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島田荘司『ら抜き言葉殺人事件』~光文社文庫、1994年~ マンションの一室で、日本語教師にしてピアノ教師である笹森恭子が首を吊って死んでいた。笹森はまっすぐな性格で、しかし厳しく刺々しいところがあった。彼女を知る人々は、自殺するような人ではないと口をそろえて言う。 吉敷竹史は、この事件を担当することになった。 時を同じくして、別の女性が飛び降り自殺をした。二人をつなぐ人物として、笹森周辺を調べていた吉敷たちは、作家の因幡沼耕作にたどりついていた。笹森は因幡沼に対して、その作中に使われた「ら抜き言葉」に対する痛烈な批判の手紙を送り、これに対して因幡沼が反論したため、二人の中では激しいやりとりがあったのである。そして、飛び降り自殺の女性は、因幡沼の熱烈なファンだった。 その因幡沼が殺されていた。二人目の女性の死の知らせを受けた直後、吉敷たちはそれを知る。笹森が因幡沼を殺し、そのあげく自殺、女性は因幡沼の死を嘆いて自殺した、という構図が、捜査の中では一般的な構図と考えられた。 しかし、なぜ「ら抜き言葉」なのか。先のように考えられた事件の構図に釈然としない吉敷は、笹森の過去を調べていく。 吉敷さんシリーズの長編を読むのは、これで二冊目になります。御手洗さんシリーズが、多少極端に言って、風変わりな事件→御手洗さんの思考をぼかした調査の過程 →意外な真相→その真相に至る御手洗さんの思考の解説、という構造だとすれば、吉敷さんシリーズは、(風変わりな事件)→吉敷さんの思考の過程も描きながらの調査の過程 →意外な真相、という構造だといえると思います(吉敷さんシリーズは二冊しか読んでいませんが…)。いわゆる探偵役の思考を追いながら読む感覚ですね(特に何も見ずに記事を書いていますが、解説かなにかで同じようなことが書かれていればすみません。少なくとも本書の解説では、それぞれのシリーズの叙述の構造についてはふれられていないはずです)。本書には大がかりなトリックがあるわけではありませんが、まさにその思考の展開、吉敷さんの捜査の展開自体が面白いです。 そして本書の読後感ですが、気持ち悪さ、ある種のいたたまれなさが残ります。笹森さんがなぜ「ら抜き言葉」に激しいこだわりを持ち、ら抜き言葉を使う人々には生きる資格がないというくらいの勢いでそういう人々を批判するのか。一つの答えは明かされます。しかしでは、(以下反転)なぜそのきっかけとなった国語の教師は、「ら抜き言葉」にだけこだわったのか。教師としての威厳をたもつため、なんでもよかった、ということではあるのでしょう。それこそが、本書の一つの主題である権力をめぐる歪さにつながっているのだと思います(反転ここまで)。 タイトル通り、「ら抜き言葉」が一つのメインテーマであり(これはその裏にある、日本語の構造、さらには日本人の思考スタイル、権力維持のありかたにつながっていくのですが)、そのため日本語の文法について詳しくふれられています。笹森さんの感情的な意見と因幡沼さんの(比較的)冷静な意見では、やはり後者に説得力を感じるのですが、二人の議論が興味深いです。そして文法について詳しく書かれているせいで、本書を読む中で文法が気になってしまうのがトラップですね(笑)。文法の話あたりでなるたけ気にしないようにしましたが、そのあとはいつも通り文法には気にせず読みました。 本書に登場する学校は、ことなかれ主義を地で行く学校で、読んでいていらいらしました。もっとも、自分にもことなかれ主義的な考え方がないとはいえないので、そういう態勢に一方的に批判ばかりするのはフェアではありませんが、やはりいらいら…。島田さんは、そういう権力を、すごく単純明快にむかむかする存在として描いていらっしゃる気がします(御手洗さんが小馬鹿にしている警察などもそうですね)。 で、話を戻しますが、気持ち悪さ、いたたまれなさというのは、そういう、日本人のあり方の歪さが描かれているから感じるのだと思います。ら抜き言葉は、それを描くための一つの手段かなと思いました。それこそ、因幡沼先生が指摘している他の文法ミスでも、お辞儀の仕方でも、なんでもよいのだと思います。ですが、『ら抜き言葉殺人事件』というタイトルは、それだけでわくわくしますし、どうして笹森さんがそんなにら抜き言葉にこだわるのか、というのは魅力的な謎でした。 * 岡山から神奈川県小田原に向かう途中に読了しました。今日はもう眠いので、旅行のことや、東京から岡山に帰る間に読んだ米沢穂信さんの『氷菓』の感想は、また後日…。注)この記事は8月20日に書き、21日に一部修正しました。
2006.08.18
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佐飛通俊『アインシュタイン・ゲーム』~講談社ノベルス、2006年~ 1922年、来日していたアインシュタイン博士は、奈良県のある村で、事件に遭遇する。道に迷ってしまった博士のもとへ駆けつけてきた、言葉が話せない男。男は、博士を蔵の前に連れて行き、鍵がかかっていることを示した。そこへ出てきた、男の家族。家族が蔵を開けると、そこには男が倒れていた。事態をさとり、、博士が警察を呼びに出た。警察とともに博士が蔵に戻ると、男が血まみれの斧を持っていた。蔵にはばらばらの死体があった。 * ザナドゥ鈴木は、1922年にアインシュタインが遭遇した事件について、真相を文章にするつもりでいた。自殺した男を、言葉の話せない男―被害者の召使い―が恨みにまかせてばらばらにしたと思われたが、博士が、「あれは自殺ではない」というメモを残していたのである。 一方、依頼を受け、相対性理論によって若返ろうという怪しげなセミナーに参加する。そこに居合わせた団体職員の白冷とともに、ザナドゥはいんちきを暴露する。いんちき主催者の一人―南無井新二とともに、三人で酒を飲むことになるが、新二に飲み逃げされる。 後日、奇人として有名な新二の父親、存在が新理論を発表するということで、南無井家が経営する旅館でパーティーが開催される。存在と、その二人の子どもたちはいがみあっており、その機会に存在の遺言が発表された。遺言の発表に居合わせなかった存在は、殺されていた。遺言発表の場であったコロシアムにつらなる二つの塔。塔の上の部屋に存在はこもったのだが、一度女性が確認したときには、そこには死体はなかった。しかしその後、ザナドゥたちが部屋を確認したときには、絞殺された存在の死体があったのだった。 いやはや、どうにも疲れがたまっているようで、ずいぶん昼寝しながら読んだのもあり、ぱっとしなかったというのが感想です。ミステリとしては面白いかもしれませんが、別段目新しさはありませんし(存在殺人の真相はたしかに面白いと思いましたが)、著者の言葉で、「笑い」がコンセプトとしてあげられていますけれども、残念ながらそんなに笑えませんでしたし。笑わせようと思われるくだりが、むしろ歪でした。同じくメフィスト賞作家の石崎幸二さんの方がはるかに面白いと思います(謎解きの過程も笑いの要素も)。石崎さんが、しばらく作品を出してないのが残念ですが…。 表紙は、ポップな感じを出そうとしていながら基本的に歪で不気味だと感じますが、本作の感想もそんなところです。残念でした。
2006.08.13
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島田荘司『展望塔の殺人』~光文社文庫、1991年~ 吉敷竹史さんが登場する作品も含む、六編の作品が収められた短編集です。それぞれ、内容紹介と感想を。「緑色の死」私は、緑色に激しい恐怖を感じる。野菜も食べられないほどだった。緑色への恐怖の原因に気づかないでいた私だが、亡くなった父親の友人から連絡を受ける。過去、母親が密室状況で死んでいた事件について、父が遺した手記があるというのだった。 * 数年ぶりの再読ですが、印象に残っている話でした。緑色恐怖の理由も、密室の謎もまったく覚えていませんでしたが。野菜も食べられず、虚弱体質の「私」と、妻が一緒にいる理由は怖いものを感じましたが、二人のなれそめが気になるところです(本編とは関係ありませんが…)「都市の声」火曜日、フランス語会話学校から帰る途中、店に寄り道をした私。すると、その店に、私宛の電話がかかってきた。知らない男からだった。その後、いく先々の店に電話がかかってくる。さらには、路上の公衆電話にさえもかかってきた。毎週火曜日にかかるようになった謎の電話。しかし、私がまっすぐに帰宅すると、電話はかかってこないのだった。年の離れた弟と二人暮らしの私に、電話の男は、弟の無事は自分にかかっていると脅迫する。電話の犯人を弟かと疑うこともあったが、やがて電話は自宅に、弟といるときにもかかるようになる。 * この話も、印象に残っていました。自分が行くあらゆる店に、自分宛の電話がかかってきたり、通りがかった場所の公衆電話が鳴ったりするのは、本当に恐怖でしょう。まだ携帯電話が(ほとんど、という方が正確でしょうか)なかった頃の話ですから公衆電話がメインですが、携帯電話への不審者からの電話よりもある意味では怖いような気もします。自分の居場所を、ずっと見られているわけですから。「発狂する重役」奇妙な事件について知るのが好きな私は、居酒屋で吉敷という刑事と知り合った。吉敷は、最近扱ったという奇妙な事件について話してくれた。ある会社の常務が、ハイヒールをデスクにおき、発狂していたというのだ。仕事はできるが、女好きのその常務が、 20年前に起こした女性への乱暴事件が、その背景にあった。 * この第三話以降は、まったく覚えていなかったので、新鮮な気持ちで読みました。 20年前の乱暴事件を理由に、無理矢理不倫関係を続けさせている女性が、失踪し、それから一年ほど経った後、20年前の姿で女性が現れる-。面白い設定でした。「展望塔の殺人」東京都郊外の展望塔に、二人の婦人客がやってきた。その中にある喫茶店は、セルフサービスが建前だったが、婦人は頼んだココアをテーブルまで持ってくるように頼んだ。周りからの評判もよいバイトの女性がココアを客たちのもとへ運んだ後、バイトの女性は突然婦人の一人をナイフで刺した。明らかに面識がなさそうな婦人を、なぜ彼女が刺したのか。しばらくしてから、事件を担当していた吉敷のもとに、被害者の夫から連絡があった。事件の背景を語っている手記が出てきたという。 * これは面白かったです。ネタにふれる部分もあるので、ご注意を。 昭和53年。受験戦争が白熱し、親たちは、有名大学に入らなければ大人になって飢え死にすると、子供にはげしい勉強を課している時代-だったそうです。小学生の自殺ブームがあったのだそうです。 手記に出てくる少女は、小学校でトップの成績で、教師も彼女の顔色をうかがうところがあるほどです。彼女のクラスで、0点をとった子が三人自殺します。これについて、少女は言います(文字色変えます)。「おばさんたちにとって、子供はいい点数とって、虚栄心を満足させるための道具でしょ?百点をとる子は最高の存在よ。八十点とる子は八十パーセントの存在。(中略)零点とる子はゼロじゃない? 存在しないも同然。死んでるも同然じゃない?」(220頁) 私が小学生の頃は、それほど受験戦争どうこうはありませんでした。隔週週休五日制が導入された頃です(年齢がばれますね)。勉強の内容は、いま思えばほとんど忘れてしまっているのであるいは「無駄」(かぎかっこは便利です)もあったのかもしれませんが、昨今の指導要領改訂での議論を鑑みると、まあちょうどよかったのでは、と思っています。「ゆとり教育」が導入されてからの方が、息苦しそうですね。私が聞いているのはマスコミからうかがえる一部の大人たちの声でしかなく、子供たちがどう感じているかは知りませんが。以前、授業内容が削減されたカリキュラムを経験している方々と話す機会がありましたが、その方々は指導要領改訂に不満を感じていたみたいですが。 とまれ、本作を読んで、そんなことをつらつらと考えました。先に引用した少女の言葉もありますが、親と子供のあり方も考えるところです。最近も、いろんなところで言われているようですが。「死聴率」21時からの連続ドラマの担当になったディレクター。スポンサーをはじめ、多くの人々の期待(そして予想)とは裏腹に、初回の視聴率が20%に届かなかった。そして視聴率は低迷を続ける。打開策として、ディレクターは一つの賭に出る。 * これも面白かったです。視聴率はどうやってはかるのか、という議論は印象に残っていましたけれど、話の流れは全く覚えていなかったので、新鮮な気持ちで読みました。俳優と、その役の境界がなくなっていく描写がよいですね。 ※解説を読んで知ったのですが、実際の出来事をモデルにした作品だそうです。最近も話題になった作品でしたか。私はまったく見ていなかったのですが、聞いたことがあるような、とは思っていました。勉強になりました。「D坂の密室殺人」知恵遅れの少女がすむ隣家に、毎週水曜日、三時間だけ滞在する紳士がいた。私は少女とともに、その紳士に関心をもっていたが、ある日、事件が起こる。紳士が、密室状況で死亡。同じ日に失踪していた少女が、水死体で見つかったのだ。 * これは、残念ながらしょうもない話でした。島田さん、こんなのも書いたんだ…。ラストがはかりかねました。とってつけた文章のような気もするし、逆に事件の内容のしょうもなさとの対比で、シリアスさを出しているのか。少女も婦人も気の毒でなりません。ーーー 全体を通して。私は御手洗さんシリーズが好きなので、他の作品を読むのは新鮮な感じです。最近は特に脳科学の知見を援用した衒学的な作品が目立つ島田さんですが、この頃はそれほど衒学的でもなく、ふつうに読み物として楽しめました。いわゆる「社会派」と形容されるほどメッセージ性のある作品も、「展望塔の殺人」くらいですね。 今日は具合が悪く、最近買った厚めの小説を読む気にもならず、本作を読んで少しのんびりできました。(追記) 読んでいる途中にも感じていましたが、解説にもやはりふれられていたので、一言。この短編集のキーワードは、「都市」です。「都市の声」と「展望塔の殺人」は、特にそれを感じさせます。先に、さほど「社会派」と形容するほどでもない、という趣旨のことを書きましたが、「都市」という視点から考え直すと、メッセージ性が感じられるように思いました。
2006.07.18
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小路幸也『キサトア』~理論社、2006年~ 読了後、さわやかに泣けた、素敵な物語でした。いつものように内容だけ別に、というようには書きづらいので、まとめてつらつらと書きたいと思います。 物語は、色がわからない少年アーチの一人称で進みます。しかしアーチは、すぐれた芸術作品を作ります。 キサとトアは、アーチの双子の妹。キサは日の出とともに起き、日の入りとともに眠ります。トアは、日の入りとともに起き、日の出とともに眠ります。だから、兄弟三人が会話をかわせる時間は、とてもわずかです。 三人の父親、フウガさんは、<風のエキスパート>。毎年夏になると吹くひどい風<夏向嵐(かこらし)>をしずめるため、町へやってきます。海に面しており、水平線から日の出と日没が見える町。この環境が、キサとトアにもよいのでは、と考えたこともありました。 フウガさんは海にいくつもの風車をたて、それから<夏向嵐>は吹かなくなります。しかし、風車のせいで、漁獲量が減ったという人々がでてきます。そこで、<水のエキスパート>ミズヤさんがやってきます。 フウガさんの家は、簡易宿泊所<カンクジョー>でもあります。フウガさんを慕っていたミズヤさんも、ここに泊まり、三人の子供たち、その友達たちとふれあいます。 アーチたちが去年の夏、町に伝わる伝説を調べるために起こした騒動。森の中に現れる幽霊。これらの情報から、ミズヤさんの調査は進んでいきます。 夏のカーニバルにはアーチの作品のみならず、町のいろいろな作品が展示されますが、そこで盗難事件が起きてしまいます。<カンクジョー>にいた人が、容疑者として追われてしまう事態にもなります。 そして、秋には、二年に一度開かれる<マッチタワーコンクール>が開かれます。年齢制限があるのですが、特別にアーチも参加します。コンクールのあたり、特に素敵でした。 ああ、結局あらすじ風になってしまいました。兄と双子の妹を、町の人々は大切にしてくれます。そして三人も、自分なりに動き、人々に幸せを与える。ラストが、とても素敵でした。 新聞記者は、<Y・S>さんです。小路さんのイニシャルですね。そこにも、ほのぼのしました。*本購入の記事は書きませんでしたが、先日買っていたのでした。 先日小路さんからもうかがっていましたが、本書はふりがなも多く、子供さん向けでもあります。(追記) トラックバック用リンクです。でこぽんさんの記事はこちらです。
2006.07.09
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島田荘司『溺れる人魚』~原書房、2006年~ 御手洗潔さんシリーズの短編集です。やっぱり島田さんの物語は面白いなぁ、と思いました。最近は脳科学の分野の比重が大きいですが、それはそれで勉強になるし、それをからめる設定もいいなぁと思います。 四つの短編が収録されています。簡単に紹介と感想を。「溺れる人魚」 ジャーナリストのハインリッヒ・フォン・レーンドルフ・シュタインオルトは、リスボンを訪れた。彼は、友人から紹介された血流統御内科の教授ナンシー・フーヴァーから、興味深い話を聞く。1972年のオリンピックで、水泳で驚異的な活躍をみせ、ポルトガルに四枚の金メダルをもたらした伝説のスウィマー、アディーノ・シルバについてである。 貧しい生活から一気に有名になったアディーノはその美貌もあり、映画などにも出演、その中で麻薬にもふれることになる。その頃から、性に対して激しい欲求を示すようになり、傷害事件を起こし、夫を傷つけることもあった。しかし、彼女へのポルトガルの医師の対応により、彼女は廃人同様になっていく。 そして、2001年6月、聖アントニオ祭の夜、彼女は遺書をのこし、拳銃で自殺した。不可解なのは、それと「同時に」、彼女の担当をしていた医師が、アディーノの家から2キロは離れた自宅で、殺されていたのである。弾は、彼女のアパートにあった拳銃のものと一致していた。 * いつものことで、ミステリとしての要素を強調して書きましたが、天才スウィマー、アディーノとその夫(さらにいえば彼女らの娘)の悲劇の物語といえると思います。 自分たちに理解できない言動をする人間を、特別視する。どうしても陥りがちなことですが、それがどれだけある人たちを傷つけてしまうか。たしかにこのお話の場合、アディーノは何人も傷つけてしまっています。しかし、その真の原因をきちんと理解せずにいてよいのか、ということですね。知識がないので深入りしませんが、裁判の際の精神鑑定などとも通じていく問題かと思います。ある意味では、「魔女裁判」は今でもある、ということですね。 本作の中では、御手洗さんは名前がふれられるだけで、活躍はありません。ハインリッヒの一人称ですが、アディーノの生涯や、その夫についてふれるとき、人のセリフを字の文で書いていますし、それを考えているハインリッヒ自身のいまの行動もときどきまざりますから、多少読みずらい感はありました。その点、多少(?)うじうじ感はありますが、石岡さんの文章の方がよいかな、と思ったり。「人魚兵器」 2000年、御手洗潔がまだストックホルム大学にいた頃。彼の研究室で、彼と彼を訪れた人物が日本からヨーロッパに持ち帰られたという「人魚のミイラ」について話をした。その直後、そのミイラの実物を見た青年が、御手洗のもとを訪れる。自分は、頭から尻尾まで、骨がつながっている人魚のようなものの写真を見たことがあるという。その写真は、ベルリンのテンペルホフ空港の地下施設で撮られたものだという。 二次大戦下、ナチスのもとで進められた実験がその背景にあった。御手洗は、現場を訪れ、偶然知りえた当時の関係者に連絡をとる。 * こちらも重い話でした。感想は書きづらいですが、最近の島田さんの作品を連想しました。「耳の光る児」 中央アジアの広範囲の中で、紫外線で耳が光るという子どもがいることが分かった。知られている子どもの数は四人、その地域はばらばらで、子どもたちの母親たちに面識はなかった。ロシア政府の要請で、各地から研究者が集まり、その謎の解明にとりかかる。御手洗も、そのプロジェクトに参加したのだった。しかし、急にロシア政府から研究の中止が要請される。 ロシアや東欧、モンゴルとの関係について、分かりやすく整理されています。世界史を勉強しているときにこの話を読むと、流れが分かりやすいのかな、と思いました。 中世のキリスト教徒が東方にいると信じていた「プレスター・ジョン」についての話が長く紹介されていて、個人的には嬉しかったです。というのも、自分の研究対象である中世のある聖職者も、プレスター・ジョンについて言及しており、その関係でプレスター・ジョンについて少し勉強したからです。細かいところまでは覚えていませんでしたが、典拠までちゃんと挙げられていて、面白かったです。それに論文で読むより、やっぱり物語の方が面白いのは否めません(この記述は本当かな、と思いながら読む姿勢はもつようにしていますが)。 というんで、しばらくは世界史の話だったといえるでしょう。もちろん面白かったです。やはり遺伝子系の話が出てきて、これもやはり勉強になりました。「海と毒薬」 ボーナス・トラックですね。石岡さんから御手洗さんへの手紙です。内容は、石岡さんにある女性から届いた手紙の紹介です。だから、ほとんどは女性からの手紙となっています。 石岡さんが、過去の事件に関係するカフェをまわるのですが、それは女性からの手紙がきっかけでした。女性は、石岡さんの作品を読んで、生きるか死ぬか、犯罪者になるかどうかという頃に、それらのカフェをまわったというのでした。 冒頭で、石岡さんから御手洗さんへの手紙だと分かった途端、ああ、この話でも泣くかな、と思ったのですが、案外そんなでもなかったです。良子さんについてふれられているところでは、涙ぐみそうになりましたが。やはりあの事件について言及がある後日譚として感動するのは、『御手洗潔のメロディ』所収の「さらば、遠い輝き」です。 それから、アンデルセン童話の人魚姫への言及があり、あらためてアンデルセンを読み返したのですが、悲しいですが、綺麗な物語だなぁ、と思いました。本作中で女性が語っているような印象を私もいだきました。 *** 全体をとおして。タイトルもカバーも素敵で、そしてどの作品にも満足でした。ただ、誤植かな、と思うところがあったのが少し残念です。単に読み違いかもしれませんが。それにしても、これはおすすめです(あまり言わないようにしていますが、言ってしまいます)。…ある程度御手洗シリーズを読んでいないと、本書だけ読んでもどうかな、という気もしますが(特に「海と毒薬」は)。
2006.07.01
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島田荘司『透明人間の納屋』~講談社、2003年~ 母子家庭のぼく。ぼくは、隣の真鍋印刷ではたらく真鍋さんのところに毎日のように行っていた。真鍋さんはいろんなことを教えてくれた。食事も、しばしば一緒にとっていた。 真鍋さんのところにときどき訪れる女性-真由美さんは、ぼくや、ぼくの母親のことをひどく悪く言っていた。真鍋さんと真由美さんが激しく言い争うこともあった。 その真由美さんが、ホテルの一室から失踪するという事件が起こった。彼女の婚約者、太一が一緒に部屋にいた。太一がしばらく眠っている間に、真由美さんは消えていた。部屋の正面では、ホテル従業員が作業をしており、だれも部屋から出ていないと証言する。窓からの脱出も、不可能のように思われた。 失踪から五日後、海で女性の死体が見つかる。真由美さんと同定されるが、そこはホテルからアクセスの難しい場所であった。いかに女性は部屋から抜け出したのか。誰に殺されたのか。 事件が謎を残した。その頃、真鍋さんは、ぼくに何度か話してくれていた「外国」へと出発した。日本に、二度と戻ってこないだろうということだった。 ホテルの一室からの人間消失事件。わくわくする謎でした。 真鍋さんのところにある謎の機会。透明人間になる薬を使う機械だ、と真鍋さんが説明し、「ぼく」に証拠を示しているところなど、どこか幻想的でノスタルジックな気分になりました。主人公が子どもだから、というせいもあるでしょうか。 この事件自体よりも、真鍋さんの正体など、物語の背景がとても興味深かったです。 …と思い、いろいろ書こうと思ったのですが、あまりに政治的なことになりますし、こんな個人のブログに過激な反応があるとは思いませんが、自粛するとします。共産主義って、理想だけきけば素敵ですが、理想を実現できたためしが(ほぼ)ないんですよね(19世紀末に試みにそういう共同体を作った人々がいる、ということは認識していますが)。とまれ、某国について描かれています。その国について書いている本もいろいろあるのでしょうが、不勉強で読んでいません。島田さんが、もっと大々的にとりあげて書いてくれたらなぁ、などと思いました。 なお、本書は「かつて子どもだったあなたと少年少女のための"ミステリーランド"」第一回配本の作品となっています。箱から取り出すと、表紙が怖いです。
2006.05.24
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小路幸也『東京バンドワゴン』~集英社、2006年~ 東京の、とある下町にある昔ながらの古本屋<東京バンドワゴン>。古本屋とカフェを営む四世代家族の周辺で起こるいくつかの事件をつづった連絡短編集(中編集?)です。以下、それぞれの簡単な内容紹介と感想を。「春 百科事典はなぜ消える」 新学期が始まった、ある朝。店主の勘一は、店の本棚に、見たことのない百科事典が二冊だけ入っているのに気づく。しかし、その夜には、百科事典はなくなっていた。そんなことが何度か続いたとき、一家の子どもたち、花陽(かよ)と研人(けんと)が、百科事典の持ち主を知り、家族とともにその周辺を調べていく。夜回りで勘一らが気にしていた、ストーカーと思しき人間との関わりも浮上してきた。 全体の感想ともつながりますが、とにかくどの登場人物も素敵なのです。勘一の息子、 60歳になりながら金髪・長髪の我南人(がなと)さんなど、登場人物一覧のところで読む限り、とんでもない人だと先入観をもってしまったのですが、マイペースで素敵な方でした。LOVEはキーワードですね。 頑固者の勘一さんが、嫌っていた外国人への態度をやわらかくするあたりも、すごく温かくてほのぼのしました。 「夏 お嫁さんはなぜ泣くの」 花陽の母親、藍子が知人の葬儀に出た頃から、その態度がおかしくなっていった。一方、女性トラブルを持ち帰る青に、また新たな女性訪問者。名を牧原みすずという。彼女は、青と結婚するつもりできたという。そして、古本が大好きで、住み込みで手伝いたい、と。いつもなら、女性を追い返させる青だが、彼女への態度は違った。一家の男性たちもみすずに好感をもち、彼女は住み込みで働くようになる。その頃、一家の周辺にしばしばストーカーと思しき人間が現れ、また藍子の絵が切り裂かれるという事件が起こる。 未婚の母親、藍子さんと、スタイルがよく女性にモテる青さんの二人が物語の中心的な人物となります。お味噌汁と間違えて、カレーをよそってしまうほどとんでもないミスをしてしまう藍子さん。このシーンは印象に残ります。絵が切り裂かれてしまうところは、本書の中で一番(物理的に)痛ましい描写だったように思います。「秋 犬とネズミとブローチと」 10月。古本の値付けの以来を受け、岐阜県のある廃業した旅館に、紺が向かった。多くの本の値付けを終えた翌日、奇妙な事態が起こっていた。主人も、多くの古本もなくなっていたのだ。 同じ頃、老人ホームに入っている勘一の友人が<東京バンドワゴン>を訪れた。お店からホームに借りていった本の中の一冊を持って、ホームの利用者の女性が失踪したという。女性が持っていったというある作家のエッセーを手がかりに、青たちは女性を探す。 ミステリとしては、一番わくわくしました。一夜にして、旅館の主人と大量の本が消えた。物理的には不可能ではないですが、なぜこんなことをしたのか。ラストでは、やっぱり温かい気分になりました。失踪した女性も、いろんな人たちに心配をかけてしまったのは事実ですが、素敵なひと時だったでしょう。 「冬 愛こそすべて」 青の結婚の日が近づいてきた頃、藍子は、父の我南人に、青の母親について問う。藍子は、青の母を知り、ひどく驚いた。同じ頃、式をあげてくれる神社の康円に、浮気の疑惑がもちあがる。 本書の要所要所で活躍している我南人さんですが、このお話の中では、特にかっこいいと感じました。IT企業の社長さんも、なんだか素敵だと思いました。ーーー さて、全体を通して。本書は、今は亡き勘一さんの奥様であるサチさんが、一家を見守りながら語ってくれるというスタイル。サチさんによる一人称です。かわいいおばあちゃんなんだろうなぁ、頑固な勘一さんとも良いカップルだったろうに、と思いながら読みました。優しい語り口。家族に対する愛情にあふれています。というか、人間に対する優しさ、というか。亡くなった方も含め、いろんなことに気を配りながらお話を進めるのが素敵です。 とにかく優しさにあふれていて、読んでいてほっとしました。ーーー追記。コメントをくださった、でこぽんさんの記事はこちらです。リンクもはっていただきました。
2006.05.04
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鷺沢萠=文/稲越功一=写真『奇跡の島』~角川文庫、2001年~ 短い物語です。1ページあたりの文字数も少なく、写真も多いので、すぐに読めるかと。 南米のある島で、彼と見た太陽。南米にとどまりながら、自分には二度とあの太陽を見ることはできないと嘆くマリア。奇跡が起こることを祈る。奇跡は決して起こらないから奇跡なのだと、考えながらも-。 彼と過ごした過去。その、哀しい終わり。一つの幸せな人生(その後の「マリア」さんが不幸かといえば、そうとばかりも読めないのですが)を自ら終わらせるシーンも、どこか淡々と描かれていました。 その後、マリアさんと暮らしているホセさんが、素敵な人だなぁと思いながら読みました。過去のことを決して話さず、自分の具合が悪い理由も話さない、そんなマリアさんに理由を問うことなく、ただそばにいる。ドライブ中、突然の大雨の音にびっくりして(恐怖を感じて)泣き出してしまったマリアさん。彼女の肩を、両手でやわらかく包むホセさん。その後の二人のやりとりには涙でした。 今日はあまりじっくり写真を見ていないのですが、写真も素敵だと思います。あぁ、久しぶりに銀色夏生さんの写真詩集を眺めたくなってきました…。
2006.04.28
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鷺沢萠『そんなつもりじゃなかったんです THEY THEIR THEM』~角川文庫、平成7年(1995年)~ 鷺沢さんの友人方のエピソードを中心としたエッセイ集です。 もう何度も読んでいるのですが、感想をつけるのははじめて。 印象に残っているのが、「オレンジジュース状のものが飲みたい」というセリフ。はじめて読んだときは大笑いしましたし、今回は(昨日)電車の中で読んでいたのですが、思わず吹き出してしまいそうになりました。 他におかしかったのが、「寝押し」です。運命線がない、という鷺沢さんですが、上には上がいるもので…。 あとがきで鷺沢さんは、「電車の中なんかで読んで、ブフフッと吹き出していただけたりしたら、最高でございます」と書いておられますが、私は見事にそうなってしまいました。このエッセイ集、本当に笑えます。 103頁に女の子の絵があって、それから、少し雰囲気が変わります。それまで、話の主人公は男性だったのが、以後女性となり、エピソードもちょっとしんみりする話が増えていきます。 素敵だなぁ、と思いながら読んだのが、「真冬の家出」です。 * 昨日、今日と鷺沢さんの作品を読みましたが、やっぱり面白いなぁ、と思います。
2006.03.26
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鷺沢萠『F 落第生』~角川文庫、平成10年(1998年)~ 女性が主人公の、七編の短編集です。それぞれ簡単に内容紹介と、感想を。「シコちゃんの夏休み」 貧しい家庭で育ったシコちゃんは、高校生の頃、水商売でお金をためた。しかしこのままではいけないと思い勉強をがんばり、彼女は大学に入る。私、アキは彼女と良い友達になり、夏休みには旅行の計画をたてていたのだが-。シコちゃんの家庭の事情で、旅行が難しくなる。 波乱万丈な人生を送るシコちゃんと、平凡な(?)一人称の人物であるアキさんのコントラスト、ですね。平凡な、のあとに(?)をつけたのは、平凡ってなんだろう、という思いがあるからですが。家庭の事情で実家に帰り、数日大学を休んだ後、アキさんのノートを必死にうつして勉強するシコちゃんに、ただただかっこいいと思いました。「最後の一枚」 雀荘を経営する佐代。彼女は、昔出会った代打ちの男がその店に入ったとき、彼女の思いは複雑だった。過去にその男にあった目のすごさが、いまその男にはなかったのだった。 こちらは、麻雀用語のオンパレードで、私は麻雀についてほとんど知らないので、よくわからない部分がありました。そんな中でも印象に残っているのは、やはり「目」です。「忘れられなくて」 三年前、同棲していた拓也がアメリカに発った。同伴したのは、乃理子ではなく、乃理子の後輩だった。拓也からの電話を心待ちにしていた彼女のもとに、ついに電話がかかってきた。 オチがとてもいいです。ネタバレにしたくない作品。「ショートカット」 恋人から、髪を伸ばすように言われつづけているのに、なかなか決心がつかない晶子。小学生の頃の出来事が、その一因であった。 これは、いやな気分になった作品です。「家並みの向こうにある空」 男運が悪い千夏。付き合う男の定職がないなんてことは当然のようで、幾度失敗しても、似たような駄目男と付き合い、そしてその男を愛してしまう。友人たちから注意されつつも、そんなことが続いた。 そして彼女は、「普通の」男性とのお付き合いを望む。やっと「普通の」男性とめぐり合えたと思い、付き合い始めた千夏だったが、その男性は彼女のことをどうでもいい存在だと思っているようだった。仕事をやめるといったときも、友人の紹介で仕事をはじめるといったときも、リアクションは希薄だった。そして彼女は、彼と別れようとついに思い、冬の深夜に家を出た。 * これは、ラスト3ページのところで、最初に読んだときにすごく感動したことを思い出しました。多くは言いませんが、この短編集の中で一番よかったと感じています。「岸辺の駅」 京都の実家のお墓参りに行きたい-。体調を崩した母の願いをかなえるため、私は睡眠不足をおさえながら、東京から京都へ車を走らせる。ぶらぶらと京都を観光した後、母から思いがけない話を聞くことになる。 そして「私」はある決断をすることになるのですが-。家族の意義であるとか、そうしたことを考えるのはもちろんですが、タイトルにもある「岸辺の駅」が印象に残ります。「重たい色のコートを脱いで」 私学の雄と呼ばれる大学でメディア学を専攻、全優に近い成績で、受けた出版社から全て内定をもらった井口聡美。順調な人生だったが、ある大手出版社に就職してから、人生がかわる。紆余曲折を経て、彼女は現在、月刊漫画雑誌で、仕事が遅い漫画原作者の担当をしていた。 上で紹介した「家並みの向こうにある空」と同じく、この短編集の中で割と長い作品です。先の作品の主人公が男運のない女性だったとすれば、こちらの作品の主人公は仕事運にめぐまれなかった女性といえるでしょうか。出版社全部内定獲得!なんてうらやましいかぎりですが、それにしても就職先で彼女が受けた仕打ちは許しがたいことです。ただ、再就職先では、悩み、苦労しながらも、それでも充実した生活を送れているようです。一つ、哀しいことも起きてしまいますが…。ともあれこの作品も、ラストがとても感動的です。 * 本作品は、今回再読したわけですが、ほとんどの作品は忘れてしまっていました。そんな中、涙は流れるものではなくて噴き出すものだ、ということや、感動的なラスト。前回読んで印象に残っているのを思い出したのは、「家並みの向こうにある空」でした。ーーー(補足-日記)25日は、香川県は引田というところへ行ってきました。歴史町並みというところをぶらぶら歩き、べんがら塗りのお醤油屋さんやら、現在は喫茶店となっている旧引田郵便局などを見て回りました。二時間も歩いていませんが、足が痛くなってしまい…日ごろの運動不足を痛感しました。
2006.03.25
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鷺沢萠『ハング・ルース』~河出文庫~ 家出をし、男たちの家に居候をしてまわっていたユニ。何度も男に裏切られ、それでも男に期待する自分。それは、借金を繰り返す父の姿と似ていると思い、彼女は自分に少しあきれたりもする。 タツヤと暮らし始めてから、「クラブ・ヌー」での仕事をやめていたが、タツヤの部屋から出て行くことになった。ユニは、昼の仕事もしながら、再び「クラブ・ヌー」での仕事をはじめた。 フェイスとは、そこで出会った。眠気にたえながらグラスを運ぶ彼女を、踊っていると形容するウェイター。その言葉に、フェイスは大笑いしていた。 その日はとにかく疲れていて、具合が悪くなり、彼女は早退きした。居候先の女友達のところには、そのカレが来ていて、ユニには眠る場所がなかった。 ふらふら歩いていると、見つけたのは外車のショウルーム。ユニはそこにもたれて座り、眠ってしまっていた。 次に目覚めたとき、やわらかい場所に寝ていることに気づいた。ユニの隣には、フェイスがいた。 久しぶりに読んだ、鷺沢さんの作品。 父親の借金のせいで、家での暮らしがつらくなり、家出したユニ。いろんな男性のもとに居候するが、なかなか安心は得られない。 そんな彼女が出会ったフェイスは、体温を求めている人物です。おそらく賭博か、まっとうな手段で稼いでいないのは明らかなフェイスでしたが、ユニはいつか、彼を好きになっていきます。 印象に残っているのは、ユニがフェイスの部屋に、生活がないと感じるところです。いろんな人の部屋に住んでいるユニは、部屋の様子から、「何か」を感じるといいます。しかし、フェイスの部屋にはそれがない。 ハング・ルース。親指と小指をたてて、ゆるくつかまる。この話をするフェイスはかっこよく思えたのですが、考えてみれば大変なこともしていますし。ただ、そういう生き方もある、ということは、まったくその通りなのでしょう。 「おわりに」も、とても印象的でした。
2006.03.08
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島田荘司『天に昇った男』~光文社文庫~ 昭和51年、九州O県の星里という街で、事件が起こった。 星里は、星が美しいことで有名で、観光客でにぎわう街であった。その街の、伝説とも実話ともつかない言い伝えにより、昇天神社の境内に、桜の季節に高い櫓(やぐら)を建てる。そこで繰り広げられる昇天祭は、有名な祭りとなっていく。 古くからあった街だが、洋風の建物が増えてきた。昔ながらの、街一番であった旅館「ほしのや」の経営は火の車となる。その経営者三人が殺された。櫓に、ロープでつるされていたのだった。 容疑者は、「ほしのや」近くの料亭の板前であった、門脇春男。彼には、異例の速さで死刑が宣告された。 それから、17年の歳月が経った。10時10分前。拘置所の死刑囚棟に、看守の足音が響く。門脇の死刑が執行されるときがきた。 上の内容紹介では最後に書いた、死刑囚棟のシーンから、物語ははじまります。門脇さんに死刑が執行されるのは、平成5年(1993年)。日本に、死刑がそぐわなくなってきた-そういう様子が描写されます。法務大臣の署名により、死刑が執行される。大臣は、自分の手で殺人を犯す苦痛から逃れる。殺す側は、大臣の署名によって処刑されるんだからね、と、責任から逃れようとする。 ちょっとナイーヴな話題になりますが、中世ヨーロッパでは死刑執行人は蔑視されていました。そんなことを連想します。すすんでしたい人はいない、けれども、遺族のため、秩序のため、その存在が必要とされているのでしょう。 もちろん、死刑囚には、そうなってしかるべきことをしたという過去があるのでしょう。彼らは死んで罪を償うべきだからこそ、死刑囚となっている。けれども、彼らが殺されるとき、殺す側も、殺される側も、様々な思いにとらわれる。最初にいくつか、死刑囚の心情描写というか、死刑場に連れて行かれる前の言動が紹介されていますが、複雑な気分にならずにいられませんでした。 主人公の門脇さんは、しかし冤罪を主張しています。物語を読んでいくと、本当に苦しい人生で。といって、それは私が生まれてからの社会と、周囲の環境、それによって形成された私の考え方から「苦しい」と言っているのであって、当時を生き抜いた方々から見れば、本当に私などあまちゃんだと思うのですが…。こんなことを言っていると話がすすまないのでいきますが、覚せい剤の使用の件など、あきれてしまったというか…(門脇さんは覚せい剤もしていないようですが)。人の考え方を、いかに社会が規定しているか、というのをあらためて思います。そしてその社会を都合のいいように変えていくお上。…島田さんの作品からは、どうしても権力、お上への批判をはらんでいるようなので、こういう感想が出てくるという面も考慮しておきましょう。 ともあれ、門脇さんはやっと星里で落ち着けたかと思ったのですが、そこで出会い、彼を慕ってくれた女性が、また不幸な境遇で。そして事件が起こり、十七年の歳月が流れるのです。 ラストはへこみました。途中感動させられて例によって涙していたので。あっ、まさにラストで書かれているようなことを、私も体験させられたことになってしまいます。胸が痛むエピソードが多いです。高圧的な警察官。読んでいていらいらします。 そんな中、星里に伝わる話は、面白い(笑えるという意味ではないです)オチもあって、印象に残っています。天に昇るために、大きな櫓を建てる男の話です。
2006.02.28
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島田荘司『エデンの命題』~カッパノベルス~「エデンの命題」アスペルガー症候群のぼく-ザッカリ・カハネは、アスピー・エデンという教育施設に入れられていた。ここは、アスペルガー症候群と診断された中でも、学力が高い人々を集めた施設である。多くは、ここに入るまでに、いじめなどを受けていた。ぼくもその一人。しかし、この施設では、勉強に運動に、充実した生活が送ることができた。ここで知り合ったティアと、ぼくは親密になった。しかし、ある日、ティアが手術のために施設を出てから、ぼくは大きな陰謀に巻き込まれていくことになる。「ヘルター・スケルター」頭部を怪我し、記憶に障害をもっているらしい俺。俺の脳には、異常があるようだった。女医に、脳を活性化するという薬を飲まされ、その薬の効果の続く時間-五時間以内に記憶を戻さなければ、俺は生涯ベッドの上での生活になる可能性があると宣告される。女医の言葉にうながされながら、俺は少しずつ過去を思い出していく。 以下、それぞれの作品について感想を。「エデンの命題」。 私は学生の頃、アスペルガー症候群と診断された子どもたち、線引きは難しいのですが、自閉症、高機能自閉症と診断されている子どもたちの、託児のボランティアをしていたことがあります。本書の中でも言われていますが、「自閉症」とは、自分の中にひきこもる-いわばひきこもりのように誤解されることもあると思うのですが、決してそうではありません。すごく活発ですし、元気ですし。周囲の人にあわせるのが苦手で、周囲の人には、そこが受け入れがたく感じてしまう。正直、私も一緒に遊ぶ中で、対応に困ってしまうこともありました。思うところがあったのもありますが、自閉症について、ほとんど勉強もしていなかったのもあるのでしょう。 ともあれ、この中編は、そのアスペルガー症候群の少年、ザッカリによる一人称で話が進みます。旧約聖書の解釈-創世記の蛇、禁断の木の実、アダムの肋から作られたイヴ、これらについての話を、興味深く読みました。私は中世のキリスト教関係の勉強をしていますが、聖書の解釈などは不勉強でして、カインの妻の話については、なるほどと思いました。まったく、矛盾がありますね。 クローンや脳について、島田さんはずいぶん詳しいようで、既にいくつかの著作の中で、これらを題材にした物語を書いておられます。それらの作品を連想しながら、本作を読みました。「ヘルター・スケルター」 いろいろと違和感を感じながら読みました。最後は、あぁ、なるほど、と納得。こちらは、脳の仕組みについて、詳しく書いてあります。また、「エデンの命題」の主題がアスペルガー症候群と旧約聖書の二本立てとするなら、こちらの作品は、脳(の異常)とヴェトナム戦争の二本立てといえるでしょうか。ES細胞、インシュリンなどなど、最近よく耳にする言葉がよく出てきて、勉強になります(私はあまり分かっていませんが…)。勉強しなくては。 全体を通して、やっぱり島田さんの小説は面白いなぁ、と思いました。吉敷さんのシリーズはほとんど読んでいませんし、御手洗さんシリーズ以外の短編集ではあんまりぱっとしないと感じる作品もありますけれど…。
2006.02.16
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佐飛通俊『円環の孤独』~講談社ノベルス~(記事は、16日に書いています) 2050年、宇宙空間に浮かぶステーションホテル。ここに、招待客など、 15人の客が宿泊していた。 名探偵として有名なH・Mは、3年前に起きた事件の真相がわかった、と、吹聴してまわっていた。今回の客の中には、三年前の事件の関係者たちも集められている。その犯罪を、H・Mは皆の前で暴露しようとしていたようなのだが-。 H・Mは殺された。首のうしろを刺されており、自殺とは考えられなかった。しかし、現場には不可解な点があった。ステーションホテルの鍵は、全てDNA識別によっている。内部でH・Mは死んでいるというのに、彼の部屋の鍵はロックされていた。 三年前の事件にも、密室状況があったという。殺人鬼と呼ばれた男、時計に飾られたどくろ、そのどくろの紛失、闇夜を移動するどくろ…。その事件にも、不可解な点がいくつもあった。 ステーションホテル内の事件、そして三年前の事件について、宿泊客として居合わせた日本の刑事、鈴木新が謎を解き明かす。 私は、SFものは苦手なのですが、それでもなんとか読めました。しかし、ステーションホテルの機構の細かいところや、宇宙服を着てホテルから(万が一)出た場合でも、ホテルからそう離れてしまうことはないといったことなど、細かいところの説明は、登場人物の口を借りてなされており、「もっとも僕はそれ以上詳しいことは分からないけど」なんて言葉で濁されております。ステーションホテルの仕組みが本書の主題ではないにしても、主要舞台なのですから、せっかくこういう舞台にするんなら、もっと深めた設定にしておく方がよいのでは、と思いました。もっとも、私はあまりに物理学的な話になってついていけるわけじゃないですが、たとえば、分かる分からないは別として、竹本健治さん『匣の中の失楽』や乾くるみさん『匣の中』を興味深く読みましたので、細かい話を書いてもらっても楽しめたかな、と思いました。 本書の設定では、2050年の日本は大変なことになっております。んー、どうなるんでしょう。 がちがちに古典的な本格ミステリを意識されているようなので、正直、2050年で宇宙に浮かぶホテル、という設定がミスマッチのような印象を受けました。そういう意味で、三年前に起こった事件の方は、<文字反転>1980年の事件ですので<ここまで>比較的面白いと思いました。どくろの紛失なんて、なかなか魅力的です。 なお、作者の名前は、さびみちとし、と読むようです。ーーートラックバック用リンクです。でこぽんさんの記事はこちらです。ーーー ちょっと日記も。 火曜日に風邪をひいてしまい、午前中は大学に行っていたのですが、あんまり具合が悪くなったので、昼過ぎに帰宅して、寝込んでいました。水曜日もほとんど寝込んでいたのですが、夕方くらいに少し落ち着いたので、なんとか本書を読了できた次第です。
2006.02.15
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島田荘司『暗闇坂の人喰いの木』~講談社ノベルス~ 1984年、石岡和己が、まだ『占星術殺人事件』と『斜め屋敷の犯罪』しか発表しておらず、御手洗潔の名前がそれほど有名ではなかった頃。石岡本人に、女性から電話があった。彼女は彼の収入などを聞いてきて、石岡にはその意図が分からなかったのだが、ともかく彼女の元恋人が藤並卓であり、今度の事件の第一の被害者となる。 台風が過ぎたある朝、暗闇坂の下にあるおもちゃ屋の主人が、暗闇坂の上の方にある藤並家の洋館の屋根の上に、人間が座っているのを発見する。卓の死体だった。 目立った外傷はなく、警察は心不全ということで片付けようとしていたが、御手洗は不審な点を指摘し、事件に注目する。被害者の死亡推定時刻に、彼の母親が、藤並家敷地内に生える巨大な楠の下で、頭部を強く打って倒れていたこともわかる。 この楠には、様々な噂があった。枝にぶらさがるずたずたになった少女の死体。洞に耳をあてると、楠が食べた人々の声が聞こえ、死体も見つかるという。 卓の弟、譲は、死刑の歴史に深い興味を持つ男だった。石岡は、彼から残酷な死刑の事例を聞かされることになる。 戦後しばらく、藤並の敷地には、外国人のための学校があった。創立者は卓たちの父親、ジェイムス・ペイン。卓の死体が座っていた屋根には、もともとにわとりの像があった。その像も、事件を境に行方がわからなくなっていたのだが、この像は、羽を動かし、またそれと同時に、音楽を奏でる仕組みになっていた。ペインは非常に規則正しい生活をしており、毎日正午にこれを鳴らしていた。しかし御手洗は、ここにも暗号を見出す。 事件はさらに深まっていき、ペインの故郷、スコットランドにまで御手洗たちは向かうことになる。 …やっぱり島田荘司さんはすごいです。読んでいて震えそうになるところもありました。読むとこれだけすごいと思うのに、再読なのです。ほとんど覚えていませんでした。 先日紹介した『ハリウッド・サーティフィケイト』など、松崎レオナさんが、このシリーズで重要な人物となるのですが、彼女の初登場作品が本書です。第一印象は高慢な女性なのですが、次第に御手洗さんに対する接し方が変わっていきます。以後の作品のレオナさんを理解するには、本書の前提があるとよいでしょう。 本書には、図版付きで様々な死刑の様子が紹介されています。最初に読んだのがたしか高校生の頃で、そうした死刑の歴史をいろいろ調べてみたいと思ったものですが、なにぶん露骨なタイトルの本を買うのはまだためらいがありましたから…。ある種、そちら方面のネタとして、本書を重宝しておりました。単に好奇心が強いのもありますが、どうしてこうも人間の醜い一面に興味をもってしまうのか。本書の中にもありますが、そうしたものは、一種独特の魅力を持っているのでしょうか。公開処刑に多くの人々が集まった事例が紹介されていますが、それはやはりその時代、その社会、その文化が影響しているのであって、現在ではなかなか受け入れがたい…といいたいところですが、アングラなサイトが多々あるということも聞きますし、やはり人間をとらえるところがあるのでしょう。目をそむけたい一面ですが。 いつものように話があちこちいってしまいますが、本書の冒頭では、スコットランドでの事件が紹介されています。少女を愛し、つかまえ、殺し、ばらばらにする男。彼は死体をコンクリートの壁に埋め込むのですが、 10年後にその建物が調べられたとき、死体が発見されなかったという、御伽噺めいた物語。御伽噺めいた物語といえば、内容紹介でもふれた、楠による人喰い。こうした謎も、きれいに明かされます。1984年、卓さんたちが被害者となる事件も、ミステリとして非常に魅力的ですが、こうした御伽噺のような事件も解決されるのが、嬉しいです。 良い読書体験でした。
2006.01.09
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島田荘司『ハリウッド・サーティフィケイト』~角川書店~ ハリウッド女優レオナ・マツザキの親友で、同じく女優であるパトリシア・クローガーが殺された。 あるヴィデオが、LAPD(重要犯罪課)に届けられた。パトリシア殺害の犯人が自ら、その殺害の過程を写したスナッフ(殺人を写したヴィデオ)だった。犯人はパトリシアの両手を手錠をかけ、彼女が成功する過程で関係した男たちのことを白状させる。そして、銃殺。その後のことはヴィデオに写されていなかったが、犯人はパトリシアの腹部をのこぎりで切り、子宮などを奪っていた。 この事件に対して、レオナは怒りを表明した。犯人を決して許せない、と。そして彼女は、事件の捜査に深く関わることになる。 同じ頃、レオナの知人が、彼女にジョアンと名乗る女優志願者を紹介する。ジョアンは、記憶を失い、しばらくホームレス生活をしていたという。また、腹部に手術の跡があり、腎臓と子宮がとられている、と言う。ジョアンはイギリスで一緒だったというイアンのおかげで、ケルトの神話に詳しく、いろんな話をレオナにしてくれた。 パトリシア事件からしばらくして、再びLAPDにヴィデオが送られてくる。次のヴィデオの被害者はしかし、殺されず、世間の注目を浴びることになる。 レオナはLAPDのエドの強力をえながら、事件の解決に乗り出していく。 すごいです。やっぱり島田荘司さんはすごい。2005年最後に読む小説となるでしょうが(今日はもう寝るまで小説は読まないことにしようと思うので)、本当に良い読書体験でした。本書を買ったのは、たぶん4年前。ハードカバーで760ページ、最初に読んだとき、第一章あたりであまり楽しめず挫折、そのまま眠らせてしまっていました。その間に文庫版も出てしまったわけですが…。で、私は横になって読書をしているので、途中、本を支える腕がしびれたりしてびっくりする、なんて体験もしながら読み進めたのですが、しつこいですが面白かったです。 第二章。ケルトの神話がいろいろと紹介されます。パトリシアから子宮が奪われたことと、ケルトの神話で重要な役割を果たす子宮。こちらはこちらで興味深いのですが、神話自体が面白いのです。ローマ帝国のブリテン侵入、アングロ・サクソンの侵入。このあたりの史実もふまえた話はとても興味深く、私はいうほど神話関係の本も読んでいませんので、ある神話が「異教」からキリスト教への改宗を示すものだ、という話もとても興味深かったです。 ケルト民族のリーダー的女性が、ローマの兵士にとらえられます。彼女はケルトの伝説を語り、ケルトの民を元気付けていたのでした。ローマ人は彼女に、物語をさせます。そして、それを称えます。やがて、彼女に台本が渡されます。いつも通りの彼女のように、ケルトの伝説を語ることが中心。しかし最後は、その劇の中で、彼女自身が処刑されるという話です。殺される前に、牛に犯されて。 以下、いささかネタバレも含むので、文字色を変えることにします。 こういった話が、ただ物語の紹介に終わらないわけです。全体の中で、重要な役割を果たすことになります。 ハリウッドの女優たちがもつ、名誉への執着、傲慢さ、裏の姿、友人が同時に恨めしい人間でもありえるという世界。本書の中で、こうしたハリウッド女優たちの裏にある暗い部分が果たしている役割ももちろん大きいのですが、国家規模の裏組織の存在、臓器移植にまつわる問題、クローン問題、こういった先端医学の問題が大きくとりあげられており、考えさせられました。クローンは、倫理的に許されがたいものである。一方、クローン技術によって、免疫の問題も克服し、自分が望む臓器移植がうけられるかもしれないという、理想がある。もちろん、私は医学に詳しくないので、クローンの話については、本書で得た知識くらいしかなく、その知識をもとにこれを書いているわけですが、倫理的な規範を犯してまで、人は生きていいのか、人を生かしていいのか、ということを考えました。もちろん、私もそういう状況におちいったら、こんなところでのんきに思索している以上に、もっと深刻に、全力で、その問題について考えることになるのでしょう。所詮、いまの自分はのんきに生きているという現実。けれど、そういうことも含めて、問題を知り、問題意識を抱き、考えさせてもらえた、ということで、この読書体験は貴重だったと思うのです。これさえも奇麗事でしかありませんが…。 作品の性格上、『アトポス』を思い出さずにいられませんでした。あの作品も細かいところまでは覚えていないのですが、レオナさんが中心ですしね。(反転ここまで) さて、本書の主人公はレオナさんです。最後の方は、どうしようもない気分になる事態になってしまいますが…。私は正直、あまりレオナさんに好感を持っていないのですが(そのあたりも、本書を長いこと未読の状態にしておいた原因かもしれません)、それでもかっこいい、と思いました。いたたまれない気持ちにもなりましたが…。御手洗さんも、少しですが(そして電話ですが)、登場します。やっぱりかっこいいですね、御手洗さん。警察のエドさんも活躍します。本書の中で、一番まともな人間というか、「一般」の人に近い人で、彼のおかげでなにかしら安心して読める部分もありました。レオナさんも、彼のおかげでずいぶん安心していますし。(追記)読書中に腕がしびれた、と書きましたが、考えてみれば読了に8時間くらいかかっているわけでして…。その後も、多少ひじが痛いです…。
2005.12.31
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鷺沢萠『夢を見ずにおやすみ』~講談社文庫~「今日も未明に電話は鳴った」父親のガールフレンド、ハマジュンから、未明に何度も電話がくる。父親と喧嘩して。会いたい、話したい。うっとうしく感じている和広だが、本当にハマジュンと父親の関係がやばくなってきたと思われた頃、職場であるデパートの靴コーナーにハナジュンが来たときは慌てて、彼女の話を聞くことにする。バカで、でもカワイソーなところもある。そう彼女のことをとらえていた和広だが、考え方をあらためていくことになる。「あなたが一番好きなもの」かつて、自分に夫と別れるように迫ってきた女-当時、夫の浮気相手だった女、真梨子から電話がかかってきた。結婚することになった。結婚相手に会ってもらえないだろうか。真梨子の言葉は、信代には意味が分からなかった。そうする義理もない。しかし同じ頃、夫と息子との関係の中でいらいらもたまっていたことも重なり、信代は、「面倒くさい」という気持ちにも関わらず、真梨子に会いに行くことになる。「夢を見ずにおやすみ」高橋淳子は、結婚式会場でエレクトーンを演奏する仕事をしていた。そんな彼女の姿は雑誌でも紹介されたのだが、それを見たという、今は亡き父が生前関わっていた女からとつぜん電話がかかってきた。こちらも疲れているのに、ゆっくり休ませてくれない夫。仕事の方でも嫌なことが重なった。淳子は、自分でもそうする理由がわからないまま、彼女に会いに行く。 数年ぶりの再読です。独立した短編集と思い込んでいたのですが、登場人物は重複しています。上の内容紹介でも多少意識しましたが、「できればあまり接したくない人物からの電話」「自分でもうまく理由付けできないままその相手と会う」という点で共通しています。 なんというか、周りの人間をバカだと思い、不満を感じ、自分もがんばっているのにどうしてこんな思いをしなくては、という不条理(でもないか)な思いにとらわれている人々が主人公で、でも自分がバカだと思ったり不満を抱いている相手も、実はがんばっているし、(それがバカげたことかもしれないにしても)夢中になって取り組んでいることがある、ということかな、と。 最初の話は和広さんが主人公ですが、後の二編は夫をもつ女性が主人公で、より類似性を感じました。洗い物などの家事、夫への不満、というところにそれを感じました。 …短いし、さーっと読めると思って読んだのですが、どうもモヤモヤした感覚が残ります。それぞれの終わり方は、決して暗いものではないのですが、物語の中での「暗さ」にいちいち反応してしまうので(それは物語を読む中で自分の中に見つける「暗さ」でもあります)、どうも…。
2005.12.25
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島田荘司『摩天楼の怪人』~東京創元社~ 1969年。コロンビア大学助教授、ミタライ・キヨシは、大女優ジュディ・サリナスの肝臓の病をみてほしいと以来を受け、マンハッタン島の摩天楼の一つ、セントラルパーク・タワーの 34階の部屋に呼ばれた。ジュディは、死が近いことを覚悟していたのだが、ミタライが多くの殺人事件を解決してきたことを聞き、いままで家族にも秘密にしていたということを、告げる。 48年前、自分は人を殺した。ひどい嵐の夜、停電のよってエレベーターがとまっていた時間帯。 34階にいた、というアリバイのない時間はわずか15分。その中で、一階にいた男を射殺したという。 自分自身でも、どうやって殺せたのかわからない。彼女はそう言っていた。 セントラルパーク・タワーには、他にも多くの事件が起こり、謎が残っていた。あいつぐ不審死。時計塔の時計の長針で首を切られた男。ときどきジュディのまわりの人々が見かけた、「亡霊」。 劇作家のジェイミー・デントンの協力を得ながら、、ミタライは事件の解明に乗り出す。 やっぱり島田荘司さんの作品は面白い。そう感じながら読み進める、良い読書体験でした。 現代(1969年)については、基本的にジェイミー・デントンの一人称で進みます。ただし、事件が48-53年前のものですので、その大筋は当時事件の捜査にあたっていた警察官サミュエル・ミューラーの一人称で進みます。ミューラーさん、かっこよかったです。 さて、上のあらすじでも簡単にふれましたが、本書は本当に大掛かりな謎を提示してくれます。セントラルパーク・タワーの、ほぼ全室の窓が割れるという事件もあり、こちらもわくわくしました(ただ、こちらについては知っていたことを連想してしまい、解決では、やっぱりあのことか、となってしまいましたが、それと作品の面白さは別ですから)。密室の中、5年の間を隔てて、ほぼ同様の状況で死んでいた二人の女優。作中でもふれられているとおり、まさに「デジャ・ヴュ」を思わせる状況で、誤解を招くかもしれませんが、魅力的な謎でした。 御手洗さんとデントンさんも良いコンビで、試行錯誤していく様子をわくわくしながら読み進めました。 そして、やはり、ある種の人に対する御手洗さんの優しさ・思いやりに胸をうたれます。犯人はどう考えてもとんでもないことをしているわけですが、どこか犯人に対する思いやりも見せる御手洗さん。素敵です。胸がうたれたといえば、先にも少しふれましたが、ミューラーさんの言葉、その生涯も印象に残ります。スープ。陰惨な事件、不可解な事件、深まる謎…その渦の中ででてくる、かつての敏腕刑事の日常には、少し緊張がほどかれ、そして感動した次第です。 * さて、本作の舞台は1969年のニューヨークです。『占星術殺人事件』の解決が1979年ですから、本作は石岡さんと御手洗さんが出会う前の事件ですね。いつか御手洗さんの年譜も整理しておきたいなぁ、と思います。 * 最後に、よく分からなかったところを。文字は白にしておきます。 第四章は、結局どういう位置付けなのでしょうか。とても面白く読んだのですが、真相との関連がよくわかりませんでした。***トラックバック用リンクです。でこぽんさんの記事はこちらです。
2005.12.04
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島田荘司『占星術殺人事件』~講談社ノベルス~ 昭和11年の梅沢家一家殺人事件の謎は、40年経った今でも、解かれていなかった。 占星術師・御手洗潔のもとに、なかば助手のような立場にいる石岡和己。二人のもとへ、ある女性が訪れた。警察官だった自分の父が、40年前の事件に関わる手記を残していた。彼女の知人が、御手洗にトラブルを解決してもらったときき、相談にきたという。 御手洗はその事件を知らなかったため、石岡は事件の概要を説明する。 梅沢平吉という画家がいた。彼は占星術に凝っており、また、人形にも関心を抱いていた。 彼の名による手記が残っていた。そこには、以下のようなことがかかれていた。 母親がみな同じというわけではないが、彼には七人の娘がいた。一人は年も違うので除くとして、残りの六人は、みなそれぞれを支配する星座が異なっている。彼女たちの肉体の一部ずつを使って、究極の存在「アゾート」を作ろう、という。アゾート造りに使わなかった部分の遺棄の方法も記していた。 そして、実際に事件は起こる。まず、平吉自身が、密室状況で殺されていた。雪の足跡もからんでくるものだった。 そして、娘たちのうち、アゾート造りには関係なかった女性も殺された。彼女には、屍姦された形跡もあり、アゾート殺人事件とは別件と考えられていた。 最後に、俗に言う占星術殺人事件。日本各地の六ヶ所から、体の一部ずつが欠けた死体が見つかった。 真相は、40年解かれていない。 こうした背景を知り、依頼主が持ってきた手記を読んだ御手洗は、事件の「解決」のため、動き始める。 数年ぶりの再読です。島田荘司さんのデビュー作です。 はじめて読んだとき、このトリックにかなりの衝撃をうけたので、、正直トリックも犯人もおぼろげに覚えているままに読んだのですが、やはりすごい作品はすごいですね。梅沢平吉が密室で殺されていたというのを忘れていたので、そこも興味深かったのはあるとはいえ、話のもっていきかたがいいです。「パズル」を解くために、効果的な順番で、情報が提示されているように感じました。 ところで、御手洗さんはおだての利くタイプだったのですね。…そんな気はしていませんでしたが。 竹越刑事に対する態度。ああいうのが大好きなのです。権力をかさに着せた傲慢な人間に真っ向から反抗する。自分の信じる生き方をまっすぐに。犯人に対する思いやり(?)にも、やはり心をうたれます。そういえば、いま何作か御手洗さんシリーズを連想したのですが、彼はある種の犯人には非常に優しくふるまいますね。 ところで、本作のトリックは某マンガがほぼそのままの形で使ったのだそうです。私はそのマンガは読んでいませんし、先の記述が正確でなければすみません。密室トリック、アリバイトリック、一人二役、顔のない殺人、なんでもよいですけれど、巷はミステリであふれかえっていますから、似たようなトリックが出てくるのは、それは仕方ないと思います。でもいくらなんでも、これを使う(少なくとも、借用したと思われても仕方ない形で使われたから、私もどこかで非難の言葉を聞いたことがあるわけでしょう)のはどうかと。 たしかに、本作は、トリック以外にも読ませてくれる部分はあります。けれども逆にいえば、そのトリックが核心にあるわけで、さらにそれを効果的にプレゼンしていることが、本作の評価を高めているのでしょう。なのにその「核心」の部分を使いますか?本来ならそのマンガを読んだ上で以上のような批判をすべきだと思いますが(マンガはマンガでストーリーテリングがうまくて、感動させてくれるのかもしれませんけれど)、まあしばらく読むことはないでしょう。 私には、そのマンガでトリックを知った人があとから本作を読んだときに驚きが減ってしまうのが、残念なのです。たとえそのマンガの「核心」はそのトリックにあるのではなく、別のところにあるのだとしても。 ともあれ、私はトリックも知らないままに本作を読めて、本当によかったです。 やっぱり御手洗さんシリーズはいいですね。他にも感想を書いていない作品があるので、また読んでいきたいです(一作を除き再読になりますが)。
2005.10.29
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鷺沢萠『大統領のクリスマス・ツリー』~講談社文庫~ 19歳のとき、ワシントンDCで、香子は治貴に出会った。治貴は、一歳しか違わなかったが、とても大人びていた。二人は、アメリカに留学していた。 二人が一緒に暮らすようになるのに、それほど時間はかからなかった。しかし、香子は卒業後に日本に帰ることにしていたし、治貴はロー・スクールへの進学を希望していた。その矢先、治貴へ仕送りをしていた人物が亡くなったという知らせが届く。香子は、いったん帰国したものの、両親の反対を押し切りすぐにアメリカに戻ってきて、彼を支える。睡眠時間をひたすらに削り、働きつづける。治貴は、勉強を続ける。 悲しい事故もあったけれど、二人は着実に「夢」をかなえていき、幸せに暮らしていた。 苦学生の二人が支えあい、そして香子さんが卒業してからは、彼女が生計をになう。やがて治貴もロー・スクールを卒業し、就職。さらに二人は結婚もし、本当に幸せな生活をしています。だから…どんどん切なくなっていくのです。 今回、再読なのですが、どうなるか、という部分は覚えていました。幸せすぎるのです。ものすごく努力してつかんだ幸せなのです。なのに…。 大人びた治貴さん、ささいなケンカ、仲直り、気遣い、強い(こわい)心と強い(つよい)心の違い。ドラマティックな事件の描写ももちろんなのですが、日常の中のなにげない気遣い、やりとりや心理の描写、そうした部分に心打たれました。 今まで読んできた鷺沢さんの作品の中で、とても印象に残っている作品です。ーーー午前中に三冊読めました。岡山はまだ風がありますが、晴れたので、大学に行くことにします。
2005.09.07
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小路幸也『ホームタウン』~幻冬舎~ 人殺しの血が流れているから―。僕、行島柾人は、中学生の頃、両親を失った。妹とともに、カクさんのもとでしばらくお世話になった。 北海道最大の百貨店<三国屋>の<特別室>部長として、柾人は「監査」を行っている。自分の仕事のせいで、人生がめちゃくちゃになる人々もいる…。彼はそれを割り切って、仕事をしていた。現在は、自分のせいで息子夫婦を失ったおばあさんと、その孫娘と一緒に住んでいる。おばあさんは事情を知っているけれど、柾人を支えてくれている。 ある日。長いこと連絡をとっていなかった妹―木実から、手紙が届いた。結婚が決まったという。しかし、それからしばらくして、木実の同居人、浅川から連絡があった。木実がいなくなったという。ほぼ時を同じくして、木実の婚約者も失踪していた。 故郷、旭川。二度と戻りたくないと思っていたその場所へ、柾人は戻る。妹と、その婚約者の行方を知るために。 深く考えはじめると、いろんな人間の嫌な、どす黒い部分が見えてきます。ですが、本作で主に登場する人物は、それが暴力団の幹部クラスの人物であっても、優しさ、暖かさを持っているのです。まず、柾人さんが、草葉さんのことを回想するシーンで、そんなことを考え始めました。世界はやっぱり矛盾に満ちていて、でもそれに目をつむらなければ、多くの人々の生活が壊れてしまう…。さらなる矛盾です。こうして、いかに矛盾と折り合いをつけていくか、それが「大人」なのでしょう。本作で言われている「大人」とは、そういうことができる人だととらえました。大学院生という、なんとも中途半端な立場ですし、うだうだ考えることも多いので、私はまだまだ「大人」ではないと思いますが、少しずつそうなっている気もして。そのよしあしは、この際考えないことにします。矛盾が許せなくてわぁわぁ言っていた時期の自分の方が、まだ今の自分に近いので。 ともあれ。本作で素敵だなぁと思った人物は、いまも名前を挙げた草葉さんです。自分が死んでも、誰も悲しんでくれる人はいないだろう。でも、誰かが、「あの人は、自分には優しい人だった」って言ってくれることを、望んでいる。素直、というのかな…。とにかく、かっこいいと思いました。もちろん、草葉さんに恨みを持っている人々もいるでしょう。そういう方々の立場から描かれていたら、当然草葉さんへの印象も違ったものになっていたと思います。結局、人は、自分が見ている面だけじゃなくて、いろんな面を持っている。自分がとことん憎いと思っている人間が、誰かにとっては心から慕われている人間かもしれない。理屈では分かっていても、誰かに対するイメージというのは、なかなか変えづらいものです。難しいですね。 内容を通して感じたことも書いておきましょう。婚約者たちの、謎の失踪。その理由、行方を追っていくうちに、裏で動いている大きな存在が浮かび上がってくる…。これこそがハードボイルド、という作品を読んだことはないと思うのですが、なんだかそういう印象を受ける部分もありました。本作がハードボイルドだとはいいませんが。 とても悲しい、つらい過去を背負った人々。もっともっと彼らに感情移入すれば、つらいと思うこともあると思います。でも、紆余曲折はあるにせよ、誰もが前向きに生きようとしています。だからでしょうか、やっぱりとても暖かい物語なのです。 そして、カバーデザイン。素敵です。 最後に。柾人さんの妹が、木実さんという名前であるために、とても感動的な文になっている一節があります。 237頁です(私の深読みかもしれませんが…)。ちょっと照れますが、この部分の木実を、「君」と置き換えて、私は泣いてしまいました…(他の部分でも泣いたのは言うまでもありませんが)。はてなのブログにトラックバックを送信するのには、送信元からリンクをはらなければならないようです。実験してみます。My Recommend Booksからもトラックバックをくださったでこぽんさんの記事はこちらです。(でこぽんさん、とつぜんにすみません)
2005.08.29
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関田涙『エルの終わらない夏』~講談社ノベルス~ 早河荏瑠(エル)が17歳の年、母が死んだ。エルは、父親の兄である桂にひきとられることになった。エルは、物心つく前に彼に会ったことがあるそうだが、ほとんど知らない相手といってもよかった。 17年前の夏、桂の家で事件があった。暖炉に、身元不明の女性が暖炉で焼かれていた。桂は、外側から閉ざされたアトリエの中で、倒れていた。その現場に、エルの父である成もいたようだが、成の行方は、それきり分かっていない。警察は、成の犯行とする説ももっていたが、すでに時効であった。 エルは、過去の事件を知らなければ、これから先に進むことはできない、と考える。彼女が一人きりの時に、ふいに現れる不思議な女性、ウラニア。桂のもとへ住むようになって出会った少年、誠。二人は、過去の事件のことを考える手伝いをしてくれる。 家庭教師としてエルについた大学院生も事件のことを探ろうとしたが、行方不明になった。エルたちは、桂が主犯ではないかと考えてはいたが、やはり過去の謎は解き明かせなかった。 内容紹介はこのくらいにしましょう。過去の謎が分からないままに物語が終わったりすることはないので、ご安心を。 あれは、北村薫さんの小説だったでしょうか。他の作品でも、読んできたことですし、実生活でも感じていることですが…。ある事件が起こる。不明な部分を明らかにすることは、たしかに大切ですが、人生はそれで終わりではありません。その後、どうしていくか、が大切な問題となるのです。 衝撃的な形で、事件の真相を知るエルさん。しかし、彼女は、それから、大きな決断をせまられることになります。17歳の少女が抱えるには、あまりにも重たい問題…。 この物語の主題だと私が感じた部分については、ネタばれになるので書きません。代わりといってはなんですが。 上記の内容紹介で、関田さんの既刊ヴィッキー・シリーズを読んだことのある人は、「ん?誠?」と思われたかもしれません。もちろん、本作は本作自体で十分に面白い(interesting)ですし、考えさせてくれる物語ですが、既に三冊出ているヴィッキー・シリーズを読んでいると、さらに興味深く読めるのではないでしょうか。やはり、ある作家の本を読むときは、一作目から順番に読んでいる方がよいなぁ、と感じました。ヴィッキー・シリーズは三作目『刹那の魔女の冒険』で一応の完結、と聞いていたので、このような形でふれることになるとは思っていなかったのでした。なので、ちょっと嬉しかったです。 エルさんに、素敵な未来が訪れますよう-。
2005.06.19
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坂木司『切れない糸』~東京創元社~ 俺、新井和也は、就職先がなかなか見つからずに、焦りを感じていた。 実家は、クリーニング屋。両親、アイロン師のシゲさん、三人のおばちゃん(松竹梅トリオ)が中心に、店を切り盛りしていた。店を継ぐ気はなかった和也だが…。 父親が、突然倒れた。脳溢血だか、なんだかと聞かされた。そしてそのまま、死んでしまった。 臨時休業のまま、一か月が過ぎる。シゲさんは、放心状態にあった母や俺に檄を飛ばす。店を継ぐ気などなかった俺だが、そのとき、店を手伝うと言ったのだった。 それから。いろんな失敗をしたり、注意されたり、いやな気分になることもあるが、俺は仕事を続けていった。そんな中で、俺はいくつかの「事件」に関わることになる。 しばらく前からこの町に住んでいるのに、スーパーの中の売り物コーナーのことを知らず、和也に、そういう細かいことから、近所の店の位置、料理の仕方などを、とつぜん聞いてくるようになった、一児の父。 幼い頃から学校が一緒だったがあまり交流のなかった女友達。まじめで、目立たないかっこうをしていた彼女が、髪を短くし、染め、服装も変わっていった。彼女の母親は、そんな彼女の心配をする。 妙な衣装を、クリーニングに出してくる男。気さくな人だと思っていたのに、あるときは妙につっかかるような物の言い方をしてくる。店のおばちゃんたちも、男の職業に興味をもちはじめる。 商店街で目撃されるようになった「幽霊」。声をかけると、「幽霊」はすっと角を曲がり、すぐ後を追っても、いなくなってしまうという。 和也は、これらの「謎」に、関わってしまう。そこで彼が相談に行くのが、彼の友人、沢田直之。彼は、事件の謎を解きほぐし、そしてその後のことにまで気をかけている、そんな男だった。 坂木司さんの最新作。『青空の卵』にはじまる坂木&鳥井シリーズにかわる、新シリーズ(なのだと思う)である。 一人称の「俺」には、困ったこと、悩み事を抱えた生き物や人々がやってくる。悩みなどを抱えた人たちを、ひきつけてしまう体質のようだ、と思っている。いろんな動物をひろってあげたり。 彼の相棒となる沢田さんは、喫茶店でバイトをしている。料理がうまく、推理力がばつぐん。内容紹介にも書いたが、ただ事件の謎を解くだけではない。その後に、どうするべきか、どうするのが良いのか、そういうところまで気を回す青年。人の話を聞き、的確なアドバイスをするが、自分のことはほとんど話さない、少し他人から距離をとったスタンスをたもっている。 この二人が、和也が関わる「謎」を解いていく。 …という、内容紹介よりも。 やっぱり、坂木さんは、登場人物をとても大切にする方だなぁ、と思う。前シリーズでも感じたけれど、前の短編で事件の当事者として出てきた人々が、その後の話にも、きちんと生きている。だから、坂木さんの物語は、連作短編集のようでもあり、全体で一つの物語になっているようにも読める。 そして、優しい。もちろん、中には、つらいこと、悲しいこと、怒りたくなること、ネガティブな要素をもつことはたくさん描かれている。けれども、全体に漂うのは、優しさだと思う。 昨日は、小路幸也さんの作品を読んだ。小路さんの作品も優しさにあふれていると思う。そして、明日からは加納朋子さんの小説を読むつもり。こうして、三作続けて優しい物語にふれる。うん、なんだか良い気分。
2005.06.05
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小路幸也『HEARTBEAT』~東京創元社~ 10年前。「僕」は、同級生のヤオと、10年後に会おうと約束していた。 家庭環境のせいもあり、非行に走っていたヤオ。しかし「僕」は、彼女の優しい面も知っていた。だから。自分で生活を取り戻すことができたら、そのときは、一億円を渡すから、と。 ニューヨークで暮らしていた「僕」は、約束の日が近づいていることに気づき、日本に帰国する。しばらく、ヤオのことは頭から離れていた。しかし、いろいろな出来事が重なり、僕はどうしてもヤオに会いたくなっていた。 待ち合わせの場所、待ち合わせの時間。ヤオの代わりにやってきたのは、一人の男。男から「僕」は、ヤオが失踪したことを知らされる。 内容紹介で、いきなり「一億円を渡す」なんてのを書いても、未読の方にはぴんとこないと思うが…。 でこぽんさんのところで、本書が複雑な構造をしている、ということを読んでいたので、ついていけるかな、と思い、まとまった時間をとって一気に読んだのだけれど、正解だったと思う。 * 物語の性格上、全体についての感想は書きにくい。ので、特に印象的なエピソードに限ることにする。 自分にとってとても大切な人が、殺された。犯人がどこにいるのか分からない。しかし、その犯人を捜す。必死に捜す。今の自分の生活を捨ててまで。復讐をするために。 なかなか見つからず、時間ばかりが流れていく。そしてようやく、犯人の所在を知る。しかし、自分にとっては、大切な人を殺した憎むべき犯人なのに、他の誰かにとっては、とても大切な存在となっている。もしここでその犯人を殺せば、その人のおかげで命をつないでいる人々は、さらなる苦境へ追いやられてしまう。 私は具体的にどういった議論がなされているのかよく知らないが、死刑の是非という問題にも関わってくるのではないか、という考えが浮かんだ。 残虐な殺人を犯してしまった人がいる。しかし、そういう人でも、その後に、誰かの役に立ち、誰かに必要とされる存在になりえることは、決して否定できない。そう考えると、なんだかやりきれなくて仕方がない。 * 案の定、読みながら何度も涙した。意外な結末だったし、昨年自分が書いた拙い短編とある部分が同じで(小路さんの作品と比べるだなんて、恐れ多い、無謀もいいところであるが、その短編は文芸サークルの方に投稿はできないな、と思った)、ちょっと驚いた。 読了後、表紙を眺める。小路さんの名前の下に、こう書かれている。"Can't you hear my heartbeat? Can't you hear my..." それを見て、ざーっと物語の流れが頭の中で蘇って、また泣いてしまった。
2005.06.04
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佐藤友哉『子供たち怒る怒る怒る』~新潮社~「大洪水の小さな家」起きると、町は洪水に襲われていた。その家も二階まで水に侵されている。11歳の僕と弟は、激しい雨の降る中、屋根に避難していた。しかし、妹がいないことに気づき、僕は水の中へ潜っていく。 感想。僕、弟、妹。三人だけで完結していて、他人は、親ですらもどうでもいい、という価値観の僕たち。『言葉』にも『物質』にも全く意味が見いだせない僕たち。僕は、その思想を押し殺し、親も含めた周囲の人々になんとかあわせる「ふり」をしていたが、弟たちは僕ほどうまくそうすることはできなかった。それに気づかれて、睡眠薬を盛られたのではないか、見殺しにしようと思われたのではないか、と思う僕。物語はこういう調子で進む。回想シーンとして両親の描写も若干あるが、ひどい大洪水の中、両親や他の人々のことは全く頭にない僕。自分(たち)以外は全く無関係だと考える僕。ものの名前が二重かっこで囲まれて書かれていたのが印象的。「死体と、」生まれながらにして重病をかかえていた少女が、九歳で死んだ。生前は笑顔をふりまいていたが、死顔は苦痛に歪んでいた。両親は悲しみ、エンバーミングを施してもらう。死体はきれいになった。葬儀を終え、火葬場に向かう途中で、事故が起こった。 感想。一度も改行されていない。会話文も一度も出てこない。淡々とした地の文が最初から最後まで続く。一段落だけの、短編。少女の死体をめぐる人々が過去を回想していく、というスタイル。今まで読んできた佐藤さんの作品のどれとも作風が違うなぁ、と感じた。純文学的、というか。「欲望」ある日、授業中のこと。ある生徒の、「動かないと殺しちゃうわよ」という言葉から、それははじまった。マシンガンなどの武器をもった四人の生徒による、大量無差別殺人。教師である「私」は、彼らの行動には理由があると考えるが、彼らは理由はないと主張する。 感想。人を殺す理由-動機。ニュースでは、ほぼ間違いなく報道されるもの。それは、理由なき殺人は理解できないから。生徒たちが、適当に動機をでっちあげるシーンは、かなりこわかった。「子供たち怒る怒る怒る」九州で不幸な目にあっていた僕と妹は、母とともに神戸にやってきた。転校初日、僕にも友達ができた。その頃、神戸を震撼させていた牛男の事件。いままでに、六人の男女が、無惨に殺されていた。僕が入った班では、次回の牛男の犯行を予想する、というゲームをしていた。 感想。話の筋の主軸となるのは、牛男の事件をめぐるものだと思うけれど、考えさせられるのは、差別とか、偏見、いじめ、責任はないのに、苦しめられ、虐げられるという現実、社会に対する怒り、であろう。全然悪いことをしていないのに、ひどい目にあわされる人たちがいて、その現実に対して怒る子供たち。しかし、彼らは、怒り、行動を起こすのに、ためらいを感じている。こういうときに怒るのは普通だよね? 私は、間違っていないよね? 理不尽なことに対して、素直に怒ることもままならない現実。もちろん、怒って、そこで彼らが起こす行動は理屈では容認できるとはいえないとしても、もし自分が彼らの立場だったら…どうするだろう、と考えると、この物語は深いものだと思う。牛男も、うまくいえないけれど、何かの隠喩だろうし。「生まれてきてくれてありがとう!」6歳の僕は、日曜日、雪の積もった公園へ遊びに行った。姉からもらった女の子の人形をもって。その人形を投げていると、除雪車が積み上げた雪の上に乗ってしまった。人形を取りに行った僕は、運悪く、雪の中に閉じこめられてしまう。 感想。完全に孤独で、誰の助けも得られず、死に直面する恐怖を感じる僕。あきらめかけた僕は、あるきっかけで生き延びようと決意する。こういうポジティブな思考は、なかなか私にはできない気がする。「リカちゃん人間」家族から虐待され、クラスメートからいじめられ、担任からもいじめられてきたリカ。彼女は苦痛を受けるたびに、人形となり、苦しさから目をそらす。しかしある日、給食に何かをいれられて腹痛を起こした彼女が、いつも話を聞いてくれている生徒指導室の先生のもとへ行くと、人形になるのをやめ、戦うんだ、といわれる。先生は彼女を、この苦しみから遠ざかることができるどこかへ、連れて行くと約束してくれたのだが…。 感想。最初は、この短編の内容紹介は書かないことにしようかな、と思いながら読んだが、生徒指導室の先生が登場するあたりから、いや、やっぱり書こう、と思った。といって、いずれにせよ立ち入った内容まで書くわけではないのだが。人形だから、殴られようが蹴られようが髪を焼かれようが何も感じない。そう、リカさんは「いいわけ」する。そんなのが嘘だというのは、彼女自身も分かっているというのに。「子供たち怒る怒る怒る」でも感じたけれど、苦しめられた彼ら、彼女らが最終的にとる、あるいはとろうとする行動は、彼らの過去とてらしあわせても、やはり正当化はできないのだろうか。世の中は不条理だなぁ、とつくづく思う。 さて、全体を通して。表題作のみならず、全ての短編で、主人公は「子供」である。苦しい体験を強いられていたり、独特の世界観を有していたり…。ちょうど、本作を読む前に読んだのが辻村深月さんの『子どもたちは夜と遊ぶ』だった。そこでも感じたけれど、やはり「子ども」には怖いところがある。ただ、「大人」にも怖いところ、醜いところがあるわけで、一概に「子どもは…」という形で論じるのは不適切ではないかと思う。「子ども」と「大人」の価値観は、異なっていることが往々にしてあるにしても。「大人」も「子ども」の時期を経ているのに、どうして「子ども」のことが分からなくなっていくのだろう。心理学(発達心理学になるのかな)の本を読んで勉強したいところである。 印象的だったのは、表題作である。純粋に、この短編集の中でも100ページをこえる長い作品だ、ということもあるだろうが、けっこう付箋をはった。
2005.06.03
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島田荘司『Pの密室』~講談社~「鈴蘭事件」昭和29年(1954年)。御手洗潔が、幼稚園児の頃のこと。御手洗のことが好きで、毎日のようについてまわっていた女の子、えり子が、ある日、泣きながら彼のもとを訪れた。父親が自動車を運転して、海に落ちて亡くなったというのだ。また、彼女の家はバーだったのだが、バーにも異変が起きていた。透明のグラスが割られ、その破片が床に散らばっていたのだ。えり子の父の死は、事故死と片づけられそうであったが、5歳の御手洗潔は殺人事件と考え、証拠を集め、推理する。「Pの密室」小学生、中学生の絵画コンクールである、横浜市長賞の審査員、土田富太郎が殺された。彼と愛人関係にある女性、天城恭子も同じ部屋で死んでいた。現場は密室。土田富太郎の家のうち、外に面しているドア、窓は全て内側からロックされており、二人の死体が発見された部屋も、内側から鍵がかけられていた。昭和31年。小学二年生の御手洗潔は、えり子からこの事件を知り、事件の真相をさぐる。久々の再読。まずはそれぞれの短編(中編?)についてコメント。「鈴蘭事件」では、御手洗さんの子供のころの事情がよく分かる。父親はもとは官庁畑のエリートだったが、終戦後、単身アメリカに渡り、サンフランシスコの音大で教鞭をとるようになった。母親は、東京大学の数学教授。御手洗さんが生まれたのはアメリカだったが、両親の都合で日本に戻ってきた。日本では、母親の姉に育てられ、両親との交流はなかった。御手洗さんの、「お父さんやお母さんがいなくても、子供はおとなになれるんだ。その方が、強いおとなになれるんだよ」という言葉にうたれた。石岡さんがこの事件のことを知るのが、1997年。ということは…御手洗さんは、1997年の時点で48歳。5歳から因数分解をしていたというのですから、すごい。「Pの密室」。小学生の絵70枚、中学生の絵70枚という莫大な量の絵を、そう大きいとはいえない自分の家で審査していた土田。その審査方法は、誰にも知られていなかった。密室殺人の謎もあるけれど、この謎だけでもちょっとした日常の謎ミステリになるだろう。再読だが、やはりラストでは泣いてしまった。*他にも未読の本があるのですが、久々に『Pの密室』を読んで泣きたい、と思ったので、本書を読みました。「Pの密室」は、私の中で、御手洗さんシリーズ泣ける短編部門にランキングしている作品です。ちなみに、他のランキング作品は、「数字錠」(『御手洗潔の挨拶』収録)、「SIVAD SELIM」、「さらば遠い輝き」(二者とも、『御手洗潔のメロディ』収録)です。「Pの密室」で泣くのは再読する前から分かり切っていたのですが、「鈴蘭事件」の方でも泣けました。何度もタイトルを挙げて恐縮ですが、「Pの密室」は、トリックはともかく、犯人は覚えていました。それでも、感動は大きかったです。このように、いろいろと考えさせてくれる作品はいいですね。
2005.05.08
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島田荘司『御手洗潔のメロディ』~講談社~「IgE」声楽家、秦野大造が御手洗のもとへきた。彼のレッスンを受けにきた女性-彼女は毎日レッスンに来ると約束しておきながら、三日目に電話をよこして以来、レッスンに来なくなった。マンションも引っ越したようだった。また、後日、謎の電話もかけてきた。秦野は、彼女に会いたいという。同じ頃、Sというファミリーレストランで、男子トイレの子供用便器が壊されるという事件が繰り返し起こっていた。「SIVAD SELIM」1990年12月23日。高校生の依頼で、石岡は身体障害をもつ外国人高校生向けのコンサートに参加した。高校生は、御手洗の演奏を聴きたいというのだが、御手洗にはその日、先約があった。「ボストン幽霊絵画事件」自動車修理工場の看板に12発の弾丸が撃ち込まれた。一カ所が集中して撃たれていた。銃は、向かいのビルから撃たれたらしい。御手洗はこの事件の裏に、殺人事件があると推理する。「さらば遠い輝き」10年前、松崎レオナと会って以来、彼女のファンだったライター、ハインリッヒ・フォン・レーンドルフ・シュタインオルトは、スウェーデンに来た御手洗と親しくなっていた。彼のもとに、レオナから電話があった。二人は、ロサンゼルスで再会をはたす。 再読です。 ミステリと呼べるのは、「IgE」と「ボストン幽霊絵画事件」。 前者は、キーワードをはっきり覚えていましたが、それでも、筋は忘れていて(便器が壊される理由など)、十分に楽しめました。後者は、まったく内容を覚えていませんでした。はっきりとページが割かれているわけではありませんが、こちらには「読者への挑戦」ととれる記述があります。考えることなく読み進めましたが。私はそういう読者なんです。「SIVAD SELIM」、これは、仕掛けというかなんというか、いろんなことを覚えていました。筋は忘れていましたが、なんとなく話のオチは見えるというものです。きっとこうなるだろう、そう思って読み進めたのですが-そしてその通りになるのですが-、それでも感動しました。御手洗さん、本当にかっこいいです。 そして、最後に収録された、「さらば遠い輝き」。正直、レオナさんの事情などには、興味はありませんでした(『暗闇坂の人喰いの木』や『アトポス』を再読すれば、もう少し興味を持てたでしょうが)。でも、読みました。ハインリッヒは、『ネジ式ザゼツキー』にも登場しています。スウェーデンでの、石岡くん的なポジションでしょうか(石岡さんより、しっかりした感じがしますが)。『御手洗潔のダンス』を再読して感想を紹介しましたが、そのとき、「近況報告」は読みませんでした。この短編も、別に読まなくてもいいかな、と思ったのですが、せっかくなので読みました。で。読んで良かったです。たとえばそれは、先日『異邦の騎士』を読み返したことも関わるのかも知れません。まったく別の時期にこの作品を読んでも、あるいはそれほど感動はなかったかも知れません。でも、泣いてしまいました。ああ、あのとき、御手洗さんはこう感じていたのか、と。それは、「俺」あるいは「私」による一人称からも、うかがえることはできたのですが、御手洗さんが言っていた、となると、余計に感慨深いものがあります。そして、そこに絡んでくるレオナさんの思い。 というんで、乱暴に分類すれば、ミステリと、感動的なエピソードが二編ずつ収められた短編集です。ミステリの方には言及が少なかったので、付記をば。 いずれも、上の内容紹介よりも後の展開が断然面白いです。「ボストン~」など特に。でも、後半のこの感想からもうかがえると思いますが、私には感動的なエピソード二編の方が、印象的でした。
