M17星雲の光と影

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2006.02.03
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カテゴリ: その他
小学校高学年の頃、ボクシングに惹かれていた時期があった。当時は「あしたのジョー」の全盛期だったので、それをきっかけにボクシングに興味をもつ者が多かったが、私は少し違っていた。小学生の感覚としてはやや特異かもしれないが、どうも登場人物の顔が「マンガ的」すぎるように感じられたのだ。おそらくそれはテレビで目にする実際のボクシングとの落差から生まれた感覚であったように思う。

当時、夜の10時台にはテレビでボクシング番組を放送していた。「ダイヤモンド・グローブ」というタイトルを覚えている。その頃のプロボクシングには、他のスポーツには見られない「影」があった。暗い輝きというか、暗い閃きというか、裏の世界に半分足をかけた凄みのようなものがそこには漂っていた。小学生がそれをどこまで理解していたのかは疑問だが、とにかく熱心に見ていたことを覚えている。ボクシング漫画(というか劇画だな)では、さいとうたかをの「カウント8で起て」を好んだ。相手の両耳がつぶれているのを見て「あいつは8回戦以上だ」と気づく場面などはわくわくしたものである。

小学生の思考回路は単純だ。入力と出力の間が単線で直列回路を形成している。私は少年マガジンの通信販売のコーナーを熟読し、「ボクシング・グローブ」を購入した。まあ、子供向けのおもちゃである。一応手首のところに黄色の紐がついており、表面には黒のビニールが貼られ、中には綿が入っているような感じだった。私はそそくさと近所の本屋で初心者用の「ボクシング教本」を買い求め、ステップの踏み方や、ジャブ、ストレート、フック、アッパーの打ち方などを学んだ。一人ではよくわからなかったので、同級生のT君をそそのかし、二人で原っぱでボクシングの真似事をした。喧嘩と勘違いした近所のおばさんに割って入られたりしたものである。

そのうちに私のボクシング熱は冷めてしまった。でもT君はその後もボクシングに興味を持ち続け、高校生になると県体でも優勝経験がある高校のボクシング部に所属した。その頃、ひさびさに顔を会わせたので、昔を思い出してスパーリングの真似事をしてみた。さすがに全然レベルが違う。相手のパンチはよけることができず、こちらのパンチはまるで当たらない。まあ、当然といえば当然である。

なぜそれほどの差がついたのか。T君に聞くのもしゃくなので、その後、自分なりに考えてみた。その結論は、
1 相手のパンチをぎりぎりまで見るためには目をつむってはならない、
2 相手のパンチから逃げようと思うと、かならずつかまってしまう、
ということだった。あまりにもあたりまえすぎて「それがどうした」といわれそうだが、私はその後、この二点は自分自身を守るためにかなり汎用性の高い心得ではないかと思うようになった。

まず「目をつむってはならない」ということ。相手の攻撃にさらされるということは基本的にこわいことである。恐怖のあまり目をつぶる。これは自然な動作であり、ほとんど反射運動である。しかし、その反射をあえて抑制して、ぎりぎりの瞬間まで相手の攻撃を見きわめないと相手にいいようにされてしまう。「攻撃的な視線」という表現があるように、目で見ることはそれ自体がひとつの攻撃なのであり、こちらの攻撃や防御に必要な情報を得るためにも欠かせない作業なのである。「窮地に陥り危機に瀕した時には、目をつむるな」と私はその後さまざまな局面でそう自分に言い聞かせてきた。



では、どうすればなぐられずにすむか。それは「逃げる」のではなく、「かわす」のである。具体的にいえば、T君の防御はこうだった。オーソドックスな構えをとったT君に私が右ストレートを出す。T君はうしろには逃げない。むしろ私の方に一歩進んでくる。私はT君が攻撃に来たと思い、一瞬ひるむ。少し速度の減じた私の右ストレートをT君はあくまでも顔をこちらに近づけながら、ひょいと右か左かにかわし、パンチをよけるのである。

これは素人にはむりである。こちらに向かってくるパンチの方に顔を突き出すには尋常ならざる勇気がいる。しかし、考えてみると、この動作にはふたつの利点があることがわかる。
1 顔がこちらに向かってくるので相手が攻撃してくると思い、こちらの腰が引けてしまう、
2 パンチから身を引いてよけるとその軌道上を伸びてくるパンチから逃げられない。これはつまり両者が同一線上を動いているからである。だが、パンチに対して顔を突き出すと、両者の接触ポイントは線ではなくて点にかわる。つまり、当てるのがむずかしくなる。
そういうことなのである。

目を見開いて相手のパンチの方に顔を突き出しながら、当たる直前にひょいとかわす。これが防御の要諦なのだ。

危機に瀕した時、逃げようとするとその軌道上を追いかけられ、いつかはつかまる。逆に危機のやってくる方向に向かう気持ちをもつと、自ずから攻撃の態勢ができる。そこで相手が少しひるむ。相手が一方的に攻撃する立場から、「ひょっとするとなぐられるかもしれない」という気持ちに変わり、攻撃に100%集中できなくなる。そして、相手の攻撃から逃げるのではなく、その攻撃をかわす。一方的に逃げている限り、もし第一弾の攻撃から逃げられたとしても第二弾、第三弾の攻撃が次々に襲ってくる。しかし、前にでてかわすことに成功すると、かわした瞬間がすなわちこちらの攻撃の好機となる。

危機に際して目をつぶらないこと、窮地に陥ったらしっかり目を開けて攻撃対象のほうに向かい、攻めの姿勢を見せること、そして攻めをかわした瞬間にこちらが攻撃をしかけること。

その後、ボクシングの真似事をしたことはないが、この教訓は様々な場面で役に立ったように思う。ひるまず、逃げず、攻めを含んだ守りの姿勢で相手の攻撃をかわし、次のチャンスを待つ。

ひょっとすると、小学生の頃、私が通信販売で手に入れたのは子供だましのちんけなおもちゃのグローブだけではなかったのかもしれない。






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Last updated  2006.02.03 14:31:32
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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