日本共産党 原田のぶゆきです。

日本共産党 原田のぶゆきです。

2010年09月24日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
成澤榮壽「島崎藤村『破戒』を歩く」<上><下>を読んで

民主文学7月号に、作家の吉開那津子さんが成澤榮壽さんの著作「島崎藤村『破戒』を歩く」をめぐって「批評的文章」(吉開)を書きました。
吉開さんは評論文で、著者を「・・・島崎藤村その人の生涯の軌跡と作家としての業績を論じようとする時の深い洞察などについて、私はただ敬服することしかできず、・・・論稿の後追いするしかできなかった・・・批評的文章など書けなくて当然・・・」と謙虚に述べ、締めくくりで「・・・近代文学研究史のなかで、稀に見る貴重な仕事であった・・・」といい、しかも吉開さんがわざわざ「批評的文章など書けない」というほどに力作・労作だと知り無性に読みたくなりました。また、50年以上も前のことですが、私が中学を卒業するその日、式のあと担任の先生が、生徒を集め「卒業してもこの程度の本は読んでおけ」と数十冊の文学本を黒板に紹介しました。小林多喜二の「蟹工船」もありましたが、藤村の「破戒」や「夜明け前」もあって乱読したように思います。半世紀も前に読んだ小説なので記憶は定かでなかったが、忘れてはいませんでした。   
なにはともあれ読みたくて、ひまわり書店に注文し、参院選の終わった後さっそく、島崎藤村『破戒』を歩く<上><下>を一気(数日かかり)に読みました。<上><下>630ページでボリュウムたっぷり、読み出はあったが「飛ばし飛ばし」(著者)せずに読み終え、その勢いで読んだことだけを、ブログに書きこんだら、「O」さんに覗かれ感想文をと言われ困惑していましたが、印象に残っていることを著者の文章をなぞって書くことにしました。

藤村が2回訪問取材した『破戒』の主な舞台は飯山
「蓮華寺では下宿を兼ねた」冒頭の『破戒』の主人公、飯山尋常高等小学校の青年教師「瀬川丑松」は蓮華時へ転居した。蓮華寺のモデル浄土真宗本願寺派の安養山真宗寺で、現飯山市上町(カンマチ)にある。『破戒』では上町(カミマチ)としてある。藤村は、『破戒』を書くにあたって、構想、取材に飯山を二度赴いている。小説の主要な舞台は飯山であり、私も「菜の花祭り」などたびたび訪れるので、『破戒』が一層身近に感じ、寺や船着き場など『藤村』と『破戒』にまつわる風景を探訪しながら、もう一度読みたい気持に駆られました。

部落問題扱った『破戒』出版に非難も
『破戒』執筆の開始は1904年(明治37年)4月であり、全部書き上げるまでに信州に留まる予定であり、さらに自主出版のため北海道の義父から400円出してもらい安心したこと。また、藤村は、一部の人たちの『破戒』出版に対する非難を恐れていたとも。著者の調べでは、タブーを破って・「新平民」の問題、部落問題を小説にしたこと、小説の「恥」を曝け出したことへの非難があった。未開放部落の人々からの非難は、長野県水平社の結成(1924年)以降、明白な言葉として表れてきたと思われる。主な非難は部落を食い物にして有名な小説家になったというもの(著者)。著者は、藤村はこのような問題に対し、用心深かったとされているが、この問題で具体的にどのように対応したのか、知りたくなりました。

川上肇と藤村は懇意であったとは?

マルクス経済学の先駆者、川上肇はパリで藤村と最も親しく交際した一人であることと、さらに川上肇は藤村の『若菜集』を「愛読」「愛誦」していて、『聖書』と『藤村詩集』以外全部売り払ったというから、川上肇は『若菜集』と藤村の大フアン、心の通う仲良しだったことが想像でき、藤村の社会派的存在もうかがえ、お気に入りの偉大な文学者と認識を新たにしているところです。
藤村がパリで交際した日本人のなかから、特に川上肇と山本を取り上げた(著者)とし、「二人は」藤村と全く無関係ではないとして、山本が知己であった土田杏村の友人高倉輝が山本宣治を上田へ呼んだ。その4日後に右翼の凶刃に斃れた山宣の東京における告別式や京都での山宣・渡政(日本共産党書記長)労農葬で、川上肇は中心的役割を果たしたのであった(著者)。官憲ににらまれるような人物と藤村は懇意であっとは、タブー視されていた差別問題を主題とした『破戒』を書くほどの藤村であれば、さにあらんか。それにしても、ゆめゆめ知らなかったことで、驚きであり、藤村イメージのさらなるチェンジというところです。
差別の苦しみ書いた『破戒』と部落解放同盟
ところが、著者が書いているように、『破戒』も、藤村の悩みの反映である丑松の苦しみが真に迫っている。『破戒』を読んで感銘を受けた部落関係者の思いもつづられている。部落問題解決の視点に立って、自作の存在意義を自覚的に語っている。が一部反動的分裂組織の強圧で絶版となるが、再版の声もあり修正しての再版など受難の歴史がありました。

八鹿高校事件(集団リンチ)など「解同」の窓口一本化に抗して
最後に、著者の厳しいことばである「・・・『格差社会』化の進行によって深刻な事態となっている人権侵害に対して、現在、国民各層の反撃が強まり始めている。そのことに現代的市民社会形勢の希望を繋げつつ、部落問題から派生した、いわば、「解同」問題の克服が、いま、求められる。」
「部落問題からの解放を読者に切望する。そのためには、目下のところ、部落問題の開放を阻む者との闘いが不可欠である」とし、著者が知識人という立場にあって堂々と「解同」の確認・糾弾など人権侵害による逆差別を告発したたかっている決意に頭が下がります。

最後に読みたくなったもう一つの理由
読みたくなったもう一つの理由は、著者が長野県短期大学の学長をしていたことと、かつてその大学で学生たちが、住井すえさんの「橋のない川」自主上映をする際『部落解放同盟』が上映を妨害に来るとの情報があり、妨害を阻止し上映を成功させようと校門で待ち受けたことがありました。著者はそこの学長さんでしかも、「解同」の逆差別を告発する側にあることを知るなど、さまざまな思いが重なり読ませていただきました。

                       長野市議  原田誠之(はらだのぶゆき)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010年09月24日 23時35分18秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: