日本共産党 原田のぶゆきです。

日本共産党 原田のぶゆきです。

2003年01月22日
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 午前9時半から、地元の吉区の有賀区長さん、山千寺観音堂保存をしている丸山さん、保存会の設立準備会の事務局担当の北村さん、若槻山城、里城を保存する会会長の宮崎さんなどとわたしも同行して、「山千寺観音堂を長野市文化財指定」のため、教育長に申請書を渡し経過の説明をした。

 「山千寺観音堂」の文化財指定とあわせて付近の資源保護で市民の貴重な財産として活用できる。
 などなどで、「文化財指定」を申請した。
 地元の皆さんは、貴重な文化財保護のため努力されているので、引き続き、調査をはじめ必要な資料収集も行い、一緒に実現できるように力を尽くした。

午後は
『7年に一度の「善光寺」御開帳』近しで、議会が住職から由来を学ぶ

 この4月から、7年に一度の「善光寺御開帳」が開かれる。

 善光寺は644年に創建、806年に最初の炎上、1179年にも炎上するなど今日までに11回炎上、焼失し現在の善光寺は12回目のもの。
 善光寺がなぜ全国に多くの同名の寺があるのか。諏訪の「諏訪神社」と同様の名前の「御諏訪さん」は全国に1万社あるが、善光寺もそれに劣らず多くあり、しかも外国にも2ヶ所あるという。
 善光寺を建てるとき、建造資金を作るために、全国行脚をして資金を集めたところに由縁するという。
 御開帳の目的は、万人が安らぎを得ることができるように、世界の平和、日本の平和、すべての人々が安心して暮らせるよう、世界の人々を救う、病気も無く暮らせるようにと願って、行われている。・・・本師如来が日本の国を導いてくれる・・・住職のお話である。
 1400年の善光寺の歩みのうち、1期が鎌倉時代、2期が江戸時代、3期が現代で、それぞれの時期が一番繁栄していた。
 それは、『平和であったから』いくさや争いがあれば数年は参拝客はこない。第二次世界大戦の時もそうであった。
 平和で安定時は本殿には、一日「二升のご飯」をお供えしていたが、戦争中は「盃」一杯の米をそのまま上げ下げしていた、と戦争の怖さ、ひどさ、悲惨さを寺の側から告発していたように思われた。
 講演中のこの部分が一番印象に残る。





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最終更新日  2003年01月23日 14時48分44秒


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