M17星雲の光と影

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2006.12.22
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テーマ: 感じたこと(2902)
カテゴリ: 音楽
完全に理解しつくせるものと、まったく理解できないものは、愛の対象とはならない。

ある程度までは理解可能だが、最後の最後のところで、どうしてもわからない部分が残る。そういうものを私たちは愛の対象として選択する。

そもそも最初から理解しようという気の起こらない場合は論外である。それはこころがそちらに向かっていないのだから、愛情の起動装置そのものにスイッチが入っていない。そういう状態は「無関心」と呼ばれる。

完全に理解できるということは、しかし、その時点ですでに理解のレベルを超えて、「支配」の領域に入ってしまっている。支配下にあるものを庇護したり、愛玩したりすることはできるが、愛することはできない。庇護や愛玩と愛は違う。前者は既知が前提であり、後者は未知が前提だ。すべてが既知であったとしたら、そこにはもう愛は存在しない。

まったく理解できないものに対しても、愛は起動しない。それはある意味では未知の塊なのだが、あまりにも大きすぎる未知は違和感だけを引き起こし、親和や親密の感情を呼び起こさない。したがって、そこにも愛は生まれない。

まず対象を理解したいという強い欲望がある。その欲望は強烈な執着や愛着を伴って、どこまでも対象に肉迫しようとする。しかし、あと一歩というところで、極限までのばされた指の先から対象はむなしく逃れていく。その瞬間、伸びきった指の先端から分泌される感情、それが愛である。

届きそうで届かないものに対してわれわれはあこがれを抱く。でも、あこがれもまた愛そのものではない。それはしょせん、愛にふりかけられる調味料にすぎない。調味料を皿に大盛りにしてもそれは料理にはならない。だから、あこがれは愛ではない。むしろ「届きそうで届かない」という条件のほうが、あこがれよりも愛の本質に近い。

対象に到達したいというやるせない願望、でもどうしても到達できないという苛酷な現実、この二つの間の相克に愛の本質はある。両者の拮抗のなかでのみ愛は棲息可能である。二つの条件のうち、どちらかが明らかに優位に立ったとき、愛は終息してしまう。願望が現実に勝ると、そこには実体のない幻だけがあてもなくただよう。逆に現実が願望に勝ると、そこには無力な断念が生じる。二つの相異なる条件の間に、微妙で、かつ強力な磁場が発生しない限り、愛はその姿を現さない。

この機微は何かに似ている。そう、それは文章を書くことと相似形をなしているのだ。



あるいはあらかじめ何かを書くことを断念し、あこがれに酔うための手段として文章を用いることもできるかもしれない。そこにある種の靄のようなもの、霧のようなものをただよわせることはできるかもしれない。でもしょせん靄は靄、霧は霧である。それが実体感のある文章の手ごたえにつながるわけではない。そこにはただ現実と遊離した底の浅い幻想がたちこめているだけである。そこにも愛はない。

求めてやまないものに渾身の力をこめて手を差し伸ばし、懸命にその指先をのばして対象に手を届かせようとすること。そこにしか愛は宿らない。でも、届かないものに指先を届かせようとすること、それを愛の定義として認めてしまった瞬間に、その現実的な到達の可能性はあらかじめ断念されてしまう。

愛も文章もその絶望的なアポリアのなかにだけわずかに自らの棲息条件を見出す。さわろうとしてもさわれないもの、表現しようとしても表現しえないもの、それが「愛」であり、「文章」なのだ。

私はいったい何をいおうとしているのだろうか。

そう、それは「あいだがあいだ」ということである。

「間が愛だ」。

懸命に手を伸ばし、指先を伸ばし、対象に触れようとする。その指先と目指すべき対象とのあいだに存在するかすかな、わずかな隙間。そこにこそ愛は棲息する。

愛の棲息領域はその「あいだ」にあるということ。私にはそのことだけはわかる。

もしもその狭い領域に双方から手を差し伸ばし、その指先に一瞬の放電現象が起きるとしたら、それを可能にする条件はなにか。

残念ながら、それは私にはわからない。

二つの指と指の間に、あるいは文章と対象との間に、一瞬でも虹をかけることができるのか。もしもできるとしたら、どうすればそれは可能になるのか。



私にわかるのは、二つの魂の隔たりをどこまでも零に近づけようとして接近を試みることの大切さと、しかし、その距離はけっして零にはなりえないという事実。ただそれだけである。


ただひとつ 木枯らしにこごえる日には
 かじかんだ手を あたためてほしい
なにひとつ たしかには見えなくても
 おびえることは なにもないから

 話せるときがきたら くらしていこう
すばらしく すばらしく 毎日がすぎて
 悲しみに出会う時は なみだをながそう

夜がきて あたたかいスープをのもう
 あしたも きっと またさむいから

Oh baby ぼくは君に話しかけてる
 あの日のように いつものように

ぼくらが もうすこし 愛について うまく
 話せるときがきたら くらしていこう
すばらしく すばらしく 毎日がすぎて
 悲しみに出会う時は なみだをながそう

ぼくらが もうすこし 愛について うまく
 くらしていこう
悲しみに出会う時は なみだをながそう

(スガシカオ「愛について」)


この不思議な、そして完璧な歌詞の意味が一瞬わかりかけた気がしたのだけれど、もうすこしというところで、また差し伸ばした指の先からその意味は逃げていってしまった。

私は、そして彼は、「愛について」いったい何を語ろうとしているのだろうか。








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Last updated  2006.12.24 21:13:39
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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