M17星雲の光と影

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2006.09.16
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テーマ: 本日の1冊(3751)
カテゴリ:
土曜日の午前。電車に乗って出かける。最後尾の車両の、そのまた最後尾の座席。たまの休日くらい、乗り換えのことを忘れ、便宜や便利を忘れ、座りたい場所に座る。そういえば、大学の頃、教室の定位置はいつも一番うしろの右隅の席だった。そこにはけっこう面白い人間が集まってきたものだ。

久々の休みで、久々の青空、空の色はなんといえばいいだろう。そう、モネの空の色。乾いたにごりのない青色が空に広がっている。暑くもなく、寒くもない。ホームに立っていても、時折吹きすぎる風が肌に心地いい。

席に座り、文庫本をとりだしてページをめくる。大橋歩「くらしのきもち」(集英社文庫)。まったくがらにもない本をもってきたものだ。まっしろな表紙に黒い犬のイラスト。原宿のブックオフで、表紙を見て、衝動買いしてしまった。「村上ラジオ」以外ではこの人の本を読んだことはない。ぺらぺらとページをめくって読んでいると、とくに何が書いてあるわけでもない。面白いことを書こうとか、しゃれた文章を書こうとか、これがいいたいとか、そういう文章ではまるでない。最後まで読めるかな、と思いながらページをめくっていたが、少しずつ本の中に入り込んでいく。とくにすばらしいことが書いてあるわけではない。だからといってつまらないわけでもない。力みがなく、気張りがなく、自然で、すなおで、やさしく、品のいい文章。ひかえめで、まっすぐで、てらいのない文章。そういう文章を読む心地よさが今日の天気にふさわしい。著者略歴をみると年齢は64歳。そうか、その歳で、このやわらかな文章を書くことは、けっしてふつうでもあたりまえでもない。いや、実はとてもむずかしい仕事であると思う。

大橋歩という人は、とにかく大事なことをたいせつにして生きている人であり、大事なことを人に教わろうという姿勢を持ち続けている人だ。それが文章から自然ににじみでている。だからこそ、大事なことを教える人がいつもそばによってくるのだろう。「村上ラジオ」もそのようにして生まれた本ではなかっただろうか。

次々にページをめくっていると、ふと隣に座っている若い女性が席を立つ。「あ、どうもありがとうございます」という初老の女性の声が聞こえる。その女性の傍らには足に装具をつけ、杖をついた初老の男性が足を引きずりながら電車に乗り込んでくる。おそらく夫婦なのだろう。男性はぎこちない足どりで私の左隣の席に座る。席を立った女性は私の右斜め前に向こう向きに立ち、ペットボトルのお茶を一口飲んでいる。日常のあたりまえの風景である。何も変わったことは起きていない。しかし、私は本から目を離し、今起こったことの意味を考える。

私は席を譲るべき時に他人に遅れをとったことはほとんどない。そういう記憶を思い浮かべることすらできない。しかも、今、私は席を譲るべき人が電車に乗ってきているということすら気づかなかった。もちろん本を読んでいたということもあるだろう。それにしても、そんな経験はこれまでなかったし、第一、隣の女性が席を譲るのと、初老の夫婦が電車に乗り込んでくるのは、ほとんど同時だった。よく考えると、これは不思議なことである。

私は隣の女性のことを思い浮かべる。黄色いノースリーブのシャツと黒っぽいジーンズを履いたパーマをかけた金髪の女性。年齢は30前くらいだろうか。電車に乗ってきた時は、私の右隣の位置に立っていた。席が空いたので私の左の座席に座った。でも座る時に座席のクッションが大きく沈むこともなく、どこかが私に触れることもなかった。すっと腰をおとし、音もなくそこに座った。そのことを思いだした。

席を譲る時、彼女はどうしたか。日本人の多くは席を譲る時、まず迷う。席を譲るべきか否か、と。そして短い時間、逡巡する。その後、おずおずとまっすぐ立ち上がる。どういうせりふを言おうかと考えながら。そして、「あのー」と口を開く。「ど、どうぞ」と口ごもりながらことばを発する。そして、内心どきどきする。まあ、かくいう私も似たようなものである。席は譲り慣れているから、もう少しスムーズにことを運ぶことはできるけれども、基本的には同じようなものだ。

でもその女性は違った。まず、席を立つタイミングがとても速かった。電車が駅につく。ほとんどそれと同時に彼女は立ち上がった。そして、立ち上がり方が違った。彼女はまっすぐ立たなかった。右斜め前に向かって、まるで目標に向かってスタートを切るような姿勢ですぱっと立った。そして一言も発しなかった。電車が駅についた瞬間に、無言で斜め前に向かってすぱっと立ち、そのままの姿勢でその方向へ向かって数歩歩き、向こう向きに立っていた。席を譲られた初老の女性の対応から推察するに、彼女は立ち上がった瞬間、何もいわなかったけれども、おそらくにこっと微笑んだのではなかったろうか。立ち上がりざまに一瞬微笑んで、右前方へすっと歩き、一口お茶を飲む。



私はすっかり感心してしまった。電車の中でこんなさわやかな行動を見たのはいったい何週間、いや何ヶ月ぶりだろう。偶然、降りる駅が一緒だったので、私は彼女と並んで電車を降りた。おそらくはフランス系の外国の方か、あるいはハーフの方とお見受けした。シンプルな服装だったが、とても優雅に、そして美しく見えた。日本人ではなかったということに、私は少しだけ納得と失望を感じた。

電車を降りても、その余韻はしばらく続いていた。その余韻の中で道を歩いていると、突然、前方で「あぶない!」という声が聞こえた。車が向こうから走って来て、その前をすばしこい小さな動物が走りすぎる。

よく見ると、ほとんど生まれたばかりの子猫である。学校のそばの道。道ばたにはつつじだろうか、背の低い植え込みがあり、子猫はそこから出てきたようだ。幸い車の運転手がそれに気づいてスピードを落とし、その傍にいた段ボールを抱えた女性が助けたようである。私は気になってそちらの方に歩いていった。

その学校の女学生が4~5名ほど生け垣の方を向いて何か話している。段ボールを抱えた女性が彼女たちに説明している。「子猫でね、一匹は目が見えないの」という声が聞こえてくる。そのうち、また生け垣から小さな物体が道路に向かって走り出す。おそろしくすばしっこい。まちがいなく子猫だ。白と茶色のまじった子猫。生後2~3週間というところだろうか。どうやら段ボールをもった女性はその子猫を捕獲しようとしているらしい。

「一匹は目が見えなくてね、病院につれていこうと思ってるんだけど、もう一匹がどうしてもつかまえられなくて」ということばが耳に入る。だいたいの事情がこちらにも呑み込めてくる。私はその女性に声をかけた。

「手伝いましょうか」
「ええ、目の見えない一匹は箱の中にいれたんだけど、もう一匹が。とりあえず近くの動物病院に連れていきたいんだけど」

私は生け垣の中に逃げ込んだ子猫の後をそっと追う。小さな体だ。私の掌のなかにほとんど入ってしまいそうな大きさだ。でも子猫はおびえている。どうしていいか、判断がつかないでいる。背後から手を伸ばすと、やみくもに走り出す。そのすばやいこと。走ろうとする意志と、走る動作との間にまったく隙間がない。走る意志がそのまま動作となって路上を駆け回っているという感じである。必死で追っかけたがとてもつかまえることはできない。おそろしいほどの逃げ足の速さである。

でも、その姿をしばらく見ていると、彼(彼女?)は逃げようとしているのでもないようだ。あっちへ行き、こっちへ帰ってくる。向こうへ走り、こちらへ戻ってくる。よく見ると、小さな円の中をあっちからこっちへと移動しているだけである。とにかく追われているから逃げているので、どこかへ走り去ろうとはしていない。そのことは見てとれる。

何度かの追跡劇の後、私は生け垣の上から子猫を見おろす。そして、そっと指先を伸ばす。ふと、子猫は顔を上げ、こちらの顔を見る。「どうするの!」その眼はそう言っている。「だいじょうぶ、だいじょうぶ」。私は心の中でそうつぶやく。何がだいじょうぶなのかは私にもよくわからない。でも、そういうしかないではないか。

私はさらに子猫に向かって手を伸ばす。人差し指が猫の背中にそっと触れる。彼がびくっと身をすくませるのがわかる。ここが勝負だ。私はそう思い、手のひらを広げて、彼の背中をそっと覆うようにする。手のひらを彼の背中にそっと押し当てる。子猫はそっと目をつむる。彼にとっては母親のあたたかいお腹を離れてから、おそらくははじめて触れたあたたかい物体だったはずだ。そのあたたかさに触れた瞬間、彼はそっと体の力を抜く。私は逆に右手にそっと力を込め、子猫を背後からつかみ、ぱきぱきと生け垣の枯れ枝を折りながら、猫を持ち上げる。あっけないほど軽い、骨と肉と皮と毛のやわらかく小さなかたまり。しかし、空中に持ち上げても彼は身じろぎひとつしない。引っ掻くどころか、私の手の中でまるで眠ってでもいるかのように、ふんわりと体を預けている。彼は賭けたのだ。このあたたかいものを信用するという選択に彼は命を賭けたのだ。



「ありがとうございました。助かりました。」

女性はそういった。私はあいまいな返事をして、その場を去った。「よろしくおねがいします」といいたかったのだけれど、それも何かおかしな返事であるような気がして。


土曜の午前。久々の青空とさわやかな風。その中で感じた小さな幸せ。

小さな幸せ?大きな幸せというものがはたしてこの世に存在するのだろうか。幸せはそもそも小さな形をしているものではないだろうか。

そして、その小さな幸せに出会うためには女性の介在が必要だ。



幸せはいつも小さな形で人を訪れる。小さいということは幸せであることの重要な条件のひとつである。

私が今日学んだのはそういうことだ。







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Last updated  2006.09.16 21:49:40
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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