2005.03.24
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島田荘司『改訂完全版 異邦の騎士』~講談社文庫~ 俺は公園のベンチで眠ってしまっていたらしかった。車を探すが…ない。とめた場所が思い出せない。いや、自分が乗っていた車すら思い出せない。そして、自分の名前も。俺は誰なんだ?ここはどこだ? 夜。通りで、言い争っている男女に会う。俺には、それから起こることが分かった。女性が、自分の方に走ってくる。自分にすがる。男性は立ち去る。女性は言う。「一人にしないで」 喫茶店で、俺たちは休む。トイレに行き、鏡を見ると、そこに見えたのは赤いメロン。俺はパニックになる。女性-石川良子は、彼を支える。俺たちは良子の家に行き、それから、一緒に暮らすようになる。 お互いに仕事を見つけて。仕事が終わると、喫茶店によったり、一緒にケーキを食べたり。休みの日には遊びにいったり。とても幸せな日々が過ぎていった。 俺は、星座のことに多少詳しいということが分かった。そこで、かねてより気になっていた、「御手洗占星学教室」を訪れた。ぼろいアパートの一室。風変わりな占星術師、御手洗潔と、俺は友達になる。「異邦」の地でえた、良子以外の親しめる相手であった。 しかし。良子の様子がおかしくなる。酒におぼれ、男に抱かれ、ひどい言葉で俺をののしるようになる。 益子秀司-俺の本名と思われた-の免許証。そこにある住所へ、良子はずっと行かないように言っていた。とつぜん、そこへ行け、というようになる。もし、記憶を失う前の俺に妻子がいれば、良子との生活に影が差すのは目に見えていたのだが…。 意を決して、免許証の住所を訪れた俺は、衝撃的なノートに行き当たる。 少なくとも、三度目の再読です。なんとなく筋は覚えていましたが、細かい真相は忘れていました。 島田荘司さんの作品の中で、もっとも好きな作品です。初めて読んだ時にも大泣きしましたし、その後、何度読んでも泣いています。今回も泣きました。初めて読んだ時から、今にいたるあいだに、私にもいろいろありました。だから、あの頃覚えた感慨と、今回の再読で覚えた感慨は、また質の違ったものでしょう。 島田さんの、御手洗シリーズの作品です。ミステリ、のジャンルに区分されるのでしょう。たとえば、『ネジ式ザゼツキー』や『魔神の遊戯』など、他の御手洗シリーズは、非常に質の高いミステリだと思います。私は、『異邦の騎士』は、非常に質の高い、一つの物語だと思います。 良子の不可解な行動。ノートに書かれた衝撃的な内容。俺の前に現れた、「俺」。このように、ミステリ的な要素は存在し、御手洗さんが推理でその謎を解体します。ですが。ミステリとしての要素よりも、俺と良子をめぐる一つの、とても悲しい物語としての要素こそが、この物語の中心にあると思います。 記憶を失い、自分の名前すらも分からない状況で、料理は苦手だけれど、料理もがんばって、優しく支えてくれる女性と出会い、彼女も自分のことを愛してくれていて、自分も彼女のことを愛している。楽しく、幸せな時間を共有していたはずなのに。 この真相、この結末。悲しすぎます(自分の語彙のなさを痛感します)。御手洗さんの語る真相に対して、理論的でもなんでもない、感情の爆発をぶつける「私」。このシーンは、初めて読んだ時から忘れられません。こういうシーンがあるぞ、と分かっていて今回読んだのに、やっぱりそこでは泣きました。会話での一人称は「俺」が続きますが、地の文では「私」に変わります。ここで、「私」の何かが変わっているのでしょう。「異邦の騎士」。もちろんそれは御手洗さんのことでもあるのでしょうが、私は、それは誰よりも、「俺」のことだと思います。
2005.03.20
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なんだかんだいって、二月は一日一冊本紹介を目指しているので、今晩にはまた一冊感想を書くつもりです。今日のバニラ・ムードの演奏は、「ラブストーリーは突然に」。ステキでした。でも、番組のエンディングとしての演奏だったから、いつもみたいにバニラ・ムードのみなさんがカメラに向かってバイバイするのは見えませんでした。演奏中に、明日の予定言ったり、出演者のみなさんがカメラにバイバイしたり。そこが残念でした。やっぱり、バニラ・ムードの演奏は番組の途中にしてほしい!でも、企画は面白かった。七か国の方々が、自分の国では赤ちゃんの泣き声やくしゃみをどう表現するか、というのを披露。興味深かった。ハンバーガーから見る各国の物価であるとか。28分くらいまで、祖父が時代劇を見ているので、番組を最初から見られないのが残念。以前は自分の部屋にもテレビがあったけれど、本棚を置くためにテレビはのけたのでした。何かを得るためには何かを犠牲にしなければならないのですね。日記のタイトルを「とりあえず」にしていますが、本を読了したらその本のタイトルにあらためます。文字通り、とりあえずのタイトルということで。島田荘司『ロシア幽霊軍艦事件』~講談社ノベルス~ 石岡、御手洗のもとに届いたレオナからの手紙。そこには、倉持ゆりというファンからレオナへの手紙も同封されていた。手紙の中で、ゆりは、祖父から遺言されたと、次のことを伝える。アメリカに住むアナ・アンダーソン・マナハンに謝罪の言葉を伝えて欲しい。箱根にある富士屋ホテルにある写真を見て欲しい。レオナは、なぜ自分にこのようなことが伝えられたのか分からず、御手洗たちの意見を求めたのだった。 御手洗たちは、富士屋ホテルへ赴く。そこで見せられた、衝撃の写真。激しい雷雨の夜。山の中の湖、芦ノ湖に浮かぶ、「軍艦」の写真だった。 そして、レオナがアナ・アンダーソン・マナハンについて調べると、以下のことが分かった。アナは、自らをロシア最後の皇帝ニコライ2世の娘、アナスタシアと自称していたのだった。 歴史ミステリ、ということになろうか。どこまでが現実でどこまでが島田さんの虚構か、もちろん**とか**とかなどは虚構にしても、分からないところがある。そのあたりはきちんとあとがきで説明してくれている。あとがきは、本編を読んでから読むようにしてください。 さて、感想を一言で言うなら、これは悲劇的である。酷すぎる。具体的なことについては、ふれずにおこう。 手元にある、ロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世や、アナスタシアに関する文献を紹介しよう。・植田樹『最後のロシア皇帝』ちくま新書、1998年。ラスプーチンについてはもちろん、アナスタシア伝説についても言及されている。・桐生操『きれいなお城の怖い話』角川ホラー文庫、1998年。ここでは、ラスプーチンが紹介されている。・桐生操『びっくり!世界史 無用の雑学知識』ワニ文庫、1989年。アナスタシア伝説の紹介あり。・桐生操『世界史迷宮のミステリー』ワニ文庫、1991年。ここでもアナスタシア伝説の紹介がある。 これらの文献は、島田さんの本書の理解を助けるのではないだろうか。もちろん、島田さん自身が紹介している参考文献もよいのだろうけれど、手元にないので紹介は省く。
2005.02.14
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佐藤友哉『鏡姉妹の飛ぶ教室』~講談社ノベルス~ 2005年6月6日。いつものように蒼葉中学校2年5組で、友達とお話をしていた鏡佐奈。しかし、とつぜん大きな地震が起こり、校舎は地中に沈んでしまう。激しい衝撃。教室中のものが、人も含めて宙に浮いた。天井に激突。机や椅子などにぶつかって。多くの死者。教室の中で生きているのは、佐奈だけだった。 廊下に出る。土砂が襲ってくる。そのとき、兵藤に声をかけられた。 * 祁答院浩之は、「闘牛」を狩るために、双子の姉、唯香とともに、蒼葉中学校に潜入していた。しかし、大きな地震に襲われる…。 * 江崎彰一は、痛みを感じない男だった。痛みというのがどんなものか、「実験」もしていた。 そんな彼のもとに現れた、地震で命を失わなかった女性、鏡那緒美。饒舌をふるう彼女は、江崎に「憑く」と言う。 * 自称「弱者」。優柔不断で弱い男。努力は全てを可能にすると信じる女。「闘牛士」の女。 地震で滅茶苦茶になった「馬鹿げた世界」で彼らは出会う。 キーワードは、「本気」。 やる前から自分にはできっこないと言い聞かせて何もしない人間。努力など無駄で、人間は生まれた瞬間から優れた人間と駄目な人間の二者にはっきり分けられるのだと考える人間。努力は全てを可能にすると信じる人間。彼らの論争。 私は、宇沙里さんの思想に惹かれるものを感じた。 妙子さんの発言は、真実を射抜いているところもある。どんなに頑張っていても報われない(ように見える)人もたしかにいる(と思う)。かっこ書きにしたのは、やっぱり頑張ったら、結果は出なくても、その人の生き方の中ではたしかに何か得られるものがあって、報われないなんてことはない、とも思う(信じたい)から。 唯香さんの発言(180頁)は、だから胸にとどめておきたい。いつからか、私はそういう考え方をしながら生きてきているけれど。 さて、本書は、まず佐奈さんの一人称からはじまる。浩之さんたちの視点で語られていく節もある。それらが混在していて、三つか四つほどの視点からなっている。 スプラッタ色が強い。江崎さんの「実験」は、最初の一例を見ただけで、「ああもうこれは読めない」と、数行だけと読み飛ばした。そこも強烈だったけれど、自然災害や人為的なもので、大量に人が死に、しかも内蔵えぐりだされたり脳が飛び出したりと、惨憺たる描写。 なのに、なのに、11章は、「良い」方向に話が向かっていくのだもの!なんだかじーんとした。 * なにってかにって佐藤友哉さんの新作です。とても楽しみにしていた。とても楽しめた。唯香さんの授業、そしてその後の「夏休み」、それに疑問を抱き始める村木くんといったあたりは、いろいろと考えさせられた。私は決して自分が強い人間だとは思っていない。むしろ、弱いと思っている。「強い」人間、「弱い」人間、それってなに?という議論が展開される。最終的な結論はともかくとして、やっぱり唯香さんの言葉には頷いた。 ところで、オチ(というか、12章)。このオチを理解するには『フリッカー式』を読み返した方がよいだろうな。 * 追記。66頁の、「もーしもーし、ベンチで囁くお二人さん」の元ネタが分からない。分かる方、教えてください。ここ最近、吉本ばななさんの文庫や、200頁程度の新書を読みあさっていたので、二段組332頁の『鏡姉妹の飛ぶ教室』を読むのには思いの外時間がかかった。1頁1分弱、といったところか。まあ、いつもの読書スピードだけれど、一気に読むのが久しぶりだから、余計にそう感じたのだろう。昨日書いた『色彩』について、指摘をいただきました。オングストロームというのは長さの単位で、100億分の1mだそう。なぜ波長が長さの単位で表されるの?と思ったのだけれど、そのあたりも説明してもらった。光というのは、波で、振動している。で、光が一回振動するときにどれだけ進むかが光の波長、だと。(一時ここに思ったことを書いたのですが、誤解を招くおそれがあるとの指摘を受けたので消しました)というので、また一つ賢くなりました。久しく理系の知識にふれていないので、『色彩』を読んだのはなかなかよい経験だったととらえることにします。
2005.02.09
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土曜日なのに病院から帰ってきました。月曜日まで。診察があるから。昨日、ジャック・ル・ゴフ『[ヨーロッパと中世・近代世界]の歴史-その誕生と老齢化-』が届く(楽天フリマで購入)。んで読了。薄いし字も大きいし速く読めた。内容が頭に入ってるかは…だけど。話は変わり、今朝、森博嗣さんの『森博嗣の浮遊研究室4鳳凰編』読了。小路幸也『そこへ届くのは僕たちの声』~新潮社~ 強盗事件を目撃した男性が、植物状態になってしまった。妻が植物状態から奇跡的に回復したという本を書いて有名になった真山のもとへ、定年を控えた刑事、八木が訪れる。 真山は、新聞記者の辻谷とともに、ふしぎな誘拐事件のことを調べていた。家に「子どもを預かった」という電話がかかってくる。電話はそれだけで、いなくなった子どもが、ほぼ一日たってから自宅に戻ってくる。犯人の顔は見ていないという。そんな事件が日本中で起こっていた。しかも、全ての子どもの証言が、犯人の風貌について全く同じ証言をしていた。 そんな中で、植物状態の人間と話ができる子どもがいるらしい、ということが判明する。キーワードは、ハヤブサ。 * かほりには、ときどき空耳が聞こえた。彼女は、それを<そらこえ>と呼んでいたが。 ある日、友人の倫志が、一人で話をしているのを目撃する。 なんて優しくて、素敵な物語なんだろう-。そう思いながら、読んだ。 いろんな作家の紹介でも言っていて、全く自分は語彙がないなぁと思うのだけど、小路さんもとても優しい文章を書かれている。 ラストは切ない。でも、希望は残っている。あることのために、たくさんの思い出を残そうとしている彼らの姿にはただ涙。そう、涙もろい私はこの作品でも何度も泣いた。
2004.12.11
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