M17星雲の光と影

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2006.01.16
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カテゴリ: その他



大体、求人欄のこの手の記事は、朝日新聞の記者ではなく、外注の編集スタッフあたりが書いている場合が多いのだが、総じて文章は本体よりも上質である。悲しいことだけれど。そもそも文章力などというものは、ことばをひねくり回す小手先の技術とは異なり、文章を書く人間の気概とか生き方と深く結びついているものだから、飼い殺しで運動不足の肥満気味の猫に敏捷に獲物を捕捉する能力を求めること自体が無理な話だとは思うのだけれど。

さて、その羽生君の発言だが、私が面白いと思ったのは「理性」ということばの使い方である。彼はこういう話をしている。実力を発揮するには経験が必要だ。経験を重ねていればこそ、無用な恐れを抱くことなく、力を発揮することができる。しかし、あまりに経験に頼りすぎると、旧来の常識的判断に縛られることになり、新しい局面に対応できなくなる。そこで必要になるのが「理性」の力だというのである。

こういう「理性」の使用法はかなりユニークである。過去の経験に縛られず、新たな局面を切り開くためにこそ「理性」が必要だと彼はいう。

しかし、彼は「理性」ということばの本質をよくつかんでいると私は思う。

おそらく理性とは、肉体的な強さに恵まれなかったヒトという生き物が、その非力さにも関わらず、なんとか生き抜いていくために生み出した奸智や謀略、つまり「悪知恵」を起源とするのではないかというのが私の考えである。それはいってみれば「騙し討ち」の知恵といえる。理性はもともとあまり「おさと」のよくないものなのである。

「彼は理性的な人である」というと、それは冷静で客観的判断にすぐれた人物だという印象を一般に与えるが、それはおかしい。むしろ、その表現は「ブレーキが効かない人」「抑制が効かず、一直線に突っ走る人」、そういう人間を形容する表現としてこそふさわしいといえる。

理性とは、いわばブレーキが装備されていない車なのである。馬力はすごいし、ぬかるみにはまった時など、そこから抜け出すためにはとても役立つが、いったん走り出すと、自分の走りを自分で止めることはできない。それが理性の本質である。

話はややおおげさになるが、フランス革命のことを考えてみよう。革命前夜のフランス社会の状況を劇的に変えるために、あの革命は甚大な力を発揮した。しかし、革命が成就して、ふとうしろを振り返ってみると、そこには何千、何万という人間の生首がごろごろところがっていた。



だから、常識に縛られた発想を打破するために理性の力が必要であるとする羽生君の語法と語感はきわめて正確なものであるといえる。

しかし、それだけならば、私はさほど感心しない。そこには斬新な発想があるわけではなく、ただ正確なことばづかいがあるだけだからだ。しかし、羽生君の話はここで終わらない。

次に羽生君は、将棋の対局を未知の海原に旅立つ航海にたとえる。最初のうちは想定の範囲内で航海が進む。しかし、やがて未知の局面が現れる。そこでどう判断し、決断するか。前述の話から推測すると、ここで理性が登場しそうな場面である。しかし、羽生君はそうはいわない。「いざというときの判断は実は直感です」、羽生君はこういうのである。

過去の経験のすべてが働いて無意識の中からぱっと出てくる、その考えに従えばいいのだ、と彼はいう。これは一見すると矛盾しているように思える。おい、おい、理性はどこいったんだよ、といいたくなる人もいるかもしれない。でも、そうではないのだ。

棋士は自分の頭の力の限界まで手を読む。読んで読んで読みまくる。しかし、相手も同様である。つまり、盤をはさんで対峙する人間が自らの理性の力を極限まで駆使する。しかし、なおかつその先に未知の局面が現出してくる。そこではもう理性の力は通用しない。旧態依然とした硬直した考え方にひびを入れ、破砕するためにきわめて有効な道具であった理性も、ここではもう役に立たない。では、どうすればいいのか。そういう時に無意識の世界から現れた直感に従え、と彼は言うのである。

これを賢人の洞察といわずして何と言おう。つまり、彼の頭の中では、まず経験があり、その蓄積から生まれた手堅い実践的な知恵がある。そして、その知恵が有効性を失った時、理性が要請される。そして、理性の力が使い尽くされた時、そこには無意識と直感の世界が訪れるというのである。

これはほとんどユング的世界観というべきものである。しかも、それが観念の遊戯ではなく、将棋の対局という実践的経験の中から出てきたものであるというところに価値がある。

理性の世界、それは自我(ego)の世界である。自分で自分を理性の眼でとらえる、それを自我の世界だとすると、自分ではとられきれない自分というものもまた存在する。それは無意識を含む広大な「自己」(self)の世界である。この世界は膨大な経験の世界を培養土として、自分の理性ではとらえきれない判断を「直感」という形で下すことがある。

自分はいったいなぜこんなことをいったんだろう、なぜこういう行動をとったんだろう。その理由が自分でも説明できないまま、やむにやまれぬ気持ちであることばを口にし、ある行動をとる。しかし、後から考えてみると、それは自分の理性すら越えた、より大きな自分の「自己」が下したとしか思えないような大きな知恵に基づく決断であったという場合がある。羽生君がいっているのはそういうことなのである。

経験という自分一個の小さな世界に閉ざされないためには理性の力が必要になる。しかし、理性にも自ずからなる限界がある。それを突き破るためには何が必要か。それは無意識の世界への敬意と、そこから訪れる直観的判断の尊重である。

きわめて限られた字数でありながら、ここに示された羽生君の叡智にははかりしれないものがある。羽生君の叡智おそるべし、である。







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Last updated  2006.01.16 21:28:54 コメントを書く


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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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