日本共産党 原田のぶゆきです。

日本共産党 原田のぶゆきです。

2009年09月14日
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 組合活動の大先輩で、常に「革新」を信条とし、初心貫き入党された「青木五郎」さんが急逝した。

心からお悔やみ申し上げたい。
 私が職業訓練校として、前田鉄工所に入社したのが昭和31年4月2日。
 大雪の日であった。
 青木さんはすでに働いていたし、労働組合の役員もしていた。

 3年間の養成期間が終わり、現場に派遣された。
 棟は違うが青木さんと同じ、鋳造職場であった。

 青木さんと仲のよかった、共産党員の小林文男・・・文男・・・「ぶんだん」が愛称であった。
 「ぶんだん」「ごろちゃん」は、「共産党員」と「革新」無所属の立場の違いもあってか、時には激論交わす時もしばしば。
しかし、労働者の暮らし守るという一点では、共通の価値観で会社側とたたかっていた。


選挙のたびに、組合として推薦候補、政党支持で社会党と大論争をしてきた。
政党支持自由、社共両党支持などで…。

印象に残る県議選
一番すごかったのは、青木さんが県議選に立候補したときのこと。
組織内候補として、青木さんを組合推薦したいとの提案のあったとき。
この時、私は役員をしていて、「革新中の革新、共産党の山崎久雄が立候補している、推薦を求める」と論陣を張った。
「革新・無所属」で立候補していた、青木さん側は、組合、会社も挙げての選挙運動を展開。
 全国金属の上部団体でも組織内候補「青木」推薦の運動が繰り広げられた。


職場は、険悪な状態となってきた。
それでも、共産党山崎後援会は、遠慮なく職場で支持拡大を展開。

結果は、青木さんは5千票ほどで落選。
職場での「山崎派」「青木派」の対立は、強烈であった。
が、青木さんは、その後、職場でも、中途退職した後でも、共産党いじめはせず、やがて、共同戦線を張る仲間となってきた。

市議選では、マイクを持って青木さんの生まれ故郷「浅川地域」で声を出してくれた。
頭が下がる思いだ。

また、一番強烈な印象は、労働組合委員長の重責を担っていた青木さんは、会社の食堂で大会時4~5百人の組合員を前に話をする。
ざわついていて、「静かにしてください」という統制委員長の声にもかかわらず、静かにならない。

青木委員長が演説を始めると、数秒もたたないうちに会場は「しーん」静まりかえる。
いつも集会と言えば、こうだった。
組合員の気持ち、感情をつかみ、歯切れよく、よく通る声で話をする。
これほど見事な演説はない。

かつて、故宮沢しのぶ(元市議)さんは、「ごろちゃんは、青年団の弁論大会に出たほど弁の立つ男なんだよ」と言っていたが、まさにその通りの人。

 私もかつては、政治・組合など路線問題で激論交わしたことがあったが、最近は、ともに「共産党員」として、また、「革新懇」や「故宮沢忍夫さんを偲ぶ会」などで一緒に、飲みながら意見交換などお付き合いさせてもらった。
良き同志であったのに、残念至極である。
改めて、ご冥福をお祈りしたい。





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最終更新日  2009年09月14日 23時16分12秒


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