毛が伸びるに従って、カールは大きくなっていく。 亡父が天然パーマ系だった。それが今頃、ほんの一部、出てきたのだろうか?
2006.07.30
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母の入院している病院は、約200床の入院力を持っている。その病院に、毎日のように行くのだが、若い入院患者を見たことがない。 そこは、老人病院ではない。眼科などもある総合病院だ。 だが・・・・入院しているのは、老人ばかりのようだ。現に、母の4人部屋は、老人ホームのお仲間さんのようなお年寄りだし、廊下を歩きながら病室を観察しても、若い人はいないようだ。 若い人が元気ならいい・・・文句はない。だが、病院が老人ホームと化していることに疑問を感じる。 「医療」と名が付くと文句を言えない(言える人がいない)のが現状だろうが・・・歩ける人を寝たきりにしては医療とは言えない。
2006.07.25
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