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すっかり遅くなってしまいました。廻して下さったpiano_collectionsさん、ごめんなさい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あなたは何派?【Q1】次のメニューにどんな調味料をかけますか? 薬味は含みません。・目玉焼き→ソース、たまに醤油。・納豆→醤油とからし。・冷奴→ポン酢・餃子→醤油とラー油と酢・カレーライス→たまに粉チーズ・ナポリタン→タバスコ、味が薄いと感じた時は塩。・ピザ→タバスコ・生キャベツ→塩。 ・トマト→かけません。・サラダ→和風ドレッシング。・カキフライ→ソース。・メンチカツ→ソース。・コロッケ→ソース。 ・天ぷら→天つゆ。 ・とんかつ→ソース。・ご飯(おかず無しの時)→塩。 【Q2】周囲に意外だと驚かれる、好きな組み合わせはありますか? 別に特別に好きだというわけではありませんが、バニラのアイスクリームに醤油をかけて混ぜ合わせて食べるとキャラメルの味がします。【Q3】それが一般的なのだとは知っているが、苦手な組み合わせはありますか? 特に思いつきません。 【Q4】バトンをまわしたい5名は誰ですか? ごめんなさい。交友関係が希薄なので特にいません。
2005年07月27日
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法事で主人の実家に行ってきた。主人のお父さんの17回忌だ。私は主人のお父さんという方にお会いした事がない。お父さんが亡くなって一年経たないうちに出会った。なので、お父様が亡くなられて、一周忌を終えて、そして私達は結納を行った。結婚も早かった。出会って5ヶ月で式を挙げた。どうしてそんなに早かったか、、、理由は遠距離だったという事が大きい。主人は札幌、私はその時は仙台に住んでいた。携帯もパソコンも出回っていない時代。唯一、電話だけで繋がっていた。それと、お姑さんがご主人を亡くした悲しみから逃れるために「結婚→孫」という構図を勝手に創り上げていたのだろう。結婚して私達は札幌に住んだが、お姑さんは仙台。毎日のように電話がかかってきては干渉された。主人もお姑さんばかり大事にしていた。何のために結婚したのかわからなかった。毎日毎日、今日こそは実家に帰ろう。そう思いながら暮らしていた。ちょうどその頃、題名は忘れたが、結婚してもお母さんの肩ばかりを持つ夫(冬彦さん)が出てくるドラマがやっていた。自分の置かれている境遇とそっくりだった。主人は「おふくろはこんなに一生懸命やってくれるのに、何で文句ばかり言うんだ?」と私を詰った。生活は二人で築いていくものじゃないの?お母さんに準備してもらって何が嬉しいの?一年ぐらいはそういう事でギクシャクした夫婦だった。それでも、だんだん、主人も私の事を理解してくれるようになった。夫婦の生活も少しずつ築いていけるようになった。そうなると今度はお姑さんの干渉がさらにひどくなった。やきもちを焼いているとしか思えない嫌がらせ。また、子どもが出来ないことについて、「うちの息子はどこも悪い所はないのだから、あなた、病院で看てもらってきたら?」「子宮筋腫じゃないの?」そんな事を言われた。そういう事があっても実家に帰らなかったのには理由がある。実家は私にとって寛げるところではなかったのだ。母は弟ばかりを可愛がり、私はいつも八つ当たりの対象だった。お姑さんといろんな事でもめても、まだ実家に帰るよりは主人といたほうが良かったのだ。お姑さんとの間でもめた事で一番大きなことは、健康食品がある。もう結婚して15年も経てば、主人もいい加減いい年だし、それを服用して少しでも元気になればいいと思うので、今は主人がそれを服用していることについて、別に何とも思わない。でも、結婚したばかりの頃は、専業主婦で、主人のために毎日献立を考え、栄養も偏らないように工夫して、それが全ての生活だったので、このお姑さんの健康食品はどうしても受け入れられなかった。さいわい、この件については主人も私の気持ちを理解してくれた。でも、お姑さんはどんどん自分の息子が取られていくようで、おもしろくなかったのだろう。ご主人を亡くした寂しさもあったのだろう。どんどん、私への干渉がエスカレートした。そんな折、主人はサラリーマンをやめてペンションを経営したいと言い出した。その頃は子どもが1才になったばかりの頃で子育てに追われている時期だったので、とんでもないと反対したが、主人の説得に負けて、ペンションをすることになった。お姑さんも最初はさほど反対する様子もなかった。けれど、だんだん、私に対して、そんなことでペンションなんてやっていけるの?といわんばかりのことを言うようになった。まさか自分の大事な息子がペンションなんてとんでもない事をやると言い出したなんて思いたくなかったのだろう。私がやりたいのを、いかにも主人から言い出したように言わせていると思い込んだのだ。お姑さんの怒りと、私の怒りが爆発した。それで、お姑さんと関わらなくなった。そのままの状態でペンションを開業し、お姑さんとの絶交渉期間が4年間続いた。いつもお姑さんから干渉され続けていた生活にピリオドが打てたのだ。このまま、ずっとそうだったら良かった。でも、世の中そう甘くはなかった。私の母がくも膜下出血で倒れ、闘病生活。それと、この不景気で、借金は増えるばかり。どうしようもない所まで追い込まれてしまった。主人が4年ぶりでお姑さんに会いに行き、頭を下げてお金を貸して欲しいと言いに行った。お金を出してもらうまで、そう時間はかからなかった。お姑さんは最初は私に辛く当たった。でも、主人がペンションをやりたいと言い出したのは自分で、私はむしろ反対だったという事を説明したら、お姑さんもだんだん変わってきた。私自身も、お姑さんに対する憎しみが少しずつ解けて来た。まだ、100%うまくいっているわけではない。出来れば避けていたい。でも、今は忙しいと手伝いに来てくれる。相変わらず世話を焼きすぎるし、口うるさいし、健康食品を持ってくるけれど。今までは絶対にここの家の墓には入りたくないと思っていたけれど、今は・・・うーん、やっぱりできれば入りたくないなあ(笑)。今度の日曜は娘のピアノの発表会。お姑さんも泊りがけで聴きに来てくれる。
2005年07月04日
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