できるところから一つずつ

できるところから一つずつ

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

noriko5858

noriko5858

フリーページ

連作


喜劇なるべし  〈2003〉


コトバ、ことば、言葉 (2004)


畏れつつ待つ (2005)


慣れてゆくべし 〈2006〉


夏風、三十年 (2007)


ひらがな たち 〈2008〉


踏み切れば 風 (2009)


笹飾り (2010)


楷書の樹海(2011)


リトル・サトウ (2012)


吉野の筆(2013年)


時に苦笑(2013年予備)


突然に (2014年 予備)


半々となる(2014年)


パステルカラーの夏 (2015年予備)


ラ・マンチャの風 (2015年)


会ふ(2016年)


まだ通過点 (2024年 コスモス武蔵野支部報)


題詠マラソン


題詠マラソン2003


題詠マラソン2004


題詠マラソン2005


題詠blog 2006


題詠blog2007


題詠blog 2008


題詠blog 2009


題詠blog2010


題詠blog2011


題詠blog2012


題詠blog2013


題詠blog2014


題詠blog2015


題詠100*2017


題詠100*2018


題詠100*2021


トップページに使った写真


2011年


2012年


2013年 


2014年


2015年


2016年


2017 年


2018年


2019 年


2020年


2021年


2022年


2023年


2024年


第一歌集『極光 aurora borealis』


第一章 飛行機雲


第二章 紅(日本にて)


第三章 桜桃 (連作)


あとがき


発表歌


1985年ー1990年


1991年-1995年


1996年


1997年


1998年


1999年


2000年


2001年


2002年


2003年


2004年


2005年


2006年


2007年


2008年


2009年


2010年


2011年


2012年


2013年 


2014年


2015年


2016年


2017年


2018年


2019年


2020年


2021年


2022年


2023年


2024年


2025


2026(進行中)


第二歌集『カナダの桜』


コスモスその他に発表したエッセイなど


バンクーバー短歌会へ


コスモス武蔵野支部へ


コスモス本誌へ


February 5, 2006
XML



「え? カナリオ? それって、カナリア とか カナリヤ のことではないの?」と思ってしまった人は、私のほかにも何人かいたらしく、歌会でそれが指摘された。

そこで作者の登場があり、「囀るのはオスだから、カナリオにしました。メスは鳴かないでしょ。」

ん? ・・・あ、そうか!
Hさんは、今でこそカナダに在住だが、その前は、ながいことアルゼンチンに住んでいらしたのだ。

アルゼンチンならば使用言語はスペイン語。

私の「畳の上の水練」式スペイン語の知識によれば、スペイン語(他のラテン系言語いくつかも)では、男性名詞の最後はOで、女性名詞の最後はAで終わる。 
雄猫ならgatoで雌猫なら gata、雄犬ならperroで雌犬ならperraという具合に。

つまり、カナリオが雄、カナリアが雌。したがって囀るのはカナリオということになるから、長くアルゼンチンに暮らしたHさんが、「カナリアが囀る」という表現に、抵抗を感じられたのは当然である。

「あ、でも、この場合、日本語の短歌の中に使う言葉だし、日本語では雄も雌もカナリアだから・・・」と誰かが言うと、「あ、そうですね。じゃあ、カナリアにしましょ」とHさんはあっさりと撤回されたが、そんなにあっさりしていない私の頭の中では、いろいろな考えがぐるぐる回りだす。

たとえば


あ、それでわかった!

かの有名な「歌を忘れたカナリア」さんは、歌を忘れたのでも歌わないのでもなく、かわいそうに歌えない雌のカナリアだったのだ。

後ろの山に棄てても、背戸の小薮に埋めても(まあ、なんと恐ろしい!)、柳の鞭でぶっても、歌えないものは歌えない。
象牙の船に乗せて銀の櫂を持たせて、月夜の海に浮かべたって、忘れた歌を思い出すかもしれないけれども、思い出した歌を声にすることはできないのに・・・なんて、かわいそうな。
鶏だって、雌鳥にコケコッコーと時を告げろという人はいないでしょうに。

でも、まさか、まさか西条八十がそんな意地悪であるわけがない。

念のため、ネットで検索してみると、西条八十がこの詩をつくったときの エピソード に出合った。

西条八十は幼い日、教会のクリスマスに行った夜のことを思い出しながら、この唄を作詞しました。会堂内に華やかに灯されていた電灯の中で、彼の頭上の電灯が一つだけポツンと消えていたのだそうです。その時、幼き心に「百禽(ももり)がそろって楽しげに囀っている中に、ただ一羽だけ囀ることを忘れた小鳥であるような感じがしみじみとしてきた」と言います。

西条八十のような天才になると、電灯が切れていたくらいのことで、これだけの詩を作ってしまのだ! すご~い!!
1月24日の日記 に書いた「目に見えるものの向こうにある、目に見えないものをうたう」というのがこれだ。 目に見えるのが「切れた電球」。見えないのが「歌うという本来の仕事の出来なくなったカナリアさん」・・・でしょう?

それにしても、男尊女卑といわれる日本の言葉が、男女平等というのも、いまさらながら面白い。

スペイン語だと、名詞ばかりでなく、それを修飾する言葉も名詞につられて男女の区別があるけれど、これって、カソリックと関係あるのかしらん。

海 marは女性、空cieloは男性、月lunaは女性、太陽solは男性・・・あ、このせりふ、昔観た 「老人と海」 の中で、スペンサー・トレーシーの演じる「老人」がつぶやいていたっけ。


などなど。 

こういうのを、取りとめのない繰言というのでしょうね。
歳のせいだ、歳のせいだ!!





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  February 7, 2006 12:33:20 AM
コメントを書く
[言葉に関するハナシ] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

カレンダー

コメント新着

104042@ Re:コスモス2月号(09/10) 福田裕充さんへ なつかしい思い出をお書…

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: