M17星雲の光と影

M17星雲の光と影

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Freepage List

2006.01.23
XML
カテゴリ: 村上春樹
短編集『レキシントンの幽霊』のちびちび読書感想文の続きである。

この短編集は表題作と「七番目の男」だけが『ねじまき鳥クロニクル』の後に書かれ、それ以外の作品は『ダンス・ダンス・ダンス』『TVピープル』の後に書かれており、両者の間には約五年間のブランクがあると「あとがき」に述べられている。このブランクの間に「ねじまき鳥」と「国境の南、太陽の西」という二長編が書かれたわけである。

前回書いた「トニー滝谷」まででもこの短編集の中味は十分すぎるほど濃い。その次に来るのが今回の「七番目の男」である。タイトルからいっても分量的にもこれは小粋な小品ではないかという予測のもとに読み始めたのだが、どうしてどうして、これは野心満々たる作品である。小柄ではあるが、巨大な野望の持ち主というところだろうか。そういう意味で彼の短篇の中でもやや異色な部類に入るかもしれない。

同年に書かれた「レキシントンの幽霊」は淡々とした描写の積み重ねの末に「ここ」という決めどころが現れ、その部分に読み手の関心が集中するように書かれている。ある意味では余裕綽々というか、落ち着き払ってというか、ポイントを一点に絞って、後は流すというのではないけれど、無用な力みを極力排除して書かれた、大家の筆になる佳品である。

だが「七番目の男」はそうではない。ぐいぐいと力強い叙述で引っぱっていくスタイルがここではとられている。といってもこの作品にはいわゆる「地の文」はほとんど存在しない。これは一人の男が自らの経験を口頭で述べる「語り」のスタイルで書かれた作品である。

出だしはいかにも小品らしく淡々と始まる。一人の男が小学生の頃に出会った台風について話し始める。記録的な台風が海岸沿いの彼の町を襲い、激しい暴風雨の後に一瞬静寂が訪れる。台風の目の中にすっぽりと入ってしまったのだ。彼はその静寂の中を友達を誘って海岸に散歩に出かけ、そこで巨大な高波に会い、友人がその波にさらわれるという話である。

私はこの作品のポイントは、この高波が友人をさらうシーンの叙述そのものにあると思った。巨大な高波が子供をさらっていくその情景をことばによる表現でどれだけありありと視覚化できるか、そこにこの作品の眼目があると思った。ある意味ではその情景を描くために書かれた映像的、映画的な作品ではないかと考えたのである。

たしかにそう思わせるほど、その部分の描写はすばらしい。ふだんとなにひとつ変わることのない波が、地鳴りのような予兆の響きの後に、三階建てのビルの高さから鎌首をもたげた蛇のように子供の頭上に襲いかかってくる場面の描写は圧倒的である。そして「私」の友人をやすやすと呑み込んだ波が、第二波として再び防波堤に立つ「私」の前に現れる。ほとんど目の前にまで迫ったその波の先端にはさきほどさらわれた友人がまるで透明なカプセルに包まれたような状態で存在しているのが見える。彼はまるで顔全体が裂けてしまうのではないかというほどの無気味な笑顔で、「私」をむこうの世界に連れ去ろうとする。この部分の描写は圧巻である。この描写のためにこそこの作品は書かれたんだな、私はそう思ったのである。



「私」はその後、その海岸の町を逃げるように去り、それ以降その情景のもたらす悪夢にうなされつづける。そしてほとんど40年が経過したある日、「私」は偶然に導かれるようにしてその地を再訪する。そこでの経験を通して、彼はついにその悪夢と訣別し、悪夢から解放されることになる。そういう話である。

この作品をもうすぐ読み終わろうとするその時になって、私はようやくあることに気づいた。これは単に映像的な効果を狙って書かれた作品ではない。たしかにあの高波の描写はこの作品の頂点ではある。しかし、この作品はあの波を描くためだけに書かれたのではない。むしろ、この作品全体がひとつの「波」を形成しているのだということにである。

この作品はさりげない書き出しから始まる。一人の男がひっそりと物語り始める。それは穏やかな水面がかすかにうねり始め、ゆっくりと水位が上昇する様を思わせる。やがてそのうねりは少しずつ水位を上げていき、ゆっくりと勢いを増しはじめる。そして、徐々に波は高まりを見せ、ついに高波が二人を襲う部分で頂点に達する。その後、その波の記憶に呪縛され、心が閉ざされるという形で再び水位は下がり始める。その下降するカーブが半ばを過ぎた頃、私はあるきっかけをつかみ、その悪夢から徐々に解放されていく。そして、私の精神はゆっくりと平静さを取り戻し、最後の一行に至って、ついに水面はもとの「凪(なぎ)」の状態をとりもどす。

つまりこの作品においては、冒頭部からクライマックス、そして終結部に至るまでの展開がひとつの大きな波の成長、発展、頂点、終焉のプロセスを描き出しており、その頂点に当たる部分が巨大な波の描写だったというわけである。

この作品構造そのものから、ある決定的な経験はある日突然何の前触れもなく起こり、否応もなくその人間を奪い去る。しかし、真の恐怖はその経験そのものではなく、むしろその経験そのものから目をそらしつづけることのなかにあることが明らかにされる。決定的な経験はその人間の存在そのものを別の世界に運び去ってしまうかもしれない。しかし、人間はそのことによって決定的に損なわれるわけではない。むしろその経験をもとの「凪」の状態に戻すこと、そのことにこそ重要な意味がある。

そういうメッセージを作品自体と、作品の展開の示す波形の構造から二重に表現することが作者の狙いだったのではないか。少し勝手な深読みがすぎるような気もしないではないが、私はそう思ったのである。

どうしてもその思いから離れられなくなったので、一応その所見をここに書き留めておくのである。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006.01.23 21:04:10
コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Calendar

Archives

・2026.08
・2026.07
・2026.06
・2026.05
・2026.04

Comments

和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: