M17星雲の光と影

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2006.12.21
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網野善彦『日本の歴史をよみなおす』(ちくまプリマーブックス)を読んでいる。緻密な実証研究と大胆な構想力が結びつくと、これほど平易で、かつ深みのある仕事ができるのかと思わせられる本である。学問における「問いの立て方」の大切さを改めて感じる。

この本の中に「非人」の話が出てくる。被差別民を示す蔑称として用いられることの多い語であるが、この言葉を文字通りに解すると、「人にあらず」ということになる。「人にあらざるもの=人間以下のもの」ととらえるのは、考えてみるとあまりにも一面的、かつ短絡的な見方である。なぜならば、人間を超えた超越的存在は「人にあらざるもの」であり、自然もまた人知を超えるものだからだ。 

「非人」や「ケガレ」ということばを旧来の通念から解放し、再吟味する必要があるのではないかというのが、網野氏が本書で訴えていることのひとつである。

たとえば、「ケガレ」ということばにしても、単なる「汚れ」「汚穢」と考えられがちだが、それがどのような状況下で発生するかを考えてみると、一概にそうは言い切れない。ケガレとは「人間と自然のそれなりに均衡のとれた状態に欠損が生じたり、均衡がくずれたりしたとき、それによって人間社会の内部におこる畏れ、不安」と結びつくものだと述べられている。人間と自然との安定した調和、均衡がこわれることに対する畏れ、不安の感覚が「ケガレ」をもたらすというのである。

たとえば、死、出産、火事、牛・馬・犬など人間以外の動物、罪業、これらはすべて自然と人間との間の均衡を壊し、欠損やアンバランスをもたらす。だから、死穢、産穢、焼亡穢、罪穢などが生じるというのである。

そして、そのケガレは伝染性をもつと考えられていた。その伝染を防ぐためにはキヨメという儀式が必要になる。その作業に従事したのが「非人」と呼ばれる人たちだった。彼らは葬送や処刑や牛馬の死体の処理を通して、ケガレをキヨメる特異な力をもつ異能者とみなされていた。だからこそ、彼らは「神人(じにん)」として扱われることも多く、寺社とも深いつながりをもっていた。その彼らを共同体から排除された被差別民とのみとらえるのは誤りだ、と網野氏は指摘する。

日本の歴史を振り返ってみると、どうも南北朝時代をひとつの転換点として、「非人」に対する見方が大きく変質しているように思える、と氏は言う。その最も重要なポイントは、人知を超えるものに対して「畏怖」を感じるか否かというところにある。南北朝以前には、人々は人知を超えた現象に対して「畏怖の念」を感じ、非人に対してもケガレをキヨメる特異な力の持ち主として一種の敬意すら抱いていた。

ところが十三世紀の後半に至って、このようなケガレに対する意識に変質が起こってくる。ケガレは畏怖の対象というよりも、むしろ汚穢として嫌悪・排除の対象へと変わっていく。

そして、このケガレに対する二つの思想のせめぎ合いからいわゆる鎌倉新仏教の動きが生まれてくるという壮大な構想が示され、それが「一遍聖絵」の絵巻物の絵解きを通して明らかにされてゆく。このあたりは本書の眼目であり、白眉でもある。表現が不適切かもしれないが、このあたりの「面白さ」は無類である。巻を措くあたわずという感じで、その語りの世界に引きこまれる。



人間が上位存在を見失い、その位置に自らを押し上げた結果、その位置を維持、確認するために下位存在を必要とするようになり、それが差別を生み出した。そう考えることはできないだろうか。

本書には女性に対する一連の論考も含まれている。興味のある方は直接、本書に当たっていただきたいが、人間と自然との調和や均衡の崩れる瞬間を直接自らの体を通して感じとるのは、まずは女性であろう。新しい生命を産出する女性の姿は畏敬の対象として縄文の時代から土偶として形象化されている。その神秘性に対する畏れの念がいつしか変質して差別意識へと変わったとしたら、「非人」ということばにこめられた二重の意味はより深い普遍性、一般性をもつといえるかもしれない。

日常生活からは暗闇が失われ、24時間寒々しい人工的な明かりが周囲を隅々まで照らし出している。思索を誘う深い沈黙は失われ、あたりは虚ろな喧噪に満ち満ちている。死も出産も無機的な病室の奥に閉じ込められ、ゴミはビニール袋に包まれて口を固く閉じられ、体臭は防臭スプレーでかき消され、排泄物はあっという間に白い便器の渦の中に吸い込まれる。ケガレの元となるべきものは一切排除され、差別語までついでにゴミ袋に詰めて人目につかないところにしまいこまれる。

われわれは畏怖の念どころか、畏怖の感情を呼び起こす可能性をもつあらゆるものを根こそぎ放擲しようとしているように見える。畏怖の念を喪失し、その手がかりを抹殺し、その後に生み出された差別語すら禁忌の対象として葬り去る。いったいその先に何が待っているというのだろうか。行き場を失った巨大な沈黙と暗闇は、あるいは傲りと過信におぼれる人間のこころの中にそっと忍び込んでくるのかもしれない。いや、そのひそやかな侵入はすでにはじまっているのかもしれない。そういう気がしてならないのである。





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Last updated  2006.12.22 06:27:48
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全く同感です  
3315haha  さん
人工美が本当に美しいものとは思えません。

安易な復古調にも組しませんが、今の風潮の薄さに歯止めが掛けられないものかと思います。
ともあれ…Happy holidays and a new year! (2006.12.25 19:56:40)

Re:全く同感です(12/21)  
3315hahaさんへ

地味、かつ、ごつごつとした書きぶりの文章に目をとめていただき、ありがとうございます。

人工的なものにはある種の「浅さ」があるように思います。その浅さにもまた魅力はあるのですが、まず私たちは自然の深みをしっかりと感受しなければならない。そういう気がします。

もうとくに書くべきこともないし、ブログはおやすみかなというこちらの気持ちを見透かされたようで、新年のご挨拶までいただき、恐縮です。

はげましていただいたので、何か浮かんだら、また書くことにします。コメントありがとうございました。 (2006.12.25 20:19:28)

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kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
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М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
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